オクラホマ・スティルウォーターから

2001年12月31日(月) 大晦日

 朝10時には日本はもうお正月だ。

 クリニックに予約が入っていたので行ったが、少し遅れてしまい、今日は時間が押しているので、改めてくることになった。

 帰る途中にドーバーのダウンタウンでネジャーティは散髪をした。その間に梨奈と私はパン屋とレストランが中でつながっているお店に入った。
 パン屋で巨大なシュークリームを買ったあと、梨奈がレストランのカウンターに向かった。オーナーと思われる少し年を召した女性が座っていて、梨奈に話し掛けた。コーヒーを飲んでネジャーティを待つことにした。

 お昼時に近くなり、人も増えてきた。そこは地元のレストランという感じで、おじいさんやおばあさんが梨奈に話し掛けてきた。

 遅いなあと待っているところにネジャーティが入ってきた。ネジャーティもコーヒーを飲んで、レストランを後にした。車のところに向かっている時に梨奈がこけて唇の裏側を切ってしまった。ネジャーティは午後はテンションが低かった。

 3時半過ぎに車に乗って、海岸に出た。昨日4時半ぐらいに見た月は一向に上がってこなかった。今日はお月様の機嫌が悪いのかな、それともあまりにも寒くて出てこないのかな、疲れているのかな、などと話していて、5時を回ったが一向に見えなかった。

 同じように月を見に来た人がいて、焚き火ができるように、薪を持ってきていた。

 私たちは車を走らせてハンプトンビーチまで行った。6時になってもあがらなかった。もう少ししたら帰ろうというときに上がってくるのが見えた。昨日よりオレンジ色に見えた。海岸通りを車で走っていると、月がどんどん上がり、月の光が海に映っていた。とてもロマンチックだなあ。やはり月はロマンチックだ。

 年越しそばを食べて、おせち料理の準備をし、年を越した。あっという間に今年も終わってしまったなあ。

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 今年1年、ご愛読いただき、ありがとうございました。来年も皆様によい年になりますように。
 来年もよろしくお願いします。



2001年12月30日(日) ドライブ2

 朝ご飯を食べて、Walmartへ買い物に出かける。友人は車がないので、買えるものを買っておこうというものだった。

 実は今日、オリンピックの聖火が友人の住む町にやって来る。テレビでも中継するということだったが、買い物に出かけた。

 買い物はすぐに済み、友人宅に戻り、それから荷物を積んで、友人共々ニューハンプシャーへと向かった。

 今回はインターステート(州間の道路)が通っているマサチューセッツ州を走った。距離は来た道より60キロぐらい長いのだが、やはり大きい道路なので、少し早いということだった。ターンパイクという有料高速道路だったが、NY州で55セント、マサチューセッツで1ドル50セントしか払わなかった。日本でこの距離を走ったら、何千円か取られるだろう。

 途中、お昼休憩やコーヒーの休憩をしたが、今日はほとんど私が運転をした。

 東の方向に走らせていた。4時半には日も沈み、夕焼けの余韻が後ろに少し見えるぐらいだったが、車の正面には満月のお月様が上がったところだった。それも紺色の空にオレンジ色に近い色の月が浮かんでいた。明日、月が海から上がるのを見ようとことになった。



2001年12月29日(土) ドライブ

 前々からネジャーティが遠出したいといっていたので、NY州に住む友人を車で訪ねていった。NY州へはニューハンプシャー州、バーモント州とひたすら西に走らせて、NY州に入ってすぐのところが友人の住む町である。

 2時間車を走らせて、ニューハンプシャー州にあるキーン(Keene)という町で休憩した。今は冬休みで日本に帰っているCさんが住んでいて、よくDurhamの町にくる。初めて通ったところだったが、遠いのによく頻繁に来れるなという距離だった。

 それからしばらくするとバーモント州に入った。バーモント州に入るのは初めてである。ニューハンプシャーでは州道路の標識には州のシンボルであるオールドマンの横顔が書かれているが、バーモントはグリーンマウンテン・ステート(緑の山の州)というニックネームがあって、標識も同じ道路なのに緑の標識になった。道路を西に走らせると、一つ山を越えて行くことになった。

 ずっと上り坂で、あまりスピードが出ないなあなどといいながら車を走らせていた。雪空になっていき、雪がちらほら降り始めた。大した雪ではなく、山を越えると晴れ間が見え、雪も止んだ。

 NY州に入ると、バーモント州を出たという気持ちがあったからか、またニューハンプシャーに戻ってきたように思えた。風景はあまり変わらなかった。しかし、ハドソン川に差し掛かって、川沿いの道路を走ると、NY州が持つ風景だった。

 州都である友人の町に入ると高いビルがあって、やはり街だなあと感じる。ニューハンプシャーでは高い建物を見たことがない。

 無事友人宅に着き、荷物を置いた後、ショッピングモールに向かった。

 モールはNY州でも最大規模で、やはり大きかった。ニューハンプシャーでは見ないお店があった。友人が夕食を用意してくれているので、フードコートで軽いものを食べた。それから、またモール内を歩いたが、梨奈がネジャーティと最初に行ったお店に入りたがったり、またフードコートに戻って、アイスクリームを食べたりした。

 友人宅に戻り、夕食を済ませた。梨奈が寝たので、お茶を飲みながらおしゃべりをした。



2001年12月28日(金) 買出し

 今日は買出しに行くことになっていて、M・Wさんのお宅が待ち合わせの場所となった。M・Wさんの車で一緒に行くことになった。

 アジア系スーパーは2年ぐらい前にできたらしく、ボストンの町のすぐ南にある。お店に着く少し前に、走っている道路から牽引された車の駐車場(Tow Parking)があった。Mさんに「Tow Parkingって何?」と聞かれて説明していて思い出した。

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 4年前に友人2人とボストンの街を回っていたとこのこと。車をある道路に駐車していたが、午後4時には道路が混むので、4時から車を置いてはいけないことになっていたらしい。それに気づかず車を置いて、街を回って戻ってきたら車がなくなっていた。持っていかれたのはわかっていたが、とりあえずネジャーティに電話をしようと近くの公衆電話に向かっていたら、たまたまおまわりさんがいた。

 以下、おまわりさんとの会話

 私  「車が盗まれたかもしれないんですが(←ウソ)」
 おまわりさん「どこに置いたの?」
 私  「○○通りに置いていました」
 おまわりさん 「Tow Parkingに持っていかれたと思うよ(場所を教えてもらう)」
 友人 「歩いていける距離ですか?」
 おまわりさん「歩いては行けないよ。タクシーに乗るお金はないの?」
 友人 「ありますけど、ただ聞いてみただけです。」
 私たち「わかりました。ありがとうございました。」

 それで、私たちはタクシーを探しに行こうとしたら、

 おまわりさん「その駐車場まで乗せてってあげるよ」

 ということで、パトカーの前に私が、後ろに友人2人が乗った。前の会話は後ろに聞こえるが、後ろの会話は前との間に境があって、前には聞こえない。また後ろは中からは開けられない。

 おまわりさん「運転してみる?」
 私   「いえ、いいです。」
 
 と、おまわりさん、大丈夫かなあ。挙句の果てに「緊急だから」といって、いきなりサイレンを回し始め、対抗車線を走り出した。周りの車はきっと私たち3人が駐車場に連れて行ってもらっているなんて思いも寄らないだろう。

 そして無事に駐車場に着き、牽引されたお金を払い、ニューハンプシャーに帰ったというわけである。

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 そんな駐車場のすぐそばにスーパーがあったなんて、思いもしなかった。そしてスーパーは朝8時半から夜中の12時までやっているという商売気があるスーパーである。アジア系スーパーはだいたいが中国系なので、やはり商魂たくましい。

 スーパーの中は確かに広い。そして入口すぐのお米のコーナーはこの近くで買うより3,4ドルぐらい安かった。野菜も豊富にあって何を買おうか迷うぐらいだった。日本食も1列の両方にずら〜っと並んでいる。

 魚介類のコーナーではカニのいけすがいくつもあったり、冷凍コーナーではいかが何種類もあって、どのいかを買おうか迷ってしまった。

 そこで2時間ぐらい費やして買い物を済ませた。しかし1日がかりの買い物だった。

 



2001年12月27日(木) 明日のイベント

 明日の個人的なイベントといえば、M・Wさんとボストン郊外のアジア系食料品店へ買い出しに行くことです。とても大きいようで、どんなところか興味津々です。

 公のイベントとしては、明日、冬季オリンピックの聖火がニューハンプシャーを通ることです。今日はボストンについているはずで、明日はニューハンプシャー、明後日バーモントを通って、日曜日は再びニューヨーク州に入ります。
 ニューハンプシャーはこの辺ではポーツマスに来ます。昼前に来ますが、何時にどこを通るかわからないし、買出しに行くので見られません。

 聖火といえば96年のアトランタオリンピックの時に当時在学していた学校のキャンパス前を通って見たことがあります。今回もし見られれば2回目です。

 全部の行程を走るのかと思っていたら、ネジャーティに「いくら時間があっても足りないよ」と言われ、オリンピックの公式サイトを見たら人が走る距離は全行程の17%で、あとは車か飛行機(湾、湖を越える場合)だそうです。やっぱりアメリカは広いから全部走るのは無理でしょう。それに、地方だと町をつなぐ道路には車しか走っていないから、その間を走っても誰も見てくれないでしょう。



2001年12月26日(水) クリスマスボケ

 クリスマスがあったからか、週末のような気がして、正月ボケならぬクリスマスボケである。そんなわけで昼前に起きた。

 大晦日に向かってではないが、掃除、片付けをしないといけない。友人と共にお正月を迎えることになったので、「部屋を片付けよう週間」は続行中である。

 お正月には何をしようかなと考えてみた。初日の出に行きたい。大西洋から昇る初日の出を見に行こうかな。でも寒いかなぁ、起きられるかなぁと心配はある。天気だったらいいなあ。

 明日掃除を頑張ろうっと。



2001年12月25日(火) クリスマス

 朝6時にここを出発して、MさんとHさんをマンチェスターの空港に送った。混んでいるかもしれないと思い、2時間前に着くようにしたが、クリスマス当日でみんな家にいるからか、空港はとても空いていた。セキュリティーにはサンタクロースの格好をしたスタッフがいて、セキュリティーのチェックをしていたが、特に行列ができているわけではなかったのでよかった。1時間ほど時間があり、マクドナルドの朝食メニューをHさんにおごってもらい、おしゃべりした。

 アパートに戻り、少し寝ていたらフロリダにいるNから電話があった。Nはフロリダの語学学校時代の友人だ。当時の生徒では数少ない連絡がついている友人の一人だ。Nにはイラン人の彼氏がいて、近々結婚するか結婚したかで5月に子供が生まれるというおめでたいニュースがあった。電話回線の状態が悪く、途中Nの声が途切れることもあったので、また改めて電話するということになった。

 2時にM・Wさんのお宅のクリスマスパーティーにお邪魔した。Mさんのお宅にはJさんの親戚が集まるので、Mさん以外はアメリカ人だ。食べものはターキーやハム、マッシュポテトやスクウォッシュなど、パーティーで作られる料理だ。今日は気温は低いが風がないので時々外に出て外の空気を吸いながらM・Wさんとしゃべったりした。梨奈も外で走り回っていた。

 ネジャーティは昨日眠れなかったといって寝てしまい、起きれないといってパーティーには行けなかった。

 私のような部外者が家族のパーティーにお邪魔してしまったが、毎年どこかしらお声をかけて下さるので、各家庭のクリスマスの祝い方を垣間見て楽しんでいる。

 5時ぐらいにはお開きになり、Jさんの親戚の方も帰っていかれた。明日からまた普通の生活に戻るからか、遅くまではやらないらしい。Jさんのおばあさんがとてもかわいらしい方だった。他人の私にお別れのキスの挨拶をしてくださった。

 帰宅。夕食前にオハイオにいるトルコ人のオカンから電話があった。最近はトルコにいるラマザンやミズーリにいるメメットから電話があったりして、懐かしい声を聞いている。
 私はというと友人に電話をし、ここで年を越す計画を立てた。

 パーティーでいただいた食べものをネジャーティにもとパックして下さったので、夕食でもう一度味わって食べた。

 今日は友人達ととても交流を持った一日だった。 



2001年12月24日(月)

 先日友人が来た時に買ったビールが残っている。

 1本は200ml少しと小さく、6本入って3ドルだった。ビンのふたはねじって開けるようになっていて、もちろん閉めることもできる。

 友人が来た時は1本を2人で分けて飲んでいたが、帰った後は1本を少しずつ飲んでいた。今日の夕食時はちょうど喉が渇いていたこともあって、一気に一口飲んだ。一口だけなのに、夕食後酔って少し横になって眠った。

 何か口直しが欲しくなり、梨奈の誕生日にネジャーティが開けた缶詰の桃が欲しいと、横になっているソファーから頼んだ。5歩ぐらいのところにある冷蔵庫にしぶしぶ行って、「1つ? 2つ?」と聞くので、せこいこというなあと思って「2つ」といって持ってきてくれた。まだ眠たい私は横になっていて目を閉じたまま、「あー」と口をあけた。口に入ってきた桃は口に入りきれないほど大きかった。びっくりして目を開けたら、ネジャーティは半分カットの桃をそのままくれたのだった。

 その大きさの桃を買っていたのを知らなかった。缶詰を開けたとき、ラベルが梨奈にはがされていたのと、缶を開けてから容器に移すのを見ていなかったのと、容器も透明でないから、中身を見ていなかった。またいつもはスライスになっている桃を買っていたので、まさか大きいものとは思っていなかった。

 「少し小さくしてくれるとかしないと、一口で入るわけないやん。それに、押し込もうとしてたやろ。その後どうするつもりやったん?」


 ネジャーティ曰く、「もう1つの桃も押し込むつもりやった。」

 2人で大爆笑。おなかの筋肉が痛くなるほど2人で大笑いした。



2001年12月23日(日) クリスマス前

 台所の排水の流れが悪いので、流れをよくする液体を買いに行った。駐車場に車をとめるときに同世代のトルコ人夫婦を見かけたが、お店の中では会えなかった。
フライパンも買って、買い物を済ませた。

 クリスマス前ということで、まだまだ買い物客はいた。

 コーヒーを飲もうということで、スーパーの近くにあるパン屋兼コーヒー屋に入った。このお店で入口近くに座った時には梨奈は看板娘となって、出入りする客に手を振ることがある。

 お店を出たあと梨奈は駐車場に戻りたがらず、スーパーに入っていった。ネジャーティはジャケットを車に置いてきたので、車に向かっていった。梨奈がカートに乗りたがったので梨奈をカートに乗せてそのままスーパーを出た。駐車場に止めて置いた車の方に向かって、歩道の横を歩いていたら、後ろから車が来てクラクションを鳴らされた。

 鳴らさなくてもいいのに、と車をよく見たら車にネジャーティが乗っていた。

 梨奈は車に乗るとすぐに眠った。眠たかったようだ。



2001年12月22日(土) パーティー

 朝、このアパートでマフィンやコーヒーを飲みながら、子供達がクリスマスの飾り付けを作って実際に飾るというイベントがあったが、梨奈も私も寝過ごして、結局行けずじまいだった。

 夕方にはM・WさんとJさんのお宅でクッキースワップ(Cookie Swap)というのがあって、3ダース(36個)のクッキーを持ってきてください、ということで、クッキーを持っていった。

 ホットアップルサイダーというりんごの温かい飲み物を飲んでクッキーを食べながらおしゃべりをするというものだった。アップルサイダーとアップルジュースと2種類の100%のジュースがあるが、アップルジュースは殺菌して加工してあり、100%でも濃縮したものを使っているが、アップルサイダーは絞りたての生のジュースで殺菌してない。

 M・Wさんのお宅にもクリスマスツリーが飾ってあった。ツリーの下にはプレゼントがたくさん置かれている。それで、クッキーを持ってきたアメリカ人もプレゼントを持ってきて渡していた。きっとこの時期にお邪魔するときには、そういうものを持っていくのが習慣なんだなあ。日本人の私にはそういう考えがなかったので、M・Wさんに何も持ってこなくてごめんなさいと謝っておいた。

 M・Wさんがもっていた日本の本や小学生に教える正しい日本語の本をM・WさんやMさんと一緒に読んで問題に答えていたらあっという間に時間が過ぎて、余ったクッキーを持ち帰り、お宅を後にした。冬休みはずっとここにいるということで、一緒に遊びましょうということになった。

 アパートに着いたのは6時半ぐらいだった。7時からはIさんのお宅で梨奈のパーティーをしてくださるので、時間はほとんどなく、ネジャーティにサンドイッチを作って、私は帰ってから食べることにした。M・Wさんのお宅でクッキーを食べてしまったので、おなかが空いているというわけではなかった。

 Iさんのお宅にお邪魔した。クリスマスツリーがリビングに置いてあり、手作りの靴下などとてもおしゃれな飾り付けがしてあった。本物の木なので、木に水をやらないと枯れてしまうらしい。
 お宅にお邪魔してすぐに思いがけなくMさん、Hさんから梨奈へのプレゼントを頂いた。またIさんからもプレゼントを頂いた。
 ケーキも作ってくださっていて、ろうそくの火をネジャーティと梨奈と3人で消した。

 Aさん、Pさんも来られて大賑わいとなった。Aさん、Pさんからもプレゼントを頂いた。みなさんからの思いも寄らぬプレゼントにびっくりした。

 またIさんはケーキだけでなく、オードブルやクッキーなども用意して下さっていた。おいしいものを頂きながら、話も弾んであっという間に9時半を過ぎている時間になり、退散することにした。

 みなさんありがとうございました。



2001年12月21日(金) 台所用品店

 いつも買い物するところに台所用品店がある。

 1軒はモール内だが、ここしばらくはずっと閉店セールをしていた。先週末に行ったときには閉店セールの終わりだったらしく、店内のものをほとんど売り尽くしたのか、がらんとしていた。それでも、ほんの少し残っていたものは60%、70%引きになっていた。値引きしても売ってしまわないと、輸送費にお金がかかってしまう。

 モールの裏にあるもう1軒あるところはとても広く、売り場の3分の1ぐらいを食器売り場にしている。食器売り場といっても、デザインは豊富にあるがお皿のセットがメインである。食器をみると食の違いを感じてしまう。

 言われたら当たり前のことだが、お箸の文化ではなく、フォークとナイフの文化だ。そしてフォーク、ナイフ、スプーンはばらでも売ってるが主にセットで売っている。お皿も大皿、小皿とセットである。自分のフォークがあるわけでなく家族全ての食器が一緒である。

 なのでお皿の柄は豊富にあっても大きさは同じである。またこまごまとした食器は売ってない。日本でいう小皿もない。使う食べ物がないからだ。お茶碗、お味噌汁のおわんとお箸は日本から持ってきたのは当然で、最近では日本の食器も置いてくれていることがあるし、オリエンタルフードの食材店でも日本の食器を置いてくれているが、小皿は日本から買ってきた。

 お客用に出すいい食器には痛まないように食器のセットごと収納する布製のカバーもあって、見たときにはこういうものもあるのかとびっくりした。

 食器ばかり書いてしまったが、この地域ならではの台所用品も売っている。それはロブスターのゆで鍋だ。ロブスターはスーパーでもいけすに入って売っていて、生きたまま買うこともできるし、蒸してもくれるが、自分のところでゆでる人もいるのでいくつかの種類の大きさの鍋が売ってある。



2001年12月20日(木) 2歳

 今日はなんと言っても、梨奈の誕生日だ。

 お昼近くにモールに行って、久しぶりにお昼ご飯をモールで食べて、うろうろしていた。
 その後はモール近くの台所用品店でケーキの型を買い、おもちゃ屋に寄って梨奈のプレゼント探しをした。プレゼントはお店の入口近くにあるぬいぐるみの中からふさふさの毛のくまのぬいぐるみにした。梨奈よりは小さいが、適度に大きく、抱き心地がよいものを選んだ。これに早く慣れて私とではなく、くまさんと一緒に寝られるようにという魂胆だ。

 帰宅後、ケーキ作りに挑戦。育児雑誌に載っていたケーキの簡単な作り方を見ながら作ったが、スポンジ台が膨らまず失敗。近くのスーパーでスポンジ台に替わるものを買った。飾りつけにはバナナや缶詰の桃、ブルーベリー、ココナッツを使った。ネジャーティが生クリームをケーキの表面に上手く塗って、果物で飾り付けをしてくれたが、とてもネジャーティらしい飾り付けだった(ケーキの周りに縦半分に切ったバナナを置いてケーキを囲むとか、ケーキに載せるバナナを輪切りにしてるとか(もうちょっと斜めがいいな))。

 ケーキに時間をかけてしまったので、おかずの方はとても簡単なものになってしまった。

 ケーキを食べて、梨奈が生まれたときのビデオを見た。宇宙人のような顔をしている梨奈が泣いている様子やあくびをして眠たそうな顔をしている様子を見て、あっという間の2年を実感した。

 今日は疲れてしまったので、ネジャーティと梨奈より早く寝てしまった。
 



2001年12月19日(水) またまたアウトレットへ

 友人が10時にバスに乗って帰るので、バス停まで送っていった。5日間あっという間だった。毎日遅くまで起きて話し込んでいた。ネジャーティはインターネットで仕事探しをしたりテレビを見ていたが、あまりにも友人と私が絶え間なく話しているので、時々割り込んで冗談話をしたりしていた。

 無事に友人をバスで見送り、梨奈を連れてまた同じお店へ行った。というのも、昨日交換してもらったはずなのに、袋の中には同じベルトがまた入っていた。お店に行って、ようやく替えてもらった。

 そのお店の隣にバナナリパブリックスという衣料品店があるが、梨奈が手を引っ張って入ろうとしたので、入っていった。どうもその前に入ったお母さんと子供が入ったからだと思うが、惹かれるものはあったが何も買わずにすぐにお店を出た。そのお母さんと子供も私たちの後に出て、駐車場に向かっていた。置いていた車の向かい側の隣にそのお母さんも車を止めていた。見たらベビーカーには小さい赤ちゃんと梨奈と同じぐらいの男の子が乗っていた。男の子はとてもかわいくさわやかな笑顔で梨奈を見ていた。

 どうも梨奈はその男の子を見てお店に入ったのかもしれないと思った。梨奈も男の子に笑いかけていた。バイバイを言って車に乗った。

 将来男の子にほいほいついて行かないように、よく言い聞かせないといけないかも。
 



2001年12月18日(火) またアウトレットへ

 アウトレットで買ったベルトが大きかったので、交換しに行った。

 すぐ近くのレストランでお昼ご飯を食べた。ターキーのポットパイといって、シチューが器の中に入っていて、上にパイが載っていて、それをさくさくくずして中のシチューを食べるというものである。
 去年両親がきたときに連れてきたところで、私は違うものを食べたが、両親はそれを食べていておいしそうだったので、今回それを注文した。

 外は雪が降っていたが、そのうち雨になって、晴れ間もさしてきた。

 昼食後はWalmartに行って、買出しに行った。その後本屋の中にあるスターバックスでコーヒーを飲んで帰った。

 アパートに帰る途中で梨奈が寝てくれるかなと思ったが、とてもハイテンションだ。帰ってネジャーティに電話し、帰ってきてもらって、スーパーに買い物に行くことにした。

 明日友人が帰るので、スーパーでロブスターを買って蒸してもらった。1匹はゴムで止められているはさみを振り回していた。15分ぐらいかかるので他のを買っている間に蒸しあがった。ごめんねロブサターくんたち。

 昨日の残りの野菜とロブスターで友人と最後の食事を楽しんだ。その後ドーバーまでドライブがてら、毎年クリスマスの電飾がすごいうちがあるので見に行ったが、今年は早く電気を消すのか、ついていなかった(ショック)。
 そのまま車を走らせて、寄る予定のなかったコーヒー屋へ寄ってコーヒーを飲んだ。

 明日友人は午前中にポーツマスからバスに乗らないといけないので、早く寝ないといけないが、また12時過ぎまで話し込んでしまった。



2001年12月17日(月) 別人

 お昼近くから雪が降り出した。一旦止んだがまた降りだして、夕方からは雨になった。結局一日中家にいた。

 ところでフロリダにいるMちゃんから電話がかかり、先日亡くなったというJは実は別人だということがわかった。Mちゃんは前回苗字を聞いていなかったらしく、Jというだけで私たちの知っているJと思ったらしい。そして最近話していて名前は同じで違う苗字の人だったということがわかったらしい。

 亡くなったJさんはお気の毒だが、私たちの知っているJが生きていることがわかり嬉しい。しかし、知っている範囲の人にメールで知らせてしまったため、誤り+謝りのメールをすぐに送った。

 Jが生きていてよかったが、気持ちは複雑である。Jに対して思っていた気持ちを整理するのに少し時間が必要だ。それにしてもどこかで生きてくれているJ、きっと自分に死亡説が出ていたなんて、思いも寄らないだろう。



2001年12月16日(日) アウトレット

 今日は友人と隣のMaine州にあるキタリーという町のアウトレットに行くことに決めていた。

 先日Mさんが行ってみてよかったというコーチのお店を見てみることにした。アパートを出る時に近所に住んでいる日本人のMさんが、うちに預けていった車の鍵を取りにきた。Mさんはサンフランシスコで開かれた会議に行っていたが、そこで会った日本人と戻ってきていた。その方は3日ほどこちらに滞在されて日本に帰られるようだった。

 Mさんも今から車で出かけてお昼ご飯も食べるということで、軽くご飯を済ませた私たちもコーヒーを飲めるところということで、結局モールに行った。
 少し話をした後、キタリーに一緒に行った。Mさんたちは他の店を見た後、先に帰られた。

 コーチのお店では定価と工場価格があって、工場価格から30%オフになっているベルトを買った。帰ってもう一度試してみたら、少し大きかった。明日交換してもらおうと思っている。それにしても、買った値段は日本で普通に売っているブランド物ではないベルトの値段だ。定価以下で買い物するのは楽しい。

 買い物の後にポーツマスによって町をドライブしたり、夕日を眺めながら、入り江沿いをドライブしてアパートに戻った。

 明日は午後から雪が降るそうだ。雪が降らないうちにまた出かけようかな。



2001年12月15日(土) プレゼント交換

 Mさんと昨日訪ねてきた友人とで午後から買い物に行った。

 ショッピングモールはクリスマス前の最後の週末ということもあって、とても混んでいた。モールや別のお店に寄った後、スーパーの近くのパン屋で、スープとパンを食べた。
 
 スーパーから帰り、7時からネジャーティの学部でクリスマスパーティーがあった。去年と同じ、キャンパスの中の会場だった。
 アメリカのパーティはいつも始まりがない。最初は飲み物を片手に立ち話をして、次から次へと違う人と話していく。日本人はそうはいかないだろう。私と友人はどかっと席に座り話していた。農耕民族、座って落ち着いて話したいものである。
 
 そのうち、誰とも言わず食べものを取りに行き、席に着いて食べている。日本では誰かが号令をかけない限り、食べないだろう。

 ある程度時間が経ったところで、今日のメインのプレゼント交換だ。今日はみんなが5ドルまでの予算でプレゼントを用意して、パーティーの会場に入ったときに、テーブルに置いていた。それでくじを引くのだが、くじには番号が書いてあり、それはテーブルに置かれたプレゼントを取る順番である。また、順番にプレゼントを取って、その場であけて、前に取った人と交換できる。

 ネジャーティは8番目で、プレゼントは梨奈が取った。開けてみたら、陶器の赤ちゃん靴で、生年月日や生まれたときの身長、体重などが油性のペンで書けるようになっていた。梨奈は自分に合ったものを選んだね、ということで交換はしなかった。

 それで、何といっても人気があったのは、「ブレインジュースペン」というペンだった。ペンの頭にガラスボールのようなものが2つついていて、下の丸いガラスボールの中に緑色の液体が入っている。そのガラスを触ると、上のガラスのボールに上がっていくという、科学専攻の人なら好きそうな代物である。要するにコーヒーのサイフォンのような仕組みである。ネジャーティがその仕組みを説明してくれた。
 
 そのペンは十何人もの手に渡って行った。最後に誰がもらうのかわからないぐらいだった。しかしそれよりもアメリカ人らしいなと思ったのは、自分があけたプレゼントが気にいらないから他の人が持っているよさそうなプレゼントと交換することだった。気にいらなかったプレゼントを持ってきた人は悲しくないのかなと思った。しかし持ってきたプレゼントは予算が5ドルということもあったが、家にあって使わないようなものを持ってきたのではないかと思ってしまうものもあったので、あまり何も考えないで持ってきたのだろう。

 また面白かったのは、ある男子学生に蛍光塗料が入ったおもちゃの剣が回ってきて困っていたが、ある子供がプレゼントをもらう順になった時、テーブルのプレゼントを選んであけないまま、その男子学生のところに行って、おもちゃの剣と交換したことだった。みんな大爆笑。男子学生が包みを開けるとクリスマスの柄の鍋つかみと台所のタオルだった。

 60人近くいたので、結局パーティーが終わったのは10時ぐらいだった。

 ペンはどうなったかというと1番最初にプレゼントを開けた人に交換する権利があったので、その人の手に渡り、拍手喝采となった。
 プレゼントをもらうということよりゲームを楽しんだようなパーティーだった。

 
 



2001年12月14日(金) 来客

 「部屋を片付けようキャンペーン」も大詰めを迎え、端から梨奈が散らかしていく部屋に優先順位をつけて掃除し、無事キャンペーン第一弾を終えた。

 今日はあいにくの雨だった。友人をバス停まで迎えに行く前に、お店に寄って買い物をした。ネジャーティは他の店に行っていたので、自分の買い物が終わった後にネジャーティが行ったお店に行った。

 そこでは以前ネジャーティの研究グループにいた中国人女性がネジャーティと話していた。娘さんもいっしょにお店にいた。中国人女性はここから車で10分ほどのところに住んでいるのだが、なかなか会う機会がなく、前回会ったのはおそらく半年ぐらい前だろう。

 友人のバスが来る時間なのでバス停近くに車を止めた。少し時間が過ぎていたが、雨が降っているので遅れているようだった。少ししてバスが着き、友人とも無事再会した。

 今日は梨奈が昼寝をしなかったので、眠たかったらしく、晩ご飯の後に寝かせたが、いつもと違う雰囲気なので気になるらしく、少し眠ってまた起きたりしたので、私とネジャーティは入れ替わり立ち代り、友人と会話をしていた。

 梨奈が寝ている少しの間でも、友人との会話は弾んだ。しばらくぶりだったのでずっとしゃべっていた。1時に床に着いた。梨奈は興奮気味で寝ようとしなかったが、私が寝そべっていたので、梨奈もごろんとなっていたらそのうち寝てくれた。



2001年12月13日(木) 雨また悲し

 今週はずっと晴れるといっていたのに、今日は雨が降っている。

 昨日フロリダのMちゃんがJの病気について聞いてくれているだろうと思い、電話をしてみた。

 Mちゃんから聞いたのは、実は1週間ほど前にすでに亡くなっていたということだった。子宮ガンだったそうだ。それ以上のことはMちゃんもわからなかった。
 Jの実家の連絡先を知らないので、それ以上の事を知りようがない。果たしてお葬式が終わってるのかどうか、それすらわからない。

 それにしてもあまり実感が湧かない。またいつかどこかで会えるような気がして、、、。

 Jのことについてはいろんなことが思い出されるが、今書いてしまうと収拾がつかないので、後日書くことにしたい。

 ご冥福を祈るばかりである。

 



2001年12月12日(水) 一喜一喜

 「一喜一憂」の「一憂」がなかったので「一喜一喜」にしてみました。

 午前中はWalmartで必要なものを買ってすぐ帰る。昼ご飯を食べた後は、何回か起きたものの梨奈は長い時間寝ていた。

 その間インターネットで調べ物をしていたが、たまたまフロリダの大学のHPに行って、自分が在籍していた人口センターのウエブサイトを開いた。卒業生ニュースの欄を見たら、自分の名前と近況が書かれていた。人口センターには直接近況報告はしていないが、人口センターがある社会学部に出した近況報告がセンターに行ったのか、あるいは退職された教授が近況を伝えたのか、どちらにしてもうれしかった。

 そこにはニューハンプシャーで日本語を教えている(報告当時)とも書かれていたが、それよりも、人口統計学の分野での研究を再開することを望んでいる、と書かれていたことがとてもうれしかった。

 今は何もできないでもどかしい状態が続いているし、山あり谷ありで道が閉ざされた気がしていたが、もし機会があればまた再開したい(懲りてるはずなのに、、、)、また再開しようと決めるのは自分なんだと思うと、ぱーっと視野が広がった気分になった。

 もう一つの「一喜」はあさって友人が訪ねてくることだった。冬休みに訪ねることにはなっていたが、それが少し早まったことだった。明日は掃除の日になりそうだ。



2001年12月11日(火) 片付け

 週末から始めた「部屋を片付けようキャンペーン」も順調に進んでいる。

 1Bedroom(日本でいう1LDK)に2.5人が住んでいるため、必要最低限のものを部屋に置いていても、部屋が狭く感じる。また収納スペースが少ないため、物を入れるところがなくて困る。

 2人とも学生生活が長い(長かった←私)ので、本や文献の量が多いにもかかわらず、本棚は3.5段しかなくて、当然全部は入りきれていない。引っ越したら大きい本棚が欲しいとひそかに願っている。

 読まないからとダンボールに積めて倉庫にもって行くと、そういうときに限って、倉庫に本を取りに行く羽目になる。
 また日本から持ってきた料理の雑誌もたまる一方である。日本の雑誌は捨てがたいが、日が経つと、必要なページだけ切り抜いてその雑誌とはお別れをする。

 夏の服も今はいらないから箱に入れて倉庫に持っていこうかなと思うが、倉庫は窓がなく締め切っている状態なので、倉庫のドアを開けると、独特な雰囲気がある。服を置いてカビが生えないかと心配してしまう。紙類を長期間置いていると、からっと乾燥していないような気がする。

 倉庫に持っていくかどうかはさておき、とりあえず片付けを推進させるのみだ。



2001年12月10日(月) 晴れのち心悲し

 今週は晴れらしい。雪がだいぶ解けてきた。

 昨日は車で外出していないので、車には雪が積もったままだった。朝ネジャーティが学校に行く前にフロントガラスと後ろのガラスをきれいにしてくれたので、午前中に買い物に出かけた。

 午後少し過ぎて帰ってきて、お昼ご飯を食べて少ししたら、梨奈がお昼寝を始めた。日本から戻ってきてから朝早く起きるようになったので、梨奈は午後お昼寝をするようになった。
 
 午後はフロリダにいる友人Mちゃんから電話がかかってきた。里帰りしたときの話などをした。そしてMちゃんから驚く話を聞いた。フロリダ時代に日本人学生会の初代会長であり、私の日本語のクラスにもいた日系アメリカ人のJがガンだというのである。それもだいぶ進行しているらしい。
 私はJはとっくにフロリダを離れて仕事をしているものだと思っていた。Mちゃんはあまり詳しい話を聞かなかったらしいが、Jは病院ではなくホスピスのようなところにいるらしい。Mちゃんは今週、Jを見舞った人に会う予定らしく、住所を聞いてもらうようお願いした。

 もしJがフロリダにいることを知っていたら、また半年前にフロリダに行った時にJがフロリダにいたら、会えたかもしれない、、、。
 今後の状況を見守ろう。

 



2001年12月09日(日) 一夜明けて

 昨日の夜から雪が降り出して、朝起きてもまだ降り続いていた。

 午後から雪も止んで日も照りだしたので、雪が解け始めた。今週はずっと晴れるらしいので、そのまま解けてくれるだろう。

 今日から約2週間、「部屋の中を片付ける週間」と銘打って、片付けを始めた。今日はどこにも行かなかったので、外の空気を吸いにアパートのゴミ回収までゴミを出しに行った。部屋が少しはすっきりした。

 まだまだ片付けなければいけない。着る服の整理はなかなか大変である。半そでのTシャツはまだ片付けられない。部屋の中が暖かいので、半そで1枚で過ごしているから、ずっといる状態である。とりあえず、外行きの夏の服はいらないから、それをもう少し整理しないといけない。

 来客があっても大丈夫なように、少し前もって片付けておかないと。



2001年12月08日(土)

 朝からニュースやドキュメンタリーのチャンネルで真珠湾攻撃の話題が出ている。ちょうどアフガニスタンの空爆の時期と重なっていることもあるし、9月の事件以来、真珠湾攻撃の時が引き合いに出されることもあって、今日はドキュメンタリーなど一段と報道されていた。

 日本であまり流されないような東南アジアの日本軍の様子も含めてドキュメンタリーが流れている。それは感情的ではない。どのようにドイツ、イタリアと同盟を結んだかとか、歴史的事実に基づくものである。

 アメリカ国内でも真珠湾攻撃に関していろんな議論があるということだったが、議論をじっくり聞く暇もなく、今日は買い物に走った(以下、買い物の話)。
 

 午後からMさんと買い物にでかけた。

 モールは人で賑わっていた。感謝祭を過ぎたらクリスマス一色なので、クリスマスプレゼントを買いに来る人が多い。また年末に向けて物も安くなっている。
 モールの裏にあるカジュアル系衣料店にも行ったが、セールをやっていた。季節が過ぎたものも含めて安くなってるし、セーターも25%オフになっていたりした。それでもまだ下がるだろうと踏んでいる。
 コートの定価が42ドルのものが9ドル99セントで売られていたので、買ってしまった。結構時間を費やしてしまったが、また来てみたい、、、。セールはなんて楽しいんだろう。

 アパートに戻ったら、学校に行くといっていたネジャーティが寝てた。どうも学校に行かなかったらしい。それだったら衣料品店で見てみたいものがあっただろうに、、。

 晩ご飯を食べたら眠たくなってしまった。横になっていたら、出そびれたネジャーティが「ドーバーにコーヒーを飲みに行こう、そうじゃなかったら学校に行くから」というので、眠たいから学校に行ってもいいよ、というと起きたら目がさめるから、とむりやり起こされてしまった。

 コーヒーショップについた頃には目もさめていた。そこは梨奈と頻繁にくるようになってからだと思うが、子供用のテーブル、椅子、塗り絵などを置いてくれるようになり、今日も塗り絵で遊んでいた、というより、自分が塗り絵をして楽しんでいた。結構楽しいものである。たんすの色は枠この色、引出しはこの色などと選んでいくと、自分の好きな色の傾向がわかる。どちらかというと、明るくて優しい色を選んでいるようだ。他のページを見ると、原色や濃い色が使われていて、「日本人はこういう色使いしないような」と思ってしまう。

 梨奈が飽きてきたので、帰ることに。途中、銀行の外にある時計兼温度計を見たら2度だった。帰ってテレビを見てたらボストンの方に雪が降ってるらしい。そのうちここも雪が降ってきた。天気図を見ると、この辺のアメリカ北東部だけ、雪が降っている。ボストンでは初雪といってたが、先週この辺では少し降ったので初雪ではない。いずれにしても本格的な冬に入ってきているなということだ。

 せっかく暖かい日が続いていたのに、、、、(もう!)。

 



2001年12月06日(木) 覚えた言葉

 梨奈にとって里帰りして一番の成果といえば、言葉を少し覚え始めたことだろう。

 両親、私が言うこともだんだん理解していった。父が「おてつだい」というと、父が洗った牛乳ビンを梨奈が配達用のプラスチックかごに入れたり、母が毎日「茶摘」の歌を歌いながら「せっせっせ、な〜つ〜もち〜かづく、、、」と遊んでいるのをこちらでも続けていたら、自分から「せっせっせ、あ〜う〜、、、ち〜、、は〜、、とんとん」と大まかな節をつけて歌うようになったり、はたまたテレビのコマーシャルの「まる〜!」というのも「あう〜!」と、急に覚え始めた。

 最近は言った言葉を真似し始めた。日本から買ってきたひらがなカードに絵がのってるので、その絵を見て「あり」「えび」と教えると、それにほぼ近い形で言えるようになった。
 ちなみにひらがなカードには食べ物、動物、身につけるものなど、身近なものが載っていて、ネジャーティにも見せると、13個知っている言葉があった。やっぱり言葉って身近なものから覚えていくものなのだなと思う。

 



2001年12月05日(水) 電話2

 またまた早起き。寝ている間に雨が降ったようだった。

 朝のうちはまだ電話がつながっていなかった。ネジャーティが、「もし午前中つながらないようだったら、学校に連絡して。」といったので、「わかった」というと、ネジャーティが笑っている。

 「何で笑ってるの?」と聞くと、「電話がつながってないのに、どうやって学校に連絡してくるの?」
 一本取られた。

 雨が降った後、時々アパートのお湯が濁る。今日も9時ぐらいから濁ってきた。ネジャーティはその前にシャワーを浴びたので、大丈夫だったようだ。

 10時すぎに梨奈と買い物に出かけた。水曜日はMacy'sのセールをしているので、何かないか行ってみた。
 駐車場は車がいっぱいで、びっくりした。

 買うものもなく、フードコートに行くと、梨奈がダンキンドーナツの前に行って、買いたがっている。いつもと同じ物を買って食べた。

 なかなか帰りたがらず、大変だった。何とか車に乗せて帰宅したが、梨奈は途中から眠っていた。梨奈も朝早く起きるようになったから、きっと眠たかったんだろうな。
 
 帰ったら電話が直っていて、留守電に電話会社から直しましたというメッセージが入っていた。

 



2001年12月04日(火) 電話

 先週の金曜日あたりから電話回線がおかしく、雑音がひどかった。電話がつながってない状態で受話器をとっただけで雑音があって、電話で話すと相手の話がかろうじて聞こえるぐらいだった。

 今日ネジャーティが学校から電話会社に連絡したようで、しばらくすると、受話器をあげても電話がつながらなかった。もちろん電話もかからない状態だった。

 毎日のようにかかってくるネジャーティ宛のカード会社の勧誘の電話もかかって来るわけがなく、静かな日だった。

 



2001年12月03日(月) 日本に帰って

 日本に帰って、1年間で変わったなと思ったこと。

1)プラスチックのリサイクル
 以前はプラスチックほど莫大な量が燃えるごみとして捨てられているものはないと思って仕方がなかった。それで、もしこのプラスチックが回収されて、リサイクルに回されたらどれほどいいだろうと思っていた。

 今回、日本に帰って、「プラ」という文字を目にした。ちょっとした包装ビニールにも「プラ」と書いてあり、プラスチックとして回収できるようになっていた。とても画期的なことだなと感心したが、実家の地区では、プラスチックの回収はなされていないようだった。

 友人のマンションでは9種類のごみの分別が始まるといっていた。その中にプラスチックも入っていた。多くの所帯が集まっているところではとても効果的だろう。一人一人が面倒くさがらず、たったこれしきと甘えず、徹底すればとても効果的だと思った。
 「ごみ」なんていう概念は人間が生み出したもの。地球上に存在するものを利用して捨てる時に「ごみ」なんていうのは、人間のおごりだと思ってしまう。


2)空港の喫煙コーナー
 アメリカに戻る時、成田空港を経由した。成田に来たのは昨年来だが、以前はターミナルにある喫煙コーナーは、ただ椅子と吸殻入れを設置しただけで、お粗末なものだった。
 今時の空港に、そんなお粗末なことはない。喫煙者には申し訳ないが、喫煙しない者にとっても、いろんな事情があって、煙を吸うことはできない。2年前には妊娠中で、匂いに敏感な時期だっただけに、いやな思いをした。

 大人だけではなく、子供も利用する公共機関なのだから、もう少し配慮されててもいいと思っていた。

 今回行ったら、喫煙コーナーには、囲いが設けられていた。煙を吸う機械があったかどうか覚えていないが、囲いがあるだけでも、煙が広がる範囲が狭まっていい。

 喫煙者にとってどんどん肩身が狭くなっているかもしれないが、一時のこと、我慢をして欲しい。



2001年12月02日(日) パーティー

 最近は朝早く目覚める。今日は5時起きだ。まだ時差ぼけが治っていないようだ。

 朝ご飯を早く済ませて、お昼前にスーパーに買い物に行った。あまり買うつもりはなかったが、買うものは結構あった。

 お昼を食べたら、また眠たくなったので、寝ようと思ったが、結局寝ずに、パーティーに持っていくポテトサラダを作ることにした。
 出来上がったところで、ネジャーティが帰ってきた。眠たくなったので、横になってうとうとしていた。それに昨日の外出で、風邪気味になった。

 時間になって、梨奈もちょうど起きたので、アパートのコミュニティーセンターに行った。今日はいつもより人数が少なかったが、何だかんだ話して、9時過ぎまで残っていた。

 私は日本でリフレッシュして帰ってきたが、学期が終わるまであと2週間あって、疲れが最高に達している。私一人だけリフレッシュして申し訳なく思った。



2001年12月01日(土) パレード

 夕方近くにポーツマスに行った。今日は気温が高くて20度近くあった。それでもポーツマスは海が近いので、風がある。
 ダウンタウン近くの道路に電光掲示板がおかれていて、6時から8時まではクリスマスパレードがあるからメインストリートは通行止めになるとあった。サンクスギビングも終わって12月に入って、あとはクリスマスだけだ。

 車を置いて町を少し歩いて、コーヒーを飲みに店に入った。するとちょうどKさんたちが店を出て行くところだった。明日のパーティーで会えるので、その時にまた話せる。
 コーヒーを飲んで、しばらく休んでいた。メインストリートには風船などを売っている人が4人ほどいた。梨奈はプーさんの風船を見て、「プーさん」と言っていた。でも他のくまのぬいぐるみでのプーさんと言っている。

 パレードまで残るかどうかわからなかったが、近くの衣料品店を回ることにした。Banana Republicに入ったらセールになっているものもあった。私のサイズはアメリカでは小さい方なのでセール品に回っていることがある。結局服は買わず、セールになっているかばんを買った。店内でまたKさんに出会った。

 パレードまでもうすぐだったので、結局少し見ていくことにした。メインストリートに戻ったら、さっきよりも人が増えていた。
 6時を少し過ぎて、普段一方通行になっているメインストリートの反対の方向からパレードの山車がやってきた。警察隊や、地元の高校の音楽隊、さらにはミスニューハンプシャー、ミスマサチューセッツなど、近隣の州のミスがオープンカーでやってきた。

 パレードが始まって30分が経ったが、まだ終わる様子もなく、帰ることに。パレードの最後はサンタがやってくることになっていたが、今日サンタに会えなくてもいいだろう。25日までサンタは至る所に出没するはずだ。


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