オクラホマ・スティルウォーターから

2001年10月30日(火)

 隣町の駅ビルにみんなで行った。中華料理屋でお昼を食べた。夜はとても高いが、昼はランチもあって高くない。おかずを2品、ランチメニューを1品頼んで食べた。久しぶりにおいしい酢豚を食べた。梨奈も酢豚を食べた。ネジャーティには知る由もない。ネジャーティは私たちに豚肉を食べてほしくないのだが、酢豚も焼肉もおいしいのに食べないなんてそんなことはできない。日本では豚肉解禁である。

 買い物を済ませた後、父はカラオケボックスで歌って帰るというので、母と私は先に帰った。またミスタードーナツのドーナツを買って帰ったので、それを食べた後、梨奈も母も昼寝に入った。このときとばかりコンピューターを触っている。



2001年10月29日(月) 病院

 お昼に病院に行った。ちょうど梨奈が寝ていたので、両親に見てもらうようにした。病院の外科で右胸にあるしこりを見てもらった。まだ授乳が続いているが、詰まってしまったのかいつのまにかしこりができていた。ニューハンプシャーのクリニックでは、超音波を撮ってもらったが、別のクリニックを紹介され、しこり自体を取りますといわれた。日本で診てもらうことにしたので、今日行ったというわけだ。

 待ち時間も少なく、すぐ診てもらった。触診では、乳がんとは違うようなしこりだといわれた。木曜日に超音波と注射針で組織を取ることになり、予約を入れた。支払いのほうが待ち時間が長かった。
家に帰ると梨奈が起きていた。帰る30分ぐらい前に起きたらしい。買ってきたパンを一緒に食べた。



2001年10月28日(日) 電話2

 夜、ユキ子さんから電話があった。ユキ子さんは厚木に住んでいるが、11月の下旬にこちらに遊びに来てくれる予定だ。それに関して聞きたいことがあって電話をくれたらしい。
 ユキ子さんは厚木に親戚がいて、親戚と一緒に住んでいるが、どうやって会話してるの?と聞くと、親戚は片言の英語と身振りで話すようだ。ユキ子さんも日本語は勉強したが、それだけでは、やはり大変なようだ。それは英語でも同じだろう。近況もいろいろ聞いたりした。
 11月はいろんな人に会えるのでとても楽しみだ。



2001年10月27日(土) 母校

 今日は母校に帰った。バスで駅まで行けば、途中で快速に乗り換えるが一本で母校に行ける。最寄りの駅に着いたら恩師に電話をするように言われていたので電話をしたら、恩師は電話に出られないらしく、高校までタクシーで行くことにした。学校に着いたら車に乗っている恩師を見つけた。すれ違いにならなくてよかった。

 学校ではまず職員室へ。知っている先生もいらっしゃって、久しぶりにお話した。同級生の一人も教師になっているので、会うことができた。先生方とお会いするのは少し気恥ずかしかった。今年の2月に就職に失敗したので、怒られるのではないかと思ったが(この年になって怒られはしないか、、、)、こちらが生徒なのに「よく来てくれました」ととても温かく迎えていただいて、反対に恐縮した。

 その後、恩師の教科の研究室に場所を移して、お土産のニューハンプシャーのカレンダーをお渡しした。ご子息も今アメリカにいらっしゃるので、祝日などもカレンダーからわかるね、といわれたのでよかったかもしれない。
食堂でお昼をごちそうになった。昔はランチボックスに入っていたが、今はAランチとBランチがあって好きな方を選ぶようになったらしい。

 研究室に戻って少ししたら、後輩がきた。携帯にそろそろ電話しようかなと思っていたところだった。ご主人もここの学校の教師で、職員室で偶然お会いしたので、連絡が行ったらしい。
 後輩と会うのは3年ぶりぐらいである。お互い結婚して子供も生まれて、すっかりお母さんになった。後輩の子供も漢字は違うが偶然私と同じ名前である。
後輩と話をして、後輩が帰って少しして、校舎の周りを少し歩いた。2年前に来たときはちょうど白鳥の雛が孵った後だったが、今見ると、どれがその雛か分からない。

 夕方になって、先生も家庭訪問があるということで、学校を後にすることにした。駅まで送ってくださった。駅からは一本で帰れる。梨奈も疲れたのか寝てしまった。
 本当に学校に行ってよかった。



2001年10月26日(金) 退屈そうな梨奈

 今週はどこにも行ってなかったので、梨奈が退屈そうだった。バスに乗って駅前のコープデーズに行った。食器売り場は大好きである。陶器、ガラス食器など、食器は何でも好きなので、日本に帰ったときには必ず見てしまう。やっぱり文房具屋に行ったら、クリスマスカードやお正月カードが100円と安くなっていた。きっと去年の残り物だろう。でも、日本らしい、立体カードがあったので、それを買うことにした。梨奈は小さいかごを持って、クレヨンをかごに入れる。梨奈ちゃ〜ん、買わないよ。レジに行くときに、カードの下にあるクレヨンを梨奈に見られないように取り出して、元のところに置いておいた。

 買い物したあとにミスタードーナツに寄った。店内が狭いからか、喫煙、禁煙席などなかった。女性ばかりの客なのにタバコを吸う人が多くて、びっくりしたのもあったが、店内がもくもくしていて、あまり気分がよくなかった。喫煙と禁煙としっかり分かれているところに慣れていた私は、こういうところはあまり好きではない。空港もそうだったが、喫煙コーナーはただ、そういう空間を設けているだけだ。喫煙室を設けて、他の空間と隔離させるぐらいにしないと意味がないと思う。タバコを吸わない人だけではなく、子供にもよくないし、妊婦にもよくない。以前妊娠していたときに、空港でタバコの匂いに敏感で、とても気分が悪かった。妊婦が喫煙すると血管が収縮して子供に十分栄養が行かないので、妊娠中は控えるように指導されているのに、周りが吸っていると同じになってしまうから、本当に意味がないと思う。

 そんなことを思いながら、ドーナツだけはしっかり味わった。やっぱりミスタードーナツだ。いろんな種類があるし、味も甘すぎないし、おいしい。自分の知らないドーナツの種類も増えていた。




2001年10月23日(火) 電話

 昼過ぎに友人に電話した。他の友人から私が無事帰ったことを聞いたようで、FAXをくれたのだが、こちらから電話をしていなかったので、電話をかけた。
 友人は風邪で寝込んでいた後だったようで、それより前にかけたら迷惑だったかもしれない。近々他の友人がプチ同窓会を開いてくれるようで、そのときに会えるのを楽しみに電話を切った。

 夜、別の友人から電話があった。最近メールのやり取りをしたが、電話で話すのは何年かぶりだった。この友人とももうすぐ会えるようなので、積もり積もった話をするつもりである。

 友人と話せてとてもうれしかった。



2001年10月21日(日) 買い物2

 今日はみんな家にいたが、梨奈は退屈そうで家の中をうろうろしていた。夕方母の仕事場に行った。時間があったので、近くのスーパーに行った。お菓子売り場に行ったら、子供が何人かいて、男の子が「このあめはまわりが辛いねん」と、私にお菓子の説明をしてくれる。「そしたら食べられへんねえ」といったが、きっとお母さんが食べさせないようにそうやって子供に言っているらしい。ガムも食べないように言われているようだが、「これはガムやから食べたらあかんねん」「これはシールガムやねん」と、また説明をしてくれる。梨奈にはまだこういうのは通じないので難しい。子供が辛いといっていたあめを握り締めて離さない。レジに持っていって、「すみません、これは買わないので」といって、梨奈がはい、と渡したのを引き取ってくれた。買い物もなかなか大変だ。



2001年10月20日(土) 買い物1

 昼前にバスに乗って買い物に行った。そのスーパーは去年里帰りしたときには工事中のところだった。スーパーの周りはちょっと開けてホームセンターもできていた。ホームセンターによってからスーパーに行った。中では何も買わず外に出た。スーパーの入り口近くに滑り台などの遊具類が置いてあって、子供たちが遊んでいる。車の形をした遊具類に行きたがっていたがすでに男の子が乗っていて、男の子に「僕が乗ってるの」といわれてしまった。少ししたら男の子の隣が空いたので、隣に座って運転のまねをしていた。男の子は時々梨奈に話し掛けていた。

 買うものがあったことを思い出してスーパーの中に入ろうとしたが、梨奈は入りたがらなくて、入るのに大変だった。買い物を済ませて、スーパー内にあるマクドに寄った。何か食べたいらしく、駄々をこねられた後、ポテトを買って外で食べた。
買い物に疲れたらしく、バスを降りる手前で寝てしまった。バス停からは坂を登らなければならないので、ベビーカーを押すといっても大変だった。



2001年10月19日(金) 散歩&カット

 朝、梨奈が外に出たがっていたので近くにある県の森林公園に出かけた。坂を登っていかないといけないので、梨奈はやはり途中でしんどくなってくると抱っこをせがむ。歩いていくと、幼稚園の団体を見かけた。今日は天気もいいので遠足日和だ。大阪から小学校も遠足にきていた。

 昼からは髪の毛を切りに行った。梨奈を置いていくことにしていたが、出かけるときに眠たくて泣いていた。泣いているのを横目に台所から外に出た。
髪の毛は半年切っていなかったのでとてもうっとうしかった。それに髪の毛が重く感じてしかたがない。

 いつも髪の毛を切ってもらうと終わるまでに2時間近くかかってしまう。切ったあと床を見たら切った髪の毛がかつらになっていた。ネジャーティにあげたいぐらい。売りにいけるかも。これだけ髪の毛が多いと大変だ。久しぶりに軽くなった髪の毛に気分も爽快。帰りに近くのケーキ屋で近くの山の名前がついたシュークリームを買った。



2001年10月16日(火) 到着

 飛行機はシカゴからカナダに入って、アンカレッジあたりを通って日本の太平洋側沿いに入ってくる。北海道近くまでくると、興奮高まる。やっと日本国内に入って、長野の上空を飛ぶ。富士山が左に見えるはず。窓側に行くと富士山が〜! 雪がない! 写真にとる。スクリーンでも地図で富士山という文字が。機内には日本を経由して中国に行く人や外国人もいるので、みんな窓側に来て富士山を見る。

 関空には予定時刻を少し過ぎて到着。雨が降っている。台風の影響で雨が降っているらしい。乗務員が入国審査、税関まで着いてきてくれて、荷物も手伝ってくれた。これもファミリーサービスらしく、やはり日本の航空会社だ。
税関を抜けると、両親が迎えに来てくれていた。1年2ヶ月ぶりで、梨奈も大きくなっているので、久しぶりに梨奈に会えてうれしかったようだ。

 バス停に時間を確かめに行くとあと1分で出るというので、急いで中にいる両親を呼んでバス停に。はじめに阪神のバス停に着いた。すぐ近くで働いている友人が来てくれていた。友人にはそこで降りるといっていたのだが、両親は次のバス停の近くに車を置いてきたようなので、停車時間だけ友人と再開し、話をした。

 買い物をして、晩ご飯を食べに。帰宅したときには雨も小ぶりだ。とにかく無事に着いた。



2001年10月15日(月) 出発

 午前3時前にアパートを出て車でボストンの空港に向かう。空港に着いたのは4時。出発2時間前だ。旅行会社からは3時間前に行っておいてくださいといわれたが、航空会社のHPには国内線は2時間前でいいとあったので、4時に着いておけばいいかなと思っていた。

 チケットカウンターに行くと、すごい行列。どこが最後尾だろうと歩いていく、後ろまで行くと、私と同じ時に並んだ女性が通りかかった係員に「シカゴ行きもここに並ぶんですか?」と聞いていたら係員が「シカゴ行きは別の列です」と言っていたので、その女性についてほかの列に。列には行き先の看板など出ていないので、その女性はある列の人に「シカゴ行きはここですか」と聞いた。その列の人も確かではないらしく「そうだと思って並んでるんだけど」ということで、とりあえずその列に。その列は20人程度しかいなかったので、そんなに待たなくていいだろうというところだった。

 シカゴ行きはまだカウンターに誰もいなくて、手続きは始まっていない。そのうち始まったが1人だけなので時間がかかりそうだ。もし1人に3分かかったら20人で1時間。間に合うかなあ。何とか自分の番が回ってきて搭乗券をもらったのが5時10分。まだ時間はあるかとゲートに向かう。ゲートの手前にはセキュリティーチェックがあって、またそれがすごい列。時間が刻々と過ぎていく。後ろの人もシカゴ行きに乗るそうだ。そのうちセキュリティーの人が「シカゴ行きの人〜」というと、私の前の人はほとんどシカゴ行きということで、そのままセキュリティーが進む。いつもはゲートまで搭乗券を持っていない人も入れたが、事件以降、搭乗券を持っている人はゲートまで行けない。ネジャーティとはここで別れて機内に。

 結局40分遅れで出発したが、シカゴでは時間があるのであまり気にならない。シカゴに着いて、国際線のターミナルに向かう。ターミナルのセキュリティーの手前でコーヒーを飲む。なんか眠たくなった。梨奈も寝てしまって、梨奈を抱きながら、半分寝ていた。セキュリティーに行くと、搭乗券を専用カウンターで交換してきて下さいといわれ、カウンターに。ボストンでシカゴからの搭乗券ももらったのだが、航空会社が違うので、換えないといけないということだった。いつもはゲートの手前で換えるのだが、セキュリティー強化でチケットカウンターで換えないといけないらしい。だから人が並んでたんやぁ。カウンターには誰も並んでいなかったので、すぐにチケット交換。やはり日本の航空会社、対応がいいなあ。ファミリーサービスを受けられるということで、優先的に搭乗させてもらった。 

 時間通りに出発。席は大きいスクリーンの前で、隣には誰もいない。後ろも誰も座っていなくて、後ろの席に移動。肘掛を上げて広々と使う。梨奈を横に寝かせたり、自分も寝転んだりと、とても楽だ。多分ゆったりと帰ってきたので、梨奈も機内で暴れることなく安心。



2001年10月14日(日) 準備

 今日は一日中曇りで、霧雨が降っている。ひたすら準備。洗濯したり掃除したり、ほとんど終わる。早めに着替えたら、「もう出かけるの?」といわれ、また着替えなおした。

 今日はおそらく徹夜だろう。



2001年10月13日(土) 紅葉

 この辺の紅葉は例年より少し遅い。でも2時間ほど北に行ったところにあるWhite Moutainの方はきれいだろうと、Hさん、Mさんを誘って、ネジャーティ、梨奈の4人半で今日は山に行くことになっている。

 朝起きたら曇っていて、もう少ししたら雨が降るかもしれないという天気だったが、天気予報では山の方は少しだけ曇っているだけになるそうだ、ということだった。途中軽い食べものや飲み物を調達して、山に向かった。

 途中の湖にはふつう1時間かかるのだが、あっという間に湖に着いた。みんなでおしゃべりをしていると1時間なんてあっという間だ。なんて楽しいんだろう。車をとめて、湖を眺める。もう少し車を走らせると、湖を見下ろせるところがあって、そこでも車をとめる。Hさんがいわれてたように、午前中に見る景色はとてもきれいだ。光の角度が関係しているらしい。地図を見ていると、これでも湖のほんの一部だ。

 湖沿いをずっと走っていると、(といっても湖がずっと見えてるわけではなく)
紅葉がより進んでいて、赤、黄色といった色だけでなく、オレンジもあったり、紅葉しない松の木の緑など色とりどり。

 高速に入って、山を眺めると、山がいろんな色に紅葉している(もっとましな言い方ないんかい!)。インフォメーションセンターに寄ったあと、Flume Gorgeに。岩が切り立っているところである。その岩を抜けて、山道を歩く。1時間ほど、紅葉の下を歩く。梨奈を連れていたので、途中HさんやMさんが抱いてくれたりして、とても助かった。Hさんに「これはブナ」とか、木の種類のガイドを受けた。

 約1時間歩いて、おなかもぺこぺこ。インフォメーションセンターの近くのマクドナルドで昼食。

 また同じ方向に戻って、今度はOld Manを見に行く。「Old Man of the Mountain」という山があって、ある方向からおじいさんの横顔に見える岩山がある。山の上の方に小さくみえるので、拍子抜けするものなのだが、一応、ニューハンプシャーのシンボルになっていて、車のナンバープレート、州道路の標識、25セントのコインにも描かれている。

 見るだけ見て、帰路に。後ろに座ってしばらく寝てしまった。高速道路から一般道路に抜けるのに少し手前の出口を教えてしまって寝たため、少し回り道になった。どちらにしても帰れる道路なのだが、途中とてもきれいな景色を見つけた。川辺の紅葉が水面にはっきり映っている。ちゃんと赤、オレンジ、黄色、緑と線になって映っている。しかも夕日に映えて、色鮮やかだ。そこで休憩してカメラやビデオに撮った。

 そこからはネジャーティが後ろに座って私が運転した。しばらくしたらネジャーティが寝たようだ。Hさん、Mさんと日本語でずっと話していて湖の方まで戻ってくると、雲ばかりで急にあたりが暗くなった。時間はまだ6時ぐらいだ。ローチェスターで晩ご飯を食べる予定だったが、ネジャーティがおなかがすいていないというので持ち帰りにすることに。

 天気にも紅葉にも恵まれ、とても楽しい日だった。



2001年10月12日(金) 買い物&再会

 夕方近くにHさんとMさんと買い物に行った。Mさんが銀行口座をあけるというので銀行に先に行った。日本では銀行口座を開く時、10円でも100円の預金高でもいいが、ここはだいたいが最低100ドルとか決められてて、それを下回ると手数料をとられる。州内だけの経営と決まってるため、いろんな制限があるのかも。

 それはさておき、セールをしているカジュアル系衣料店と、近くの食料品店で買い物。Hさん、Mさんがスーパーで買い物している間に、近くのコーヒー屋で腹ごしらえ。すると、以前日本語のクラスの学生だったジェイソンさんが彼女と店内にいた。ジェイソンさんはいつもカーボーイハットをかぶっていて(授業中でも)、すぐわかる。モールで見かけたこともある。Hさん、Mさんが買い物を終えて、外で待っていてくれてる間、ジェイソンさんに挨拶して外に出た。

 今日はWICプログラムの紙が使えるスーパーに買い物に行くことになっていたので、夕食後、買い物に。パックのジュースを選んでいたら「ミズ○○○」と名前を呼ばれた。振り返ると、オーレリアさんだった。オーレリアさんはお母さんが大阪出身の日本人でハーフだが、絶対に日本人のハーフには見えない。彼女も3年生になった。クラスメートだったユキ子さんが日本にいることや、私が月曜日に日本に行くのをとても羨ましがってた。次の次の夏にお母さんと日本に行くことにしているらしい。

 今日は2人の学生との再会をした日になった。



2001年10月11日(木) あれから1ヶ月

 今日であの事件以来1ヶ月が経った。ここは大学の小さい町で混乱もなく、学生も学期が始まって1ヶ月は経ってるので、何となく落ち着いたといったところだろうか。

 今日は朝から用事があるので、昨日あまり寝ていないにもかかわらず早起きした(おなかが空いておきたというのも実は理由の一つだが、、)。テレビをつけてチャンネルを回していたら、中国のテレビ局、中央電視台(CCTV)がドキュメンタリーを放映していた。実は日本のことだった。梅屋庄吉という人が、孫文の銅像を中国に寄贈したりと民間レベルで中国と日本の交流に貢献した人らしい。なぜ孫文かというと、孫文を支持していたからだそうだ。孫文といえば、神戸にもいたことがあって、神戸には孫文の記念館がある。

 日本が自作自演の鉄道爆破で戦争がはじまって、梅屋庄吉は中国と仲良くしているということで容疑をかけられたりしている。日本軍が大陸にいる映像が映るにつれて、複雑な気持ちだ。なぜ侵略する必要があったんだろう。なんで大量虐殺をする必要があったんだろう。日本軍はいい気になって、一般人を虐殺していった。日本人は忘れていても、中国人は忘れていない。

 ちょうど時期が時期だけに、アメリカの攻撃と重なる。今回のアメリカの態度は気に食わない。人々の愛国主義を利用して、アメリカの強さを武力行使で示そうとしている。ブッシュは父親もそうだったが、どうして武力でアメリカの強さを見せたがるのだろうか。今回の攻撃はブッシュにとっても格好の見せ場になっている。

 マスコミも煽ってるような気がする。少し前に平和デモが西海岸であったときに、テレビでは65%の人が攻撃を支持しているといっていた。平和デモに関するニュースだったら、なんで35%の人が反対しているといわないんだと思った。

 書いてたら、だんだん腹が立ってきた。



2001年10月10日(水) 3年目

 3年目の結婚記念日だった。少し前まで友人に言われるまで忘れていた。ネジャーティはとても覚えていないだろう。
 今日はEカードをAさんからいただいたり、とてもうれしかった。

 さて、日付けが10日に変わったところでネジャーティに聞いてみた。

私 「今日は何日?」
ネ 「10月10日で、10・10」。
私 「10・10は何の日?」
ネ 「(少し考えて思い出して)ウッキー!(←おサルさん状態)。すっかり忘れてた。記念日おめでとうだね。ケーキかパイは?」
私 「ウッキー!(と今度は私がおサルさん状態に)」

 そんなわけで、昼過ぎにドーバーに行ったついでにケーキを買ってきた。

 夕食はいつもと変わりのない食べものだったが、それなりにお祝いした。

 夜、家から電話。用事だけを話す母に、「今日、結婚記念日やねん」といったら、「そうやったね。おめでとう。何年? 3年経つんやね。よう続いたね」と突っ込まれる。そんなお祝いの言葉である。



2001年10月09日(火) 見つけもの

 今日は遅く起きて、久しぶりによく寝たと感じた。それでもぶっ通し寝ることはなくて、梨奈が一度か二度、目を覚ますたびに起きている。

 なんだかんだしてたら昼下がりになって、ダウンタウンのお店に買い物と現像を出しに行った。途中近くの池に寄ったら、鴨やカモメが寄ってきた。ごめんね、パンを持ってこなかったよ〜。

 ネジャーティがおなかを空かして帰ってきた。私に郵便物があった。やっとチケットが届いたぁ! 昨日はコロンブスデーだったので、きっと配達もなかったから今日になったんだろうな。ふっと消印を見ると、10月1日となっている。なんでこんなに遅かったんだろう、ふつうボストンからだったら2、3日で着くはずなのに、とふと見ると、郵便番号が間違ってる。8が0になってた。ちなみにそういう郵便番号はないようだが、それにしても9日もかかってるなんて、かかりすぎだぁ!!

 今日は簡単な夕食だったが、お肉を炒めてたら、大きい中華なべなのに、一切れお肉がひゅっとコンロと壁の間に飛んでった。その隙間は4センチぐらいで、隙間をよく見ると一番奥に白いものが見える。何だろう?と目を凝らしてみると、虫さされの薬だった。欲しい時になくなって結局夏が終わって、蚊のいない時期になって今頃出てきたよ〜! まだ見つかっていない鍵もあるかなあと思ったが、そこにはなかった。コンロの後ろにも隙間があるから覗いてみたが暗くてわからなかった。それにしてもどうやってあんな奥まで行ったんだろう? それにしても恐るべし、梨奈。

 



2001年10月07日(日) リフレッシュ

 金曜日、土曜日とネジャーティは鬼のような仕事をしていた。金曜日は夕食も取らず結局朝まで帰らず、土曜日は夕方起きてまた学校に行って帰ってこなかった。

 私は昨日寝たのが遅かったにもかかわらず、早起きしてコンピューターに向かった。ネジャーティも梨奈も寝てる。お昼になって梨奈も起きたので、お昼ご飯を食べて一息した後に買い物に行くことにした。里帰りまで1週間になって、いろいろ買うものもあったので、一応寝てるネジャーティに出かけることを言ったら、起きて一緒に行くというので一緒に買い物に言った。

 お米を買った後、Walmartに寄った。駐車場に着いたら、ちょうどバンが出て行った。バンにはアラディン(アラジン)と書いてあった。以下、ネジャーティ(以下、ネ)と私の会話

ネ 「アラディンはトルコ語でよくある名前だよ。」
私 「物語にも出てくるよね。」
ネ 「そう、アラジンと四十人の盗賊。」
私 「違うよ、アラジンは魔法のランプ。」
ネ 「じゃあ、盗賊の話は?」
私 「アリババでしょ」
ネ 「アリババもトルコ語だよ。アリは男の人の名前、ババはお父さんという意味だよ」
梨奈 「ババー、ババー(ネジャーティ喜ぶ)」
私 「アリババが一つの名前かと思った。じゃあ、トルコでは「アリ父さんと四十人の盗賊」なの?」
ネ 「トルコではそういう解釈になってるよ」

 買い物も無事済み、帰宅。おかずを用意するだけでいいので、すぐ夕食。2人ともおなかが空いていた。特にネジャーティはこの2日、ろくなものを食べていなかったから、あっという間に平らげた。

 ネジャーティはとてもストレスがたまっていたが、買い物に行ってリフレッシュしたようで機嫌もよくなった。ホッとした。  



2001年10月06日(土) アップルハーベスト

 朝から天気が悪く、雨も降り出したりしてアップルハーベストのお祭りにいけるかなと心配していたが、出かける頃には雨もほとんど止んで、ドーバーに着いた頃には晴れ間も出だした(やはり晴れ女だ)。

 アップルハーベストは毎年この時期にダウンタウンのメインストリートを歩行者天国にして、道にお店が出る。どちらかというと、ストリート沿いにあるお店が出していることが多いが、そうでないお店もある。消防署からもデモンストレーションがあるようだし、消防署員もニューヨークへの寄付金を呼びかけていた。以前行った時はもう少しりんごが売ってたりしたのだが、お昼を過ぎていたからか、それは見られなかった。アップルパイなどのりんごを使ったおかしも前ほど見られず、一緒に行ったHさんもMさんも思い描いていたのと全く違っていたようで、申し訳なく思う。

 メインストリートからヘンリーウエイパークに入ると、フードコートと称して食べもののスタンドが出ていたり、遊園地にあるようなちょっとしたものがあったりと梨奈にはうってつけだが、一旦遊んでしまうときりがないので、メインストリートに戻った。ずっと上がっていくと、いつものコーヒー屋にたどり着いた。AさんやPさんがいないかなあなんて思いながら入ったが、結構な人だかりだ。Mさんはスパイシーパンプキンのフレーバーコーヒーを注文したら、とてもはずれだったらしい。私も一口飲んだが、かぼちゃスープの味のコーヒーといったようなもので、とても複雑な味だ。このフレーバーは初めて見た。砂糖を入れたらますます大変な味になったそうだ。

 一通り歩いたので、次の目的地に。先週行った塔のある公園だ。公園に着くと、塔のてっぺんには黒いスーツを来た男性が4人いた。持っているものはカメラか双眼鏡か、、、。FBIか、CIAか、誰なんだろう、よく見たら若い人たちみたいだよ。でも怪しいよね言いつつ、上っていくことに。
 先週上ったからか、今日はこの前より怖くない。でも風がきつい。

 アメリカ人じゃないのかな、とかいって、話してみると、ユタから来た教会の人たちだった。20歳前後のとても若い人たちで、2人はドーバー、後の2人はローチェスターの教会に派遣されたらしい。ユタからこんな遠いところに、、、。少しおしゃべりをして、その人たちは下に降りていった。写真を撮って私たちも降りた。

 紅葉は色が変わってるのもあるが、枯れてるのもあったり、Hさん曰く、水が少ないそうだ。来週は天気がよければ、White Mountainに行く予定だ。北のほうが紅葉が進んでいるだろうからとても楽しみだ。



2001年10月05日(金) 変更

 チケットがまだ届かないので、旅行会社に電話をした。それで「旅程は行きはシカゴ経由、関空行き、帰りは伊丹から成田、シカゴ経由のチケットですね」といわれた。どうもアメリカに戻る時のが伊丹発になったらしい。関空=シカゴ間が11月から運休したのは友人からの情報と航空会社のHPで確認していたが、実際に既に予約が変更されてるなら言ってよ〜!と内心怒る。

 関空シカゴ間は毎日運行されているわけではないので曜日を選ばなければならなかったが、伊丹からだと毎日出てるから曜日を変えたい。旅行会社から航空会社にきいてもらうと、無料でしてくれるそうだ(当たり前や!)。とりあえず、家の者と話してかけなおします、と電話を切った。
 今日は郵便受けの鍵を持ってるネジャーティがまだ郵便物をチェックしてないので今日きているかどうかわからないが、とりあえず、旅行会社には変更の電話をかけようっと。

 留学生センターに必要書類を取りに行った帰り、キャンパスの中を歩いていると、ホームカミング(Homecoming)のポスターが貼ってあった。ホームカミングは卒業生のための日で、学部で食べ物を出したり、フットボールの記念試合があったり、ゲストがあったりとちょっとしたお祭である。そういえば、日本の大学のような文化祭ってないなあ。

 去年はもう1週間遅くて、ちょうど両親が遊びに来た日にやっていた。今年はいつあるんだろうなあと見てみたら、10月6日と書いてある。明日?ということは今日の晩にパレードがあるはずだ。ここの大学のパレードは今まで見たことがなかったので行ってみたいと、キャンパス内に住むHさん、Mさんを誘った。

 パレードを見る人たちも少ないし、山車も少なかったので、ちょっと気が抜けた。フロリダ時代、午後のクラスが休講になって、お昼間にパレードがあった。クラブ、団体も参加した、とても賑やかなものだったので、それを期待していたが、時間的にも遅かったから仕方がないかも。

 Mさんの学生のTさんにもあって、体育館での催し物を見ようと一旦は行ったものの、帰ることにした。ネジャーティは食事の時間になっても帰らず、先に食事をしていたら、花火が始まった。台所からも見えるが、窓のすぐ外にある木であまりよく見えず外に行くことに。他の人も外に出て見ていた。

 明日は隣町でアップルハーベストというお祭りがあるのでそれに行くことにしている。



2001年10月04日(木) 電動歯ブラシ2

 効果はでている。電動歯ブラシを使い始めて2日が経ったが、2日だけでも効果がある。三日坊主にならないようにがんばろうっと。

 ところで、ここのアパートには倉庫がある。倉庫は地下にあるが、うちの倉庫は遠く離れた他の建物にある。今日、ダンボールを取りに倉庫に行った。ダンボールを選んでいたら、炊飯器の箱を見つけた。去年、ある人に炊飯器を貸していて、返してもらう時に、滞在の残りの2、3日の間使ってもらってIさんを通して返してもらってもいいですよ、といったのを覚えていたが、結局その時に持って帰ったことをすっかり忘れていた。
 ダンボールをもってアパートに戻る時、砂場とお遊戯のところを通っていたら、中国人の女性がベンチに座っていて、3歳ぐらいの男の子が遊んでいた。話をしていると、どうも他人の子供だったようだ。それで今妊娠中で2月が予定日らしい。見たところ妊婦に見えない。クリニックや出産時の病院の話をした。

 話をしている間、梨奈も男の子と遊んだり、他の子も来て遊んでいる。しばらくしたら、中国人のおじいさんがきた。それで中国人の女性は帰っていったのだが、もしかしたら、中国人の間で、遊んでいる子供を看る当番があるのかなと思った。

 夕食後眠たくなって、目がさめたら1時だった。リビングに行ったら梨奈は一人でテレビを見ていた。ネジャーティは学校へ行っているらしく、1時間してネジャーティが戻ってきた。梨奈を寝かせようとしたがなかなか寝つかない。それでインターナショナルチャンネルのテレビを見ていたら、香港の映画をやっててビビアン・スーが映っていた。4年前の映画だったが、日本で見るビビアン・スーの印象とは違って、とてもかわいかった。



2001年10月03日(水) キャンパスで

 里帰りして、今度アメリカに入国する時に必要な書類にサインをしてもらいに学校の留学生センターのオフィスに行った。担当の人は会議があっていなかったが、サインをしてもらったら取りに行くのでメールをくれるようにお願いした。

 オフィスの建物を出たところで女の子に呼びかけられた。梨奈に話し掛けていたのが日本語だったので、「日本人の方ですか」と聞かれた。その女の子はKさんといって新入生だった。お母さんには以前お会いしていたのだがKさんにはまだ会っていなかった。ニューヨーク州のある町の高校に行ったらしく、アメリカは4年目だそうだが、自然体でとてもアメリカの生活に溶け込んでいるようだった。この違いは何だろう、、、。やはり年齢差だあ。若いということはすばらしい。気がつけばこの年齢になり、だんだん守りの体制に入っている。

 Kさんと別れて、図書館の前を歩いていた時、杖を持っているアジア系の男子学生を目にした。目が不自由らしい。それも芝生の方に歩いていったりしていてとてもぎこちなく歩いているから、きっと新しい学生なのだろう。それで人が近づいてきたのがわかったらしく、中国人と見られる女子学生に「CONANT HALLはどこですか」と聞いていた。アメリカの大学ではだいたいの建物に人の名前が付いている。CONANTもその一つである。女子学生は理解できなかったらしく、男子学生は逆の方向に歩いている。私はもう一度「どこの建物ですか?」と聞いてみた。やはりCONANT HALLだった。図書館のすぐ隣にある建物である。結局私は左手でベビーカーを押しながら、右手でその男子学生の背中を支えて、建物へと歩いた。「ここに段がありますよ」といって段を上ったら、まだ石段が何段かあったので、「まだ階段がありますよ」といったら、「知ってるから大丈夫です。ありがとう」と言って、無事中に入っていった。

 目が見えていれば、どこに何があって、この道を歩けばここに行けるというのがわかっている。見たものを空間的、立体的なイメージで頭にインプットする。目が不自由であるというのはなかなか大変だなと思った。
 



2001年10月02日(火) 電動歯ブラシ

 実家でも最近使い始めたという電動歯ブラシを買った。Brau○の電動歯ブラシは13ドルぐらいで思ったほど高くない(買ってきて欲しい方、お早めにご連絡を)。
 早速試してみた。う〜ん、よく落ちる感じ。何か汚れが剥がれ落ちたような気がする。歯磨きの後、歯間にフロスを通してみた。おぉ〜!汚れが全然ない! いつもは歯磨きしてもフロスは大活躍だったのに、フロス要らずの電動歯ブラシか!?

 この1ヶ月でどんな変化があるか様子を見ようっと。



2001年10月01日(月) 10月だ

 あっという間に9月も過ぎて10月になった。里帰りもあと2週間となった。まだあまり用意をしていないが、今日やったことといえば衣替え。しまってあった長袖を出した。半そでは家の中で使える。というのも昨日ぐらいからセントラルヒーターがついて、中は暖かい。半そでで十分である。

 今朝早く、工場の社長さんが翻訳した手紙をとりにくるというので外に出しておいた。7時半頃来るので起こしたくないので、外において置いてくださいということだった。昼過ぎにいつのまにかファックスが来ていた。私の請求書にある電話番号が間違っています、と社長さんからのものだった。電話番号が違うといわれたのは私が間違っていたせいだった。過去の請求書もチェックしたらある時点から間違えていた。すみません。

 ファックスに気がつかなかったのは昼頃寝てたからだ。今日はいつもより早く起きていて一人の時間を過ごして、あとで眠気が襲ってきたからだ。

 


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