オクラホマ・スティルウォーターから

2002年12月25日(水) ホワイトクリスマス

 朝起きたら、外が一面真っ白になっていた。これぞホワイトクリスマス。

 ネジャーティが学校に行くというので、ネジャーティもクリスマスは関係ないかもしれないけど、休みやねんから、少しは梨奈ちゃん相手に遊ぶとか、もう少し家族のために時間を費やしていいんじゃないの、と言うと、週末があるからと言う。

 夕方にちょっと学校に行って帰ってきて、夕食後、街のクリスマスのイルミネーションを見に行った。ネジャーティがバスから見える、という隣同士で競っているんじゃないかというイルミネーションも見たが、それを見た後は、どんなイルミネーションも普通に見えてしまった。う〜ん、最後に見るんだった、、、。



2002年12月24日(火) 明日はクリスマス

 今日までお店が開いているので、梨奈と私はモールへ、ネジャーティは学校に行った。

 夕方には雨が降り出したが、夜には雪になった。このままではまた積もるかも。



2002年12月23日(月) 背が伸びた?

 背が伸びた? 梨奈の背ではなく私のである。しかも今日から身長が7.6センチ高くなり、フィートとインチで言うと、5フィート6インチ(5’6”)だ。

 何かと言うと、今日ネジャーティと書類を持って免許証を換えに行ったときに、免許証にかかれた身長なのである。土曜日の時には体重は聞かれたが、身長はフィートでちゃんと覚えていなかったので、ニューハンプシャーの免許証に書かれているものを指した。それには5フィート3インチ(4インチが本当かもしれないが)と書いてあった。

 このフィートとインチはやめてほしい。インチはテレビや自転車のタイヤ、ジーンズのサイズで日本でもだいぶ馴染みがあるが、フィートは身長でしか、まだ感覚が無く、道路で「500フィート先に工事中」とあっても、パッとわからない。1フィートは30センチ(0.3メートル)だから、150メートル先というふうになる。ちなみに1フィートと1尺はほぼ同じというのは興味深い。でも1インチが1フィートの12分の1というのはやめてほしい、、、。

 ところで、外国人はI-20やIAP66などの期限に合わせて運転免許証の期限も設定する。少なくともオハイオでは、どうも今年の5月にそういう法律がきまったらしい。やはり去年のテロ以降、いろいろ外国人に制約が付いてくる。ほんと、大きな迷惑だ。



2002年12月22日(日) 球場の見収め

 シンシナティーレッズのホームスタジアムであるシナジーフィールドが来週の日曜の朝に倒壊する。

 ドキュメントで見るように、爆発物を何ヶ所にも設置して、一瞬にして崩壊するというものだ。

 朝8時だそうで、せっかくだからこの目で見ようか、そしてどこから見るか、暖かい家の中でテレビ中継を見るほうがいいか、ちょっと迷うところだ。

 今週の金曜日には両親が来て、次の日に市内観光するが、初めて見てそれが見納めになり、その次の日の朝には倒壊するという不思議な感じだ。

 倒壊自体は1分もかからないが、それまでの準備や警備も大変だろう。どの通りを何時に閉鎖するかなど最終の計画は明日決まるそうだ。

 倒壊のボタンを押すのも抽選ですでに選ばれていて、シャロンビルという近郊の町の人らしい。お母さんの応募のおかげと書いてあったから、子供かなと思うが、誰にしても、きっと思いで深いものとなるだろう。



2002年12月21日(土) 免許

 昨日はなかなか寝付けず、寝不足のまま朝起きて、梨奈が起きるのを待って、免許の試験場に行った。

 ここから15分あれば行けるところに試験場があって、近くには公文の教室もある。そう、アメリカに公文は進出しているのである。

 試験場ではニューハンプシャーの免許証とソーシャルセキュリティーのカードを持っていかないといけない。というのも、ニューハンプシャーの免許証にはソーシャルセキュリティーの番号が載っていないので、その場合はカードが必要になるそうだ。

 最初に視力検査をした。視力はいい方なのだが、右目の乱視が進んでいるようで、何回も読まされて、何とか通った。

 ネジャーティはコンピューターで試験を受けたが、私は梨奈と一緒で、机でペーパーテストを受けた。梨奈もメモ用紙と鉛筆をもらい、落書きをしていた。

 ここでは試験を日本語でも受けられるようだったが、教本が英語でそれで勉強したのと、日本語に訳してある試験を受けるとかえってややこしい、と聞いたことがあり、結局英語で受けた。しかし、ひっかけ問題のような、どちらか迷うような問題があって、日本語で受ければよかったと後悔したのは言うまでも無い、、、、、。

 でも、何で他の州の免許証を持ってるのに、試験を受けなあかんかなあ。ちなみにフロリダからニューハンプシャーの免許証に切り替えるのに、視力検査以外は試験は免除になった。

 ネジャーティ共々試験に受かったが、免許証を発行してくれる隣のオフィスが早く閉まってしまい、今日は免許証をもらえなかった。

 ちなみにオハイオでは外国人は、試験に受かって免許証を発行してもらうとき、パスポート、ビザ、I-94(だいたいはパスポートに留めてある)、I-20またはIAP66を持っていかないといけない。

 どの州でも免許を取るときは上の書類が必要になるが、それ以外にも必要な書類もある州もある。ニューハンプシャーは自分の国で免許を持ってるかどうかを証明する書類が必要だった(持ってない場合はどうやって証明するんやろう)。



2002年12月20日(金) 誕生日

 誰の誕生日かというと、梨奈の誕生日である。今日は晴天で、風が少しあったがそんなに寒いというわけでもなく、かえって外の冷たい新鮮な空気を吸えてリフレッシュできた。

 今日はお昼を外で食べたり、ケーキを買ったり、キティーちゃんの風船を買ったりして、梨奈に喜んでもらえた。数字の3のろうそくを買って「誕生日なんですよ」というと、店員がおめでとうと言ってくれたり、風船を持っているので「いくつになったの? お名前は?」と聞いてきたりと、子供の誕生日は親でも嬉しくなるものだ。

 晩の7時にはネジャーティも帰ってくるというのに、外から帰ったのは6時半頃だった。帰る途中、大きいまんまるなお月さまが上がってきていた。

 ネジャーティは時間どおりに帰って来た。生まれた時間が晩の7時半過ぎなので、それにあわせて、先に乾杯とケーキにろうそくを立てて、お祝いをした。それから、少しずつ用意しながら、できたものを食べていったが、ネジャーティも手伝ってくれたので、なんだか楽しかった。

 ネジャーティによると、今朝バス停に向かうときに、上ってきた太陽がとても大きく赤くて、西には月がまだ見えていたそうだ。月といい太陽といい、何だかおめでたい。


 ところで、今日はなぜだかなかなかネジャーティも私も寝付けなかった。

 理由はおそらく、、、、明日受ける車の免許の試験があるからだろう。



2002年12月19日(木) クリスマスカード

 クリスマスカードが届いている。

 どうもアメリカではクリスマスまでに届くように送るらしい。というのも、よいクリスマスの休日を、とか、よいお年をという文句で送るので、クリスマスを過ぎてしまうと、送りそびれたという感じになってしまう。

 私もフロリダ時代の研究室にある図書室の司書だったボブからカードをもらった。養生中のボブとは最近話していなくて、元気にしているか心配だったが、元気そうで嬉しかった。

 そして、ボブを含めて、アメリカ国内でお世話になった方を中心にクリスマスカードを書いている。



2002年12月18日(水) フルーツサラダ

 今日は気温が15度ぐらいまで上がって、暖かかった。

 ネジャーティが帰ってきて曰く、「明日のサラダはフルーツサラダになった。」

 どうも分担でそうなったらしい。

 24時間開いているマイヤーというお店に行った。フルーツのセットがあったが高くて、それだったら、果物を別々に買ったほうがいいかもしれない、といいつつ、ネジャーティはどっさり果物を買うので、結局セットより少し安いぐらいだった。

 帰ってから、キウイやオレンジ、りんご、メロンを剥いていった。剥きながら詰められないようなものは食べたりして、結構楽しんで剥いている。梨奈も種無しのグレープを食べたりしたが、普段から果物不足かもしれない、と反省した。



2002年12月17日(火) 謎が明らかに?

 昨日の日記を読んだらしい母からメールがきていた。

 母所有の電子辞書によると、榛(はしばみ)は、

 「カバノキ科の落葉低木、高さ約3メートル、葉は広く、ほぼ円形で先端が急にとがる。しばしば紫色の斑(ふ)は入る。春、開花し、雌雄同様、小花が穂状につく。雄花は黄褐色、雌花は紅色。果実は葉のような総苞(そうほう)によって下部に包まれ、食用。同属のセイヨウハシバミの実もヘーゼル・ナッツと呼び食用。<新撰字鏡(7)>」

 だそうで、あれ? 結局ヘーゼルナッツのことかい?

 確かにヘーゼルナッツってトルコが生産量も輸出量も世界一で、全世界の80%の生産を誇るらしい。

 う〜ん、本人はヘーゼルナッツって言ってなかったけど、昨日の説明からしても、ヘーゼルナッツの可能性が、、、、。それならそうと、最初からヘーゼルナッツといってくれれば話が早いのに、、、、。

 どのナッツ類も、すでに剥いて加工してあるものばかり食べるから、もともとの形を知らないことが多い。おとといもいろんなナッツを剥いてみて「これはマカデミアンナッツかな?」というありさまだったし。

 スーパーのレジの人が栗を指して「これは何ですか?」というのを笑えない。



2002年12月16日(月) ネジャーティはくるみ割り

 昨日ジャングルジムズに行ったが、ネジャーティは久しぶりに行って、入口から駐車場に行くまでの道が1つ閉鎖されて、ぐるっと回るようになっているのにびっくりしていた。もちろん、中もドイツとイギリスのコーナーが移って、大きくなってるし、ヘンゼルとグレーテルに出て来るお菓子の家の小さいのができてるし(触ったあとで、触らないで下さい、の張り紙に気がついた)、行く度に変わっているので、面白い。

 この季節になると、いろんなナッツ類が出ていて、それをネジャーティが袋に一杯詰めていた。帰って、夕食後にネジャーティが袋を取り出して、ナッツを割っている。

 トルコでも、夜、焚き火の前で、ナッツの殻を割って食べるらしい。いかにもヨーロッパらしい雰囲気だ。そういえば、くるみ割り人形の劇っていつも冬にあるような、、、。

 それで、1つ実を取り出して、「これはトルコにあるけど、中国に無かった実だ」と言い出した。トルコが好みを中国に輸出するときに、中国人にその実に中国名をつけるのを募ったらしい。そして、その名前が採用されたら、トルコへの旅行とか、そういう懸賞があったらしい。

 クリを少し小さくしたものだが、色はどんぐりのようで、日本にもあるかなあと思っていたが、ネジャーティがトルコ語・日本語の小さい辞書を見て「ハシバミ」って言うらしいよ、と言ってきた。

 はしばみ? う〜ん、聞いたことが無いなあ。怪しい辞書だからなあ、と国語辞典をひくとあったぁ〜。

 漢字では「榛」と書くそうで、辞書によると、カバノキ科の落葉低木だそうだ。でも、インターネットで調べると、赤い小さい実みたいやし、ちょっと違うなあ。

 謎は続く、、、、。



2002年12月15日(日) サラダ

 今週の木曜日に、ネジャーティが研究室にサラダを持っていくことになっている。

 研究室の教授が今週誕生日で、教授がベジタリアンなのかわからないが、お昼にサラダを持ち寄って誕生日を祝おうということになっているらしい。

 サラダは日本の伝統食じゃないから、日本的なものって作れないし、トルコはサラダを食べるから、トルコ風のものをと思ったりしたが、これだ、というものがなかなかない。

 作れるのはポテトサラダぐらいで、私が作るサラダはネジャーティに言わせると、ただ切ってあるレタスとトマトらしい。う〜ん、そりゃ、祖母が作るお煮しめなどの和食で育つとそうなるかなあ。サラダといって思い浮かぶのは、やはりちぎってあるレタスにマヨネーズをつけて食べるというものだったし、ポテトサラダとかマカロニサラダとかを買ってきたり、祖母がよく言ってた「ちしゃっぱ(赤っぽいサニーレタス)」を味噌とお酢と砂糖(だったと思う)を混ぜたものをつけて食べるとか、そんな感じだった。

 その点、アメリカのレストランで出されるサラダって案外いろんな種類のレタスが入ってるし、まさしくサラダという感じがするし、ドレッシングに至ってはいろいろあるし、やはりサラダは西洋文化だぁ。

 今日は普通のレタスとサニーレタスと刻んであるにんじんを混ぜて食べたが、木曜日までどんなサラダがいいか、ちょっと考えなければ、、、。



2002年12月14日(土) 創作より鑑賞

 そんなに遅く寝たわけではないのに、眠たくて遅く起きてしまった。
 
 お昼を食べて、ネジャーティがクラフトのお店に行きたいというので、どんなお店?というと、「ほら、ニューハンプシャーでよく行ってたお店で、こんなのがあったり、あんなのがあったり、、、」と説明されて、結局モール近くにあるクラフトのお店に行ったが、よく考えたら同じお店の支店だった、、、。

 久しぶりにこんなお店に来たなあととても楽しんだ。私は昔凝り性で、凝りだすと止まらない性質だったが、今そういう気力もないので何もしないが、ネジャーティは何か始めたらいいのに、逆の立場だったら何かするのになあ、、、と言ってきた。私が何か作っても、結局ガラクタになって、時間とお金の無駄になってしまうのが目に見えてるので、何かを作ろうという気が湧かない。芸術関係からはとても遠のいてしまい、いやいや芸術の分野がある右脳を使わないと、とか思ってしまうのだが、どうも自分は創作力がもともとなく、芸術には向いていない。なんせ、家庭科で補修を受けた人間だから、、、と友人に言うと、あれ、自分もその時いたよ、ということで、友よ、やはり類は友を呼ぶか、、、。

 自分から何かをしようという創作力は無いが、もし何か作るとしたら、ろくろを回して陶器を作るとか、したことはないけど、そういう方面かもしれない。それ以外はどちらかというと、おそらく鑑賞する方がどちらかというと好きかなあ。自分からは何もしないくせに、他人の創作物を見ながらああだこうだというのはよく考えると、とても勝手かもしれない。



2002年12月13日(金) アフリカンすみれ

 台所にアフリカンすみれが2鉢ある。引っ越してきたときに買ったが、華氏70度(摂氏20度)のところに置いてください、と書いてあって、結局夏場で室温がそれ以上あったので、花が枯れてしまった。

 1鉢はピンクの花で、それはかろうじて花が咲いていたが、夏も終わり、短い秋で暖房をつけ始めてから、室温が70度なので、花がいくつか咲き始め、買ったとき以上に花が咲いている。葉っぱももう1鉢より大きく成長している。しかも太陽があたる反対側に花が向いて咲いていたので、今は人間の都合で、花をこちらに向かせておいてある。

 もう1鉢は紫で、花が散って以来、全く咲かず、ほとんどあきらめて、水もやっていない状況だったが、先月の終わりごろからか、紫色の小さい花が1輪咲き始めたかなあと思っていたら、今では数も増えている。

 あと2週間、両親が来るまで持ってくれたらいいなあと思っている。



2002年12月12日(木) 交流週間

 昨日、今日と楽しい日が続いた。昨日は日本人のHさんのお宅にお邪魔した。とってもすっきりしたお部屋で、コツはやはり物をためないことらしい。う〜ん、見習わないと。

 Hさんのお子さんはとってもご機嫌で、梨奈も今日は赤ちゃんに嫉妬せず、相手をしている。そして、年末の話をしていたら、日本からのお客様にターキー(七面鳥)を作る予定だと伺った。それはいいアイデアで、うちもそのアイデアをお借りしようと思った。というのも、ターキーはここでは珍しくないが、日本ではなかなかお目にかかれないし、ターキーでおもてなし、というのもいいなあと思った。

 お宅にお邪魔した後、近くの韓国人経営の食材店につれていってくださった。以前お会いしたEさんが言われていたところかなあとも思ったのだが、日本のものもあるし、パンもあるし、そして日本にいる友人が凝っているゆず茶も1キロ約7ドルで売っていた。ビデオも1本1ドルで、期限なしで借りられるようで、いつ借りたか記入するノートも無い。1週間ぐらいしたら、また他のを借りに行こうかな。

 夜はNYにいる友人とおしゃべりをした。相変わらず友人は大変だが、よく考えたら最近しゃべっていなかったので、久しぶりに話せてよかった。

 今日は大学の日本人のKちゃん、Nちゃんとモール内にある映画館でハリーポッターを見た。ニューハンプシャーにいるときは映画を見に行ったことが無かったので、見たのは久しぶりだった。ハリーポッターはテレビの番組シリーズで見たことがあったのだが、その中のアドベンチャー編といったところだった。最後の方の怖いシーンでは梨奈が泣くのをこらえていたようで、それに気づくと泣き出したが、何とか最後まで見られた。映画が終わった後で、梨奈より大きい子供連れのお母さんが、お子さんは何歳ですかと話し掛けてきた。最後は泣いたが、それ以外はおとなしくしていたので、それに感心してくれていたようだった。

 そのあと、洋服を見に、お店に入ったが、レジでモデルのような人を見た。背は180センチ近くあって、足が長いのはもとより、顔が小さ〜い!! モデル以外の職業は考えられないという女性だった。Kちゃん曰く、「アメリカ人っぽくないですよね。」う〜ん、ヨーロッパ系かなあ。でも小さい顔だった。背が高いから余計そう思えるのだろうが、、、、。

 それを、帰った後でネジャーティに話すと、「僕もモデルになれるかなあ」。まぁ、女としてやったら背もあるし、顔もそんなに大きくないし、、、そのひげ面でなければ、それから髪の毛がもうちょっとほしいなあ、と心で思いながら、「男のモデルやったら、もうちょっと筋肉がないと」というと、「ここに筋肉あるよ」とおなかをさして言っている。

 それは脂肪やあ〜!!!!!

 それはともかく、映画の後に、キャンパスより東にあるハイドパークというお金持ちの地域のケーキ屋に行った。紅茶をポットで飲めるということだったが、注文した紅茶はティーバッグで、ティーバッグで飲んでる客は私たちぐらいなものだった。
 予約すればアフタヌーンティーもいただけるそうなので、今度はポットの紅茶でアフタヌーンティーを楽しめたらと思う。Kちゃん、Nちゃん、また行きましょう。



2002年12月11日(水) やはり大きな国なわけで、、、

 昨日に続いて、なぜアンケート結果で、アメリカの若者の国際情勢の理解の低いか、というので、地理的な問題もあるのではと考えてみた。

 ヨーロッパは小国がひしめき合っているので、絶えず隣国が何をしているか常にアンテナをめぐらせて知る必要があるし、今の欧州連合のように、協力し合わおうという状況も出て来るが、アメリカはさし当たってそういうこともないし、まぁ一人でやるさ、ってなもんである。

 また、国自体が大きいので、同じ国内の州なのに、違う州は外国のように感じてしまう。例えば今いるオハイオからは以前住んでいたニューハンプシャーは遠くに思えるし、カリフォルニアなど西海岸っていうと、よっぽどのことが無い限り、一生行きそうもないと思える。

 アメリカと言うと、日本人のイメージはニューヨークやロサンゼルスといった大都会で、アメリカ中、そんな都市ばっかりのように思えるが、そんな都市は数えるほどで、中都市、小都市、あとは田舎がほとんどといってもおかしくない。

 平均して1つの州だけで、日本の半分の面積があるので、州から動いたことがないという人も田舎ほど多い。例えば、ニューヨーク市(以下NY)にスタジオがあるクイズミリオネアの番組で解答者の応援に来ていたおばあさんが、司会者のレジス・フィリビンに「NYは初めてですか?」と聞かれ、「初めてです」と答えていて、やはり驚いてしまった。こんな年齢の人なら1回ぐらいNYに来たことがあるだろうと思っていたが、私が話したことがあるアメリカ人でもNYに行ったことがないと言う人が案外いる。

 また、大西洋を挟んだヨーロッパは自分たちの祖先がいたところだから、少しは関心があっても、他の国となると、とんと見当がつかない。だから日本に限らず、アジアの国はごちゃごちゃに映っていることが多い。自分の国だけでも精一杯だから、他の国にはあまり関心がいかない、、、、とこれまでは一般の人々の話で、連邦政府はいろんな情報を集めているから、他の国を知らないわけではない。でも、それらの情報から、アメリカとしてどのような態度に出るのか、というと、政権にある党によって違ってくるわけで、今の政権では、やっぱり親分のように出てくることが多い。

 まとまりがつかなくなったので、この辺で終わるとして、、、、。

 ところで、日本語を教えていたときに、最初に日本がどのような国かという紹介をするようになっているが、教科書には日本はカリフォルニア州とほぼ同じ面積と書いてあって、個人的には、学生に以下のように説明していた。

 「日本がどのような国か、今から言うことを想像してみてください。アメリカの人口の半分がカリフォルニア州に住んでいます。そして州の全土が住宅地に使えるわけではありません。土地の75%が山になっているので、実際に人が住める土地は残りの25%です。その25%の中には田畑も工場もビルもあります。住宅地として使えるのはそれ以下です。日本の人口がどれだけ密集しているか想像つきますか?」

 このような説明をすると、学生から「おぉ〜」と大きな反応がある。日本がどれだけ小さい国かというのがわかってもらえる。



2002年12月10日(火) 理解の低さ その1

 先日、NHのMさんからのメールに、主な国の若者を対象としたアンケート結果が載っていたニュースが添付されていた。結果は思ったとおり、アメリカの若者の国際情勢の理解の低さが目立っていた。

 こういう結果を見ると、「やっぱりアメリカ人って自分の国のことしか考えない」という批判的な声が聞こえそうだ。

 アメリカのような大国だから、世界中にネットワークを張り巡らせて、国内では様々な情報が流れているんだろう、というイメージがあるが、案外そうでもなく、テレビや新聞などの情報が限られているなあと感じることがある。

 例えば、日本に、「アメリカが地下核実験をした」という情報が流れたとする。しかし、そのような情報はいちいち国民の耳には入れていない。インターネットで検索しても、地元のニュースにしかなっていなかったりする。

 また、アメリカに有利にならないことなど情報として流されていないと感じる。

 新聞事情はどうかというと、日本では全国版の新聞があって、どの新聞でも大概同じ情報が載っているし、毎日配達してもらえるという便利さもあるし、日本全国に同じような情報が流れる。アメリカでは日本のような全国版の新聞というのがなく、地元の新聞が主だ。地元新聞の内容にはそう詳しく国際情勢は載っていない。詳しく知ろうとすると、「Wall Street Journal」とか読めばいいのだろうが、購読しようとすると、郵送するか、本屋に行くか、ちょっとしたお店なら置いているかもしれない。

 テレビではケーブルが発達しているので、そういうのを知りたければ、CNNをずっとつけておけばいいのだろうが、主要ネットワークのABC、CBS、 NBCなどで、全国ニュース、海外ニュースをしたあと、地元の放送局から、地元の放送となり、地元のニュースが流れる。

 例えば真珠湾攻撃のことをもっと詳しく知ろうと思えば、Discoveryチャンネルのドキュメンタリーを見られるわけで、とても客観的に作られた第二次大戦のドキュメンタリーなど、日本でも流れていないような映像などを見ることができる。

 それなりに情報が規制されたとしても、インターネットで調べれば、もっと情報を得ることができる。

 しかし、日本のように、とても親切に、テレビをつけていればいろんな情報をくれるのではなく、選択肢は色々ありますから、その中で情報を得てください、という、こちら側に選択する方法を任されているような節もある。

 それ以外として、アメリカの地理的な問題もあると思う。

明日につづく



2002年12月09日(月) 要るときに見当たらず、、、

 昨日から自分のボールペンを探していたが、見当たらず、他のペンを使った。用事が済んだところで、2階の寝室にボールペンがあった。私が置き忘れたわけじゃないと思うので、ネジャーティか梨奈だだろうが、必要なものって、なんで肝心なときになくて、後で見つかるんやろう。



2002年12月08日(日) 少し暖かい

 芝生の雪もだいぶ解けてきた。

 昼からコンピューターや電子機器を扱うお店に行ってみた。ネジャーティの好きそうなお店だったが、私と梨奈はすぐに飽きてしまい、その後に行く予定にしていたOld Navyに梨奈と行くことにした。

 何日か前に、いつも行くモール近くのOld Navyで梨奈のジャケットを買ったが、白だったので、梨奈は余り好きじゃなさそうだった。

 昨日、ネジャーティの論文を印刷するのに紙が足りないのがわかって、Staplesという事務用品のお店に行ったが、その隣にOld Navyがあって、寄ってみたら、色違いでピンクのジャケットがあるのがわかったので、今日交換してもらおうと思っていた。

 とても便利だなあと思うのは、アメリカでは全国にチェーン店をもつお店だったら違う場所でも交換や返品を受け付けてくれることだ。

 早速行って、交換してもらい、ネジャーティがいるお店に戻った。ネジャーティを待たせたかなと思っていたら、そうでもなかったのでよかった。

 ネジャーティはこの店が気に入ったらしい。知らなかったが、ボストンにもこのお店があったらしい。



2002年12月07日(土) ネジャーティ一安心

 午前中にネジャーティは学校に行って、今日中に論文をコンピューターから印刷してNHに郵送したいと言っていたが、今日は土曜日なのでいつもより早く閉まるだろうと思って、どこが遅くまで開いているか調べてみた。本局は12月の土曜日は晩の7時まで開いているらしいが、空港近くの郵便局は24時間開いているということだった。

 印刷し終わった後、ページを1枚1枚確認して、箱に詰めたのが晩の9時。本局は閉まっている時間なので、空港近くの郵便局まで行った。

 いつNHに着くかと聞いたら、遅くても来週の水曜日だと言うのでネジャーティも少し安心した。今日にでもすぐに送るようになる、というので、晩に飛行機に乗せるのだろう。大きい空港があると、そういう利便性もあるのか、と感心した。以前住んでいたNHでは24時間開いている郵便局があったかどうか知らないが、ボストンの本局は24時間開いている。ダウンタウンにあったが、ボストンの空港はダウンタウンからトンネルを通ってすぐだし、やはりそういう利便性を生かせるんだろうなあ。

 ネジャーティも1つ用事が済んで、少しホッとした様子だった。



2002年12月05日(木) あたり真っ白

 朝起きたら、昨日よりもいっそう雪が積もったらしく、雪景色となった。庭には5センチ積もっていたが、10センチぐらいのところもあった。

 洗濯機を昨日持ってきてもらってよかったぁ。こんな寒い中、どこかに買い物に行くにしても、洗濯をしに行くのは面倒くさい。

 結局買い物に出かけた。車に積もった雪は粉雪だったので、掃うのは簡単だったが、車の周りに積もった雪の上を普通の靴で歩くと、靴が埋もれてしまうので、雪かきをした。う〜ん、オハイオでも雪かきをするなんて思っても見なかったなあ。

 オハイオの緯度は日本と比べるとどのぐらいなんだろう、と地図で見ると、岩手県あたりだった。NHにいるときは函館ぐらいだったから、少しは南に引っ越したことになるが、それでも北の方になるんやなあ。



2002年12月04日(水) 待望の機械たち

 我が家に待望の洗濯機と乾燥機が来た。

 この前の購入の時、「配達の日の朝、6時から8時の間に、何時に配達に来るか電話があります。そして、配達の40分前にも電話が来ます」とお店の人に言われていた。

 久しぶりに梨奈も早起きしたが、6時から8時の間には電話がかかってこなかった。もう少し待ってみようと思っていたが、9時ぐらいに電話がかかってきた。

 「今日の配達の者ですが、、、」としゃべりだした。何時に来ますか、と聞いたら、「今向かってます」ということだった。10分ぐらいしたら、電気屋の大きなトラックが道路を走っているのが見えた。うちのアパートの建物は道路から駐車場に入ったところにあるので、わかるかなあと思っていたら、駐車場に来たのでホッとした。

 来たのは3人で、1人はなぜかデパートのDillardsのロゴが入った作業服を着ていて、途中で帰っていった。残りの2人のうち1人は運ぶ人、もう1人は取り付けの人だった。

 来てから10分から15分ぐらいして帰っていき、早速洗濯を始めることにした。おぉ〜! やはり家の中でできるというのはとても楽だあ〜! 乾燥機にもかけたが、それよりも、その部屋にあるガスファーネス(って日本語で何て説明したらいいのか、、、)の熱ですぐ乾きそうだ。現に洗濯機と乾燥機の上に置いておいた湿った衣類が乾いてる。

 明日からはそんなに量がないので、乾燥機にかけなくても部屋の中で乾かそうっと。 

 今日は早起きしたせいか、夕方に眠たくなって、少し転寝をした。そして隣のスーパーに行こうとしたら、なんと粉雪が降っていた。この冬で3回目だ。夜ネジャーティを迎えに行ったときも粉雪で、車の雪はすぐに掃えたが、あたり一面真っ白だ。



2002年12月03日(火) 懐かしい2人

 先週はインターネットラジオの調子がおかしくて、いつも聴く番組の火曜日の分を逃してしまった。今週は聴けるようになっててよかった。

 毎日放送される番組に、民主党の党首辞任についてのゲスト解説者に、ある大学の教授の名前が載っていたので聴いてみた。

 今日のタイトルの懐かしい1人というのはこの教授のことで、実はこの教授のゼミとの合同ゼミに参加したことがある。日本の大学院の2年目にゼミを変えたのだが、そのゼミの先生と、その教授が仲がよくて、その教授の大学のゼミ学生と共同合宿をした。

 この教授は政治が専門で、当時からテレビによく出ていたので名前は知られていたが、その大学では助教授のままだった。象牙の塔にこもっている大学教授よりもよっぽど世間に貢献しているのに、なんで助教授のままなんだろう、ときっと世間から思われていだろうと思う。コミック雑誌にも先生が主人公となった漫画が描かれたらしいが、この教授を仮にA大学のB先生として、そのまま載せるとまずいので、B大学のA先生としたら、B大学のA先生というのが実在していて、それはますますまずいと、名前に一文字足して描かれることになったと聞いたことがある。

 そうこうしているうちに、この先生は他の大学から教授として迎えられて、現在に至っている。一対一でお話ししたことは無いが、共同合宿で先生のゼミ学生の発表に質問とコメントしたことに、先生がうんうんと頷いて聞いてくださり、さらに追加のコメントをしてくださったことが、当時院生生活を送る私には励みとなり、支えの一つとなった。


 もう1人の懐かしい人と言うのはテレビのドラマに出てきた若手俳優だ。

 使っていなかったもう1台のテレビを2階に持っていって、アンテナをつけたらきれいに画面が映っていた。それでABCのNYPD Blueを見ていたら、警官役の若者に見覚えがある。う〜ん、どこで見たかなあと思っていたら、Saved by the Bellのドラマで見たんだぁと思い出した。再放送がよく流れていて、学校を舞台としたコメディードラマで、Zackという役で中心的な存在で出ていた。1989年あたりからあったドラマだからだいぶ古い。まだ声変わりする前で、とてもかわいい男の子という感じだった。

 Mark-Paul Gosselaarといって、両親がオランダ人だが、カリフォルニアで生まれ、現在28歳。名前にaが2つ続くのはオランダの名前の特徴だ。

 Saved by the Bell(の写真の真ん中)とNYPD Blue


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