オクラホマ・スティルウォーターから

2003年02月27日(木) 助さん

 日本の芸能関係のニュースを読んでいたら、あおい輝彦の話が出ていた。

 あおい輝彦というと、水戸黄門の助さん役を里見浩太朗から引き継いで、かなり長く助さん役を演じていた。

 『俳優・あおい輝彦(55)が米づくりから手掛けた“究極の酒”が、新潟県吉川町の酒蔵で完成した。大吟醸酒「よしかわ杜氏(とうじ) 色」。田植えから刈り取り、仕込み、搾りまで10カ月にわたるドキュメントが3月2、9日、2回にわたりテレビ東京「男達の風景」(深夜1・00)で放送される。』

 もう55才になるんだあ、と、思いながら、記事を読んでいた。


・・・とここまではよかった。


 『きっかけは1年半前。環境フォーラムのゲストで訪れた吉川町で、休耕中の棚田利用を助役から持ちかけられた。「水戸黄門」の助さん役で京都に通ううち、日本酒に魅せられたあおいが酒米「山田錦」の栽培から始まる理想の酒づくりを思い立った。』



 2、3度読み返したが、どうしてもひっかかる。なぜ休耕中の棚田利用を助さん役の人から持ちかけられたのだろう、そして、町の助さん役というのは誰なんだろう、、、と何度か読み返しているうちに、はっと気が付いた。









 「すけやく」じゃなくて「じょやく」だ・・・・


 水戸黄門の助さん役というのが頭にあったのだが、ややこしいねん〜! 

 でも、小学校のときに歴史の時間に西郷隆盛のことを西郷輝彦と言い間違えた女性の先生がいて生徒に突っ込まれていた。


 よく似た間違いを中学3年の時にしてしまったことがあって、国語の時間、本を読まされ、内容は忘れたが、『峠の「茶店」・・・・・』というところをこの時代劇好きな自分が、「ちゃてん」と読んでしまい、「ちゃてんですか?」と指摘され、「あ、さてんだ!」と言って、クラス中、大爆笑になったことがある。私に似合わない「さてん」という雰囲気が私の口から出てしまったのが、どうもおかしかったらしい。


 これでも、中学の時には、校内の漢字コンテストで1位になったんだけどなあ。過去の栄光よ、いずこへ〜。

 久しぶりにやってしまった。




2003年02月26日(水) 見出し&続き

 先日、インターネットで「世界平和、だれが一番脅威か」というニュースの見出しを見つけた。

 「それはブッシュやろう・・・・」

 な〜んて思って、ニュースの全文を読み始めた。イギリスの日曜紙サンデー・タイムズが23日に掲載した世論調査によるもので、ブッシュをイラクのフセインと匹敵するほど世界にとって危険人物であると考えているという結果が出たそうだ。いや〜笑えた。

 ところで、レスター・サロー氏の本では電子小売業(インターネットによるショッピング)が主要トレンドになるだろうと言っている。アメリカでは誰もが知っていて、どんな地方でもあるウォールマートについても、30年後には最大の小売業ではなくなると確信を持っているようだ。大胆な確信だなあと思ったが、サロー氏によると、

 「在来型の店や人員や流通システムなどに、あまりにも多くの資金を投資してきたため、会社自身をつぶして真剣に電子小売業にかかわることは、そう簡単にはできないのである。(中略)この会社には、在来型の小売業のほとんどを不要にしてまで、会社の根本をゆるがす新しい技術をリードすることなど、とてもできないのだ。」

 ・・・だそうだ。

 シンシナティーにもウォールマートが私の行った店舗だけでも3つあるが、広告以外にセール対象品にするのも微妙に違っていて、去年ここに引っ越してきてから寝具を何点か買ったが、近くのウォールマートが一番値下げをしていて、他の店舗では見られなかった。

 確かにウォールマートではインターネットよりも店頭の方が品数も豊富で、価格も安めだ。今のところ、インターネットによる買い物は一つのオプションでしかないという印象が強い。

 人々がどこまで合理性を追求するか。おとどしだったか、アメリカ人で、1年間家から一歩も出ないで、買い物など全てインターネットで行い、運動不足にもなるだろうからとジム用品を買って室内トレーニングをしたり、その様子がインターネットで映し出されていたようだ。家から一歩も出ることなく、ついに1年経って外に出たが、彼は、いくらインターネットで何でも間に合うといっても、外で買い物をすることはやめないだろうと言っていた。

 女性はやはり外に出て、買い物がしたいという人が多いだろう。食料品もそうだが、衣料品も実際に自分の目で確かめたい。同じサイズでも微妙に大きさが違ったり、いいなあと思っても着てみたら自分に合わなかったりする。靴も微妙に履き心地が違う。

 店舗で買っても、返品、交換はアメリカではすさまじく、もしインターネットによる買い物が主流になったらどうなるんだろう、と興味もある。

 どの分野で電子小売業が進むか、どの分野では在来型として残るか、ちょっと興味がある。



2003年02月25日(火) 共有本→私の本やって、、、、、。

 届いた本というのは、「ゼロ・サム社会」を書いて、さらに名前が知られたレスター・サローというMITの経済学部の教授の著書で、この教授は去年だったか日本にも行っている。

 日本語版は日本人に向けて書き下ろした本なので、読みやすく、その内容がさらに詳しく書かれているのが、「資本主義の将来(The Future of Capitalism)」というものだ。買ったのは英語版で、タイトルからするといかにも難しそうなのだが、そうではないらしい。資本主義の将来のいくつかキーになるものに、私の専門分野も含まれていて、まだ読んでいないのだが、とても興味がある。日本人向けに書き下ろした本の中でも少し取り上げてあったのだが、特に目新しいものはなく、詳しい方を読みたいと思っている。

 そのように書くとやっぱり難しいんだろうなあと思われてしまうが、ネジャーティも「読みたい」と言い出して読み始め、「ちょっと、ちょっと、それ私の本やねんけど、、、、」と突っ込みたくなってしまった。

 それで、考え出した方法。メモステッカーをしおり代わりにつける。緑はネジャーティで黄色が私。ピンクはそばにいる梨奈がほしがったので、意味無くピンクは梨奈。昼間に読んでおき、夜はネジャーティが読む。

 内容も面白かったので、それはまた明日。

 



2003年02月24日(月) 本が届く

 2週間ほど前にオンラインで注文した本が届いた。インターネットで配達の経過がチェックできて、もうそろそろ着くころだろうと思っていた。

 注文した2冊は同じ著者で、1冊は英語なのだが、もう1冊は別の著書の和訳本だ(原文で読めって・・・・・)。和訳の本は日本人のために書き下ろされた本なので、そう堅くなく、ソファーに座って読んでいて、気が付いたら100ページ近くまでいっていた。う〜ん、英語でもそんな調子で読めないかねえと思ってしまう。

 半分ぐらい読んで、また続きは読むことにして、英語の方はネジャーティが掻い摘まんで読んでいた。この続きはまた明日。

 



2003年02月22日(土) トルコ人の目から見た情勢

 土曜日はネジャーティが1日中家にいてくれる日なので、いつも楽しみにしている。

 ますます気に食わないアメリカとイラク情勢の話をネジャーティとしていたが、トルコもアメリカからの軍事支援の要請を受けていて、トルコの新しい政権は今までになく、強硬な姿勢を取っているらしい。というのも、一昔前の湾岸戦争で、アメリカはトルコに、軍事支援の代償を提供するといっていたらしいのだが、きちんとした文書が無かったために、代償を請求することができず、経済的にとてもダメージを受けたらしい。

 今までのトルコ政権は、軍隊が力を持っていて、軍隊がうんと言えば通ることが多かったので、アメリカは同じ方法でトルコに近づいてきたらしい。しかし、今のトルコ政権はアメリカに対して、「トルコは他のアラブ諸国のように王政ではない。要求項目をリストにして、これをしてほしい、あれをしてほしい、と言われても、議会を通さないといけない。」と強い姿勢らしい。

 また、アメリカの要求に対するトルコ側の要求には、アメリカは「議会を通さないといけないから難しい」というと、トルコも「アメリカで議会を通さないといけないから難しいのなら、それはトルコでも同じこと。」と、今の政権はだいぶ頑張っているらしい。

 そんな話を聞いて、今回のイラク攻撃に対して、イギリス以外のいろんな国で慎重な姿勢を見せているのに、なぜ日本はいつもアメリカの味方をしてしまうのかなあ、と疑問をもってしまう。

 砕けた言い方をすれば、「理由は何でもいいねん、とにかく格好な理由を見つけて、イラクを攻撃したいだいけやねん」。

 そんなことを、ネジャーティに言ってみたら、すっかり忘れていたことを言い始めた。案外有名な話だが、アメリカではマスコミ(テレビや新聞)、銀行などユダヤ系が牛耳っている。大学時代の英語のクラスの先生の一人に、ニューヨーク出身のユダヤ系アメリカ人がいた。ニューヨークタイムズか何かの特派員で日本に20年ぐらい住んでいて、その先生自身が、マスコミはユダヤ系が占めていると言ってたぐらいだから、そうなのだろうが、よく言われるアメリカのマスメディアの偏見性というのは、きっとそういう理由があって、イスラエルに有利な情報を流して、パレスチナやアラブ諸国で起きている悲劇はあまり情報として流さない。そうすると、アメリカ人は単純なので、そのように思ってしまう、というのである。

 また、前のクリントン政権では、戦争を避けるために、クリントンが尽力していて、モニカ・ルインスキーの件がなければノーベル平和賞をもらっていただろうと言われていた。ネジャーティに言わせると、モニカ・ルインスキーの親のどちらかがユダヤ系で、全て仕組まれたことだったんだろう、ということらしい。

 アメリカは白人優位だと思っていたが、白人より上手がいるのかもしれない。



2003年02月20日(木) ばればれ

 今日は久しぶりに天気もよく、暖かかったので、昼食をかねて出かけることにした。
 モール近くのパネラでお昼ご飯を食べていたが、食べ終わった頃に、老夫婦の女性が何か梨奈に話し掛けていた。そして、私に「自分で髪の毛切っちゃったんじゃない?」と話し掛けられた。

 「そうなんです。昨日私が寝ている間に、切ってしまいました。」

 「うちの孫娘も自分で髪の毛切っちゃったのよ。伸びるまで長くかかったみたいよ」と言って、店を出て行った。

 やっぱりばればれだ。話し掛けてこない人も、きっと同じことを思っているに違いない。

 その後、いくつかのお店に寄ったが、ジャングルジムズでも、同じように話し掛けられ、やっぱりみんなにばればれだ。

 夜、母から電話があった。今日は祖母の祥月命日で、亡くなって5年経つ。梨奈のことを話すと大笑い。でも、梨奈が祖母の命日に合わせて髪の毛を切ったように思えた。



2003年02月19日(水) 断髪式?

 今日出かけようと思ったら、夕方近くまで雪が降り続いたので、明日買い物に行くことにした。

 昼過ぎに眠たくなって、しばらくして起きてみたら、、、
 

梨奈の髪が短くなっている〜!!!



 どうも私が寝ている間に、自分ではさみを持ってじょきじょき切ったらしい。後ろ以外はかなり短くなっていて、手の施しようがないところもある。後ろだけ長くてもおかしいので、少し切ってみたが、う〜ん、切らない方がよかったかも。

 ネジャーティも、ドアを開けて梨奈を見て「あれ、髪の毛どうしたの?」とすぐ気が付いたが、前髪が短くなって、見た感じはすっきりしたのだが、美容室に連れて行っても、直してもらえるかなあと疑問である。

 雑誌にも読んだことがあるが、まさか梨奈が自分で髪の毛を切ってしまうとは思わなかった。梨奈も髪の毛が多いので、うっとうしかったのかもしれない。



2003年02月17日(月) パロディーのポスター

 昨日ずっと雪が降っていたが、ネジャーティが学校から帰ってきて、ドアを開けたら15センチぐらいの雪の壁ができていた。この冬一番の積雪量のようだ。

 とうとう今日は休校になったが、ネジャーティは昼前に車で学校に出かけた。学校から電話がかかったが、研究室のほとんどの人が来ているらしい。

 ところで、先日友人から面白いメールをもらった。現在のアメリカとイラク情勢をパロディーにしたポスターだ。今回のイラクに対し て戦争を始めようとしていることに対して、アメリカ国内でも反戦デモがあったりするようだ。それは国内でテロが起こるかもしれないという不安からかもしれないが、どんな理由にしてもブッシュ親子が国家の最高権力で持って、アメリカの強さを示そうとしているのを見て、「あんたらは親分かぁ」と突っ込んでしまいたくなる。

 クリントン政権に飽きたのか、今度はブッシュの政党を支持しようとして、若干の差でそうなったが、現在の状況を予想だにしていなかったし、フロリダの票集計がちゃんとなっていれば、ブッシュは大統領になっていなかったかもしれない。そうすると、ニューヨークのテロ事件さえ起きていなかったのではないか、あれはブッシュが大統領になったせいだ、と密かに思っている。

 今のアメリカのやろうとしていることなど、簡単に言えば、「とにかく気に食わない。」

 つい最近もテレビで北朝鮮の核疑惑で日本の核武装の論議を展開した上院議員がいたそうで、ライス大統領補佐官が、日本が核武装で国益を見出している証拠はない」と否定的な見解を出したそうだが、この記事を読んで一つ思い出したことがある。

 それは大学にいた時のことだった。ゼミの教授はもともと銀行マンのエリートで海外支店長にもなった人で、銀行を辞めて、最終的に私の大学の教授になった。戦時中には海軍兵学校で訓練を受けて終戦を迎えたらしい。

 その先生が、学部のキャンパスだけで行われる大学祭の行事の一環で、基調講演をすることになった。その原稿をゼミ生は読んだのだが、「それってよくないんじゃないの?」と、誰もその基調講演の提案には頷けなかった。

 ちなみにこの頃の国際情勢としては、世界的にはソ連が崩壊し、東西ドイツが統一した時でもあり、夏にはイラクがクウェートに侵攻した時で、米ソの二極間のバランスが崩れた時だった。

 そんな中で教授が原稿に提案したもの。それは衛星偵察機に核を積み込むというものだった。衛星偵察機で偵察をしながら、何かあったときには、そこから核を落とすというものだった。

 まだまだ20歳、21歳そこそこの頭では、何がどう悪いと理論立てて教授に言うこともできず、でも、「やっぱりまずいよね」というみんなの結論で終わってしまったが、その直感的に感じるもの、それがやはり人間として一番大切な底辺の部分だと思う。

 その後だけではないが、その先生のエリート意識を多々感じることがあって、研究分野を変えたという主な理由があって、大学卒業後に国際政治学の教授のゼミに変わったのが、その先生曰く、「核を積んだ偵察機を打ち上げるときに失敗して爆発したら大変な被害になる。」

 その他、先生のご意見を聞き、ゼミを変わって正解だったと思った。

 北朝鮮の核疑惑は、日本にとっても決して他人事ではないのだが、もし日本に向けての発射を考えているとすれば、それはアメリカが原爆を落としたときのように、また、アメリカがベトナムに枯葉剤を撒いたように、人間が持っている人としての感覚を鈍らせて、空の下で同じ人間が日々生活しているという基本的なことをないがしろにしていることだ。それは今のアメリカも、イラクも、北朝鮮も、武力で対決しようとしている国に言えることだ。

 う〜ん、とにかく、今の情勢は気に食わない。



2003年02月15日(土) トルコ人の集まり

 最近は雪が降っては積もり、解けてまた降り積もるという繰り返しの毎日だ。

 今日は初めてシンシナティーのトルコ人の集まりに行った。トルコ語で「Kurban Bayrami」という、アメリカのサンクスギビングのような祝日がトルコやイスラムの国にあるようで、そのお祝いだった。
 町の公園の施設を借りて行われたのだが、公民館のようなところで、台所もあるし、割りとしっかりしている建物だ。

 トルコの人は気さくな人が多く、すぐ話し掛けてくるのだが、最初に女性が話し掛けてきた。スナさんという人で、後で、シンシナティーのトルコ人会の会長だというのがわかったのだが、息子さんが日本語を習っていたとか、仕事の関係で神戸に行ったとか、日本との接点もあるらしい。シンシナティーにいるトルコ人はほとんどが科学系、技術系の人で、シンシナティーに本社がある大手企業で働いている人も何人かいて、スナさんもそこで働いている人だった。その企業は神戸にも支社があるので、仕事関係で神戸にいうのがすぐわかった。

 スナさん以外の典型的なトルコ人のおじさんも話にきたが、どの国でも典型的なおじさんというのはいるんだなあと思ってしまった。

 最初に、サラダやパン、チーズなど前菜を食べながら、ペンシルベニアから来ていた建築関係人のスライドを見たりした。

 その後、ピラフ(iç pilav)、ラム肉(kavurma)など典型的なトルコ料理を食べた。ネジャーティにとってはもの珍しいものではないが、私にとってはやはりトルコ料理だあと思ってしまう(今日のトルコ料理メニュー)。

 ところで、ネジャーティが最初に、「アジア人がいるよ」と言っていたが、話してみると、韓国の子で、ネジャーティが今いる大学の院生だった。日本にも行ったことがあるようだった。ネジャーティも興味がある実験をしていて、平日に実験室を訪ねるよ、ということにまでなった。

 梨奈は他の子供たちと遊ぶので忙しく、一段落した後で、ピラフを平らげた。

 食後のデザートを密かに楽しみにしていたら、バクラワ(baklava)とプリン(kazandibi)が出た。バクラワはトルコの代表的なお菓子で、プリンはおそらく初めて食べた。

 トルコの音楽を流していたが、デザートの後は、踊りだす人もいた。トルコの踊りは手を大きく横に広げて、指を鳴らしながら、リズムに乗って体を動かすのだが、黒海地方のダンスは、指きりの状態で輪を作って、とても早いリズムで踊るらしく、その音楽が流れたときには、そのように踊りだしたりと、見ているだけでも楽しいものだ。

 ネジャーティに「踊らないの?」と聞いてみたが、そういうのはあまり得意じゃないらしい。

 2、3年前に亡くなり、日本でも公演をしたトルコの人気歌手、バリシュ・マンチョの曲も流れた。ニューハンプシャーにいた時に、同じアパート群に住んでいたトルコ人のエモッシュは実はバリシュ・マンチョのバックコーラスで歌っていて、一緒にツアーを回っていたという人で、そういえば、エモッシュももうすぐトルコに帰るんだったかなあと彼女を思い出していた。

 4月末には子供の日があるそうで、その日あたりにまたパーティーができればいいなあと言っていたおじさんがいたので、また楽しみだ。



2003年02月14日(金) バレンタインデー

 今週は、スーパーの花売り場には花が埋もれて見えなくなるほど、赤やピンクのハートの風船が飛び交っていた。

 カードのお店に行くと、最終日なので、残り少なくなっていたが、それでもカードを買い求める人がいた。

 日本は女性から男性にあげるが、ここでは男性が花を贈ったり、カードもどちらかというと、女性に贈るものが主だったりする。

 ところで、ネジャーティがアメリカに来るまでバレンタインデーを知らなくて、やっぱりイスラム教が主な国では知らないだろう、と思って、他のトルコ人に聞いてみると、「トルコでも知ってたよ。いつも花をあげていた」と武勇伝を語るトルコ人もいて、な〜んだ、ネジャーティが知らないだけだったのか、と思ったことがある。

 去年は、近くのお店でバラの花を一輪買ってきてくれたが、本人はそれが造花だと帰ってきてからわかって、さらに、「Love Me Tender」の音楽が鳴るものだというのも、後日、梨奈がそれで遊んでいる時に偶然わかったという、何とも色気のないものだったが、その花も未だ活躍して音を出している。

 そんなものなので、何にも期待していなかったが、食事をした後に、「はい」と何かを差し出された。「何、これ?」と思ったらチョコレートだった。本当はメインは梨奈だったようだが、女性が2人いるからと買ってきたらしい。
 
 いくつか種類があって、そのうち1つは知っていて、以前から好きだったが、違う種類のチョコレートもバレンタインデー用に作ったのか、それもおいしかった。



2003年02月12日(水) 自然の雪だるま

 雪がよく降って積もるが、雪が止んで少し暖かくなると芝生の地肌が見えてくる。こんな状態はニューハンプシャーに住んでたころと比べるとちょろいもんで、ニューハンプシャーでは冬の間は気温が0度から上がらないことが多いので、雪も解けることなく、春になってやっと解けるといった具合だ。去年の冬は例外で、雪が降った回数はそれなりにあったが、あまり積もることも無かった。

 ところで、雪の降るニューハンプシャーにいて見たことが無かったものをここで初めて見た。

 雪が止んで、夜に風がきつく吹いていた。次の日、至る所に大小の雪の塊がいくつも転がっていた。最初は何かわからなかったが、どうも前の日に吹いた風で、積もっていた雪が転がってできたものらしい。

 ニュースでも気象予報士がスタジオに転がってできた雪の塊を持ってきていたが、場所によっては、子供の背丈ぐらいある雪の塊ができていたり、面白い形になっていたりして、それらの写真がテレビに映っていた。

 やはり平地が多いオハイオ。遮るものがないと風も強いらしい。

 写真に撮ったので、出来上がったらお見せします。



2003年02月09日(日) ジオメトロ

 金曜日に学校に行ったときに、高速道路を使ったが、以前フロリダで乗っていたジオメトロ(Geo Metro)よりまだ前の型のジオメトロが走っていた。
 
 ジオメトロは部品の多くに日本製のものを使っているようで、以前メカに行ったときに、日本製のようなものだよ、と言われた。



フロリダで使っていた愛車のジオメトロ(90年製)


 今はジオメトロもだいぶ大きくなったが、当時はとても小さい車で(多分一番小さい車)、軽自動車の大きさだ。フロリダの高速道路では制限速度がついてないところでは、時速70マイル(112キロ)が最高速度だが、そんなに出すとハンドルがぶれてくるものだった。

 ハッチバックタイプでトランク部分がとても小さく、外見もとても小さく見える。今乗っている車と比べると、小さく見える。しかし、実際に乗ってみると、中の座席は言うほど狭くない。

 ジオメトロの車を久しぶりに見て、「がんばってる、がんばってる」と応援したくなったが、意外にもスピードを出して走っていた。



2003年02月08日(土) 春遠からず?

 コロンバスにいるオカンがネジャーティに研究室に来てほしいといっていて、今日行くことにした。

 雲一つない晴天だったが、風が強かった。ネジャーティが研究室に行っている間に、この前行かなかったショッピングモールに行ってみたが、やはり外で買い物するのは寒いので、もう一つのモールに行った。
結局、何か食べて、お店にも寄らず、モール内にある子供の遊び場で梨奈が1時間ばかり遊んでいたので、その間はじっとそこにいないといけなかった。

 大きいモールでも、同じお店はシンシナティーにもあるので、帰ってからでも行ってみればいいのだが、1月までは冬物のセールをしていて、2月に入ったからだろうが、すでに春物を売っていた。チラッとしか見てないがパステル調の春らしい明るい色で、春が待ち遠しく思えた。

 ところで、日本ではわりと四季がはっきりしていて、そろぞれの四季をしっかり味わえるがフロリダにいた時も、ニューハンプシャーにいた時も、春は意外に短かった。私がいたフロリダでは2月は朝、車に霜が降りて、お湯で溶かさないといけない時があったし、コートは何回か着たが、3月は日中は半そでにトレーナーを着るぐらいで、4月はちょっと寒くなる時もあるが、下旬には半そでで歩ける。
 ニューハンプシャーは冬が長く、日本より1ヶ月春が遅い。桜も4月の終わりから5月にかけて咲くし、他の花も5月に入ってようやく咲き出す、といった具合だ。そしてすぐに初夏、夏になるので、やはり春が短い。

 さて、オハイオではどうなんだろう。初めて迎える春なので、少し楽しみだ。



2003年02月07日(金) 次々とトルコ人に会う&犯人を見た?

 今日は用事があって、ネジャーティの学校に行った。

 カフェテリアでお昼ご飯を食べようということで、カフェテリアに向かっていたら、前から歩いてきた女子学生にネジャーティがトルコ語で話し掛けてきた。初めて会うので自己紹介した。
 カフェテリアで食べていると、ネジャーティと同じ研究室の?トルコ人学生がやってきて話をしていたが、向こうの方から歩いてくる人も何となくトルコ人っぽいなと思っていたら、やはりそうで、さっきのトルコ人とお昼を食べに来たらしい。3人とも初対面だったが、それにしても今日はよくトルコ人に会うなあ。

 女子学生は彫りの深い顔立ちで、まさしくトルコ人なのだが、スカーフをしていた。スカーフは宗教的な意味があるのだが、トルコでは公立の学校ではスカーフをしてはいけないことになっているらしい。イスラムの人がほとんどの国なのでとても意外だったのだが、今の共和国になって、政教分離を取り入れたらしいが、公の場ではイスラムを持ち出さないとしているらしく、公立学校(大学も)、役所関係の職場では女性はスカーフをしてはいけないらしい。

 日本でも政教分離の意味を取り違えている風潮がまだあるが、トルコの場合もスカーフに関して思いっきり政教分離に反している。公立の学校であろうと、私立の学校であろうと、生徒の信教の自由は守られるべきで、政府からスカーフをしてはいけないと言われるのは権力を使った圧力である。

 ネジャーティによると、スカーフができない理由で、ヨーロッパやアメリカに留学する女子学生もいるそうだ。「たかがスカーフ、されどスカーフ」で、スカーフ1枚にもとても重みがあるようだ。

 梨奈と私は学校を後にして、ネジャーティは研究室の人たちと、今日の研究室のイベントである、「ワインとチーズを楽しむ日」でチーズを食べたそうで、持っていった日本酒も、冷蔵庫に入っているか、みんなが飲んでしまったかだそうだが、いつものように最終のバスで帰ってきて、開口一番、

 「今日研究室で、窃盗事件があったんだ。」

 ネジャーティのオフィスの机の隣には誰かが持ってきたステレオと、同じオフィスのラトビア人が持ってきて置いているCDがある。ネジャーティが他の実験室から帰ってくると、見知らぬ男が片手にはCDをたばに、片手にはネジャーティのかばんをいすに置いて持っていたらしい。その男は「これはあなたのかばんだったね、CDは友人に貸しているのを返してもらおうと思ったんだ」と言って、いくつかCDを持って、部屋を出たらしい。

 夜の7時ぐらいで、帰っている人も多かったが、2、3人残っていて、その人たちに、こんな人が来たけど知らないか、と言ったが誰も知らなかったらしい。何かおかしいことに気づいて、すぐに階段や出口の方に追いかけていったが、すでに姿はなかったそうだ。建物にはいくつも出口があるので、どこかから出て行ったらしい。

 すぐに大学の警察を呼んだら、すぐに来たそうだ。男が他にも盗もうと思っていた小さいスーツケースのようなものや落としていったCDがあって、CDケースから指紋を取って、ネジャーティにも写真を見せて、この中にその男がいるか聞いたが、いなかったらしい。でも顔は覚えているので、見れば分かるらしい。

 CDはいっぱいあるので、それを入れるのにネジャーティのかばんとスーツケースのようなものを使おうとしたらしい。CDを盗られたラトビア人も気の毒だが、盗まれたCDにはラトビアの音楽もあったようで、盗った男も後でCDを見たらがっかりするだろうと言っていた。

 ネジャーティは何もできなかったので、しばらく自分に腹を立てていた。



2003年02月06日(木) 反抗期?

 今日は梨奈は昼寝もしなくて夜の9時過ぎに眠たいと寝出したので、昼寝ならリビングの部屋で寝かせるのだが、寝た後で2階のベッドに寝かせた。

 30分ぐらいして、ネジャーティが帰宅。2階に上がったときに、梨奈が起きたらしい。そして、2階に行ってみると、梨奈があっち行ってという仕草をしている。ネジャーティはバスルームに行ってしまって部屋にはいなかったが、梨奈がベッドから出て、ドアを閉めた。入ろうとしても開けてくれない。どうも怒っているようだ。

 ネジャーティも開けてくれなかったようで、下に下りてネジャーティはご飯を食べながら、2人で、「開けないで抵抗しているけど、本当はかまってほしい、でもがんばって抵抗してるんだろう」と言っていた。

 ご飯を食べ終わった後、2人で2階に上がった。今度は開けられて、ネジャーティが先に部屋に入ったが、梨奈に「ママ〜」と呼ばれた。ママの出番だ! やはりこういうのはママじゃないといけないらしい。

 梨奈も少し落ち着き、ヒクッ、ヒクッとまだ余韻は残るものの、買ってきた物を指して、ネジャーティに何か説明していた。

 う〜ん、難しい年頃だけど、一生懸命頑張っていた梨奈を見てちょっとおかしかった。



2003年02月05日(水) 関西人のサガ

 寝着く前に日記にこれを書こう、あれを書こうと思って、それを次の日に書いてみるのだが、どうも納得しない。原稿の締め切りが迫った作家のように、原稿用紙に書いてはポイ、書いてはポイ、と投げているような状況になっている。

 友人のHPの掲示板でも起こったことで、何かを書こうと思うのだが、うまくまとまらず、書き込みに至らなかったことがあった。友人曰く、

 「笑いを取らんでもええねん。」

 う〜ん、これはやっぱり関西人のサガで、何かを書くとなると、笑いを取ろうとか、落ちをつけようとか、あれこれ考えてしまい、それがないと、「それがなんやねん!」という突っ込みを受けそうなので、途中まで書いてやめてしまうのである。

 やっぱり私は関西人、でも気を取り直して書きますか。



2003年02月04日(火) 節分&立春&?

<節分>
 昨日の節分にはすでに他の料理を作ってしまったので、巻き寿司を1本だけ作って食べた。

 なぜ巻き寿司かというと、関西ではその年の方角に向いて(今年はどっちだったんだろう? 南南東?)、切り目の入っていない巻き寿司をだまってかじる(家によっては全部食べるのかなあ?)、という比較的新しい風習がある。

 昨日は梨奈に引っ張られ、Barnes&Nobleに行ったら、本や日記、カレンダーの残りが1つ1ドルになっているコーナーを見つけた。梨奈の好きなアニメのキャラクター人形まで1ドルになっていた。その人形と、絵本2冊、ガラにも無くモネの絵が入っている日記をかごに入れ、おっ、なぜかクイズミリオネアのCD-ROMまで1ドルに、と5点買い、5ドル+税を払って、店を出た。

 その後、ジャングルジムズへ。なぜかいろいろ買ってしまうんやなあ。

<立春>
 今日は立春で、暦では春のようだが、今日は0度に近く寒かった。昨日は14度まで気温が上がったのになあ。

 節目という意味では、今日めでたいことが一つ。ネジャーティ宛にニューハンプシャーの大学から筒に入った修了証書が届いた。ネジャーティが帰宅して夕食を済ませてから、「ハイ」と渡したが、テーブルの上にたまたまプリングルスのポテトチップスの筒状の缶を置いていたので、ポテトチップスを渡されたと思ったらしい。開けてみて、「あれ?」と違うことに気づいたらしい。

 ネジャーティはそういうのをもらってもあまりこだわらないんだ、と言ったが、私が夏にプレゼントした額を持ってきて早速入れると、どこに飾ろうかと言っていたので、多少は嬉しいようだ。嬉しい理由というのは、証書をもらったことよりも、これでやっと完全に終わったという開放感のようだ。



2003年02月03日(月) 食材に気を使う

 昨日のパーティーはとても楽しかったが(ってゲームが楽しかったんやろう・・・)、アメリカに来て留学生も交えたパーティーで気を使うもの、、、、それは食材だろう。

 学校関係だと留学生がたくさんいて、日本では会ったことがない国の人に会えるのだが、パーティーに一堂に会すると、用意する方も食材に気を使うようになる。ムスリム、ユダヤ人は豚肉は食べない。それは宗教上のことだが、ケニアでも豚肉は食べないと言っていた。やはり暑い地域では豚肉は扱いにくいだろうし、アフリカの国でもイスラムが主な宗教であるところもある。インド人は牛は神聖なものだから牛肉は食べない。そうすると、肉類で無難なのは鶏肉やターキーだ。

 以前にも日記で書いたが、ハムには豚肉のほかに牛肉や鶏肉、ターキーを使ったものもあるし、ソーセージも牛肉やターキーがある。ベーコンはうちではターキーのものを食べている。

 昨日のパーティーでは最初に小さい豚まんや餃子、スープが出されて、自由に取って食べられるようになっていたが、豚肉が入っているものがほとんどで、梨奈も私も巻き添えを食らい、食べられなかった(正確には陰で1つつまんだ)。



2003年02月02日(日) 「未年を祝う」=「旧正月のお祝い」

 8月の末にインディアナ州の川でカヌーをした後に立ち寄ったイギリス人教授の家で、「未年を祝うパーティー」があった。

 未年を祝うというよりは旧正月(チャイニーズ ニューイヤーとアメリカでは呼んでいる)を祝うもので、中国人の学生と教授の奥さんが餃子を作ったり、フォーンチューンクッキーを袋から出したりしていた。

 教授の家は1870年代に建てられたものだそうで、改築をしている部分もあった。この前はあまり家の中を見なかったが、子供たちだけで遊んでいる部屋もあったりして、少し見て回った。

 ダイニングルームには食器棚があって、Wedgewoodのティーカップがあったり、やはりイギリス人だなあと思ったら、民俗品が壁に飾られていたりしている。日本にも造詣が深いらしく、もう一つの食器棚の上には日本人形が飾られていたり、なぜかお茶碗、おわん、お箸を持っていたり、日本語でコカコーラと書かれているタオルがあったりしている。

 ケニア人のアンがゲームを持ってきて、ネジャーティがいつも一緒にいる研究室の人たちで固まってゲームをしたのだが、これがまた面白かった。いわゆる連想ゲームで、単語が何か、説明をして当ててもらう。円になって男女交互に座り、男性の説明には男性が、女性のは女性が答える。単語は丸いケースに入っていて、答が出たら隣に渡していく。ケースにはボタンがあって、それを押すと次の単語が出るようになっている。同時に時間が来たら鳴るブザーもあって、ブザーが鳴ったときにケースを持っている人のチームが負けで、何回か負けたらゲームオーバーだ。

 10人のうち、アメリカ人2人、ケニア2人、ラトビア人2人、あとはフィリピン人、スリランカ人、ネジャーティと私だ。私はネジャーティとアメリカ人のジョンの間に座っていた。ジョンはペンシルベニアの小さな町にある大学の教授か助教授で、1年の予定でシンシナティー大学に来ている。

 さて、このメンバーが外国語である英語の単語を説明するとどうなるか。各個人には時間制限がないので時間はたっぷりあるのだが、どうも時間制限があると言うのは焦る原因になるらしい。ラトビア人は両方男性で、どんな単語を説明しているのかお互いわかるらしく、よく答えていた。

 笑えたのは、私の番が終わり、ジョンの番になった時に、「わたしは〜」といって、ブザーが鳴り時間切れ。答えは “professor”(助教授を含んだ教授)だった。「わたしは〜」と言っても、答えは一杯あるからなあ。

 8人が外国人なので、分からない単語は飛ばして、分かる単語で問題を出すことができたので、それはよかった。私に当たった単語は飛ばしたのを除くと、
 teacup (ティーカップ)
 tiger"(トラ)
 tennis court(テニスコート)
 pearl(真珠)
 rose (ばら)
 fast food(ファーストフード)
 marble(大理石、ビー玉)
 freeze(凍る)

 変わった単語としては、“mothball(防虫剤)”もあった。こちらの防虫剤は大きさはピンポン玉ぐらい、木の丸いボールだ。使ったことは無く、お店で見ただけだ。たまたま見ていたドラマの中で、「防虫剤のにおいがするね」という台詞があって、その単語の響きが面白かったので覚えていた。

 防虫剤以外は単語としては簡単なのだが、こうなると、日本語で説明できないものは英語でも説明できないわけで、ティーカップが案外難しく、ファーストフードの説明に、お店の名前を出したように、ティーカップを製造しているウエッジウッドとかロイヤルダルトンとか名前を言えばよかったなあと後で思ったりした。

 帰宅しても、ジョンの「わたしは〜」で時間切れになったのを思い出し笑いした。



2003年02月01日(土) オハイオでは

 お昼から学校に行っているネジャーティから電話がかかってきて、スペースシャトルの爆発のニュースを聞いた。インターネットは使っていなかったので、ニュースを知らなかった。テレビで爆発したシャトルが明るい光を放って墜落している様子が流れていた。

 オハイオは宇宙や飛行機に縁のあるところで、ライト兄弟や初めて月面に第一歩の足跡を残したネール・アームストロング、2回目の宇宙飛行をした上院議員はオハイオ出身だ。
 ネール・アームストロングは現在72歳で、シンシナティーの地元のテレビ局や新聞のインタビューに応じていた。以前、シンシナティー大学で宇宙工学の教授をしていたそうで、初めて知った。

 ネジャーティはこのコロンビアが最初に打ち上げられた様子をテレビで見たらしい。そのコロンビアの最後を悲しんでいた。


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