unsteady diary
riko



 ふるいの目

簡単な筆記を通って、はじめてのグループ討論。
といっても、専門的なマーケティングの話なんかやるわけではなく、
「よい会社の選び方」っていうテーマで30分話すだけなんだけど。
こういう単純なテーマだと、逆に人間が出る。
私は…出てたな、きっぱり。

困惑したのは。
事実上はじめての面接なのに、けっこう水準が高くて、
誰も危険だったり、目に見えてしゃべらないなんてことはないわけ。
はきはきと、要領を得たことをしゃべるし。
アルバイト経験も豊富だ。
感じもみんなすごくイイ。
おかげで気持ちよく90分くらいを終えられたのだけども。
アレでどうやって絞るのさ。
問題はそこ、なのだ。
つまり、みんなそこそこ、なわけだから、
ずば抜けたもの以外ダメなら、とても厳しいことになる。
当たり前だが、それにしても…。
ちなみにこの会社はきわめて実力主義の会社なので、
学歴はいっさい考慮しない。
だから、その点でも選考はされないわけで。
ほんとは、手元で書かれていた評価を覗き込みたかったね。
そりゃ、本心。
受からせてくれ、というわけじゃなく。
落ちる理由を、自分だけじゃなく、他の人も含めて、
開示されたらいいのになあって思ってしまった。
落ち込むかもしれないけど、少なくともいやなもやもやはなくなるはずだ。

一般の大学受験は、ミスさえしなければ、必ず結果に結びつく。
はっきりいって、突飛な能力は要らない…と私は思う。
合格ラインをとればいいのだ。
満点を取る必要はさらさらない。
しかも、答えは決まっている。落ちた理由は自分がいちばんよくわかる。
(私も受けたが所謂小論文は置いておいて)
つまり、振り落とされるほど悪くなければ、
ずば抜けていなくとも、ボーダーぎりぎりだろうとも、
とりあえず入学は許されるわけだ。
だが、いまは。
いま行われている選抜は、
100人いたら、そのなかで他の誰よりもぬきんでて、つまりトップにならなければ、最後までは残れない。
そういう選抜なのだ。

こんなこと書いてると、和んでる場合じゃないのか?とも
ちらりとは思うけど、基本的には私は人間だ。
ちゃんと人間のままでいたいから、感情は置き去りにはしたくない。
というわけで。

昨日に引き続き、今日も試験会場でエレベーターを一緒になった子をナンパして知り合いをつくったり。
帰り道でもエレベーターで最後まで「開」を押してみんなに先に出てもらったら
思いがけずお礼なんか言われて、なんとなくほんわか嬉しかった。
ライバルっていってしまえばそれまでだけど、
相手がいやなタイプ(もろに裏表の激しい人とかね)でなければ
ゆとりをもって譲ったり、笑顔で優しく接していられたらいいなと思う。
ごくアタリマエのことだけども。

帰りにちょっとだけ寄った丸井のショップの店員さんと
「社会人になったら〜トーク」を和やかにしてみたり。
基本的には初対面の人としゃべるのが苦手な私が、
いまは人懐っこい時期らしい。
たぶん、面接やら説明会やらで、
元気に挨拶してるうちに、小学生の頃みたいになってきた。
小学校の時は、通る人みーんなに、(知らない人にももちろん)
挨拶してるヘンな子供だったからなあ。
(↑とにかく物怖じせず、人懐っこかったの…)
なんか自分を制御できん。
いい傾向なのか、上滑りしていて、躁状態なのか。
あとでがたんと来ないといいけど。

本屋さんは、できるだけ寄るようにしている。
考えてみれば、大学受験のときも、試験日の帰り道に
好きな新刊とか買って帰ってたのだから、
やめられるはずもない。
それに、ある人からたまには気持ちをやすめるためにきれいなものを
みたりしてね、という言葉をもらったので。
いいかな、って思ってる。
大事よ、気分転換。
経済誌なんかじゃできないもんね。
って、読んでやしない。(汗)



2001年02月28日(水)



 一括り

23日の日記の感想をもらって、嬉しかったり、いろいろ思うところがあったりで、読み返してみた。
それでふと気づいたこと。
吐いてるぞ、嫌な言葉。

こっそりと削除すればいいんだけど、
なんかそれも卑怯だから。

「体育会系ってだから苦手」って私書いたの。
理由はあったのだけど、それでもこういうふうに
一般化するのは嫌いなはずだった。
もっとも、体育会系と一般に表される中にわりと多いパーソナリティが苦手なことは確かだから。
それは嘘じゃない。
それは悪意かもしれないが、別に悔いちゃいない。
ただ。
「だから男は…」「だから女は…」「だから若者は…」みたいな括りなんて
大嫌いって風を切ってきたのに。
自分自身がそういうふうに、あてはめてしまったのね。

あーあ。

偏見っていやだね。
自分に余裕がなくなったころに浮かび上がる。
よけいに響くわ。

本性って出るものなのよね。
望まなくたって、文はひとなりなんだから。

2001年02月27日(火)



 タコ分析第3弾

ちょっとおねえさん的な大学の友人からメールをもらいました。
協力ありがとっ>Kちゃん
しつこく、タコ分析。
だって、迷ってる最中なんだもん。
頭をまとめる意味で、日記ってかなり役立つものだったのね。
今まで生きてて、こんなにまともにつけたことなかったから、
ふしぎな使い方をしています。


> ■第一印象
小柄でオトナっぽい感じ。話し方ていねいだったからかしら。
あと着てたものもかも。

> ■話してるときの印象
相手の話をいっしょうけんめい聴こうとしている姿勢が見られます。
でも時々不安げな視線を感じます。なぜ?

> ■イメージ
やわらかな雰囲気と底力の強さということで秋桜。

> ■長所、短所
物事の大小問わず、悩んでる。そういう意味では優柔不断だけど、
でもそうすることで乗り越えてきているんだなあと。
上にも書いたけど、コスモスの茎が、風にしなって、たわんでも
折れないような強さが長所かな、と。
短所…そうねえ、実行に移す力が弱いところかな。

> ■合いそうな仕事
人と接する仕事。いや、マジで。ストレスたまるかもしれないけど、
人の痛みのわかる人のほうが、表面的な積極性や社交性がある人よりも
長期的に見れば向いていると私は思う。

> ■一緒に仕事がしたいかどうか、その理由は?
はい。こっちの意見をとりあえずは聞く耳を持っててくれそうなので。
相手を受け入れる態度のない人とは組みたくない。


もう次の段階に進んでたりするのよね?
こんな時期になっちゃってゴメンなさい。
やっぱり就職戦線から離れてるヤツに聞いちゃダメね。
今回は何ら役に立てなかったけど、
ストレス発散くらいには使ってください。
うさばらしにでも何でも。
あと、そんな中でも自分の世界をちゃんと守っていてくれてたら、
うれしいなと思います。
閉じこもるのではなくて。帰る場所って意味でね。


終わり。


最後の、自分の世界をちゃんと守っていてくれてたら…というくだりに、
ほろりときました。
好きなものとか、価値とか、いろんなものがあやふやになるなかで、
これまでの私と接してきた人が、
私には私の世界がちゃんとある、と言ってくれる。
そういうのが嬉しい。

それと、向いている仕事のくだりが、またも悩みを増やしてくれる。(苦笑)


郵便局に大切な書類を出しに行って、
そこの初老の職員の方の、あまりに酷い愛想のなさに
呆れた。
以前から、公立図書館の司書の方の対応にも
同じような高圧さ、やる気のなさを感じていた。
漠然と、そういうところが私が公務員になりたくない、向いてないって
思ってきた理由。
偏見に満ちてることは、わかってるけど。
それは裏を返せば、私ならもっと誠意を持って接したいと
思ってるということなんだろう。
偉そうだけど、でもとりあえず、
人を喜ばせたい、人の嬉しがる顔を見たい、
だから人のいいところをいっぱい見つけたいといつも思う。
そういう自分。
そういう自分を見ていてくれているまわりの友人たちがいて、
私は人に囲まれて、働くのが似合うよ、と言う。
痛みがわかるなら、やっぱり人と接している仕事だよ、と。
自分だって、そう思わないわけではないのだけど。


でも、一方ではまるで人と接することが下手。
なんなんだろう。
このギャップ。
二重人格みたいに、スイッチがあるみたいに。
なにもかもダメで強張る時と、
すごくすごく優しくあたたかくしたくてたまらなくなる気持ちが満ちてくるときと、ぱちんと入れ替わる。


スイッチがうまくいくほうに入っていると、
私は初めて会う人の印象がいいほうらしい。
しっかりしてる、まわりとうまくやっていけそう。
頼りがいがある。
優しそう。
そんなふうに、何度となく言われてきた。
でも、スイッチがうまくいかないときがあれば、自ずとダメになる。
結果的に、付き合う人数、というか、残ってくれる人は
とても限られる。
友人という意味でなら、私はそれに不満はない。
無理しないで付き合える人、は残った人だけだから。
ただ…。

このスイッチ。
どっちがほんとの自分なんだろ。
そう思っても、どっちも私のなかの要素だから、
結論なんて出ない。

接客業にたいする自己PRはけっこうあって。
でも一方では、マニュアルは苦手で。
いつもマニュアルどおりのスマイルっていうわけにはいかなくて。
じゃあやっぱり、やめようと思った矢先に、
それを否定する自分の声が聞こえてくる。

混乱してくる。

得意の専門分野がない以上、どうしたってやれる仕事が限られてくるのだから、
どのみち人と接する体力・気力勝負の仕事しか残ってはいないのだけど。

あーあ。
頭の中ぐっちゃぐちゃ。

2001年02月26日(月)



 レオン

実は、はじめて「レオン」をみた。
吹き替えだったのが残念なくらい好きな映画になりそう。
殺し屋ものってわりと好きだけど、
納得の行くものは少ない。
それは、命を奪うことの重さがどこまで描けてるかということだと思う。
エゴイストの映画は嫌いじゃない。
ただ、エゴイストぶりにどこまで共感できるか、
その壊れっぷりにどこまで自分が重ねられるか、
そういう部分で、痛さが鼻につくか、キモチイイか決まってくる気がする。

レオンって恋愛映画になってしまうんだろうか。
ふたりの関係は、私のなかでは、恋愛っていうより家族。

レオンはマチルダと落ち合う約束をする。
レオンが無事逃げられて、あともう少しで青空のある
明るい通りに手が届きそうになっているシーンで、
後ろから撃たれる。
青空を見ている、レオンの視界が
徐々に傾いてゆき、ついに床に這う。
このカメラワークがけっこう好き。

ラストは、私にとってはいちおう納得のできるものだった。
あそこで無事レオンが逃げられたなら、陳腐になってしまうと思う。
かといって、彼がただ撃たれただけでも惨め過ぎる。
周りが巻き込まれることのエゴイスティックさを考えてもなお
レオンが自分を撃ったスタンを巻き添えに自爆したのは
私にとっては最大幸福のジ・エンドかもしれない。


2001年02月25日(日)



 私は私の…

初面接。
グループ面接だけど。

やたらナチュラルハイってやつになる。
そうでもなければやり通せない。
明るい声。
明るい挨拶。
一週間分のエネルギー濃縮バージョン。
誰だ、これ。
ワタシじゃない。
でも悲鳴はあとで。
いまはこれで通すしかない。

でも。
もっともっと自分を飾らないといけないようだ。
そんな言葉は…私の言葉じゃないのに。
ダメなの?
このままではダメなの?

たとえば。
「…いたす所存です」とか「志望いたしました」なんて。
フツーの人間の言葉?
二十歳そこそこの学生の言葉?


私は私の言葉で話したい。
私は私の感情で伝えたい。

この日はそうやったつもり。
まわりが丁寧な、読み上げるような志望動機を言うなかで
私ひとり、暴れてきた。
まあ、準備が足りなかったから、
行き当たりばったりとも言えるけど。(苦笑)
面接官、ひきつってた気がする。
私、話ベタだしねえ。
テンパってたから。
きっとものすごく必死にしゃべったんだろうな。
これで落ちたら、やっぱり変えなければならないんだろうな。
保守的なところなんかは、
自分らしさよりも、社会人らしさのほうが
重視されるようだから。


だけど、丁寧な言葉と、最上級の敬語(死語のレベル)とは
本質的に一致しないと思う。
そこに気持ちがなくても、それでいいの?
そんなのヘンよ。
誰もが言い慣れてないのがわかるような言葉だったり
内容だったりすることに
なんの魅力があるっていうの?


ああでも。
自分らしくやったつもりでも、まだ偽った気がするから
こんなに馬鹿らしく笑うしかないような気持ちになるのか。


それに、ばかでかい声を出すばかりが
元気ってもんじゃないでしょう。
体育会系ってだから苦手。
だって脅かしてるみたいよ。
でもそれに合わせていた自分がいた。
ああ、嘘つき。
ばっかみたい。


私は私を表現したいだけなのに。


2001年02月23日(金)



 ○○限定

キィ〜。
むかむかしても事実なのだから
自分が好きで選んだ道なのだから
しかたがないのだけど。

千葉敦子さんの本を思い出した。
当時はまだ女性記者の採用なんてまったくなくて、
それでも直談判して、自分の有能さをプレゼンして、
入社したというエピソードなんだけど。

そこまで自信もって言えるわけもなく。
だから、これは正当な主張ではけっしてなく、
ただの弱いもんの愚痴になっちゃうわけだけど。


それにしても。
他学部(他から見ればエリートと呼ばれる学部なわけだけど…)の学生を見てて、
遊んでて学問なんて文学部以上にやってない、
そもそも学校にさえこないような学生も多く知ってる身としてはねえ。
「募集学科:経済・法・経営・商に限る」
というのはどうよ?!
薬剤師の応募で薬学部に限るっていうんじゃあるまいし。

ああ、わかっちゃいたことだ。
タテマエで「大学名不問」とか「全学部全学科」だなんて書いてあったって
実際には、オンナ&文学部なんて条件は、
不利になることは目に見えてはいたけど、
こうして面と向かって門前払いを喰らうと、
さすがにむかっとくるな〜。
ただでさえあんまりないようなやる気をさらにそがれる。(苦笑)


もうマヨネーズなんか当分見たくないもんねっ。


ひさしぶりに再開された、あるほのぼのやさしいサイトを見たあとに
こんなの書いてる自分。
すんごいギャップで。
自分がいつもにまして、意地の悪い人間になってる気がする…。


こんな調子で、とても“悪い子”になってるワタクシなので、
ネットでのコミュニケーション復帰はもうすこし先になりそうです。
現実はもっとヒキコモリっぽいし…。(苦笑)
ゆとりがないときの言葉は、自分でもあとから振り返ると
きっと人を傷つけたり中傷したりで、いやんなる気がするから。

2001年02月22日(木)



 顧客満足

またもメモ代わり。
17日に外出した帰りに、あるパスタ屋さん(チェーン店)に寄って
ひとりで食事をした。
セミナー終了後、いっせいに何百人も外に出るわけで、
そのお店にもかなりの人数がなだれ込んで、
時間は遅かったにもかかわらず、かなり混んでいた。
当然、サービスは低下する。
注文したものはなかなか来ない。

そんななかでも。
精一杯お客さまに気持ちよく帰ってもらおうとスタッフを動かし、
自分も率先して動いている店長さんがいた。

彼のあるお客様への対応に、しみじみいいなあって思わされた。
それはね。
隣の席のお客さんが、二人連れ(カップルか夫婦)だったんだけど、
料理が遅れているうえに、
先に男性のメニューだけが来ちゃったのね。
でもそれはドリアかなにかで、当然あたたかいうちに食べなくちゃ美味しくない。
そこで彼は、すぐにそれに気づいて、彼女と取り分けて食べられるよう、
小皿をふたつ持ってきたの。
「遅れていて申し訳ありませんが、しばらくこちらのお料理のほうを
おふたりで召し上がっていてくださいますか?」
というようなコメントをつけて。

顧客満足が大切とか、お客様第一主義だとか、どんな企業でも企業理念のひとつとして説明しているわけなんだけど。
実際にどれだけ現場であらわれているかは、企業でそれぞれ異なってくると思う。
以前のメガネストアの店員さんといい、このあいだの写真館のカメラマンといい、
対応には、そのひとの気持ちが透けて見えるような気がする。
だって、マニュアルはあくまで決められたものでしかないもの。
決められてない範囲では、
基準は自分。
だからこそ、そこに差が出てくるわけだよねえ。
ふう。

こういうことに関しては、しみじみ自信のない私なのでした。
感動するとか、思いやりに気づく、とかには(要するに受ける側としては)
それなりにちゃんと感謝をこめて受け取ってるつもりなんだけど。
なので、まわりの状況が見えていて、そのうえで他人を気遣える人には
憧れてしまうんだなあ。


2001年02月21日(水)



 ねむりびと

しばらく前まで、ネットが夜しかできないせいで、(テレホ以外はやってはいけないのが原則、と父と約束していたので)
情報収集が夜中に集中したうえに、もともと寝つきが悪いのが重なったら
睡眠時間が平均3時間以下になってしまって、泥みたいにカラダが重かった。
会社説明会のさなかでも、座っていて目眩がしたり、ひたすら眠気と戦ったりして。
他にはそんなやる気のない人、いるわけないから
いろんな他の葛藤とあいまって、
すごーく自分が情けなかったりもして。

反動なのか、5日くらい、死んだように眠っている。
合同説明会に行こうという友人の誘いも断って、
夜も昼間も境がなくて、眠い時に眠っている。
ちょっとだけ体調崩してたせいもあり、
ぬくぬくお布団の中、というだらけた生活が続いた。
ほんとはイケナイのだけど、
いろんなことが停止して。
就活からも遠のいて。
そしたら泥みたいだったカラダが動くようになってきて、
口を開いても嫌な言葉ばかり吐いてる…というわけでもなくなってきた。

まだまだ、だけどね。
それに、サボったつけを払わないといけないので、
また当分寝不足になりそう。(笑)
でももうちょっと、サボるんだ。


ここんとこ、ほっといたら愚痴だらけになりそうだったから、
自分がそのときいちばん楽な方法を、常に選んでいたいって思ったの。
愚痴ってる自分を怖いと思うなら、
それはもう、書くなっていうことだと思った。
笑顔でいられないときに、
ムリに笑顔でいるのはきつい。
ただ、笑顔でない自分ばかり、愚痴ばかり、になってしまったら、
そういう弱い自分にあとで自分自身嫌気がさすわけで。
他人に寄りかかる自分に、余計に辛くなるわけで。

だから。
ちょっと休憩しよう。
そう思いついたら、即実行な私…。
(ふだんは優柔不断なので、これは意外性のひとつらしい)
ココロとカラダはつながってる部分も多いので、
とりあえずカラダをだらだらと休めてみた。


なので。
成長して帰ってくるからね、という武者修行の旅ではなくて。
変わらなくちゃ、という強迫観念にとらわれてることも、
辛くなる原因のひとつ、だから。
とりあえず今回はね。
成長がなくても、相変わらずでも、それを愚痴ってる自分を責めない自分でいられるならいいや、と思ってる。

そんなわけで。
ひとりでいる時間(=寝てる時間?)をしばらくもつことで、“正常”(なにが正常かは置いておいて…)に人懐っこいモードに戻れそうな気がしてきて、わりと元気。
自分は自分。
いろんなことがまわりでどんどんダメになっていっても、
自分のせいでいろんなものを失っても、
さいごまで自分だけはその場から去りようがないのだから、
淋しがらず、揺れすぎず、自分がひとりきりでも生きていられることって、
けっこう大切。
そんな当たり前のことを、改めて噛みしめた。


やわらかな、触れたいという感覚。
あたたかい、つながりたいという想い。
そういうのがひたひたと満ちてくる感覚を
ちょっとお休みしたことで、もう一度味わえるならいいなあ。


これを書いてアップする時点で、ちょびっとそんな気分もあって。
いまのところ素直に嬉しかったりもする。

まだしばらくはのんびり、のーんびりといきます。
基本的には居眠り中ってことで。
「春眠暁を覚えず」というなら、私のなかではすでに春まっさかり…みたいね。


2001年02月19日(月)



 プロジェクトX(宗谷発進)

ひっそり日記だけ。
トップの履歴にも書かないから、気づかない人も多くなりそうですね。
相変わらず、姑息な管理人です。

サイトのほうをしばらく留守にしております。
せっかく書いてくださったものにもレスをつけられずにいますが、
どうかご了承ください。


ただ、メモっておいてあとで更新しようと思ったことが、
なんだかいろいろたまってゆくので、
ここを臨時気まぐれメモにしちゃうことにしようかと。
なんていいかげんなサイト落ち宣言…。(苦笑)


プロジェクトXを久しぶりに見ることができました。
「運命の船・宗谷発進」と題され、南極探検隊派遣への挑戦を取り扱ったものでした。
のちにオーロラの研究者で探検隊に参加した知り合いがいるせいか、
南極には特別な憧れがあります。

ああ、なんてすごいんだろう。
人間ってほんとすごい。

人間一人の出来ることはそう多くはないけれど、
連動するなら、怪物みたいに、すごいことができるイキモノ。

昭和30年ごろといったら、終戦して間もないころ。
敗戦国であるために、犠牲を「良い戦争」(アメリカでは公的な記憶として第二次世界大戦のことをこう呼んでいる)という記憶で消すことさえできない日本は、国際的にも、縮こまっていた時代。
復興に向けて動いてはいても、なにかが足りない。
それは夢、誇り、そういうもの。

南極へ行きたいと政府にかけあった永田(のちに隊長となる)という研究者は
最初まったく相手にされず、しまいには変人扱いされたといいます。
諦めかけた頃、ある朝日新聞記者が彼に賛同してマスコミが動きだし、全国で募金活動がおこりました。
募金しにきたのは、なんと小銭を握り締めた子供たちが多かったそうです。
その想い、わかる気がしました。

夢がないと、ほかにどんなに満たされていたって、あたたかくないですよね。
そういえば、話はずれますが、歳末助け合い募金も、終戦当時の誰もが貧しかった頃がもっとも集金額が多かったようです。誰もが同じ危機感を共有していた、他人を感じる想像力があった、ということなのかもしれません。
南極に関しても、もちろん自分は行けないのだけれども、自分の国の誰かが、南極という遠いところに行く。
そこにはペンギンっていうイキモノがいて、すごいところで、アジアでは日本しか行ったことがないんだ!
そういう同じ夢をみんなが見たのでした。

あとは、職人の心意気もすごい。
風力発電機をつくって、やる気まんまんで協力を申し出たというホンダの創始者とか、ソニーの創始者とか…。
といっても、当時は大会社だったわけではなく、イメージづくりにお金を出すって状況だったわけじゃありません。
ただただ、自分に協力できる分野があるならと喜んで動く。
ある事業の“歯車”になるということの、否定的でない側面をはっきりと見た気がしました。
実現に向けてムリでも何でもやってのける人、ほんとうのシゴト人
なんてかっこいいんだろう。

敗戦国だから、アジアだから、後進国だから…
そうやって馬鹿にされることへの反発から動いたという意味では、
根底にあるのは、第二次世界大戦に派生した日本のナショナリズムだと指摘することはできるでしょう。
実際、宗谷の改修をまかされた職人たちも、
「お国の一大事だ!」という一念のもと、集ってやりとげたようですが。
ただ、ナショナリズムの功罪ということにふれないまでも、
宗谷のプロジェクトは、プライドの大切さ、喰えない夢こそ拠り所になるってことを教えてくれる気がします。

もっとも、プライドのために、教科書を変えるどっかの会のように、
侵略はなかったことだと主張するようなことは、はっきりいって
バカだと思いますが…。

P.S

「想像力が大切」っていうフレーズは、どこの論説員でも言ってることではありますね。
それを自覚しつつも言ってしまうなら、
やっぱりどこぞのゴルフしていた首相さんは、
あまりに想像力が足りないんじゃないでしょうか。
これはもう、専門的知識があるかないか、とか、
政治的駆け引きが上手いかどうかとか、
慎重かどうかとか、そんなことじゃないでしょう。
ただひたすら、想像力がなさすぎる。
まあ彼がホットラインすること以外できることはそうはなかったでしょうから、
ただ連絡を待っているだけなら、目の前にゴルフ場があるのだから、
ゴルフやろうがやるまいが、現状は違わないじゃないかという彼の主張は
合理的ではあるかもしれません。
ただ、合理的かどうか、というだけが人間の行動の主軸じゃないんです。

「南極へ日本の探検隊を!」という企画は、けっして利益の出るものじゃありませんでした。
だから、当初金を出せん、と言われたのはある意味自然なこと。
でも、そういうふうに、一見無駄に見えるかもしれないことでも、
心を支えるという意味で、すごく大きな役割のある行動というものは、
あるはずです。
たとえば彼が、ほんの少しでも人間味のあるところを、国民を守りたいという気概を見せて、中心に立ったなら、それで関係者たち、まわりの対応に追われる職員たちも、救われたり、奮い立つという面はなかったんでしょうか。

ああ、ほんとうに信じられない。
どんなに専門的なことがわからなくても、
IT革命といいながら、ピッチのひとつもわからないでも、
なんでもいいから、
せめて血の通ってるところくらい、みせてほしかった…。

(メモおわり)


2001年02月13日(火)



 写真

どうしても学校指定の履歴書(じゃないといけないのだ)と
写真が必要になって、合間を縫って写真屋に駆け込んだ。

リクルートスーツと、振袖の女の子たちとが、長い列を作っていた。
誰もが今はそういう時期なわけで。
苦しいのは私だけじゃない、と自分を戒める。

3時間仕上げというやつを頼んで。
撮ってくれた女性がすごく感じの良い人だったんだけど、
それでも写真の苦手な私は、ひきつった顔しかできなくて、
一生懸命指示に従うんだけど、上手くゆかなくて。
優しく何度も撮りなおしてくれるお姉さんに、申し訳なくなってきて。
なんで笑えないんだろうって哀しくなった。
筋肉が別の人のもののようで、まるで言うことをきいてくれない。


写真の作り笑顔っていうやつが私はきわめて苦手だ。
めちゃくちゃ小さい頃の写真は、さすがに天真爛漫に写っているけれど。
ある程度もの心ついた頃から、写真はずっと苦手だ。

そういえば、母はとてもにこやかに写真に写る。
それまでけんかしていたような時だって。
その横で私はいつも照れたような笑いしか見せない。
それか、ふてくされているか。
器用なのか、自信があるかないか、の違いなのか。
よくわからないけれど、とにかく苦手だ。


無理矢理あげた頬がぴくぴくしてきて。
どのくらい唇を引き上げたらいいのかとか、
ああ、目が笑ってないな、とか。
いろんなことを考えてしまう。

本当は鏡を見るのだって大嫌いなのだ。
だから、鏡に向かって自分の笑顔の研究するなんてのもきつい。
作り笑いをしようとしている自分を見ている自分がいて、
とても居心地の悪い気持ちになって、つい目をそらしてしまう。
私には笑顔なんて似合わない。
間違っても「自分にうっとり」なんてムリだし。
「あたしってカワイイ」とか自己暗示さえかけられないし。
つまり、自信なんてないのに、あるふりはできないのだ。
“にこやかに、やさしく、はなやかに”とカメラマンにさんざん言われたけど、
他の女の子のように、ぱっと華やかな笑顔などつくれないだってば。
なので、言われれば言われるほど、無理をして、どっと疲れてしまった。


それでもさすがに仕上げ方がきれいなので、
困った顔のままでもそれなりに一応笑顔にはなっていたけれど。
なにか苦い気持ち。
ああ、ムリしてるなあというのが、よくわかるから。
―自信なさげな表情。
しみやくま、ニキビあとを隠す修正を行うので有名な写真室なのだけど、
私は肌にはさして修正を加えるところはなかったけど、
(顎を削って欲しいとかなら、あるけれど…笑)
もしも表情に修正を加えられるなら、それが一番欲しいものだった。

でも“証明写真”なのだ。
笑顔をぱっとつくることだって、それもひとつの本人の才能だ。
それができないのもまた、私という人間の証明になってしまうのだ。


2001年02月09日(金)



 呟き≠文章

4日連続で、自覚の薄いまま、とりあえずスーツを着て、出かけてみた。

気持ちのうえで、なんとなく玉砕。
っていうんでもないなー。
無気力というか、脱力というか。
なんだか世界がモノクロだ。

寒かった。
ビルの谷間は恐ろしく風が強くて。
飛ばされそうにもない私でさえ、前に進むのが大変で。
そこを「負けるもんか」と進める人と
なにやらどうでもよくなって、
立ち止まって寒い中動きを止めてしまう人と。

後者は私くらいなものだったけど。


同世代の総合職希望の女の子たちの。
「お仕事バリバリやりたい!」「権限をもっと与えて!」「語学の出来る私は、海外でキャリアを積むの!」
みたいな勢いに、ただただすごいねえって見てるだけ。

すごい女の子がいたな。
アジアを視野に入れて、グローバルな展開をするつもりだという企業の説明に、
彼女は英語が得意らしくて、
「アジア以外の海外に進出する予定はないんですか?」って。
あっけらかんと。
アジアはちょっとイヤなんですけど…という言葉。
のけぞったね。
英語の使える国がほとんどなのに、行きたくないのは、
ただただ、国際人として、カッコよく仕事したいからだよね。

人事の人も苦笑していたけど。
それでもエネルギッシュで、それはそれで自信があって、
輝いてはいた。
あのくらい、アクの強いほうが、いいのかもね。


“お仕事”ってなんだろう。
若い者の提案をどんどん実現だの、ベンチャーだの。
そういうのについてゆけない自分は、ほんとに脳味噌からっぽで
へらへら生きてるような気がしてきて。
どうしてこんなにやる気がないんだ、枯れきってるみたいなんだ?
(↑小さい頃からずっとそういわれつづけている。否定もできない。)
マイナス思考は留まるところを知らない。

未来の自分。
こうなりたい、という自分。
それが見えないから、ここにいるのに。

ほんとは、数字やビジネスにあまり興味なんてなかった。
無理矢理に自分をそっちへ持ってゆこうとしてみたけど、
これはきっと拒否反応だな。
泥みたいに、身体が重い。
重くて重くて、暴れだしたくなる。
静かに熱心に皆が話を聞いているなかで、
膜のなかに、自分だけがいるような感覚。


だけど、こうやってネットをするのも、帰りに食事をするのも、
電車賃だって、全部タダじゃない。
だから、お仕事しなくちゃいけないわけで。
夢なんて、あなたの会社でなくちゃいけない理由なんて、
正直ないんだってば。

そもそも夢のある仕事ってなんだろうね。
結局は利潤最大化のために動くのが企業だもの、
夢なんて喰えないものは、二の次でしょうに。


サービス業ということで、私とほど遠そうな事業の説明だった。
25歳でマネージャークラスになれる、というのが魅力というのだけど。
責任重大な仕事、たくさんのお金と人を動かすのが楽しいというのだけど、
それはそれは、とても気の重そうなお仕事に思えた。
私だけが、そんなふうに思っていたんだろうけど。


皆、権限を与えられさえしたら、自分の能力が発揮できると
喜ぶんだね。
だけど私は、怖いよ。
足がすくむ。
言われた仕事をただこなす、その程度しかできなさそうで。
たぶんそこから、私は間違ってるんだろう。


バリバリのキャリアウーマンになっている私を、
人に指示出して、交渉ごとをしてるような私を、
私は想像できない。
周りの人はもっと、みたいだ。
保母さんとか、お嫁さんとか、そんなふうに言われることばかりで。

とりあえず。
(私自身、キャリアウーマンになりたいの?)
(向いてると思ってるの?)
そう、自問してみるけど。


とりあえず、結婚が目的で就職すると言う友人さんたちとは事情が違うので、結婚しないままでもクビを切られないところに就職しなくちゃならない。
           ↓
        一般職じゃそれは基本的にはムリ
           ↓
向いてなさそうだけど総合職で出すしかないのか…。


われながら、マジメに会社で働いている人たちを馬鹿にしてるよね。
あきれた思考回路だ。


なんで明確に行きたい理由のないような企業をまわってるんだろう。
バカじゃないの、ほんとに。
でも、ほとんどの企業にたいして、行きたいと熱烈に思う理由なんて
ないような…。


好きなことを仕事にするという方向を、あえて考えるのをやめようとしてる。
苦しいから、とりあえず置いておこうとしている。

このまま進むなら。
お仕事してる間は、きっと自分を殺すことになるんだろう。
昼間の星みたいに。

2001年02月08日(木)



 タコ分析Part2

なんかほんとに懐の深い友人を持ってるなあって思うこと、しきり。
以前頼んでおいた友人のひとり(かれこれ大学入って3年目のつきあい)から
また他己分析のメールをもらっちゃいました。
それが前よりさらに手が込んでて面白いの。
けっこう見えてなかったこともあった。
でも案外、会ったことのある方だと、印象が同じって頷かれるかもしれない。
どうなんだろ。

■第一印象
 かなり昔なんですけど(汗)。
 そうですなぁ……ええと……、
  ・内気でおとなしくて人見知りしそう。
  ・つきあっていくうちに本性出るってタイプかなぁ?
  ・親しくなると、意外とはっきりものを言う人かも。
 ……てなことを思った記憶が。
 
 第一印象と言っても『ぱっと見』と『最初話した時』があると思うんだけど、
 そういう意味では、印象はどっちもあまり変わらなかったかな。
 少なくとも、のっけからガンガン喋るタイプだとか、
 勝ち気な人とかではない、と。
 あ、でも、『ぱっと見』だけで言うと、内気とかじゃなくて、
 こう、一歩引いたスタンスを堅実に守ってる感じに見えるかもしれない。
 少なくとも、しゃしゃり出てくるやかましいタイプには見えん。

■話してるときの印象
 そうですねえ……。
  ・天然ボケ。
  ・いつも困ってるイメージがある(表情、行動共に)。
  ・結構ズバズバ言う時がある。
  ・でも、煮え切らないことが多い(?)。
 ってな感じかなぁ。最初の頃と今とじゃ差もあるけど。
 喋るよね、ちゃんと。少なくとも無口やら寡黙やらではない。 

■イメージ
 これ、どういう意味でなんだろう?
 質問の意図がいまいち判らんのだが、単に外見じゃないよねえ?
 どういうふうに答えれば相応しいのかわからないけど、
 色に例えると暖色系だよね、君。似合う色って意味じゃないよ。
 ほわほわしてる感じ。例えばオーラなんてものがあったとしたら、
 きっと暖色系で、ほわほわしてるんだろうな、って感じかな。
 トーンは少し薄めか、中くらい。濃くはないだろうなー。ペールトーン?
 勝手なイメージなんだけど。

 あと、やっぱり、いつも困ってるって感じ。
 そのくせ結局はなんとかしちゃう。

■長所、短所
 長所と短所って結局は繋がってるものだったりするのよね。
 そうねえ、他人を好意的に評価しすぎな気がする。
 言い換えると、その人の『見せてる姿』を、
 素直にそのまま受け入れてる気がする。
 ゆえに、たまーに、人の表面に騙されやすいんじゃないかしら、と
 心配になることもあったり……。
 ただ、これは長所でもあると思うのよ。大いにね。
 肯定されてほっとする時ってやっぱりあるから。
 でも、人を過大評価したり、賞賛的目線を向けてしまうと、
 相手は自分を作らざるを得なくなるとも思うし。
 むうぅ……難しいねえ。
 
 あと、あなたは『自分を卑下しすぎ』と言われることが多いようだけど、
 むしろ、『自分の能力をわかってなさすぎ』だと私は思います。
 もったいないです。
 
 むやみな自己否定は他人否定だからねえ。過ぎた謙遜って侮辱でしょ。
 自らも反省しつつ(苦笑)。

■合いそうな仕事
 なんかねー、イメージ的にはちっちゃい子に囲まれてる保母さんとか、
 ほんわかなお仕事してそうなんだけどね。
 あとは、収入も生活もそれなりに安定してる、無難な職な感じ。
 かと言って公務員かと聞かれると困るのだけど、
 少なくとも、締め切りやノルマに追われる職とか、そういうイメージはない。
 でも、やっぱり、いっつも困りながらも結局は仕事をきちんとこなしている
 というイメージはあるんだけど(笑)。

 男性に混じってバリバリ働くとかよりも、
 女性の多い職場でほんわか楽しく働くほうが向いてそう。
 中小規模でアットホームな感じ。
 しかし、あくまでイメージだけど。
 あなた、たまにめちゃくちゃ意外なので。

 主に女性関係の職業とか、如何でしょうか。
 あとは、ある程度好きなものに関わってたほうがいいんじゃないかな。
 結構、私情だけで終わらせずにできるかもしれない。

■一緒に仕事がしたいかどうか、その理由は?
 どんな仕事やねんっ、私とアナタで!!(苦笑)。
 っていうか、私はあんまり友達と仕事はしたくないかもしれない。
 まぁ、やるとなったら、別にヤじゃないよ。
 あっでもあんまり切羽詰まってるのは嫌かも。締め切りに追われてたりとか。
 いや、それは仕事として既に嫌だけどさ。
 一つの仕事をこなす上で、マイペースなまま行動されさえしなければ、
 それほど難しくはないんじゃないかな……?
 あとは、あなたが自分の意見を押し込めてしまわれなければ。
 これって自分に自信がないからなのかなあ?
 それとも、主張するほどの意見でないと自分で切り捨てちゃうのかしら?
 どっちにしろ、あなたはもったいないことが一杯ありますな。

それにしても、
いつも思うのだが、あなたはしょっちゅうものすごぉーっく焦ってる
(とゆーか困ってる)印象があるわりには、
燦々たる結果に終わった、などという話は聞いたことがないので、
『とりあえず、なんとかしてしまう』という点では、
実は相当能力がある人なんじゃないかといつも思うのよ。

本題に戻ると、
あなたは、要領悪そうに見えて(もしかすると本当に悪いのかもしれないが)、
実は結果はちゃんとなんとかなってるわけでしょ。
『なんとかしてしまう』ことはできるんだから、
もうちょっと自分の能力に自信を持ってもいいんじゃないかしら、と。

あとはスピードとかペースとか計画性とか、
もう一つ要素があったら相当可能性は広がると思うのよね。
それが難しいってのはわかってるんだけどさ。やっぱ、もったいない。


《おわり》


スピードとか計画性とかあったら、人生変わると思うよ、ホント。
それと、要領のよさ。
結果がどうにかなるとかではなく、ほんとにちゃんとうまく立ち回れる人になりたい。でもきっとこれは努力しても無理そうなのよね。
たとえば、悪いことをしたとして、10人いても、ひとりだけ見つかっちゃうタイプなので、はじめからやらないようにしてたりして。(笑)

それにしても、面白い結果。
たとえば、長所と短所。
他人の良いところを見つけることはわりと得意だとは思ってたけど、
確かにそれが相手にイメージを押し付けることになりがちなんだなあ。
以前もたけこさんやmeeさんに“お姉さん”的イメージを押し付けたし。
それってきっと、すごく窮屈なことだもんね。
ほんとにほんとに気をつけなくちゃ。

ところで、こんなの日記にのせて、面白いのはごく一部の人だけだと思う。(笑)
ちょっと自己満足的な日記なのでした。

2001年02月05日(月)



 スキンケア

昨日のせいで疲れきって、一日マグロになってました。
いや、トドか。(笑)
ほんとうはスーツを取りにいったり、写真をとったりしなくちゃいけないんだけど。
明日、ええ、明日こそ動きますとも。

最近母がシワのことを気にしてて、やたら煩いんですけど、
自分と娘(私)とを比較したがるんですよ。
その差、25歳。
すっぴんの私の肌を、しみじみ触って。
アンタ肌だけはきれいになったよねえって。
(悪かったわね、肌だけで!)
と思いつつ、そりゃある程度は手入れしてるもん、と答えました。
でもね、たまにメイク落とさずに寝たりしてたら、
年末あたりはほんとうに肌が荒れて、酷いありさまになってしまい、
他にとりえも無いので、最近は最低限はやるようにしてるのでした。
メイクする機会が増えたのも肌荒れの原因なんだよねえ。
とすれば、社会人さんはそうとう手入れして、肌を保ってるってことかしら。

私は高校生になるまで、洗顔料さえ使ったこともなくて、石鹸で顔をごしごし洗って、そのまんま学校に行ってたというくらいで、
(母がまったく無関心で知りえなかったので)
高校に入ってはじめて、りょうかさんに化粧水だのリップクリームだの教わって、
始めたんでした。
そういえば、マニキュアのテスターがわりに指を使われてたような。
おもちゃだったのね、わたしは。(笑)

高校時代、印象に残ってる言葉があって。

私:りょうかさんってどうして唇切れないの?(私は血だらけ)
りょうかさん:だってちゃんと食事のたびにリップ塗ってるもん。努力してるんだからアタリマエでしょ?!

ほえー。
コレ以来、私は肌荒れを起こすと、ああ努力を怠ったわと思うようになりました。
でも、年齢には勝てない。
化粧水をつければそれだけでもちもちだったのが、最近はつくづく乾燥しすぎで、心までがさがさしてきます。

ねえ、母よ。
ある程度は努力しないとね。
化粧落とさずに寝てるようじゃダメよ?
もちろん、自分も。(苦笑)

2001年02月04日(日)



 ある大学生のだらけた一日

ね、眠いです。
もうこの年では徹夜はきかなくなってきてます。(涙)
ふえー。眠いよう。


今日はゼミ論発表会だったんだけど、
とりあえずゆっくりはっきりと声を出して(芝居がかってたかもしれないけど)
はったりカマセタと思うんだけど、それでも声が震えるのだけはどうにもならなかった。
でも、個人的な会話をせよと言われるよりまだ楽なのは何故なのか。
ツッコミを受けましたが、笑顔でさわやかに返せたはず。
こういうときだけは、一生懸命に見えるという外面のよさがトクなのかもね。(笑)
しかしわれながらしみじみ中身のない論文だった…。


テレビ局はすでに面接に入ってるらしく、今日は5人ほど欠席。
各ゼミでは、半数以上がテレビ局を受けるらしい。
面接の練習っていうこともあるようだけど。
私なんて締め切りさえ知らなかった…。
どーせどーせ書類で落とされると思ったし。
でも書類で落とされた人間はほぼゼロだそうで。
まわりの人間のあっけらかんとした強さに圧倒されてしまった。
フツーそんもんなのか?
どこから湧いて来るんだろう、その自信。
ああ、はったりでもいいから、そのテクが欲しい。


他に、あとからスーツ姿で駆け込んできた人もいたり。
2月に内定が出る業界もあるようで、なんかもう、ほんとに青田買い。
あとは、ゼミ内で近況報告なんかをし合って。
ゼミの友人たちにマジメに諭される。
「○○ちゃん、もっといっぱいエントリーしないとだめだよ?」
えええーーーー?!
…そろそろさすがに焦らないといけないらしい。
でも、そんなに有名どころばっかり出したってしょうがないじゃん。
ちっちゃい、合うところを一生懸命探さなきゃ。
ぶあつい会社四季報とにらめっこしてるけど、結局経済のことに疎いと、
データを読みこなせなくてなにを基準に選べばいいのかわからずに途方にくれるんだよね。


父は、そんな何社もアプローチかけてどうするんだって反対に怒る。
彼は昔かたぎの人間で、大学だって国立1本しか願書を出さなかったような人で、だからわたしのいっぱい保険をかけるようなやり方が邪道だという。
非常識だって。
大学受験のときもそう言われたっけ。
今は昔と違って厳しいんだよってどんなに言っても、無駄なので。
自分がとても甘えてて、非常識な人間のような気がしてきて、ちょっとやな感じだ。


明日も発表会と、4年生の追い出しと2年生の歓迎の意味での飲み会。
きっとヘロヘロになって帰ってくるでしょう。
自分の発表よりもミンナと頑張って馴染まなきゃいけない飲み会のほうがプレッシャーってなんなんだろう>私。

2001年02月02日(金)



 うーん、反発を買いそうな。>新大久保駅事件

新大久保駅での事件は、詳細を説明するまでもないだろう。
酔っ払ってホームから転落した人を助けようとして、日本人である関根さんというカメラマンと、李秀賢さんという韓国人留学生とがホームに下りたものの、結果は全員死亡という悲惨な事故だった。

李秀賢さんのHPを日本語訳で読みに行った。
アクセスは40万を超えていて、BBSにはとにかく勇気をたたえる言葉があふれていた。
彼はサイトの自己紹介で、将来を大統領と書いていて、それがまた、正義感の強さを表しているような気がした。

母はこのニュースが流れるたび、やりきれないといった表情をする。
関根さんのお母さんがテレビで、「せめて助けられたならいいんですけど…ちょっと思慮が足りなかったんじゃないかと思います」というようなコメントをしていたからだ。
それが本音だよねえ、とわが母は言う。
英雄にならなくても、卑怯者でも、身内はきっと生きていてくれることを望むだろうから。
私もそう思う。
志しなんてものは、残るけど…たしかに残るけど、それでももう本人ができることはないんだから。

渋谷区だったっけ。
公共工事の見直しで住民側と行政が対立していて。
住民側の代表が、憤死ともいえる、抗議の自殺をした。
だけど、その遺書さえはじめは受け取ってもらえなくて。
息子さんが怒りを押し隠してどうにか受け取らせたけれども、
そんなのどれだけの意味があるだろうって私は思ってしまった。

ただだらだらと生きていても、確かにどれだけの意味があるだろうと考える。
それでも、死んだからってどれだけの意味があるだろう。
いまだによくわからないから、
とりあえず、生きていて考えるわけ。

新大久保駅の事件の後、現場に、ふたりとは知り合いでもないという若い女の子が花束を置きに来て、あまりに勇気のある行動に涙が止まらないといって、ザーザー泣いている姿を同情的なカメラが映していた。

ごめん。
あたしが素直じゃないんでしょう。
極悪人なのかもしれないね。
でも、あたしにとっては、あなたがそこまで涙する理由が、正直よくわからない。
きっと優しい人なんだろうねえ。
じゃあ、あたしは優しくないんだろうな。

それよりもあたしは、李秀賢さんの恋人だったという女性のことなんかをふと想う。死んで英雄になった恋人より、生きて罪悪感に苦しむ恋人のほうが、きっとずっと嬉しかったんじゃないのかなあ。
ああでも。
簡単に他人を見殺しにするような恋人を愛せるかというと、またそれも違うかも。
もしそこに、罪悪感の欠片もない人なら、あたしだってきっとすうっと心が冷めるだろう。
でも苦しんだ結果、生きることを選んだなら、卑怯者でいい。
なんて思ってみたり。


李秀賢さんの報道がとりわけ大きくされるのは、日本人の若者にはない正義感や儒教的精神がまだある韓国の若者に対する日本人の敬畏心のあらわれだというネットでの報道を読んだ。

きっと日本人の若者のなかにも、自虐にも似たそういう引け目みたいな気持ちがあるから、さっきの女の子みたいな反応になるのかな。
老人が特にこのニュースを好むのは、韓国に対する罪悪感とか、そういう面もきっとあるだろう。

でもあたしは飛び込みません。
見殺しには出来ないという気持ちは、わかるけれど。
ずっと一生その人のことを助けられなかったという後悔を引きずっていくだろうけど、それでもしょうがない。
とりあえず、博愛主義なんてスバラシイ精神は持ち合わせてないから。
人間のなかには、赤の他人と、知り合いと、大切な人と、唯一無二の人と。
そんなふうに、喪いたくない順番がある程度は決まってる気がするから。
ただの酔っ払いのおじさんでも助けますってあたしは言えない。


このあいだ、1限から試験があって切羽つまってるとき、途中で明らかに道を探している目の不自由な人を見かけて…一瞬迷って立ち止まり、普段ならきっと声をかけるなあって思ったけど、結局そのときは無視した。
瞬時に天秤にかけたんだ。
自分の卒業資格と、その人と。
結果→自分が大事。

………いいや、それでも。

2001年02月01日(木)
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