オクラホマ・スティルウォーターから

2002年10月31日(木) 肩透かし?

 最近天気があまりよくないし、天気がよくないと寒いので、出不精になってしまう。今日も出かけようと思っていたが、結局出かけなかった。
ハロウィンだから、どれぐらい子供が来るんだろう、と思っていたが、殊の外少なく、10代の男の子3人と幼稚園ぐらいの女の子1人の計4人だった。2軒先の女の子たちも来なかった。

 フロリダとNHでは次々に「 Trick or Treat」と子供たちが来ていた。特にNHにいたときは、大学のアパートに住んでたこともあって、来るのはアパートの敷地内の子達と限られていた。ここもアパートだからなあと思っていたが、敷地内の端っこだったし、かえって目立たなかったのかもしれない。そしてネジャーティによると、最近はキャンディーをもらいに回るよりも、パーティーをする方に重点が置かれているらしい。それから、知っている人のところしかもらいに行かないのだろう。
 子供たちが来ないちょっと寂しいハロウィンだった(来年は張り紙でもしとこうか)。



2002年10月30日(水) デートンで

 今日はデートンという町に行った。

 オハイオに来るまでは全然知らなかったが、デートンは彼のライト兄弟の故郷である。その関係からか、ライト州立大学、アメリカ空軍の航空博物館など、飛行機にとてもゆかりのあるところだ。
 今日は場所確認だけで、ライト兄弟が所有していたお店(最初は自転車屋)や、ライト兄弟のお墓がある墓地、航空博物館の3つを回る予定だったが、回れたのはお店と墓地だけになった。

 ダウンタウンを通ると、NHの州都であるコンコードのダウンタウンをちょっとこぎれいにしたかな、という雰囲気で(誰もコンコードなんか知らんって)、町にはなんとトロリーバスが通っていた。

 余談になるが、大学で中国語を取ったとき、ある単語(忘れてしまったが)の訳がトロリーバスで、クラスのみんなが「トロリーバスって何?」と顔を見合わせた。日本語が流暢な中国人の先生はちゃんと訳を確かめているので、間違いないのだが、トロリーバスの存在自体が私たちの世代でわからなくなっていたので、ふーんとしか言わざるを得なかった。

 しかし、実物を見ると、「あっ、これがトロリーバスだ」とわかる。トロリーバスが走っている町では、バス自体を見なくても、目線を上げればすぐわかる。ルート沿いに電線が張り巡らされている。そしてバスの上についているアンテナが電線に触りながら走っているという、まあ、電車みたいなものである。でもバスなので、車線を変更できる。車線変更するときはバスの上のアンテナが左右に動くので、常に電線に触っている状態である。

 車線変更するトロリーバスに関心しながらダウンタウンを走っていて、赤信号で止まった。左には割りと大きい建物で、 “United States Bankruptcy Court” と書いてあった。「アメリカ、、、、、裁判所、?? Bankruptcy?? 倒産? けったいな名前の裁判所やなあ」と思いつつ、右の裁判所は何か様子がおかしい。警察がいて、裁判所の周りに黄色いテープが貼ってあって、立ち入り禁止になっている。ラジオでも何か言うてるなあ。え? 銃の発砲?

 後で調べてみると、午後1時過ぎにデートンの市の裁判所(Dayton Municipal Court)の中で誰かが銃を発砲して、1人が亡くなったそうだ。私が通ったのは4時を過ぎていたが、そんなことがあったとは、、、。

 英語ですが、地元新聞の記事です。
http://www.activedayton.com/ddn/local/daily/1101shooting.html

 せっかく見どころがあるのに、こんなこと書いたら、誰もデートンに来なくなるかなあ。



2002年10月28日(月) 半年間の旅?

 昨日の夜、梨奈が寝たのを見計らって、水戸黄門のビデオを見ていた。

 日本人なら、この番組が30年も続いていて、1年のうち半年が必ず水戸黄門、もう半年が大岡越前とか別の時代劇を放送している、というのも知っている。そして毎年、水戸黄門が始まるときの話としては、水戸か江戸に光圀一行がいて、毎年訪れる場所は違っても、何かの事件をきっかけにそこから一行が出発し、全国を回った後、また戻ってくる、というのも私たちは知っている。

 ネジャーティも水戸黄門が好きで一緒に見ている。今の黄門は5代目で、ちょうど今年から替わったことは一応言ってある。そして、私が持っているビデオは3代目と4代目の黄門のものだが、4代目の黄門の初回のものもある。ネジャーティは30年も続くドラマだというのも知っているが、どのように放送されているかというのはあまりわかっていない。

 ちょうど4代目の初回のものを見ていた時のこと。そんなネジャーティと話をすると、、、、、
(ネジャーティ=ネ)

 私「これは初回のもので、光圀がなんで旅に出ることになったかっていうエピソードやねん。」
 ネ「そしたら、これって30年前のものなの?」

 私「(新しい画像やのに30年前のものなわけないやん、と思いつつ)これは4代目の黄門の最初のストーリー」

 ネ「でもこの番組って30年間続いてるんやろ。なんで最初の話なの?」

 私「半年間の放送で、いつも江戸か水戸から出発して、旅をしてまた戻ってくるの。毎年ルートは違っても同じように旅をするの。そやなかったら、いつ旅から戻るねん? 旅に出たまま、30年間ずっと放浪してるんかい。」

 ネジャーティに半年間のクールで放送しているというのを説明したが、、、

 私「半年の放送の間に、江戸か水戸から出発して戻るっていう旅やの。」

 繰り返して言ったのだが、説明に誤解が生じていたらしく、

 ネ「そしたら、一行は半年間旅をして、次の放送までの半年間、城にいてるんか?」


 これはドラマやあ〜!!!!!!



2002年10月27日(日) 夏時間が終わる

 お昼近くに起きて、ご飯の用意をしていた。ネジャーティもそのうち起きてきて、ご飯を食べたら1時近かった。ネジャーティは昨日の休みを学校で過ごしたので、本当の休みは今日しかなく、すでに半日が過ぎたので、あっという間だなあと思って、はたと気がついた。

 「午前2時で夏時間が終わったんだぁ!!」

 ということは、1時間時計を戻すことになり、家中の時計を直していった。ネジャーティが何してるの? と最初気が付かなかったが、そのうち気が付いた。

 1時だと思っていたのが12時になったので、1時間得して喜んだ。

 昨日も出かけなかったし、どこかに行きたい気持ちもあったが、ネジャーティが梨奈を連れて買い物に行くというので、一緒に行ってもよかったが、1人の時間を作ることにした。

 せっかくだからとNYにいる友人に電話したがつながらなかったので、メールを書いたりしたが、一人、誰にも邪魔されずに静かに過ごすのもいいなあと思った。

 ネジャーティはジーンズを買ったようだし、梨奈と何か食べたようだし、梨奈は梨奈で、ネジャーティの方がいろいろ買ってくれたりする甘い親だというのを知っている。NHにいたとき、ネジャーティは研究室のアメリカ人にさえ “Fool Daddy”と言われたほど(英語でも一緒やねんなぁ)、親ばか振りを発揮していたので、小さいながらもそういうことがわかっているらしい。

 このところは一緒に外出しても、ネジャーティがそっちの靴の店、私がこっちの服の店とばらばらになるときは梨奈はネジャーティと一緒に入る。それはそれでよくて、私は一人で服を見る時間ができて、ちょっと嬉しい。

 今日は1時間得したが、1日が長く思えた。



2002年10月26日(土) 泡が立たないわけ

 ネジャーティが学校であった化学のシンポジウムに出て、お昼ぐらいに終わったのにそのまま夜遅くまでいた。朝、送っていくときに、「電話してくれたら迎えに行くから」といっておいたので、午後には電話がかかってくるかなと思っていたが、結局かかってこず、迎えに行ったら行こうかなと思ったお店にも行けなかった。

 それはいつか行くことにして、ネジャーティが出たシンポジウムは、他の大学から教授が来て話をするというものだったらしいが、一つは教授が目の前でちょっとした実験をしたらしい。それは、男性が飲んでいるビールと女性が飲んでいるビールを見比べると、女性のビールの方は泡が少ない、それはなぜかという疑問から始まった。それはグラスに口紅がついて、それが作用するということだった。教授はポケットから口紅を出して「口紅を出すとぎょっとされることが多いですが、サンフランシスコでは驚かれないですね」なんて冗談を言いながら、それを実際に見せたらしい。

 それは知らなかったが、ハロウィン近くになると、大学には、ハロウィンショーというようなものを子供に開いて、簡単な実験をする。普段見ることのできない実験を子供たちに見せて、少しでも化学を身近なものにしてもらおう、という趣旨もあるようだが、ナイトロジェンにバナナを入れると、カチカチに凍ったり、バラを入れると、花びらが粉々になったりして、そういうのを見ると、面白いなと思う(でも決して深く追求しようとおもわないが、、)。



2002年10月25日(金) 来週にハロウィン

 来週はハロウィンがある。ここに来て初めてのハロウィンでどうなることやら、、、。

 ハロウィンの日の流れとして、日が暮れる前に子供たちが「Trick or Treat」と言ってキャンディーをもらいに回り、夜にはパーティーをするというのが一般的だ。

 フロリダにいたときのことを思い起こすと、大学のアパートに住んでいて、アパートの子供だけでなく、近所の子供たちも、広いアパートの敷地内をくまなく歩いてキャンディーをもらっていた。私が用意したのは3袋ぐらいだったが(あげたんかい、、)、それで足りた。
 
 NHにいたときはアパートのオフィスからパンプキンの絵が描いてある紙が配られて、子供はそれを貼っているところだけ行くという決まりを作っていたが、ある年はその紙を貼って2、3袋を用意したり、ある年は紙を貼っていなかったり、ある年は日本に帰っていなかったりした。

 さて、今年はちょっと手ごわそうである。今まで住んだ中で一番子供が多いからだ。このアパート群はもちろん、近所の子供たちも来そうな気配だ。用意することとかほとんど考えていなかったが、来週にハロウィンを控えて、特に餌食となりそうなこのアパートで、電気をつけずに居留守を使うか、降参してしまうか、はたまた外出してしまうか、そろそろ決断をしないといけない(でも多分お菓子を買って子供達を待つことになりそうな気が、、、、)。



2002年10月24日(木) 関西らしい会話

 ネジャーティの大学にいる日本人の女子学生に会った。1人は1年間の予定で交換留学で岐阜から来ていた。シンシナティーは岐阜と姉妹都市になっていて、大学も交換留学の制度があるらしい。もう1人はすでにここに2年住んでいる大阪出身の学生だった。私は7月にニューハンプシャーから引っ越してきたばかりです、と言って自己紹介した。

 私もすぐに関西弁のアクセントになって、来年3月に帰るという岐阜の子に、

 「オハイオは自然とかいいところがいっぱいあるから、帰る前に機会があったら是非行ってみてね」と言ったら、大阪の女の子、
 「行ったことがあるんですか?」
 「まだ行ったことないねんけど、調べてたらいいところがあってね、、、、、。」

 と会話は進んだのだが、さも行ったことがあるような口ぶりをし、それに大阪の子が絶妙なタイミングで突っ込みを入れてくれて、久しぶりに関西らしい会話になった。
 関西人同士の話は風船のように膨らむので、突っ込みを入れて空気を抜いておかないと、どんどん膨らむのである。



2002年10月23日(水) バーバリアンチョコレート

 この前カフェインなしのフレーバーコーヒーを買った。

 名前は「バーバリアンチョコレート」というもので、作っていたら、それらしい香りがしていた。
 ちょうど普通のコーヒーが切れていたので、そのフレーバーコーヒーを作り、ネジャーティもそれを飲んだのだが、一言、「苦い、、、」。

 「コーヒーは苦いに決まってるねん!!!!」と突っ込みたくなったが、やめておいた。
 
 「バーバリアンってトルコのことを差していうことがあるんだよね。」とネジャーティ。その後で少し調べていたら、中央アジアから移っていったフン族が関係しているらしい。

 世界史は中国史を除いてはとてもちんぷんかんぷんだった私(だだっ広い世界の歴史を意味を持たないカタカナで覚えるより、地域限定で意味のある漢字で覚える方がやっぱりいい)。トルコはヨーロッパの歴史にも関わっているので、ネジャーティは肌でヨーロッパの歴史を知っている。



2002年10月22日(火) ラジオ

 昨日に続き「こころ晴天」の番組を聴いたのだが、東京ではだいたいのラジオの番組にはちゃんと台本があるらしい。その中で「鶴光でおま」の鶴光さんは東京でもフリートークらしい。
 
 関西ではラジオはフリートークと決まっていて、関西で台本があったらやりにくいやろうなあと思う。誰がその通りにしゃべるねんというのもあるし、話が脱線して全く違う方向に行ってしまうこともあるし、台本みたいな窮屈なんはいらん、というのもあるし、そういうのがとても関西らしいと思う。



2002年10月21日(月) 無事聴けたけど

 先週からRadio Oneの調子がおかしくて、Radio Oneプレーヤーから日本のインターネットラジオが聴けなかった。毎週月、火に更新するお気に入りの番組があるのだが、先週の月曜日の分は聴けないまま更新されてしまったなと思っていた。

 「番組がある放送局から直接入れば聞けるやん!」と気づいた。先週の月曜の分は逃したが、火曜日の分は聴くことができた。
 
 自分のあほさ加減にも呆れたが、番組が聴けないという問題はとりあえず解決し、番組を楽しむことができるようになってよかったとホッとした。ちなみに番組というのは「こころ晴天」という関西の番組だ。



2002年10月20日(日) 昨日に続いて、、

 私が梨奈に「食べちゃうぞ〜!」と冗談を言ったことがあって、梨奈がそれを覚えてて、急に私に言ったことがあった。それをネジャーティに言ってほしくて、「食べちゃうぞ〜」って言ってみてというと、ちょうど床の上にいたアリに向かって「食べちゃうぞ〜」と言ったので、大笑い。ネジャーティは意味がわからないでいたので教えると、ネジャーティも笑い始めた。

 最近はありがとうも覚えたみたいで、"Thank you, Mama". とか、 "Thanks, Mama" と言ったりするようになった。私はいつも「ありがとう」と日本語で言うから、そういう言い方はしないし、一体どこで覚えたんやろう、いつも見ているアニメのビデオかなあと不思議に思うが、日本語にしても、英語にしても、そういうふうに言ってくれるようになったのがうれしい。

 ビデオで日本語も覚えているらしい。私は時代劇が好きなので、梨奈のいないのを見計らってビデオをつけることがある。たまに梨奈が起きてきて、そのまま見ていることもある。歌詞は知らないにしてもテーマソングまで一緒に歌っていることがある。そしてドラマの中で「おとうちゃん」という言葉を拾ったようで、「おとうちゃん」と言っていた。個人的には「おとうさん」というのを覚えてほしいので、「おとうさん」と何回か練習させたのは言うまでも無い、、、。



2002年10月19日(土) ちょっと嬉しかったこと

 朝、雨が降っている音で目が覚めた。でもまた寝てしまい、3人ともお昼近くまで寝ていた(やはりみんな低血圧なのかなあ)。
 朝、昼兼用で食べて、その後は買い物に行って、ネジャーティも髪の毛を切ってもらったり、私は服を買ったり、梨奈はネジャーティに靴を買ってもらったりした。多分1ヶ月ぶりに外食しておなかいっぱいになり、ネジャーティ、梨奈はお休みモードで自分だけが起きている。

 梨奈は最近、大きくなったなあと思う。1つはトイレの時はほとんど言ってくれるようになったこと、2つ目には簡単な文(ほとんど「〜がほしい」というもの)が1つ、2つ言えるようになったこと。もう1つは、心配してくれること。

 私が咳やくしゃみをすると、”Are you OK?” と言うようになったり、今日も梨奈がアイスクリームを持って食べていると、 ”Want ice cream?” と言ってくれたりする。一番嬉しかったのは、私が買い物袋を持って「重たい」と言っていると、1つを取ってネジャーティに渡そうとしてくれた(でもネジャーティもたくさん持ってたので持てない状態だったが)。

 多分、”Are you OK?” とか、あまり意味がわかってないで言っているんだと思うし、「重たい」というのも、ネジャーティが私より荷物をたくさん持っていて、これ以上持てない格好で、それが実際どれだけ重たいかというのがわかっていないのだが、ネジャーティは私より力持ちだというのはわかっているようで、ネジャーティなら持ってくれると思ったのかもしれない。

 でも最近少しずつ話すことができるようになった梨奈の言葉に嬉しくなったりする。



2002年10月18日(金) なかなかいないけど

 今日、同じシンシナティーに住んでいるEさんとお会いした。おとといお電話して話したら、なんと同じ年齢(学年)ということがわかった。

 シンシナティーを南北に通っているハイウェイには東にI-71、その西にI-75があるが、I-71沿いがお金持ちが住むところが多く、駐在できている日本人はI-71沿いに集中しているらしい。I-75より西は環境としてはあまりよくないところもあるのだが、幹線道路のI-275に近いところはそんなに悪いところではない。Eさんも私もI-75より西で、I-275に近いところに住んでいる。やはりこの辺では日本人は見ないですね、と話していた。

 今日コーヒー屋で待ち合わせをして話すこと2時間近く。シンシナティーの生活や、ご主人が狩り好きで剥製があることや、いろんな話題になり、とても楽しいおしゃべりとなった。5ヶ月になる赤ちゃんもかわいくて、梨奈もこんな時期があったのに、どこに行ってしまったんやろうと思った。



2002年10月17日(木) いつになることやら

 今度いつネジャーティと日本に一緒に行けるかわからないが、どのような滞在にしようかなと時々考えたりする。行く直前よりもこんなときの方がかえってアイデアが出て来たりするのだが、まだそこまでには至っていない。

 新幹線に乗って西日本を回るのもいいかなと思っている。母方が山口なので、山口の史跡を回ったり、ネジャーティは広島にも行ってみたいと言ってて、私も小学校以来行っていないので、そこも候補に入れて、隣の岡山は、というと、倉敷かなあと思ったり、と、いつ行くかもわからないのもあって、漠然とした考えしかない。

 日本国内では買えないのだが、国外でJRレイルパスというのを外国人対象に売っている。むか〜し、大学時代に2ヶ月下宿に住んでいた謎のイタリア人、マリオさんもこれを使ったことがあると言ってたし、最近日本に行ったJもこれを使ったらしい。
 海外にいる日本人でも条件が合えば(その国に永住権をもっている場合や、その国に10年以上居住している場合、日本国外に居住する外国人と結婚している場合)、買うことができるようだ(詳しくはここをクリック)。

 JRレイルパスは新幹線にも乗れるので、場合によってはお得かもしれない、、、なんて、いつ行くかわからないのに,,,。



2002年10月16日(水) いろいろなものが食べ物になるわけで、、、

 このところ寒さが続いていて、冬のようだ。こうなるとシチューやおでんといった食べ物が恋しくなる。

 ところで、よく行くジャングルジムズでは、いろんな肉があって、この前は牛タンも売ってた。他にどんな種類の牛肉が置いてあるか見なかったが、焼き肉屋で出される種類が揃ったりして、、、と思ったりする。相変わらずいろんな肉が置いてあって見ているだけでも楽しかった。

 日本は海に囲まれているから、やはり海の幸が豊富だし、いろんな海の生き物が食材になる。反対に内陸では陸のものが食材になる。日本人の私とトルコ人のネジャーティとは、食に対する考え方も違うわけで、もともと中央アジアから移民していったトルコ人は、牛はもとより羊、山羊といった動物の乳製品、肉には馴染みがあって、話を聞いて「ほお〜」っと思うことがある。

 牛肉は関西ではよく食べられていて、「肉」というと牛肉のことだし、カレーの肉はもちろん牛肉なのだが、そうはいっても明治時代以降に食べ始めたわけだから、長〜い日本の歴史の中では新しい。

 この前も小さい頃に飲んでたミルクの話をしていて「何のミルク?」と聞かれて、それが牛か羊か山羊かという種類を聞いていたことだったというのを書いたが、家で自分たちで飼ってて、ミルク、チーズ、ヨーグルトを作っていたとか、まるでハイジの物語に出てくるような話をしてくれる。中には残酷なというか、かわいそうな牛の話も聞くのだが、そんな話は酪農家でない私にとっては無縁だ。

 残酷に感じることと言えば(ここから先を読みたくない方、また明日お待ちしております)、
































 トルコや北アフリカでは羊の脳みそを食べるようで、うわぁ〜、と思ったが、かにみそを食べるのと同じかなと思ったり(おんなじちゃう、おんなじちゃう、、、、)、かにみそは好きじゃないけどロブスターのはおいしいよ、なんて言ってる自分の方が残酷だったりして。

 逆に、いけすに入ってる魚を目の前でおろしてもらってそれを食べる、というのがネジャーティには残酷らしい。特に刺身はそうやって食べた方がおいしいと思ってるし、日本では「そういうもの」としかとらえてないし、でもよく考えたらやっぱり残酷なのかなあ。水族館のお魚だって、種類によっては「おいしそう」だなんて思ったり、食べる対象としてしか見てなかったりして。

 いずれにしても生き物を食べて生きさせてもらっている人間たちでした。



2002年10月15日(火)

 今年は日本人のお二方がノーベル賞を受賞されることになって、しかもお一人が一企業で働いている会社員で、それだけで勇気づけられる気持ちだ。
 
 物理学賞を受賞される小柴名誉教授がいつも学生に語っておられたと言う、「ものにしたいという研究の卵を3つか4つ抱えておくように。運が回ってくれば、どれかが鳥になって飛び立つこともある」という言葉は、研究者にとって、とても実感できるものだ。大学時代の英語の先生も「手元にいくつかカードを持っておく」ことの大切さをおっしゃっていた。

 先日ある恩師から「研究は進んでいますか。」という内容のメールをいただいた。育児や家事で忙しくても研究する気持ちは忘れないでほしい、とあり、ここ何年か自分の中でもやもやしていた気持ちが晴れた気がした。今は研究から遠のいていて、研究に戻ることは現実からはるか彼方にあるが、どんな環境でも日々問題定義をし、試行錯誤し、自問自答しながら、自分の中で消化していく作業というのを忘れてはいけないと思うようになった。それが形になるのは先のことにしても、そういう温め作業をしていこうかなと思う。

 メールをいただいた後に、小柴名誉教授のそういう言葉を聞き、自分の中であれこれ考えている。



2002年10月14日(月) 〆て〇ドル也?

 今日はコロンブスデーだがネジャーティの大学は休みではないらしい。朝、ネジャーティが寝坊してバスに乗れなかったので、車で送っていくと、キャンパスは普段通りだった。

 ところで昨日、あるカジュアル衣料店に行って、梨奈の靴下を買った。ちょうど衣替えの季節だし、セールもしていたので、レジの前には行列ができていた。1列にはレジが手前と後ろとあるので、開いた方に行けばいいのだが、私たちの前の前にいた女性と子供は長い間レジにいた。多分5分ぐらいはいたと思うのだが、レジのカウンターの上は子供の服で山積みになっていた。大きい紙袋に15着ぐらい入れて、袋が最終的には3袋ぐらいできて、やっと会計が出たのだが、〆て655ドル!!!!!

 1着が15ドルぐらいとしても40着の計算だ。でも一度に655ドルの買い物なんて〜! 家賃でしかこんな金額を一度に払ったことがないぞ。

 そしてここはクレジットカード社会。10ドル程度のものでもカードを使うところだから、655ドルの買い物の支払いはクレジットカードが当たり前。

 すごいねえ、とネジャーティに話していたら、「共稼ぎだったら大丈夫だろう」。

 ちょっとびっくりした。



2002年10月13日(日) イエローラベル

 夕方ジャングルジムズに行った。ジャングルジムズは建て増しをしていて、店内もある場所は高い天井からビニールシートがかけられている。

 今日行ってみるとその一部が開いていて、お米もそこに一時的に移されていたが、どうやらアジア系のコーナーが少しずつ作られているらしい。アメリカでも日本の醤油会社が醤油を売っているが、どうやらそこも、コーナーに名前を入れることで少し資金提供しているのかなと思えた。それから、中国系の名前も入っていて、「誰かましな字を書くのがおらなんだんかい」と思えるような字で書かれていたが(漢字を知らないアメリカ人が書いた字じゃなかったが、もっとましな字が書けるやついてるやろ、と突っ込んでしまう、、、)、アジア的なデザインで飾られていたり、と工事も少しずつははかどっているらしい。

 たまたまインドのコーナーに行ったら、リプトンのイエローラベルがある!!と喜んでしまった。アメリカはイエローラベルを売ってないが、インドでは売ってるということのようで、今手持ちのものがなくなってもここで買ってしのげるなと思うと、なんてジャングルジムズはありがたいんだろうと思ってしまう。シンシナティーからどこかへ引っ越してもジャングルジムズだけは付いて来てくれないだろうか、、、と不可能なことを思ってしまった。

 やはりシンシナティーに来て何が楽しいかというと、ジャングルジムズに行って、アジア系野菜や高いけどある程度の日本食も買えたりすることで、ジャングルジムズ様々だ。



2002年10月12日(土) ダウンタウンへ

 天気もそんなに悪いというわけではないので、昼までゆっくりして、昼からダウンタウンへ。今日の目玉はバスに乗ること。玄関から見えるところにバス停があって、それに乗っていくというのが、いつも車で移動しているのと違うところだ。

 ニューハンプシャーではローカルバスに乗ったのは一度も無く、いつも車ばかりだった。そういうわけで、ローカルバスは久しぶりだった。

 1時間ほどかけてダウンタウンに行って、最初にインフォメーションセンターに行った後、シンシナティーで一番高いというCarewタワーの展望台に上り、その後、タワー内にあるフードコートで軽いものを食べたり、お店に寄って買い物した。

 ダウンタウンにも知らないところがあったし、楽しい1日だった。



2002年10月10日(木) 今日は何の日?

 先週友人からメールをもらうまで、この日が記念日だということをすっかり忘れていた。
 今朝ネジャーティをバス停まで送るときに「記念日おめでとう」と言ったら、「何の記念日だっけ、、、そうか結婚記念日だあ〜!! 今日食べに行く? でも帰りが遅くなっちゃうしなあ。」というので、今日はケーキを買ってお祝いしようと思っている、と言うと、喜んでいた。
 
 結婚した日は一日中雨が降っていて、次の年もこの日は天気が悪かった。去年は日記を見たら天気がわかるかなと思って見てみたら、天気のことは書いてなかった。今年も朝には雨が降っていた(夜から降っていたらしい)。日本だと体育の日で、だいたい秋空が晴れ渡る日なのだが、ここはそうではないらしい。

 昼にはほとんど降ってなくて、フランス洋菓子のお店に行ってみた。ケーキがおいしいと言う話を聞いたので行ってみると、丸いケーキは今日は3種類しかなくて、そのうちの1つ、アプリコットタルトを買った。お店の主人は若かったが英語に訛りがあったので、フランス人だと思った。

 ケーキを買った後に、下校中だった小学生たちがば〜っとやって来て、「このケーキはいくら?」とか店の主人は質問攻めに遭っていた。日本の小学生たちと同じようににぎやかで、こういう姿はどこの国でも変わらないんだろうなあ。

 ところで、ネジャーティは最終バスに乗り遅れてしまった。いつも乗って帰ってくるバスの時間を見計らって、バス停に行ったがいなかったので、最終のバスかなあと思っていたら、電話がかかってきた。小銭を持ち合わせていなかったらしい。家に帰って、25セントあったら帰られたんだけどなあというので、曰く、「朝、25セントいる?って言ったらいらないって言ってたけど、持っていったらよかったね。」

 食後、アプリコットタルトを食べた。やはりフランス洋菓子のお店のものはおいしい。梅酒で乾杯したが、一口しか飲まなかったのに、タルトを食べた後、ソファーに横になって、いつのまにか寝てしまった。



2002年10月09日(水) 土曜日の予定

 今日は曇っていて、気温も低めだった。午後にでも外出しようと思ったが、梨奈も私も眠ってしまって、結局行けなかった。
 ネジャーティが「週末にバスに乗ってダウンタウンに行かないか?」と言い出した。最近は行き帰りバスに乗ることが多く、梨奈もバスに乗ったら楽しいだろうということだった。

 時間は気にしなくていいので、アパートのすぐ前にあるバス停からダウンタウンに行ける。この前の土曜日にダウンタウン近辺を下見したときに、ネジャーティはあまりにもダウンタウンを回っていないことに気づいたらしい。私は一通り回ったし、ケンタッキー側も行ったのだが、引っ越して1ヶ月はニューハンプシャーにいたし、帰ってきた次の日には学校に行きだし、週末は買い物に明け暮れていたので、ネジャーティは市内を回るということをしたことがなかった。

 今度の土曜日に天気がよかったら、行ってみたいと思う。



2002年10月08日(火) 紅茶の季節

 最近は急に肌寒くなって、今日も最高気温が20度を切った。こういう寒い季節がくると、お茶や紅茶がおいしくなる。

 紅茶と言うと、ゴールデンウィーク中にニューハンプシャーに遊びに来た友人は、日本で買うと800円ぐらいするという某ブランドのLady Greyの紅茶を買っていったが、日本で買うと高くても、ここでは3ドルもしないで買えるので、それだけでなく、案外いろんな紅茶が楽しめるのかもしれない。

 ジャングルジムズでは紅茶コーナーがあって、イギリスの紅茶も売ってる。イギリスで作られて、茶会事件があったボストンハーバーのために紅茶を輸出しているが、その紅茶もあった。それがイギリスで作られているというのは、製造元を見るとわかるのは当然として、もう1つの手がかりとして、ボストンハーバーのハーバーがアメリカ英語では “harbor” となるのが、イギリス英語の “harbour” と書いてあることだ。
 ジャングルジムズで売ってあるのを見たので、ここでも買えるのかと安心している。

 この前の土曜日にネジャーティの指導教授のうちでBBQがあったとき、たまたま留学生と紅茶の話をしたのだが、原産地が中国というのも知られているようで(製法の違いで紅茶やお茶になる)、中国語の「茶(チャ)」は日本でも「お茶」だし、インドやトルコ、アフリカのケニアでも「チャイ」というようだし、英語の「ティー」のように、スリランカでは「テイ」というようだ。ケニアでは紅茶にミルクを入れる習慣があるようで、ミルクティーと言えば日本でも馴染みがあるが、アメリカでは意外にもミルクティーを飲む習慣がないので、ニューハンプシャー時代やここのネジャーティの研究室にいるケニア人はミルクティーを飲んでアメリカ人に驚かれたそうだ。

 自分は紅茶フリークでもないのだが、もらい物も含めていくつか種類がある。個人的に好きなリプトンのイエローラベルはアメリカでは売ってないので、あのイエローラベルは貴重だ。そんなことはいいねんけど、いくつかの種類の中で、きっと紅茶フリークでも持っていないだろうと思うものがある。それはトルコチャイの葉だ。

 去年も書いたかもしれへんけど、もう一度書いてみると、トルコチャイは大小の2つのポット(やかん)で作る。大きいポットにお水を入れて、ふたをせずにその上に小さいポットを重ね、小さいポットには紅茶の葉を入れる。お湯が沸くにつれ、葉っぱは少し蒸した状態になる。そして、沸いたお湯を小さいポットに移す。そして、そのポットで小さいチャイグラスに注ぐのだが、紅茶の濃さを残っているお湯で調節できる。明度があるものがいいようだ。

 フレーバーがついた紅茶はあまり好きではないが、気分によって種類を変えて飲んでいる。



2002年10月07日(月) 公園の像は、、、

 昨日回ったエデンパークという公園は見晴台のほかに子供の遊び場もあって、ネジャーティは教授たちと一緒に見晴台にいて、私は梨奈について遊び場にいた。梨奈がなかなか遊び場から離れなくて、「行くよ〜」というと、私を押して「バイバイ」と言うぐらいだった。

 やっと遊び場を後にすると、ネジャーティ達は公園内の池を歩いていた。池のそばに像があって、何かなと思っていると、ネジャーティが日本のものだよ、と言ってきた。像の近くにある銅版を見ると、シンシナティーは岐阜と姉妹都市を提携していて、像は岐阜から贈られたものだとあった。

 その像というのはおじいさんが竹かごを腰にかけ、鵜飼いをしている姿で、おじいさんの顔を見ると、今にもふっとこちらを見て話し掛けそうだった。

 今度写真に撮って来ます。



2002年10月06日(日) 来客

 お昼過ぎにはトルコ人教授一行がシンシナティーに着くかもしれないし、その後、少し休憩を挟んでもシンシナティーの町を回ることになっていて、時間がないかので、午前中から夕食の支度を始めた。
 品数も少し多くしたこともあったが、大人数の料理を作るのは思ったより大変で、大家族の料理を毎日作っている女性には頭が下がる。

 トルコ人教授一行というのはご主人のアリフ、奥さんのペリハン、ペリハンの下で研究しているヌギュルという女性の3人で、一行は(なんか、水戸黄門のナレーションみたい、、、)、昨日はオハイオの州都のコロンバスで、ネジャーティの友人のオカンの家族に会う予定になっていた。そして、どこかで泊まることになっているので、オカンに電話をして、教授がいつコロンバスを発ったか聞いてみた。もちろんネジャーティが電話するのだが、電話すると、オカンの息子が出て、オカンと奥さんと、教授のホテルに行っている、ということだった。だから、まだコロンバスにいるか、出たばっかりだから、シンシナティーに着くのは3時ぐらいかなと思っていた。

 3時ぐらいに教授から電話がかかってきて、まだシンシナティーまで60マイルあるから、ということだった。この分だと、着くのは4時ぐらいで、予定していたところを全部回るのは無理そうだ。

 4時過ぎに無事に教授一行が到着した。30分ぐらい休憩した後、車2台で大学のキャンパスを通って、ケンタッキー側とダウンタウンが一望できるところにいくつか行った。そしてダウンタウンを走った後、うちに帰った。ネジャーティは教授の車に、ヌギュルは私の車に乗っていろいろ話した。ヌギュルはヨーロッパ系のようだが、日本にもいてそうな顔だ。トルコ人はラテン系に近いのもあるが、ヌギュルは色で例えると水色で、すっとそよ風が吹くような爽やかさを持っている。トルコ人全部が全部そうじゃないが、爽やかさを持っている人が割といる。

 ヌギュルは9ヶ月間、教授が客員教授としてきているバージニア大学で研究のために来ていて、11月にはトルコに戻るらしい。それで、オカンと同じくペリハンが指導教授なので、バージニアに来ているのだが、今回、オハイオにも同行することになったようだ。

 アリフがバージニアからずっと運転してきたそうだが、やはり長距離なので、運転してもしなくても疲れる距離だ。お昼も簡単だったそうで、2人でおなかすいたねえ、とシンシナティーめぐりも楽しんだが、夕食が待ち遠しかった。ダウンタウンからも家まで30分ぐらいかかるから、寝てていいよ、と言っていたので、少し寝ていた。

 家に帰って、夕食を並べて、やっと夕食にありついた。日本食レストランでは出ないメニューだね、と喜んでくれた。和食はしょうゆ味ベースなので、トマトベースの料理を食べているトルコの人の口に合うかどうかわからなかったが、ネジャーティは「違うもの」としてよかったんじゃないの、と言ってくれた。後で聞くと、写真を撮りたかったが、カメラを車の中に置いてきたので撮れなかったということだった(そんな大したもの作ってません、、、)。和食は小皿を出すからそれが珍しかったみたいで、、、。

 ネジャーティにレンコンは「ハスの根 (lotus root)」だと説明したのだが、ハスを英語で知らなくて、意味を知らないままでいた。アリフからトルコ語で説明されたやっとわかったらしく、「その花の名前が女の子の名前になってるんだよ」と言っていた。

 アリフはトルコの大学の総長になったり、学部長になったり、トルコの政府やヨーロッパ連合(EU)、世界銀行などの機関が関係しているプロジェクトのメンバーに入っていたりと、本当はすごい人らしいのだが、とても気さくで、そういうことを全然感じさせない。また、日本には行ったことがないものの、日本のこともよく知っていて、会話も楽しんだ。

 キャンパス内の学校が提携しているホテルに今日は泊まるので、私が教授をホテルに送っていった。高速道路には電気がついていて(田舎では真っ暗です)、やっぱり街中だなあと思い、走り心地がよかった。梨奈は市内めぐりからずっと寝ていて、ネジャーティに見てもらうことになって、1時間ほど自分の時間を楽しんだ。帰ってからも梨奈は寝ていた。

 今日も楽しかったが疲れた。



2002年10月05日(土) BBQ

 昼ぐらいに大学で事務机とかセールをするということで行ってみた。キャビネットはすでに売却済みのシールが貼ってあって、ちょっと遅かったかなと言う感じ。他にはコンピューターのキーボードとか(マッキントッシュのが多かったけど)、コードとか、図書館の返却ボックスとか、誰が買うねん、というガラクタ物とか、とにかく売れる、売れないはともかく、要らないものを出してるという感じだだった。

 ネジャーティは買わないにしても、いろんなものを手にしては、念入りに見ている。時間の無駄や、、、と思う私。

 何も買わずに大学を後にして、明日教授たちを案内する場所の下見に出かけた。ネジャーティには、この通りを行って、とか言って説明してもややこしいだけだから、ここを右、とかここを左とか言った方がわかりやすいのかなと思っていたら、そうじゃなくて、どこら辺を走っているのかというアイデアがほしいらしい。それを言うたら、ややこしいってこの前言うてたやろ! どっちやねん、と腹が立ってこないわけでもない。どうせ、明日は私が運転するねんから、と思いつつ、走ったことがないところをどっちやと言われてもねぇ。間違ったところを自分で走ってたら、こっちへ行ってみようかなとかなるけど、誰かに走ってもらうと、「こっち行ってみて」とか言いにくいこともあって、余計変なところを走ったりして悪循環になってしまう。やはりナビゲーターは難しい、、、。

 とりあえず、全部回ってみた。

 3時からネジャーティの直接の教授の家でBBQがあるので、そちらに行く。夫婦2人で住むには大きい家だけど、と教授は言うが、いいお家だ。

 裏庭で教授がBBQの肉を焼いている間、おしゃべりしたり、野球をしたり、バドミントンしたり(結構体力を使う)、子供は子供で遊んだりした。別に用意された野菜などと食べて、BBQを楽しんだ後、たまたまネジャーティと教授の奥さんと、奥さんのお父さんと話をした。お父さんが戦前か戦後直後かに日本に行ったことがあるらしく、和歌山では、私と同世代の女の子に英和辞書をあげて、お返しに日本の人形をもらったらしい。だから、お父さんはその女の子と同世代の私とダブルらしい。そして、の人形を2階に飾ってるから、と奥さんが見せてくれた。

 ちょっと昔風の人形で、奥さんによると、全部絹でできているらしい。保管しているケースも60年代に買ったものだから、もちろん人形はそれ以前のものなのだが、いつ頃作られたものなのかアイデアがほしいと言われた。40年代は確かなのだが、それ以前にしては、ちゃんと持ってるし、人形が着ている着物の柄がちょっと古いものだし、民芸品にしても、昔風の民芸品で、今だったら、もうちょっと洗練されたものだろうし、やっぱり40年代ぐらいだろうとしかいいようがなかった。帰ってからインターネットで何か調べてみようかな。

 今日もへとへとだ。



2002年10月04日(金) 今週も早かった

 今日はネジャーティに早く帰ってきてね、と頼んだし、日曜日の準備をするはずだったが、雨がずっと降っていて、気圧が下がっているのか、午後は眠たくて仕様がなかった。

 夕方にやっと起きて、部屋を片付けたりして、ネジャーティをバス停に迎えに行ったが、来るはずのバスが来ない。バス停でずっと待っている人もいた。バスがなかなか来ないので、近くのコインランドリーに行って、洗濯機をかけてきた。バス停に戻ったら、バス停で待ってた人はすでにいなかったので、バスが来たんだなと思ったが、そうすると、ネジャーティもついているかもしれないと思い、車を走らせた。結局見つけられずに家に帰って、すぐにネジャーティが帰ってきた。もうちょっとバスを待っていたらよかったかな。

 時間があまりなかったが、日曜日のための買い物もしたし、よかった。



2002年10月03日(木) 週末の予定(って報告かい)

 気が付けば、明日は金曜日だ。

 今週の週末は、土曜日の午後にネジャーティのスーパーバイザーの家でBBQがあって、日曜日にはネジャーティの大学時代の友人と指導教授に晩ご飯にお呼びしている。

 指導教授は女性で、電話で何回か話したこともあるし、ニューハンプシャーにも来られたので、ネジャーティの前の指導教授と食事をしたことがある。

 ご主人も指導教授もトルコからバージニアに来て、大学で客員教授をしていて、子供さん2人もそこで勉強しているというから、一家揃って同じ大学にいる。

 そして、ネジャーティの友人もバージニアの同じ大学に最近来たばっかりだそうで、指導教授の夫婦とその友人が、今回バージニアから、オハイオのコロンバスにいる、同じ指導教授の下で研究していたオカンを訪ね、その後、ここシンシナティーも立ち寄られることになった。ネジャーティの研究室ももちろん訪ねるので、研究室の教授がすでにホテルを手配して、ネジャーティの友人は私たちのところに泊まることになった。

 先週友人が訪ねてきたときに、やっぱり和食でおもてなしかなと思って、いり鶏を作って、まあまあよかったので、今回もそれを作ろうかなと思っている。ネジャーティにはこんにゃくが不評だったので、今回はこんにゃくは入れないつもりだ。友人に、「レンコンを自分で皮を剥いて切ったのって初めてのような気がする」と言うと、友人はすでに切ってある冷凍の野菜を使ってるらしい。そういえば、ジャングルジムズに和食用の冷凍野菜があるのをちらっと見たから、そういうのも使ってもいいなあと思った。

 ほとんど和食でのおもてなしになるが、締めくくりはトルコチャイになりそうだ。

 土曜日は時間がないから、明日は部屋を掃除したり、ジャングルジムズへ買い物に行ったりと忙しくなりそうだ。



2002年10月02日(水) バス(2)

 今日もネジャーティは行き帰りバスだった。

 秋分の日を過ぎたからか、日暮れがだんだん早く感じる。バスが着くころかすでに着いたころだろうからとバス停に向かった。

 しかし、時間的にはバスはすでに来たような感じだし、でもネジャーティを見かけなかったし、とアパートに戻った。ネジャーティは戻っていなかった。

 そして、9時過ぎにネジャーティから電話がかかった。どうやらバスの路線を間違えたらしい。

 バスはダウンタウンにターミナルがあって、どのバスもダウンタウンが発着である。ネジャーティが乗るバスは78番で、ダウンタウン行きはいいのだが、ダウンタウンからのバスは途中で分かれる。そして、行き先が3つぐらいあるのだが、全部78番だ。ネジャーティは番号だけを見て、行き先を見ずに乗ったらしい。

 ネジャーティに現在地と通りの名前を教えてもらった。何回か通ったことがあるところだったので、ネジャーティがどこにいるのか見当がついた。

 帰ってきてよほど疲れたらしく、食事もせずに寝てしまった。



2002年10月01日(火) バス

 ネジャーティがバスを使い始めるようになった。

 アパートから1分もかからないところにバス停があるが、それに乗って途中で乗り換えて学校に行くと、学校には少し遅く着いてしまう。遅くない程度に学校に着こうとすると、違う通りを通っているバス停から乗らないといけない。

 朝寝坊をするとバスでは遅くなってしまうので、そのときは学校まで送っていくが、バスで間に合うときはそこまで送っていく。

 今日も帰りはバスのはずだが、なかなか帰ってこない。昨日はバス停から「迎えに来て」コールがあったが、今日はかかってこないので心配になった。すると、ドアが開いてネジャーティが入ってきた。どうもバス停から歩いて帰ったらしい。バス停からは歩いて15分から20分というので、最近運動不足で体重も少し増えたから、歩いてもいいんじゃない、と私。


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