unsteady diary
riko



 “児童向け”

最近話題の絵本「いつでも会える」の朗読CDが出るそうで。
ニュースでちょっとだけ公開録音の様子を流していたんだけど、
やっぱり戸田恵子さんはすごいやー。
アンパンマンやらショムニやらで有名な役者さんだけど、
女性役ではなく、男の子訳や、今回の犬であるシロの声も魅力的。
空気が変化するような演技には、ぞくぞくしてしまう。

絵本は今でも好き。
谷川俊太郎さんがイラストに詩をつけている本があって、
買うには至らなかったけど、
本屋でうっとり立ち読みしてしまった。
このひとは、難しい言葉に劣らず、ひらがなだけで書かれた詩も
深くて心に染みることを教えてくれた詩人。
初期の作品は、まだ若くて背伸びしていたからなのか、
わりと文学青年チックな言葉づかいとかが見られるんだけど。
後年の楽しそうな言葉遊びは、やっぱり音読されてこそ
世界観が出るのかなあって思う。

絵本はいまやオトナも読むものとして定着しつつあるけれど、
それでも圧倒的に対象は「女子供」って括られちゃうような気がする。
「いつでも会える」も、“最近では男性のファンもいるそうですよ”という紹介のされ方をしていて、
(それはつまり、絵本はオンナコドモしか読まないものなのに…ってこと?)
と心のなかでちょっと不満をもらしたりして。

私ね、教育番組で育ったんです。
体が弱くて、免疫力がないために、ほとんど外に出られなかった幼稚園時代、
世界と私をつなぐのは、本とNHKの教育番組だけだった。
だからかなあ。
今でも子供向けの教育番組はけっこう好き。
特に、人形劇とか童話の朗読とかは。
このあいだは「鬼太の帽子」(あれ?字がちがうかもしれない)
で泣いたくらい。

でも、ガキっぽいって、幼稚だって、言われちゃうことも多い。
けっこう淋しいんだ、そういうの。
このあいだも祖母の家でロードショーのアニメを
(「耳をすませば」だったかな…この作品すごく好きなんだ〜)
3人居る孫のなかで一番年上の私だけが熱心に見てたので、祖母にぶつぶつ言われちゃった。祖父は穏やかに笑ってたけど、やっぱり同じく幼稚だとは思ってるもよう。
マンガを好きなこと自体、すごく偏見がかった見方をされてる私なので、
好きなんだもん、ってそのときも言い張ったけどね。
否定されるのは慣れてるけど、それでもすこしだけ落ち込んだ。

あれ…話がすごくずれてきた気がする。
要は、童話や絵本やアニメや、そういうものだって立派に表現のひとつだって認めて欲しいなあってこと。
対象を絞らないでもいいんじゃないかな、ということ。
だって、そこにあるのは、子供向け、女性向、大人向け、というくくりじゃなくて、よい作品か、そうでないか、それだけだと思うから。


(追加のつぶやき)

コドモが完全に納得するものごとの説明をするのって実はけっこう難しい。
それはきっと、相手に嘘をつかせない純度の高いオーラみたいなものを出してるイキモノだからかな。
知ってるつもりのことでも、コドモと一緒にいると実は自分も知ってるふりをしてただけだってわかることがある。
一緒に学んでいけるようなものがあったらいいのになあ。
コドモとオトナを分離しないもの。
教育番組とかで、そういうのがつくれたらいいのに。
最近の教育テレビはちょっとまんねりでつまんない。
コドモをバカにしてる気がする。
それはきっと、作り手が、教育番組がコドモの通過点にすぎないと思ってるからだよね。
でもコドモの側にだって、よいものから感じ取って残るものはあるんだよ?
そこを通り過ぎるのが一回だけとは限らないのに、いつまでも10年も前の内容を繰り返していていいのか?
(つまりね、ネタの使いまわしが多いのさ)
なんて思う最近なのだった。

2001年01月31日(水)



 痛みがないゆえの孤独

背景にどんな文章があるのかをはっきりしないまま
独り言を続けるのは、解りにくくてなにか卑怯な気もするのだけど、
呟かせてください。


ふと解ってしまった。
それとも、気づいてしまった?
いま私がなぜ触れ合わないのか。
怖いから。
忙しいから…じゃない。
落ち着いているから、淋しくないからでもない。
ずっとずっと、怖いんだ。
一歩が踏み出せたときの自分の感覚をずっと思い出そうとしている。
なにが違うのか。
なにがわからなくなってしまったのか。

ときどきカキコするわりと明るい自分と。
語りたい言葉は他人に向けるとまるで勢いを失ってしまって、
その伝えられなさに惑う自分と。
融け合わないままで。
双方向の会話のなかだと、書いても答えても、なにか尽きない部分があって。
でもそれは私にとっては望ましいわけではないものだから。
どんどん殻が厚くなっていき。
夏頃までにはきっと、立派な生ゴミになっていそうな予感。


ネットでの付き合いは、痛みが伴わないから楽でいいけど、そのぶん孤独になりがちだから、依存する前にもっとコミュニケーションを考えなくちゃいけない、というある人の痛みのある文章を読んで。
素直にそうだなあって思った。
確かにネットは出会いのきっかけは平等にくれるけど、
その後は自分の姿勢だけ。
賑わっているほど近づけない場所があったりすると。
遠巻きに眺めている。
それがただのスタンスのとり方の違いならいいの。
それが私にとって気持ちよいものならば。
だけど、そうともいえないようで。


透明な壁をつくりだしているのは、私の意識。
ないものを、あるのだと感じる。
近付いて、その手で宙を切って、そこにはなにもないのだと気づかなくちゃいけないのに、透明な壁にカラダをぶつけたくなくて、足踏みをしている自分の姿。
そんな自分は、垂らされる蜘蛛の糸を、実は片っ端から切っていってるような気もする。


透明な壁は、とりあえず自分も相手もクリアに映す。
それはいつもの普通の会話。
ただ体温だけが伝わらない。
表情が見えない。
沈黙の合間のため息が聞こえない。
会話するくらい大きな声は、壁がないかのように届くのだけど、
心のなかでしか聴こえないくらいちいさな呟きは
届かない。
その壁を越えない。


この怖い気持ちは、どこからわきあがるんだろう。
なぜ進めないんだろう。
傷つくのが怖いと思う自分の弱虫さが、また自分を惨めにするだけなのに。
もしかしたら傷つきたいのかもしれないと思う。
それはたぶん、傷ついてでも得たいという気持ちなんだろうと思う。
それができないから、なにかがおかしいような居心地の悪さなのか。


年末、ひとつの思いがあって、冗談じゃ済まされないと消去した…つもりで。
でもまだこのPCのゴミ箱のなかにある、それは。
りょうかさんを経由して、なにかあったときは読んでもらうつもりの文章。
だけど伝えるほどの価値のあることなんてほんとうはなにもないのかもしれない。


ネットは、彷徨うと苦しいものも目に入ってきて
ときどきは、文章に涙が止まらなくなったりもするけど、
もしかしたら。
自然と、なにかの力を借りることで。
ひとりきり、ずっと自分しか見えていないなら、
それが苦しさだってことも気づかないでいたかもしれない
いろんなカタチの気持ちを、掘り起こしてくれる文章に、
こうやって泣かせてもらっているのかもしれない。
とりあえず、気づかないよりは気づくべき…なはずだから…と思い込むよう努力する。




2001年01月30日(火)



 他己分析のメール

大学で一緒にいる友人たちのなかで、唯一就職組の友人Mが、
私に、彼女から見た私の分析結果を送ってくれました。
彼女のゼミは、テニスサークルで就職に詳しくなった友人さんが多くいるらしく、他人同士で分析をするやり方を教わったんだって。
以下は彼女のメールより引用させてもらいました。


>第一印象。
あまりに昔過ぎて覚えてない。しかも短期間にたくさんの人間に
あった時期だったしね。
案外、ミーハーなイメージがあったかな。

>話しているときの印象。
普段は、さておき。
一生懸命ものを伝えようとしている感じ。
自信があるときは強気。自信がないときはおどおどしてる。
おどおどするのって面接ではマイナスポイントになるかもしれない。

>イメージ。
案外よく笑ってる印象。朗らか?

>長所。
人を嫌な気分にさせることは、ないと思われる。和む。
ほんっとーにやらなきゃならないことはやる。

>短所。
もっと自分に自信持ってもいいと思う。
卑屈になりすぎ。あと、自分の身体をもうすこし労らなきゃ。

>合いそうな仕事。
たぶんね、営業とか無理。
何が合うんだろう……。わかんない。

>一緒に仕事がしたいか。その理由。
仕事したいなって思うのは、結構鋭い指摘を期待できそうだから。
でも時々とろさとかに嫌になるかも。しれない。


なんちゅうか、よく解ってる人の分析だなあって思いました。
母に話のネタに教えたところ、はじめはりょうかさんからの分析だと思って聞いていたらしい。
つまりそのくらい、厳しい意見ってことよね。(笑)
もともと、私はこの人に対してずっと会ってからいちばん怯えてきました。
苦手なタイプなんだ、お互い。
彼女はトロい人間が大嫌いで、私は怖い人が苦手。
それでも、お互いの良さもまたよくわかってるので、
なんだかんだ云いながら続いてるし、だんだん好きになってもらえてたらしい。(笑)
わたしのトロさや、要領の悪さ、融通の利かなさをよく知ってるという意味で
この人の意見は素直に受け止めなくちゃいけない。
実際ほんとうによく当たってるし。

しかし、やっぱり突破口はなさそう。
うーん、自分を再確認?

2001年01月28日(日)



 当たるも当たらぬも

昨日、友人が持ってたノンノで一緒にやった占い。
一緒にいた友達もびっくりしたくらい結果が特徴的だった。
それでもね、他のタイプも同じようなことを書いてあるんじゃないかと思って、
チェックしてみたんだけど、似たような記述はほとんどなし。
他のものにはほとんど当てはまらなかったの。

以下、引用。


突出した個性があるわけではないが、皆から好かれます。その原因は、競争よりも共存を好む性格や、人をほっとさせる温和な雰囲気にありそう。どこにいても「きみを見ると和むよ」といわれて、大切にされるお得なタイプです。ただ、素早い動きは苦手なので、スピードを求められると大パニックに。それでも誰かが助けてくれたりするのは、やっぱり人徳?

カジュアルな親しみやすさが魅力のあなたは、自分とは縁がないようなハイソな世界に憧れがち。白馬の王子様よりも近くにいるベストな相手のほうが幸せを運んでくれるはず。微妙にずれてるテンポが逆に魅力になっているタイプ。一人では自分の枠を外せないほうなので、羽目を外させてくれる友達を大切に。人の輪のなかにいるとなぜかモテます。

小動物的な可愛さでモテます。でも子供っぽいので男性には妹扱いされやすい。
自分のことは自分でやるようにして。たまにはいい女系のファッションにもチャレンジを。


たかが占い、されど占い。
性格的なことは、かなり当たっていてびびる。
同性にしかモテないことを除けば、ね。(苦笑)
そして白馬の王子様。
ああ、ある意味やばいほど当たっている…。
小動物的というのは、よく言われるなァ。
サークルの男子に言われて、それはどういうことよ、ととっちめたくなった。
嗚呼、せめて人間になりたいっ。
でも“いい女系ファッション”なんて一生無理そう。
どうせ似合わないからいいんだもん。

ただし。
一番肝心なことは、これが当たっているのは、人間としてはあまり喜べないってことでしょう。
嫌われるよりはいいかもしれないけど、要は手のかかる子供ってことだもんね。

ふう。
偶然とはいえ、占いにまで見抜かれるなんて。

2001年01月27日(土)



 意識が朦朧と…

どうにか後期試験を終えて、ただいまフラフラ状態です。(笑)
気合で意識を保ってますが、そういえばとっくに24時間以上起き続けていますねー。おかげで妙にハイだったり。

それにしても、つくづく論文を書くのって難しいなあと思います。
大学3年末にもなってなにを言ってるんだ、という感じですが。
要約はできる、そして感想程度ならないわけではない。
だけどそれだけではけっしてオリジナリティのある論文にはならないわけで。
今回の課題は、アルフレッド・シュッツという現象社会学者についての1年間の授業を1冊の本に見立ててその書評を書け、というものだったのですが、
批判的な眼差しというのは、まずよほど敵を知らねば出てこないわけで、
結局、論点のボケたものになってしまい、反省。
ああ、力不足が身に沁みるわ。
それでも、授業は興味深かったし、それについての参考文献として読んだものがまた、けっこう面白くてこなれた文章の論文だったので、まあいいや。

テスト後は、大学の友人とひたすらしゃべっていました。
といってもふたりとも睡眠不足で意識が朦朧としているのにもかかわらず
なにか必死でしゃべりつづけて。
たいして意味のあることをしゃべっているわけでもないのだけど
気がついたら3時間以上経ってました。
時間っていうのはほんとうに時計がある限り、
喪われていく感覚から、私は逃げ切れません。
現在ですべてが満たされるなら、
時間が数直線的に意識されずにすむならば、
未来も過去もなく、ただその瞬間を楽しむことが出来るのだろうけど。
なかなか難しいことですね。

2001年01月26日(金)



 やっぱり文は人なりでしょ

シンクロしてやるせなくなってしまう文章もあれば、励まされる強い文章もある。
どちらも揺れるという意味では、大切な刺激なのだけどね。

強い文章に対して、ときどき覚える抵抗感がないのは、
その人が本当に強いからだ。
弱さを知っている人だからだ。

以前も日記に文章を引用させてもらったことのある
私の大好きな役者さんがいる。
彼女はとてもとてもポジティブで、不器用だけどそれさえも笑い飛ばしてがんがん障害物にまっしぐらに走ってゆける人で、あまり関わりのない今でも、たまに気になるくらいには、やっぱり好きだと思う。

昨年5月、私の好きな役者さんが階段から落ちて、そのまま脳挫傷で亡くなった。
まだ40代だった。
信じられなくて。
その声がまだ聴ける気がして。
あまりに大きな存在感に、喪失が判らなかった。
その人のプロ意識みたいなものに惹かれていた。
その声を聴いて育ったと言っても過言ではなかった。
もちろん、演技の質の高さにも。
そして他の誰にも代わりのできない、その独特の魅力に。

彼女はその役者さんを先輩としてとても慕っていて、
その彼にあてた追悼文を読んだのだけど。
本当に好きだったとわかるのに、
伝わってくるのはやっぱり負けないんだっていう強い意志なんだ。
それから、彼女の目を通しての故人の姿がよりいっそう鮮明になって、
ますます好きだなあって思うようになった。

文章だけじゃ人柄はわかりゃしない、文なんて訓練次第だと、どこぞの論文の神様だかの著作を立読みしたら、書いてあった。
でもやっぱり私は「文は人なり」だと思う。
確かにある程度の嘘や装飾はできるだろうけど、
それでも、本当の言葉じゃない文章に、人を打つ力はないんじゃないかなあ。
古いかもしれないけど、今日は本当にそう思った。

そういえば。
その役者さんが亡くなって随分経ってから、あるCMで彼のナレーションを突然耳にしたことがあった。
包まれるような、そこはかとなく色気のある声に、
相変わらずじゃん…って呟きかけて。
唐突に、この声は忘れられなくてもいいんだって思った。
なんかすごく嬉しかった。
亡くなったのだと認めないというわけじゃなくて、
彼が残した作品はずっとあるんだから、と自然に思えたんだと思う。

そう考えたらね。
やっぱり残したいなあって思ってしまったの。
自分が生きてて何かを残せたらいいなあって。
残るものは有形でも無形でもいい。
ただ、自分が生きてたっていい気持ちで思い出してもらえる人になれたらいいなあって思う。
ああ、あいつはお荷物だったなあ…じゃなくて、だよ?
がんばらないと今のままじゃ危うい。(笑)


2001年01月25日(木)



 何日続けてこんなこと書いているんだろう。

BBSにレスつけて、とりあえず頑張るなんて書いておきながら。
(そのときは少しは前向きだったのだ)
その1時間後にはなんか異様にテンションが低くなってる。
まさに不安定。
サイトのタイトルが、洒落にならない。


日記を借りている「エンピツ」の関係で知り合ったりした方のリンクをたどってゆくと、以前はわざと素通りしていたサイトとつながって。
なんだかここ数日は自分がそっちから逃げる余裕さえなくて、
ぶらりと入ってしまう。
やめておいたら…というもうひとつの声がどこからか聞こえてくるのだけど
無視してしまった。


そこは“心”系のサイトだ。
私は自分のところがそうやって括られてしまうのには抵抗がある。
私は私を提示しているだけで、それがすべて“心”のみで、日記のみで語られるのはとても苦しいからだ。
実際、これまでそういう括りでやっているサイトをわざと避けてきたふしもある。
ただ、今日はなぜか避けられなかったらしい。
飛べるとわかっていて、それでも敢えて見なかったことにするには、
エネルギーがなさ過ぎた。
やることがあるときほど、現実逃避に走るからなのか。


そこに書いてあったことのひとつ。
「涙が止まらなくなる」のは、いわゆる症状のひとつなんだろうか。
そんなふうに考えたこともなかった。
確かに不安定だとは思うけれど、涙腺が弱いから…とごまかしてきた。
実際そうしょっちゅう泣くわけじゃないのだけど。
彼女の日記、これまでのことを読みながら、
自分の同じように苦しかったこともあったちいさな頃のことを思い出して、
シンクロして苦しくなって、PCの前でティッシュでぼろぼろの涙を拭く。
きっと明日は目が腫れるなあ、なんて現実的なことも考えながら。


つねに穏やかな気持ちでいられたらと思う。
大学へ入ったばかりのときは、ただ毎日をこなすのに精一杯で
とにかくそれさえやっていれば、まわりに劣ることはないから、
ただ前に進んだ。
それはそれで、未来がずっと不安だったけど。
そういうふうに、自分のことを一日刻みで管理してもらわないと、
私は動いていられないんだろうか。


大学2年の夏の課題で、自分史を書いたことを思い出す。
大学の心ない教師に出すものだから、それは嘘だらけの自分史。
長くて、辛かった。
他人史を別個に書いたのだけど、こちらはいくら創作っぽくしても
心は痛まないので物語を書いているようで楽しかったのに。
自分がすごく嫌な、不便な潔癖さを持っていると強く自覚したのも
このときだったと思う。


そのサイトのオーナーさんのこれまでの自分史を読んで、自分がまだまだこれほど語れないと悟る。
この日記でさえ、そう。
今の自分をできるだけ忠実に書こうと思ってるけど、
それでも全てを書けるわけじゃない。
そういえば、隠しでアップしたイタイ文も、
すぐにリンクを外してしまったのだった。


いつか書きたいとは思う。
本当の、自分が思う自分史を。
でもそれは、やっぱり誰も知らないところで書くしかできないんだろうか。
たぶん、ボロボロにならないと書けないことは想像がつく。
エグい話になるだろう。
そして、バカな話になるだろう。
だって、コンプレックスなんてものは、打ち克てる人にとっては、
理解しかねるシロモノだと思うから。
ただ優しいから、そうは否定しないでいてくれる友人たち。
…わかってるよ。
読んで不快になるだろう人たちのことを考えると憂鬱になる。
まだ私は見栄を張りたいのだ。
普通でいたいとすがりついているのだ。


それでも。
書いたらなにか変わるだろうか。
それとも、今日みたいに、
痛さを自覚することで、余計に脆くなっちゃうんだろうか。


(その2)

日記を書いた後も、明日の朝にテストなんだから止めておけばいいのに、
そのサイトを読みつづけてしまう。
うーん。
バカかもしれん。>自分
やめればとりあえず、落ち込まなくてすむのに。

祖父母の隣の家の奥さんが、精神科に通っている、薬を飲んでいるという噂話が、ときどき祖父母の家の茶の間で行われた。
幼い頃からなんとなく、そうかアソコは行っちゃいけないところなのかと思ってしまっていた。
そんな偏見と、それにたいする今の自分のものの見方とがぶつかって、
とてもざわざわしながら、読みつづけてしまった。


2001年01月24日(水)



 嘘も方便のはずなんだけど

…であるはずなんだけどなァ。
やっぱり上手くいかない。
自己PRづくりって、自分がどんな能力があって御社にいかに役立つかだなんて、嘘八百は、そう簡単には言えそうにない。
自分がどれほど役立たずか、いかにだらしないか、自分が一番知ってるんだから。
欠陥商品をそうだと知ってて売り込んだら、告訴されるってば。
ああ、でも。
200字でも400字でもとにかくそれを書かなくちゃエントリーできないのだ。
正直に書いたら…それはもうこのサイトを見てって感じになっちゃう。
自分が企業だったら、絶対要らないもん、こんな文章書いてる人間は。
だって生産性が低すぎる。

さーて。
いかに嘘をつき、いかにそれを自分の長所だと思い込むか。
詐欺師か役者でもないと難しい気がする。

以前言われた言葉が刺さってる。

―rikoは潔癖すぎるんだよ。

そんなことないんだよ?
だって、はじめから火のないところに煙は立たないよ。
誇張するくらいならともかく、ほとんどなんにもして来なかったんだから。
世間知らずにも程があるよ。
だけど、アルバイトやっていたら、自信がついたんだろうか。
家庭教師をやったけど、別になにも変わらなかった。
私は私のままだ。
以前、「先生」と呼ばれるような仕事じゃ自分の役に立たないっていう話を聞いたことがある。今は少しわかる気がする。


テンションをあげる方法、ないかなあ。
なんか異様に自分が必要な人間に思えてくるようなもの。
他にもそれを求める人が多いから、最近ドラッグが流行ってるのかもしれない、なんて思ったりする。
ラリってるあいだは、気が大きくなって、なんでもできる気がするんだって。
もちろんそんなのまやかしにすぎないわけで、だから目が覚めたらよけいにみじめになって、結果としてドラッグを止められなくなるんだって。
…切ないね。


2001年01月23日(火)



 混雑

今日の17:00からある企業が説明会の受付をすると告知していたので、
一応、その時間に間に合うようPCの前でスタンバっていたんですが。
いくらやってもつながらない。
それから3時間以上格闘して、それでもダメで。
諦めてごはんを食べて、10時ごろやっと繋がったのですが。
そこに書かれていたのは、次のようなこと。
短時間にアクセス過多で、回線がパンクしたので、その結果、その企業は、申し込みの開始を延期したというのでした。
それも、今回のような混乱を防ぐためと称して
開始の日時さえあいまいなんですね。
たぶん明け方とかを狙って開始するんだろうけど。
それってけっこうドキドキもの。

…うーん。
なんか、ちょっぴり逃げたい気分になりました。
もともと、他人と競うのはあまり得意じゃなく。
きわめてマイペースな私。
甘いってわかってるけど、やっぱりなんとなく疲れることは確か。
そもそも、最初から人気のある企業なんてダメ元であっても視野に入れなければいいんだよなあ、なんて少しだけ思ってしまった…。
弱気。


何日か、PCのない生活をしたいなあ、なんて。
つまり、PCを見なくても、情報に遅れないという生活を。
いまはとにかく、一日でもPCから離れると
あちこちでいろんなものが間に合わなくなったり、
情報から取り残されたりするようなんです。
就活専用のメールボックスに入るメールに追い立てられているようで、
実際、そんな夢を見たりして。
振り回されすぎ。


そういえば、家にPCない人はどうしろって言うんだろう。
セミナーのなかでは、参加条件として、参加申し込み完了の画面をプリントアウトして持参してくださいというのがあって。
たまにプリンタが壊れかける私は、どきっとしたんだけど。
そういえば、プリンタがない人はもっと困るよねえ。
大学のPCは台数も使える時間も極めて限られてるし。
なんだか、いかに情報処理を的確にできるか、PCを使いこなせるかを
試されてる気分。(苦笑)
うまく波に乗れる人と、乗り遅れる人と二極化はますます酷くなるんでしょうね。

2001年01月22日(月)



 3年前のセンターは

世の中では、今日センターが終わりましたね。
受験生の最初の本番…かな。
今年は私が受けたとき同様、雪模様だったので、3年前のことを思い出しちゃいました。

私の高校は、教育委員会に嫌われてるのか(笑)
市中でも珍しく、近くの会場で受けることができず、
電車とバスをのりついで、筑波くんだりまで行かなくちゃいけなくて。
朝一番に始発乗ってもギリギリかも…というくらいだったので、
筑波にあるちいさな研修所に泊まりたい人は泊まれることになっていたのでした。

私も申し込んであったんだけど、折りしも成人の日に降った大雪のせいで、
バス停までの道でさえ完全に凍っていて、とにかく寒かったなー。
そうそう、ここでちゃんと初すべりしたんだった。(笑)

風邪で熱出していた私は、ぼーっとしたまま、友人と合流して、
どうにか研修所まで連れて行ってもらったのだけど、
あまりのノーミソの融けぶりに、お財布を持っていくのさえ忘れたりして。
それと、過去問やってなくて、重たいの3冊持っていったので重たかった。
これは自業自得といいます。(笑)
そもそも、買ったのが数日前。
それもとりあえず目で見て、問題数になれておこうという趣旨だった気がする。
しかもせっかく持っていったのに、結局世界史一年分を解いたところでダウンして、残り2冊がすごく無念そうに私を睨んでいたような…。

研修所というから、けっしてステキな部屋を想像していたわけではなかったけど、
それはそれは、凄い部屋でした。
独房のデラックス版って感じ?
とにかく狭い。2畳あったかなあ。
ベッドというはずの「それ」は寝返りをするとたちまち落ちるほど狭いの。
それに、暖房の調節が効かなくて、のぼせきって、渇ききって。
窓ははめ殺しのやつなので、開けられないし。
ああ、だから独房の印象だったのかもしれない。
換気もできないので、みんなでありったけの布を水で絞って、
それを部屋中に置いて、乾燥をしのぎました。
乾燥のとき、これはおすすめ♪

ごはんは友人たちと、ほか弁とローソンのお弁当で済ませました。
2畳ほどの一人部屋に5人くらい集まって、
肩を寄せ合いながらごはんを食べたのは楽しい思い出です。

熱出してて朦朧としていた私は、試験場の下見や買出しに行けなくて、
いっぱい心配と迷惑をかけてしまいました。
ほんと、友達に助けられてどうにか無事に終えられたんだなあって思う。
いまもその当時仲良かった友人とは連絡をとってます。
どこに惚れているとか、特別に優しいとか、そういうふうな付き合い方じゃないの。
ただ…楽なんだと思う。
沈黙がそんなに怖くないから。
そうは言っても、もっと長く一緒にいたらダメになっちゃうのかもしれないけれど、たった2泊3日でも、友人と一緒にいてそれが重荷ではなかった自分を発見したのは、なんとなく嬉しかったのでした。

ただ、体調不良で2泊合わせて2、3時間しか眠れなかったので
帰宅したらさすがに気が抜けてよけいにぶっ倒れたような記憶があります。(笑)
この頃より少しは体力ついてるといいんだけど。
最近は気持ちがだらけてるせいか、あんまり自信ないや。



2001年01月21日(日)



 過去/現在/未来…暗いから読みたくない人は読まないでね。

ただいま明け方の5時23分。
友人にふざけたメールを陣中見舞いに送ってみたり。
気を紛らわせてはみるけれど、
頭の中ではずっと考えずにはいられないことがあって、
開き直ってしばらく考えつづけるしかないんだろうなあと思う。

帰り道。
本屋で、棚にあったその本に吸い寄せられるように手にとった。
「鬱がよくわかる本」
とかなんとか。
ざざっと立ち読みして。
お定まりの自分が鬱かどうかを見極める項目チェックなんかがあって。
それから。
鬱は自殺に直結するから怖い、という項目があった。
以前Mさんから聞いたある患者さんの話や。
授業で精神医学のことなんかやったときのことや。
それからいろいろ。
いろんなことがただ頭を巡る。

そのときはまだ、ただ自分がどうなのかを知りたくて、読んだだけ。
結果はあまり役に立たない本だった。
だからどうしろ、というんだろう。
そう途方にくれるだけだった。

それでもいくつか印象深い言葉はあって。
たとえば「死ぬ勇気があればどんなことだって耐えられたはずだ」という言葉は
鬱の人間にとってはまるで見当違いだというくだり。
鬱状態の場合、自分の罪悪感とか、無力感を救う最後の手段であり
いちばん実行しやすいのが、自殺…だから。
楽しいという感情、美味しいという感情、さまざまな欲望がなくなってしまったなら、死ぬことはなにひとつ怖くないというのだ。

以前、いじめられる側が悪いのか、そうではないのかという話を
日記に書いた。
そのときのわたしが言いたかったのは、鬱の話と同様に
「勇気があれば…」とか、「もっと頑張れば…」ということへのアンチテーゼだった。
キャパシティは人それぞれなのだ。
体力に個人差があるように、ストレスへの耐性だって個人差がある。
それは努力してどうにかなるものでもなく、
追いつめられるほど、きっともっと酷くなる。
もし、「おまえならもっとできるはずなのに…」と言われてしまったなら、
自分がどんどん弱くて汚くて、失望されるしかない存在に思えてきて
きっと耐えられなくなる…。

私はいいかげんで、あまり集中力もない。
たとえば美味しいものが好きだし、本が読めなくなるとイヤだなあと思う。
…あとはなんだろう。
ああ、親友さんに会えなくなると淋しいなあ、とか。
そんなことを考えれば、適当に内圧は下がってくれる。

だけど。

死を思ったことのない人なんて、そう多くはないんじゃないかと思う。
その境にあるのはなんなんだろう。
危うさのなか、つなぎとめているものはなんなんだろう。
なんでもないことでさえ酷く疲れるけど、とりあえず生きている。
不安だけどとりあえずこうして在る。
それが崩れるときって、なにが起こるんだろう。
それがわからなくて、考えている。


一日のうちでいくつか関連することがあると、
なにか見えない力に悪戯されてるんじゃないかと思いたくなる。

今日、その本を立ち読みした後、振り切るように買った本。
そのなかにこんな言葉があった。


「過去の幸福を安全に懐かしむためには、現在もまた、別の形で幸せでなければならない――古い友人の精神科医が言っていた言葉を思い出す。
友人は、重度の鬱病患者の自殺を止められなかった。
いつもよりずっと明るい調子で、昔話を盛んにしていた患者が翌日亡くなったのだ。
その患者にとって昔に帰る方法は、窓から飛び降りることしかなかったのだ。」


…読みたくなかったかもしれないと思った。
それくらい、痛かった。

私が自分を自分らしく語ることのできるのは、
小学生か、せいぜい中学の半ばまで。
あとはただ、冬眠していたみたいに、自分はとても曖昧だ。
なので。
楽しかった頃の昔話をしながら、とてもとても苦しくなる。
思えば思うほど、自分の現在はとても灰色で
それでもどうにか真っ黒くだけはしないようにと、
少しずつ白を足しているのにいっこうに追いつかなくて、
ぼけっとしてると、たちまち限りなく黒に近くなってしまう。
過去がとても輝いて見えるのは、
実はすごく残酷なことだとも思う。
だってどうあっても、過去は喪われてるのだから。

昔のわたしのなかに、今のわたしはいない。
今のわたしのなかには、少なくとも昔のわたしはいるはずで。
そう考えれば、わたしはなにも無くしていないのだと言えるのかもしれない。
だけどやっぱり、過去は懐かしむべきものではなく、
今の自分の不足感、罪悪感を悪戯に増すだけのもののような気もする。

もしかしたら、ただ。
未来なんて考えないでもよかった日々が恋しいだけかもしれない。
一日が、ただ一日のことだけで終わる。
せいぜい考えるのは明日のこと、一週間後のことくらい。
それはすごく幸せなことだといまになって思う。
きっとそういう甘えがいまわたしのなかにあるんだろう。


処理しきれない情報の多さにうんざりする。
なんでもうすこし器用に割り切ってさくさくと処理できないだろうかと思う。
それでもどうにかして、気を取り直してかかるけど、
そうできないときもあって。
ディスプレイの前でとてもとても、からっぽな自分を見つける。
ため息が耳に届いて、突如、我に返る。



2001年01月19日(金)



 キレる?

父と些細だけどすごく腹の立つ喧嘩をした。
巷で若い子はすぐキレると言われているけど、
そのときの私も、頭に血が上って
たぶん男の子なら殴りたい気分だったんだと思う。
もっとも私は女だから、いつ上から殴られるか内心ビクビクしながら
歯向かっていた。
暴力は嫌いだし、キレるという表現で括られてしまうのもイヤだけど、
ただ、気持ちはわからなくないと、思ってしまった。

話が通じない。
かみ合わない。
そうじゃないんだという反発。
馬鹿にされる悔しさ。
揚げ足とりの喧嘩のしつこさ。
込みあがってくるエネルギーを、どうにも発散できなくて、
精一杯睨もうが、わめこうが、
おさまらないイキモノみたいなものを、飼っている気がする。

うちに遊びに来てくれているかをるくんのHPでの日記を読むと、
そういう壊したい欲求(って言ったらちょっと違うかもしれないけど…)
みたいなものが、素直に前に出てる文章とかがときどきあって、
あまりコントロールしたり隠したりしていなくて
いいなあって思う。

私はたぶん、そういう破壊衝動を外では隠してる。
隠してる自覚さえないままに、抑圧してるんだと思う。
その反動で、家で暴れちゃうのかも。
暴れるって言っても、なにかやるわけじゃないけどね。
言葉の暴力とかだって、充分家庭内暴力だ。
とすればやっぱり、私だって暴れてる。
ほんとうに私が優しくて、分別があるのなら、
受け流し、相手にしないで、そうすれば喧嘩にならないはずなんだから。


結局、ムカムカしながら、バタンと大きな音で部屋のドアを閉めてしまって、
(近所迷惑!>自分)
それでもネットをつなぐとすっと自分が帰ってくる気がした。
ネットが精神安定剤みたいになってしまってるんだろうか。
もしネットがなかったら、どうなるんだろう。

―依存症。
そんな言葉が頭に浮かんでしまった。

2001年01月18日(木)



 震災から6年。

どうにか論文は終わったんだけど、
解放感が消えて、内容を改めて読むと、落ち込むばかりです。(笑)
しょうがないんだけど、でもあまりに高校生の感想文みたい。
もっと専門的な、いかにもな論文って書けないものかしら。
ああ、お勉強が足りないってこと。

6年前のこの日、阪神・淡路大震災。
当時中3だった私は、朝テレビをつけて、すごく驚いた。
刻々と増えていく死傷者の数。
いまだに行方不明者がいること。
けっこうショックだった。

大阪で地震に遭った友人と大学で知り合ったのだけど、
今回の6年目という報道について、
「思い出させるな!」と言ってたのが印象的でした。
そういう感じ方もあるのね。
そのくらい、きつい思い出ってことらしい。
私は、その言葉にはっとさせられた。
だって、全然思いもしなかったことだったの。
体験者ではない私には、やはりそこまで想像できていなかったということだから。


ヒロシマという記憶のされ方についてゼミ論を書いたんだけど、
そのなかで書いたことを思い出した。

「あの地獄は遭った者しかわからない」という言葉を、被爆体験のなかでよく耳にする。なぜなら、あまりに酷い記憶というのは、思い出すときにブレーキがかかったり、冷静でいられなくなったりして、言葉にすると不足感が出てしまうものだから。
その「語りえなさ」は、それ自体、どれほど体験が痛ましかったのか、彼らの人生を強く縛っているのかを語る無言の証言なの。
だから、語り手の沈黙や、言葉につまったりする部分からも
全身で敏感に聞き取ろうとしないと、
被爆証言は、ただの(日本人ってこんなに可哀相な思いをしたんだ)という感情論か、もしくは逆に加害者としての日本人という視点がまるでないと非難され、切り捨てられるか、どっちかになってしまう。
ほんとうは、彼ら被爆者は、「日本人」とくくられる前に、
言われない暴力をうけたひとりの「人間」としての語り…なのにね。


当事者しかわからないという限界があることを、私は知ってる。
それなら、その限界から出発するしか、理解のしようがないわけで。
そもそも他人のことなんだから、全てわかるわけが無いんだもの。

ただ、もし相手のことを解ったつもりでいるのなら、
自分はとても無神経な人間になってしまう。
今回の震災報道だって、一概に良い感情だけをもたらすものではないはずで。
もちろん、あの日のことを忘れ去られるよりはマシ、と彼女は言っていた。
それは私も同意見。
ただきっと、想像することが必要なんだと思う。

―大切な人を亡くしたりした人にとって。
今日はどれほど思い出したくない日なのか。
そのうえで、きっと忘れられない日なんだろうなあ、と。
…想像する。
それはきっと、当事者の圧倒的なリアリティには及ばないけれど、
少なくともそこから出発して得られる、与えられるなにかはあるはずだと思う。


わからなさ、とか。
矛盾とか。
共感できない部分とか。
そういうものに敏感でいたいなあと、漠然と思った。

ちょっとマジメな日記、でした。


2001年01月17日(水)



 つながる

うれしいメール。
うれしい言葉。
うん、大丈夫。
がんばれる。
ここが在ることの意味、たぶんあるから。

支えられる言葉。
背中を押される言葉。
辛いけど、痛いけど、あえて口にしてくれた言葉。

なぜネット中毒なのか、と考えてた。
現実逃避のただの手段じゃないか、とか。
思い浮かぶのは、あんまりいいことばかりじゃなくて。

だけど、力をもらえるときもある。
ひとりで耐えてるより、心強い。

それでもときどき、私がこうして言葉を発することの意味なんて
あまりないのかもしれないと、思うときもある。

(なにを見てくれてるの?)

(ここになにを求めてくれてるの?)

(私、ちゃんと意味が在る?)

そんなふうな問いかけをしたくなったりして。
また相手を鏡に自分の姿を確認しようとしているのだと気づいて、
あわててひっこめるのだ。


でも、人と触れるって、こんなにうれしいもの。
だって言葉はこんなにあたたかい。
つつまれて。
涙がでる。
ありがとうって、いっぱいいっぱい言いたくなる。

ありがとう。
つながることのできたことに感謝。

2001年01月14日(日)



 心臓に悪い日

ゼミの論文の関係で、ヒロシマ関連のHPをあれこれ見てまわっている。
インパク(インターネット上の博覧会)のなかに、子供への啓発コーナーがあったりして、これからも原爆は日本人共通の被害意識として、伝えようとしているんだなあ、と思う。
原爆被害を痛々しく感じられるのは、なぜなんだろう。
それはたぶん、「日本人」だからだ。
50年以上たっても、近いのは、たぶんそういうこと。
平和への祈りというより、自分を守るための祈り。

日本は敗戦国。
戦勝国のように、正義のための戦争だと正当化することができない。
それゆえ、核を否定し、戦争を否定することで、
どうにか対抗しているようにも見える。
それならば、戦勝国にたいしても、同様に戦争のむごさを
問うことができるから。

「日本人」の原爆への共通の被害者意識は、たぶんそういう性質のものだ。
被害を受けたのは、自分と同じ日本人なのだ、
なんて可哀相だったんだろう、というふうに
無意識にすりこまれ、植え付けられるその意識。

だが、最近言われるように、
被爆したのはけっして日本人だけではない。
ごく最近まで、平和記念公園の中に置かれることのなかった、韓国人被爆者の碑。
原爆投下は。
たぶん人間という生きもの全体に対しての犯罪。

なのに。
日本人に対しての被害という考え方がありつづけるかぎり、
世界中で平和への祈りなんて共有することはできないんだろうなあ。

それにしても、まとまらん。
タイムリミットが近付いているのになあ。
いつもお尻に火がつかないとやりださない計画性のなさには、
泣かされます。
日割り計算すると、とんでもないスピードで書かないと終わらないのに、
こういってるそばから、予定はクリアされないんだもん。
ああ、お馬鹿。



今日は、とにかく気忙しい一日でした。
父が、かなり深刻なポカをやって、落ち込んで相談しに帰ってきたものの、
家族3人でどうしようと途方にくれて、そのなかで唯一冷静だったのが私だけで
どうにか親ふたりを励まし、てきぱき、いまやれることを考えて、動いて…。
どっちが親だか、ってな感じ。(笑)
私だってほんとは、話きいてるだけで心臓痛かったんだぞー。>父よ
まあ、結局大丈夫だったんですが、
父もそれなりに年とって弱くなったなあって思った出来事。
だから、なんかぐったりしてるのが哀れで、責められなかった。
責めても責めても足りないくらい、ほんとうに信じられないようなミスだったのだけどね。
まったくもう。
一時は、大学も辞めなくちゃいけないのかしらん、なんて悲劇が頭をよぎりましたよ。
保険とか切り崩して、どれだけ生きてゆけるかしらって考えちゃったもん。
ああ、とりあえずほっとした〜。


昨日は昨日で、母ががん検診にひっかかって。
結局誤診で、今回はなんともなかったとわかってよかったけど。
もともと、大きな病気をしている人なので、
いつなってもおかしくない。
そして、同じ遺伝子をもってるはずの私がいつ同じ系統の病気になるかだって
わからない。
未来なんて、そのくらい、不確かなもの。

人生この先どうなるかなんて、なにも保証がないんだなあって
改めて思わされたこの2日。
明日には路頭に迷ってるかもしれないし、
事故で死ぬかもしれないし。
たとえ就職したって次の日にクビになってるかもしれない。
やっぱり、やりたいことできないままだと、死にきれない。
最後の最後、自分を嫌いって言いながら息絶えるのは、いや。
大学も、卒業したら、ああ勉強しておくんだったって思うんだろうな。
いますでに、そう思ってるし。(笑)

眠い。
やっぱり寝ちゃおうかなあ。
眠るとのこりが2日になっちゃうのよね。
ああ、怖すぎる。


2001年01月13日(土)



 透明化

アメリカのMTVで反差別キャンペーンの特番をやってるらしいですね。
人種差別に限らず、性差別からなにから、いろいろな差別を扱うもの。
音楽番組が、2億円の広告赤字を出してでも、やってしまうのは
お国柄なのか、それほど深刻な社会背景があるからなのか。

日本では差別は透明化されている気がします。
声高に叫ぶと、なにそれ、と白い目で見られるのがオチ。
そういうふうにマジメなことを考えたり、人と違う行動に出たりする人を
認めない土壌がある。
ちょっとでも逸脱行動をすれば、危険分子扱い、だもの。

私は本来、正義とか、博愛とかって大声で叫ぶ人はあまり好きじゃない。
お涙頂戴系の企画ものなんて、どっちかというとナナメに構えて見ちゃう。
だってね。
イイヒトほど、実はイタイ部分を見ようとしない人だったりするから。
いろんな角度からみる人なら、
一概にこれが正義だ、とか言えないことがわかるはずだから。

だけど。
たとえば反差別のポスターが見向きもされないほど、
人間に無関心な日本って、なんなんだろう。
自分も含めて、ここでは。
いろんな闇を包み隠して、みんな一緒、平等、豊かで幸せだとへらへら笑ってるように見えてしまう。
でも、ほんとうは差別や偏見、ごろごろ在るんだもん。

透明にしちゃわないで。
迫害より、たぶんもっと性質が悪いよ。
私たちは、自分で選ぶことも学ぶこともできないんだから。
透明にしてしまうこと、隠蔽、それは犯罪。
大きな力でひねりつぶさないで。
私はちゃんと知りたい。
自分のなかの偏見。
社会のなかの差別。
いろんなことを、ありのまま。
だから、隠さないで。
ちゃんと意識したいんだから。

たまにはクサイくらい、立ち向かってみるのもいいかもしれない。

2001年01月11日(木)



 現実逃避もたいがいにしろ、と自分にはっぱをかける。

現実逃避にもいいかげんにしないと、やばくなってきてしまいました。
他の人ができていることを、なぜ自分がうまく処理できないのか、
騒ぎ立てているのか、と思えば、もっとあっさりこなさないといけないと
考えちゃうんですがね。


辛いことを前向きに楽しめるか、そうでないか、
で、結果が自ずと違ってくるのだと、アドバイスされます。
明るく、辛いときほど前向きに、笑顔でね、と。
責められたときほど、圧迫されたときほど、
笑顔でないとね、と。


そういうの、喚き散らしたくなったりして。
自分をばらばらにして、
その破片を集めて、ごった煮にして食べてもらって、ぼろぼろでも笑って。
そんなの、そんなの。


自分がなにをしたいのか、それを見つけないうちに
進もうとしたことの罰は。
油断した頃に、道のいたるところで、
地雷みたいに、私に苦しめと刃を突きつける。


いつだったか、潔癖症だね、と言われてしまった。
そんなこともないと、言い切れるほどの確信はなく。
とりあえず、と割り切って、動いてみることが出来なくて。
納得いかないと、動けなくて。
だけど、焦ることだけは、終わりがない。


こんなことやってる場合じゃないのよ、と自分のなかで
声がするのだけど、
まだまだ逃避してる自分を見つける。


とにかく、少し、現実に戻ります。
やらなくちゃいけないことを、やるために。


ここに来てくれる人へ、私はすごく感謝してます。
でも、こんな日記、読んだら気分が悪くなるだけだよね、たぶん。
じゃあ、何故書くのか。
書かなくちゃ、もっと自分が苦しいから。
それだけなので。
とても申し訳ないけど、
書いてしまう。
我儘で、ほんとうにごめんなさい。


幸福なことに、寝る時間はとりあえずあるのに、
寝つきが悪くて、眠ろうと頑張りつかれたところでやっと眠れたりする。
大学が始まったのだから、そんなんじゃいけないと思い、
以前、Rさんに寝酒でもしてみたら?と言われたことをふと思い出して、
リキュールを買ってきて、ミルクと混ぜて、寝酒しようとしたのに、
罰があたったのか、気分が悪くなっただけ。
白い顔で、ぜーぜーしてる自分は、すごく変。
少量のお酒でも、体調と気分しだいでは、
嫌な動悸をおこすだけ。
酒に頼るな、というイタい忠告だろうな。
まあでも、まだ、眠れるだけ、
眠る時間があるだけ
甘えてる身分だもの。
もっとこれから厳しくなるのに、なにを言ってるんだ!>自分
しゃんとしなくちゃ。

P.S
NHK特集「世紀を越えて エピローグ3」しばらく前に見ました。
これについての日記を書けたらいいなあと、掲示板に書いたし、
実は感想のメールまで頂いているのに、
全て、ほったらかしたままです。

気持ちにあまり余裕がなくて、腰を据えて書くことができないでいます。
現実逃避の一環として、気まぐれな更新はしてるのだけど、
ああいうマジメなものは、気持ちが落ち着いているときでないと
ろくなこと、書けないから。

Yさま、まだこのサイト見てくださってるでしょうか。
メールのお返事、できないままになっちゃってます。
無責任なことしたくなかったのだけど、
いい加減な内容も書けないので、
ほんとにごめんなさい。
落ち着いたら、なんとかしたいとは思ってるので…。
長い目で見ていてくださると嬉しいです。

2001年01月10日(水)



 ゴスライブビデオ

ゴスのライブビデオをやっと見られました。
笑ったし、なんというか、企画力に感動。
ああいう方向でライブビデオをつくるアーティストなんて
他にいるんだろうか、と思ってしまった。(笑)
腹筋出すアーティストなら、他にもいそうだけど。
…リーダーの腹筋、たしかにかなり凄かったです。


2000年の年末のある報道番組で、20世紀を代表するアーティストであるゴスを特集するという架空の設定で、1998年につくられたビデオ(あってるのかな?)なんですけど、切り込み方が面白いの。
それにね、ふしぎな感じなのは、
2000年末を想定してる過去のものを、
なんと2001年に見てる自分。


母とふたりで、見ました。
母は専門のピアノに耳がいくらしく、
上手いねえって言ってるだけでしたが。
promiseがやっぱりイイ。
すごくイイ。
水面が静かだけど波立つ感じで。


あと、若いなあ、と。
いまのほうが断然技術は上だと思うのだけど、
また違う青さみたいなのがあって
押しきられてしまいました。


P.S今日の日記、ゴスを知らない人にはまったく意味不明な
不親切な日記ですね。
ゴス=ゴスペラーズというコーラスグループのこと。
ちなみに、たけこさんが詳しい…というのは言うまでもないか。(笑)

2001年01月09日(火)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加