オクラホマ・スティルウォーターから

2001年04月30日(月) 探し物続き/桜

 昨日日記を書いた後で起こった出来事。

 例のごとく、暖房の噴出し口の下に手の指を入れて、カードを探していた私。もう1枚、AAA(日本でいうJAF)のカードがなくなっているのに気づいたのである(今頃気づくなんて、、、)。

 この前は気がつかなかったが、またひっかかりのところに何かあるのを発見。でもカードのような固いものではなく、紙類だ。そしてネジャーティも「何かあるの?」と手伝ってくれた。そしたら、何か外れた音がして(さすが男の力、でも壊したか!?)暖房のカバーが少し外れた。そして何だろうと思って取ったら、な、な、なんと送るはずの支払いの請求書。そういえば、以前、ネジャーティが送ったかどうかわからない、でも、ないなら送ったのかなぁと言ってたものだった。請求書をもう1回送ってもらって、送ったと思う。いつの請求書だろうと日付を見たら12月のものだった。
 結局、昨日のところはカードは見つからなかったが、どこにあるのか、、、。

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 今日、ドーバーに寄ったら、意外にあちこち桜の木があった。1本はある家の庭にあり、「庭に桜の木があるなんて、日本人が住んでるのかなぁ。」と思った。濃いピンクの桜が多かった。

 キャンパスの桜にも満開になっているものがあって、見上げるぐらい高い木だ。梨奈と散歩していて、満開になっているのに気がついたのだった。見上げたら、白っぽい花が晴れ渡る青空に映えていた。

 ネジャーティの学部の建物に行ったら、ネジャーティのオフィスが開いていたので、私はオフィスの外にいて隠れていて、梨奈だけオフィスに入っていった。はじめは気がつかなかったが、梨奈に気づくととても喜んでいた。



 



2001年04月29日(日) 桜の季節

 お昼を食べに隣町のドーバーへ行ったら、ダウンタウンを流れている川沿いに桜が咲いているのを発見。昼食後、寄ることに。

 ネジャーティが火曜日が誕生日で、平日の夜はたいてい忙しいので、少し早いバースデーランチをした。初めていくチャイニーズレストランで、寿司のカウンターもあるところ(Sushi Barと呼ぶ)だが、バイキング方式のランチにした。
 梨奈がちょこまか動き始め、落ち着きのない梨奈にため息。

 ところで、私が食べものをとりに行っている間に、誰かがネジャーティと話している。よく見たら、梨奈が生まれる前に両親学級にいた女の人だった。あれ?おなかが大きい。あと6週間で生まれるらしい。早い、、、。
 女の子がいて、梨奈と同じ時期に生まれている。

 その人は違う席で食べていて、少ししてから、女の子を連れて戻ってきた。とてもおとなしくしているのに、梨奈は女の子を見るとはしゃいでいる。女の子はシャイになっている。

 昼食後、ダウンタウンにある桜を見に行った。2種類あって、ピンクの方はほぼ満開で、葉桜になりかけている。白い方はまだ咲き始めたばかりである。明日、もう1度見に行く予定である。



2001年04月28日(土) モールのセール

 眼鏡を直してもらうために、眼鏡を買ったモールへ行った。かって1年も経っていないため、壊れた時のプロテクションがついているが、結局つるが根元から折れたため、フレームごと、新しいのに替えることになった。レンズは大丈夫なので、同じものが在庫にまだあって、それにしてもらったが、タダではなく、フレームの値段の半額を払うことになった。

 お店の前がフードコートなので、「おなかすいたね」と何か食べることにした。ネジャーティと梨奈を座らせて、私が買いに行って戻ってきたら、老夫婦が隣に座っていた。食べ終わった後、梨奈が眼鏡屋に歩いていったのでネジャーティが追いかけていった。老夫婦が目を細めて梨奈を見るので、「16ヶ月なんです」といって、話をしていたら、「2人ぐらいどう?」とおばあさんに言われ、いやぁ〜今でも大変だからなぁ、と思っていたら、5人は?と、おじいさんがパーの手をみせている。思わず笑ってしまった。おもろいわぁ、このおじいさん。アメリカ人にもおもろい人いるやん。短いが、楽しい会話だった。

 梨奈が生まれる前は、アメリカ人は無愛想に見えたが、梨奈が生まれて、お店などに連れて行くと、普段見ない表情が見えるので面白い。特に女性は子供が好きである。

 モールを歩いていると、14ヶ月だという女の子が歩いていて、梨奈が女の子の方に歩いていくと、その女の子も興味を示したが、梨奈は女の子に見向きもしないで、すたすたと歩いて、階段の方に行ってしまった。女の子はあれ〜?行っちゃったぁという感じで梨奈を見ていた。梨奈は歩くのが楽しそうだった。

 来週ネジャーティの誕生日で、何か服をあげようかなぁとGAPに入った。GAPは必ず安くなるので、定価で買うのがばからしいのである。目に付いたのはかばん。学校に持って行けそうなもので、定価38ドルが下がりに下がり6ドル99セント、ノートパスコンが入るかばんも定価48ドルが同じく6ドル99セントで、両方買っても13ドル98セント。これがネジャーティへのプレゼントになった。
 



2001年04月27日(金) 2人の眼鏡壊れる

 午前中ネジャーティが帰ってきて曰く、「眼鏡が壊れた」。どうもつるの根元が完全に折れている。学校で教授と話していると、突然眼鏡のレンズが落ちて、それでレンズをいれてもすぐに落ちて、つるから折れていることに気がついたらしい。今日はコンタクトレンズを久しぶりに使っていた。

 さて、私は昼に近所のIさんといっしょに日本食レストランに行った。そしたら、偶然Iさんのお子さんの担任の先生に会い、お昼をともにした。以前ここにいたFさんの娘さんもその先生が担任で、私が以前、「Fさんの奥さんといっしょに日本のお茶や書道を紹介しに学校へ行ったことがあります」というと、「奥さんといっしょに来てお手伝いした人はあなただったのね。」と、当時のことを覚えていました。

 昼食後、買い物を済ませ、モールで休憩し、アパートに戻ってきたらちょうどネジャーティが帰ってきた。近所のMさんとドーバーの床屋に行ったらしい。それで駐車場に車を置いて、座席のそばに置いていたサングラスをもつと、つるの根元から取れてしまった。あれ、わたしのもつるがとれちゃったよ、といやな気分。このサングラス、約8年前に買ったものだ。少し前から違うタイプのサングラスが欲しかったので、新しいのを買ういい機会かもしれない。

 ところで、今日は3年前に来ていたトルコ人、オカン(Okan)の奥さんがトルコからアメリカに来る。飛行機はボストンに着くので、時間があったら行こうかといっていたが、国際線から国内線の乗り継ぎに1時間しかないらしく、会う時間もあるかどうかわからないぐらいなので、今回は行かなかった。オハイオでPostDocを始めるらしく、夏以降にオカンと子供2人がオハイオに行くらしい。



2001年04月26日(木) 梨奈の隠し場所

 どうも梨奈には隠し場所があるらしい。今日も買い物に行こうと思ったら鍵がない。予備の鍵があるのでそれを使ったが、買い物から帰って、しばらくしておむつを替えようと思ってお尻拭きの箱を開けたら鍵が入っていた。

 今度は予備の鍵をもって遊び始めた。そして、台所にきて冷蔵庫の下の隙間に入れ込むようにして置いたのを目撃。すぐに出した。まだこの下の隙間に何かあるかもしれない。

 台所の引出しも上2段を開けて物を出すので、少ししか開かないようにストッパーをつけた。その成果は抜群で、開かないとわかったのか開けなくなった。しかし、リビングにある小さいものをもってきては、わずかしか開かない1番上の引き出しに入れている。梨奈のブラシ、私の小さいブラシを入れたのを目撃。後で開けたら、マグネットも入っていた。

 最近は自分も隙間に入りたがる。寝室のたんすには壁との間に隙間があるが、そこに入って立ったままじっとしていた。バスケットの中にも時々入っている。きっと私たちが気づいていないところに隠し場所があるかもしれない。
 
 



2001年04月25日(水) 読書

 こっちに持ってきている数少ない日本の文庫本を読み始めた。最近はインターネットもあるけど、なんだか活字が読みたくなって読むことにした。たぶん以前も読んだのだろうが、内容を全く覚えていない。それで読んでいる本は岩波文庫の「漱石文明論集」である。これは漱石の講演や日記、書簡などをまとめたものである。講演は大正時代、日記は明治34年から45年までのもの、書簡は明治から大正にかけてのものである。
 講演は口語なので、大正時代でも難しくない。本にしおりがはさんであったのでそこから読みかけた。「私の個人主義」というタイトルで学習院で大正3年に行われた講演である。大正3年だから、明治が終わって大正に入ってすぐのころなので、約300年続いた江戸時代に比べると、西洋文明を取り入れて半世紀、まだ定着していない時代である。しかし、読み始めると、古ぼけた話題ではなく、今でもしっかり通用する話なのである。そうすると、結局、まだ日本には個人主義というのはいまだ定着していないのかもしれないと思ったのである。

 「第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力をしようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の権力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。、、、もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他人(ひと)を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる。金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。、、」

 当時は特にまだ社会的にも上下の差が激しかったので、学習院の学生は将来もっともそれらの力を持つだろうから「どうしても人格のある立派な人間になって置かなくては不可(いけな)いだろうと思います。」と述べている。

 自分の権利は主張するが、義務を伴っていない人、他人を尊重しないで人の足を引っ張る人。権力、金力濫用の政治家。今度の新内閣では是非、漱石の言う「個人主義」でやってもらいたい。



2001年04月24日(火) 暑い!

 「春はどこ行ってん!!」というぐらい暑い日でした。今日は梨奈の健診があるのでクリニックに行きましたが、車の中は暑く、かといって風が強いのであまり窓も開けられず、暑い思いをしていました。クーラーのガスが抜けているので、クーラーが利かないという最悪の状態。梨奈には飲み物を渡しておいたので、少し暑さがしのげたと思います。
 途中、銀行の外にある温度計を見ると、33度。真夏の暑さ。まだ桜も咲いてへんのに、、、。

 クリニックでは身長、体重の測定がありました。梨奈はもう立てるので、大きいデジタル式の体重計で量りました。
 他の部屋に移り、先生が来るのを待ちました。梨奈はぴったり私にくっついたまま離れません。先生が来て泣き始めました。何をされるかわかっています。でもちょっと泣き止んで、じっと先生を見ていました。最後には先生からシールをもらうと、わりとご機嫌になりました。先生に初めて「バイバイ」といったと思います。

 受付に戻って昨日見つけた医療福祉カードを渡し、次の予約を取ったり、支払いをしたりしていましたが、梨奈が受付に入り、机の電話をさわっていました。そして、どれかを触ってしまい、スピーカーの状態になり、電話から誰かの声が聞こえ始めました。これには受付にいた人たちも大笑い。う〜ん、梨奈はやってくれるなぁ。

 それからポーツマスに行って、ネジャーティにあげる誕生日プレゼントを探しました。ちょうど来週誕生日で何も決めていないので、何かいいものがあるかなぁと探しました。梨奈も飽き始め、私も暑さで頭がボーっとしているので結局帰ることに。



2001年04月23日(月) 取れた

 昨日より少し涼しいがいい天気なので、昼過ぎに外に散歩に行った。
ここのアパートのオフィスによってから、そのまま学校のキャンパスに歩いていくと、女の子が3人いて、1人が大きな犬といっしょにベンチに座っていた。梨奈は自分より大きいその犬に近づいて鼻をさわったりしている。怖い怖い。でもアメリカの犬は大きくても吠えたりしない。堂々としていておとなしいのである。逆に小さい犬の方がよく吠えるのである。
 その犬は私のところにもきたのでなでてやると、梨奈も同じようになでてやっている。抱きつけないものの、抱きつく仕草をしている。

 きりがないので、「バイバイ」と言ってその場を離れたが、梨奈はまた犬のほうに行こうとする。今度は抱き上げて、ネジャーティーの学部の建物に向かった。
 その途中に一本桜の木があって、つぼみもほころび、もうすぐ咲きそうである。
しかし枝が高いところにしかなく、見上げる形である。桜の下でお花見ができる雰囲気ではない。なぜならすぐ近くに大きなごみ入れがあるのである。

 そしてネジャーティの学部のそばを通って帰った。ネジャーティはちょうど授業なのでオフィスにいないことに気がついた。いれば寄るのだが、、。

 今日は書くのはそれぐらいだろうと思っていたら、もうひとつ書くものができた。それは以前から探していた医療福祉カードが見つかったことである(3月18日の日記参照)。明日梨奈の健康診断があって、カードが必要なので(なくてもカードの番号はあるので大丈夫だが)、もう1度探してみることにした。セントラルヒーターの吹き出し口には何枚もの小さい金属板が縦にあるのだが、その金属板の向こう側の指も入らない隙間に入っていることがわかった。なぜわかったかというと、吹き出し口の下にも隙間があって、そこは指が入るぐらいの大きさで、その隙間に指を入れるとプラスチックのものにさわった。ひとつはジャンクメールで来たCD-ROMで、それは大きいから何とか出せたのだが、もうひとつ何かあることに気づいた。そしてそれが医療福祉カードだと言うことがわかった。

 さて、どうやって取り出すか。下からは出せない。左の方にずらしていけば金属板がないところがあるのだが、どうも絨毯のはしに引っかかったり、途中に引っかかりがあったりして、それはできず、上から取るしかなかった。

 私はあんまり考えるのは得意じゃないが、何かの修理とか細かいことに関してはとても得意である。またその反面、何かの拍子に「どうやってこわしたの?」ということも仕出かしてしまう。
 以前、高校で図書館で貸し出し業務にあたっていた時、カウンターの中の椅子に座っていた。高い椅子で高さを上下することができるものである。ある日、椅子にもたれていて、背もたれのバネが突然取れた。私はもう少しで後ろに落ちるところだった。見ていた男子生徒に「どうやって壊したん?」と言われ、直してもらったが、バネなので直すのが大変そうだった。
 またフロリダのアパートに住んでいた時は、上下に動く窓を上に開けたとき、拍子に外れたことがある。自分で直そうと思ったが無理で、アパートのおじさんに来てもらって直してもらったりした。そういえば、その窓もバネである。
 
 それはともかく、まずペンにガムテープを巻いて取ろうとしたが、ペンが短くてうまく取れない。もっと長くて細いものはないかと考えていた。それで思いついたのはかねの焼き串である。ネジャーティが持っていたもので、下のほうにガムテープを巻いてやってみたが、引っ付かず、反対の部分にガムテープを巻いてみた。反対の部分は誰かが曲げたようで、そのほうが取りやすいことに気がついた。しかしとがった方がこっちにきているので、気をつけなければならない。

 今度はいとも簡単にとれて、大成功。よかった、よかった。この1ヶ月、そのうち出てくるだろうというぐらいにしか構えていなかったが、1ヶ月もかかってしまった。しかし実はもう1枚他のカードがないのである。



2001年04月22日(日) 暖かい? 暑いです。

 今日は暖かいを通り越して暑かった。30度近くまで上がっていた。台所の窓から外を見ると、目の前の姫りんごの木に芽が出ているのに気がついた。夏には葉が生い茂るので、西日が入らなくて、台所はそんなに暑くならない。リビングの窓からはニセアカシアの木があって、そこも新緑の季節には生い茂る。夏は日が入ってこないので、暑くならないが少し部屋の中が暗いのが難点だ。しかし、日当たりについてはわりと気に入っている。

 今日は暑かったが風がきつくて、なぜかずっと眠たい。ネジャーティ曰く、風の日でも気圧が変わるから、眠たくなるらしい。ずっと頭がボーっとしている状態だ。

 午前中ネジャーティは学校に行って、お昼に帰ってきた。梨奈を外に連れて写真を撮ったり、夕食前も外に連れて少し歩いたらしい。それでごはんをわりと食べて、今は寝ている。ネジャーティも夕食後眠たくなって寝ている。コンピューターを独り占めできるのに、寝すぎで頭が痛くてボーっとしているので、そんな状態で日記を書いている。



2001年04月20日(金) 突然の旅行計画

 今日で1歳4ヶ月の梨奈。昨日、とても遅い時間に寝たのに、今朝、日が差し込んできて、私が早起きをしたので一緒に起きてきた。今日は食べるより寝ることが先のようで、夜は早々と眠ってしまった。

 お昼前、ご近所の日本人Iさんから電話があって、今月末に予定していたスイス行きを延期するかもしれないので、一緒に行きませんか?というお誘いがあった。アメリカからヨーロッパに行くのは値段も安く、スイスへは今なら往復でも400ドルぐらいだ。また、スイス航空では今年は6月から9月を除く旅程で、アメリカ国内でマスターカードでチケットを買うと、同伴者の分がタダになる、という特別オファーもある。

 そのお誘いをネジャーティにすると、「自分はいけない」と言われた。もし行くとしても、ネジャーティの場合、ビザがいるのである。手続きに約2週間かかり、申し込みの際には往復チケットを購入していなければならない。あと1ヶ月しかないので、行くとしたら、すぐ準備しなければならない。
 また、ネジャーティが行かない場合、梨奈をどうするかである。置いていく場合、ネジャーティが面倒を見なければならない。夏休みに入っているとはいえ、授業のことで時間をとられているので、大幅に自分のスケジュールが遅れているらしい。そんな中で私だけ行くのも気が引けるのである。1日か2日、Iさんより早く帰ってくるという方法もあるが、、、。
 
 お電話をいただいた後、お昼過ぎにポーツマスに行ってコーヒーをご一緒したのだが、そのときでも梨奈は落ち着かない。こんな状態では、梨奈を連れて行けない。私一人だけじゃないが、かえってご迷惑を掛けるばかりである。やはりネジャーティにいてもらわないと心細い。

 そして、Iさんの子供達は乗り気である。う〜ん、同行者タダのチケットが安かったら、ネジャーティ、一緒に行ってくれないかなぁ。
 



2001年04月18日(水) てんぷら

 夕飯を何にしようかと考えながら、サツマイモがあったことを思い出し、急遽てんぷらに変更。揚げるのが時間かかるので、こういうときは、揚げながら食べるのが一番。ネジャーティは「これはまだ熱いから、気をつけて」というのですが、そんなんいわれんでも知ってるねん。熱いものを食べるのは日本人に任せといて(猫舌の人以外)。

 食べる時に、プレーンヨーグルトを出してくるので、「ヨーグルト食べるの?」と聞くと、「てんぷらにつけるねん」というので(なんで関西弁になってるねん)、「天つゆ用意したのに、、」というと、両方で食べるという。
 結局、ヨーグルトの出る幕はなく、再び冷蔵庫へ。ヨーグルト発祥の地、トルコ。なんでもヨーグルトだ。

 梨奈のテーブルにはごはんとてんぷらを置いたら、手にとったので、そのままほっておいたが、少ししてテーブルを見たら、てんぷらのお皿は空になっていた。「あれ?」と思ってたら、ごはんの上に一つずつてんぷらを乗せていったらしい。遊んでいただけだった。おかしくて、口の中のごはんを噴出してしまった。



2001年04月17日(火) いかなご

 いかなごは時期がほとんど終わっているが、神戸近辺では家でいかなごの釘煮をつくるのが風習である。関西全域そうかと思ってたら、どうもそうでないらしい。

 いかなご漁は紀州沖から播磨灘沿岸にかけて毎年2月下旬から4月中旬くらいまであるそうで、特に、明石沖から高砂、播磨灘にかけてが主な産地だそうである。明石沖ではいかなごのほかにも、鯛、タコ、あなごなどがとれる。明石といえば、だしで食べる「明石焼き」が有名で、地元では「玉子焼き」と呼んでいる。

 いかなごの釘煮を作るのには、いかなご以外に、土しょうが、砂糖またはザラメ、濃口醤油、酒、ミリンといった、一般家庭にたいていある調味料が要るだけである。

 いかなごのことは友人がいかなごの話をするまですっかり忘れていた。またさらに他の友人宅ではいかなごの釘煮が無事つくられたそうで、アメリカにいることも忘れて、頭の中はすっかりいかなごでいっぱいである。



2001年04月15日(日) イースター

 早いもので、4月になってもう半分が過ぎてしまった。
 
 今日はイースターの日曜日で、食べるところ以外はどこも閉まっているようである。昨日の夜、出かけた時に、教会の前に何台もの車がとまっているのを見たし、この週末はイースター一色である。

 最近は周りで不幸があったり、日本でも大物歌手が亡くなったりと、春の散り行く桜と重なってしまう。
 先日も、フロリダ時代の教授の奥さんが亡くなったり、同じフロリダの大学の司書をしているボブのお父さんも危篤で、2、3日のうちに亡くなるだろうとボブ本人もいってるぐらいだった。またボブも前立腺ガンと診断され、5月に手術があるようで大変である。

 いつかはみんな死ぬとはわかっていても、普段はそんなことは全然気にしないで生活している。また、もしかしたら、死ぬことはないのかもしれないという錯覚をしてしまうこともある。3年前に亡くなった祖母も、骨折以外は病気一つしなかったので、いつまでも生きるんじゃないかと思っていたぐらいである。おとどし生まれた梨奈でさえ、80年、90年後かには死んでしまうんだぁ(うぅ〜、考えたくない)。

 でも、やはり誰かの死を聞かされて、自分もいつかは死ぬのだから、どのように生きなければいけないか、改めて考えてしまう。やはり毎日悔いのない生活をしていくのが一番である。



2001年04月14日(土) 昼夜逆転

 ネジャーティのことである。今日は日本時間で生活している。昨日は寝られなかったらしく、朝食をとってから寝だした。そして、起きたのは何と夜6時。起こさなかった私も私だが、起こしても起きないとわかっているので起こさなかった。

 今年か来年にはここを離れてどこかに移る予定であるが、フロリダのジャクソンビルが候補地に上がり、アパートなどをインターネットで見ていた。う〜ん、やはりフロリダである。ジャクソンビルは大西洋側にあり、ちょっと北に行けばジョージアに入る。フロリダ北部は、中央部のオーランドや南部のマイアミとまた雰囲気が違うが、以前住んでた、同じ北部のタラハシーとは雰囲気が似ている。

 ジャクソンビルはどちらかというと、産業の町なので、そんなゆったりとしたところがあるとは思わなかったが、アパートをみていると、とてもゆったりしているように見える。こんなところもあったのかぁ、と意外に思う。アパートの中も見ていると、いつかはこんなところに住みたいなあと気分はフロリダへ飛んでいた。このアパートも少し飽きてきたしなぁ。

 ネジャーティと一緒にコンピューターで見ていたら、つけていたテレビにトルコの映画が流れていた。これは初めてだ。「Steam、Turkish Bath」というもので、デザイナーのイタリア人青年がトルコに来て、叔母の遺産だったイスタンブールにあるトルコバスを受け継ぐことにしたのだが、最後で意外な展開に。
 映画の中ではイタリア語とトルコ語が入り混じり、トルコの典型的な生活や習慣が映し出されている。トルコバス然り、トルココーヒーの占い然りである。
 トルココーヒーはエスプレッソのように小さいカップで飲んで、当然濃いので、飲んだ後、カップの底にコーヒーのどろっとした粉がたまっている。ソーサーをカップにかぶせて、逆さにして、どろっとした粉が落ちてくるのを待つ。その粉の描き具合で占うというもの。

 映画が終わるのを待たずして、こんな夜中にネジャーティは学校へ出かけた。



2001年04月13日(金) テレビ

 テレビのチャンネルが多いにもかかわらず、面白いものがない。

 その中で、ディック・バン・ダイク(Dick・Van・Dyke)の番組が好きである。「Diagnosis Murder」は毎週見ているし、最近映っていない局で毎日再放送していたときは、毎日飽きずに見ていた。「Diagnosis Murder」は病院が舞台で、医者のディック扮するマーク・スローンと2人の同僚の医者が刑事の息子と事件を解決していくというドラマで、息子役の役者は本当の息子である。

 もう一つ、「ディック・バン・ダイク ショー」はTV Landの局で毎日放映していて、ディック扮する脚本作家のロブと家族、オフィスの人が出てくる、1960年代のホームコメディードラマである。もちろん白黒なのだが、ドラマに出てくる人の言葉のやり取りが面白い。テンポがよく、その点、少し話すのが早いので、ついていくのが大変だが、ディックの多芸振りに感心する。
 35年からほぼ40年前のドラマで、もちろんディックも若く、「Diagnosis Murder」のディックはおじいさんである。孫もたまにそのドラマに出てくるぐらいである。

 毎日のように見ているので、またこれもネジャーティに呆れられていることだろう。

 ところで、なくなっていたもう1本のスプーンがまた出てきた。いつともなく梨奈がもっているのである。どこに隠してたんやろう? とても不思議である。



2001年04月12日(木) 尊敬語、謙譲語

 11時にユキ子さんが来て、次に習う課の話を始めた。その課の文法は1つだけだとういう。その1つがこわいのである。「Bad Signだった」といっていた。その課の文法は尊敬語、謙譲語で、日本人でも最近は使い方が怪しいのに、外国人はもっとたいへんだろう。どのような状況で使うかというのがわかればいいようだが、どういうときに使っていいかわからない場合、使いようがないのである。

 また、動詞の終止形、尊敬語、謙譲語でまるっきり言葉が変わってしまうのが、くせものだ。

 見る  → ご覧になる  拝見する
 食べる → 召し上がる  いただく
 言う  → おっしゃる  申す

等々。

 ユキ子さんはお母さんが日本人なので、それなりに知識があるから、食事の時に言う「いただきます」が、「食べる」の謙譲語だということにすぐ結びついたようだ。

 これは、実際に使って覚えないと、日本人でも難しい。



2001年04月11日(水) 歯が生えていた

 梨奈を笑わせていたとき、ふと口の中に白いものがあるのに気がついた。奥歯が生え始めていた。本で見ると、「手前の奥歯」と呼んでいて、前歯が上4本、下4本生えた後、1歳半ぐらいにその4本の歯から1本とんで奥に生えるらしい。下だけ2本生えていて、上は生えていないようだった。

 ところで、去年日本に帰った時に飛行機の中でもらった乳児用のスプーン、フォークを使っているが、2月にニューヨークに行って、帰ってきたら、スプーンが2本、フォークが1本になっていた。ネジャーティが間違えてスプーン1本、フォーク1本捨てたかなと思っていたが、今日、フォークが1本出てきた。出てきた、というより、梨奈が持っていたのをただ取って洗って、気がついたら2本あった、という感じだ。どこにフォークを隠していたんだろう、、、と謎のままだ。

 以前、免許証をなくされて、何とか見つけたが、まだ梨奈の健康福祉カードが見つかっていない。なくなってから、病院に行くことがあったが、病院がカードの番号を控えていたので大丈夫だった。フォークでさえ2ヶ月かかったから、カードもそのぐらいかかるのかなぁ。どこにあるんやろう?



2001年04月10日(火) とことこ歩く

 火曜日はユキ子さんが来る日だが、今週は木曜日に変更になったので、朝ゆっくりしていた。午後は梨奈も昼寝をしたので、その間にコンピューターを使っていた。

 夕方になってネジャーティが学校から戻って、一緒にショッピングモールへ行くことに。着いたら夕食の時間で、おなかが空いてきてフードコートでご飯を食べた。ネジャーティはお昼にたくさん食べているのでまだおなかが空いていないようだった。
 
 食べている間に、梨奈は退屈し始め、なんととことこ歩き出した。先月から歩いているが、外はそんなに歩いていない。ネジャーティが後ろをついて歩いた。梨奈はディズニーストアーに入っていって、棚にあるものを取って、店を出ようとしたので、その品物をネジャーティが取って、棚に置きに行ったら、梨奈がだだをこねて泣いている様子がフードコートから見えた。う〜ん、こんな時期が始まってしまったのか、、、、。これは、まだ序の口だろう。

 私が買い物をしている間に、梨奈は広いショッピングモールの中を行ったり来たりしているようだった。今ちょうどイースターの前なので、うさぎのかぶりものの人といっしょに写真(有料)を撮るコーナーがあるが、ちょうど片付けをしているところに行ったらしく、うさぎのぬいぐるみの人に相手をしてもらったそうである。

 いつもこの狭い部屋でしか歩いたことのない梨奈にとって、ショッピングモールはエキサイトしたかもしれない。



2001年04月09日(月) めでたい

 今日はめでたい話が2つ。まずはHPが無事3333ヒットを達成しました。日頃HPに来ていただいている方々、本当にありがとうございます。HPではまだまだ変えたいところもあって、いつまでも未完成のままですが、日々向上していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

 もう一つおめでたいことは、日本語の学生のユキ子さんがJETプログラムに無事受かり、8月に日本に行くことになりました。まだどの都道府県の学校に配属になるかわからないそうですが、親戚のいる神奈川に希望を出していて、希望どおりになることを願っているようです。

 いやいや、今日はめでたい。



2001年04月08日(日) ネジャーティの時差ぼけ&映画の話

 1日に夏時間に変わって、徐々に夏時間に慣れてきている。たった1時間ちがうのに、調節が必要だなんて、年取ってきているなぁ。
 今日は雨がふったりやんだりしていて、天気が悪く、低気圧の時はネジャーティは寝ている時が多い。最近、トルコ時間で生活しているようで、昨日も明け方に寝て今日は寝たり起きたりして、結局3時に起きてきた。寝すぎやろ〜! ただ今、深夜12時半すぎ。今もネジャーティは学校に行っているが、また遅くに帰ってくるんだろうなぁ。

 ところで、テレビを見てたら、コマーシャルでクロコダイルダンディーの宣伝をしていた。また再放送かなぁと思ったら、カリフォルニアかどこかが舞台で、4月20日上映といってたので、どうも新しい映画らしい。もし本当なら見に行きたい。テレビでも1と2を何回も放映しているので見てしまう。ネジャーティには「よく飽きないね」と呆られている。
 クロコダイルダンディー1はオーストラリアとニューヨークが舞台になっていて、女性記者と社長のリムジンのお抱え運転手がいたが、実はその役者のファンである。レジナルド・ベルジョンソンという黒人の役者で、ニューヨーク生まれで、オフ・ブロードウェイの舞台を踏んでた人である。約10年続いたホームドラマの「Family Matters」でお父さん役として出ていた。職業は警察官である。他のドラマでもなぜか警察官役が多い。実はダイハード1と2にも、ブルース・ウイルス扮するジョン・マックレーンと連絡を取り合う警察官として出ていた。

 いやいや、新しいクロコダイルダンディーの映画が気になるなぁ。
 



2001年04月07日(土) エッグハント

 イースターが近づいていることもあって、お店にはウサギや卵型のチョコレートなどが並んでいる。イースターはウサギと卵が関係しているらしいが、どうしてそうなのか、聞いたことはあるが、詳しいことは忘れてしまった。
 今日もこのアパートの主催でイースターにちなんだエッグハントがあった。

 話は聞いたことがあったが、子供が対象なので、実際に参加したことがないので詳しいことは知らない。朝9時から始まったが、梨奈はまだ夢の中なので連れて行けない。小学校のお子さんがいるIさんは参加される、というのを聞いていたので、顔を出しに行った。

 天気はよかったが、気温がその時5度しかなく少し寒かったが、子供はお構いなし。アパートのスタッフがいろんな色にぬった卵を用意している。最初はスプーンレース。卵をスプーンにのせ、2人ずつ芝生の上を往復し、勝ったほうが商品をもらえるというもの。次は卵のキャッチボール。2人の距離をだんだん伸ばしていって、割れたらおしまい。ある子は上着にベトッと卵が、、。日本ではこんなことはしないだろうなぁ。

 そして、最後にエッグハント。場所を変えて、すでにアパートのスタッフが隠したプラスチックの卵を見つけるというもの。これがメインイベントである。ある子は10個近く見つけたらしい。プラスチックの卵を開けると、中にお菓子が入っている。

 これは梨奈の年齢ではちょっと無理かなぁ。



2001年04月06日(金) さくら

 先日、この日記の読者Yくんが三島の桜の写真をメールで送ってくれました(ありがとう!)ので、ここで載せたいと思います。



 三島はいろんなところで桜が咲いていて、私が行っていた大学のキャンパスにも桜並木があった。そういえば、私の大学は校章に桜があったなぁ。

 三島の中では有名なのが三嶋大社の桜で、この季節はお花見に来る人でにぎわっています。また、市内には谷田桜ケ丘という町もあったりします。

 


 ここにもキャンパスに桜がありますが、日本の緯度でいうと札幌と同じぐらい北にあるので、桜が咲くのはもっと後になります。八重桜もあって、それも5月になって咲いています。

 桜は情緒があり、風情があって、日本の春には欠かせないものです。以前、トルコの友人に桜の満開の写真を見せたところ、「ポップコーンみたい」と言われて少しショックを受けた私。でも、きっと日本だから桜を楽しめるのかもしれません。日本のニュースを見ていたら、外国人も桜の下で花見をしていました。「はなみ」という言葉は知らないようでしたが、外国人でも日本でだから楽しめるのかもしれません。
 日本で実際に桜の下でお弁当を広げて、ということはしたことはありませんが、いつかネジャーティと梨奈も一緒にみんなでしたいというのが夢です。



2001年04月05日(木) 病院の応対

 午後、クリニックの予約があったので行った。1ヶ月前にも行ったのだが、このときに、胸にしこりのようなものがあって、気になってそれも診てもらい、1ヵ月後にもう1回診ましょうということだった。梨奈は今月で1歳4ヶ月になるが、まだ授乳が続いているので、乳腺が詰まっているのだろうとのことだった。
 今日の診察でもまだしこりは見られたが、前より小さくなっているようで(と私も思った)、結局同じ回答だったが、月曜日に授乳に関してのミーティングがあるから、他の先生にも意見を求めて、こちらに電話で意見を伝えてくれるということになった。

 病院の応対はどうか。火曜日に梨奈を病院に連れて行ったときは、医師が診断する前に、看護婦が病状を聞いたり、体温や脈拍を測ったり、聴診器をあてたり、と基本的な診察をする。その後、診察室で10分ぐらい待ったが、なかなか医師が現われないので、少し不安に。そのうち医師が来て、耳、目、口の中を診て、聴診器で内臓の様子を確かめる。医師といえば、日本なら固い仕事と思いがちだが、こちらでは患者に合わせてくれる。子供だったら、声の調子も変わって、梨奈の年齢でも、梨奈に次々と話し掛ける。医療技術だけではなく、そういうこともアメリカではトレーニングされているようである。梨奈は大した事はなく、大丈夫だけど何かあったらすぐ連れてくるように、と言われて、お薬をもらって帰った。

 これはこの州が恵まれているのかもしれないが、病院の応対は比較的いいと思っている。昨日、フロリダにいる友人からメールが来て、1歳になる女の子がやけどを負ったらしい。救急車を呼んだが、救急隊員も対応がわからないようで、病院に行っても、とても長い時間待たされたらしい。少しでも症状を軽くしよう、と言うよりかは事後の手当てといった感じだったようだ。
 それをネジャーティに話したところ、救急隊員の応対の悪さはレポートした方がいい、と言っていたので、友人に勧めるつもりである。

 アメリカはどちらかというと、北部の方がきっちりしているからか、病院の応対もいいのかもしれない。でも、なるだけ病院のお世話にならないようにしたい。



2001年04月04日(水) アジア的インテリア

 ディスカバリー・チャンネル(Discovery Channel)という番組は自然科学のドキュメント番組を流したりと、とてもまじめなチャンネルである。午後はインテリア関係、夕方は家の建築などを見せてくれる。決して自分ではできないが、「ここはこうするんだ」というようなことを見せてくれるのである。

 午後のインテリアの番組では、女性の司会の番組と男性の司会の番組がある。女性の番組はアトランタにスタジオがあるらしく、フロリダや遠いところではコロラドまで、お宅拝見をする。今私が住んでいるところでは、ニューイングランド地方と呼ばれ、イギリスの影響が強い。またフロリダはスペインの影響があって、それぞれ地方によって、建築様式が違うらしい。
 家の中で飾る小物を作ったりするが、日本のものを紹介したこともある。それは生け花で、アメリカ人だが実際に生け花教室で習って、実際にアメリカで教えているご婦人がゲストに呼ばれて、用語はもちろん日本語のままで、説明もとても的確だった。アメリカで手に入る素材を用いて、「そういう花も入れていいのかなぁ」と思っても、それでいて、まだ日本的になっているところがすごい。

 男性の司会の番組も負けていない。司会はクリストファー・ローウェルといって、番組名も「クリストファー・ローウェルショー」。アメリカの番組は、名前の後に「ショー」をつけて、番組名にすることが多い。そして、この番組、去年のデイタイムの何かの賞(名前を忘れてしまった)を取ったぐらい、評価された番組らしい。
 本人は、ちょっとおかまっぽく、番組内でも番組の曲をひいてしまうぐらいだが、とてもエンターテイナーで、インテリア、特に模様替えはお手のものである。この人の手にかかると、殺風景な部屋もとても華やかになる。カーテンや家具、観葉植物など、いろんなものを置くのに、部屋が狭くるしく感じさせないのは不思議である。物は置きようである。
 
 さて、この人がダイニングの模様替えをすると、ダイニングテーブルもゴージャスになる。西洋的な飾り付けだとテーブルの上には花や植物が置かれる。
 ある日、東アジア(主に日本)のインテリアに詳しい人をゲストに呼んだが、知ってのとおり日本ではダイニングテーブルには花や植物を置かない。そこで困ったクリストファー、テーブルにどうしても花を置きたい。「置かないのは知っているけど」という前提で、少し花を置き始めた。

 今日は、またアジアのものを集めているヨーロッパ系のアメリカ人のお店に訪れた時の映像が流れた。着物があったり、アジアのほかの国のものもあったが、店主がミス。韓国の文字が書かれた掛け軸の長さの布を逆さにかけ、「これは日本のものです」と紹介していた。「ちがうやろう!」と、思わず突っ込んだ私。店主も文字が読めないから、漢字もハングル文字も同じに見えるらしい。また、逆さになっているのも気づいていない。

 そんなミスはあっても、アジアの文化をできるだけ忠実に正確に伝えようと努力している番組である。



2001年04月03日(火) 夏時間と時差

 1日から始まった夏時間。時計を1時間早めるのだが、たかが1時間でもやはり、目が覚める時間やおなかがすく時間、眠たくなる時間もずれている。
 ユキ子さんから聞いたのだが、アリゾナ州といくつかの州は夏時間を導入していないらしい。

 ここ、ニューハンプシャー州は東部時間である。東部、中部、山間部、西部、と大陸だけで4つの時差がある。以前いたフロリダ州タラハシーも東部であるが、実はタラハシーから西に少し行くと、中部の時間帯に入るのである。フロリダはパン・ハンドル(フライパンの取っ手)と呼ばれ、半島部分でなく、取っ手のように西に延びている地域がある。例えば、パナマシティービーチは中部の時間帯に入るので、タラハシーから行って、パナマシティーに着いた時には時計を1時間遅らせる。タラハシーでは10時なのが、パナマシティーではまだ9時である。

 以前、夏時間をはさんで、タラハシーからシカゴに行ったことがある。シカゴは中部時間なので、シカゴに着いたら、1時間遅らせた。そして、滞在2日目ぐらいに夏時間になり、1時間時計を戻した。そしてタラハシーに戻った時、もう1時間早めた。

 時計の針を前に、後ろにと、とてもややこしい夏時間と時差である。



2001年04月02日(月) トルコの友人

 昨日ミズーリにいるトルコ人、メメット(Mehmet)にメールを出した。電話をしてくれるのはいつも向こうで、それも、以前、電話会社ともめていて、電話番号もよく変わっていて、こちらから連絡しづらかった。また、メールアドレスも変わってて、「全然連絡くれない」とかいうわりには、「連絡先を教えてよ」と文句をいいたいぐらいである。

 メメットにはフロリダの語学学校で知り合った。ネジャーティと同じ時期にトルコから来て、私と同じ時期に、大学院に入った。FSUに入る予定だったのが、急遽進路をかえて、ミズーリに移ってしまった。語学学校から、私を入れて3人、同じ時期にFSUに進学するはずが、1人は日本に帰ってしまい、メメットもミズーリに行ったので、結局私1人だけになってしまった。

 メメットは数学を専攻していて、現在博士課程にいる。奥さんもトルコ人で、数学を専攻して、博士課程で同じ学校にいる。

 早速メールの返事が来て、7月に子供が生まれると知らせてきた。超音波では女の子らしいが、あまり信じていないようである。
 
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 メメットはネジャーティ同様、初めて会ったトルコ人の一人である。とても面白い人で、国籍を感じさせない友達である。少しずんぐりむっくりで、ネジャーティの細身とは違うし、また、とても毛深い。小倉久寛といい勝負である。私は、うちの家系が毛深くないせいか、毛深いのになれておらず、メメットの毛深さには失神しそうである。
 ネジャーティにそういう話をすると、ヨーロッパでは、毛深い人の方が男らしさを感じるらしい。うぅ〜。それは、私にはきつすぎる。

 そんなメメットでも、何となくお茶目で、ちょっとキューピーに似ていて、目元も、トルコ人独特の目である。そういう理由からか、トルコや近辺諸国の女性にもてるらしく、また、ちょっと気になる女性には花を贈ったりしている。おぉ〜!これがトルコ人の男性の求愛方法かぁ、思ってると、全くそれとは反対のネジャーティがいたりする。ちなみにネジャーティはバレンタインデーを知らなかった。トルコはイスラムの国だからなぁ、と思ってたら、メメット曰く、「トルコにいた時は、自分は花を贈ってたよ」。さすがメメット。そういう情報は、情報として入って来ないの?とネジャーティに聞くと、全然そういうのに興味がなかったらしい。メメットとは正反対のネジャーティだった。

 そんな花を贈ったりするメメットのような人に求愛されて、その時はいいかもしれないが、後が怖い。他にいい人を見つけると、ふわ〜っ、とその人に行ってしまいそうである。そこは、堅実なネジャーティの方が信頼性が高い。

 それはともかく、こんな正反対な2人でもなぜだか女性に対して自信がある。恋人が欲しいよ〜!という弱気ではないのである。それはこの2人の性格から来るものなのか、トルコというお国柄なのか、私は知らない。

 連絡を何とか取り合ってても、最後に会ったのが、95年の冬である。いつか再会を果たしたいものである。

 
 



2001年04月01日(日) 4月だ

 今日から4月に入って、夏時間もちょうど始まった。1時間早起きになるので、1時間の損である。
 
 冷蔵庫の中がほとんど空っぽで朝昼兼用でも何を食べようかと言うぐらいだった。昼過ぎに、近所のIさんといっしょに近くのスーパーに行った。Iさんは今年の夏には日本に戻られるので、荷物をそろそろ日本に船便で送りたいようで、荷物を入れられる箱を探しておられた。ここに長く住んでおられるIさん(別の方)から酒屋に崩していない箱があるという情報を得たそうで、いっしょにスーパーの近くの酒屋に行った。私は車の中で待っていたが、ネジャーティがついていった。

 何箱か持ってきたが、店の女の人から、もう崩してある方を持っていってほしい、といわれたそうで、ネジャーティが、「崩してないのがほしいんだ」といったらしい。そこは男である。そういうときには男の人は頼りになる。ま、買うものも買わないで箱だけ持っていくのもお店の人にとっては嬉しくないかもしれないが、そんな崩した箱を何に使うねん、お店の人もお店の人やわ、と内心思った。

 スーパーに行こうとしていたとき、一人の男の人が酒屋に入って、入口近くの箱を何箱か持って、すぐ出てきた。「な〜んだ、他の人も持ってきてるやん。それに、その人にはなんも言わへんのかぁ。」と誰もがそう思ったようである。男の人には言いにくいのかなぁ。

 夜、電話がかかってきた。ここ最近、ずっと1日に2、3回は「ネカーティ・カバルさんはいらっしゃいますか?」という勧誘の電話がかかってきている。「ネカーティ(NECATI)」というのはアメリカ人が「C」を「K」の発音で言うからだ。トルコ語では、「J」の発音をするので、「ネジャーティ」なのである。「ネカーティ」という人はネジャーティを知らないでかけてくるのである。
 そして、そういう時は「いません」の一点張りである。たまに、「ミセス・カバルさんですか?」と私宛にかけてくるときもある。その時は私を知らないのである。私は日本の苗字を変えずにそのままにしているから、苗字はカバルではない。「そんな人はいません」といってもいいのだが、最初は真面目に電話を受けていた。最近は英語を話さない人のふりをして「英語がわかりません」といっている。そういう電話は真面目に応対する必要がないと最近悟ったのである。

 夜かかってきた電話は「ネジャーティはいますか?」で、ミシガンにいるネジャーティの友人だった。


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