西方見聞録...マルコ

 

 

HBこざる - 2005年01月30日(日)

 巷ではホームベーカリーが話題である。

 なんとなくうらやましく思いながら、私まめじゃないし〜、パンはパン屋で買うから〜と考えていたら、突然あめでおさんがHBを購入してご帰宅になった。

 「1万円ちょっきしのものを買おうと、1万円の値札がついてるのをレジにもっていったら「6900円」といわれてびっくりした。」

 とのことだった。、、、おめでとう。

 あめでおさんは全粒粉パンが作りたいとのことでひたすら茶色い粉を使ったパンを焼く。でもバターやスキムミルクなどの乳製品はキライなので入れてくれない。で、なんというか質実剛健なパンが焼きあがる。

 質実剛健パンを子どもは食べない。

 きっとアルプスの少女ハイジで語られる「黒パン」ってこんな感じかな?とおもいながら食べる。大人的にはなかなか素朴な味わいでよろしいんだが。

 今度作り方ガイドを見ながら、甘くてふんわりなパン“も”焼いてみよう。

 ところでぴよたさんとHBデビュー同期ですわ。いや、デビューしたのは私じゃなくてあめでおさんだけど。

 


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草葉の影でむせび泣くガスパール - 2005年01月28日(金)

 帰途の大和路快速車中、隣席に座ってた白髪の老紳士が「日O新聞」を読んでいた。しかも例の小説の載っている面を食い入るようによんでらっさる。もう「うわっ不潔!」って感じである。ちょっと前まではX経新聞を熱心に読んでる人はそれなりに尊敬されていたわけだが、今では「エロ雑誌買う勇気のないエロ親父」という目で見られてしまうんである。

 皆さん、日O新聞は人目を気にしてこそこそ読みましょう。人前で読んだら恥ずかしいです。

 何でそんなに日O新聞が切ない立場になっちゃったかというとこの「にっけいしんぶん新聞」という突っ込みブログを読んでいただけばわかるように、現在その新聞で渡辺淳一先生の「失楽園」の2匹目の泥鰌をねらった「愛の流刑地」が連載されているんである。とにかく出てくる女主人公が「いねえよ、そんなやつ」みたいなオヤジの願望を具現化したような人物像で読んでてくらくらしてしまう。そのありえない女主人公「36歳3人の子持ち」という設定も、「37歳2人の子持ちのマルコ」からみると気持ち悪くてげろを吐きそうである。

 さて上でリンクを張った「にっけいしんぶん新聞」さんのブログは愛の流刑地(略してアイルケ)への突っ込みの楽しさもあいまって今大変人気である。このまえは「AERA]にまで紹介されていた。そんなわけでどうも渡辺センセイ、もしくは日O本紙の「愛の流刑地」担当者もこの「突っ込みブログ」を読んでるんじゃないの?という気がする。

 主人公と、女主人公が初めて性交渉に及んだ時、「にっけいしんぶん新聞」紙上では「避妊具もつけないで性行為におよぶ人妻@子持ちと、それを愛の証のように感動している男。」(コピーbyれいこなさん)に対するブーイングがうずまいた。その約1ヵ月半後、日O紙上で当該小説の主人公と女主人公が3度目の性交渉に及んだ時に大変説明的に「避妊は女主人公側が既にしている」という場面が挿入された。

 さてネット上での読者の突っ込みを受け、作者が物語を改変する。なんだか既視感のある光景だ。

 平成3年に筒井康隆が朝日新聞紙上行った実験的小説「朝のガスパール」だ。当時インターネットはまだ発達しておらずパソコン通信で読者と作者は意見を交換しあいながら物語は進行した。そのころパソコン通信にアクセスできた人はまだ少なく、一部でもりあがって物語が形作られて行ったような印象があった。

 10年早かったです>筒井先生。そして渡辺先生なんて言う超古色蒼然とした方にそれをやられるとは。

 今のインターネット環境でガスパールをやったら一体どういうことになるのかな。


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マルコ新書斎でウォーター!と叫ぶ - 2005年01月25日(火)



マルコは専門学校で週2回教鞭をとる以外は、フィールドワークに出かけたり、大学の研究室に行ったりするが週に1回か2回は図書館で勉強する日がある。大学の研究室に半ば住みついちゃってる人もいるが、とにかくマルコの住んでるところと研究室は遠いので、足繁く通うには近場の図書館の方が良いのである。けいはんな方面にある「国会図書館関西館」や専門学校のすぐ近くの「大阪市立中央図書館」とか結構好きである。なんといっても両図書館は自分のパソコンを持ちこんで使えるのがポイント。でも両方とも片道1時間かかるのであんまり近いとは言えない。

そんでこのたび新しいGoodでNiceな図書館を開拓。図書館業界人保育園ママ友に教えてもらったのだが、王寺駅から近鉄田原本線に乗って出かける小さな町の小さな図書館。しかしインターネットスペースはあるわ、閲覧席はコンセント付きで機材持ちこみ可だわ、レストランは安くておいしいわ、出来たばっかりらしくてぴかぴかに新しいわ、大変よろしいんである。おすすめです>T町町立図書館。

そんでもって今日はじめての図書館でしこしこ論文読んでたら突然ウォーター!(コピーbyステイシー様)と叫ぶような天啓が降りてきたので(実際そのとき読んでた論文にウォーター!って走り書きで書いちゃいました)、後半はしこしこ論文書いてました。言説の消費者になったり生産者になったり。これなら秋に学会発表延ばさなくても良かったかも。ぶつぶつ。しばらくして天啓の高揚が去ると「あ、だめだ、データが弱すぎる、ちきしょ〜やっぱ捜査は足が肝心か、ヤマさん」とか、ぶつぶつとつぶやく。

 子どもの頃図書館で良く見た怪しい言動の人って私のような人だったのかもしれないな〜。あはは〜、ふう(ため息)。



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友が来たりてがははと笑う - 2005年01月23日(日)

 ケニア時代の友人がやってくる。と言っても日本人なんだが、同時期協力隊員をやってた人々なんである。2人は夫婦である。
 夫さんのN君がマルコと同じ町で勤務していた人だ。 N君とマルコはその町で2人きりの協力隊員で、わりと仲が良かった。お互いに恋人が異国にいたので(マルコの恋人って恥ずかしながら、あめでおさんのことである)好いたり腫れたりはしなかったが、お互いの遠恋状況を自慢しあったり、ケニア人の友人の結婚披露宴に一緒に参加したりして異性の友人関係を穏当に維持していた。

 奥さんのHちゃんの方は私たちが勤務してた町から120キロばかし南の町で勤務していた。そんでHちゃんはマルコと同期隊員だった。(注:協力隊は年に三回派遣される。それぞれ1次隊2次隊3次隊と呼ばれる。たとえば「平成14年度2次隊」とかって感じで300人くらいがグルーピングされ、2箇所(現在は3箇所)の訓練所で三ヶ月弱の訓練を受けてその後それぞれの国に送られる。同じ国に行く同期隊員は結構な絆で結ばれる運命)

 Hちゃんはマルコの任地に最初はマルコのところに遊びに来ていたが、なんだかそのうちN君と付き合い始めた。N君は異国にいる恋人との板ばさみになって、しばらく悩んでいた。でもそのうち吹っ切れたようで、異国の恋人とはさよならして、Hちゃんと楽しく付き合い始めた。

 マルコ的には一番仲のいい男友達と女友達がカップルになってしまったわけで、実質的には仲人なんではあるが、なんだか寂しかったのを覚えている。あと遠恋がはかなく散っていくのを目の前でじっくり観察したのはなんと言うか切なくも興味深い体験だった。

 まあそんなこともあったが二人はマルコと似たようなタイミングで帰国し、めでたく結婚し、マルコは結婚式に招待されスピーチなんかもした。

 N君は実家のものすごい山奥のほうの建設会社で、N君はその跡取として故郷へ帰っていった。Hちゃんはためらいもなく、ついていった。都会生まれの元パタンナーでオートクチュールの製作なんかに勤しんでいたHちゃんにはなんだかびっくりな環境への嫁入りだったんではないかと思う。なにしろN君の暮らす集落には小学校までしかないので、子どもたちは中学校になるとみんな親元を離れて、中学校がある比較的大きい集落に下宿するという。

 結婚式と今度の再会も含めてHちゃん・N君夫妻に会うのは帰国後、三度目なのだが、Hちゃんの口からまるっきりの夫陣営の中での田舎暮らしの不満を聞いた事がない。お舅さんもお姑さんもN君の4人の女姉妹(N君は5人兄弟の唯一の男のコ)も「とってもやさしくしてくれるの〜、だからいつも寝坊しちゃうの〜」とマイペースだった。
 昨年お姑さん(N君の母上)が亡くなり、建設会社の経理は近在に住むN君のお姉さんが担当して、兼業で行ってきた民宿経営はHちゃんが担うことになったという。

 子どもも3人出来て、昨日の法隆寺境内での再会ではうちの娘2人を合わせて5人の子どもが大集合したわけだ。

 えらいなあ、Hちゃん。としみじみ思った。アフリカにいた頃はそんなに思わなかったけど(失礼)。Hちゃんがあのころのわりとかわいい雰囲気のまんま3人の子どもを育てながら民宿の若女将をして、そんな自分をとっても楽しんでいる。

「私たちってばアフリカでとんがってた割にはこんなに遺伝子のコピーを大量にしちゃってさー。」

 と法隆寺の渋い風景をバックにHちゃんは「がはは」と笑った。



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法輪寺でエスパー - 2005年01月22日(土)

 職業欄はエスパーという本を買ったので1日読んでる。

 昼過ぎにみんなで法輪寺に散歩に行ったのだが、そこで子どもらとあめでおさんが遊んでいる時もベンチに座って読んでいた。

 作者の森達也はあのオウム真理教事件で日本全国マスヒステリー状態に陥ってる時に、もうひとつのオウム像を描いたドキュメンタリー作家だ。あの折の作品「A」も日本国内では上映の場がなくベルリンのドキュメンタリー映画祭で賞を受賞して日本に凱旋してきたんだった。1つの社会正義に集団的に陥ってしまう日本社会の世論形成のやばさがすごくうまくえがかれていたと思う。

 今回も超能力を、信じる/信じない2元論のどちらの立場にもたたず、ただそこにあること、つまり、超能力という日々を生きる3人の中年男の日常が淡々とえがかれる。そうすることでこれまで肯定派と否定派からしか語られなかった「超能力」がなんだか良くわからないけどもわもわと曖昧で、テレビ的演出にはそぐわない、とても主観的な現象として捉えられる。

 能動的に信じているわけでも、信じていないわけでもないが、そこにいる人々が主張する彼らの異質性を自然体で受け入れている感じ。

 世の中とかく白黒つけたがる。敵か味方か。聖か邪か。本物かまがい物か。そしてその白黒枠にしたがって両陣営に世論が収斂されていく。ホントは白と黒の間には大きないろんな濃淡の灰色ゾーンがあるはずなのに。マスコミとそれを頭から信じる世間が白と黒の間に明確な線引きをしていく。線を引くことで濃淡の豊かな世界はいっきに平板になる。世界は多様で沢山の異端と共存していることを、線を引くことでみえなくさせている。それが異端やマイノリティにとって、とても生き難い世の中を作り出しているのかな、なぞと思った。

 




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雪だるまパン - 2005年01月21日(金)



今日は午後から出かける予定があって出かけた。お昼ご飯はJR法隆寺駅前のパン屋さん「小麦」で買って、行きの電車の中で済ませた。「小麦」が冬の間だけ限定で売る「雪だるまパン」があったのでそれを買う。

稲田堤から当地に引っ越してきて、すぐにやってきた2002年の冬、私たち家族は雪だるまパンばかり食べていた。1号は新しい環境になじめず、毎日爆発しそうになり(時々実際、爆発し)ながら生きていた。私も三月の博士課程の入試を前になんだか宙ぶらりんに生きていた。夕方7時頃、一人だけ社会と上手いことやってるあめでおさんが駅から「これから帰るけど何かいるものない?」と電話をかけてくる。そんなとき1号さんは必ず「雪だるまパンを買ってきて」といった。夕食後しばらくテレビを見たりお風呂に入ったりした後、3人で雪だるまパンを食べた。ハイジに出てくるような白パンで、雪だるまの形をしている。上の丸い部分にチョコクリームが下の丸い部分にカスタードクリームが入り目や手の部分が小枝チョコで出来ている。

何を話すわけでもないけれど、ただ3人で黙々とパンを食べた。見えないあしたに向かう、勇気というか、「よっこらしょ」という勢いをそこから得るように黙々と食べた。まだおKさんは離乳食が進んでいなくて白いパンの部分を時々小さくちぎって与えたりしたような気もする。

春になると雪だるまパンを「小麦」は売らなくなる。その頃にはなんとか1号も保育園でのポジションを築き、私も進学を決め、パートタイムの講師の職も得ることが出来た。それから今年は二回目の冬だ。

今日久しぶりに大和路快速の中で雪だるまパンを食べながら、去年の冬も今年の冬も私たち家族はもう3人で雪だるまパンを黙々と食べてあしたに向かっていく力を涵養しなくても、それぞれに日常を転がしていけるようになったんだな、と思い至り、なんとなくしみじみとした。






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瀬戸大橋を望む - 2005年01月19日(水)


 先週から懸案になっていたインタビュー調査が大仏さまのご加護でなんとか終了。達成度としては期待値の45%くらいだがラポール(話者との信頼関係)の形成という点では、まずひとつの関門を越えた。1つだけいえるのは春に予定していた学会発表を秋にしてよかったな〜ということ。これは長丁場になりそうな予感(涙目)。

 インタビューは神戸のかなり先の海岸地帯で行ったので、瀬戸内海に向かって伸びていく巨大な瀬戸大橋なんかが見たりした。初見である。想像してたよりかなり巨大。
 
 帰途、車窓から「須磨の海」なんかを見る。光源氏は京都からここまで流されてきて嵐に遭って「もーたまらん」と思ったり、明石の君と出会ってフォーリンラブしてしまったのねー。わたしなんて奈良から通学定期+300円で見れるのよーと源氏に自慢しながら快速に揺られる。

 まあでも当時は新快速もなかったしね。

 まだお昼を少し過ぎただけだったので、途中駅で降りて、自分の研究室に行く。年明けてから初見参であった。


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聖域の裏側 - 2005年01月17日(月)



週の頭、月曜日です。しかし週末二日間びっちりセンター試験の試験官をやったあめでおさんは身も心もフラフラで、午前中だけお休みすることにしたそうです。また土曜日相変わらずフィールドワークに勤しんだマルコも本日はファミリーの掟に従い代休とって子らと過ごす日でございます。そんなこともあり、今日はかねてから交流したい〜と希望していた郷土史家の奥さんと文化人類学者のだんなさんご夫婦とその愛娘Mちゃん@一歳児を拙宅にご招待いたしました。

どこでどうやって知り合ったかは秘密です。書いちゃうと先様の身元がばればれなので。

保育園を休んだおKさんはお客さんのMちゃんに大興奮。またおKさんは全然人見知りしないお子さんなのでMちゃん父母にも全身でアタックして遊んでもらってました。知らない人を見ると固まってしまう姉一号とはやはり別キャラなおKさん。こんなご時世ですから簡単に誘拐されそうでマルコ、あめでお、そしてお客さんまでおKさんの将来の身の安全を案じてしまいました。

そんでですね今日の収穫はなんと言っても郷土史家のMちゃん母から語られた「法隆寺のダークサイド」でございましょうか。なんとなくマルコやあめでおさんの法隆寺へのスタンスは「リスペクト」で統一してたんですが、そうだよね人が生きて生活してたら、いろんな裏側が生じて当然だよね。うんうん。マルコもあめでおさんも大興奮で聞いてしまいました、法隆寺の裏面史。

しかし、その裏側の具体的な話はやば過ぎてネット空間では出来ないのが残念ですわ。でもね、法隆寺へのまなざしが「旅人の視点」から「生活者の視点」へ移動したコペルニクス的な一日だったとだけ申し上げておきましょう。

あ〜なんかそう言う郷土史関係の民俗調査やりたくなってしまったよ。こんなに日民(日本民俗学)的遺伝子が燃えるのは、修士課程時代に土浦市博の委託でやった霞ヶ浦の漁法の変遷調査以来だな。Mちゃん母の助手に雇っていただきたい〜。まあでも今は目の前のD論なので、あの、5年後くらいに、めでたくPh.Dホルダーになったらお願いします。ってそんな日が本当に来るのかNobody knowsなんですが。  



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ともだちいっぱい - 2005年01月15日(土)


さて土曜日。本日マルコは神戸の先までフィールドワークに出る日ですが、あめでおさんが珍しく休日出勤なので、1号さんをフィールド先に連れていくことにしました。おKさんは王寺駅のステーション保育園(黎明保育園分室)に一時保育していただきました。王寺のステーション保育園、結構優れものです。おKさんのいつも行ってる保育園は土曜日は午前中しか預かっていただけないせいもあり、同じ保育園のお友達も何人か一時保育されていました。なんか病時や休日出勤のたびに両実家を酷使していた稲田堤時代にくらべて、も〜保育サービスは使いまくりです。保育サービス経験値が急上昇の私ども@奈良暮らしでございます。

1号さんは年末にサンタさんに記帳してもらった例の「ともだちいっぱいノート」を神戸まで持参し、フィールド先のNGOで学生ボランティアやいろんな国籍の子どもらにいろいろ書いてもらってました。中でもベトナム籍のAちゃん(6年生)のコメントは秀逸でした。

「1号、しっかり勉強しろよ。足し算と引き算が出来れば人生なんとかなるからな。」

かっこいいです。しかしこのコメントを1号担任の先生に見せるのはちょっと勇気が要るけど、まあ、いいか。ちなみにこのコメントをしてくれたAちゃんは凄い頭の良い子で足し算と引き算だけじゃなくって鶴亀算もどんと来やがれな子です。なんつうか機微のわかった、周囲をはらはらさせるギャグをかますのが上手ですな>Aちゃん。



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血の絆 - 2005年01月13日(木)

 年末に会った実家兄が「よん様に似ている」と生徒に言われたとかで大変気を良くしている、と義姉が爆笑しながら教えてくれた。妹から率直に言わせていただくと、全然似てない

 しかしこれはマルコ的にはこの兄との強固な血のつながりをかんじさせていただくエピソードであった。

 マルコも実母エルザさんと掲示板最重鎮の1人ダイヤさんに「小雪」に似ているといわれ大変気をよくして、専門学校の教壇で「そういわれちゃった〜。」と口走り学生諸君を500メートルほどひかせてしまった。

 すいません。2度といいません。そしてほんとに似ていません。私が似ているのは「般若」さんだけです。




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網の中の魚 - 2005年01月12日(水)

 土曜に東大寺に行ったとき、二月堂でおみくじを引くと「凶」が出た。正月から100円払って凶かい!と魂が小さくシャウトした。「今は網にかかった魚のごとくじたばたしても状況は絡まるばかり、仏を信じて精進すれば春には良い兆しとなるでしょう。」とのご託宣をいただく。さよか。仏を信じて精進すれば何とかなるのか。ありがたいことである。

 本日、進行中の研究でキーパーソンになる(はずの)人とのインタビューをドタキャンされてしまった。なんとなくおみくじの文言が頭をよぎるがここは春が巡りくることを信じよう。ドタキャンしてくださった方がキリスト教関係者だったのこともあり、東大寺のおみくじは「大仏さんが私には付いてるで〜」となんだか意味もなく気分を大きくする作用がある。まあなんとかなるでしょう。

 さて私と一緒におみくじを引いた1号さんは「吉」なんだけど「一見うまく進んでいる物事も実は裏から崩れかけつつある」なんてことが書いてあってどっちが凶でどっちが吉か簡単にはいえない複雑系な現代の世相が仄見えるおみくじの文言である。

 1号さん、裏から崩れずに今年も張り切っていってください。まあ、吉でも凶でも何とかなるので大船に乗ってましょ〜。どうせ網の中だし。


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雪宿り - 2005年01月08日(土)

 1号さん喘息定期検診のため奈良市の興福寺下のかかりつけ医に参りました。そんで病院を午前中で済ませ、そのへんの食べ物屋さんで適当に昼ご飯を済ませたのち、鹿嫌いの娘らをいかに奈良公園内に引き入れるかあめでおさん、またも画策。「奈良お寺カルトクイズ」をしながら奈良女の正門前のあたりをそぞろあるきます。「東大寺で一番古い建物は?」というカルトなクイズを出し、「三月堂とて転害門」という誰も応えられない答をしたり顔であめでおさんがお答えになったその後、「おおあそこにみえるのは??」とあめでおさんが指差すとそこには先ほど誰も答えられなかったクイズの正答の「転害門」が!

 そんな(べたな)わけでまんまと転害門から子どもらを東大寺に導きいれることに成功いたしました。




 コレが問題の転害門ですわ。東大寺は平清盛に燃やされちゃったりして結構天平建築が残ってないのです。そんなわけでこの門は貴重な奈良時代の建築物ざんす。




さらに奥にはいると、まるで屋根のように枝を広げたドンの木(どんぐりを生産する木)がありその下はどうも鹿の根城らしくドンの実と鹿の糞が渾然一体となって敷き詰められていました。おKさん、ドンの実と鹿の糞を間違えて拾ってはなりません。つうか、ここでは何も拾ってはなりませんんっ。



 もっと奥へ進むと、ここは東大寺の大仏殿の裏の東大寺講堂跡。




 講堂跡を散歩しているとにわかに雪が激しく降ってきたので、雪を避け最も近くの建物へと逃げ込みます。その建物とは世界最大の木造建築の東大寺大仏殿でした〜。




はい、大変馴染み深い大仏ショット。



 お約束の大仏様の鼻の穴くぐり。慎み深い1号さんはこういう積極性を要する遊びはあんまり得意でなくやっとこの前、鼻の穴をくぐれるようになったばかりです。今回も1回おずおずとくぐっただけで「もう、ええわ。」と満足なさってました。が、おKさん@前のめりに生きる女は今回はじめて挑戦したんですが、物凄いこの鼻の穴くぐりが気に入り、何度もトライしておられました。1度くぐって、もう良かろうと父母と姉が先に進んでいるのに1人鼻の穴まで引き返し列に並び穴をくぐる、という熱心さ。今年も何事にも頭から飛び込んでください>おKさん。




 そんで、雪もやんだので大仏殿を後にし、「NHKいく年来る年」でおなじみの鐘楼の下をくぐって二月堂三月堂エリアに。




 今日奈良に引っ越してきてはじめて三月堂に入って、月光・日光菩薩などを拝ませていただきました。この3月堂の仏を見る空間には仏像好きと思われる人々がゆっくりと座って仏を眺めるスペースがあり、皆さん仏と対話していらっさいます。そんな空間に子連れで乱入してしまい、その子供が「世間虚仮、唯仏是真」とか唱えてしまい失礼してしまいました。

 そんで二月堂に登って、二月堂の先にある無料休憩所でお茶を飲みました。無料休憩所では正月の鏡餅を割って、ビニール袋にいれて参拝者に1人1袋配っていたので4人で4袋いただいて帰りました。




 入江泰吉が写した二月堂下の石畳をてこてこあるいて、国立博物館前のバス停からバスに乗りました。バス停前で売ってた石焼芋をかい、ばくばく食べました。


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舎利はあそこにあるから舎利 - 2005年01月03日(月)

 さて法隆寺では正月3が日、仏さんの舎利をご開帳してくれる「舎利講」が営まれます。この仏舎利は聖徳太子が手に握って生まれてきたものだそうでございます。「何でその手に握ってるものが仏舎利だってわかったの??」というべたな質問もあろうかとは思いますが、まあここは思考停止して「聖徳太子が手に握って生まれてきたありがたい仏舎利」という二重三重に世界びっくり人間なありがたい舎利を拝みに善男善女が集うのであります。




いつもは閉まってる舎利殿もお隣の絵殿も元旦から3日間開放され、見放題です。
そんで舎利が御開陳されるまでお経が結構長いので、舎利殿のある夢殿近くで達磨さんが転んだをしながらその瞬間を待ちます。

 御開陳される瞬間、寺男さんや寺女(?っていうのか?お寺の中のお掃除をしてくれてる人々)さんのなかのマニアな方がたが「そろそれだわ。」と集ってきます。わたしたちも去年見ているので大体のタイミングはわかります。開陳された仏舎利を見に舎利殿の中にちょっこり入ってその「モノ」を見せていただきました。




 さすがに中は撮影禁止なので、法要が終わったあと、参拝客と一緒に出てきたお坊さんを激写。




 今年はお正月中に1号さんの歯が抜けてあめでおさんが「おおこの1号の歯と舎利講ででてくる仏舎利をすり替えよう」なんて罰あたりな発言をしていましたが、1号さんが冷静に「すり替えてきた仏舎利はどうするの?おうちに置いとくの?」と質問なさいました。ほんと仏舎利なんか、うちに持ってきても困ります。それは法隆寺にあるからこそ光り輝くのです。在るべきところにあるから物事は光り輝くのですわね。それを人は秩序と呼ぶのでしょうな。


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嫁の堪忍 - 2005年01月02日(日)

 12月29日に斑鳩を発って以来、5日間。ついに長きに渡ったマルコあめでお両実家への帰省(またの名を顔見世興行)も最終日を迎えた。
 
日程的には
12月29日〜30日 熱海泊(マルコ両親と兄一家で宴会)
同 30日〜1月1日(あめでお実家で興行:於三鷹)
1月1日〜2日(マルコ実家で興行:於目白)

 ってなかんじの日程でござった。まあ義理の親と顔を突き合せるのはそれなりにしんどいことなので、平等に2泊ずつ日程を組んで、しかも交互にそれぞれの家族と交流をもつというスケジュールにした。夫がマルコ実家両親に尽くしてくれれば、マルコもめんどくさがってないで嫁業を勤めようという気にもなるし、マルコが楽しくあめでお実家を盛り上げれば、あめでおさんもマルコ実家で意味不明なギャグのひとつも飛ばしてやろうという気にもなるというもの。それぞれの義理の親への興行努力を鼓舞するようなにくい仕掛けの年末年始大移動であった。

 まあそんなわけで、大過なく凄し、あめでおさん実家でも細かいことを言い立てなければマルコなりに楽しい日々を過ごした。ちょっと笑顔が顔に張り付いたような気もするが。

 そして、本日、朝割りと早い新幹線で帰ることにし、マルコ実家を朝9時に出て電車に乗った。家族4人水入らずで電車で座席に座ると「おつかれさまでございました。」「いやいやそちらこそおつかれさまでございました。」と無事の興行終了を寿ぎあう、マルコとあめでお。

 新幹線乗り場には帰省帰りと思われる人々で微妙な込み具合。子連れの人も多く、そこはかとない疲労感と開放感を漂わせる人々に「おつかれさん、おつかれさん。皆さん顔見世興行お疲れ様」と心でエールを送りあう。

、、そんな気分の東京駅新幹線乗り場に!

 あめでお母上が登場したのである〜。

 「会えるかどうかわからなかったけど、大体の新幹線の出発時間はきいてたから最後にお見送りしたくって」

 あめでお母上は決して悪い人ではない。姑としてはなかなか出来た種類の人だと思う。しかしこの登場はいかん。人はいったん弛緩してしまうと再び気を張るのがすごく難しい生き物なのだ。嫁仮面をさっき送った宅急便の中に入れてしまったのでもう愛想笑いは出来ません〜ってかんじで出発までの短い時間を窓の外みて過ごすマルコであった。


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無事でいて欲しいと思うこと - 2005年01月01日(土)

 さて新年。

 あけましておめでとうなのだが、スマトラ沖地震とその後の津波で物凄い世界が大揺れの中であけた今年である。スリランカに青年海外協力隊の村落普及員として赴任していた東京時代の専門学校の教え子は大丈夫か。今年卒業する現教え子がモルジブのホテルの自然観察ガイドとしての就職を決めており、年内から研修をかねてモルジブに行っていたのだがその子は大丈夫なのか。「今成田にいますコレからインドに向かいます」と年賀状をくれたSさんは大丈夫なのか。年内から結構心はチヂに乱れていた。

 日本人被害者の名前が出るたびにあの人の名前ではないかとはっとした。違う名前でほっとするたびにその人の関係者は今どんな思いでいるのか、私がほっとした心の分だけ引き裂かれる思いの人がいるのだと思い至る。

 日本人被害者も在日外国人の被害者もまだまだ増える様子。また生活基盤を破壊されてしまった被害国の人々の今後の暮らしを考えると胸が痛い。こんな未曾有の地球規模の大難を前にイラクで緊急性のない戦争を起こし、国際社会の支援力を費やさせたブッシュのばかばかと今更ながら怒りが湧く。

 ときにこんなページをご紹介スマトラ沖地震と津波関連の緊急支援NGOサイト集

 たくさんのNGOが紹介されている。マルコが現在支援しようか考えているのは最初の数ヶ月の初動のライフライン確保などの支援のだったら、岡山のAMDA、東京のピースウィンズジャパン。長期的な復興支援だったらシャプラニールかワールドビジョンジャパンのどちらか。他の団体もなかなか渋い活動をしているのでHPを読み比べてこの活動を支援したいと思った人が選択して多様な団体を支援するとよいと思う。



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