西方見聞録...マルコ

 

 

だっこねんね - 2011年01月28日(金)

 だっこねんね、というのは私の実家で使われていた隠語で(一般用語じゃないよね?!)文字通り母に抱っこしてもらって布団で寝る状態を言う。子どものころ、朝起きる前の時間、あるいは夜眠りに落ちる前に、母の布団にもぐりこみ「だっこねんねしてよ〜」とせがんでそれが叶えられるのは何よりの至福であった。

 ででで、幼児はそれでいいんであるが、このだっこねんねはいくつくらいまでやっていいのであろうか?

 おKさん小2まだだっこねんねが旬の時期だと思ってたら、なんかもう肌を離して母子分離に向けて着実に歩んでいるご家庭があるのを知り軽く衝撃を受けた。

 中1の1号さんはさすがにそろそろやばいと母子ともに自覚していて、おKさんをだっこねんねする弾みで隣に居た1号さんももう一方の腕で抱いたら「あ〜こんなことしてる中学生私だけだよ〜」といいながら、2回に1回は結構うれしそうに腕の中に納まってくる(つまり2回に1回は逃げられる)。

 じじじ、実は私は母子分離が比較的遅くて、中学生くらいまで母に抱きついてた記憶があるんです。もしかしたら高校とかいっても抱きつかなくても暖を取りに、そして甘えに、布団にもぐりこんでたかも。

 男児と女児とその辺は違うと思うんですが、女児だった皆さん、いつごろから暖かい母の布団と訣別しました?んでおたくの女児はいくつくらいでだこねんね卒業しそう?

 こういう家族の核心って、結構謎だよね。


...

移動がすき - 2011年01月21日(金)


 東京に用事があって新幹線に乗った。

 ものすごく心が浮き立つ。はて何を私はこんなに故郷に帰れることを喜んでいるのだろうか?

 さて東京での硬い用事を終え、実家をおとない、ほのぼのと心癒される老親との対話を済ませ、西へと再び発つ。東京駅でお土産を買い、車内で摂る夕食にとワインとチーズと点心セットを買い、再び新幹線に乗る。これまたものすごく心が浮き立つ。

 思うに私は移動の瞬間がものすごく好きな人なのだ。

 誰の妻でも誰の母でもなく、どんな職務を求められる仕事人でもなく、また誰の娘でもない。私の私で居られる車中の人の自分がとてもすきなのだ。



...

いろいろ燃やす日2011 - 2011年01月15日(土)




はい、これが昨年12月26日、子ども会の行事でおKさんがおつくりになられた注連縄でございます。マルコも横から手を出し、子ども会講師のおG様もいっぱい協力してくれたとはいえ、このへんの子は注連縄の構造を良く知る子どもに育つのでございます。

で、正月過ぎたら注連縄はしかるべき手順に従い、どこぞへお移りになってもらわなければなりません。ドントの日をのがすとごみに出すに出せずに(講師のおGさんちはゴミ収集ポイントの割と近く)みかんはかびるし、でけっこう悲惨な末路をたどるので今年は氏神さんのドントの日を観光案内所に電話してチェックします。(観光案内所も地元神社のドントの日を聞かれても困っただろうケド、一応観光地にもなってるので>氏神さん。)



氏神さんは法隆寺裏のため池の脇にあります。



菅原道真をお祭りしてるんだっけかな?



で、燃やすものをダンボールに入れて〜と有力氏子っぽいおじさんに指示を受けます。それで、飴とかもらいます。子連れでなければお酒も振舞われている雰囲気でした。



そんで最終的に燃やすと。
おお〜なんかトラディッショナルなことをしてしまいました。子ども会がなければこの一連の流れとはアクセスをもてなかったな〜、ありがと〜斑鳩ソーシャルキャピタル。


...

正月の読書ー和解のために(グレーゾーンの根気強い発掘作業)ー - 2011年01月07日(金)

 さて、年末年始はなんだか不連続にざわざわと時間が過ぎていくので仕事関係の本はひとまず閉じ、そして、大事な本を読む時間にするのが私には良いようです

 で今年は「和解のために」朴裕河を読みました。

 この本は教科書問題、慰安婦、靖国、独島、とものすごい熱くなりがちなテーマについてて語られています。しかしながら、読み進めていくと、静かなしんとした気持ちになっていくのです。

 日韓関係を語るときあたかもそこには日本と韓国という2つの声が激突しているように語られますが、著者はそこにある多層的で複雑なさまざまな声を丹念に掘り出し「複雑なことを複雑なまま」紹介し、そこにある構造を読み取り理解することを静かに読者に薦め、個人である前に日本人、韓国人というステレオの中に相手と自分を閉じ込める本質主義に陥る愚を語ります。

 もともと韓国に生まれ、日本文学を研究する著者が、韓国国内の人々に向けて、日本国内にある声の多層性、また理解しがたいナショナリストの声が発せられた背景を丹念に紹介することで両国の理解と和解を助けようという意図のもとこの本はかかれました。韓国ではこの本はどのように受け取られたのでしょう。

 またこの本と相似形に編まれるべき、日本の読者向けの、韓国事情を良く知る人による、韓国国内の世論がどういう土壌からどのような多様性をもって発せられているのか、紹介された本が読みたいと、切実に思いました。

 具体的に私には下記の2点の指摘にもはっとさせられました。

1)靖国参拝問題で、「英霊への感謝、敬意を表するための参拝ではなく、心ならずも戦いにかり出され、人殺しを強要された<英霊> に謝罪するための参拝であれば、その祈りは被害者の痛みにも、戦争行為の美化にもつながらないのではないか」という指摘。
2)そして独島(竹島)をめぐる二つの世界から見えた二つの物語を紹介した後、近代の国民国家(領土、国民、主権の3点セットを備えた)誕生以前の『領土問題』の実在への疑義、そして実際モロッコースペイン間やアメリカーカナダ間に前例のある領土権の凍結や共同領有の可能性の指摘。

 この2つの考え方の提示には2国のナショナリズムの激突を解決しうる道を指し示されたようにも感じました。

 マスメディアの報道もネットメディアも日韓問題を語る声はエッジとエッジが切り結ぶような衝撃的なものばかりが流通しやすいですが、静かに語る多様で複雑な声を見落としてはならないと本書を読みながら感じました。

 本書を読んで今から16年前の27歳の春、ケニアから帰国したばかりの私に青年海外協力隊帰国隊員進路支援室からアジア平和国民基金から元慰安婦の方々のライフヒストリーの聞き取り調査への参加を打診されたとき、なぜ飛び込まなかったのか、と再び苦い悔恨を抱きました。評価の定まらない基金への協力におびえ、せっかくつかんだ非常勤講師職を握り締めるのに汲々とし、1年後に控えた夫との結婚という具体的なスケジュールが変更されるのを恐れたのですが、もしあの時あの道を選び、ハルモニへの不完全ながらも謝罪するということがなしえたのであれば、そこにはやはり歴史的な意味はあったかもしれないという思いをはじめて現実的に抱きました。

 和解のために、私たちにできることは何か、深く考えさせる1篇でした。

 お薦め下さったSaffronさん!ありがとう!


...



 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home