オクラホマ・スティルウォーターから

2002年09月30日(月) ミナミ

 大阪のミナミにある解体中の中座が今月9日に焼けて、近くの法善寺横丁にも被害が及んだというニュースには驚いた。

 関西以外の方には中座や法善寺横丁がどこかというのはわかりにくいと思うが、大阪といってよくテレビに映る、カニが動いたり、大きいふぐが吊ってあるにぎやかな通りのど真ん中に中座があって、そのちょっと裏手にあるのが法善寺横丁だ。



 法善寺横丁を通ったことがあるのは1回だけだ。フロリダ時代の仲間のM君が大阪勤務になって、私が里帰りした冬に、大阪のミナミを案内して、法善寺横丁も歩いた。
 名前はとても知られているのだが、どこにあるのか案外知らなくて、こんなところにあったのかとわかった。夫婦善哉のお店もここかぁ、と思いながら、小雨の降る中、石畳の横丁を歩いた。
 それが97年の年末か年が明けてからのことで、その時は中座もまだやっていた頃だった。

 法善寺横丁というと、私の年代で楽しむにはちょっと若すぎるという、もうちょっと年を重ねないとよさがわからないところなのだが、それでも横丁の町並みというのは、大阪で数少ない、昔の風情が残っているところだ。

 大阪というと派手なイメージばかりが先行しているが、大阪市内の、キタ(大阪駅周辺)とミナミ(難波周辺)に挟まれた碁盤の目の町並みというのは本当はもうちょっと静けさをもっていたものだという気がする。その碁盤の目の真ん中で生まれ育って肌で知っている父から戦前の大阪の話を聞いたり、昔の映像を見たりしていくらかの知識を持って、実際に町を歩いて静けさを実感する。

 法善寺横丁には多くの関西の芸人に思い入れがあって、復興にも支援を呼びかけている。復興には建物の規制などの問題があるが、市のほうもそれを何とかしようとしている。

 町の開発もいいが、人々はやはり昔ながらの風情を残す場所を求めているんだと思う



2002年09月29日(日) またの再会を楽しみに

 今日もいつも起きるぐらいの時間に起きて、コーヒーを作ったりして時間があったので、メールをチェックしようと思ってインターネットをつないだら、ぴろさんとチャットがつながり、楽しくチャットをした。

 その後、友人も起きてきたので、友人が焼いてきてくれたパンや、卵、果物を食べた。

 ネジャーティは相変わらず遅く、起きてきたのはお昼。私たちも遅めだったので、ネジャーティ共々ブランチになった。

 あんまりゆっくりもできないのだが、2時ごろここを出て、ジャングルジムズに行った。ここはちょっと面白いところで、いろんな国のワイン、チーズ、肉、食料品がある。肉には冷凍でカンガルーやワニ、だちょう、アヒル(カモ?)の肉があるのも知っていたが、神戸牛、がらがらへび、カメもあり、ひえ〜状態だった。

 日本食もそれなりにあって、友人も「こんなにあったら困らないね」というほどだ。冷凍の納豆もあって、中年の白人のアメリカ人夫婦が買っていくのを見て「私でさえ食べないのに(典型的な関西人、、、)」と驚いたことがある。

 ジャングルジムズでとりあえずお別れし、高速まで一緒に行って、私たちは次の出口で降りた。友人は一番端に行って走って行ったから、この分だとデトロイトまであまりかからないかも、と思っていたら、4時間半で着いたらしい。普通は5時間かかるから、早〜い!

 来週末は、ネジャーティのトルコでの指導教授と友人が泊りがけで来ることが決まっていて、千客万来だ。



2002年09月28日(土) シンシナティーめぐり

 起きたらいつもより明るかった。9時半ぐらいに一人で起きて、朝食の用意をした。友人が焼いてきてくれたパンがあるので、楽しみ。

 そのうち友人も起きてきて、梨奈はまだ寝ているが、ネジャーティも起きてくる気配がないので、先に朝食を済ませた。やはりずっと話し込んでいたら、ネジャーティがそのうち起きてきた。
 時計を見たら12時になっていた。

 ネジャーティは今日は学校に行って、私たちはダウンタウンを通って、川を渡ってケンタッキーに入ってすぐのところにある水族館に行く予定を立てていた。

 水族館も含めて、ニューポートという、神戸で言うとハーバーランドをだいぶ小さくしたものがある。小さいのに、水族館がどこか一目でわからない。

 水族館に入って、最初は梨奈も楽しんでいたが、途中から一向に魚には興味を示さず、ひたすら歩いて出ようとしている。水族館の途中には休憩するところもあって、何か食べたいような様子だったが、何か飲みたいというので、飲み物を買った。

 そこを過ぎると、通路がガラスのトンネルのようになっていて、エイやサメが泳いでいたりして、一番のメインになっていたが、そこもあまり興味を示さず、トンネルを出たところにあるベンチに座ってぐずっている。ちょっと眠たいようで、立とうとすると引き止める。

 何とか歩いていくと、ペンギンのコーナーがあった。そこはガラス張りで、水の中も泳いでいる姿が見える。その前に座れるところがあって、人が座ってみている。ペンギンの中には、すごいスピードで泳いで、いるかのように、水の上に出てジャンプして水中に入ったりと、観客の喝采を浴びている。ガラス張りなので聞こえないはずだが、様子が伝わってくるのか、またパフォーマンスを何度か見せた。

 出口を出て、梨奈が何か食べたいとぐずりだし、ピザの店に入った。一切れ食べて機嫌がよくなって、川沿いに歩き始めて、また戻ってきたりとだいぶ歩いた。

 そこから同じケンタッキー側にあるドイツ村を回った。時計台があったり、お店があったりしたが、そんなにすごいというものでもなかった。

 そんなわけで、シンシナティーめぐりは終わったが、夜はこれから。夕食は昨日の残りにちょっと付け加えたが、そういえば、アルコール類は昨日の分しか買ってなかった(ドジ)。普段飲まないから、気が利かない。その代わり、トルコチャイ(トルコの紅茶)をネジャーティが作ったので、喜んでくれた(と思う)。

 夕食後はお喋り全開。梨奈が寝た後ビデオも見たが、3時半ぐらいまでしゃべり続けた。



2002年09月27日(金) 再会

 昨日の夜、デトロイトにいる友人と電話で話した。「おととい、昨日と天気がよかったのに、今日は一日中雨がしとしと降っているの」と言ったら、「アラバマとかルイジアナにハリケーンがきてたのよ」と教えてくれた。梨奈にビデオを占領されているので、何がおきているかさっぱりわかっていなかった。ハリケーンは熱帯低気圧に変わったものの、そのまま北上しているようで、この辺もその影響を受けているということだ。

 夜通し雨が降ったが、普段雨が降っていないので、草木にはちょうどいいかもしれない。

 今日からあさってまでその友人が遊びに来てくれることになって、予定よりも早く着いた。途中、雨も降っていなかったようで、4時間かからなかったそうだ。

 夕食を用意して、乾杯しようと思ったら、ネジャーティが先に食べてる、、、。こういう時は先に乾杯するねんから、勝手に食べ始めるんとちゃうの! 

 7年+〇年?ぶりの再会に乾杯した。

 夜遅くまでしゃべりこんだのはいうまでもない、、、。



2002年09月26日(木) 新札

 お札が変わるというのを少し前に聞いたが、この前、千円札も五千円札も変わったばかりなのにと思ったら、もう20年ほど前になるという。今のお札の方を使っている年月の方が自分の中でも長いのに、物心ついたときに使っていた聖徳太子と伊藤博文の印象が強くて、お札のデザインが変わるというだけでも自分の中では大事件だった。そして新しいお札でやっと慣れたのに、という気持ちが大きい。500円玉にも慣れたが、500円札を使ったことがある人間にとっては、500円玉というのも歴史が新しく感じる。

 お札が今のに変わったときには、お札が寸胴になったなあと思った。伊藤博文の千円札はもう少し細長いものだった。色で言えば、500円札がちょっと濃い青だったから、カラフルになったなあとは思わなかったが、新しいお札が回りだしたときには古いものも流通していたので、ごっちゃになっていたのを思い出す。

 今度の色やデザインはどんなものなんだろう?



2002年09月25日(水) 夕焼け

 最近夕焼けがとてもきれいだ。西の空がオレンジに染まり、だんだん赤くなっていく。夕日もきれいで、高さの関係からか、とても大きく見えることがある。毎日というわけではないのだが、あんな大きな夕日は見たことがない。
 
 今週に入って朝晩寒くなったのもあって、日が沈むころには肌寒いのだが、澄んでいる青空に雲がかかって、それが夕暮れの時にはオレンジになり、だんだん赤に変わる。晩ご飯前に外に出たらとてもきれいだったので眺めていた。



2002年09月24日(火) 秋だ〜!

 朝晩めっきり寒くなった。来週は10月に入るし、そろそろ衣替えの季節かも。そして、来週末は夏時間が終わるから、日暮が早く感じられるだろう(晩の7時が6時と1時間早くなります)。

 今日は日中は25度ぐらいまで上がったが、夜になると20度を切って、窓を閉めないと寒かった。こんな寒いときにはやっぱり日本茶でしょう、と久しぶりに日本茶を飲んだ。お茶や紅茶の方が体が温まるような気がする。

 今日は何となく体がだるいので早く寝た。梨奈も一緒に寝ようとしていたが眠れなかったようで、下にいるネジャーティのところに行きたいと言い出し、一人で下に下りていった。



2002年09月23日(月) 観光名所探し

 午後はソファーで梨奈と3時間近く寝ていて、ネジャーティを迎えに行く時間をずらした。ソファーで寝ると気持ちいいなあ。

 今週友人が訪ねてくる予定で、シンシナティーで回れるところを探している。

 友人は私よりアメリカに長く住んでいて、アメリカのことは私より知っているし、見て回る所は日本からの来客と違ってシンシナティーしかない所とか、シンシナティーらしい所と限られてくる。どこがいいかなあと思案しているが、中心街には行くとして、その他に、梨奈が「おさかな」が好きなので、川を挟んでケンタッキー側にある水族館に行こうかと考えている。

 それからケンタッキー側にはドイツ村みたいなところがあるみたいで、そこを回るのもいいかな、でも友人が住んでいるところもドイツ系いっぱいいるしなあというので、その辺は友人が来てから決めようと思っている。

 その他には、近所の森林公園か、まだ行ったことがない他の森林公園かなあと思っているが、そんなに回る時間あるかなあと思ったり、お互い話すと止まらないので、どこかに行くより家でおしゃべりしてるかなと思ったりしている。

 シンシナティーをいろいろ調べていたら、シンシナティーの名前がローマ時代の貴族のキンキナティスから来ているとか、野球発祥の地だとか、知らなかったことがあった。

 シンシナティーにもシンシナティーレッズという野球チームがあるから、もしシーズン中に父が日本から来たら、見に行きたいだろうなあと思う。



2002年09月22日(日) ゆっくりした

 昨日は洗濯機を探し回ったが収穫はなく、あっという間に時間が過ぎた。ニューハンプシャーを出るときに洗濯機と乾燥機を売りに出している人がいたが、そのときに買っておけばよかったと後悔。レンタル家具屋でのテーブル探しもできなかったので、今週行ってみようっと(今日は休み)。

 昨日はいつも梨奈に占領されているビデオで友人が録画してくれたテープを夜遅くまで見ていたので、今朝は久しぶりにゆっくりして、ネジャーティも梨奈も昼までに寝ていた。

 ソファカバー(というよりソファー掛け?)を買ったので、自分で作る必要がなくなった。ソファーについている背もたれクッションのカバーはやはり必要なので、自分で作るか枕カバーで代用するかにしようと思っている。



2002年09月21日(土) 洗濯機探し

 洗濯機と乾燥機を相変わらず探している。店舗で新しいのを買えばそれでおしまいなのだが、新聞のコーナーで売っている人を探している。
 昨日買ってきた新聞に売っている人を2人見つけて電話したが、1人はすでに売ってしまって、もう1人は留守電になっていたのでメッセージを残しておいた。

 新聞に載っているほかのところにも電話したら、そこは店舗で、中古を売っているということだった。そこにも言ってきたのだが、電話で話したときに言ってた、2、3年前のものというよりも少し古そうだった。

 買い物してくたくたになって帰ってきたら留守電が入っていて、洗濯機があるかどうか聞いたところだったが、そこもすでに売れていたらしい。そこはここから割と近いところだったので、ちょっと惜しかった。

 ネジャーティ曰く「情報集めをしっかりしながら、それでも焦って買わない方がいい。」

 確かにそうなんだけど、週末には友人も来るし、それまでに何とかしたいなあという気持ちだ。


夜にはまた昨日の続きで、組み立てていないベッドフレームを組み立てて、ベッドメーキングをした。とても雰囲気がよくなったので、ネジャーティも喜んでいた。やっぱりそうなると、自分たちのも新しいのがほしいなあと思ってしまう。

今日は中秋の名月。見たときにはだいぶ上に上がっていたが、雲がなかったので、夜が明るかった。



2002年09月20日(金) 部屋らしくなった

 昨日運んだソファーを掃除したりしたが、昨日の疲れが残っていたのと、雨も降ってきて気圧が下がっているのか、梨奈も私も午後はか〜っと寝てしまった。

 夜にはベッドのフレームを組み立てて、1つベッドが完成。部屋の配置を変えて、1つ本棚を私たちの部屋に持ってきたり、机も動かしたりした。私たちの部屋にはベッドしかなかったのだが、本棚を一つ置くことで、雰囲気も少し変わり、前よりは部屋らしくなった。



2002年09月19日(木) 決戦日当日

 インターネットでトラックの予約をして、夕方取りに行った。借りようと思っていたトラックのサイズはなかったので、同じ値段でもう1サイズ大きいトラックを借りた。オハイオに引っ越してきたときに借りたトラックと同じ大きさだ。
 座席が続きになっているので、カーシートを置いて梨奈も同じ向きで座れるので、梨奈も喜んでいる。

 家具屋が先に閉まるので、家具屋に行って、そのときにあの9ドルのテーブルがあるか見てみたが、すでに売れた後らしい。やっぱり9ドルだったら売れるわなぁ。こういうときに、母の、

 「いいなあ思うたもんはすぐ買うとくねん」

という言葉がよみがえったが、時すでに遅し。ネジャーティ曰く、「またどこかであるやろ(なんで関西弁になってるねん、、)」。

 ベッドのお店に行ってベッド用品をトラックに積んでいるときに、雨が少し降り出した。雲行きが怪しくなっていたから、心配していたが、何とか積んだ。

 家に着いて、小雨だったので、運べるものだけ運んだ。すべて運び出したときには、ネジャーティも疲れていて、1人用のいすに腰掛けてくつろいでいる。梨奈もソファーに早速横になっている。

 ソファーの柄はいいのだが、買うときに外で見たときよりも古く感じるので、取り外しのできるカバーは洗ってみるが、カバーとクッションカバーをつけることにした。色は決めてないが、カバーをつけるとまた違った雰囲気になって面白いかも。



2002年09月18日(水) 決戦日前日

 土曜日に買った家具を明日取りに行くことにした。1週間置いていてくれるということだったから土曜日でもいいんじゃないの、とネジャーティに言うと、金曜日を含めて週末はトラックのレンタル料が高くなるからだ、という言う。インターネットで調べてみると、平日より10ドル高くなっている。

 昨日からネジャーティは忙しくなったみたいで、月曜日か火曜日に行っておけばよかったなあと後悔しているようだ。

 それはよしとして、家具の他にも、別の店でベッドのスプリングボックスやフレームなども買うことにしている。

 月曜日にレンタル家具屋に行ったときには、買ったダイニングセットに売却済みのシールが貼られてうきうきしていたが、その他にリビングに置く広いテーブルがなんと9ドルで売られていたのを見て、買いたいなあと思っていた。表面がだいぶ古くなっているが、ペンキか何かで塗ればいいかな、でもかえって高くなったりしてと思いながら見ていた。

 実際にどういうふうにできるかをインターネットで調べたりした。明日行ったときにそのテーブルがあればいいけどなあ。



2002年09月17日(火) 日朝首脳会談

 朝、アパートの芝生に渡り鳥の雁が来ているのが見えた。ネジャーティを送って帰ってきてからもいたので、食パンをやることにした。

 雁は人に馴れているのか、すぐ近くによってきて、パンを待っている。梨奈は最初怖がって私の後ろに隠れていたが、そのうちパンをちぎってやったり、直接雁にやったりしている。

 パンが無くなって家に帰ろうと歩いていたら、雁が歩いて追いかけてくる。飛んで追いかけてこないのがましだったが、「来てる、来てる〜!」とキャーキャー言いながら、家に帰った。

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 ところで、テレビも新聞も無いので、日本のことを知るのにインターネットが頼りだ。

 日朝首脳会談がどうなったかとても気になったので、インターネットでニュースを読んだ。今までの強硬路線とは違って、すんなり拉致の問題も認めたが、拉致された人の多くが亡くなっていたというのにはショックとしか言いようが無かった。

 おそらく多くの日本人は拉致された人は生きているという前提でしか考えていなかっただろうし、私もまさか亡くなっているなんて思いもしなかった。ご家族のことを思うと、胸がつぶれる思いになり、読む記事、読む記事、涙を誘う。

 北朝鮮も、国際社会からはもちろん、国内の経済がだいぶ追い込まれたんだろうと推測できる。国内の経済では財政の4分の1が軍事に使われていると聞いたことがある。人々の、その日その日の食事より、強国であることを国際社会に見せつける面子の方が大事なのだろうか。

 中国に逃げた子供たちのドキュメンタリーで、自分の国を思い出して歌った歌に「〜の父」とあって、子供が「何が〜の父だ。自分たちに何をしてくれたんだ」とつぶやいていたのを思い出す。子供は正直だ。
         
 食を減らしても、国のためなんだと我慢している人々。戦時中の日本人の姿と重なる。

 戦時中、ラジオと新聞が情報源だったが、今の北朝鮮はそれにテレビが加わっただけなのだろう。インターネットで世界がつながっているなんてことを知ったら、人々は驚嘆するだろう。

 拉致されて亡くなったとされている方々が本当に亡くなっているのかと信じがたく、安否の確認が間違いであってほしいと思うばかりだ。そして拉致された方が本当に一日も早く日本に帰れるよう祈りたい。



2002年09月16日(月) 植物生長中

 今日は久しぶりに1日家にいた。ホームセンターで買ってきた、いろんな種類のチューリップの球根をいくつかネジャーティが裏庭に植えたり、その他、土いじりをしている。私も裏庭に出て、以前植えたものなど見てみたら、10センチほどのトマトの苗が、梨奈ぐらいの背丈にまでなっていた。ネジャーティが、トマトは花から身がなるよ、と言っていたので、よく見るとトマトがなり始めていた。ちなみにこのトマトの苗はプチトマトなのか、普通のトマトなのか知らない。

 白い小さな花が咲いている鉢植えにも、何か2種類ぐらい生えてきているし、つたはどんどん伸びてるし、植えている部分は限られているのだが、見るのが楽しい。

 玄関のところにもパンジーを植えたが、日光が強すぎるのか、すぐに土が乾燥してしなびてしまう。でも日本では見ない花だが、ネジャーティがニューハンプシャーから戻ってくる直前に買った花がずっと咲いている。一つの茎から7つか8つぐらい花が咲いている。町の道路沿いにも植えてあってずっと咲いているので、夏に強い花なんだろう。

 今度は玄関のところにチューリップを植えて、来年の春を楽しみにしよう。



2002年09月15日(日) ネジャーティの苗字

 昨日ネジャーティがインターネットで何かを検索していて、よく見ると、ネジャーティの苗字と笛の写真が出てきた。

 以前にも聞いたことがあったが、苗字のKavalというのはトルコ語で縦笛と言う意味らしい。縦笛といっても、音楽の授業で使う短いものじゃなくて、もう少し長いもの。ネジャーティの名前を日本的に言うと「縦笛さん」なのである。

 ニューハンプシャーの大学にネジャーティがいたころ、インド系アメリカ人の先生がいて、その先生に「Kavalって笛?」といわれたそうで、インドでもKavalは笛の意味だそうだ。

 何でできてるのと聞くと、竹とかアシとか、と言うし、写真を見ると日本の尺八に似てるなあと思って、私も尺八のサイトを探してネジャーティに見せてみた。

「似てるね、日本語でもKavalっていうの?」

 残念ながらそうではありません。尺八は一尺八寸の略称だし、Kavalという名前は日本まで伝わってきませんでした。

 そして、尺八の起源を見ると、起源は中央アジアで竹やアシを使って作られた縦笛と言われていて、形を変えながらインド、中国、日本と渡ったらしい。トルコ人はもともと中央アジアから移住していった民族だから、トルコ民族の楽器というのもうなずける。

 「何でKavalっていう苗字がついたんだろうね」と聞いたが本人も知らないらしい。トルコが約70年前に共和国になったときに、苗字をつけることになったらしい。それまでは身分に限らず持っていなかったそうだ。初めにKavalとつけたネジャーティの先祖が笛を吹くのがうまかったか、笛作りをしていたかわからないけど、なんでつけたのかなあと不思議だ。誰か知っている人はいないのかなあと思ってしまう。



2002年09月14日(土) 2つの買い物

 昨日、今日と新聞を買っている。地元の新聞を買うのなんて、久しぶりだ。ニューハンプシャーにいるときは地元の新聞なんて読んでなかった。テレビのニュースで十分といった感じだった。

 新聞を買った理由というのは読むためじゃなくて、「売ります、買います」のコーナーを見たいためだ。洗濯機と乾燥機の欄に載っている電話番号をあたってみたが、洗濯機は売れたけど乾燥機だけ残っていると言われ、やっぱり買うなら一緒に買いたいと思って買わなかった。他の人にもかけたがつながらなかった。

 昨日の夕方スーパーに行ったときにガレージセールの張り紙があって、そこに行ってみた。そこの家に着くと、何と立派な家だこと、と思いながらガレージセールをしている様子がなかった。ネジャーティが車から降りて裏庭の方に行くと、何かあったらしいが、目ぼしいものはなかったみたいだ。こういうのは、やはり朝早く行かないと、いいのがなくなってしまう。

 バーガーキングに寄って休憩をして、新聞の広告欄に印をつけていった。ペンを持っていなかったが、梨奈が小さい紙袋にクーピーペンシルを入れて持っていた。何かと梨奈に助けてもらうことがある。

 次に行こうと決めたのは、Lawnviewという通りで、アパートから車で5分か10分ぐらいのところだ。その通りは曲線を描いたようになっていて、その通りの人たちが、今日の日を選んでヤードセールをしていた。車をとめて少し歩いてみた。日本のものだとわかるお盆があったが、ちょっと傷がいってたし、値段を交渉するわよ、と言っていたが、結局買わなかった。傷がなかったら買ってたかな?

 車をとめては歩いてみたが、そろそろ店じまいの時間らしく、あちこちで片付けていた。

 その後、モール近くのレンタル家具屋に行ってみた。新聞の「売ります、買います」欄に、小さくではあったが家具を売っています、とあったので、そこに行ってみた。

 大きい店舗の前の芝生に「テントセール」と張り出しして、テントの下にいろいろな家具を置いている。レンタルしたものを売りたいのだが、品の割には値段が安くて、お得なものが多かった。そこでは閉店まで1時間もなかったことに後で気が付いて、もうちょっと早く来て、じっくり見たかったなあと思ったのだが、かなり速攻で、ダイニングのテーブルといす、3人掛けのソファーと1人掛けのいすのセットを買うことにした。

 初めに違うソファー(3人掛け)とラブシートと呼ばれる2人掛けのものがセットを買おうかなと言っていたが(119ドルだった)、隣に置いてある値札のないソファーが実は売れていないことがわかって、結局それを買った。値段が貼っていなかったこともあって、「いくらですか」と聞いたら、この値段だと思うけど、この値段に下げられるというので、値下げ交渉のうまいネジャーティが、ダイニングセットも買うから全部でちょうどのこの値段にしてもらおう、と言って、すぐに交渉成立。

 中に入って、お金を払ったら、もう閉店時間だった。

 配達代が、安く買った意味がなくなるぐらい高いので、それはやめて、後日取りに来ることにした。1週間は置いてもらえるというので、その間にどうやって運ぶかを考えないといけない。トラックを持ってる近所のおじさんに頼もうかと言っているが、どうなるかは未定。他にも買うものもあるし、できれば全部まとめて運びたい。

 ちなみにそこのレンタル家具屋はかなり大きくて、入口を入ると家具が展示してあって、レンタルならいくら、買うならいくらと書いてある。そこを通り過ぎると、広〜い部屋というか、倉庫というか、そこに家具やソファーが置いてあって、それは全部、売りのものだ。

 こういう家具の買い方もあったかあと思いつつ、家具が買えたので、ネジャーティも嬉しかったようだ。



2002年09月12日(木)

 昨日の朝は渡り鳥のガンのお出迎えもあったし、夜にはちょっと太った三日月のお出迎えもあったのだが、今日も月にむらくもがかかっていて、「いとおかし」の世界である。それでもって、月が大きい。月を見ながら、古文の世界に入っていった。

 奈良、平安時代の古典文学には万葉集などの和歌もそうだが、自然を詠ったものが多い。自然の情景は千年の間に変わることはあっても、月だけは変らない。同じ月を見ながら、古代の日本人の月への想いに心が飛んでしまう、そして、月も含めて自然を愛でる日本人の心は実は古代の人からずっと受け継がれてきたものなんだと感じてしまう。

 小さいころに、祖母が月見団子を作ってくれたのを思い出す。秋は中秋の名月があって、十五夜が一番すばらしい季節だ。

 ウサギと月が描かれた日本のハンカチを壁にかけて、この秋を過ごしている。



2002年09月11日(水) 誕生日でした

 昨日の晩に雨が降って、今日はとても涼しい日になった。風が少しあったので、朝晩は肌寒かった。
 
 去年のテロから1年。去年も、とてもすがすがしく、青空が晴れ渡る日だった。とってもいい日だなあと思っていたときに、ネジャーティから電話がかかってきて、大変なことになってるよ、というのでテレビをつけたのを覚えている。テレビの向こうには町に広がる惨劇が移っていた。現実とも幻とも思える光景にショックだった。震災のことを思い出した。ニューヨークにいる同窓生に連絡を取り、無事だったことがわかりホッとした。

 個人的にはこの日は私の誕生日。両親への感謝の日。

 メールやカードを贈ってくださったみなさん、ありがとう! それから同じ誕生日のポールさん、Kurumiさんの息子さん、おめでとうございます!

 夕方にネジャーティを迎えに行った後、近くの日本食レストランに行った。ベニハナというアメリカでは知られている鉄板焼を出すお店だ。鉄板を囲むように席があって、2家族ぐらい、席に座れる。目の前で焼いてくれるのだが、パフォーマンスもある。ネジャーティはチキンの鉄板焼、私はおすしを注文した。焼いてくれたのはヒスパニック系だった(ネジャーティ曰く)が、なかなかのもので、目の前で焼くのを見るのも楽しいものだった(いかさん、亜里沙さん、行ってみる?)。

 テロがあって1年しか経ってないこの日に、誕生日のお祝いに外食するのはどうかなと思っていたが、隣のテーブルでも誕生日を祝っているグループもあったし、他の席で祝っているのも聞こえたし、同じ誕生日の人がいるんだなあとびっくりしたが、ホッとした。日本だったらなんとなく自粛してしまうが、それはそれ、これはこれ、という感じだった。ネジャーティ曰く、「いつまでも悲しんでられへんやろ、、、」

 そのあとケーキを買いに、ジャングルジムズへ行った。丸ごとのではなく、切ってあるケーキを3種類買って帰った。帰って、ネジャーティがケーキにろうそくを1本ずつ立てて、みんなで火を消した。食べ終わって、「プレゼントは?」と聞くと、以前選んでくれたブレスレットのプレゼントがあるのを忘れていたみたいで、どこか隠していたところから、「タラ〜」と梨奈のバービーの人形の手にかけて、持ってきた。

 年齢は増えるけど、中身は変らない私でした。おしまい。



2002年09月10日(火) 明日で1年

 今日はWalmartに行こうと思っていたが、昼ぐらいから梨奈とグーグー寝てしまい、起きたら2時半だった。梨奈は4時まで寝ていた。

 夜にはこおろぎが3匹も現われた。そういえば、虫の声の歌があったが、それぞれの姿かたちをインターネットで確かめようと思ったら、インターネットがつながらなく、あえなく断念。また明日、インターネットで見てみよう。

 明日は誕生日。そして、アメリカのテロから1年。



2002年09月08日(日) こおろぎ

 こおろぎが隙を狙っては家の中に入ってくる。大きいのがいることもあるし、小さいのがいることもある。ぴょんぴょん跳ねるので、こおろぎなのは確かだが、触角は見たくない。

 最近はこおろぎが鳴いている。夜、大きく鳴いていたので、ネジャーティは窓のすぐ外で鳴いているのかと思ったらしい。そうじゃなくて、家の中で鳴いている。すばしっこくてつかまえられない。つかまえる勇気がないので放って置いた。



2002年09月07日(土) 今日の走行距離60マイル

 ネジャーティの研究室の人でウクライナ出身のタニヤと10時半に待ち合わせをしていた。待ち合わせ場所には旦那さんとお子さんが来ていた。そこから保険会社に行った。ニューハンプシャーで入った車の保険をオハイオに変えたいので、見積もりを出してもらった。少しニューハンプシャーより高かったが、思っていたほどではなかった。後日もう一度行って、変えようかと思っている。

 保険会社を後にして、タニヤのおうちに少しお邪魔した。タニヤのうちはシンシナティーの郊外にあるレバノンという町(ニューハンプシャーにも同じ名前の町があったなあ)に住んでいる。大学まで車で40分、30キロぐらいの距離を毎日通ってるから、私たちのほうがまだましだ。

 タニヤのおうちも靴を脱ぐようだ。聞いたらウクライナでは脱ぐのだそうだ。アメリカに来ていろんな国の人に会うまで、家の中で靴を脱ぐのは日本ぐらいに思っていたのだが、韓国もそうだし、トルコやアラブの国でも家の中では靴をはかない。旧ソ連のウクライナもそうらしいから(旧ソ連のほかの地域は知らないが)、家の中で靴を脱がない国というのは欧米とか中国とか案外限られているのかもしれない。

 おうちには1歳とちょっとの女の子と、タニヤのお母さんもいた。裏庭のパティオに出て、ガーデン用のいすに座って少し話をした。

 タニヤのおうちを出て、お店を回った後、モールに行った。モールではネジャーティが髪の毛を切ってもらおうかどうか迷っている。1階にある美容室には女の店員しか見えなかったので、女の人に切ってもらうのはあまり進まないと言っている。というのも、トルコでもニューハンプシャーでも男の人にしか切ってもらったことがないらしい。でも切ってもらわないと、アニメのお茶の水博士になってしまう(知らない人はここをクリック)。

 モールを少し回って、その美容室に戻ったら、男の店員もいた。そしたら男の人に切ってもらったらいいし、そこで切ってもらうことにした。

 お店の横にベビーカーを置いて、お店に入ると、バタバタバタと誰かが走っている音が聞こえた。振り返ると、若い男の子がモールの出口に走っていたので、友達と走っているのだろうと思ったら、追いかけてるのはセキュリティーだった。トランシーバーを片手に走りながら誰かと連絡を取っている。その後を男女2人のセキュリティーが走っている。若い男の子もセキュリティーも外に出たので、野次馬も外に見物に行っている。こんな捕り物劇を見たのは初めてだ。ネジャーティはまだ順番が回ってこなかったが待合のいすに座っていて、私と梨奈は野次馬根性で外に出てみた。すると、すでに捕まえた後で、外にはさっきのセキュリティーと、それ以外の人と、セキュリティーの車もいて、車に乗せられるのかなあと思ったら、モールの中に入ってどこかに連れられていった。後ろに手錠をかけられていた。

 美容室に戻ると、子供の髪を切ってもらっているお父さんや店員もどうなったか興味津々で私の顔を見ている。「捕まりましたよ」と言うと、ホッとした様子だった。お店の人によると、1回や2回のことじゃないらしい。シンシナティー郊外でもこの辺では大きいモールだから、こんなことあるんだなあと改めて思った。

 ネジャーティは結局、女性店員に切ってもらった。最初はバリカンで後ろを刈ってもらい、上の部分をはさみで切ってもらった。とても早かったが、悪くなかった。清算をした後、カードをくれた。8回カットしたら9回目はただらしい。1回のカットが14ドル(+税金+チップ)だから、そんなに悪くない。今度は私もここに来ようかな。



2002年09月06日(金) またまたジャングルジムで

 今日は金曜日。明日ゆっくりできる、、かな?

 ネジャーティを迎えに行った後、ジャングルジムズへ寄った。ここの野菜は新鮮で、なおかつ安めなのと、アジア人向けの野菜も売ってるので、野菜はここで買うことにしている。

 この前はにらを買ったが、ネジャーティには不人気で(細かかったらいいらしい)、どちらにしても今日はなかったが、ちんげん菜があったので、それを買うことにして、コーナーを歩いていると、あれ? おぉ〜山芋だ〜!!!

 興奮して思わず手に取り、一人で喜んでいた。

 アメリカに来て山芋って見たことあるかなあ? 見たことがあるとすれば、多分ニュージャージーのミツワ(前ヤオハン)ぐらいなもんかなあ。

 ネジャーティは乗り気じゃなかったが、1人でも食べるぞ、とカートに入れた。

 その他、日本の食材コーナーで、こんにゃくを買ったり、餃子の皮を買ったり、なんだかうきうき。。ネジャーティはわけのわからない果物をカートに入れてるし(ネジャーティもなんだかわからないもの)、「これ試してみる?」となんか入れてるし、トルコのお菓子は入れてるしで、30ドルはいったかな、と思っていた。ネジャーティは40ドルと見ていた。

 じゃ、何かを賭けようというので、ネジャーティは、私が勝ったらトルコのお菓子を分けてあげる、というので、私は、ネジャーティが勝った場合には、このドーナツをあげる、と子供のような賭けをした。最終的に35ドルと見たのだが、結果は37ドルちょっとで、ちょうど2人が読んだ金額の真ん中だった。

 車に乗って、早速トルコのお菓子を開けているネジャーティ。賭けとは全然関係なくトルコのお菓子を食べた。

 いやあ、ジャングルジムズはなんて楽しんだろう。

 それよりも、今日はこおろぎのことを書こうと題名にまで書いていたのに、ジャングルジムズの話になってしまい、題名を書き直す羽目に。



2002年09月05日(木) 布団

昨日、おとといと寝る時間が遅くなって、今日は昼にかけて3時間ほど寝てしまい、昼ご飯を食べたのが2時半になった。梨奈は私より昼寝が短かったようで、先に起きて遊んでいた。

晩ご飯を食べてから、買い物や洗濯をしに出かけようと思ったが、その元気もなく、家でゆっくりした。

おととい布団を買ったが、そのおまけがあって、ネジャーティに「ゲスト用のは買ったけど、自分達用には?」と言ったら「今使ってるのがあるでしょ」と言われ、粉砕。

母と話したときに、「ネジャーティはそう言ったけど、引越もしたし、ゲスト用のも買ったし、せっかくやったら新しいのがほしいやん」と言うと、母曰く「そういうときは先に今のを捨てて、新しいのを買ってしまうねん」。

なるほど、、。今自分達用に2枚コンフォーターがあって、1枚はとても大きいので、捨てるのももったいないかなと思うのだが、何年も使っててなんとなく古臭くなってるし、せっかくの機だから、新しいものがほしいと思ってしまう。毎日使うものやし、1日の3分の1は布団で寝てるんやし、やっぱり快適な方がいいと思うのだが、ネジャーティは今のものでもいいと思っているみたい。

今度は自分達用の布団の探索開始だ。



2002年09月04日(水) スクールバス

この辺の小学校は先週から学校が始まっている。日本のように9月1日からというのじゃないので、なんかこの中途半端な日に始まるというのは私には堪えがたい。
ネジャーティを送るときには黄色いスクールバスが何台も通っていて、小学校近くになると、黄色の点滅信号がつき、時速20マイル(32キロ)と速度が制限される。学校が始まったばかりで、慣れないドライバーもいるだろうし、朝にはパトカーが取り締まっていることが多い。

もし途中、スクールバスが誰かを乗せる時に止まると、バスの横についているストップサインが開き、どの車線の車も止まらないといけない。追い越してはいけないことになっている。

12マイルの一般道だが、最近は学校まで30分ぐらいかかっている。ネジャーティは学校までの道のりが長いと不満を言っている。近くにいいところがあったら引っ越したいようだが、私は引越はしばらくごめんだ。また荷物を詰めて、トラックに積んでいかないといけないのを考えると、とても億劫だ。しばらくは勘弁してほしい。遠くてもがんばって行ってほしいと思ってしまう。そろそろバスで行ってほしい。



2002年09月03日(火) オイル交換

シンシナティーに移ってからオイル交換をしていないことに気づいた。そういえば、3ヶ月交換の日は過ぎてたし、マイレージも過ぎてたし、これは換えなければと昼前にWalmartに行った。NHにいるときもWalmartでオイル交換+15ポイントのチェックをしてもらっていた。

オイル交換をしてもらっている間、梨奈のベッド用の布団を探した。子供用の布団セットで、キャラクターのものがちょっと安くなっていたのがあって、それを梨奈に買うことにしたのだが、その前に、とってもお手頃な値段になっている布団一式を見つけた。シーツ上下2枚、枕カバー2枚、マットレススカート、上布団(コンフォーターと呼ばれるもの)全部入っていた。同じ柄はなかったが、2セットをカートにボンと入れた。

それはゲスト用として買うことに決めたのだが、この前の休みからずっとゲスト用の布団を探していて、なかなかいいのがなくて、いいものを見つけたと思った。最近流行ってると思われるキルト地のコンフォーターもいいなあと思ったのだが、一式になっていてお手頃価格というのには勝てなかった。そして自分たちで使いたいなあと思ってるぐらい、いいなあと思うものだった。

ネジャーティにはいつも、「今日は何したの?」と尋問されるのだが、Walmartに行ってオイル交換してもらって、店の中を見て回って、、という話しかせず、うちに帰ってネジャーティが2階に上がって初めて気が付いた。

というわけで、うちに遊びに来る予定の両親、友人にはキルト地のコンフォーターはお楽しみいただけませんが、花柄の布団をお楽しみください(もしめまいがするようでしたら、上布団をひっくり返してお使い下さい。リバーシブルで使えると思います)。




2002年09月02日(月) 梨奈のベッド

 ネジャーティがインターネットで「売ります、買います」のコーナーを見ていて、幼児用のベッドを売りに出しているのを見つけた。電話したら1時間以内に来てほしいというので、行ってみた。

 場所はインターステートのハイウエイには近いのだが、ハイウエイが下に走っているので、さほど気にならない。閑静な住宅街で、わりと大きい家がならんでいる。

 「ベッドを見に来たのですが」と家にお邪魔した。玄関先に置いてある写真を見ると、子供が1、2、3、4、、5人だ〜! 確かに家も7人が住んでも大丈夫な家だ。

 ベッドの枠とマットレスとセットで、早速買うことにした。普通なら値段交渉なのだろうが、新品のセットの半額ぐらいだったし、いい状態だったので、交渉しなかった(関西人らしからぬ、、、)。きっとここの5人が使っていったんだろうなあ。

 チャイルドシートもあったが、梨奈には小さかったし、ベビーベッドは要らないし、ベッドだけ買った。

 ニューハンプシャーから7月に引っ越してきたんです、などと話した。家主はシンシナティーには11年いるが、3年前にここの家を買ったらしい。車を出そうというときに、ネジャーティがもう1つ聞きたいことがある、とか言って、家主に聞いてきた。何を聞いたのかと思ったら、家がいくらしたかだった(日本人だったら聞かないよ〜!)。でも興味があったのでいくらだったの? と聞くと、28万ドル(3300万ぐらい)だったらしい。部屋数は聞かなかったけど、2階だけでも4つか5つありそうだった。

 風来坊の私たちとしてはこんな大きい家に落ち着くなんて、夢のまた夢だ。




2002年09月01日(日) すだれをつける

 今日から9月。

 昨日コロンブスに行ったので、今日は昼までゆっくりする。ネジャーティが汗をかきながら、すだれを吊るすフックをつけるのに、学校から持ってきた電動ドリルで穴を開け、すだれを無事取り付けた、、、と、ここまではよかったのだが、肝心のフックを2つしか買っていなくて(本当は4つ要る)、買いに行って、無事取り付けた。
 晩は電気を付けたら外から見えないかなと思ったら、見えてる。ネジャーティ曰く、電気があるところが見える、というので、夜はあまり効果ないかも。でも丸見えというわけではないので、いいかな?


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