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指輪物語関連ファイル

YUKI


2002年04月30日(火)
 <CD>『ロードオブザリング』サントラ盤(国内盤)


近所のお店では輸入版か品切れで、国内盤を買ってきました。
CDをパソコンに入れると、シークレットHPにつながるという特典つき。
でも、特に未公開の画像があるわけでなし、情報があるわけでもなし、
いったいこれのどこが特典なんだろう?と思いました。見方が足りないのかな?
6種類あるカードは、ビルボがでました。ああ、アラゴルンかガンダルフが欲しい・・・
でも、カードのためにCDを大人買いするやつはいないだろう・・多分。
(輸入盤の限定版にはカードが全種類ついてるんだって。アマゾンで買うと
国内盤とほとんど同じ値段)

サントラは、音楽を聞いて、映画の画面を頭の中に思い浮かべるという聞き方。
何もしらないうちのチビが「黒い乗り手」の音楽を聞いて、
「追いかけられて、殺せ殺せ!って言われてるみたい」と言い、シャイアのBGMでは
「のんびりしてる場面だけど、死んだ人を思い出してるような気もする」
とコメントしておりました。良くも悪くも、わかりやすいということかしら。


2002年04月29日(月)
 <本>『ホビットの冒険』岩波少年文庫


中学生の頃に確か一度読んだはずだけれど、すっかり中身は忘れていた。
トロルのところと、ゴクリの存在はおぼろげながら覚えている。
これを読んで、指輪物語の第一巻を図書館から借りて
1ヶ月も抱えていたのに、ついに最初の50ページほとが読めずに
あの世界に入れなかった。そして今ごろはまっている。

『ホビットの冒険』はとてもよくできた物語だけれど、
串団子のように冒険が続く部分と、叙事詩的な五軍の戦の部分が
ずいぶん趣きが違うように思った。
それは執筆当時の世界大戦という世相や、後に書かれた『指輪物語』への
構想が広がったということの影響だろうか。
子供向けのお話として終わるならば、ビルボが最後に調停役を果たして
めでたしめでたしとした方がまとまりは良いように思う。
そこへゴブリンとの戦いと死人占い師という要素が入ってくる。
戦いが終わりめでたしめでたしとなっても、死んでしまった人たちは帰らない。
お話を聞いた子供達は、そのほうが、共感できたのだろうか?

ビルボもドワーフ族もエルフ族も、どこか頑固で、簡単に良い人に
なったりしないところがおもしろかった。
だからこそ、最後の最後で本当に正しいことは何か本能的に
理解して行動するビルボの良さが際立ってくる。
ビルボ自身もものすごく立派というわけではないんだけど
大事なところははずさない。

ガンダルフは助けてくれるんだかなんだかわからない妙なポジションにいる。
肝心な時にいなくて、必要な時には戻ってきている。
そして、ちょっと用事があってな、とか言いながら、中つ国のどこかで
大事な仕事をしているらしい。
指輪の登場人物はほかはエルロンドが出てくるが、エージェントスミスのイメージが
ちらついて笑ってしまった。ドワーフのバーリンに涙。

『ロード・オブ・ザ・リング』の冒頭部分と呼応しているところがたくさんあるので
今度映画を見るときにはまた違った味わい方ができるだろう。
ドラゴンの花火はどう考えても、竜のスマウグだし。
楽しかった。


2002年04月28日(日)
 <ビデオ>アニメ 『指輪物語』


爆死。ではなくてバクシ版『指輪物語』
いろいろと噂は聞いていたけれども、これほどまでとは思わなかった未完成品。
あんまりかっこ良くないアラゴルンと、バイキングのようなボロミアが悲しい。
つけまつげバサバサのガラドリエルとか〜

しかし公平に見るなら前半一時間くらいはまじめに作ってあった。
短いシーンで必要不可欠な情報を入れることでは、
今上映中の映画よりも上手なところも多い。
最初の脚本はしっかりしていたんだろう。声優の人も上手。
それがこうなってしまうまでには、いろんなことがあったんだろうなあ。

実写とアニメの合成が中途半端で違和感がある。
背景がオレンジ色や青色に変わるのが安っぽいが
ずーっと昔、テレビで外国映画とかドラマを見ていると
そういうのを多用している時代があったような気がする。
そういうのを見ると子ども心に、「つらく重苦しい」空気でどんよりしたものだが
その時の気持ちを思い出してしまった。

歌って踊るホビットや、頑固な忠義者のサムと
ピピンとメリーはこちらの方が原作に近い。
前半部分の演出は、今の映画もかなり影響されている感じがした。
脚本はそのままなぞることはできなかったのかも。

今の技術で、アラン・リーとジョン・ハウの美術で再映画化されたのは、
原作にとっても、ファンにとっても、このアニメにとっても
幸運なことだったと思わずにはいられない。


2002年04月27日(土)
 <本>『指輪物語7』追補編


岩波少年文庫の『ホビットの冒険』を再読しつつ、
立ち寄った本屋でハードカバーの『指輪物語7』追補編を買い
(なぜ文庫に入っていないんだ。揃わないぢゃないか。
 きっと索引の編集が間に合わなかったんだろうけど)
アラゴルンと旅の仲間についての記述を拾い読みした。
ホビットもそうだが、この本の内容も映画の中に反映されている。
読めば読むほど情報量が増えていくので、また見に行きたくなって困る。

(ややネタバレ)
アラゴルンの生い立ちから死まで。
王冠と王錫を身につけることの意味について知ると
王の帰還の大団円の描写の場面をまた違った意味でながめることになる。
旅の仲間達はみな一人になることなく、アラゴルンの横には二人の友が眠り、
西の国にあとから行く友もいる。
アルウェン姫の話が一番哀しいのだけれど、
もしや映画にリブ・タイラーを起用したのは、あんまりはかなげな姫にすると
見るだけで涙してしまうからかしらん。
地図とかCDとかDVDとかシルマリルとかイラスト集とかカレンダーとか
いくらでも時間をつぎこめるものに、はまってしまったのは
幸せなのか不幸せなのか?苦苦苦。

そして、ネットでいろんなサイトをあさり、ダウンロードした次回作予告編を
何回もリロードし、おまけのCD−ROMを再生して時間をつぶしているのである。
ガンダルフを演じたサー・イアン・マッケランの公式HPに
映画を撮っている時の日記が載っている。これがとてもおもしろい。

The Grey Book
209.240.152.182/mckellen/cinema/lotr/journal.htm

クリストファーリーの公式HPにそういう撮影日誌みたいなものはないようだが
トールキンファンの署名運動の話が載っていて笑った。
PJは、リーに敬意を表したのか、サルマンの最後を派手に演出しようとしているらしいのだが、
ファンの皆さまは、「お願いだから原作どおりに作って下さい。撮りなおしてください」
と言って署名を集めているらしい。

The Lord of the Rings A Better End to Saruman Petition
www.petitiononline.com/lotrfans/petition.html


2002年04月24日(水)
 奈落の底へまっしぐら


いったい何をやっているんでしょう。また映画を見てきました。
さすがにもう映画は見なくていいわ。・・・とりあえず今週はね・・・
何度見ても飽きないのは、おじさん達の顔と声。本当にすばらしい。
ガンダルフのサー・イアン・マッケラン
サルマンのクリストファー・リー
ビルボのサー・イアン・ホルム
中堅どころのアラゴルンもボロミアもギムリも素敵。
主人公のフロドはあの目で見つめられるとそれだけでOKだし。
若い人たちは第二作以降でどんなふうに変わるかが楽しみ。
サムもメリーもピピンも、これからが本当の演じどころ。
そんななかでレゴラスが不思議なポジションだった。
素顔のモヒカンのにーちゃん姿を見たのがいけなかったのだろうか。
ものすごく整った顔立ちだが深みというものはない。
きっとこの先もあのまんまだろう。
それでも楽々と歩くあの姿や、すらっとした手足とか
画面に出てくるだけで華やかになる。
それこそがエルフというものを表しているのかもね。

二つの塔の予告編も、二度見たけれど、いろいろと興味深い。
一度見ただけでは把握しきれないほど、情報量が多い。
またしても字幕が重大な誤訳を含んでいるそうだ。何とかならないだろうか。


2002年04月23日(火)
 <映画>『ロード・オブ・ザ・リング』(字幕)+予告


わはは、またしてもレイトショーで見てきました。来年の『二つの塔』予告付き。
今回は、ひたすらガンダルフの顔のシワを鑑賞してきました。
なんだかだんだん本筋を離れた見方になってきてますな。
ガンダルフに違和感を感じたと以前書きましたけれど、もうそんなことは言いません。
くるくると表情が変わって、お茶目だったり、悲しそうだったり、威厳があったり。
私、このおじさん好きだわ。
サルマンも、クリストファー・リーの声はいいなあと、
塔の上で呪文を唱えるサルマンに見惚れてしまいました。

三回目にして、やっとボロミアの話と、アラゴルンの話が
ストーリーの要になっているということがはっきりわかりました。
ボロミアは人間的な弱さに負けて、アラゴルンはご先祖の弱さに勝った。
裂け谷でのふたりの出会いから、周到に伏線がはってありました。
「・・・then you did what I could not・・・」
だからボロミアのこのセリフは「恥ずかしい」なんて訳しちゃだめなのよね。
「それではあなたは、私のできなかったことをした。」と、ボロミアがアラゴルンを認めて
「my brother, my captain, my king」と続くわけですね。
うーん。ボロミアとアラゴルンも好きだ。ヴィゴの目って、少しあぶないところがいいわね。

次回作の予告編はネットでダウンロードしたものより、画面が鮮明で
木のひげとゴラムの姿がちらっと映りました。
アラゴルンに切りかかっている金髪の女の子はエオウィン姫だろうか。
この子はけっこうかわいかった。
ファラミアはちゃんとボロミアに似ているわ。
セオデン王はやっぱり渋いおじさんでした。
白い人がむちゃくちゃかっこよかったです。
ひょっとすると、この映画のストーリーの柱は
アラゴルンの王としての物語かもしれません。
ちょっと気になるナレーションが入っていたので。

あとは小ネタですが、ブリー村で村人演じるPJを発見。
踊る子馬亭に4人が入る直前にちらっと映ります。
アラン・リーはどういう顔をしているか知らないのでわからなかった。
石化したトロルがいるという噂ですが、それも未確認。
メリーとピピンはなんとなく区別がつくようになりました。

ホビットたちは本当の危機に出会うと、最後の最後に
ものすごく勇敢になるのですが、そのへんもしっかり描かれていて
今後の彼らの活躍が楽しみになりました。


2002年04月17日(水)
 <映画>『ロード・オブ・ザ・リング』(字幕版)


二回目を見に行きました。
吹き替え版を最初に見て、原作を全部読んで、関連サイトを熟読して
満を持しての二回目。・・・・おもしろかったです。

最初のホビット庄の風景で、涙がでそうになりました。
この風景のためにフロドは旅をしたんだなと。
そして画面の隅々に目をこらして映画を見ました。
ガンダルフは二度ウィンクをします。どことどこでしょう。
ロリエンの森を出たところでエルフのマントとエルフのブローチを確認。
旅の仲間全員が同じ葉っぱの形のブローチをつけていてかわいい。
レゴラスの弓が変わっているところ。
サムが鍋で敵の頭をなぐっているところ。
アラゴルンがボロミアの篭手を身につけているところ。
レゴラスは雪の上をするすると歩いているところ。(ごぼっていない)
ボロミアの角笛がもう少しなんとかならないかというところ。

できるだけ原作に忠実にしようとするあまり、それぞれのカットに
情報量が多すぎて、最初に見たときはずいぶん見落としていたようです。
裂け谷に各種族が集まる時に、それぞれワンカット割り当ててあるとか、
ギムリが最初はエルフに対して敵意を剥き出しにしているところとか。
そして、物語は後半ほとんど、ボロミアの物語を描くことに集中しています。
ボロミアに注目して見ると、いろいろと伏線がはってある。
字幕がそれを考慮していないのが残念。

今回、アラゴルンとボロミアの見分けはばっちりだったわ。
メリーとピピンはまだわからなかった・・・・
ゴラム(ゴクリ)の「マイ、プレシャ〜〜ス」が哀れをさそいました。
ゴラムが「シャイア」「バギンズ」と言ったことで、黒の騎士達が
出発する・・・なんて一回目じゃ気がつきもしなかった。
指輪は常に、誘惑の言葉を低い言葉でつぶやいているようでした。
刻まれた文字の言葉のこともあれば、誘惑しようとする相手の名前の時もありました。
心の声、実際の声、マンガのネームのようにフキダシ部分と地の文が
使い分けされているのを、もう少しなんとか伝えてくれたらよかったな。

戸田奈津子氏の字幕について。
いろいろなサイトで話題になっているように、
字幕は後半部分のアラゴルンとボロミアのセリフについて不備があるようです。
それでも、普通の映画の字幕並みの役割は果たしているかも。
普通の映画だったら、字幕にそんなに多くのものは求めない。
適宜自分で補って、画面の情報を中心に見ていくので。
指輪の用語や世界観を理解した上でなんて言わないから
ボロミアの人物造形だけしっかりやってほしかったなあ・・・

エルフ族のキャスティングがレゴラス以外はまるで私の趣味でないのを再確認し、
オークやウルクハイはちょっと切り離して見てしまったんですが
9人の旅の仲間はみんな好きだなあと思いました。
実は一回目の時、ガンダルフとサルマンに、一番違和感を感じていたのだけれど、
ガンダルフはよく見ると適役かもと思いました。
だって、ウィンクするんだもん。かわいいんだもん。
もう少しカリスマ性があるといいんですけど。
クリストファーリー御大は本当はガンダルフを希望されていたそうだけど
ちょっとちがうかなと思う。

監督は女の人があまり好きではないのかしら。
美人の基準がどうも普通とは違うみたい。
でも、エルフや女の人があまりきれいじゃないので、
旅の仲間に観客の目は集中する・・・という効果をねらったのかな?
私は、フロドにイライジャ・ウッドを起用したことがすごいと思いました。
フロドは何もできないし、力もないし、本当に小さい人なんだけど、
そういう人物に全ての運命を託すというお話に
イライジャの大きな青い目は説得力を与えています。
あれは悲劇のヒロインの目だと思いました。
だからアラゴルンはいつもフロドを助けているし
ガンダルフは彼を守り、サムはひたすらついて行く。
そしてフロドはにっこり笑ってこう言うの。
「君がいてくれてうれしいよ。」
そして騎士は姫君の前にひざまずく・・・
(あれれ?)

もう一回くらい見てもいいかも。


2002年04月14日(日)
 <本>『指輪物語 王の帰還』 by トールキン


実家に帰って、何も手伝わずに座敷の布団に寝っころがって
最後の二冊を読了しました。
冥王サウロンとは何者だったのか?
それは生身の人物なのか?
ということは明らかにはされないまま、クライマックスに至るまでの
戦いの激しさと旅の仲間達にふりかかる危機の大きさが
フロドとサムの背負った重荷の大きさを読者に思い知らせます。
暗くて重い空気の中、時に絶望にとりつかれながら
それでもなすべきことをなす彼らに
物語を越えてこころを寄せる人達がたくさんいる理由が
読んでいてわかりました。
暗闇の中に光るものはいっそう明るく、美しいものはさらに美しく、
平凡な日常はかけがえのない貴重なものとして、心に迫ってくるようでした。
最終巻の半ばで物語りはクライマックスを迎え、そのあとは
戦いの後の、旅の仲間のそれぞれについて、おだやかなエピローグが続きます。
激しい戦いの最中死んでいった人々も、丁重に弔われ、追悼の歌に歌われることによって
彼らの死は無駄ではなく、永遠の命を与えられる・・・ということが
疲れた読者の心にも染み透っていくようでした。
荒らされた故郷もやがて緑に包まれて、子供達の笑い声が響くようになる。
しかし、もうそこには住めない人もいる。
この長い物語も、作品の世界の歴史の中ではほんの一場面で、
物語に先立つ物語があり、物語のあとにも世界は続く。
そういう世界に遊ぶことができるということは
なんて幸せなことでしょう!


2002年04月01日(月)
 <本>『指輪物語 二つの塔』 by トールキン


『旅の仲間』がそもそもの話の始まりと、仲間達の友情の始まりだとしたら、
『二つの塔』は試練の時を描いているのかもしれない。
ばらばらになった彼らは、それぞれが最善を尽くす。
足元にはたくさんの誘惑の罠がある。
誰もが、ぎりぎりのところで選択し、進んでいく。
再会、おもいがけない出会い。ゴクリさえも、善悪の狭間で
与えられた役割を果たしていく。

そして様々なイメージの奔流に押し流されるようにして本を読み終えた。
ストーリーは暗いけれども、その中で光る物がある。
あのシーンもこのシーンも映像になったらさぞ、すごいだろう。
でもまず自分の想像力の中で組み立てることができてよかった。
個人的には死者の沼の場面が心に残った。
既視感があると思うのは、この本にインスパイアされた作品を
どこかで見たことがあるのかな?
誰も知らない場所に、ああいう場所があるような気がしている。
しんと静まり返った谷間にひっそりと。
もしかしたら、25年前に買ったリーのイラスト集に
そういう絵があったのかもしれない。

サム!どうしてこの純朴な庭師にたくさんのファンがいるのか
よーくわかりました。メリーとピピンもね。