オクラホマ・スティルウォーターから

2001年08月31日(金) パーティー

 今日はパーティーがあるので、春巻きを作って揚げていたら、自分の指先も揚げてしまった、、、。うっ、あつっ。

 この8月に新しく日本からきたMさんの歓迎パーティーだ。インターネットで知り合ったIさんご家族にもお呼びして、楽しい時間を過ごした。10時過ぎまで話し込んだのだが、いろ〜んな話が出て面白い。

 K子さんが夢を語っていた。結婚しているが、夢に描いていた結婚後の生活は芦屋で有閑マダムになることだったらしい。それでバーゲンがあったら好きなものを買って、、、と語っていたら、Pさんが「バーゲン?」と一言。K子さんは夢を語り続けて一段落したら、Pさんが「お金持ちだったらバーゲンじゃなくてもいいでしょう」の突っ込みに大爆笑。K子さんの夢は果たして実現するか 、、。

 芦屋はとても小さい町で北には山、南には海と、山と海に挟まれている。東西も5キロあるかどうかぐらいで、南北に細長い町である。山に行くほど高級住宅地がある。芦屋もそうだが、阪神間(大阪・神戸間)に某高級スーパーがあって、野菜、果物、肉、魚は鮮度がいいものが置いてある。調味料など輸入物もあって、外国人も買いに来る。そこの駐車場には外車や高級車が勢ぞろいである。そのスーパーには変な格好ではいけないのである。JRの駅ビルには某百貨店が入っていて、狭い街なので人に会う確率が多く、変な格好をしている時に限って人に会ってしまったりと、恥ずかしい思いをすることがある。気の抜けない街である、、、。

 そんなことはともかく、理系出身のHさんの話もためになる。Hさんの話によると、よく嘔吐する人は歯の裏側が胃酸で溶けているとか、Iさんによると、中国本土で放射線を浴びたセメントを材料にして、それが香港で家を建てる材料に使われてしまっていることがあったとか、自分の専門外の人に話を聞くと、自分の知らない世界でそんなことが起こっているのか、と目からうろこが落ちるようだ。

 話し込んであっというまに10時を過ぎて、お開きとなった。



2001年08月30日(木) トルコ人の来客

 お昼からMさんと買い物に行って、今日の晩ご飯の材料を買った。今回新しくきたトルコ人イギット(Yiğit)をネジャーティが夕食に招待しているからである。イギットは3年前に3ヶ月UNHにいたオカン(Okan)の奥さんの方の親戚で、近くの寮に住んでいる。昨日もネジャーティはイギットを訪ねたみたいで、同じ階に住む日本人から目撃報告を受けている。

 今週まで夏休みなのでダイニングホールが開いていないらしく、自分で用意しなければならないらしい(知らなかった、、、)。イギットのほかにもう1人トルコ人がいるらしく、その人も夕食に呼ぶことになった。

 食事前にネジャーティは梨奈と2人を買い物に連れて行っていて、その間に私は夕食の支度をした。梨奈が散らかしたのを片付けたりしたが、時間どおりに帰って来なくていいから、と心で思いながら、用意をしていた。

 みんなが戻ってきた頃にはほとんど出来上がり、3人はトルコ語で賑わっている。食事が終わってデザートを食べて、食器を洗い終わったらコーヒーを飲みに行こう、と思っていたら、家から電話がかかってきた。

 3人で行ったほうが気兼ねなくトルコ語で話せるし、私は家でゆっくりしていようと思い、電話を続けながら、彼らを見送った。

 しばらくしてネジャーティが帰ってきて、2人はいいやつだ、といいながら、もう1人のトルコ人、ジャン(Can)について話し始めた。

 ジャンに「お布団とかシーツとか持ってるの? 必要だったら買いに行こう」と聞いたら、ジャン曰く、「かばんの中身を見てからのほうがいいかもしれない」。お母さんっ子、お姉さんっ子らしく(トルコ語でも同じ言い方があるらしい)、アメリカに来る時、荷物はお母さんお姉さんが詰めたらしい。だから、2人に「このかばんだからね」と念を押されたらしい。そして、まだ開けてないかばんがあるのか、何が入っているかわからないそうで、ネジャーティとイギットは、なんとのんきだろう、と大笑いしたそうだ。

 「じゃあ、今どうやって寝てるの?」と聞くと、トルコ人教授宅から借りた寝袋をベッドに置いて寝てるそうだ。う〜ん、なんとのんきな、、、。



2001年08月29日(水)

 来週はここの大学も新学期が始まるので、学生が戻ってきている。

 日本のニュースを見ていたら、大学生数は全米で1500万人もいて、大学の寮の定員に入りきれない学生もいるという。

 高校からストレートで上がってきている学生は1年か2年間、大学の寮に入ることになっている。ニュースでは2人部屋のところに3人入らなければならないぐらい部屋の数が足らないらしい。それでも大学によっては市内のホテルと契約をして、上級生の中にはホテルの部屋をあてがわれた人もいるようだ。

 ここの大学のキャンパスにも寮があって、下級生用の寮や、21歳以上の学生の寮、ESLコースの学生用、留学生用と分かれている。ネジャーティもここの大学に来たての頃は21歳以上の学生の寮(だいたいが院生)に入っていた。新しい日本人2人もネジャーティがいた同じ寮に入っている。1人部屋だそうだが狭いらしい。

 寮生活のいい点は、いろんな人と知り合えることだ。ラウンジでテレビを見たり、話をしたりできる。

 ペンシルベニアの大学に語学研修で行った時、キャンパスにある寮で1ヶ月過ごした。夏休みということもあって、寮にはアメリカ人学生はほとんどいなかったが、寝食をともにするというのも、仲間のいろんな面が見られたし、交流も増えて面白かった。寮の1階でピアノを弾く男子学生がいて、他の男子学生が羨ましがったり、他の寮のアメリカ人を見つけて、ソフトボール大会をしたりした。

 夏になると、語学研修や寮の思い出が甦る。もう一昔経ってしまった。



2001年08月28日(火) 通り雨

 最近、目が痒くて、涙目になっている。そして、昨日の晩から鼻が〜! どうも風邪気味である。麦茶で水分を補給していて、首から上は何となく体調悪い〜という感じだが、いたって元気である。

 夜に雷がなってすごい通り雨があった後、ネジャーティが車の窓を掃除しに行った。梨奈がついていきたいようで、一緒に行った。
 窓を掃除し終えた後、雨がぱらついて、一気に土砂降りの雨が降ってきた。また通り雨が降って、タイミングがいいねえと思った。窓ガラスの洗剤は残したままだったので、雨で落ちたことだろう。

 また雨が止んで、ネジャーティは学校に行った。

 



2001年08月27日(月) トルコ顔

 梨奈は最近トルコ顔になっていると思う。ちょうど1年前の写真はまだ日本人の顔のように思えたが、最近はトルコ顔だ。

 何か気にいらないことがあると、悲鳴声を上げる。よく通る声で、近所に迷惑にならないか、心配である。トルコ人女性は声高なので、もしかしたら梨奈も声高かもしれない。
 また、私は声は通らない方だが、祖母と母は声がよく通っていた。祖母は声がよかったので、梨奈は両方からいい声をもらってるのかもしれない。

 20日を過ぎてから、日に日に何でも覚えていく梨奈である。

 今日、母と電話で話したら、梨奈もしゃべりたいらしく、受話器を持ってずっと意味不明な言葉でしゃべっていた。何とか受話器をくれたが、母曰く、「きっと英語やで」。
 いまだ、何の言葉をしゃべっているのか不明だが、う〜ん、私には日本語を話して欲しいなあ。



2001年08月26日(日) 買い物

 今日来られた日本人女性はMさんといって、Hさんと同じ寮でしかも同じ階だそうだ。Mさん、Hさん、ネジャーティと買い物に行った。

 日用品のお店に行ったら、Exeterに住んでるKさんも来ていて、Hさん、Mさんと顔合わせとなった。

 買い物に行った後、ポーツマスのダウンタウンでコーヒーを飲んで、公園を歩いた。梨奈は水辺が好きなようで、泳ぐところはないが、桟橋に走っていった。
 歩いていると、タクシーが送迎に来ていて、Hさんが「2回乗ったタクシーだ」とタクシーの運転手さんのところに行った。やはり同じ人だったらしく、きっとこの辺を持ち場にしているタクシーのようだ。

 夕方だったので、風が少し冷たく、Tシャツ1枚では肌寒いぐらいだ。

 公園の一角には小さい噴水が3つあって、その周りは花がたくさん咲いている。ちょうど、その公園で結婚式を挙げている人たちを見かけた。アメリカではどこでも結婚式場になりえる。屋外で式を挙げるのも少なくなく、ビーチで結婚式を挙げている人たちを見かけたことがある。

 日本の伝統的な結婚式は、花嫁が嫁入り道具とともに花婿の家に行って、そこで行われていたのであって、ホテルや教会で行われていたわけではない。今はお付き合いの範囲が広いから、どこか人数が納まるところでしないと困るかもしれないが、シンプルにかつ楽しくできるアメリカの結婚式が日本でもできれば楽しいだろうなあと思う。



2001年08月25日(土) ウィークエンド

 今日、Hさんがボストンから戻ってこられるのでバス停まで行った。Hさんの妹さんが1週間おられて、昨日ボストンを回って、今日日本に帰られた。

 お昼ごはんを食べにHさんとモールに行った。その間、ネジャーティは洗車に行っていて、モールのフードコートで待ち合わせだったが、1時間経っても来ない。しばらくしてネジャーティがきた。何かあったのかなあと2人で心配していたら、洗車の後、ワックスを買いに行ってたというので、それだったら、帰りがけでもよかったのにと思ってしまった。

 日本食材を買いに、あるお店に寄って帰った。

 夕方、空港から電話がかかった。今日新しい日本人の女性が来るのだが、迎えの人が来ていないらしかった。最悪の場合はポーツマス行きのバスに乗ってください、といっていたが、結局迎えの人に会えて、途中からまたお電話をいただいた。
明日寮に入るということで、明日お会いできるようだ。

 今日、その女性が到着されたら、Hさんといっしょに夕飯にきていただこうかと思ったが、今日はHさんだけとなった。またの機会にと思っている。



2001年08月24日(金) どこで覚えたのか

 夜、気分転換にドーバーのダウンタウンにあるコーヒー屋に行った。そのついでに買い物もしようということになった。

 ネジャーティはこのコーヒー屋が好きである。店内は少し古めだが、ソファーや高椅子があって、それがいいらしい。日本の喫茶店と違って、コーヒーはプラスチック容器に入って、持ち出しできるようになってるが、店内はコーヒーマグでも飲めるようになっている。そして、普通のコーヒーだったら、自分で入れるようになっている。

 コンピューターも置いてあって、3ドルで30分インターネットがつなげるようになっている。誰かが使っているのをまだ見たことがないが。

 梨奈はそこに座るのが好きである。コーヒーを飲み終わって買い物に行こうと、ネジャーティが梨奈をコンピューターのところの椅子から降ろそうとすると、嫌がって叫びながら、手をガッと噛んだ。結構痛かったらしい。どこで覚えたのか、、。本能的なものかもしれないが、今日初めてで、実は今日2度目だ。



2001年08月23日(木) 来客

 夕方ネジャーティが近所に住むMさんをバスターミナルまで迎えに行った。Mさんはオーストリアの旅行から帰ってきたのである。
 ちょうど夕飯の時分だし、ということで、うちにお呼びして夕飯をともにした。

 Mさんの滞在した街はアーノルド・シュワルツネッガーの出身地で、一番有名なアメリカ人らしい。街の人も彼を誇りに思っているそうだ。

 私も卒業旅行でオーストリアのウィーンに立ち寄ったことがある。ウィーンも印象に残った街で、2月に行ったということもあってか、とても静かでシックな街である。後輩に「ザッハートルテを食べてきてくださいね」といわれていたので、喫茶店に入って、ザッハートルテを注文した。ザッハートルテとはチョコレートケーキのことである。
 ウィーンフィルハーモニーの演奏も聴きに行った。立見席で400円程度で、翌日は弦楽器演奏を聴きに行った。それでも1600円ぐらいだったと思う。

 Mさんが帰ってしばらくすると、ドアをノックする音がした。開けてみると、トルコ人のカディールである。明日トルコに帰るから挨拶にきた、というので中に入ってもらった。いつもなら夜はネジャーティは学校に行っているのだが、今日はたまたま家にいて、ネジャーティはカディールと話をすることができた。

 カディールは海軍からきていた学生だった。ここの大学の工学部にトルコ人教授がいて、海軍に声をかけていて、毎年だれか来ている。カディールもその口で、2年前に来ていた。
 今後はアンカラにある本部で働くそうである。独身で今のところ海軍のアパートに入れないから探さないといけないらしい。

 そんな話をしていて、梨奈もとてもなついていた。カディールが梨奈がもっていた本のカバーの写真を指差して "Nice?" と聞くと、"Nice." と返してびっくり。2、3回はっきり言ったのでうれしくなったが、やはり英語が先に出るのにちょっとショック。それでも日本語の単語は知っている。「ごちそうさま」は「だだー」っていうし、、、。でもはっきりじゃないかぁ。

 楽しい夜のひとときだった。



2001年08月22日(水) カヌー

 ポーツマスという近くの市にカヌーのできるところがある。正確に言うと、カヤックで、一人乗りである。公営ではなく民間のだが、2年前に地元の人がオープンさせて、夏の6月から9月まで開いているらしい。

 カヌーとの出逢いは学生の時に行ったペンシルベニアでの語学研修にさかのぼり、学校所有の湖でのカヌーがはじめてだった。昼から夕方にかけてで、蛍光塗料の入ったスティックみたいなのをライフジャケットにつけていた。1組は湖に落ちて、ずぶぬれになった。やはりこういうことのために設定されているらしい。

 フロリダに行く直前にカヌーやカヤックに興味を持ったことがあった。フロリダの語学学校で知り合った女の子は偶然カヤックをしていた子で、カヤック仲間はオリンピックに出るほどの腕前だったらしい。
 フロリダでは2回ほど川にカヌーに行ったことがある。河岸がコンクリートで固めていない、自然そのままの川で、フロリダなので、ワニにもお目にかかることがある。少し深い川だったが、それでも底が見えるほど澄んでいた。

 ポーツマスでのカヤックは9月までで、梨奈がいるので行けないが、梨奈がもう少し大きくなったら、きっとまた他の場所で行ってみたい。



2001年08月21日(火) 健診

 梨奈の健診があって、クリニックに行った。身体測定の後、他の部屋で医師が来るのを待った。
 4ヶ月きていない間に、診療室も変わって、コンピューターがおいてあった。部屋に入って、看護婦さんがコンピューターに、身長、体重などを書いてくれた。また家族構成や、梨奈の食生活についても聞かれた。待っている間に画面をふと見ると、未婚か既婚を問うところに、「未婚だが、子供の父と一緒に住んでいる」となっていた。だから、看護婦さんの質問に、「お父さんも家族と一緒か」とあって、何でそんなこと聞くんだろう、と思いながら「はい」と答えた。

 さっきの看護婦さんを探そうと思ったら、他の看護婦さんがいたので、訂正して欲しい欄があるんだけど、と頼んだ。その看護婦さんが訂正使用としたが上手くいかず、さっきの看護婦さんを呼んでくれて、訂正してもらった。ネジャーティと私は同じ苗字じゃないので、そうなったらしい。う〜ん。

 医師が来て、健診をして、予防接種も予定通り行われているし、もう追加の予防接種はしなくていいといわれた。ただ、水疱瘡の予防接種をいつかしないといけなくて、今日しますか? と聞かれ、してもらうことにした。
 他の看護婦さんが来て、腕に注射した。それまでは太ももだった。もちろん泣いたが、帰る頃にはけろっとしていた。

 たまたまクリニックがある市の地図を見ていたら、池があるというので行ってみた。そこにはボートをつけられるので、ボートやカヌーボートを持っている人はそこから池に入れるようである。

 この辺は入り江もあるし、こういった池もあるし、ボートを持っている人も少なくない。この辺に住むんだったら、ボートがあったら楽しいだろうなあと思った。



2001年08月20日(月) 昼市

 月曜日はこの町で昼市をしている。地元の農家が野菜を売っているのである。種類はそんなに豊富じゃないが、有機栽培で育てた野菜や、花、パンなどを売っている。

 これまで他の2つの町の昼市にいったことはあるが、この町の昼市に行ったのは初めてだった。隣の市の昼市できてた農家の人もこの町の市にいた。
 この前はその人のところで買ったので、違う人のところで買うことにした。トマトが1ポンド(450グラム)で2ドルで、量り売りである。WICプログラムから20ドル分のクーポンをもらっていたので、2ドル分のトマトを買おうと思った。

 とりあえず、トマトを4個持っていって、おじさんに「2ドル分のトマトを買おうと思うてるねんけど」といったら、「はかりにかけよう」といってはかりにかけてくれた。1ポンドには足りず、「小さいのを1個もってこよう」と小さいトマトをいれてちょうど1ポンドになった。でもおっちゃんがその小さいトマトがほんの少し虫に食われているのを見つけて、他の小さいのを足して1ポンドにして、「このトマトもいれて2ドルでどう?」と少し虫に食われたトマトをおまけしてくれた。

 小さい頃にはスーパーでの買い物もあったが、市場に行って買うこともあった。野菜、果物は八百屋、魚は魚屋、と市場で専門の店に行って買い物したことを思い出した。肉屋には地元の神戸肉が売ってたのでそれを買ったり、お惣菜屋に行ったり、麺だけ売ってる店に行ったりした。うどんだけでも太さに種類があって、うちの家庭は細麺が人気だったのでそれを買っていた。

 市場の人と話をしながら、直接買って、たまにはお客が交渉したり、お店の人がおまけしてくれたりした。
 
 昼市でおじさんと話して、ちょっと懐かしい気持ちになった。



2001年08月19日(日) 外出

 今日は外出の日だった。

 ガソリンの値段がまた下がっていて、1ガロン1ドル29セントまで下がっていた。前回入れたときより10セントも下がっていた。

 昨日寮を移ったHさんとモールやその周辺のお店で買い物した。買い物から一旦家に帰ってご飯を食べて、Hさんの妹さんを迎えにバスターミナルに行った。梨奈を置いて一人で行く予定だったが、ネジャーティはその間アパートでじっとしているよりも一緒に行った方がいい、というので一緒に行った。

 私がモールに行っている間、妹さんからうちに電話が入って、ネジャーティが応対したらしい。荷物がきていないらしかった。

 バスターミナルに着くと、バスは早めに着いていたらしく、妹さんが外で待っていた。帰りに買い忘れたものを買いにお店に寄った。

 12時近くに空港から電話があって、妹さんの荷物を届けに行く、ということだった。この辺のチリがわからないということで、この町に着いたらもう1回連絡をくれるらしい。
 電話がかかってくる前に、学校に行ってたネジャーティが帰ってきた。電話に出たネジャーティは荷物を届けに来た人がいるところまで行った。その場で荷物をもらえたらしく、寮に届けて戻ってきた。

 荷物が届いてよかった。
 



2001年08月18日(土) トルコからの電話

 ネジャーティが、また日本時間で生活している。

 トルコから、また電話があった。いつも「ネジャーティ」というだけである。この日はネジャーティが寝ていて一応家にいるので、「どなたですか?」とトルコ語で聞いてみた。トルコ語で書いたものを電話の近くに貼ってあるので、それを見ていってみた。そしたら、

 「Kaval(ネジャーティの苗字)」というので、親戚は誰でも「Kaval」に決まってるやんか、と思っていたら、「アムジャ(おじ)」と言ってきた。おじさんだったか。一応、ネジャーティにおじさんから電話だけど、といってみた。寝起きに電話でしゃべりたくないといつもいっていたのだが、今日も寝起きは勘弁、とのことで、「何ていえばいい?」と聞いて、いってもらったトルコ語をいってみた。

 通じたのだが、自分も意味がわからないので、電話を切った後、「どういう意味だったの?」と聞くと、「今いません」という意味だったらしい。それだったらいつもどおり、「学校に行ってます」と言えばよかったかな。

 もう少し、トルコ語での文章をメモに付け足さないといけない。



2001年08月17日(金)

 変な夢をよく見る。

 旅行に行っている夢だったが、途中で登場人物が入れ替わっていたり、場所が変わっていたりする。

 最近はそうでもないが、小さい頃は同じ夢を何度か見たことがあった。同じ夢を2回見たとき、始まりは同じだが、1回目は途中で目が覚めて、2回目にはその夢の先を見たことがある。

 もう一つには、一旦目が覚めて、また寝入って、夢の続きを見た、というのもある。

 最近見た夢で面白かったのは、梨奈が双子で、もう一人の名前が「かな」ちゃんだった。



2001年08月16日(木) メール

 フロリダの大学のナム先生からメールをいただいた。今月に入ってナム先生からいただいたお手紙にお返事を出したところ、メールが今日届いた。

 今月に入っていただいたお手紙には、フロリダのタラハシーにある美術館の庭の橋に、4月か5月に亡くなった、先生の奥様の名前が付けられたということが書かれていた。写真をカラー印刷して送ってくださっていた。

 先生は人口統計学の専門の先生の中でも割と知られた先生で、アメリカ人口学会の会長もされたことがある。インドネシアに長年調査に行っておられたこともあって、先生が退職される前はインドネシアの学生が留学生として学部にきていたらしい。私が大学に入った年の5月で先生が退職されて、クラスを取ったことがなかったのだが、その年にニューオリンズで行われた人口学会の会議の半ばで先生の退職パーティーを学部の主催で行った。全く知らない先生だったのに、「パーティーにきてくれてありがとう」と言ってくださって恐縮したのを覚えている。

 奥様はタラハシーにある短期大学で教鞭をとっておられていて、日本人の学生で奥様のクラスを取っていた女の子もいて、一度その女の子と先生のお宅にお邪魔したことがあった。とても気さくなご夫妻で、先生は奥様のことを「ミセス・ナム」と呼んでおられて、とても大切にされていた。

 今日いただいたメールには、ちょうど旅先から帰ってきたところだったとあった。ボストン、ケンブリッジのあたりを娘さんとその家族で旅行をされていたようで、今度はイタリアへ息子さんたちと旅行に行くんだとおっしゃっていた。
 息子さん、娘さんといってもご自身のお子さんではなく、養子、養女として迎えたお子さん達である。

 ナム先生は近々、奥様の名前が付いた橋を見に行くそうである。



2001年08月15日(水) とにかく眠たい

 疲れがどっと出ているのか、とにかく眠たい。午後、隣の市のファーマーズマーケットに気分転換に行ってみる。
 
 いつも通るところなのに、こんなところに公園があるのか、と初めて知ったところだった。そこで毎週水曜日、地元の農家の人が野菜を売っている。私が住んでいる町は月曜日にあるのだが、月曜日には行けなかったので、今日、隣の市まで行くことにしたのだった。

 野菜の種類はレタス、ピーマン、さやえんどう、玉ねぎ、なすなどで、レタスとナスを買った。買った後、公園でもうちょっとゆっくりしたかったが、帰ることにした。

 夕食に早速ナスを使った。それなりにおいしかった。

 とにかく眠たくて、全部食べ終わる前に、横になった。熟睡はできなかったが、うとうとしていた。その間、ネジャーティは梨奈を見ていないといけないので、学校に行けずじまいだった。梨奈も私が寝ているのを見て、キスして隣の部屋に行ってしまった。

 結局朝まで寝ていた。



2001年08月13日(月) ガソリン代

 ガソリン代が安くなった。7月初めぐらいまでは1ガロン(3.87リットル)が1ドル73、74セント(約209円)もしていた。それがどんどん下がり、今では1ガロンが1ドル34セント−40セントである(約162円)。10ガロン(38.7リットル)は入れるので、1ガロンにつき40セント違うと10ガロン入れたら4ドルも違うのである。4ドル(484円)は大きい。

 ガソリン代は州によっても違っていて、6月にニューハンプシャーで1ガロンが1ドル73セントぐらいだったとき、フロリダではプレミアムでその値段だった。普通のは1ドル56セントぐらいだった。おそらく今はもっと安いのだろう。

 サマースクールには車で通っていたので、ガソリン代も馬鹿にならないなあと思っていたが、ガソリンが結構延びていたようで、普段なら1回のガソリン給油で走る距離は220マイル(352キロ)ぐらいだったのが、サマースクールに行っていた時は300マイル(480キロ)まで延びていた。


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 今日も車を走らせ、近所のMさんをバスターミナルまで送った。バスターミナルから、ボストンの空港まで行くのである。Mさんはオーストリアへの旅行するのである。

 バスターミナルではUNHでスペイン語を教えている先生に偶然遭った。その先生も友人を送りに来たようだった。その先生はもともと台湾の先生なのだが、スペイン語に接する機会があって、スペイン語を大学で教えている。その先生の名前は、Linaで、梨奈(Lina)の名前と一緒である。「Rina」とすると、アメリカ人は巻き舌でいうので、「L」の方が「りな」に近いので、「Lina」なのである。アメリカには「Leena(リーナ)」という名前があるらしく、「Lina」と紹介すると、たいていのアメリカ人は「Leena」と思っている。
 ちなみにアメリカ人は「り」と「りー」と、のばすかのばさないかの区別はあまりできない。



2001年08月12日(日) 電話&運転の練習

★電話
 朝、何となく早く起きた。少しして電話が鳴った。もしかしたら、近くに住むHさんかな、と思って電話をとった。
 電話の先は男の人の声で日本人だった。先日お会いした方かな、と思ったら、以前メールをいただいた方だった。

 その方は、私が以前住んでいたフロリダのタラハシーについてインターネットで検索していて、私のHPを見つけられたようだ。その方からメールをいただいて、ご質問にお応えしたり、その他、タラハシーへの行き方、町のことなど、自分が知っていることをメールで送った。

 どれくらいお役に立てたかわからないが、それでも3年近く住んでいた町のこと、それなりにお教えできたと思う。

 その方が無事にタラハシーに到着されたようで、ご丁寧にも、その旨タラハシーからわざわざお電話でお知らせ下さったのである。暑いフロリダだが、安全で楽しい旅を、と願うばかりである。

★運転の練習
 私でなく、Hさんである。Hさんは7月の下旬に日本から来られたばかりの方である。妹さんが来週来られるようで、その時のために、少し練習をというので、本当はレンタカーを借りて練習する予定だったのが、午前中は少し雨も降ったし、その日はそのまま終わろうとしていたようだった。
 事前にメールをいただいていたので、もしよかったら買い物がてら、練習しませんか、ということで、最初に駐車場で練習、路上に出て、しばらく走った後、モールに行った。
 
 モールでコーヒーを飲みながら、ご専門の目から見た、少し前に問題になった狂牛病の話になって、私も知らなかったことなど教えていただいたり、食品に関しては安心できないなあと考えさせられたり、とても収穫のある楽しい話(!?)となった。



2001年08月11日(土) 涼しくなって一息

 昨日の雨で25度ぐらいと涼しくなったが、今週は暑い日が続いて、梨奈も寝苦しかったらしく、3時22分きっかりに目が覚めては激しく泣いていた。2回ぐらい起きたのと、こっちも寝苦しいのもあって、睡眠不足だった。
 学校があったときには気が張っているので、眠たくならないが、学校が終わって、疲れがドッと出て、今日は1日中ゆっくりしていた。

 普段の日はなかなか掃除できなくて部屋が散らかっていたりしたので、夕方になって少し掃除した。

 



2001年08月10日(金) 最終日

 サマースクールの最終日だ。梨奈も託児所が最後の日だ。

 梨奈を託児所に連れて行った。最初の頃は私にしがみついてなかなか離れなかったが、このところ、お友達めがけて走って行く。う〜ん、そんなもんなんだろう。

 今日の授業では、すぐ終わる簡単な選択問題のテストを出して、終わったら15-20分ぐらい、グループアクティビティーをしてもらった。授業で習った文章を使って会話&プレーをしてもらうというもの。生徒が練習をしている間、今日配る学生作成のガイドブックをコピーしていた。一人だけ、記事を書き終えてなくて、待っていたのだが、今日聞いても、やってない、といわれ、その生徒の分を抜いてコピーすることになった。

 何とかコピーも終わり、ホッチキスで止めてようやく完成。

 生徒に会話の発表をしてもらう。それなりに習った分を使って、暗記してプレーしていた。成績の一部にさせていただきます、といっても3段階しかない成績なので、そんなに厳しいつけ方ではない。

 全てが終了し、メールアドレスをもらって、写真を撮った。慌しく終わってしまった。集会の時間まで前もって書いておいた生徒へのコメントをコンピューターに打ち込んだ。

 学校の集会ではスライド上映があった。生徒が学校に到着した時から写真を撮っていて、サマースクールの様子をスライドで見るというものである。バックグランドの音楽が流れ、知っている生徒が映るたびに、歓声が上がる。いろんなアクティビティーがあったようで、結構充実した日々だったんじゃないかと思う。
 最後の写真は先生たちで撮ったものだった。このために写真を撮ったのね。

 集会後、成績をオフィスに持っていって、私の仕事も全て終わった。

 この学校で通常教えているKさんを訪ね、お昼がてら話をした。少しすると空が暗くなり、帰ることにした。雷も近くに落ちているみたいで、車に乗り、帰宅した。
 



2001年08月09日(木) 買い物

 今日も暑くて、学校では食堂を開放して、そこで授業をしてもいいことになった。

 今日は昨日お会いした奥さんが見学に来られてて、自己紹介をしていただいた後、食堂に移動した。なんとなく授業の雰囲気でもなく、2つのグループに分けて、会話文を作ってもらい、明日発表してもらうことになった。これは成績の一部になる。
 グループワークをしてもらっている間、日本語でいろいろ奥さんと話した。現在は関西のある私立大学で英語を教えておられるのだが、そこでのクラスの話や、以前ハワイで日本語を教えておられた時のことや、日本語で話ができることをいいことに、いろいろお話をさせていただいた。

 クラスも終わり、お昼でも一緒にいかがですか?とお誘いすると、教室がある建物でご家族と待ち合わせ、というので、一緒に戻り、もう一度、ご主人にお誘いし、お昼を食べながら、またいろんなお話をした。

 会話がとても弾んで楽しかったが、生徒との待ち合わせの時間になってしまい、先に失礼して、待ち合わせ場所に向かった。クラスの生徒一人とルームメート、またその友人、と3人の生徒を車に乗せて、モールに向かった。待ち合わせ時間を決めて、各自自由に行動。私はGAPにいってみた。

 ちょうど夏物のセールで、$4.99の文字が。ショートパンツがその値段だった。元の値段は29ドル。これだからGAPのセールは好きだ。下がりに下がってこの値段に。私のサイズはトップは肩幅が広いのでXSだと入らないのだが、ボトムは一番小さいサイズでいける。ちょうど小さいサイズが残っていて、購入。この値段はCrazyだ。

 生徒もいろいろ買ったらしい。その後、ポーツマスへ。3人とも大都市からきているので、ポーツマスのダウンタウンは物足りなかったらしい。それでもお花いっぱいの公園に行って写真を撮ったり、アイスクリームを食べたりと、それなりに楽しんだ。



2001年08月08日(水) インターナショナルデー

 日本語のクラスでは今日は折り紙を折って、アニメをDVDで見るという予定だったが、DVDを使うのにパスワードがいるらしく、誰もわからないので、結局折り紙を折って終わった。折り紙で風船を作ったり、手裏剣を作ったり、あっという間だった。 

 今日はサマースクールでインターナショナルデースペシャルがあって、クラスの後の集会では、他の国からきている生徒の踊りや楽器演奏があったり、その後の屋外でのお昼ごはんも学校側がアジア、ヨーロッパ、地中海、などの地域別の食べ物を出したりと、お祭り一色だった。

 集会の前に、浴衣を着た。昨日の練習のかいがあって、時間はかからなかった。お昼ごはんの時間が少し過ぎて、今日待ち合わせのご家族と対面を果たした。そのご家族とはご主人が日本人、奥さまがアメリカ人で、奥さまはこのあたりの出身で、この高校の卒業生である。どうして知り合ったかというと、インターネットである。ニューハンプシャーのキーワードで検索したら、私のHPを見つけられたそうで、メールを送ってくださったのである。ご主人が関西の方、奥さまがこの高校の卒業生という偶然もあってメールをいただいた時にはびっくりした。

 明日は奥さまがクラスの見学をしたいということで、クラスに来られることになった。
 



2001年08月07日(火) モール・浴衣

 いつもは火曜日は休みなのだが、今週は最終の週で時間割が少し違っていて、毎日授業がある。

★モール
 授業が終わってすぐに帰って、梨奈も昼寝するのに寝苦しいらしく、外出することにした。
 といっても、車のクーラーが壊れているため、後部座席にいる梨奈に直接風が当たらない程度に窓をあけ、クーラーがあるモールへと急いだ。途中で梨奈が寝だして、どうしようと思ったが、モールの中の涼しさで目を覚まし、フードコートへ。ダンキンドーナツで飲み物を買ったら、店員が「これ食べるかな?」といって、小さい丸いドーナツを4つもくれた(これがタダなんだな。でも店員さん、大丈夫かい?)。

 最近梨奈は私に手を引いて欲しいようで、手を差し出してくる。手をつないで一緒に歩いていたら、靴屋を発見。梨奈に引かれていったら、自分の靴を脱いで、展示用の靴を履こうとするわ、サングラスを私にかけようとするわ、と大変なことに。店員も出てきて、「ごめんなさい、展示用のなので、、、」と言われてしまった。その表現は日本の店員と同じ。意外と同じなんだな、と妙に感心しつつも、「すみません」と謝って店を出た。

 モールにある休憩所に階段があって、そこを行ったり来たりしだした。いい、いい。お店のものを触るより、歩いていてくれてた方がいい。変に安心しつつ、梨奈と一緒に階段の上り下り。

 モールも飽きたらしく、ポーツマスに行くことに。知人の家族が経営しているお店に立ち寄った。


★浴衣
 明日浴衣を着るつもりでいて、今日、練習をしておいた。浴衣を買ったところで、浴衣の着方の紙をもらったいたので、それを見ながら帯を結んでみたのだが、どうも上手くいかない。

 悪戦苦闘している私にネジャーティが「それでも日本人なの?」というので、なかなか着る機会がないからねぇと言い訳する私。着物の特集の本にも浴衣の着方も載ってて、よくみたら、帯の結び方が違うような気がする。それを見て、説明をよく読んでみたら、どうも今まで間違えて結んでいたようだ。本にある結び方でやってみると、あら不思議、前より簡単にうまく結べた。紙の方の説明も同じ結び方だったのだが、間違って理解していたようだ。う〜ん、恥ずかしい。

 祖母が着物を着た姿をほとんど見たことはなかったが、母によると、祖父の支度より祖母が着物を着る方が早かったらしい。祖母は明治生まれで、そのころはほとんどの人が着物である。毎日着物を着て育った人にはかなわない。
 浴衣といって思い出すのは、祖母から聞いた話で、関東大震災があったとき、祖母の町内ではみんなが浴衣を縫って、東京の人に送ったそうだ。1日2枚縫ったそうだ。
 そんな祖母だから、私が帯の結び方を間違えてたというと、山口の言葉で「つまらんねぇ」といわれそうだ。関西弁に直すと「あかんねえ」というところである。

 



2001年08月04日(土) 新たな隠し場所

 また物がなくなっている。犯人は梨奈だ。

 一つは鍵。家と車の鍵が3セットあったが、1セットはネジャーティが持っていて、1セットは私用、もう1セットは予備である。それで自分用の鍵のセットがもう2ヶ月ぐらいない。それで、予備を使っていたが、先週火曜日から見ていない。外ではなくしていない、というのも火曜日はどこにも行っていないからである。

 車の合鍵を今日Walmartで作ってもらった。一つ99セントで作ってくれるので、作ってもらうのは気軽だ。ただ、家の鍵は作ってもらえない。大学のアパートが元々管理しているので、合鍵を作らないで下さい、と鍵に書いてある。

 他の無くし物といえば、ウナコーワだ。どうも梨奈にはどこか新たに隠し場所を作ったらしい。それがまだわからなくて、見つからないでいる。ウナコーワは何とかなるが、鍵は見つけないと、アパートを出る時に、お金を払わなければならない。

 この狭いアパートで、隠し場所といっても限られていると思うのだが、どこが新たな隠し場所なのか、、、。



2001年08月03日(金) ルート

 通勤途中にある橋の近くで舗装工事をしていた。片側通行になっていたので、長い時には5分そこでまっていなければならなかった。
 今日は舗装工事が終わっていたようだったが、その橋のすぐ手前の信号を右折していく方法で行ってみた。右折していく道路はカーブが多かったが、車が少ないし、道路も最近新しく舗装したようで走りやすかった。
 最初は不安だったが、学校がある町に入って、見覚えのある川のそばを走り、なんと行き着いたのは学校のすぐ裏だった。

 町の中心地を走らなくていいし、渋滞もないし、時間的にも少し短いように思った。この道があるんだったら、舗装工事の間、この道を走って置けばよかったと後悔。それにあと1週間しか学校もないのに、、。

 学校が終わった後、買い物に行って、梨奈を迎えに行って、家の中を少し掃除して、と慌しい時間を過ごした。夜にはここに新しく来られた日本人の女性Hさんが来ることになっている。長年ここに住んでおられるIさんがカリフォルニアで発行されている日系の新聞を購読しておられて、その新聞をここにいる日本人で回し読みをしていて、今度私から、Hさんに回すことになって、新聞を取りにきてくださるのである。 

 Hさんが来られて、今日は暑かったのでアイスクリームを食べながら、ネジャーティは失礼なことばかり言っていたり、梨奈は眠たさもあって途中で機嫌が余りよくなくなったりしたが、今度新聞を取りにこられるときに、またお話できるだろうと思う。あっという間に時間が過ぎた。



2001年08月02日(木) ポーツマスにて

 お昼ご飯をユキ子さんと一緒に食べることになっている。場所はポーツマスの日本食レストランで、ユキ子さんと必ず行くところである。

 レストランに着くと、既にユキ子さんが待っていた。

 ユキ子さんは明後日日本に発つ。ジェットプログラムという文部省のプログラムで高校で英語を教えるというものだ。2年間の予定である。希望地が親戚のいる神奈川だったのだが、希望どおり神奈川の高校で教えることになったので、親戚の家に滞在することになったらしい。

 神奈川の3つの高校を掛け持ちするようで、主に行くのが1校、あとは週に2,3回らしい。英語を教えるといっても主に英会話の方らしい。前任者によると、2つの高校はいいのだが、もう1校はあまりよくなくて、英語を勉強したくないという生徒が多いらしい。教えるのは3校だが、英語の先生向けの英語の時間や、高校での英会話クラブの担当があったりと、とても忙しい日々になりそうである。また、伯母さんが英語教室か塾をもっているらしく、そこでのヘルプもお願いしようかなという声もあるらしい。

 日本に着いたら東京でオリエンテーションがあって、ハイアットホテルが滞在先らしい。滞在費も何も払わなくていいので、とても喜んでいる。

 ユキ子さんは先週は弟さんがいるコロラドに旅行していたのだが、人がとてもいいといっていた。じゃあこの辺の人はどうなの?と聞くと、警戒心が強くて、鼻にかけている、という。コロラドの弟さんのところでは、見ず知らずの人でも気さくに話し掛けていて、親切なので、ユキ子さんは何か下心があるのではないかと警戒心を持っていて、やはり自分も警戒心をもっているこの辺の人とかわりはなかったと笑っていた。
 コロラドでキャンプをしていた時に、フリーランスの写真家もいて、泊まった次の日にその写真家はとても気さくに話し掛けてきたそうだ。ユキ子さんはその人の人相、服装、車の車種やナンバープレートまで頭にインプットしていたようで、それって、何かあったときに警察に言えるようにってこと?と聞くと、その通りなの、と大笑い。

 話は日本の話に戻って、アメリカ人でも日本をよく知らない人がいるという話になって、ユキ子さんが近所のおじいさんと話したときに、おじいさんが「日本に行くんだって? 中華料理は大丈夫なのかい。」というので、話をしているうちに、中国と日本とあの辺の地理がごちゃごちゃになっていたことがわかったらしい。確かに戦前、日本は満州を占領していたが、日本が元の島国に戻って55年は経っているのに。やはり地理が弱いらしい。

 もう一人おじいさんの話。朝鮮戦争に行ったという人の話。ユキ子さんが日本は朝鮮戦争に巻き込まれたのかどうか聞いてきたので、武器調達などでアメリカの手助けをしたが、直接戦っていない、といったのだが、このおじいさん、「朝鮮戦争で、朝鮮人相手に、いや日本人だったかな? どちらにしても、、、。」と誰と戦ったかも覚えていないの?とユキ子さんの突っ込み。もうろくしているそんなおじいさんもいるのかなあ。
 真珠湾攻撃に遭ったアメリカ人は敵が誰かいまだに忘れていないでしょう。

 ユキ子さん、行ってらっしゃい!



2001年08月01日(水) パーティー

 夜6時にサマースクールの言語を教える先生達でパーティーをすることになっている。持ち寄りで私はちらし寿司をもっていこうと思っていたので、学校が終わった後、ちらし寿司の素をオリエンタル食材店に買いに行った。
 日本からいつもたくさん持ってきているが、今回持ってきたのは賞味期限の関係で全部使ってしまったので、こちらで買うしかなかった。値段は日本の2倍近くする。

 ご飯を炊いて混ぜるだけの簡単なものなので、手間ひまいらずだ。

 今日はネジャーティと一緒に行くはずだったが、いつも火曜日にあるミーティングが今日になって、一緒にいけなくなったので、梨奈と2人だ。
 パーティーの場所は先生の一人のお宅の裏庭で、人数は家族同伴で20人弱といったところだ。
 今日は暑かったので、ショートパンツをはいていたが、屋外だったので、蚊にかまれてしまった。特に片方の膝の裏(やわらかいぶぶん)を3か所もかまれた。

 食事の前に、この辺の郷土料理といえばいいのだろうか、クラムチャウダー(スープ)を飲んだ。ニューイングランド地方の料理である。

 中国語を教えている先生と話した。日本人生徒がクラスにいるそうで、なかなかよくやってると聞いた。やはり漢字を知っている強みは大いにある。それに発音は違っても同じ単語があるから、なお有利である。漢字を何一つ知らないであろうアメリカ人にとっては、漢字を一つ一つ覚えるのは大変だろう。2000か3000の漢字を知ってれば新聞が読めるだろうが、きっと気の遠くなる作業だろう。

 牛肉や鶏肉が焼きあがったようで、食事が始まった。持っていったちらし寿司は好評で、にぎりや巻き寿司しか知らないアメリカ人にとってはちらし寿司は新鮮なものである。

 梨奈は裏庭にあるブランコで遊んでいた。先生のお子さん達が一緒に遊んでくれていた。そのうち一人が、「梨奈ちゃんの最初の言葉は何だったの?」と聞いてきたので、「たぶん自分の名前じゃないかな」といったら、「僕達3人兄弟の最初の言葉は、一人がキティーで、一人がキャットで、もう一人がキティーキャットだったんだよ。」
 何でみんな猫なんだろう?と思い、猫を飼ってるの?と聞いたら、そうらしい。そのうち黒い猫が家の中から出てきた。梨奈は動物好きなのか、猫に向かって走り、しっぽを触ろうとしていた。

 食事が終わって、デザートに入った。2種類のケーキとチェリーのアイスクリームがあった。

 パーティーといえば、持ち寄りが多いが、どんなパーティーでもなぜかアメリカでは家で気軽にできる。というか、気軽にパーティーを開くすべを知っている。そういえば、アメリカに留学経験のある、大学時代の英語の恩師のお宅でおもてなしのパーティーがあって、その時もとても気軽なパーティーだった。


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