オクラホマ・スティルウォーターから

2003年01月31日(金) お誘い

 明日で2月になるという実感も無く、今日も1日が終わろうとしている。

 ところで、うちの前をよく見ると、芝生→歩道→芝生→車道となっている。昨日のトラックは道路の手前の芝生のくぼみにでも後輪が引っかかったのだろう。

 それはさておき、ガイドブックには載っていないような情報も含めて、現在オーランドを回るポイントを書いている最中だ。テーマパークについてはガイドブックに載っているので、載ってなさそうな(といっても、オーランド専門のガイドブックが無いのでわからないが)ことを載せようとたくらんでいる。少なくともオーランドには3回行って、そのうち2回はタラハシーから運転して行ってるし、フロリダに住んでいたら知っているようなお店もあるので、いくらかポイントが書けるかなと思っている。

 オーランドのアウトレットにも行ったことはあるが、あまり調べていかなかったので、実際にどんなお店があるかというのは行ってみてから、という感じだったが、HPでお店のリストを見ると、メインのキタリーのように、いろんなお店がある。

 「Etienne Aigner があるよ〜!(未だ名前を覚えられず・・・)」

 というわけで、いかさ〜ん、亜里沙さ〜ん、(飛行機がいやでなければらぴたさ〜ん)、来年の春ぐらいオーランドはイカがでしょうか〜(って日本にいる3人に大声で呼びかけんでええって。)?



2003年01月30日(木) 隣人の引越

 今日は久しぶりに晴れ間が見えた。いい天気だなあと外を見ると、右隣のアパートの前に引越のトラックが。どうやら住人が出て行くらしい。

 右隣には中国人が多数住んでいて、朝10時ごろにいつもみんなでどこかへ出かけていた(仕事なんだろうが)。女性は2人、男性4、5人いて、どのような構成なのかまったくわからなかった。夜になると、携帯電話をもって外でしゃべっていたりした。
 このアパートは2階建てで、2部屋しかないのでどうやって生活しているんだろうと思っていたが、うちの両親が来たときに大人4人でも充分生活していけることがわかり、6人ぐらいでも何とか大丈夫かなと思っていた。

 さて、引越トラックはさほど大きくなく、きっと近くに引っ越すのか、2回ほど往復していた。

 2回目のこと。荷物を入れて、トラックは行ってしまったが、よく見ると、アパートの家の前の道路をふさぎ、後ろが傾く形で立ち往生している。後輪が道路の脇にはまってしまったか何かで、動けないらしい。でも、何でそんなことになったのだろう?

 少し解説をすると、アパートの前には駐車場が無く、芝生が広がり、そして歩道、道路となっている。荷物を入れるときにアパートの玄関までトラックを乗り上げてきたのだが、よく見ると、芝生の上にわだちがある。どうも、そのまま芝生、歩道を越えて道路に出ようとしたらしい。

 そりゃあかんやろ〜。

 道路まで平らだったらよかったのだろうが、芝生は少し盛り上がっている。今日は暖かくてだいぶ雪が解けたとはいえ、まだまだ残っている。

 そのうちパトカーが来た。ふさいでいる1車線の手前に、サイレンのライトを回して止まっているが、まだ明るいのでライトが回っているのはよく見えない。

 30分か1時間してレッカー車がやってきた。そのときには応援のパトカーもやって来て、反対方向の道路を封鎖している。レッカー車の活躍は1分足らずで、無事トラックは引き出され、立ち去った。

 いやいや、やってくれました。



2003年01月29日(水) 神戸空港

 Yahooの検索に行くと、いつも今日のトピックスの方に目が行ってしまい、そっちの記事をよんでいるうちに何を検索しに来たか忘れてしまう。

 ところで、トピックスに神戸空港の話が出ていたので、思わず行ってしまった。

 関西には現在、伊丹(大阪)空港、関西国際空港がある。伊丹空港はほとんどの敷地が兵庫県にあり、少しだけ大阪府にまたがっている。伊丹はあまり交通の便がよくないが、関空が開港するまでは、国際線も飛んでいた。

 以前住んでいた家から伊丹の空港まで、早くて車で15分で着いた。そんな距離だったが、伊丹までバスに乗ったことがないし、バスがあるのかどうかしらないぐらいだ。関空にはバスで1時間ぐらいかかるが、市内からバスが発着するようになったので、とても便利になった。大阪の人も、関空の方が便利だと思う。

 神戸に空港ができるという話を最初に聞いたときから、個人的には反対である。関西の人じゃないと距離の感覚がないと思うが、大阪から神戸まで30キロ、東京と横浜の距離だ。東京には羽田があるのに、横浜の海の埋立地に空港を作ろうというのと一緒だ。

 伊丹も関空もあるのに、神戸までなんで要るねん?? と、疑問符が飛び交ってしょうがない。伊丹が閉鎖されたら、その代わりとして要るだろうか。新聞社が行ったアンケートの結果にもあるが、反対する理由は、必要性の面だけでなく、空港が神戸港をふさぐということ。それから、外観がくずれてしまうのではないかということだ。

 神戸空港は神戸の中心街である三宮の南にある人工島、ポートアイランドの南だ。三宮の町からは建物の影で離着陸が見えないかもしれないが、海を見下ろせる山側からは飛行機が頻繁に離着陸が見えるようになると思う。

 神戸の町は北に山、南に海があって、山の景色もきれいなのだが、以前、そびえるようなホテルが新神戸駅にできて、山の景色を遮っているように思えた。今は見慣れたのか、電車で三宮に行く時に、山側にあるそのホテルを見ると、近づいてきた、と思う。

 見慣れてしまえばそれまでなのかもしれないが、開けた海の視界を妨げないか、という懸念がある。そして少し前の香港のようになってしまわないだろうか。いずれにしても、港に飛行機が飛ぶのを見たくない〜! 



2003年01月28日(火) ごはん

 今日は気温が5度ぐらいに上がっていて、やはり暖かく感じた。雪も少しずつ解けているが、まだ辺り一面真っ白だ。

 夕飯用にご飯を炊いたが、ネジャーティが炊き立てのご飯を食べて一言、

 「おいしい〜!」

 「炊き立てだからかなあ。」

 「新米じゃないの? お米が光ってるよ。普段はご飯を気にして食べてないけど、今日のはおいしい。」

 最近買ったお米の袋をよく見ると、新米(New Crop)と書いてあった。確かにご飯を食べるとおいしかった。カリフォルニア米でも新米はおいしい。



2003年01月26日(日) 雪便り・・・って何回目やねん

 朝起きて、ブラインド越しに見える空が曇り空。昨日の天気はあれほどよかったのに、と起き上がって外を見ると、なんと吹雪いている。

 今年に入って何回雪が降ったんやろう、と数える気も起こらないが、この辺はあまり降らないと聞いてたのに・・・・。聞いていた話と違うやんか、と文句も出ようなら、あんたらがニューハンプシャーから雪持ってきたんとちゃう?と突っ込まれそうなので、文句は言うまい。

 吹雪いている外を見ながら、あったかい家の中でごはんを食べていたが、午後には雪もほとんど止んだので、本屋に行ってみた。買いたい本があって、オンラインで買ってもいいのだが、店頭にあったら見てみたいし、他にも見たいものがあるし、と思っていたが、欲しい本は置いていなかったので、この本屋のオンラインで買うことに決定。

 ところで、オンラインでは、大学のテキスト(College Textbook)と称して、新品だけでなくて、古本でも売っている。先日、ネジャーティが別のサイトからオンラインで学術書を買ったが、ほとんど新品だったらしく、格安で買ったらしい。

 今月に入って、一念発起して本を読み始めたが、いつまで続くことやら、、、。



2003年01月25日(土) パーティー好きな大学

 今日、本屋に行きたいなあと思っていたら、ネジャーティが学校に行くと言う。車で学校に行ってしまったので、私と梨奈は雪の中で篭城状態だ。休日ぐらいゆっくりしたらいいのに、と思ってしまうが、実験が頭から離れないらしい。ネジャーティが家にいないと平日の感覚になってしまう。平日でも夜はネジャーティがいるのでホッとするが、最近また梨奈と煮詰まり状態を起こしているので、一人でリフレッシュする時間がほしい。

 ところでパーティーが好きな大学ベスト10がMSNのサイトに載っていた。きっと10位内に私が行った学校も入っていることは察しがついたが、どれどれ見てやろうと思って10校を見ていた。

 ふむふむ、あ、この学校そうなの? と思って見ていると、「4位 ペンシルベニア州立大学」。大学時代に1ヶ月、語学研修に行ったところだった。回りに何もないからねえ、、、。次、「5位 フロリダ大学」。私の学校とフットボールではいつも張り合うところだ。この順位に負けても悲しくないや。それから7位、「ニューハンプシャー大学」。あれ?聞いたことある大学、って当たり前でしょう。ネジャーティは大学院に行き、私は日本語を教えてたところなんだからぁ。やっぱり田舎だからねぇ。

 私の学校が入ってないかも、と安心していたら9位に入っていた。

 「はぁ〜、やっぱり入ってた、、、」

 言い訳をすると、あんな天気のいい、暑いところで、勉強する気になりませんって。あんな気候では気が締まりません。鞭を打ち、目の前ににんじんをぶら下げておかないと、勉強しようなんていう気になりません。「どうにかなるさ」なんていう南の国の風潮が漂っています。

 ・・・・なんて書くと「やっぱり〜」と思われてしまいます。


 でも、普段はみんな勉強してますよ。図書館も夜遅くまで開いているので、勉強しています。でも先生たち曰く、「学生の質が落ちている、、、。」アメリカも日本と同じような問題を抱えているのかも。

 もちろん、大学院生は遊びません。そんな時間はありません。





2003年01月24日(金) 「フロリダに行きたい」病

 月曜の夜からおなかの調子があまりよくなく、何となくしくしくしている。昨日は久しぶりに電話で母としゃべり、元気になった。

 ところで、ユキ子さんから写真付きカードをもらった。ユキ子さんはUNHで日本語を勉強した後、ジェットプログラムで日本に行って、1年間滞在した後、フィアンセのいるミシガンに戻ったようだった。フロリダのキーウエストで撮った写真だったが、それを見て、「フロリダに行きたい」病が始まってしまった。

 日本でフロリダというと、オーランドとかマイアミ、キーウエストがよく知られていて、それだけで充分滞在が楽しめるのだが、テーマパークといった人間が作ったものではなく、本当は自然がいっぱいなので、自然も楽しまないともったいないところなのである。

 せっかくフロリダにいたし、そういうところも紹介したいと思ってHPに載せようと少し書き始めたが、中断してしまっている。フロリダに行くのだったらオーランドは外せないだろうし、お薦めしたいところというのは案外オーランドから離れていて、それだけのために行くとなると、大変だろうなあと思って、ただ場所を紹介するだけにしたらいいのか、テーマに沿って紹介すればいいのか、などと考えているうちに、中断しているままになっている。

 そして、英語版ではフロリダの各地域を紹介しているHPがあって、日本語版もあるのだが、日本語版は全部を把握していない。もし日本人向けに、フロリダ観光の推進のための仕事をしてほしい、とお声がかかったら、引き受けてしまうぐらいかも。

 ネジャーティはフロリダに1年弱いて、オーランドやマイアミ、キーウエストなど主要なところを抑えているようなのだが、やはり行き足りていなかったようで、特に住んでいたタラハシーを含むパンハンドルと呼ばれる地域は案外回っていないらしい。

 フロリダの紹介はまた書き続けるとしても、一つお勧めを書いておくと、もしオーランドのテーマパークだけに絞っていたら、1日をメキシコ湾のビーチに行くか、オーランド郊外の湿地帯に行くかというのをお勧めしたい。行くとなると車が必要になるのだが、メキシコ湾のビーチはアメリカのベストビーチにも入るぐらいで、観光化されておらず、本当にビーチのよさが味わえる。

 もう1つの湿地帯はスワンプと英語で言って、オーランド周辺に限らず、フロリダ半島のいたるところにある。マイアミ近くのエバーグレーズはその代表的なものだが、そこに行かなくても、スワンプをボートで行くようなところがある。

 私はしないのだが、ゴルフをする人にとっても、フロリダにもゴルフ場がたくさんあって、料金も安いようなので、ゴルフが好きな人にはゴルフをお勧めしたい。

 あぁ〜、フロリダに行きたいなあ〜!!!



2003年01月23日(木)

 月曜日に車のバッテリーを換えてもらいにネジャーティと一緒に行った。時間が思った以上にかかっていて、待っている間に、ネジャーティが車について聞いてきた。

 「僕たちの車の色の名前を今日初めて知ったよ。何て言うか知ってる?」

 「ワイン色? ルビー色?」

 「ちがう。この単語が何を意味するのかわからないし、何かについている名前なのか、全く分からないんだよ。」

 ちょっと分かりにくいですが、ちなみにうちの車はこんな色です。↓



 「マーブル?(なんで大理石やねんって)」

 ・・・・・とやり取りをしたが、私もわからず、ヒントをもらった。

 「最初の文字はM」

 マーブルによく似た単語のような気がしたが、「Mar、Mar」しか出てこず、「次の文字は?」と聞いていくと、やはり「Mar」までは合っているようだ。

 日本語で言うマロンかな、と思って、それらしく言ってみると当たったが、正しくは「Maroon」で「マルーン」という色らしい。辞書で調べると、「えび色、栗色」となっていて、もちろん、マロングラッセのマロンも同じ派生語のようだ。

 インターネットで調べてみたが、色に関する日本のサイトでは、えび色というのがちょっと近いかなあと思うが、最近はウェブ上で載せる色の名前があるので、それを見ると、Maroonでもいくつか種類があるようだ。



2003年01月22日(水) AAA

 さて問題です。「AAA」はどう読むでしょうか。


 答は「トリプルA」。読めた方はAAAが何かきっとご存知の方だろう。

 AAAは日本でいうJAFで、メンバーになると、いろんなサービスが受けられる。この前両親が来たときも、父がアメリカの地図がほしいというので、1枚になっているアメリカ全土の地図をもらいに行った。

 AAAにはフロリダにいるときから入っていた。毎週水曜日にキャンパス内に出店が出るのだが、必ずAAAも来ていて、そこで入会したと思う。途中からは学生の身分でありながら、追加料金を払って、特典の多いAAAプラスのメンバーになったが、元が取れるサービスは受けたと思う。
ニューハンプシャーに移ったときは、地域が違うので、北ニューイングランド地域の会員になった。

 AAAのオフィスで会員証を見せると地図やガイドブックが無料でもらえるが、一番感心したのは、Trip Tikというもので、これは出発地と目的地までのルートに沿って、冊子状の地図を作ってくれる。大きい地図もくれるが、その冊子状の地図をめくっていくと、出口に「G(ガソリンスタンド)」「F(ファーストフードやレストラン)」「L(宿泊施設)」と記しがついているので目安になる。もし工事中のところがあったら、そのようにスタンプが押される。最近はインターネットで自分でももっと詳しく作れるようになっている。

 AAAのサービスは幅広く使えて、テーマパークやホテルもAAAの割引がある。日本のJAFでAAAと同じサービスを受けることができるカードをもらえるので、もらっておくと、アメリカでAAAの料金にしてもらえる。

 毎年2月に更新となっているので、今度はここのAAAに入り直す予定だ。ここはAAAシンシナティーと、シンシナティーだけの地域になっていて、やっぱり大きい町は違うなあと思った。



2003年01月20日(月) 祝日

 今日はマーティン・ルーサー・キング Jr.の祝日だったが、夕方からネジャーティは学校に行った。

 ネジャーティは昨日も昼から学校に行っていたが、帰ってくると、「ドアにかかってたよ」と言って、ビニール袋に入った広告を持って入った。

 この周辺のスーパーの広告なのだが、その中に、毎週必ず行っているジャングルジムズがあった。ジャングルジムズは私の日記によく登場するスーパーで、いろんな国の食べ物を置いているのが特徴の一つで、現在拡張中だ。もっと広くして、スーパーの周りをモノレールが走るようにする予定だ。モノレールはシンシナティー近郊にある遊園地から中古で買い取ったようで、あとはレールを作るだけだ。

 広告には見取り図が書かれていた。現在は入口にワインとビールの売り場があって、その奥に食品売り場があるのだが、それをもっと前面に出すらしい。今の迷路のようなお店も面白いと思うのだが、、、、。
 
 そして、銀行が入るらしい。この辺では大きい銀行で、ロゴマークが「5/3」と書いてある。最初見たとき、「3分の5?」と分数みたいに読んでしまったが、銀行の名前は「Fifth Third Bank」だから、3分の5だと銀行の名前にはならないし、、、とかくだらないことを考えていたが、つまるところ、「Fifth Bank(第五銀行)」と「Third Bank(第三銀行)」が合併してできた銀行だ。

 そうかぁ、Fifth Third Bankが入るのかぁ。口座を持っているから便利かな、などと思ったりして、他を見てみると、寿司バーもできるらしい。フードコートができるとあったから、そこにできたら、食べる人がいるだろう。

 これだけ日記に書いてしまうと、ジャングルジムズから出演料をもらわないと、、、(こっちが払わないといけないとか?)。



2003年01月19日(日) うどん

 実家が今の家に引っ越す前、駅の近くに市場があって、そこにある麺だけを売っているお店があって、そこで時々麺を買っていた。家族はあまり太うどんが好きではないので、細うどんを買っていた思い出がある。

 うどんと言うと、関西ではうどんがよく食べられる。そしてうどんのつゆは決まって色が薄い。関東と違って、関西は手に入る昆布をだしに使うかららしい。そういえば、大阪には昆布を使った佃煮の老舗のお店がある。

 大学の入学式で東京に行った時、一緒に入学式に行ってもらった父とうどん屋に入ったが、汁が真っ黒で驚いたことがあった。話には聞いていたが、本当にこんなに真っ黒なんや、と父と話した。

 もちろん関西のうどんの汁はちゃんと透き通っている。

 大学のキャンパスは静岡で、うどんの汁はそんなに真っ黒ではなかったと思う。しかし、呼び名がまた違うことに驚いた。同じ国内なのに、こうも違うと、違いを受け入れるまでにとてもエネルギーを使ってしまう。

 関西では「きつね」といえばうどん、「たぬき」はそばだが、キャンパス内の食堂には「きつねうどん」「きつねそば」「たぬきうどん」「たぬきそば」があって、たぬきの場合は天かすが入っていた。関東出身の友人によると、関東ではそうらしい。

 ちなみに食堂ではカレーうどんがおいしくてよく食べていた。

 そのうち、カップめんのきつねうどんも、同じ製品なのに、関東と関西でだしが違うと話題になった。

 関西と関東のうどんの色がどれぐらい違うかというのは、ここをクリックして見てください。



2003年01月18日(土) ケニア人のお宅で

 ネジャーティの研究室にいるケニア人留学生の家でパーティーがあった。

 ここから車で15分もあれば行けるところに家を買ったので、お家のお披露目を兼ねたものだった。

 すでに何人か来ていたが、パーティーの最初はだいたい飲み物を片手に話をするというパターンで、すぐに食べ始めるというものではない。お家の中を見せてもらったが、平屋で地下があって、1階部分は3部屋、地下にはファミリールームと称する部屋が1部屋、その隣にはランドリールームがあったが、もう1部屋か2部屋作れそうな広さだった。

 少しして、短期の予定で滞在しているジョンの家族が来たが、ジョン曰く、「ジャングルジムズで〇〇達にも会ったんだけど、まだ来てないの?」

 〇〇達というのは同じ研究室の留学生で、お店の中で彼らはエクスプレスレーンという、少ない品目を買う人用のレジにならんで、先にお店を出たらしい。しかし、彼らはまだ来ていないのである。ジャングルジムズからケニア人の家まで2マイル(3.2キロ)。5分、いや10分もあれば着けるはずだ。

 「そのうち電話がかかってくるよ」

と言っていたら、しばらくしてかかってきた。道に迷ったらしい。ジョンたちを待って一緒に来たらよかったのだろうが、、、。

 そのうち、ドアをたたく音がして開けると彼らの姿が。思わずみんなで「おぉ〜」と大拍手。


 彼らが来る前に、英語の話になって、ジョンの弟夫婦が日本にいるのだが、子供たちは英語がよくできると言っていた。以下、ジョンと他のアメリカ人の会話。

 「でも、かしこまった英語(フォーマル・イングリッシュ)なんだよ。イギリス英語というか、、」

 「イングリッシュ・イングリッシュなんだぁ」

 「そう、ブリティッシュ・イングリッシュなんだよ。聞き返すときに、"Pardon ?" って言うんだよ」

 「アメリカじゃ言わないよね。私もここ(シンシナティー)に来てびっくりしたよ。聞き返すのに、 "Please〜 ?"って言うんだもん。最初何のことかわからなかったわよ。そのうち、聞き返しているのかってわかって。ここはアメリカよ。分からなくて言う言葉はやっぱり "Excuse me ?" でしょう。」

 あぁ〜、やっぱり、私がシンシナティーに来て初めて聞いた、"Please〜 ?" っていうのは、ちょっと特殊ないい方なんだ、とホッとした。

 本家本元の英語を勉強するなら、イギリス英語を勉強した方がいいのだろうが、アメリカにいる場合は、コミュニケーションを取る意味ではアメリカで使われる用法を知っておかないといけないということかなあ。

 人がほとんど揃ったので、ご飯を食べ始めることになった。ケニアの料理はご飯やヒラ豆(英語では「lentil」というらしい)、カレー風味の鶏肉などで、ネジャーティがトルコ料理と似ていると驚いていた。どれか豚肉はある?と聞くと、豚肉料理はないようで、やっぱり土地柄、豚肉は暑いところでは食べないらしい。

 梨奈は他の子供たちと遊んで、遊び疲れたのか、帰る前に寝てしまった。9時に寝たなんて、こんなに早いことは無い。やはり日頃、遊び足らないのかもしれない。



2003年01月17日(金) 毎年、指折り数える日

 地震からすでに8年も経ったのかと、時の流れの速さを感じる。中学1年だった子も、今年成人式を迎えたのかぁ。

 昨日は朝起きたら一面雪だった。気温もマイナス5度なので、NHに負けず劣らず粉雪だ。この辺はべちゃ雪だと聞いたのだが、今のところ、あまりべちゃべちゃした雪は降っていない。やはりこの辺も例年より寒いのだろう。

 ネジャーティは寝坊したので車で行ったが、学校まで高速を使うと25分ぐらいで着くのが、2時間ぐらいかかったらしい。こんなことならバスで行っても同じだったのにと嘆いていた(バスは別のルートを使う)。そして夜はそんなに遅くならないと言っていたのが、帰ってきたのは夜中の1時ぐらいで、聞くと、車のバッテリーが上がっていたらしく、AAA(日本のJAFのようなところ)に電話して、来るまで2時間ぐらい外で待っていたらしい。だから帰るのが遅くなったようだ。

 今日は雪がちらついた時もあったが、ほとんど降らなかった。もちろん雪は積もったままだ。雪があると静かなのか、車のエンジンをかけていても静かだ。

 今回の雪ではないですが、裏庭から見た雪景色です。↓





2003年01月16日(木) 暖を取る

 おとといの具合の悪さがうそのように、梨奈はけろっとしている。

 昨日ネジャーティは始発のバスに乗っていった。まだ日が上がる前なので、バス停まで歩くのがとても寒かったらしい。

 晩ご飯には梨奈には消化のいいうどんを食べさせたが、そばは消化に時間がかかるけど、うどんは消化がいいから、病気になったときはうどんを食べさせるんだよ、というと、ネジャーティ曰く、「ソバってトルコ語で暖炉の意味だよ。」

 日土(日本語・トルコ語)辞典を見ると、「soba」は「ストーブ」と書いてある。ネジャーティにそう言うと、「ストーブは日本にないの?」

 う〜ん、昔は囲炉裏とかかなあ。でもそれは各部屋にあるわけじゃないし、、。

 「囲炉裏以外にない」

 「それじゃあ、寝るとき寒いよ」

 日本の家の中は、冬は寒いと決まってる、、、。


 部屋に何かあったかなあ。火鉢かなあ。

 「火鉢を使ってたかも」

 「そうじゃないと凍え死んじゃうよ」

 水戸黄門のビデオで探して見せようっと(今度ネジャーティと日本に行くときには京都の太秦(うずまさ)にある東映の映画村に行くしかないでしょう)。


 ちなみにトルコの「soba(ストーブ)」を絵に描いてもらったら、一昔前に日本の学校にあったようなストーブとほぼ同じだが、木や木炭(石炭かな?)をくべるようだ。ストーブの上にやかんというのも同じだ。ネジャーティが小さい頃、冬に朝起きると、やかんのお湯が沸いていて、そのお湯でトルコチャイ(トルコの紅茶)を作ったりして、お母さんが朝ご飯の用意をしているらしい(けっしてお味噌汁のにおいはしません)。冬が来るとその光景を思い出すらしい。



2003年01月15日(水) シカゴ

 この前日本人夫妻のお宅にお邪魔したときに、シカゴのインテリアのお店を紹介していただいた。実は以前お会いしたときにもチラッとそのお店の話が出て、今度お会いしたときにお聞きしようと思っていたお店だった。

 シカゴにちょくちょく行っているというデトロイト在住の友人も、シカゴにインテリアのいいお店があるよ、と言っていたので、きっとそのお店に間違いない。

 シカゴに初めて行ったのは5年前で(もう5年も前になるのかあ)、行くまでは「いいところらしいよ」と聞いても、さほど関心が無かった。しかし、実際に行ってみると、期待に反していいところで、ボストンとはまた違った街並みだが、シカゴの街並みが気に入ってしまった。また機会があったら行ってみたいと思うようになった。

 ネジャーティは行ったことが無いので、シカゴに関心がないようだが、実際に行ってみたら、印象も変わるだろう。

 シカゴはトルコ人が多いのか、シカゴの空港にはトルコ航空も飛んでいるし、トルコの旅行会社もある。トルコのレストランがあるかどうか知らないが、食材店とかあったら行ってみたいなあと思う。ニュージャージーにもあるミツワがシカゴにもあるようなので、一度は行ってみたい。

 ・・・などと思っているが、いつ行けることやら。



2003年01月14日(火) またまた雪

 朝起きたら、雪で一面真っ白になっていた。そしてほぼ一日中雪がちらついていた。
 この辺の雪はべちゃ雪と聞いていたが、気温が低いのか、車のガラスの雪もさらっと掃えるぐらい、さらさらとしていて、ニューハンプシャーの雪とさほど変わりない。今のところ、べちゃ雪はほとんど降っていない。

 梨奈が昼頃から気分がすぐれないようだったので、子供病院に行った。とても大きな病院で、迷ってしまうほどだ。こういう急な外来は「Emergency」の方に行くようになっている。「Emergency」は「救急」という意味だが、普通の外来でも「Emergency」の方に診てもらうことになる。

 手続きをして個別の診察室に通されるまではそんなに時間がかからないのだが、先生が来るまで時間がかかることが多い。今日もだいぶ待たされたが、個別の部屋には子供向けのテレビ番組が流してあって、久しぶりに見た番組もあって、梨奈も楽しんだようだ。帰る頃にはすっかり気分がよくなったようでホッとした。

 ネジャーティの学校まで車で10分ぐらいのところだったので、学校に迎えに行って帰って来た。

 夜はなかなか寝付けなくて、布団の中であれこれ考えながらそのうち寝たが、寝入ってしまうまでの時間というのは案外いろいろ考えをめぐらせていて、明日の日記でこういうのを書こう、とか思うのだが、朝起きると何を考えていたか忘れてしまっている。それをその場ですぐ紙に書いておくとかするといいのだが、そのうち寝入ってしまうので、なかなかそうもいかない。



2003年01月11日(土) 楽しいひと時の後、、、

 日本人ご夫妻から夕食に招かれている。

 ネジャーティは朝から学校に行っていたので、夕方帰ってくるのを待っていた。帰ってくるのが遅くなったので、時間より少し遅く着いてしまった。

 今日は他の日本人の方も見えていた。もうすぐ帰国予定で、私の実家がある駅周辺や神戸で家を探しておられるとのこと。きっとうんざりされるほど、駅周辺の紹介をしてしまった。

 大阪と神戸の間の地域は阪神間の地域と呼ばれていて、具体的には東から尼崎、伊丹、宝塚、西宮、芦屋を指すのだが、特に西宮、芦屋、神戸東部は北にある六甲連山と南にある海に囲まれて環境もよく、海が見下ろせる山手には関西の資産家や芸能人、野球選手が住んでいたり、外国人も住んでいる。

 地元の話をすると、ケーキ屋、パン屋、レストランもおいしいところがありますよ、とついつい、余計なおしゃべりをしてしまう。

 今日は言い忘れてしまったが、芦屋も地震以降、人が減ったので、住宅地としては芦屋も狙い目かもしれない。

 それはともかく、ご夫妻と日本人の方が用意された料理に舌鼓を打ち、のど越しのいいカリフォルニア産のワインをおいしくいただいた。

 梨奈は最初は人見知りをしたり、突然泣き出したりしたが、いなり寿司を食べてご機嫌になり、そのうち2人のお子さんと一緒に遊び始めた。ご夫妻にも一緒に遊んでいただいて申し訳なかった。

 今日は楽しかったぁと帰宅したのだが、、、、。


 梨奈もご機嫌で、ネジャーティとお馬さんごっこをしていたのだが、前の住人が取り付けたらしいセキュリティーシステムボックスのボタンを梨奈が適当に押していたら、それがコード番号と同じだったらしく、セキュリティーの「Armed」のボタンが赤く点いた。そして、ためしにネジャーティがドアを開けると、「ビ〜」と耳をつんざくような音が続いた。止めようにもコード番号がわからないので止められず、音を発信する機械をネジャーティが手で覆ってそうこうしているうちに音が止まった。

 う〜ん、コード番号が知りたい、、、、。

 そして、しばらくすると、ドアをたたく音が聞こえた。開けてみると、なんと警官が立っていた。

 「セキュリティーの会社から連絡がありましたが」というので、事情を説明したが、ドアを開けているので、また音が鳴り出した。

 セキュリティー会社に電話すると、コード番号を持つにはお金を払うらしい。そして、電池をはずしたらいいとのことだったが、そのうちなぜか電話が途切れてしまった。とりあえず、セキュリティーボックスの裏にある電池ボックスの電池をはずしたが、どうもセキュリティーと電話回線がつながっているらしい。

 もし、梨奈が適当に押したコード番号がわかれば、お金を払わずに使えるのか、謎は深まるばかりなのだが、気分的に疲れてしまった。
 



2003年01月08日(水) 暖かい〜

 今日は久しぶりに晴れて、昼間は10度を越えて暖かかった。それでも今日は家でゆっくりしたかったのでどこにも出かけなかった。

 夕焼けも久しぶりにきれいだし、夜には久しぶりに星も出ていて、この分だと暗いところでは天の川が見られるかもしれない。母がまだ滞在していたらよかったのにと残念だ。

 ところで、両親が滞在中は雪が降った日もあったが、一般道路でも路上は塩が撒いてあって、凍結すると言うことはあまり無い。ガソリンスタンドでも凍結防止用の塩が大きい袋で売っている。「日本にもそういうのはないんやろうか。あったら『阪神高速、凍結のため通行止め』ていうのはないやろうに」と普段車を使う母が嘆いていた。



2003年01月07日(火) 七草粥・・・食べなかったなぁ

 今日は七草粥を食べる日だが、おせち料理らしいものを食べていないので、野菜不足にはなっていない。

 今日は晴れ間もあって少し暖かく、夕焼けがまたきれいで、ネジャーティによると朝焼けもきれいだったらしい。

 両親の滞在中はあまり天気がよくなく、ここに着いた次の日は天気がよく、夕焼けもきれいだった。しかし、家のほうから見える、空に広がる夕焼けを見せることができたらと少し残念だった。また、こういう地方だと、少し暗いところに行くと、星がきれいに見えるので、夜に星が出ていたら、きっと天の川も見れるだろうと、今回、星が見えるのを期待したが、やはり天気が悪くて見られなかった。

 ここでは見たことがないが、ニューハンプシャーにいるときは近くの池に行くと、空一面に星が見え、真ん中に天の川が帯状に見えて、とても贅沢な気持ちになったものだった。

 うちは誰も晴れ女、晴れ男なのだが、多すぎると反対に天気が悪くなるとは母の弁。

 それじゃあ、天気の日が多いフロリダに行くしかないかなあ、、、。とかいって、雨の多い時期に当たったりして。

 



2003年01月06日(月) 両親無事着く

 まだ2003年になったという気がしなくて、つい2002年とかいてしまう。

 昨日両親が帰って、無事日本に着いたというメールももらって、ホッとした。今日はネジャーティが車で学校に行ったし、歩いて郵便局に行ったぐらいだったが、今日も雪がちらついて、何だかこの冬は雪が降るなあ。

 中身の濃い1週間強を過ごして、家中にぎやかだったので、その余韻が残っている。両親が滞在しているときは、帰ったら寂しくなるだろうなあと思っていたが、実際帰ると実感が無いのか、そんなに寂しくならなくて、まだいるような気さえした。

 普段どおり日本にいる母と電話で話すのが何だか不思議だったが、心配だった日本での税関も問題なく通ったようで、ほっとした。何せ、ダンボール2個とスーツケースという、旅行者らしからぬ荷物だったから、不信を抱かれるかもしれないと不安だった。しかし、ダンボールできっちり詰めておくと、かえって開けられないらしい。

 ダンボールに荷物を詰めると言うのは私にとってはいつものことで、とても便利なのだが、それは伊丹や関空などの空港から電車に乗らないからできることであって、電車に乗る場合には使えない。

 母曰く、「これからはダンボールだけ使う。」

 今度は私たちが次に引っ越すところに来る予定だが、果たして何処に??



2003年01月05日(日) 両親帰る

 空港に両親を送っていった。

 チェックインしているとき、係員が、今日はシンシナティーから日本人乗客が14人もいるよ、と言っていた。両親は英語がしゃべられないというので、ゲートまで送ってもいいという許可の紙をもらった。それをセキュリティーで渡し、身分証明に免許証を見せてゲートまで送りに行った。

 まだ飛行機が出ていない時間だったが、両親はすでに機内に乗り込んだので、空港を後にした。家に帰って朝ご飯を食べて、インターネットで飛行状況をチェックしたら、飛行機はすでにオハイオ北部を飛んでいた。 

 デトロイトには間もなく着き、そこから関空行きの飛行機の飛行状況も見たが、デトロイトからすぐにカナダに入り、そこからは追跡できなかった。アメリカ大陸しか映さないらしい。ネジャーティが他のサイトを教えてくれたが、この便は正確に映されていなかったので、わからなかったのが残念だった。

 オハイオ旅行記を書き始めました。出来上がりましたらHPに載せる予定です。シンシナティー近辺の町のことも載せますので、お楽しみに。



2003年01月01日(水) 明けましておめでとうございます

 みなさん、明けましておめでとうございます。

 ここオハイオで、年末年始を両親と過ごしています。

 おせち料理には、七面鳥(結局丸焼きしませんでしたが)にクランベリーソース、マッシュポテトにグレービーソースという、サンクスギビングの料理を再現しました。

 両親の滞在の様子など、後日書きたいと思います。

 本年もよろしくお願いします。


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