西方見聞録...マルコ

 

 

しゃぼんだま - 2011年02月28日(月)

 過去日記シリーズ

 さて、この日は「『女嫌い(上野千鶴子著)』を語るオフ」が天満橋で開催されたのですが、その前に来年度就職面接ですよ。

 研究者の就職というのはここで自分ができそうなポジション見つけて、履歴書とか経歴書とか志望動機とか作文して送って、そんでしばらくして書類選考に通ると、面接のお呼び出しが来る。そんで面接で、偉い人相手にいろいろ語ったり、模擬授業やらされたり、英語しゃべらされたり、いろいろしてうまくいくと、採用になる。

 私の現ポジションは1年任期という業界でも珍しい短期契約なため(前任者が2人も逃亡したあとの3人目のバッターだったので、1振りしかさせてもらえなかったのだ)この1年は就職1年目にして(1年目しかないんだけどさ)来年度就職のために奔走する就職活動の1年でもあったのだ。 

 いっぱい履歴書送って、いっぱい振られた。履歴書書いて、不採用通知が届くまではとても楽しい。夢が壊れるまでのつかの間のしゃぼんだまみたいだ。時々面接まで駒が進む。そうするとしゃぼんだまは七色に光り輝く。実際面接では着任後の事業計画やら研究計画やらプレゼンしなくてはいけないのだから、夢の見方も気合が入る。

 で、この日私は午前と午後ダブルヘッダーで二つの面接を受けた。自慢じゃないけど(いや、ちょっと自慢なんだけど)面接までいけるのって本当に1年に1個か2個なので、同じ日に面接2個って業界的にすごいことなのよ。

 そんでその思いが顔に出たんだろうな。ちょっとにやけてたのかな。1発必中を狙ったライバルの皆さまに鼻の先一つで敗れたのだろう。1日に二つ面接を受けるというのも業界的にはレアな話だが、2連敗というなかなかレアな経験をしてしゃぼんだまは大きな音を立ててはじけた。

 7色のシャボン玉の中では、つまり面接では午前中は行政系の研究所で政策提言を延々とさせられた。午後は国立の博物館組織の研究部門で事業計画を3つほど提案した。みんな夢のまま終わってしまった。

 ちょっと落ち込んだ。

 でもこれが麻薬って言うか、次の履歴書を郵送した瞬間、次の夢に向かって走り出せちゃうのがこの業界の山っぽさなんである。

 このまま夢を見たまま終わる人ももちろんいる。私もそっちかもしれない。でもそれでもいい。なぜならば、私には世の中に発表すべきネタとヤマ(つまりデータとテーマ)がある。 ポジションが得られなくて研究環境が悪くても、ネタとヤマが私の中からなくならない限り、ちゃんと走っていける。ちょっと強がりも入ってるけど、たぶんこれは真実。

 で、この面接の夜は「女嫌い」を語るオフで、本論から脱線した話をしまくったのだった。

 ネタとヤマとそして友がいれば、その夜のお酒は必ずおいしい。


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マルコ走らず - 2011年02月11日(金)

 ちょっと過去日記いきます〜
 この日は!マルコ初のマラソン大会って言うか、わが町でやってるちょいとぬるめの走る集いに初参戦!の予定でした。
 毎年2月11日は斑鳩三塔マラソンというハーフマラソンと10キロマラソンがあり、1昨年は私交通整理ボランティアなんて保護者会方面から借り出されてやってたんですが(その名も交通安全母の会だ!!)、その日の午前中にマラソン大会とは別枠で「走ろう会」というのが存在してるんですな。距離も3キロと6.7キロとちょっとぬるめです。

 で、家族みんなで出ようよ〜、といってたんですが、中学生1号さんが「どうぞ、家で待ってるから皆さんで出てきたら?」とクールに離脱し、おKちゃんも「みんなに走るの見られるのいや〜」という至極全うな理由で大会参加を断念。あめでおさんも「あんたが走るなら、おKの保育するから」という理由で離脱。ついにマルコひとりではしることになっちゃいました!

 私だって走るの見られるのいやだけどさ〜でも朝時々出会うランニング友のR君ママも出るって言ってたからここは蛮勇を振り絞って参加!申し込みました。6.7キロコース。

 途中で1号さんの友人が中学校の陸上部全員で出ることがわかって、もう出場したくない気持ちマックスだったんですが、とにかく大会前は週2〜3回10キロ弱走って、大会に備えました。

 そして迎えた2月11日!




 雪です!

大会中止です 


 しばらく、また一人で孤独に走って、大会欲が出てきたら知り合いの少なそうな遠くの大会で10キロとか、こそこそ走ることにしようと思います。


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追憶の1月2月 - 2011年02月05日(土)

あ〜なんか日記書けない気分の今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか?

でもいろいろとあった出来事を箇条書き風にメモしとこ。

1)1月18日 タイから元同僚のプーさんが来たので、神戸の母校大学院(博士課程)で会う。硬い話し合いに一緒に出た後、お食事に行き、元職場(タイ支部・日本本部)ゴシップ大会をする。

2)1月29日 大学・修士時代の恩師が定年して関東から京都に戻った。ので、京都近郊にいる関係者で集った。赤垣という飲み屋に行った。恩師は若いころそこでバイトしてて、恩師の出身大学(=今の私の職場大学)のアフリカ関係者の巣窟だった店らしい。店の親父さんが恩師を覚えていた。いろいろと青春フラッシュバック。恩師にはいろいろと不義理をして青春のリグレットになっていた。ごめんなさい。不義理な教え子をずっと心配してくださって、申し訳なくもありがとうございます。

3)2月4日 私が追っかけをしている某教育活動家、シニョンさんの手術の日。ちょうどシニョンさんの教え子のような立場の学校の先生T先生が異文化理解教育の行事を行う日だったので参加する。故郷の春、という歌を歌う子ども達の声を聞きながら、T先生はいっぱい泣いていた。シニョンさん本人やご家族はもちろん、シニョンさんをこんなに愛するたくさんの人たちのためにも、どうか元気になってください。祈っています、心から。

4)2月5日 ボランティアに行っていた多文化な子どもの居場所に久しぶりに遊びに行く。午前中、神戸の母校大学院で講義なんかしたので、午後、ぷらっとボランティア先に行った。11ヶ月ぶり。こんなに時間が空いてしまったのははじめて。(でも他の行事、他の場所で子ども達には時々あってた)初めて会ったとき小学生だった子たちがこの春、就職、大学進学をする。ここまではすごいたいへんな道のりだったろうな。でもちゃんとやってる。それをちょっと距離を置いて見つめてる。活動にちゃんと参加しなくても、いつも心のどこかでどうしているかなって思ってる。




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