オクラホマ・スティルウォーターから

2001年09月29日(土) ピクニックと買い物

 11時から3時までネジャーティの学部でピクニックがあった。いつもはここの町のどこかの公園でするのが、今回は隣町のドーバーの公園だった。いつも違う場所を選ぶらしい。その公園は病院の手前にあるのだが、入口が細くてあまり気がつかないところだ。その公園には展望塔があるが、いつもどこからその塔に行くのかなと思っていた。

 遅く起きたので、公園に着いたのは1時半か2時。それでもまだ人がいて、食べ物も残っていたし、私もおにぎりを持っていったので、そこでいくらか食べた。公園といっても遊戯が一つだけで、あとは芝生と東屋、そして塔である。食べて落ち着いたところでネジャーティと梨奈と上がっていった。5階建ての塔だが、階段の外側はただ柵だけで、ガラス張りとかネット張りとかになっていない。落ちる心配はないが怖い。年々、高所恐怖症になってるようだ。
 一番上まで上がると、見渡す限り、緑、緑。遠くにはWhite Mountainとかポーツマスからメーン州に行く橋が見える。ドーバーの街並みも見えて、景色は最高。今度カメラを持っていかないと。

 降りると3時になったのか片づけを始めている。ネジャーティも手伝ってピクニックは無事終了。一旦帰途に着く。

 Mさんに電話して、Walmartとモールに買い物に行った。お買い得品もあってびっくり。セールで定価35ドルのものが10ドル、そして20%引きで8ドル。

 その後、スーパーの並びにあるコーヒー屋に寄る。ここは去年かおとどしぐらいにできた新しいところである。コーヒーとBearclawという、名前の通りくまの足型をしたパンを食べた。少しすると見たことのある2人が店に向かってきていた。1人は日本語を教えていたときの学生でトレンさん、もう1人はMさんである。トレンさんにユキ子さんがJETプログラムで日本に行ったという話をしたりした。トレンさんにはキャンパスでたまに見かける。
 話に花が咲き、楽しいひとときを過ごした。



2001年09月28日(金) おにぎり

 昨日は寝る前にネジャーティもおなかが空いて、余っているごはんにおしょうゆと鰹節を混ぜておにぎりを作って食べた。

 おにぎりといえば、大学で静岡の三島にいたときのこと。コンビニで「おかか」と書いてあるおにぎりがあった。関西人の私には「おかか」がわからなくて、漬物か梅ぼしの種類かと思って食べなかった。漬物はたくあんと福神漬け以外は苦手である。梅ぼしもあの赤いシソが苦手である。

 ある時その「おかか」が「かつお」だとわかって、それ以来「おかか」を買うようになった。
 今は知らないが、当時は関西では「かつお」と書いて売ってたと思う。

 おにぎりはおいしい。梨奈も私が作ったかつおのおにぎりを食べる。最近ごはんがあまったらおにぎりにして食べている。



2001年09月27日(木) チケット

 今日が里帰りチケットの購入の最終日だったので日系の旅行会社に電話した。担当の人が決まっていたので、担当の人をお願いすると話し中だそうで折り返し電話するということだった。1時間経っても電話が来ないのでもう1回かけて担当の人をお願いすると、少々お待ちください、ということで待った。しばらく待つと電話の向こうの人は「アニョハセヨ」と韓国語だった。担当の人と話したいのだが、といったが、結局チケット購入の手続きをしていた。風邪を引いてるときぐらいは日本語で話したい、、(もちろん韓国語は話せないので英語での会話)。

 ボストンからの便が朝の7時から6時に変わったということで、おとといのスケジュールには7時とあったが、というと、その航空会社が変えたらしいということだった。これは私の方にも予備知識があって、あの事件以来、全部の便が飛んでいるわけではなく、7時の便も今の段階ではキャンセルの状態になっている。10月には飛ぶかどうかというのも旅行会社に聞いていたし、もし飛ばなかったら連絡がくるというのも聞いていたので、きっと出発日もその便は飛ばないのだろう。

 それで、「出発の3時間前までには空港に来てください」ということだった。そうすると午前3時には空港に着いていないといけなくて、ここを2時に出ないといけない。徹夜で帰ることになるのかあ、と気が重い。私一人だけならいいが、梨奈もいるのでなおさらである。それでももし梨奈も起きていたら子供用の遊び場が空港内にあるのでそこで遊ばせておけばいいが、どうなることやら。

 シカゴからの国際線もターミナルには子供の遊び場があるので助かる。きっと飛行機の中で熟睡して日本に着くことになるだろう。それにしても日本に帰るとき前の日はいつも徹夜か2、3時間しか眠らないという状態になってしまう。



2001年09月26日(水) 風邪

 どうも梨奈に移されたらしい。梨奈用に買った風邪薬を少し拝借して飲んで、また寝た。風邪薬はどろっとした液体で甘い。容器は子供が開けられないようにふたを回しても空回りすることになっている。

 しばらくすると梨奈が寝室に来た。風邪薬が手足、シャツについている。え?風邪薬の容器をを開けたんだ、とリビングに行くと、床がぬれている。あらぁぁぁ。ほとんど風邪薬はこぼれいていた。梨奈をバスルームに連れて行き、シャワーを浴びさせる。それから床をそうじする。きれいな赤の薬だが、床のカーペットが濃い目の茶色なのであまり目立たない。
 少し残った風邪薬を梨奈にも飲ませる。小さいカップがついていて、喜んで飲んでる。飲むようになってよかった。

 午後もお昼寝をしたりと休息に徹する。4時ごろドアをたたく音がした。外を除いてみると、ネッドが立っていた。ドアを開けると「電話をしたんだけど通じなくて。電話番号変わった?」と聞かれ、「変えてないです」。

 ネッドからの手紙の翻訳の依頼だった。ネッドはこの町から少し離れたところにある工場の社長だ。親会社が日本にある。個人的な手紙を託されることもあって、今回もそうだった。社長自らくるというのは個人的な手紙ということもあるが、それでもタフな人だ。70代にさしかかるぐらいの年齢に見える。BMWに乗ってメーン州にある自宅から通勤している。

 梨奈も風邪で鼻が出る。赤ちゃん用の鼻水を取るスポイトみたいなのがあって、これがよく取れる。梨奈もくすぐったがりながら喜んでいる。ネジャーティに「それで自分のも取ってみたら」といわれたが、私はティッシュ箱を片手に離さない。無意識にツーッと出るのはつらい。

 早く寝たが梨奈はまだ起きている。ネジャーティは最近睡眠不足であるにも関わらず、遅くまでインターネットでトルコ語のニュースを見ている。電気もついているもんだから、梨奈もリビングに行って暴れているらしい。そのうちネジャーティも電気を消して添い寝をしたら眠っていた。
 明日の朝、リビングを見たらどんなに散らかっているんだろう、、、。



2001年09月25日(火) レセプション

 ここの大学で毎年ある President's Receptionに出た。これは留学生、外国人教職員歓迎のレセプションで、大学の総長がいつも挨拶をして、留学生たちが交流を持つ。
 私は留学生でも教職員でもないのにいつもネジャーティについていていっている。

 今回は初めて留学生へのスカラーシップが支給されて、インドの女子学生が第1号になった。成績優秀で、一般学生へのAwardももらっているらしい。そしてここの大学に来る前に6年日本に住んでいたと紹介された。MさんやHさんによると、日本語で話し掛けられたが、とてもぺらぺららしい。やはり優秀な人なのだろう。

 レセプションが終わってHさんを送ろうと寮まで行ったが、コーヒーを飲みませんか、とアパートにお呼びして、話を続けた。
 
 



2001年09月24日(月) 漫画本、よくできました

★漫画本
 以前AさんからAさんの大学の同僚が「ロミオとジュリエット」に関する漫画本を約してくれる人を探している、という話を聞いた。先週に引き続き今日も先生の研究室にお邪魔した。というわけで、Aさん、翻訳始めてます(ここで報告してどうするねん)。

 今日は一気に5冊の漫画本を読破して、要約に取り掛かった。今回は一字一句訳すのではなく、話を要約することになった。「Wジュリエット」という漫画で、最初から意外な設定で面白く読んだ。話が完結してないので、終わりまで読みたい〜!という気持ちにかられた。

 小学校の頃は漫画本を買ったことがなく、ドラえもんが漫画本になった時に誰かが学校に持ってきて読んだ、というぐらいで、中学になった時それをしったクラスの友人が誕生日に漫画本をくれたことがある。また中学に入って、実家で購読している新聞の4コマ漫画が本になって、それを1巻から集め始めたが、自分で買って持っているのはそのぐらいだ。また寮にいるときに誰かが買ってきた漫画雑誌を回ってきて、それを読んでいたが、自分では買わない。一気に読んでしまうのは変わっていない。

★よくできました
 お昼寝をしていたが、目が覚めて泣いている。そのときはトイレをしたいというサインだ。今日は眠気が覚めていないまま、おまるにのせた。こちらのおまるはミニ洋式トイレで、用を足した後はトイレの後ろからボールを取りだして捨てるというものである。
 私も一緒に座っていたら、そのうち梨奈が少しした。立ち上がって少しするとまたおもらししたので慌ててトイレに座らせた。それで成功! ちょっと喜んでいる様子。よくできました。

 今日は梨奈は鼻水が出だした。天気が悪くて少し肌寒いからかな。寝づらそうで、夜遅くまでおきていた。



2001年09月23日(日) 変な夢

 昨日の夜は梨奈が頑張っていて私は先に寝た。そんなに遅くにはねていないのに、今日は遅くまで寝ていた。しかも3人ともそうだった。

 変な夢を見た。ネジャーティと私にはアメリカのある家族に養子になっていた。しかもその家族は金持ちではなく、稼ぎは奥さんのパートの分だけというぐらいである。それで奥さんの友人に自己紹介していたら、その内容が気にいらなかったらしく、奥さんに「自分たちはこの家を出るから、あとは自分たちでやっていきなさい」といわれた。その家は電気も水道も止められることになるので、私達も出て行かなければならなかった。

 出て行く用意をしているとドアをたたく音がして、あけると日本人が10人ぐらいいた。卓球をしに来たらしい。5分ぐらい待ってもらって用意をした。その間に、3段の引き出しの箱を見つけた(これは実際に実家にあるもの)。中には祖母の印鑑がある。それをポケットに入れた。

 日本人のグループに荷物を出すのを手伝ってもらった。ネジャーティも外から戻ってきた。ネジャーティは歯の矯正を始めていた。歯医者に行ったらいきなりはめられたらしい。それで、外をネジャーティと歩いて、これからどうしようかなあと話した。

 ここで目が覚めるが、夢半ばで、3段の引き出しの箱を祖母に見せたかったとおもいつつ、また寝てしまった。

 それで、夢の中では、その箱を持って祖母の家に行った。祖母は部屋をたくさん持っていた。祖母は亡くなっているはずだったので会えるわけないか、と思って部屋を開けると、布団があった。そして、布団が動いていたので開けると祖母がいた。祖母に箱を見せた。

 ネジャーティと私はいつのまにか日本にいた。仕事はないが家はある。家のお風呂に入ったが水のようだった。それでもまあいいか、と入っていた。そのうち暖める方法を見つけた。

 外を歩いていた。ネジャーティと途中で分かれ、1人で歩いていた。なぜか家は三島にあった。三島には知り合いがいるので、連絡しよう、と思って目がさめた。

 変な夢だった。


 遅いお昼を食べて、よく行くドーバーのコーヒー屋に向かった。駐車場がすぐ前にあって、一番近いところにいこうと思っていたら、前を走っていた黒い車に入られた。それで既に入っている車の隣に置いた。コーヒー屋に入ったら、AさんとPさんがいらっしゃった。あら偶然! Aさんもこのコーヒー屋によく来ると聞いていたのだが会ったことはなかった。家にいるといろんな誘惑があるからとここに勉強道具(?)を持ってこられた。梨奈が走り回っているので、せっかく来られたのに気が散るから来られた意味がなくなってしまうなと申し訳なく思う。

 ネジャーティがコーヒーを飲み終わって、近くの公園に行くことにした。AさんとPさんと少し話していて、ふっと黒い車が気になった。「もしかしてAさんのところの車?」と聞くとそうだった。Aさんは以前緑の車を持っていたが、Pさんがこちらに引っ越して来られて車が2台になって、結局Aさんの車を売ったと聞いた。Pさんの車を知らなかったし、駐車場では背の高いバンが間にあってAさんとPさんの降りるのを見なかったので、誰のかわからなかった。

 私達の前を走ってたんはAさんとPさんやったんやあ。



2001年09月22日(土) 買い物

 冷蔵庫にはほとんど何もない状態だったので、Hさんも誘って買い物に行った。同じ寮に住むMさんは風邪で寝込んでる状態だそうである。ここ何日かは暖かいなと思ったら雨が降って寒くなったりと不安定な気候である。今日は25度と少し暑いぐらいである。私も体調を崩さないようにしないと、、、。でもこの気温の変化で紅葉が少しずつ見られる。来月が一番見頃である。

 Hさんを寮まで送ると、トルコ人のムスタファ(Mustafa)が立ち話をしていた。ネジャーティがムスタファに話し掛けていた。履歴書や就職活動について話していたようである。アパートに戻るとネジャーティが「今日の夕飯にムスタファを呼んでもいいか」と聞くので、食料には困らないし、いいよ、ということで夕食の支度が始まった。

 ここに来るトルコ人の多くはトルコの海軍から来るのだが、ムスタファは個人でアメリカにきている。アメリカの大学院の学生は授業料免除とTAかRAでお給料をもらうのがパターンだから個人できてもあまり負担はない。
 ムスタファのお父さんは大使で、ムスタファ自身もお父さんの赴任先に行っていたので外国生活が長く、英語も達者で、トルコ人のアクセントがないと、トルコ人の教授の奥さん(カナダ人)にいわれたぐらいである。今もお父さんは赴任中である。

 7時にネジャーティがムスタファと一緒に帰ってきた。食事のときに、ムスタファの兵役に行った話を聞いた。ムスタファは陸軍の基地に行ったそうで、もちろん自分の自由がなくてそれがいやだったといっていた。ネジャーティは偶然にも地元の空軍基地での兵役で、空軍は軍の中でもゆるいそうである。ネジャーティの話では休憩時間に外で訓練生が寝そべっている時に上官が通りかかっても寝そべったままで敬礼しないかったそうである。それで上官も、どうしようもないなあと首をかしげながら通り過ぎたそうだ。ムスタファのいたところではそんなことは許されなかったようである。

 また基地の中ではネジャーティはトルコチャイは自分でティーバッグをとってお湯に入れて作っていたのに対し、ムスタファのところはすでに作ってあるものをおいてあったそうだ。そして、その中には性欲抑制剤が入っていたことがそのうちわかったそうだ。アメリカならそんなことしたら訴えられるだろう。

 そんな話を聞いてると、ネジャーティ曰く「自分はラッキーだった。」偶然地元というのも信じられない話である。なぜそうなったかはとても謎である。

 ムスタファはこの学期が終わる前にどこかに移るらしい。すでに次のステップが見えてるなんて羨ましい。食後ネジャーティは履歴書やカバーレター、就職活動についてムスタファに聞いていた。私が心配しても何も始まらないが、私達は先行き不透明で不安である。



2001年09月20日(木) 我が家の怪獣

 梨奈は最近テレビの横にあるビデオラックからビデオを取り出して散らかすようになった。以前はカセットテープも取り出していたが、きりがないのでテープを「撤去」。すぐそばにあるステレオも電源をつけると遊ぶので、音楽すら聴けない状態だ。このビデオテープもまたどこかに撤去することになるだろう。

 ところで、少し前からこのアパートの洗濯機はカード式になった。今までは25セントをいれるようになっていて、25セントのコインが足りない時はダウンタウンまで両替しに行っていた。新しく導入されたカード式というのはいくらでも入れられるプリペードカードのようなもので、そのカードを機械にスライドして洗濯機や乾燥機の番号を押すと稼動するというもの。
 そのカードを梨奈がどこかへやってしまっていた。そのカードにこの前20ドルを入れて洗濯1回分しか使っていなかったので、まだだいぶ残金がある。なくしてしまうにはもったいなかったが、おとといの掃除では見つからなかったし、どこへやったのか不思議だった。

 おとといの夜、ネジャーティはインターネットを使っていて、私は台所からリビングに向かっている時、梨奈がそのカードを手にしてネジャーティに持っていった。どこから持ってきたのかを見てなかったのだが、またどこかに隠し場所があるようだ。それかまたテレビと台の隙間にでも入れていたのか、、、。とても謎である。



2001年09月19日(水) 計画中

 里帰りを計画中である。里帰りの計画日まで1ヶ月をきっているが、予約が取れそうである。冬休み前だと最低2ヶ月前までには予約をしないと日本に帰れない。事件直後ということもあるが、今の時期は空いているようで、去年両親が来た時も、このぐらいの時期に予約をしている。

 ボストンにある日本系の旅行会社に問い合わせてみた。マイレージを持っている航空会社でシェアコードの便ならあるが、その航空会社での関空に行く飛行機はない。他の日本の航空会社のものならありますよ、といわれたが、その旅行会社のホームページに載っている値段は高めだったので、「少し高いんでしょうね」というと、変わらない値段だった。しかも27日までに買えば15ドル安い。一応それをホールドしてもらった。
 その旅程によるとボストンからシカゴ、シカゴから関空というルートで時間も思った寄りかからない。問題は毎日運行ではないので実家と話して、都合のいい曜日を決めなければならない。

 それでも物事が少し運んだので少し気が楽になった。



2001年09月18日(火) 片付け

 今日は部屋の片づけをした。最近は梨奈が昼寝や夕寝をしていて、掃除機をかけられなかったが、やっと掃除した。そして片付ける端から梨奈が散らかすのでキリがないのだが、あまりにも散らかっていたのでネジャーティも私もいらいらしていた。
 お昼ご飯を食べたら眠たくなって、昼寝をした。昼寝の後に片付け開始。やっと部屋がきれいになった。

 夕方Mさんが日本からのお菓子を持っていらした。土曜日にもHさんから日本のものをプレゼントとしていただいたのだが、Mさんからも日本のものをいただいた。日本のものに触れる機会が少ないからか、どんな日本のものでも郷愁を覚える(Mさんのフレーズを拝借)。

 夕食後また眠気が襲ってきた。ネジャーティは学校に戻り、そのうち梨奈が寝たので、その間の自分の時間を楽しんでいる。



2001年09月17日(月) 梨奈の成長

 1ヶ月ごとに梨奈が成長しているなあと思うことがある。最近は紙おむつを替えると自分で紙おむつを専用のごみ箱に入れていったり、自分でおむつをはきたがる。自分でしたいらしい。それなら梨奈の専用のおまるで用を足して欲しいのだが、なかなかそこまでにはいたらない。

 外出先から帰ってきて靴を脱ぐことも覚えたし、だいぶこちらも楽である。

 最近寝不足の日が続いていたので、今日は夕食後うとうとしていた。浅い眠りでリビングにいる梨奈の声がしている。ずっと何かを話しているようである。意味のない自分の言葉をずっと話しているのである。たまに叫んだりして、普段こんなにしゃべってるんだなあと実感した。

 日本に電話をかける用があって、母曰く「やっぱり孫やね」。おしゃべり好きの母だ。やはり血は争えない。里帰りする予定でいるが、実家に帰ったらとたんににぎやかになるだろう。実家では豆台風がやってくるといっている。



2001年09月16日(日) 寝不足

 テレビとインターネットに釘付けになっている日が続いているので、時間的には寝ているのだが、寝不足を感じる。

 秋学期が始まって、ネジャーティは同じ研究室のアメリカ人学生とティーチングアシスタントのチームを組んでいる。ネジャーティは約2年、中国人学生と組んでいてせっかく慣れているところを他の人に替わったのであまりうれしくないらしい。
 
 ある日夕食の時に計算の問題をネジャーティが出してきた。食事中だから後でいいやといっていたのだが、問題だけ聞いてみようと思って聞いてみた。これは実際にネジャーティとその学生が準備する水溶液なのである。

 「25mlの赤い液体を水で薄めて250mlにする。そしてまんべんなく混ぜて50mlを他の容器に移す。するとその50mlの中には最初の赤いインクが何ml入っていることになるか」という問題である。

 答えはすぐ下に書いてありますが、考えてみたい方は下を見ないで下さい。

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 10倍に薄まったのだから、50ml取り出しても10倍に薄まっている。答えは5mlである。数がそんなに複雑じゃないから大丈夫である。

 そして、ネジャーティによると、アメリカ人学生がその問題をとき始めた時、黒板に式をいっぱい書いて、うんうんうなっていたそうである。そして解けなかったようである。あの〜、博士課程で、しかも化学専攻なんでしょう? 大丈夫かなあ? 私でもできたのに、、、。

 「水溶液」とか書くと難しく考えがちだが、これを「カルピス」と置き換え、「ml」を「cc」と替えるとピンと来る。
 「カルピスの原液を25cc入れて250ccにする。飲もうとしたら誰かが「一口のませて」といった。50ccだけ小さいコップに分けてあげた。その50ccには原液がどれだけ入っているかな?」

 文章を理解した段階で、ほとんどが解けている。

 日本の院にいたときに教わったことは、難しいと思われることを日常の出来事などに置き換えて考えるとわかりやすいということだった。



2001年09月15日(土) BBQ

 隣町に住むMさん、Jさんのお宅の裏庭でBBQをした。前々からMさんは「是非うちでBBQを」と言ってくださっていたのだが、なかなかそれが叶わず、今日を選んでBBQパーティーを開いてくださった。
 Mさんのお宅の前には以前ブルーベリーを摘みに行った畑がある。今はりんご狩りの季節らしい。そしてMさんの隣の家がその畑の持ち主と聞いた。そういえばその家の隣にもりんごの木がたくさんある。

 食事もさることながら初めてお会いした方とのお話も興味深いものである。また食後にはバレーボールをしたりネジャーティがどこからかフリスビーを見つけてきていっしょにしたりと、久しぶりに体を動かした。

 MさんのESLのクラスの生徒や先生も来ていたが、日本に8年住んでいて、日本語もただ話すだけでなく、日本人のように振る舞うアメリカ人女性もいらっしゃった。日本では「外人!」と指を指されたり、同じことを求められ、違うことが恥ずかしいと考える社会で、自分もそうなったとか日本での難しい生活を語っていた。

 ESLにいるルワンダからきた女性と話をした。女性には男の子が1人いる。ネジャーティもそこにいて、ルワンダについて聞いていた。後で調べたらルワンダは四国の1.4倍で人口は800万人なのだが、その女性曰く、1994年の大量虐殺でたった3ヶ月に100万人が虐殺されたそうだ。信じられない虐殺だ。
 ネジャーティが旦那さんはいないの?と聞くと、その時に旦那さんと約8ヶ月の娘さんが殺されたらしい。こみ上げてくるものがあった。ネジャーティも聞いて悪かったといったのだが、心が痛い。旦那さんを亡くすのも悲しいが、自分の子供が死ぬのも耐えられない。もし梨奈に当てはめたら胸が張り裂けそうである。

 いやいや、他の国の事件を対岸の火事として見るのは無神経なのかもしれない。そこにも人がいるのだ。

 今回のテロ事件で一般人が巻き込まれたが、これから起ころうとしている報復の攻撃でも、どんな戦争でも一般人が巻き込まれる。そもそも兵士だって同じ人間なのに。

 今日で4日が経って、ボストンの空港もニューハンプシャーの地方空港も再開した。それはほっとすることだったが、ボストンからの飛行機に2年前に退職したここの大学の教授も乗っていたことをCNNのホームページの乗客リストから知った。直接知らない教授とはいえ、やはりショックである。
 



2001年09月14日(金) 追悼の日

 3日たって少しは落ち着いた。日本に帰ってた友人がフロリダに戻る頃だと思ってメールでチェックすると、10日に着く予定になっていた。電話をかけると10日の夜についたから大丈夫だったけど、1日遅れていたらどうなっていたかわからなかった、と話していた。特に子供連れだから余計大変だ。

 テレビではニューヨークに大統領が視察に行って、スピーカーを片手に崩壊したビルのそばで力仕事をしている人たちの前でスピーチをしている様子が映った。その人たちからは「USA,USA」と声があがった。

 飛行機の方も日本からの飛行機が飛ぶようでよかったなと思うが、ボストンの空港はまだ閉鎖中で、いつ開くのかわからない状態だ。ニューハンプシャーのマンチェスター空港は何便か飛んでいるが、ニューヨーク、シカゴ行きなどは欠航になっている。日本行きが出ている空港まで国内線で行ければいいのだが、そうでない場合はここから日本に帰ることができない。

 夕方ポーツマスに日本食を食べに行ったら、キャンドルを手に歩いている人を見かけた。今日は "Day of Remembrance"(追悼の日といえばいいだろうか)として、この辺の役場や教会でも追悼式があったようだ。普段は明かりがついていない家も外灯をつけたりと追悼の気持ちを表していた。
  



2001年09月13日(木) オイル交換

 オイル交換を長い間やってもらってなくて、エンジン音も鈍いので、ポーツマスのはずれにあるWalmartに行った。そこではオイル交換だけもできるが、余分に払えば18ヶ所点検をしてもらうこともできるので、いつも点検もしてもらってる。オイル交換だけなら11ドルぐらいだが、点検代を入れて21ドルでやってくれる。中の掃除もしてもらえる。

 お店のカウンターに行ったら、夏休みをこちらで過ごされてるIさんご家族に偶然お会いした。Iさんは日曜日に日本に発つ予定なのだが、ボストンの空港がまだ閉鎖されていて、いつになるかわからないので、足止めを食らう可能性が高い。ニューハンプシャーにもマンチェスター空港という地方空港があるが、そこが開けばそこから飛ぶか、ボストンの空港が開くのを待つか、微妙なところである。
 
 オイル交換で待っている間、Iさんご家族とずっと話していた。そしてカウンターに戻ったら、もう一人オイル交換をしてもらっている人が「赤い車でしょ、もうすぐ済むと思うよ」と話し掛けてきた。とてもフレンドリーな人で、10年前にウィスコンシンから移ってきた人らしい。

 「この辺は好きですか」と聞くと、ウィスコンシンの方がもっとフレンドリーだといっていた。私はユキ子さんがコロラドに行った時の話を思い出した。フレンドリーに話して来る人に警戒心を持ってしまうという、というのを思い出したのだが、同じアメリカ人なのに、場所によって違うんだなあと思ってしまった。そして自分も、フレンドリーに話してくるこの人に警戒心を持って話していることに気がついた。もう少し西に引っ越した方がいいのかなと思ってしまった。

 11日の事件ももちろん話題になったが、少しは落ち着いたとはいえ、やはり震撼させる事件だったし、誰もがショックをうけていることを改めて感じた。

 アパートに戻ったらちょうどネジャーティから電話があって、近くの寮のBBQが今日の夕方からだから今から行こうということになり、寝てる梨奈をベビーカーに乗せて寮に向かった。寮についた頃には梨奈も起きて、トルコ人の友人に会ったり、寮に住んでいるHさんの部屋に少しお邪魔して話をした。Hさんも友人がニューヨークにいて、無事の報告とともにその時の様子をメールで送ってきたそうで、それを読ませてもらった。

 私なんかはテレビやインターネットで何が起きたかを早々に把握したが、現地にいて事件に巻き込まれた多くの人は何が起こったのか知るすべもなく、混乱の中を逃げるといった状況だったと思う。一人でも多く無事でいてほしいと祈るしかない。



2001年09月12日(水) 一夜明けて

 昨日の惨事から一夜が明けた。いい天気なのに、そんな天気も楽しむ余裕はなく、一日中テレビやインターネットに釘付けだった。

 昨日ネジャーティのオフィスで友人からのプレゼントも一夜を過ごす。お昼ネジャーティが学校から戻ってきたら、今日の郵便物だけ持っていた。「友達からのプレゼントは?」と聞いたら、忘れてごめんという顔をした。

 今日も昨日もネジャーティが学校に行ってる間、トルコのお兄さん宅から電話がかかってきていたので、学校から帰ってきた後トルコに電話をした。

 また学校に行って7時まで戻ってこないというので一緒に学校に行ってプレゼントとご対面をすることになった。その場であけると、いろんな小物やお菓子が入っていてとても感激。友人の誕生日には3種類しかあげなかったのに、友人からのプレゼントはたくさん種類があって、申し訳ない気持ちがした。大切に使うね(ネジャーティには触らせない)。こういう緊急事態の中、ほんの少しの間ほっとした気持ちになった。

 今日のおかずもないのでスーパーに行く。行く時に、「明日は忙しいから金曜日に日本食を食べに行こうか?」と言ってくれた。またちょっと嬉しい気持ちになった。
 買い物して帰ってきてすぐに夕食の支度をしたが、今日疲れたのか、ネジャーティは横になったまま休んでしまった。梨奈も早々と寝てしまったので、テレビとインターネットを独占している。
 

 



2001年09月11日(火) とんだ誕生日

 昨日の夜には日本時間に合わせて母から「お誕生日おめでとう」の電話があった。何歳になっても必ず母は誕生日を祝ってくれる。私が感謝をする日でもある。風の強い日の夜に生まれたのは知っているが、風が吹いていたからかとてもきれいな星空だったそうだ。母曰く「それも言うとこうと思って」。

 ネジャーティが覚えてくれてなさそうだったが、日本にいる友人がインターネットで誕生日カードを送ってくれたりして誕生日の12時を迎えてから寝たのだが、ちょっと起きるのが遅かったので、10時から始まる日本のニュースで台風の様子を見ていた。すると、学校からネジャーティが電話をかけてきて、大変なことになっていると言う。飛行機がビルに激突したらしいから今からテレビを見に戻るといって5分ぐらいして戻ってきた。そういえばインターネットでなんかそんなことが書いてあったなあ(英語で)、と思いつつテレビをつけたら大変なことになっていた。

 ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んで1時間後には2つともビルが崩壊するなんて、、、。ダイハードの映画でニューヨークがテロの地になったが、映画どころではない。そして民間人が巻き添えになるなんて許せない。

 「何でこんな日に、、」とネジャーティに言ってみたが、一向に誕生日に気づくこともなく、このまま黙っておこうかと思ったが、「友達からメールが届いたよ」とインターネットの誕生日カードを見せた。そして「Happy Birthday」の文字に一瞬しかめた顔をしたあと自分のデジタル時計をみて "Oh, my God!"と頭を抱えていた。そして「ウッキー」と手を頭にお猿さんの真似。どうも男の人は日にちを覚えるのが苦手のようである。

 6月までマンハッタンに住んでいた友人に電話をした。以前の住居はそんなに近くはないがそれでもマンハッタンの中心だった。それで友人は大丈夫だったが、旦那さんの同僚の知人(と聞いたように思う)がビルの1つに突っ込んだ飛行機のパイロットだったそうだ。あまり他人事ではない。またもう1つのビルに突っ込んだアメリカン航空のパイロットはこの近くの町に住む人だった。確かに2機はボストンのローガン空港から飛んでいる。日頃からセキュリティーには厳しいのにどうやって潜り抜けたのだろう?

 朝早い飛行機だから、日本行きの飛行機の乗り継ぎのために朝早く出発する日本人もいるはず。去年の秋には両親が初めて海外旅行でアメリカにきたし、もしそんなことが起こったらと思うとぞっとする。乗っていた人はどんな気持ちだっただろうか。

 テレビを見ているだけでも神経が高ぶって、自分の誕生日を祝うどころじゃない、といっても1年に1回しか来ない誕生日なのに、、。

 お昼を食べたらネジャーティはまた学校に行って、何回か電話がかかってきた。日本にいる友人からプレゼントが届いていたようで、それをそのまま学校に持っていったらしい。

 3時半からはここの大学の芝生でキャンパスピクニックといってハンバーガーや飲み物などを無料で配布して大学生に楽しんでもらうというイベントがあった。それだけは中止にならなかった。帰ろうと思っていて、梨奈を真ん中にして歩いていたら、少しぶらさがる状態になった時、ネジャーティが少し上に引っ張って音がした。腕が動かせないようですぐに病院に行った。初めてレントゲンを撮ってもらったが、肘が抜けてたようで、先生が肘を回して肩のほうに肘を曲げたら入った。梨奈もすぐに腕が動かせるようになった。

 テロといい、梨奈の肘が抜ける事件といい、とんだ誕生日だった。今日の夜はMさんがくることになっていて、病院から戻ったらMさんの置手紙があった。謝りの電話を入れて、また足を運んでもらうことになった。

 日付が変わる前に母から電話があって、とんだ誕生日になったねえと話した。せっかく誕生日きっかりにとどいたプレゼントも、ネジャーティが睡眠に入ってしまったので、ネジャーティのオフィスで私に開けてもらうのを待っている。



2001年09月10日(月) 踊り

 今日も蒸し暑い日になった。この暑さも当分ないものだから、暑くてもしっかり夏を味わっている。

 サマースクールのことを思い出した。最後の週にインターナショナルデーなるものがあって他の国からきた生徒が出し物をした。フラメンコを踊ったり、アラブの踊りを見たりしたが、そういえば外国の踊りって音楽に合わせるけど、歌にあわせないなあと思ったのである。日本の踊りにも曲に合わせて踊る日舞もあるが、盆踊りなんかは曲というよりは歌にあわせて踊るものである。歌にあわせて踊る国もあるのかなあ。

 日本の生徒はウェスタナイズされていて、日舞や盆踊りの踊りを披露するといったことはなく、宇多田ヒカルの歌を歌うという現代っ子らしい出し物だった。「故郷は遠きにて想うもの」ではないが、アメリカで生活をしていると、以前見えなかった日本文化のいいものが見えてくる。



2001年09月09日(日) ビーチ

 今日も気温が30度に上がってビーチ日和である。なぜか今日はとても眠たくて、遅くまで寝ていたら、既に学校に行っているネジャーティから電話があった。何かなあと思ったら「寝てたの? 起きろ!」との声が。それで、今日も暑い日になりそうだからビーチに行こうという話になって、眠たい目をこすりながらシャワーを浴びてすっきりして昨日のごはんとお味噌汁を朝昼兼用で食べた。

 そのうちネジャーティも戻ってきてビーチに行く用意をした。Mさん、Hさんも誘ったが学校の準備でお忙しいようだった(昨日だったらよかったのかも)。

 土、日とハンプトンビーチでシーフードフェスティバルをしていたので駐車場が込むかなあと思っていたが、夕方についたのでそうでもなかった。

 最初にビーチにおりたが、海の水が氷水のように冷たくて入るどころではない。それでもちょっと歩いたりして熱くなって水に入るととても気持ちがいい。梨奈も水着に着替えて水に入った。そのうち寒くなったらしく、ネジャーティが梨奈に砂をかけたりしていた。

 水には飽きたみたいだったが、それでも連れて行くと嬉しがっていた。そのうち砂をつかんで波の方に行って、波が足元に来たら砂を投げるという遊びを始めた。子供は何でも遊びにするんだなあ。

 シーフードフェスティバルが6時に終わる予定だったのだが、ほぼ6時に会場に行ってみた。後片付けをしているコーナーもあったが、食べものの方は最後まで売りたいようで、値段を下げて売っていた。パンを器にしてその中にシーフードチャウダーをいれるというBread Bowlが5ドル50セントのところ2ドルになったので2つ買って食べた。梨奈もおなかが空いているようでパクパク食べている。ネジャーティはデザートが欲しいと売り場に戻り、アイスクリームのクレープを買ってきた。クレープの存在を知らなかったみたいである。

 そろそろ戻ろうということになり、波打ち際を歩いた。ちょうど引き潮で波も穏やかである。海の色も輝きのある水色に変わって美しい。いつかまた両親にアメリカに来てもらった時には、どこかのビーチかビーチ近くの宿泊先のバルコニーでゆっくりして、夕暮れのビーチ沿いを歩いて見たいなあと思う。



2001年09月07日(金) 夕食

 今日は34度まで気温が上がって、夏に逆戻りの気候だった。ネジャーティがひさしく床屋に行ってないので、ドーバーに行った。2軒床屋があって、1軒はギリシャ人がオーナーではさみで刈ってくれるところ、もう1軒はアメリカ人でバリカンで刈ってくれるところ。最近はバリカンの床屋に行くことが多い。
 バリカンの床屋が込んでいたので、ギリシャ人の床屋が開いているか見てくるとネジャーティ。その間、コーヒー屋で待つことに。

 なかなか戻ってこないなあと思っていたら、ネジャーティが「髪の毛どう?」と戻ってきた。え?と聞くと、ギリシャ人のところで刈ってもらったらしい。本当は既に閉まっている時間だったが、よしみで刈ってもらったようだった。

 買い物して夕方アパートに戻る。日本語を教えているMさんとクラスのことで話すことになっている。それでMさんの同じ寮に住むHさんも誘って夕食をともにした。

 Hさんには申し訳なかったが、主に話は日本語のクラスのことで、なかなか大変だと聞いた。アメリカでの生活が始まったばかりで、生活に慣れないうちから授業を教えるというのは本当に大変だと思う。私は学校生活が始まったときや、日本語を教え始めた時には、幸いにもそうした苦労はなかったが、生活に慣れないうちは学校以外のことに時間が取られたり労力を費やしたりしがちで、学期の最初にそういった目に遭った友人を見てきたので、よくわかる。もしそういう立場だったら途方にくれてしまうかもしれない。

 Mさんはこちらに来られる前に私のHPを見つけてメールを連絡を下さったという経緯があって、クラスのことなどでメールのやり取りをしたが、実際にきてみないとわからないこともたくさんあるし、大変だろうなあと思っている。

 そんな話をしていたら、この日記のことにも話が及んだ。気恥ずかしい気もするが、読んでくださる人がいるのはありがたい。話をしていたら、この話は日記に載るかも、とか言って笑ったりした(今日も読んでくださってるかも)。 



2001年09月06日(木) むずかしい

 いやはや、国際結婚の生活は難しい。

 ネジャーティは学校から帰ってきて「今日はどうだった?」とか聞いて欲しいらしい。だから私にも「今日はどうだった?」と聞いてくる。特にどこにも行ってない日にそんなことを聞かれても返答に困るのである。どこか行った日でも、その日の予定を知っているにもかかわらず「何したの?」と聞かれる。聞き方が何か尋問のようであまりすきではない。

 どうもトルコではお互いの予定はもちろんのこと、その日にあったことをどんなささいなことでも話すそうで、私にしてみればいちいち話すことではないと思うことでも話さなければならないらしい。何か面白かったことがあったら話すが、話さなければ特に変わったことはなかった、と理解する日本式の考え方は通じないらしい。だからいちいち話すことはとても面倒に思える。

 また、上手く行ってないことに対して「○○の件はどうなってるの?」とか聞くとプレッシャーになるかもしれないと思って積極的に聞くことはしないが、ネジャーティにとっては聞いて欲しいらしい。

 2人の会話やサポートがもう少し必要だという結果に終わったが、それでもなかなか難しいものだなあとちょっと落ち込んでいる。
 



2001年09月05日(水) 食へのこだわり

 日本のニュースを見ていたら、北海道の物産展の様子が映っていた。おいしいものばかりでため息が出る。

 今日に限らず、食べものの話題がよく上るので、ため息をつきながら「おいしそう〜!」と涙目で見ていると、ネジャーティが「何で日本人はそんなに食にこだわるのか」と首をかしげる。ネジャーティは毎日ごはんでも大丈夫で、食にこだわりはない。私もそんなに食通ではないが、やはりおいしいものを食べたいと思う。それに日本はおいしいものが多すぎる。

 食べものだけではないだろうが、何にでも「極める」という精神があると思う。上質志向というのか、作る側もよりいいものを作ろうという職人気質があるし、提供される側もいいものを求める。食も材料から盛られる器から極めようとする。極める精神や文化が「日本の製品はいい」といわれる所以だと思う。

 日本に帰ったら食べたいものがいっぱいだ。おすし、お刺身、ラーメン、ケーキ、、、。

 ところで、、

 梨奈がテレビの前で「あ、あ、」と催促しているので何かなと思ったら、テレビと台の隙間に必要がなくなったカードが入っていた。そしてテレビの後ろにネジャーティのクレジットカードを発見。テレビの下にははがきが2枚、コインが3枚入っていた。こういうところも隠し場所になっているらしい。私の鍵はどこ〜!(まだ見つかっていない)



2001年09月02日(日) 買い忘れ

 お昼頃に家からの荷物が届いた。やはりうれしいものである。

 昨日、台所の蛍光灯が切れてしまったのと、シャンプーを買い忘れたのとで、また買い物に出た。

 昨日フライパンを買ったデパートで、レジのカウンターに置いてあったアクセサリーにかわいいブレスレットが置いてあって、買おうか買うまいかと思っているうちに梨奈がうろうろしたので、買わずじまいだった。今日まだあったら買おうと思っていたが、そのブレスレットだけ売れていてなかった。う〜、やっぱり昨日買って置けばよかったかな。

 モールをさっさと出て、蛍光灯とシャンプーを買って帰ってきた。蛍光灯はついたが、少し黄色い光である。白いのがあったかなあと思ったがわからない。そのうち慣れるかなあ、、、。でも明るいほうが好きな私である。

 ただ今7時半。外はすっかり暗い。日が短くなったなあ。



2001年09月01日(土) セール

 今日から3連休なのでセールがある。HさんとMさんと一緒に買い物に行った。私が買ったセール品は深底のフライパンだ。

 最近は生活向上を目指しているので、いろんなものを買い揃えたいなあと思う一方、今あるもので済ませてしまってもいいじゃないかとも思う。ネジャーティの学校が終わり次第どこかに移るが、まだ落ち着く先がないというのがストレスの一部になっている。

 今日は梨奈が昼寝をしていなかったので、買い物から戻る途中、眠っていた。買い物中に寝てくれたら楽だったのに。
 


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