オクラホマ・スティルウォーターから

2001年05月31日(木) 寒い!

 最近は天候が変わりやすく、今日は気温が10度ぐらいしかなかった。寒い。昨日も夜中の気温は10度を切っていて、アパートが管理している暖房もついてなくて、寒かった。

 4年前に、フロリダからニューヨークに行って、天気が悪かったせいもあって10度ぐらいしかなく、寒い思いをしたことがある。薄着しか持っていなかったので、ニューヨークで着るものを買い足した思い出がある。

 来週にはフロリダに行くので、少しは暖かい(暑い)思いをしたい。持っていくものをそろそろ用意しようかな、といってもそんなに荷物はないけども。



2001年05月30日(水) アメリカから見た日本

 たいそうな題名になってしまった。ちょうどテレビでルーシーさん事件のことを扱っていたので見ていた。家族のインタビュー、お父さんが日本でルーシーさんを探す姿などが映っていた。

 最初に映し出される日本といえば、東京のごみごみした様子と浅草。やはり、アメリカ人から見たら、極東アジア、中国、韓国と並んで、ミステリアスな国に見えるんだろうなぁ。私でさえ思ってしまう。

 ルーシーさんが働いていたというクラブの同僚は「日本社会は秩序があって、抑制されているけど、性的なものに関しては下層流だ(undercurrent)と」言っていた(当たってる)。また他の同僚は、「同僚の中には、お客から最初の性的な行為には1000万、回を重ねるごとに100万だす、と言われた人もいる。」と証言していた。
 うわ〜、頭おかしいんちゃうか。不景気や、っていうてるのに、あほちゃうか、と思ってしまった。

 金の亡者達。お金や名誉を手に入れて、やることはとても下品。そういう下品さがまた他の国に知られてしまった。こんなことだから、慰安婦問題も起こるのだ!改めよ、心当たりのある日本人!

 ルーシーさんが見つかった現場に花を手向ける家族達。またそれをカメラに収めようとするマスコミ。ちょっとは家族の気持ちを考えたれや!と怒る(汚い関西弁になってしまいました)。

 私は自称、日本大好き人間だが、この番組でいやなところが目に付いてしまった。どこの国にもいろいろあることだが、、、。



2001年05月29日(火) 人の話

 ここ最近、ちょっとしたことが身に降りかかって、人の話には気をつけようと思っている。特に他の人を悪くいう話には前々から気をつけている。

 他人のいい話は信じてもいいが、他の人から回ってきた他人の悪い話は時として折れ曲がっていることがある。人の解釈によって、同じ話も違う話になる。悪い話は情報としては頭に入れるが、感情移入をしないようにしている。今度その人を見るときにその人へ色眼鏡を掛けてみてしまうからだ。またネガティブな見方は、少しだけの情報を元にして「やっぱりそうなんだ」となおさらネガティブな見方になると聞いた。

 学校で求められるペーパーを書くときもそうなのだが、人の論文に載っている資料を引用したい場合は、その論文からではなく、原資料を載せるのが鉄則である。資料は新しく、なおかつ正確なものを引用するのが基本である。

 又借りされた他人の悪い話より、自分で直接見たものを信じる方がいいと思っている。またせっかく築いた友情関係を他人から回ってきた話で壊すのはいやである。そんな話で崩れるようだったら、友情関係が希薄だったということかもしれないが。

 また、女の子にはよくグループが作られて、リーダー格の子がある子を無視すると、グループで同じ意見を求められるということがあるが、私はそういうものには属さないことにしている。私は私なりに、その人、その人との人間関係があるからだ。いい意味で中立、悪い意味で八方美人といわれるかもしれないが、「私と仲がいいと思うんだったら、こう思え」という強制はいやである。

 そんなにしょっちゅう身に降りかかる話ではないが、人の話をする時には気をつけようと思ったのである。



2001年05月28日(月) あとずさり

 梨奈が歩き始めて2ヵ月半。外に出るのが大好きで、お店に入ったら歩きたくてしょうがない。

 そんな梨奈が最近はじめたこと。後ろに歩くことである。ムーンウォークか?とも思える(ただ足をひきずったように後ろに歩くだけの)動きである。

 また最近は顔を近づけて、チュッとキスをしてくれる。やった〜!と喜んでると、ネジャーティがすねていて、「ダディーにもして!」というが、休みの日はひげをそっていない。また夜は朝そったとは思えない顔になっている。そんな時は梨奈はネジャーティのひげづらの顔をちょっと触ってみるだけである。



2001年05月27日(日) ちょっとした隙に

 明け方、すごい雷がなったらしい。ネジャーティはその時間、学校に行っていたが(何時やねん)、窓ガラスが揺れるぐらい、ものすごい音で鳴ったらしい。何かが爆発したと思ったそうだ。近所のIさんにもすごい雷でしたよ、と言われたのだが、熟睡していたのか、全く気がつかなかった。雨もものすごい音で降っていたらしい。

 さて、お昼過ぎ、近所のIさんと一緒に電気店に行った。今日は割と混んでいた。この連休に買い物する人で一杯である。店員も忙しいらしくなかなかつかまらない。Iさんも買うものが決まって店員を待っている間、Iさんのお子さんと梨奈と店内をうろうろして、Iさんのところに戻った。そして、2、3秒しか経ってないのに梨奈がいなくなってしまった。慌てて梨奈を探しに行った。出口にはまだ行ってないはずと、出口の方に探しに行くと、私が誰かを探してる様子に気づいて、子供連れのお父さんが「娘さんを探してる? あそこにいるよ」と教えてくれた。他のお母さんも「あそこ、あそこ」と教えてくれて、梨奈を見つけることができた。

 よく、子供がいなくなったとき、「ちょっとした隙に」というのをよく聞くが、ほんの2、3秒である。目が離せないお母さんも大変である。

 玩具店のベビー用品売り場で、犬の鎖につける紐みたいなのを売っている。それを買うべきだろうか(犬じゃあるまいし)?



2001年05月26日(土) お昼寝

 今日から3連休である。月曜日はメモリアルデー(戦没者の日) 

前々から今日はテニスをしようといっていたにもかかわらず、昨日寝たのが遅かったので、起きる気配がない。昼になり、梨奈もネジャーティも寝ていて、一人でどこか行きたい気分である。でもそうもいかなくて、結局夕方少し出かけてコーヒーを飲んだ。

 夕方から、雲行きが怪しくなっている。今日は結局テニスをしなかった。明日はできるかなぁ。

 



2001年05月25日(金) ベビーカー

 今日はDMV(Driving Motor Vehicle)オフィス、ショッピングモール、 郵便局に行った。

 全て車での移動なので、着くたびに梨奈を車から降ろしたり、出る時に乗せたりするのは少し大変である。たまに抵抗して、カーシートに座ってくれない時もある。今日はおとなしく乗ってくれた。

 郵便局ぐらいだったら、最近はベビーカーを出さないが、モールとなるとやはりベビーカーは必要である。アメリカのベビーカーは本当に小さいのもあるが、普通のベビーカー(A型やB型といわれるもの)は車に収容するようにデザインがされているので、折りたたんでもそれなりに大きい。日本に帰った時にそれをもって帰った時、航空会社のスタッフが「どうやって折りたたむのでしょうか?」と聞いてきたことがある。梨奈のベビーカーは片手でワンタッチで折りたたむことができないので、両手を使わないと折りたためない。

 日本製のベビーカーを見ると、とてもコンパクトに折りたためるようで、びっくりした。やはり電車での移動も考えてのデザインである。やはり日本製だ。
 値段はアメリカ製の方が断然安い。1万円以下でいくらでもある。梨奈のベビーカーはごついがそれでも5000円もしていない。性能か値段か難しいところである。



2001年05月24日(木) 冷蔵庫

 月曜日に買い物をしたので、久しぶりに冷蔵庫の中が一杯になった。

 実家もそうであるが、冷蔵庫の中はすっきりしている方で、何が置いてあるかわからないということはない。冷蔵庫を開けると、全ての食品が目に入ると思う。だから、テレビでお宅拝見の番組で、冷蔵庫を開けるとぎゅーぎゅー詰めに詰めてある状態を見てびっくりしたことがある。普通はどうなんやろう?

 月曜日に買い物した時には、スイカの切ったのを買ったのでスペースを取ってしまい、他の食べものを何とか入れたが、ちょっとたいへんだった。普段は買い物をしてもそんなに一杯にならない。個人的には冷蔵庫が一杯になるのは好きではないのである。食べものがたくさんあると、圧倒されるというか、プレッシャーを感じてしまうのである。そして、食べ物がなくなっていくと、冷蔵庫の中がすっきりしていって嬉しくなるのである。

 



2001年05月23日(水) 梨奈の抵抗

 今週に入ってぐらいから、梨奈が抵抗し始めた。少しでもいやなことがあったり、おこったりすると、床に寝そべって「ノー、ノー、ノー」と言うようになった。「ナ、ナ、ナ」ということは今でもあって、食べていて、もういらないという時、「ナ、ナ、ナ」といったりする。でも「ノー、ノー」と言ったことはなかったので、抵抗の姿勢を見せ始めた時には驚いた。

 昨日かおとといか、寝室で床に寝そべって抵抗し始めたので、ほっといてリビングに行ったら泣き出した(うそ泣き)。もう1歳5ヶ月。今日、来客があって、今月初めに生まれた赤ちゃんを連れてきた。梨奈にもあんな時があったかなぁ、と思う。梨奈が生まれた直後は余裕がなかったので、気がついたら大きくなっていたという感じである。すっかり忘れてしまった。「2人目は考えてるの?」と聞かれたが、とんでもない。梨奈みたいなのがもう1人いたら殺されると思ってしまう。



2001年05月22日(火) フロリダ

 HPにフロリダのことを載せている。私が住んでいたところはフロリダ北部で、どちらかというと、ディープサウス(アメリカ南部)の特徴がある。中央部のオーランドや南のマイアミまで行くと、フロリダのイメージ通りである。

 2週間後には以前住んでいたタラハシーに行くことになっている。タラハシーには州政府や大学以外ほとんど何もないが、タラハシー近辺に唯一あるとしたら、タラハシーの空港から車で30分ぐらいのところあるワクラ・スプリングスという世界でも規模が大きい泉ぐらいだろう。そこではワニやカメがお昼寝をしたりしている。ワクラ川ではカヌーも楽しめるところがある。わりと自然がいっぱいのフロリダである。

 フロリダを地図で見ると、各都市が近く見えるのに、本当は遠い。フロリダの面積は日本の3分の1もある。「フロリダってそんなに大きかったんだ」と友人にもらすと、アメリカ(50州)は日本の25倍の面積があるから、単純計算しても2つの州が日本と同じだよといわれ、納得。



2001年05月20日(日) 人によく会う

 昨日までの曇天とはうってかわって、晴れてすがすがしい日だった。新緑もますます美しい。 

 今日は人によく会った。

 文房具の店に寄って、駐車場に出たら、同じ列に知っている日本人の車を発見(ナンバープレートが彼女の苗字になっている)。隣のスーパーに入ると、レジにいたので声を掛け、駐車場に向かった。

 ショッピングモールで休憩していたら、知り合いのトルコ人学生に声を掛けられた。今日電話すると言っていて、結局かかってこなかったが、そろそろ彼も卒業じゃないのかなぁ。

 近くに、東洋系の女性と白人男性、1歳ぐらいの子供がいて、どうも日本人らしいので、声をかけたら、やっぱり日本人だった。それも大阪出身の人だったので、もちろん関西弁で話した。ご主人はスペイン人だった(道理でアメリカ人より愛想がいいと思った。でも年齢がちょっと違うように見えたが、、、)。
 マサチューセッツとニューハンプシャーの州境に近いところに住んでいるという。ボストンまで行けば日本人もたくさんいるが、この辺は本当にいないのである。住所交換をしておいた。



2001年05月19日(土) 卒業式

 今日はここの大学で卒業式があった。卒業式は毎年5月の後半の土曜日に、天候に関係なくフットボールフィールドで行われる。屋外なので、雨が降ったらどうするのかなあと思ってしまう。でも、去年も今年も雨が降ることはなかった。

 年に一度しかないので(当たり前だが)、秋学期(12月)で終わった人も参加できる。ネジャーティと同じ研究グループにいたルーマニア出身の女の人も秋学期で終わって、今回の卒業式に出席した。ネジャーティが前日にメールを受け取っていたので、来ているとは思ったが、待ち合わせもしていないのに式の後に会うことができてよかった。夕方、以前学位を取った研究グループの人とも会うというので、ネジャーティといっしょにコーヒーショップへ向かった。

 内輪話で盛り上がっているので、私は梨奈を見ているだけだったが、梨奈は店内をぐるぐる歩き回っている。時折、入口のガラスのドアにへばりついたりして、外に出たがっている様子。また店内には陶器も置いてあって、梨奈の手の届くところにあるのもあるので、見ていないと割ってしまうかもしれないので(高価なものじゃないが)、ずっと梨奈の見張り役をしていた。

 ネジャーティも実験の機械を作動させている最中だったので、コーヒーショップを後に。いやあ疲れた。



2001年05月18日(金) チャイニーズレストランにて

 天気が悪いので、寒いぐらいである。

 今日は梨奈は私よりも早く起きて、朝ごはんをネジャーティと一緒に食べたらしい。私はなぜか眠たくて、起きようと思ったが、うとうとし、5分か10分おきに目が覚めた。その間夢を見ているので、30分か1時間経ったかなと思ってしまう。やっと起きて、ニュースを見る。

 6時にはここから30分のところにあるユキ子さんの家に行き、そこからチャイニーズレストランに行く予定である。ネジャーティは相変わらず忙しいので、お留守番。といっても学校で実験である。

 ユキ子さんのところに行く途中で、お花を買っていった。明日卒業式で、屋外で行われ、だれでも入れるので行ってみようかなと思うのだが、天気がよくないのと、もしかしたら、式の後会えないかもしれないので、今日のうちにお花とカード、日本からのお菓子を渡そうと思ったのである。

 チャイニーズレストランは新しいのか、中がとてもきれいで、バイキング方式でも食べられる。もちろん食べ放題を選んだ。近所にあるバイキングより種類が豊富で、そんなに脂っこくない。アイスクリームもあり、久しぶりに胃が喜んでいる。りなも不思議とおとなしく食べている(ホッとした)。

 一緒に行ったのはユキ子さんと、ご両親で、お父さんはアメリカ人だが、おもしろい人である。駄洒落を言ったり、日本に住んでいたことがあるからか、日本人に近い笑いのセンスである。

 お母さんがドーナツ(穴がないもの)みたいなものを手で2つに割ってみた。

お母さん 「中にマシュマロが入ってる。」
ユキ子さん「そう? そんなの入ってるの?」
お母さん 「(食べて)違うみたい。何だろう?」
お父さん 「それ、ドー(生地)じゃないの?」
お母さん 「(また食べて)あっ、そうみたい。」

 外はちゃんと揚がっていたのに、中は半生だったらしい。お父さんもビールを噴出しそうになり、みんなで大爆笑。

 私はおいしいものばかりを選んだが、お母さんは味が合わないものあって、当たり外れがあったようである。お母さん、日本語で「おいしくない」と言っている。言いたい放題である。

 アイスクリームもあり、ユキ子さんと一緒に取りに行く。日本語で種類を言っていたが、「Pineappleは日本語ではなんですか?」と聞かれ、「パイナップルです」と言ったら、英語のままだったので、意外だったようだ。

 最後に、お勘定とフォーチューンクッキーがきたので、クッキーを割ると出てくる占いの紙を読んでいた。私のは「特別な努力なしでいい待遇が将来くる」というような内容だったので、お父さん、交換する?といって自分のを見せてきたら、「誰かがカラオケに誘ってくる」という内容だったので、またまた爆笑。

 紙の裏にはひとつの単語が出てきて、誰かのは「椅子」と書いてあった。ユキ子さんに「なんて読むの?」ときかれたので、中国語では「イーヅー」です、といった。日本語の「いす」の由来だろう。私は台湾の友達から聞いた話を言った。それは中国から机と椅子が伝来する時、途中で、荷物を海に投げ出さなければならなくなった。そこで椅子だけを投げ出し、机だけを日本に運んだという。だから、日本には椅子が伝わらなかったそうな。

 そしたら、ユキ子さん、「机は脚が長かったんだろうね。」とすかさず突っ込み。そうだ、不思議に思わなかったんだろうか? でもきっとその机の脚を切って低くして使ったんだろう、という結論に。中国は靴も家の中では脱がないし、ベッドだし、実は日本とは少し勝手が違うのである。そういう文化背景を話していて、たかが椅子、されど椅子、奥が深い。

 とても楽しい食事だった。帰ってからも「久しぶりにおいしいものを食べたなぁ」と余韻が残る。食べものだけでなく、楽しかったから、そう思うのかもしれない。



2001年05月16日(水) お遊び占い

 ある人のHPから占いコーナーに行った。その占いというのも、お遊びの占いで、何種類もある。生年月日を入れるものから、簡単な質問に答えるものもあった。
 どんな職業に適しているか、という占いでは1番に「研究員」(おおぉ!)、2番目に「営業マン」(え〜!)、3番目に「プロレスラー」(うっぷん晴らしにもってこいか!?)とでた。

 次に、名前を単位にすると何になるかというもの。血液型と誕生日で出たのは、「キスの上手さ」。たとえば1ミチコは日本人の上手さ。20ミチコはイタリア人という具合。

 それから、芸能人と相性チェックでは、1位に「山本圭一」(誰だろう? 知っている人がいたら教えてください)、2位に「天野ひろゆき」(大学時代の同級生だぁ!)、3位に「加勢大周」とでた。2位と3位は同じ年だ。きっと生まれた年から出したんやろうなぁ。でも1位の人は知らないなぁ。

 たくさんありすぎて、全部はできない。興味のある方はやってみてください。

 



2001年05月15日(火) 最近の梨奈の成長日記

注意:お食事中の方は、後ほどお読みください。


1)スプーン、フォーク
 最近はなんでも真似をするのか、スプーンやフォークを持ちたがる。フォークでさして、自分で食べたりする。こういう1つ1つの積み重ねがあって、大きくなるんだなぁ、とうれしくなる。それでも手づかみで食べることもあるわけで、餃子は手で食べている。


2)トイレトレーニング
 トレーニングは特にしているわけではない。私がバスルームに行くと梨奈もついてきて、私と対面する形で、体重計に座る。ちょうどいい高さのようだ。その横にはいわゆる「おまる」があるが、ここはアメリカ、洋式トイレの縮小版のおまるである。しかし、そこには座らないのである。

 今日もシャワーを浴びていると、梨奈はいつのまにかオムツを自分ではずし、体重計に座っていた。昨日もそんなことがあったので、これはやばいと思い、おまるに座らせようとしたが、嫌がって座りたがらない。結局シャワーを一緒にあびた。
その後、体重計を隠しておいたので、そこに座ることはない。

 同じようにまねをして、座ってくれないかなぁ。
 



2001年05月13日(日) 母の日

 日が変わる前に日本に電話をかけて、母の日を祝う。カードとプレゼントを郵送したが、たぶんちょっと遅くなると思う(ここで自白)。

 今日は曇っていたが、昨日の雨で、緑がきれいになっている。新緑の季節だ。
ネジャーティは昼過ぎまで寝ていたが、夕方一緒に、コーヒーを飲みにいった。母の日として、バラを一輪くれた(というより、金曜日の買い物でいっしょに選んだもの)。金曜日から今日まで、冷蔵庫に入っていた。

 アメリカは便箋よりもカードを手紙として渡す方が多く、母の日の前からいろんな母の日のカードがカード店の店頭に並ぶ。子供からといっても娘からとか、息子から、2人からとか、お母さんへ、おばさんへ、おばあさんへ、継母へ、義母へ、妻へ、などと分類されている。ここ数年、デザインも日本のデザインのようにかわいくなっているのもあって、日本人デザイナーも雇われているのかもしれない、と思ってしまう。

 夕食にバラを冷蔵庫からだして、花瓶に挿した。あとで見たら、だいぶ花びらが開いていた。
 全世界のお母さんに万歳! 



2001年05月12日(土) お別れ会

 ここのアパート群に住んでいる日本人Tさんが来週日本に帰るので、お別れ会をした。食べものを持ち寄るといういつもの形式だが、毎回食べものが違うので、とても楽しい。
 食後、みんながくつろいでいるところで、Iさんのお子さん2人によるバイオリン演奏が始まった。聞いたことあるぞという曲や、さくらなどを弾いてくれた。バイオリンの演奏では知っている曲も違って聞こえるので新鮮である。

 今月はTさんだけでなく、Aさんもこのアパートから隣町のアパートに引っ越す予定である。またIさんやT田さんご家族も7月には帰国される。そうすると、残っているのはMさんと私たちぐらいである。なんだか、またこのアパートの主になりそうであるが、私たちも来年には引っ越すだろうという見通しを立てている。



2001年05月11日(金) 新緑

 新緑の季節である。少し前に、この一帯だけ暑かったときには、暑い気候であるにもかかわらず、若葉も芽生えておらず枯れ木の状態で、変だった。

 少しずつ小さい葉っぱが生えてても、それが木の全体で、またたくさんの木なので、いっぺんに枯れ木から新緑の光景になった。

 午前中はとても涼しいので、梨奈を外に連れて行くのにいい時間である。ネジャーティが、梨奈を外に連れて行ったら、というので、そうしようかなと思っていた。ネジャーティがごみをまとめて、玄関のドアの外に置いて、寝室かバスルームに行って戻ってきて、「あれ、梨奈は?」。
 ソファーの後ろにいたと思っていたら、いなかった。狭い部屋の中を見たらいない。じゃぁ外だ、と外に出ると、階段を4段下りた踊り場(といっても広くない)にいてこっちを見ていた。どうもネジャーティがごみを玄関の外に置いた後、外に出てしまったらしい。玄関のドアは内側に開き、その外側に、外に開く網戸(冬場はガラスにする)がある。ドアが開いていて、網戸がきちっと閉まってなかったので、自分で開けて、外に出たらしい。油断もすきもありゃしない。

 昼頃、フロリダにいる友人から電話があって、具体的な話をした。友人にも1歳1ヶ月になる女の子がいるので、梨奈にとっていい遊び相手になるだろう。



2001年05月10日(木) 手術

 手術といっても私ではなく、ボブの手術である。先月だったかボブから手紙が来て、前立腺ガンの手術をする、とあった。それが今日だった。
 お見舞いには行けないので、せめてお花を贈ろうかと思って、インターネットで地元の花屋を調べてみた。

 ところで現在、フロリダ・タラハシーに行く予定を立てている。まだタラハシーに残っている友人に会おうと思っている。タラハシーを離れて3年、もう1回、タラハシーに戻って、自分の原点に返りたいと思ってみたりする。

 タラハシーに行けば、ボブのお見舞いもできると思う。そのときには自宅で療養に入っているであろうボブに、お花を持っていけるかな、と思う。



2001年05月09日(水) 日本語

 とても過ごしやすい日が続いている。

 お昼にユキ子さんとユキ子さんのお母さんと、ポーツマスの日本食レストランに行った。ユキ子さんのお母さんは先週の木曜日からこちらに滞在している。19日の卒業式までユキ子さんと過ごすようである。

 ユキ子さんが早く食べ終わったので、りなを見てくれていた。ちょうど、外を日本語の学生のエリックさんが通ったのを見て、ユキ子さんがエリックさんを呼んだ。エリックさんはおそらく私と同じぐらいの歳で、子供が2人いる。それも小学生と大きい子供がいるらしい。

 エリックさんはりなを見て、「大きくなったねぇ」と驚いていた。いつかまたりなを見に来たいと言うので、電話番号などを渡しておいた。

 来週の火曜日に日本語の期末テスト(日本語のクラスは日本語を専攻して博士号を取った中国人講師が教えている)があり、2人とも「こわいよー」といっている。日本人がよく使う言い回しでも、学習者にとってはそれなりに文法も高度になっているし、敬語が出てきているからである。また、期末前の課ごとのテストに含まれなかったので、大げさに言えば新しい文法に関しては一発勝負のテストである。日本人だって最近怪しいのに、学習者にとっては敬語はなおさら難しいと思う。
 
 その他にも英語にない表現は概念を理解するのが難しい。例えば、レストランでりなが座敷席からどこかへ行こうとするので、「どこ行くの?」と呼びかける。ユキ子さんに「行くの」の「の」は何ですか?と聞かれた。「どこへ行きますか」とどう違うのか。

 私が使っていた教科書によると、「〜のです」は「Stating reasons/explanations」の時に使われると説明されている。つまり、何か理由か説明がつくときには「〜のです」を使うというのである。たしかに、行くことに対しての理由や説明も求めている。しかし、日本人はあまりそんなこと気にせずにはなしているので、改めて違いは何かと聞かれると、きっと困ると思う。

 さて、「行くのですか」の「ですか」を取ったものです、というと、すぐにわかったようだ。8月から日本に滞在するので、日本でもっと使う機会があるだろう。
 



2001年05月08日(火) 3年

 ニューハンプシャーに来て今日で3年が経った。日本で過ごした冬休みや去年の夏の2ヶ月の日本の滞在を含めてなので、正確には3年より少ないが、それでもフロリダの滞在期間より長くなった。
 この3年を振り返ると、結婚、梨奈の誕生で大きな節目があったり、ここの大学で1年間日本語を教えたりと、比較的楽しいことばかりである。それにまだ現在進行中の生活のなので、まだ思い出にひたるということはない。まただれかと一緒に生活をしているというのはとても強い。

 その反面、フロリダの生活は過去形になっており、2年9ヶ月の生活は忙しい日々を過ごしていたこともあって、とても凝縮している。いろんな人に出会い、友人ができ、共に笑い、共に悩み、といろんなことを経てきたと思う。日本にいたらこういうことでは悩んだり苦しんだりしないだろう、ということを友人も痛感していた。苦楽を友人と分け合った学生生活だった。
 学生生活にやっと慣れたかなぁというぐらいで学校も終わり、フロリダを離れてしまったので、もしあのまま続けていたらどうなっているかなぁと思ってみたりする。

 またネジャーティと一緒だったら、また違った学生生活だったと思う。ここでの生活もネジャーティと一緒だから寂しくないのであって、きっと一人でいたら、フロリダと同じような孤独感を味わったかもしれない。
 来年にはここを離れることになると思う。離れた後は、過去形になるここでの暮らしをどのように思い出すのだろう。



2001年05月07日(月) 電話

 今日もすがすがしい日だった。お昼過ぎ、散歩に出かけた。八重桜が咲いていて、とてもきれいだった。上を見上げると青空にピンクの花が映えていて、つい見とれてしまった。

 夕食後、たて続いて電話を受けた。間違い電話が2件。母からの電話が1件、フロリダの友人から1件だった。特にフロリダの友人は今日かけてくる可能性があって、待っている状態だったので、間違い電話がかかってきて、「ジュディーさんいますか?」という電話では、フロリダの友人の声に似てたので、てっきり冗談で言ってるのかと思って笑ってたら、そうではなかったらしい。今日はかかってこないだろうなぁと思ってたらその友人からかかってきた。

 話すのもメールも何ヶ月かぶりだった。そういえばいつかフロリダに行くといってのびのびになっていて、前には5月頃に行くといっていたことを指摘され、そうだったなぁと思った。皆がいなくなる前に行って会いたいので、そう思っていたのだが、、、。「考えてないで、すぐ来ればいいのに」といわれて、今度はフロリダ行きを考え始めた。
注)スイス行きは取りやめになりました。

 



2001年05月06日(日) 八重桜

 今日も涼しく、過ごしやすい。半そでではちょっと肌寒いぐらいだ。

 夕方、梨奈を連れて、ショッピングモールやその裏手にあるお店に行った。モールの駐車場には八重桜が満開で、とてもきれいである。モールからすぐの裏手の店のところにも他の種類の桜が咲いていて、それは半分葉桜になっていた。先週かその前に来た時は全然咲いていなかったので、今年は咲かないんだろうと思っていた。そこには大きな白い花を咲かせる桜の木もあって、遠くから見るとポップコーンのようである(トルコ人の友人の表現は正しかったかもしれない、、、)。確か大島桜が白かったような、、、。この辺は意外に桜の木があるようである。

 日本でよく見る桜とは少し違う種類がこちらでは見られるのかもしれないが、枝垂桜を庭に咲かせている家もあり、「おぉ〜! 枝垂桜だぁ!」と感動してしまう。ここに来て3年になるが、この近辺の桜をこんなに楽しんだのは初めてである。来た当初は迫力がないだの、と文句を言っていたほうが多かったのである。

 日本で知られるソメイヨシノはたかだか100年の歴史のようで、ソメイヨシノが咲き始めた当初は気品がないだの、なんだのと、まだ市民権を得ていなかったらしい。そうすると、川沿いや公園に植えた姿は人工的で、本当は山に咲いている山桜や自然にぽつっと咲いている方が上品で、それが本来日本で咲いている桜の姿なのかもしれない。そうすると、この辺で、他の木の間で咲かせている桜のほうが自然なのかもしれない、とドライブをしながら思ったりする。



2001年05月05日(土) 涼しい

 朝方にかけて雨が降ったお陰で、一気に気温は下がり、15度に(ちょっと肌寒い)。今日も実家から別の小包が届いた。母によると、昨日届いた荷物と一緒に送ったらしい。今日のは小さかったからか、別に来たようだ。

 5時からユキ子さんの卒業リサイタルがあったので行ってみた。ユキ子さんは音楽専攻で、作曲や木琴の演奏を主にしている。今月に卒業するので、その前にリサイタルをすることになっているらしい。

 会場となった音楽学部のある一室に向かう。人が徐々に入ってきて、おそらく関係者、ユキ子さんの家族も含めて、40人ぐらいはいたと思う。日本語の学生のメガンさんも来ていた。

 リサイタルには他の学生もピアノや、ベースやハープ、パーカッション、ギターにも入ったりする。第一部はピアノ演奏、沖縄の民謡、ソロ、第2部はポップスをユキ子さんが歌うというもので、いろんな形式で飽きがこないものだった。沖縄の民謡というのは、ユキ子さんのお母さんが沖縄出身の方で、4年前に日本に行った時に沖縄の民謡のテープを手に入れたようで、そのテープをもとに、西洋楽器で演奏できるようにアレンジしたそうだ。

 その後はRefreshmentといって、ちょっとしたものを食べたり飲んだりするのだが、ユキ子さんのお母さんがチャーハンやお寿司、餃子、焼きそばなどを用意されたらしい。そして、お母さんや弟さんにご挨拶した。ユキ子さんはお母さんに、日本語を担当していた私が来ることを知らせていたらしく、ご挨拶すると、「あなたがそうでしたか」とおっしゃった。会場でご近所の日本人とご一緒していたので、誰が日本語担当だったのかわからなかったようだ。ユキ子さんのご両親はフロリダに住んでいるので、「フロリダにいらしたら、ぜひ寄ってくださいね」と名詞をいただいた。美容室を持っていらっしゃるらしい。

 ネジャーティやりなもRefreshmentに来ていたので、少し食事を楽しんだ。



2001年05月04日(金) とにかく暑い

 今日も30度のうだる暑さだ。これは一雨来ないと涼しくならないなぁ。

 お昼すぎ、ドアをたたく音がした。
「もしかして!?」 
 ドアを開けると、郵便配達のおっちゃんが箱をかかえていた。
「おぉ〜!!」
 実家からの荷物である。受け取りの紙にサインをして、おっちゃんが帰り、箱を開けた。中身は前もって聞いていたが、おぉ〜っ、いろいろ入っている。友人のお父上が作られたいかなごの釘煮や、おかし、果ては私宛の郵便物である。そのうちの一つはネジャーティへのものなので、本人はすごく喜んでいた。
 また、小学校のときの同級生のおにいさんが、旅行について書いた本を送ってくださったので、それも入っていた。同級生は関東に引っ越したので、小学校以来会っていないのだが、親同士が時折手紙を出していて、今でも交流があるのである。一度、その同級生が実家に立ち寄ってくれたそうであるが、私はフロリダにいたので、会う機会はないままである。

 アメリカに来て、初めてといっていい日本からの荷物である。これまでも下宿生活が長かったので、日本にいるときはいろいろ送ってくれたので、すでに十分だった。だから、フロリダにいた時に、特に何かを送ってもらうということはなかった。
 今回は私個人というより、みんな宛ての物である。

 夕方、またキャンパスを回って、ネジャーティのオフィスに立ち寄った。それから、食料の買出し。

 ちょっと雨が降ったみたいだが、これでは足りない。部屋の中は暑いままである。

 



2001年05月03日(木) またまた暑い

 昨日に引き続き、今日も暑い。半そで、ショートパンツの格好である。この辺はアメリカでも一番暑かったそうだ。なぜかというと、熱帯地方からの風がこの辺に回ってきているからで、ボストンとニューハンプシャーは特に暑かった。35度ぐらいまで上がり、どこにも行く気がしない。昨日の時点で、明日は雨が降るといっていたが、降るのは明日の夜と土曜日らしい。

 コロラドのデンバーでは雪が降っていて、「どないなってるねん!?」という気候である。

 夕方、ネジャーティ、梨奈とキャンパスを歩いた。白い桜が咲いていて、いままで桜じゃないと思っていたものだった。どうしても枝が上に伸びていて、変である。「万歳」の格好というか、折り畳み傘が風で逆さになった形というか、、、、。
 一本大きな桜の木もほとんど葉桜になっていて、残念である。桜はあっという間に終わってしまう。でも八重桜がまだ咲いていないので、楽しみである。



2001年05月02日(水) 暑い!35度

 ちょっと今日は長い日記になりそうである。

 ネジャーティ、梨奈と11時半にアパートを出て、隣町のドーバーへ。途中で車の修理工に行く。最近エンジンの音がおかしくて、そこのおっちゃんに見てもらう。エンジン音を聞いて、何かの棒を差し込んで、おっちゃん曰く「たぶん水のパイプがおかしいんだと思う」。でもこのおっちゃんのところで、パイプの部品を変えたことがあるぞ。

 あれは梨奈が生まれる前か後のこと。行きつけのクリニックにいく途中、ハプニングが起こった。この信号を曲がればもう着く、というとき、信号待ちをしていて、いきなりエンジン付近から蒸気が上がった。そしてこのままではいけないと思い、とにかくクリニックまでたどり着き、車をとめると、水が怒涛のごとく流れていた。クリニックでの診療を終え、当時、ある日本人のおうちにネジャーティの古い車を置かせてもらっていたので、その人に電話をし、迎えに来てもらい、修理工のおっちゃんの所に寄って、クリニックのところに置いてあるから、と告げ、日本人のおうちに向かい、古い車を使うことになった。

 修理工のおっちゃんのところは以前ここにいたトルコ人に教えてもらったのだが、確かにいいおっちゃんである。来週の火曜日まで予定がいっぱいだそうで、違うところで見てもらうことにするかなあ。
 おっちゃん曰く、長距離を運転しなければ大丈夫だそうだ。

 ドーバーの病院に行って、今日は超音波をとってもらうのである。これは前にも書いたが、乳腺のところにしこりができていて、まだ授乳中なのでレントゲンをとれないので、超音波で調べてもらうのである。8日に病院の裏にあるクリニックに行って、先生と話すのである。

 診察の15分前には来ていないといけないことになっている。それで部署ごとに受付があって、そこで手続きをするのである。保険はないので、病院の財政補助を受ける予定である(経験済み)。無事に手続きを済ませ、看護婦さんが超音波の部屋に連れて行ってくれた。部屋の中はとても暗い。そして、その看護婦さんが超音波の写真をとってくれるのである。
 ベッドに寝て、腕を上げると、看護婦さんでも肉眼でわかるぐらいにポコっとみえるらしい。「Marble thing」といっていたが、ビー玉みたいに大きいものではない。
 さて、ゼリー状のクリームを塗り、超音波に取ると、ぜんぜん見当たらない。「組織しか見えないし、おかしいわねぇ。」なんていいながら、何回も超音波のぼうを動かす。そして、「ちょっと待っててね」といってどこかの部屋に行ってもってきたのは透明の丸い石鹸のようなもの(でも石鹸ではない)。それをのせて、超音波をとってみる。やはりわからないらしい。またそれをのけて、とってみたりと試行錯誤。一応、何とかとったみたいで、「ちょっと先生に聞いてくるね。5分ぐらい待ってて」といって、そのうち戻ってきて、「もういいですよ。」といわれた。診察時間は、多分15分か20分ぐらいだった。

 保険があれば、診察前にその手続きをするが、それ以外では請求書が後から送られてくる。

 診察の間、ネジャーティはいくつかお店に行ってて、早く済んだほうがロビーで待ってることになっていたが、来ていなかったし、病院の中はクーラーがきいてて寒いくらいだったので、屋根があるところで、外で待っていた。
 病院の入口近くには枝垂桜の木が4本あって、だいぶ葉桜になっていた。この辺は思ったより桜の木があるので、ちょっとうれしい。

 外の温度計を見たら、35度をさしていた。暑い! クーラーのガスを入れて欲しい! でも土曜日にはまた涼しくなるようだ。

 アパートの中は涼しい。暑さしのぎをしていた。しょっちゅうカード会社などネジャーティあてに勧誘の電話がかかってきて、いないの一点張りだが、今日のはひどかった。

 「エヌ(N)・イー(E)・シー(C)・エー(A)・ティー(T)・アイ(I)さんはいますか?」

 NECATI(ネジャーティ)の名前を誰一人として、正確に読んだ人はいない。トルコ語では「C」は「J」の発音をするので、トルコ人かネジャーティを知っている人しか「ネジャーティ」と言わない。それ以外の人は「ネカーティ」というので、なれている。でも今日のはないやろ〜!! 一字ずつ読むなあああ!! 



2001年05月01日(火) ネジャーティの誕生日

 今日はユキ子さんが11時に来て、それから一緒にポーツマスの日本食レストランに行った。いつも行くところではなく、もう1軒のところである。以前、ランチの「べんとう」というのがおいしかったので、それを食べた。
 ポーツマスのダウンタウンにど真ん中に、Cafe Briocheというケーキも作っているコーヒーショップがある。そこにはティラミスやザッハートルテなどいろんな種類がある。そして、1切れずつが大きい。味の繊細さや種類という点では、やはり日本のケーキの方が繊細だけど、それでもこの辺ではここのケーキは上品である。また、日本のケーキぐらいにいい値段だが、思い切ってまるまる一つを買った。

 今日は日中30度ぐらい行った。クーラーがまだきかないので、窓を開けて走った。

 晩ご飯前にネジャーティが梨奈を連れて散歩した。最近、梨奈は階段を上るのが好きで、家の中にないので外の階段を上り下りする。
 晩ご飯は普段と同じようなものだが、食後、ケーキに3本ローソクを立てて、お祝いをした。アメリカではローソクを吹き消す前に「Make a wish!」といって、お願い事をして、それから消すようだ。ジム・キャリーが出演していた映画「Liar Liar」でもお願い事をするシーンがある。
 プレゼントは一緒に買ったので、中身を知っているという味気のないものだが、
それでも一応「おめでとう」といって、渡した。

 ほとんど毎日実験をしているので、一息ついた後、学校へ出かけて実験の続きをしている。 

 


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