unsteady diary
riko

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■ 映画&帰省

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」が観たいなあ。
あの音楽がラジオCMでかかるたび、どきっとするんです。
心をつかまれるような感触で。
まあ、実際に観てみないとわかんないですが、
身を削って踊る、ひとつの自己表現をするということじたいに
すごく惹かれるので。

12月はじめのお芝居の余韻、身体記憶みたいなものが病み付きになっていて
震わされる空気をいつもまとっていたくて
映画でも観ようかなあと思ってるところ。
「バトル・ロワイヤル」は、映画より本を読め、と
Rさんにせっつかれているので、
映画としては、別のものを観たいです。


そういえば、メールボックスの送信簿を見たら、
12月の送信記録が、なんと8通しかなくて、
乾いた笑いがもれました。
ああ、メール…。
普通に書こうとすればいいんだけど
言葉が軽くすべるのはどうしてもイヤなので
遅筆ですけど、長い目で見守ってやってくださいまし。
それにしても、自分自身はメールもらうの大好きなくせになァ。(泣)

せめてもの気持ちで、年始のご挨拶を書きました。
はじめてカードをもらって嬉しかったときのこと、
思い出しながら。
言葉ってやっぱり私にとってはずっとエネルギーです。


突然ですが、大晦日から留守にします。
1月4or5日には帰ってきたいと思ってるんですが、
自分の意志が通るかどうかはわからないので、
なんとも云えないです。

しかも、あまり行きたくない、母の実家に里帰り。
美味しいおせち料理が楽して食べられるので、それはとても嬉しいんですが。
祖母と母が結託すると、すばらしいチームワークなので
将来(就職)どうするのよ、と責めたてられること間違いなし。
それもこれも、頼りない自分が悪いといえば悪いので、
嵐でも辛抱してきます。

ただ、ネットに逃げられないことが、辛いかなあ。
何日我慢できるか、見ものです。
でも案外馴れるものなのよね。(苦笑)

2000年12月29日(金)

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■ 気まぐれな更新の意味。

また唐突に短文を書いた。
[花束]。

storiesには基本的にフィクションを載せているのだけど
これはそうではなくて。
ただ、気持ちを整理するために書いた。
もやもやとしていたもの、文字にしたら残して置ける。
それくらいしか、私はできることはない。

情報通な人に聞けば、たぶんそのひとの名前はわかる。
田舎町だから。
事故で亡くなった若い人なんてそう多くはない。
だけど、私は聞かないままでいようと思う。


2000年12月28日(木)

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■ コンサート

レニングラード国立歌劇場管弦楽団の第九を聴いてまいりました。
突然、母の知り合いの方から、招待券をいただいたので。
招待券だけに、ふだん縁のないS席でした。
いざ行ってみたら、舞台が近くてびっくり。

クラシックのコンサートなんて、久しぶりでしたが、
第九のほうはよかったです。
その前に演奏したモーツァルトの「ジュピター」は
私がモーツァルトが苦手なせいか、全体的に編制が薄かったからか、
あんまり感動しなかったけれど。
コン・マスも第九のときと「ジュピター」とでは変わっていたし。
第九になったとたん、演奏が全体的にピリっとして、
あのジュピターはなんだったんだ、と思ってしまった…。

それにしても、アルトのソリストの声が細くて
ソプラノに負けっぱなしでした。
ソプラノってそもそも響かせやすいのだから
よけいにアルトとのバランスが悪くなるのよね。

年末というと、どこでもとりあえず第九。
お定まりだけど。
なぜか、年末気分はあまり盛り上がりませんでした。
焦りばかりが募る、この時期です。

2000年12月27日(水)

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■ 私らしいことに、明言はせずに終わるのね…

今日のNHKの「世紀を超えて」を見た。
バイオテクノロジーを核に、生命倫理、老い、病、死について
さまざまな切り口から語った特集。

去年の倫理学の授業を思い出した。
尊厳死、安楽死について学んだ興味深い授業だったのに
私は、最後のレポートをなかなか書きすすめられなかった。
けっきょく提出したものの、けっして納得のいくものではなかった。
答えなんて、出せないままだったからだ。
すごく書くのがつらかったのを覚えてる。

そのとき授業で見たのは、1,2年前のNHKの特集だったと思う。
さらに遡ると、最初に安楽死のテーマを扱ったNHK特集を見たのが、
たぶん中学のとき。
医師の注射で人が死ぬ、最後に心電図が平坦になる瞬間は、
わたしのそれまでの価値観を揺さぶるものだった。
いろいろなことが、選択肢としてわたしの前に置かれた。
知らなければ、選べない。そのぶん迷わずにすむ。
だが、知れば知るほど、どんどんわからなくなる。

それから、5年以上の月日が流れた。
世界は後戻りすることなく、動きつづけていた。

去年調べたオランダでの安楽死の方法は、
合法ではないものの、医師が条件に合った安楽死の判断をしたと
裁判で立証できれば、罪に問われないという回りくどいものだった。
医師には、安楽死させたあとに、審判が待っているわけで
リスクもないわけではなかった。
それが、今日の特集で知ったのだが、さらに状況が変わり、
オランダでは完全に合法化する法律が可決されたそうだ。
さらにベルギーなどでもそれにつづく動きが出ているそうである。

アメリカには、患者の自己決定権法というものがある。
その考え方に基づけば、
死ぬときを自分で決めたいという権利もまた、生じてくる。
オレゴン州では医師による自殺幇助が合法化されたそうだ。
しかし、合衆国レベルで、議員たちから烈しく糾弾されている。
「オレゴン州の医師は死刑執行人」だというのだ。
だが、実際に手続きを待っている人もいるわけで。
そのひとりである患者さんの言葉が印象的だった。
「私に言わせれば、反対する議員たちはわたしに拷問をしてるようなものよ」
私もそう思う。
議論されている場に、実際に病に冒されている人など、ひとりもいないのだ。
健康な肉体、健康な精神をもって、
なにを語れるだろう。
なにを反対できるのだろう。

けっきょくそこに行き着く。
いつもいつも。
ただ未来がわからないということではなく、
私がいる今は、私が健康な今だから。
そして、私の周りの大切な人が、同じく健康な今だから。
どこまで痛みがわかるだろう。
どこまで切羽詰って共感できるだろう。
それはとても感情的で、なにも役に立たないようにも思えるけれど、
共感できない人がつくる生命倫理のガイドラインも、
法律も、なにも意味がないはずだから。
想像にはとても限りがあって、だが知ることですこしでも
湧いてくるものがあるのも確かだった。
どう規制し、一方ではどう認め、さまざまな危険をはらむテクノロジーを活用してゆくのかは、まずそこから始まらなくちゃいけないと思う。


安楽死を望む手続きをしていた女性は
どうしても必要な2人目の医師からの末期だという診断を待っていた。
だが、その医師は死刑台のスイッチを押したがらなかった。
娘が説得をするシーン。
私なら、どうするだろうと考えてみる。
母親が苦しまないで逝けるよう、やはり安楽死を認める診断をするよう、医師を説得するだろう。
だが、明るく、明るく、それは可能だろうか。


「よく死ぬことは、よく生きることだ」(千葉敦子)
という本がある。
末期がんに対して、自分らしく最期まで毅然と生きた人の手記といえばよいのだろうか。
千葉さんの本を読むときはいつも、背中を叩かれている気がする。
「もっと強く、生きられるはずよ」というふうに。
だけど、本当に誰もがもっと強く生きられる?
それならなぜ日本ではいまだに末期がんを告知するのを躊躇うのだろう。
やはり耐えられない人がいるからではないのか。
あなたには、それができた…わけなのだけど。

もちろん患者には自己決定権がある。
それは絶対におかされてはならないと私も思う。
だから、まずは知らされなければならない。
どんな技術があり、どんな生きる方法があるのか。
ひいては、どんな死に方があるのか。

ただ、その前にひとつ、思い出すエピソードがある。
末期であると宣告されて、安楽死を望んでいた人がいて。
それをホームドクターはのらりくらりと引き延ばしていた。
きっかけは、確か孫ができたんだっただろうか。
彼は、死にたがらなくなった。
そして、余命半年以下と言われていたのが、
2年以上生きたのだという。

医療技術は、ヒトゲノム計画ですべての運命が解読できるだろうと言われているのなら、たしかに人間を超えるのだろう。
だが、一方で、人間もつねに、医療にはわからない部分は、どうなるのだろうか。
未知数の部分が残りつづけるのか、それとも…。
こう思うのは、私がロマンティストで、文系で、なにも知らないからかもしれないけれど。だけど、医療が実際に使用される人間は、たぶんわたしと大差ない普通に生きてる人々のはずだ。

この危機感は。
未知数がなくなる危機感だと思う。
ほんとうになくなる?
たぶん、技術がもっと進歩するなら、そうなるんだろう。
それを止められはしないし。
恩恵を受けたいと、いずれは私も望む日が来るだろう。

リチャード・ドーキンスという人の言葉は、未知数がなくなるだろうことを予言していた。
「人間も含め、すべての動物は、遺伝子に操られた乗り物に過ぎない」

私はこの言葉に身震いした。
だが、だからといって、科学の発達を否定することなどできやしない。
進歩は、時間の流れと同じく、覆せないのだ。
地球のなかで、空間を変えて、とりあえず20年くらい遡ることはできるだろうけど。そういう回帰主義は好きじゃない。
現実逃避にすぎないと思う。
自分だけが逃れたつもりでも、もう全てを知っているのだから。

技術が先行する、現代の状況のイメージは、たとえばこういうもの。

目の前にいつだって使っていいよと武器が置かれている。
平和なときは手を伸ばさずにすむだろう。
だが、目の前に敵が迫ったら、とりあえず手にとってしまうだろう。
それまでがいくら平和主義者だったとしても、
案外信条だの、法律だのは、簡単に変えられる。
そうしていくつもの戦争と、戦争に伴う科学技術の前代未聞の急速な発達がまさに今世紀、こうして起こったのだ。
つまり、そういうことだ。

この先、テクノロジーを人間がきちんとコントロールすればいいと言う人がいる。
確かにそうやって付き合ってゆくより他ないだろう。
だが、コントロールできるとしたら、それは確実に、科学ではない何かだ。
テクノロジーを生み出した科学がテクノロジーを支配できようはずがない。
だとしたら、欲望は、人間の心理は、なにによってコントロール可能なのか。

わたしは、以前、ここで詰まったのだった。
そして、今日もまた、ここで止まったのだ。

わたしが感じる欲望は、いまのわたしの欲望で、将来のわたしの欲望でもなければ、また他人のそれでもない。
だから、とてもあいまいなもの。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
目の前に自由に置かれた武器であるなら、つまりテクノロジーが規制されなければ、欲望は天井を知らないだろうということだけ。


P.S
favorite words更新。
生命倫理のことを考えるとき、脳裏に浮かぶ、ある母の立場からの詩を
アップしました。
ひとつの確固とした姿勢として、とても惹かれるものです。
そのうえで、反発も感じないわけではないけれど。
よかったら、こちらも読んでみてくださいね。

2000年12月25日(月)

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■ 更新

今日はクリスマスイブですね。
ラジオの特集がいい感じで、一日中音のなかで揺れてます。
クリスマス・アルバムをかけたり。
毎年この時期だけ、マライア・キャリーのクリスマスアルバムとか
Boyz �供�Menのクリスマスアルバムをかけることが多いです。
クリスマスの敬虔な雰囲気はそれなりに好きなんですが、
別に無神論者なので、[聖なる夜]とか言われてもねえ、という感じです。
まあ、お盆よりも身近といえば、そうだけど。
もうちょっとちいさかったころは、
クリスマスケーキくらいはつくってたような気がするんですが、
最近はもうやりません。
一昨年にズコットというシンプルなケーキを自分でつくったのが最後かな。
以前、ひとりでニコライ堂のミサにも行ったことあるけど、
信じてない人間にとっては、好奇心以上のものはあんまりなかったし。

ですが、いちおうクリスマスにちなんで、ひねくれたショートをアップしました。
また暗いですね。(苦笑)
ちょっとは幸せなものは書けないもんかねー。

それと、ついでに[紅玉]をちょっといじりました。
けっこう変わったかなあ。
なんだか、まとまらないうちに勢いだけでアップしたので、
読み直すと厳しかったです。
今日の[恋愛依存症]も、24日のうちにと思って
すぐ書いてアップしちゃったので、あとでチェックするのが辛いだろうなあ。


2000年12月24日(日)

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■ 悪友たちはあいかわらず元気いっぱい。(笑)

高校時代の友人宅に数人とお泊り会してきました。
といっても、彼女の部屋には入れないんですが。
彼女、いまパロディで同人誌をつくっている人なので、
部屋にはそういう道具が足の踏み場のないほどなんです。
いやはや、ほんとうに、本人談どおりでした。
なので、妹さんのお部屋を貸してもらって、妹さんが友人の部屋で寝て、
わたしたちはキレイな部屋で過ごさせてもらいました。(笑)

KOFというSNKのゲームがあるんですが、
彼女はそのパロディをしてます。
高校時代からなので、一応知ってはいたんですが、
彼女はそれから4年経った今でも燃えてます。
すごい持続力だよね。
妄想もそこまでくると、愛だよ、ほんと。

一方では服飾マニアだったりして、
今度服飾の専門学校へ入るとのこと。
そういえば、以前からよく服を作ってたのでした。

今でも思い出すのは、高校の卒業式。
自由な校風で、私服だったので、みんな思い思いの格好をしてきたのですが。
まあ、多いのは普通のスーツ。
ちょっと変わってるのが、Rさんの羽織袴姿とか、チャイナドレスとか。
もっとやばめなのが、男子のバニーガール姿とか。
全身銀色のフィルムで包んで、ペプシマンだとか。
いやはや、とんでもなく楽しい学校だったのですが。

なかでもすごかったのが、
この友人K。
全身をプレゼントに見立てて、きらきらと輝かせてました。
プレゼントをラッピングするときのきらきら透明のフィルムがあるじゃないですか。あれで透明なバレエの衣装みたいなドレスをつくったわけ。
で、基本は、全身タイツ。
白のものを、自分でピンクに染める。
なんというか、豪華でした。
写真をいっぱいとられてましたね。
知らない人からも。

なんというか、きらびやかなんですね、彼女自身が。
外見だけの問題じゃなく、にじみ出る華やかさ。
お化粧する日としない日と、これほど違う人もいないだろうってくらい、
彼女にとっては、おしゃれは、身だしなみじゃないの。
それはもう、自己表現なの。
気合を入れるとき、テーマがある日。
それにそった格好をする。
お金の使い方も素人ばなれしていて、すさまじいのだけど
もう、それが彼女というふうに、
ふしぎに納得させられてしまう強い光をもってるんです。

彼女の生き方は、あくまで彼女だからできること。
「隣の芝は青い」とも云えるけど、でもわたしは好きです。
All or nothingな生き方が。
うちの高校では珍しく、短大へ行ったのだって、
第一志望とそこしか受けなかったツワモノだから。
誰がなにを言おうと、貫き通す。
周りを巻き込んででも。
人とちがった生き方をする分、風当たりは強いはずで。
でも、あそこまで堂々とやられると、もう拍手ものです。
思わず応援したくなる。


昨夜、深夜までぼそぼそと炬燵トークしていて
「やりたいことしかやってこなかったもんね」
とその友人Kが笑いながら言いました。

それで思い出したのが、りょうかさんの日記。
15年後の自分―やりたいことをできていたらいいよね、
という言葉。


やりたいこと、つまり理想。
中央が空洞では、光は生まれない。
妄想でもなんでも、とにかく自分にとって譲れないもの、
守るもの、突き進むもの。
空洞化してる部分を、いま少しずつ埋めてるつもりなのだけど
リハビリはあまり順調ではないです。
思った以上に殻が堅すぎて、
自分でもコントロールできないダークゾーンがあって、
手をつけられなかったり…とかね。


友人Kは、原稿書き(ラブコメらしい…Hもありの…汗)のことを
あくまで「仕事」と称します。
それは、バイトとはたぶん違う意味合い。
死ぬまで続けるよ、とのたまってるのだから。
それが印象的でした。
相田みつをさんの「仕事」と重なったので。


おなじやるならば
本腰入れて
やってごらん
そのほうが
つかれないで
たのしいから


―深い言葉です。

2000年12月23日(土)

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■ 会食。

笑顔。
帰り道、自然と鼻歌。
「12月24日…誰かの♪」とかいうケイタイのCMソングがぐるぐるしてて、
つい口ずさんでしまう。
なぜだ?
今日のお食事が、よほど、楽しかったらしい。
よほど、美味しかったらしい。
なんだかなあ、現金だよ、わたし。
こうやって、微妙にガス抜きしてるから、内圧が高まんないんだろうけど、
でも、楽しかったからいいや。
まるで肩がこらないんだもの。
あがり症の私には、とても珍しい現象。

今日はももさんとmeeさんと3人で、ももさん帰国オフ。
これに参加するか決めるとき、ちょうど気分が下降気味だったので
楽観的にものを考えられなくて、縮こまってて、迷ってたの。
だけど、答えを出す直前に、ふと思い出した。
夏のおわりごろ、ももさんと朝までチャットしたりしたことがあって、
会話の中身も妙に濃くて、考え方とか面白くて、
会いたいなあ、って思っていた。
すごく惹かれてた。
最近ネットであまり出会うことがなかったから
その感覚がすこし薄らいでたけど、すごくリアルによみがえった。

今日、もし行かなかったら、2度目のチャンスがあったとしても、きっともっとずっと勇気が出なかったと思う。
自分の気持ちに素直になって、よかったと思う。
会いたいか、会いたくないか、ただそれだけのことなんだ。
ほんとうに、そう。

いいんだもん。
なにを求めて会うのか、わたしにはまだわからないけど。
ちゃんと言葉に出来ないでいるけど。
会いたいか、会いたくないか、それくらいなら、わかる。
それしか、ない。
それでいいんだと今日は思う。

明日はわかんないよ?
でもいいや。また後退するかもしれないけど、今日はそうなんだから。

場所は。meeさんおすすめの和食料理屋さんでした。
美味しかったんだ〜、すごくすごく。
はあ…ぷりぷりの甘海老のお刺身。
だし巻き卵のやわらかさ。
お豆腐ったら、お醤油つけないでただ味わうだけでも、すごく美味しいの。
鍋も、だしが出てるとあんなに美味しいものなのね。
学生には過ぎた贅沢かも、と思ったけど、ほんと大満足でした。
昨日のゼミでの忘年会が、あんまりお料理もお酒もおいしくなかったから、
よけいにね。
美味しいもので幸せになれるうちは
まだ頑張れるという気がする。

その後のお茶も、雰囲気のいいお店で、隠れ家みたいでした。
ミルフィーユが特に美味しかった♪
アール・ヌーボーっぽいランプとかが、好みで、落ち着きました。
だけど、自分で稼げるようにならないと入れないです。
喫茶店って、学生には高嶺の花。(笑)



2000年12月20日(水)

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■ 悪酔い

ゼミの忘年会で、あまり呑みたくないお酒を少量無理して呑んだ。
あたしは下戸というわけではないし、弱いけど、お酒の味は嫌いじゃない。
それに、案外気分は酔えなかったりする。
今日も、まったく酔ってなどなかったのだけど、
帰りの電車のなかで、貧血をおこして、途中下車。
ふだんは血色のよすぎる顔が、紙みたいに真っ白くなるので、
われながら、ふしぎな感じ。
血液がさーっと下がると、こんなに人間って色がないものなんだ、と思う。
面白いよ〜、死体もどきで。
気持ち悪くて、立っていられなくなるくせに、
そんなふうに自分を冷静に見てる、もうひとりの自分がいるから、
どこか、外せないんだよね。
お酒でたがが外れる人がいるけど、ある意味妙にうらやましかったりもする。
そういう手段があること、だけで。

そんなことしてたら、終バスはとっくになくなってしまったので
最寄駅から、50分かけて、夜道を歩いた。
気分はよくなったし、寒くなかったものの、途中人気のないゴルフ場の林の横をずっと通るので、怖さを紛らわすために「あ・え・い・お・う…」と発声練習しながら歩いた。
大きな声を出すのは、気持ちがいい。
もっとも、端から見たら、あたしのほうが変質者だったかもしれないけど。

家に着いたのが、1:00近く。
それでもまず、ネットをつなげてしまう。
完全に中毒者だ。


吉田秋生の「吉祥天女」を読み終わった。
ミユキさんの書き込みを読んで、面白そうだなと思って、
りょうかさんに貸してもらった。
ほんとはBANANA FISHを借りるつもりだったのだけど、
家にはないらしくて、こちらはまだ先になりそう。
買うにしても、読み始めたら一気に買っちゃうだろうからなあ。


「吉祥天女」は、たぶん、いまのあたしが書きたいことにすこしだけ近い。
簡単に「だからオンナは…」ってくくられるのは嫌いだけど、
一方で、あたしがオンナであることは、あたしの一部を確かに規定している。
それも、いまはすごく重荷になってるから。
無視できない。
それをどうやって表出してゆけばいいのか、吉田秋生さんは、見せてくれる。
魅せられる。

感想は。
はじめて「櫻の園」を読んだときのほうが、インパクトはあったかもしれない。
それとも、あたしが当時とは変わったのか。
生身のオンナとして、重なる部分もありながら、それでも、天女の話になってしまった。
リアリティという点で、あたしは、なんとなく壁を感じたのかもしれない。
そのうえで、女としての自分を考える、起点にはもちろんなったわけだけども。

たぶん、また精神状態の違うときに読み返したら、全然ちがう感想が出てくるのかもしれない。


話は変わるが、昨日の深夜、[紅玉]をアップした。
アレは、自分の高校時代のことなんかを思い出して、ふと突貫工事で書いてしまったわけだけど、(おかげで誤字脱字の多いこと…(笑))
イメージとしては、以前からあったもので、
ずっと書きたかった。
ただ、ちょうど月曜にりょうかさんとこから美味しい林檎をもらったので、
紅玉だなんて思いついてしまったために、突然書いてしまったのだけど。

ひとりだけ、感想をもらった。
筆力の問題はおおいにあるのだけど、テーマさえ伝わったなら
もうそれだけで、うれしかった。

女の子の話は、とりわけ自分を切り売りして書くより他ないので、
痛い話になりやすい気がする。
まちがっても、明るいエロや、ご都合主義の少女漫画的展開は書けない。
だから、いろんな人が来るここにあってよいのか、迷うところだけど、
表に少しずつでもアップしてゆこうと思い始めてはいる。

文章力がないことや、構成がまったく酷いことなんかは
気にしたら、あたしはなにひとつ文章を外には出せないことになる。
だけど。
あたしが書くのは、伝えたいことがあるからだ。
呟きたいことがあるからだ。
それでいいと、思い込んで、どうにか自分の筆力には目を瞑ろうとしている。
とはいっても、上手くなりたいのが、本音だけどね。

2000年12月19日(火)

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■ 化けの皮が剥がれて…

山口母子殺害事件で、被告である少年が、友人に送ったとされる手紙が
問題になってますよね。
妻と子供を殺された被害者が、被害者の人権を訴えて、マスコミに注目されていることにたいして、「調子に乗ってる」と書いたとか、なんとか。
まあ、検察側の証拠として提出されたということなので、
これは信憑性のあることと仮定したうえで。

被害者の遺族が、少年は全然反省してない、と憤っていました。
その怒りは、あたりまえでしょうね。
少年は、手紙をあてた友人を信用して、書いたのでしょうから、
この手紙が明るみに出たら、反省するのではなく、
ただただ、友人にまで裏切られた、としか思わないのだろうと
遺族の方は怒りもあらわに訴えてました。
彼の言うとおり。
問題の根本は、加害者の少年が、罪を自覚し、反省することです。
ばれた、とだけ少年が怒り、傷つくなら、どうしようもない。
最低。
…わかってるんですけどね。
すこしだけ、加害者の気持ちもわかっちゃうんです。
もちろん、犯罪について、ではありません。
加害者の少年が、ばれなければいいのに、って思ってる感情を、です。


ばれなければどんなにいいだろうって、実はあたしも思います。
どっちみち、なかみは同じで。
だから、いずれはメッキがはがれる。
彼も、法廷では泣いたらしいけど、手紙じゃ、そこまで演じきれなかったわけですね。
いつかは、ばれる日が来る。
わかってるけど。
でも、少しでも長く、ばれないでいられたらって望んでしまう。
ばれたのは、他でもない、そういうばれちゃいけない後ろ暗い気持ちをもってる
自分のせいなのに、ね。
ばれたという事実だけを、呪ってしまう。
それで傷つくなんて、八つ当たりです。
完璧なまでに。


近付かなければ、ばれるキケンは少ないです。
明るいところで見なければ、ヤバい部分はさほど目立ちませんから。
でも、彼は手紙を書いた。
口に出さなければ、きっとばれなくてすんだのに。
ばらしたかったのよね、どこかで。


あたしも、ばらしたかった。
抱えたまま、黙っているのも苦しいから。


だから、たぶん。
あたしが望んだこと。
その結果が、いまあるだけ。


時間はもとには戻せないわ。
逆には歩けない。
いつまでも止まってもいられない。


化けの皮って、どんなんでしょうね。
あたしは、そのとき、剥がれたと感じた。
だけど、もうずっと前に、とっくに剥がれ落ちていたのかもしれません。
鏡がなかったので、ただあたしだけが
気づかないで得意げに笑っていたのかもしれない。


持っている服は、これっきり。
無理をしたって、皮膚はいきなり、豪華な服になんてなりはしない。
木の葉の金貨は、やっぱり木の葉。


―拝啓、裸の王さま。

なぜでしょう。
あたしは、あなたを笑えません。
あたしは、あなたを哀しい人だと思います。
そうはなりたくないと心に誓いながら
あなたのとても近くにいるような気がしています。

                   敬具




2000年12月18日(月)

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■ いじめは必要悪か?

少々、風邪気味。
あわてて風邪薬をのむ。
風邪薬でごまかしてる気もしないではない。
ああ、風邪薬で治る風邪ならいいんだけど。

そんななのに、思うことがあって、書いてしまう日記。

「バトル・ロワイヤル」のラジオCMが耳から離れない。
飄々とした北野武の「人生はゲームです。」という言葉にはじまるの。
闘え、殺しあえ、それで勝ち抜け、というわけ。

ちょっと前かな。
いじめというのはなくならない、とある政治家が言って、失言だとマスコミが騒いだ。彼は、いじめは、競争社会で強く勝ち抜くためのもので、有意義だというふうに言ったように、わたしには聞こえた。

わたしは、いじめは、いじめられる側に非があるとは思わない。
競って負けた、負け犬だとは思わない。
適応できないのが、なにが悪い?
学校だけが生きる路じゃないはず。
いじめられても不登校になったらおしまい、負けたわけでしょ?と
ある友人は言った。
わたしは、その言葉がすごく悔しかった。
気持ちが高ぶって、言葉に詰まってしまったけど、
それでも、必死でわたしは、言った。

昔、いじめられたとき。
わたしは、たしかに負けなかった。
それは、わたしにとって、学校以外には自分のできることがなかったから。
そこにしがみついて、価値を確認するより他なかったからだ。
でも、そうでないなら、いいじゃない?
他に居場所があって、学校よりのびのびしていられるのなら。
ある意味、学校でしか生きられなかった、いまも生きられない、私なんかより
よほど自分を見つけてるんだと、わたしは思う。

わたしの友人は、小学校で転校して、いじめにあって不登校になった。
男の子だったのだけど、繊細で、やさしくて、わたしもよく遊んでいた。
大好きだった。
相手も、とてもわたしを好きでいてくれた。

わたしが彼と再会したのは、保坂展人著「いじめの光景」という本のなかで、だ。
ずっと手紙をもらってはいた。
それはもう、申し訳なくなるほど、いっぱいもらっていた。
季節の挨拶とか、ごくふつうのものだったけど、なんとなく苦しいのは伝わりかけてたのに、わたしはとても遠いところにいた。
心も、身体も。
わたしはあまり筆まめじゃなかったしね。
彼が、東京シューレに通っているのだと、たぶん勇気のいっただろう手紙をくれたときも、その当時は、それがどんなところなのか、わたしにはわからなかった。
それは、フリースクールという場所。
つまり、不登校の子供たちがあつまって、自分たちで決めたカリキュラムで
いろんなことを学んでゆく場だ。

わたしは、いじめらしきものにあったとき、ひとりではなかったし。
いじめといっても、まあそんなに深刻だったわけでもない。
幸い、逃げる場所も、逃げる手段もあったから。
家族や、友人や、本、音楽。そういうものに、救われたから。
だから残った、学校に。

でも、それは競争に勝ったわけじゃないし、
我慢してえらかったね、なんてものでもない。
むしろ、自分を大切にするなら、それ以外の選択肢だって考えられたのかもしれない。路を踏み外さなかったことで、かえっておかしくなっている現在の自分を考えると、そう苦く思う。

でも社会的には、わたしは普通の子、そして彼は、普通じゃない子、と分類してしまうんだろうな。現実に、わたしはそうわかっていたから、路を踏み外さないよう、慎重に、臆病なくらいに、ことを運んできたのだ。
確信犯…だと思う。
そんな自分の追従を棚に上げて、それでも言いたい。

殺しあってでも生き残れ、と言われて、逃げたらいけませんか。
競い合わずに、自ら逃げたら、いけませんか。
それは、選択肢ではないのか?

競争社会だと、政治家さん、あなたが言うのなら、
競争に生きない人間については、どう考えているんでしょうね。
いじめが必要悪だという、あなたの生きかたを知っていたら、
有権者はこれまでどおり、あなたを支持するのでしょうか。

我慢、一生懸命、努力。
すてきなことば、ばかり。
でも、わたしは嫌い。
嫌い。
そうよ、わたしの生き方はそればかりだけど、それでもほんとうは嫌い。
子供にそんなことを押し付けないで。
わたしもオトナであるあなたに、押し付けたりしないから。


2000年12月15日(金)

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■ あふれださない…

メールの整理をしようとして、昔…といっても、今年の夏、秋くらいのメールを読み返してしまった。すぐ、やめたけども。

わたしはいま、ほとんどメールを書いていない。
このころの怒涛のようなメールの勢いって、ない。
気がつくと言葉が想いがあふれて、とんでもない長さになっていたのに。

別に長いのがいいわけじゃない。
むしろ、相手に迷惑になる場合だってあるのだから。
気持ちが揺れるのを素直に書けばいいってもんでもないだろう。
だけど、やっぱりエネルギーはあったんだろう、と思う。

ここをつくることで、落ち着けたらいいなと思ってた。
たしかに、そういう効果がなかったわけじゃない。
ただ…なんていうのだろう。
妙な心の凪ぎ方をしている。
meeさんが、ときどき、内圧を高めないと…と云う。
なんとなく、それがわかる気がしてくる。

ここにいる。
わたしはここにいる。
だから、わたしのところへ来たくない人は、そのうち来なくなるだろう。
そういう対等な場所をつくりたかった。
さびしいけれど、こちらから押しかけてゆく関係だけでは、どうしようもなく不安だったり、罪悪感があったりするから。

そうやって、ここにいる。
だが、それは、「動かない」ことにも近い。
凪いでいる。
動かないでいる。
そういう落ち着きが、ほしかったわけではないはず。

自分が動かないと手に入らないものは、あまりに多い。
苦しい思いをして、身体の中を切り裂いてひっくりかえしてみて
それではじめて、わかることもあるだろう。

うーん、まとまらないなあ。
とりあえず、動かないことは、安定じゃないのさ。
動かない自分に焦れてるなら、本末転倒だから。

内圧を高めたい。
でも、高めた結果、自分に向けて爆発するんじゃ、しょうがないのだけど。(苦笑)

2000年12月13日(水)

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■ お食事

ゼミののち、「お腹すいたよ〜っ」とごねて、友人とイタリアンレストランに行く。
安くて量が多くて、いつも混んでるのがたまに傷だが、学生の味方なのだ。
夜になると、ろうそくが各テーブルに灯されるのだけど、今日はもうクリスマスバージョンだった。サンタクロースのイラストが描かれたグラスに蝋燭。
うちでもたまにやりたくなる。アロマキャンドル流行りだから、真似るのはいやなんだけど、昔から蝋燭は好きだから。炎がゆれるのをじっと見ていると、なんだか、心が凪いでゆく気がする。

注文したのは、ツナとトマトソースのスパゲッティ。
さらに、ちょっとだけ贅沢して、カシスオレンジを。
最近カシスオレンジにはまっている。
だって、のみやすいんだもん。
甘めのカクテルしか飲めないんだよねえ、わたし。
ちなみに、白木屋が缶のカクテルを出してるの〜。
これのカシスオレンジは、ほんとにオレンジジュースのようです。
いくらでも呑めそうで、油断してるとあとから効くので、こわいっす。

それだけ頼んでも、1000円でおつりがちゃんとくるので、うれしくなる。
いつもわりと帰宅が遅いので、どうしても外食が多くなるから。
けっきょくは、ひとりでハンバーガー屋にはいるしかないんだよねえ。
それがちょっと虚しい。
ああ、和食でやすくて、女の子ひとりでも入れるところ、ないかなあ。
噂ではあると聞くのですが、渋谷とかにしかないみたいね。

食事しながら、ゼミのことを話す。
わたし、今日も犬猿の仲の男子に、討論でケンカ売ったのよねえ。
最近、気が強くて、どうしようという感じ。
はっきりいって、大学入ってからは、まわりに押されて、こんなに気の弱い人間もいないぞ、というくらい、おとなしかったのに。(笑)

わたしは基本的に、人を嫌うことはあまりない。
別に博愛主義者というわけじゃないけど、
相手の悪いところが、あまり見えないんだよね。
それに、相手の悪いところを指摘することは、そのまま自分に対する批判につながるから、下手なこと言えないせいもある。

でも、ひとりだけ、ゼミでほんとに性格が苦手な男の子がいて。
他の女子は、口もききたくないから、討論もしたくないというのだけど、
わたしは、ついつい反論したくなるんだよう。
ここらへんが、ガキなんだよね。
黙ってればよいものを、あまりに相手が横暴なことを言うと、
どうしても、それに反論したくなる。
今日も、それだったのさ。
まあ、そういう気の強さも、わたしの一部なので、否定しようがないのだけど。

彼は、父に似てるんです。
父より、もっとある意味怖いけど。
大きな声で、どす聞かせて、押し捲って、相手を萎縮させて、
ギブアップさせるまで、痛めつけるの。
それも、笑いながら。
相手の言い分を、まるで聞こうとしない。
聞いているふりをして、でもはなから相手にしていないのがわかる。

先生にたいしてさえも批判する姿勢は、たしかにすごいと思う。
必要なことだと思う。だが、重箱の隅をつついて、鬼の首を取ったかのように喜んでるのって、ちがうと思うんだなあ。
彼の根本には、女性とか、弱いものへの蔑視がすごくあって、
権威主義的で、効率至上主義的で、なんというか
感情以外のもので、すべてが判断されてしまう感じがするの。
でもわたしは、「だからオンナはイヤなんだ」と言われても、
感情は無視できないし、理想論だとしても、捨てたくないほうだから。

とにかく、人を馬鹿にした態度をとる人だけは、嫌いです。
わたしも、そうならないように、気をつけたい。
もしかしたら、わたしがそういうタイプに過剰反応するのは、
実は自分がその気があるからかもしれないからねー。
気をつけないと。

2000年12月12日(火)

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■ ゴスペラーズのライブ


行ってきました、中野サンプラザ。
チケットを取っていただいたときから、もうずっと楽しみにしていたの。
基本的にアルバムでしか聴いたことがなかったから、生で聴いてみたかった。

なにかを創りだすことってすごい。
人間の声ってすごい。
楽器です、もしかしたら、いちばん自由なものかもしれない。
あたりまえだけど、やっぱりすごい、としか言いようがない。
先週にはお芝居を見たから、生であることのすごさを
よけいに、ひしひしと感じた。
そこにいる人を楽しませること、歌できもちを伝えることにたいして、
とにかく全力投球。
もう、びんびん伝わってくる。
本人たちも、ほんと楽しそうなの。
それが、伝染する。
歌に感動することが最近少なくなったのだけど、
まだ大丈夫なのね、と自分の内部を確認。

「ソウル・セレナーデ」というニューアルバムを引っさげてのライブ。
いままでのアルバムのなかで、いちばん(?)バラードが多くて、
包まれているような歌声が心地よい。
特に「永遠に」は、シングルカットされてて、街中でもときどき耳にするのだけど、
何度聞いても、風に包まれているような、不思議な感覚に陥る。
雑踏の中でも、ささくれた気持ちが、なめらかになってゆく感じ。
ふにゃ〜、ってなる。
…表現力ないなあ。(苦笑)

だから、アルバムはけっこう聞きこんでいたのだけど、ライブだととにかく新鮮。
生だと、全然ちがうんだもの。
アレンジも工夫をこらしていて。
アンコール後の彼らのサービス精神には脱帽。
いやー、すごく好きな昔の曲もやってくれて、思いがけなくって
じーんとしてしまった。
マイクをとおさない歌声だったら、もっといいだろうなあ。
声フェチの私には、甘い切ない歌声は、もう栄養ですっ!(笑)
ア・カペラライブが今度あるそうで、すごく行きたいんですが、チケットとるの、大変みたいです。
でも、またいつか、行きたいなあ。

お付き合いくださった方、きのうはほんとうにありがとうございました。

2000年12月09日(土)

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■ 汚れた「肺」

電車の待ち時間に、演劇専門誌がなんとなく目に入って、手にとってみる。
「カスパー彷徨」のポスター(ちらし?)が載っていた。

汚れた肺の絵が蒼くぽつんと中央に在る。
ただ、それだけなんだけど。
吸い込まれるように、そこだけが視界のなかで明るくなる。
うろ覚えなので、間違ってたらごめんなさい。
…舞台を観たあとだから、なのかな。
意味深で。
あの肺のことを、考えてしまう。
誰の、なにで、汚れた肺だったんだろう。
肺なはずなんだけど、ほんのちょっとだけ、もげた翼にも見えた。
心臓じゃないんだ。
なんとなく、ありきたりに心臓にするより、そっちのほうが感覚が近い気がして、ひとりうなづいた。
印象的なデザインだった。


何日か経って、舞台の生の迫力が、少しずつ、断片に変わってゆく気がする。
全体をつぶさに思い出す、というのではなくて、なにかもっと
イメージとか、そのときの痛かった自分とかが重なって、
ぼやけた感覚として、音とかのかたちで浮かび上がる。

真綿。
カスパー。
カスパーの母。
辻。

かれらの境界線はあいまいで、ただ、行為の結果がちがうだけのような気がする。

合法と違法。
正常と異常。
健常と奇形。

自分の歪みに開き直るか、開き直れなくてなおも「普通」であることにしがみつくか。どっちにせよ、本質的には、あまり違わないのかもしれない。


カスパーを追う刑事として登場しながら、カスパーのことを
異常だと割り切れない、自分のことと重ねて考えてしまう、
キーパーソンになるだろう「辻」。
辻は、先輩刑事の蓑田みたいになるのかな。
いつか、もっと年をとったら、「いまどき」でくくられるまでもなくなったら、
このときの自分くらいの年齢の若い刑事と組んだら、
どんなふうに犯罪と関わっていくんだろう。
蓑田の立場も、考え方も、解らないわけじゃないし、そう生きるほうがよほど楽だとも思うのだけど、
辻には、あのままでいてほしいと、なんとなく思う。

辻は、多くの傍観者、そのものだ。
直接関わるほど、ボランティア精神にあふれてるわけでもなく、
かといって、なにも知らずに明るく生きてゆけるわけでもない。
宙ぶらりんで、ときどきシンクロしながら、
ときどきは、残酷にただ高みの見物と決め込む。

彼の行き止まりは、破られるんだろうか。
でも、どんなもので?

「潜在的犯罪者」ってイイ言葉だ。
お芝居のなかで、辻にたいして、先輩刑事の蓑田が、いまどき刑事になりたいなんてやつらは潜在的犯罪者だ、と言う。
心のなかで殺していれば、きっと犯罪者だとわたしも思う。
あとで「ちょっと思ってみただけよ」ってあわてて付け加えようとも、
やっぱりそれは、潜在的犯罪のような気がする。
カッターナイフを触ってて、ふざけて手首に当てたことのない人ってどのくらいいるんだろう。
その気はないつもりで、「ちょっとだけよ」って思いながら、想像する。
想像のなかで、自分に、他人に、刃を向ける。

ほんとうに犯るわけじゃなくとも、
気分はたぶん、同じだ。
ただ、痛いかな、とか、痕残っちゃいやだな、とか、捕まっちゃうかな、とか、いろんなこと考えて、怖くなるだけだ。
だから、実際にナイフで真綿たちを殺したカスパーを、「信じらんなーいっ」という言葉でくくれるはずがない。

ちょっと話はずれるけど、お芝居のなかで、すこし気になった言葉がある。
「おんなのこはね、殺されて世界を手に入れるんだよ」という真綿のセリフ。
解るといえば、解る。
でも、首を傾げてしまう。
殺されて、あとは楽よね。
でもねえ、カスパーは死ねないんだよ。
そうやって、あなただけ心に残る。
彼はくりかえし考える。あなたのことを、あなたを殺したときの心臓の鼓動を。
彼が唯一殺した「いのち」
名前の在る「いのち」だから。
わかるよ、そうやってあなたは、カスパーを、世界をやっと手に入れる。
命がけだから、そのくらい、許されて当然かもしれない。
しあわせ?
ねえ、しあわせ?

うすらぼんやり、抜け殻みたいに生きるより
瞬間的に花火みたいに生きることに
憧れないわけじゃないけど、
すこしだけ、ずるいよ、って思ってしまった。
でもたぶん、それでいいんだろうな。
あっけらかんと、「だってそうしたかったんだもん」って真綿に言い返されるかもしれない。


2000年12月08日(金)

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■ 精神的酔っ払いの或る日のたわごと。(笑)

友人と学校終わってから、デエト。
すごく久しぶりで、まったりと楽しんできました。
といっても、ふたりともビンボー学生なので、ランチだけで2時間半も同じレストランにねばり、ひたすらしゃべりつづけました。

その後、百貨店をぶらぶら。
オリジンズのジンジャーのフレグランス、やっとチェックする。
私にはちょっと刺激が強いけど、オトナっぽい香り。
個性的な女性に似合いそうな気がする。
私にはそうとう背伸び。(笑)

クリスマスで、ジュエリー売り場がすごく盛り上がってたので
女ふたりで浮きまくりながらも、目の保養に精を出す。

ディスプレイがすごく凝っていて、もうそれだけでうっとり。
ただ大きいだけの宝石とか、金ぴかのごつごつしたのとかには興味ないけど、
デザイン性の高いアクセサリーは、見ているだけでも息をのむ美しさだ。
オーラが出てるみたいに、引き寄せられる。
彼女とは趣味があまりに似ているので、
たくさん並んでいる中から、たいがい同じものを選んでいる。
それはもう、いやんなるくらい、一緒だったりする。
たまに趣味が一致しないと、ああちがう人間だったのね、とほっとする。
ただ、わたしのほうがひねくれ方が少ない…かな。(笑)

ふたりで思わずのぞきこんだまま固まってしまったのは、
Nicheというブランドのショーケースの前。
外れがまったくない。
どれも、すごくツボ。
曲線のフォルムとか、繊細で、ひねくれてて、一筋縄じゃいかない、主張のある控えめさ、芸の細かさ。
彩度は低くて、つや消しのアンティークっぽさがまたよくて、見惚れた。

お店の人の話だと、彫刻家のデザイナーによるもので、
ほとんどが一品もの、らしい。
まあ、「限定」の二文字に踊らされるのはいやなので、気に入れば一品ものだろうとそうでなかろうと、関係ないんだけど。

友人は、指輪をケースから出してもらって、うっとりと眺めている。
値段はこの際、考えないことにする。
だって、とても買える値段じゃない。
ちょっと情けないが、わたしに似合うものでもない。
美人の友人さんでも、ちょっとアクセサリー負けしちゃいそうな迫力なのだ。
カップルのお客さんが多かったけど、もし彼氏がいたところで、クリスマスと言えど、一方的に買わせるのは躊躇う。そういうのを当然って考えるのは、嫌いだし、気持ちと金額は比例しないと思ってるから。ま、実際貢いでもらえるわけもないのだけど。(笑)
値札は見てしまうと、ため息が出る。
だから、目の保養、だけにする。
それでも、やっぱりよいものを見ると、イメージが刺激される。

自分が感覚的に好きなもの、というのは、たしかにあるのだと実感する。
選ぶのは得意じゃないけど、でも、なにか、私が好きなものには、通じるものがある。それがたぶん、私の美意識だったり、価値観だったりするんだろう。
別に、こういうミーハーなものに限らず、本だったり、音楽だったりも、同じことだ。
そういうのを、忘れかけると、足元が危うくなる。
たまには、いろんな刺激をうけて、自分がふらふらと望むままに歩く方向を
追ってみるのも必要だったりするんだと、改めて思った。


その後、最寄の駅まで戻って、安めの呑み屋でまったりと。
まぐろのカルパッチョと、ホタテのガーリックバター焼きが美味。
石焼ビビンバも美味しかったなあ。カクテルは、ちと甘かったけど。

お昼のとき、あれだけしゃべったはずで、
別に特に話題もないのに、なんとなく、時間はちゃんと過ぎる。
空間は空っぽじゃなく、無理に埋める必要もない。
気まずさもなく、ぼけぼけと眠くなったりもする。
ただ、いるだけで、ぽつぽつと話すだけで
それで、成り立つ空気がここちよい。
今回は、もっぱら私のいじけ虫が出てたけど、
ぐちゃぐちゃを吐き出せるのは、
たいがいのことじゃ、今更嫌われたり軽蔑されたりしやしないって
私が信じられているからだ。

いろんな自分の気持ちが、引き出される。
気がつくと、いろいろしゃべれている。
解られる、のは気持ちがいい。
泣きたくなるほど、安心する。
解らないと言ってもらうのも、それはそれで、相手を信頼できる言葉だったりする。
悪意じゃないことも、それによって私が傷つくこともないのが、わかっているから。

殻は、意識しないうちに、もうすっかりやわらかくなっている。
さいしょは、どう話していいのか、わからなくて、ためらっていたのにね。

年月の長さのせいだろうか、と問うてみる。
だけど、それだけじゃないだろう。
さいしょにのみに行ったのは、大学一年のときだったかな。
まったりして楽しかったが、たぶん、そんなに濃い話をできるほど、
私は開ききっていなかった。
まだ、これから嫌われるかもしれないと怯えていた部分もあって、
お互い、いまより遠慮があったと思う。

少しずつだけど、お互いに、底の部分の澱を、表面に浮かび上がらせてきた。
まあ、あのひとは、秘密主義者だし、いまだに私も知らないことはいっぱいある。
あって当たり前だけど、それでも最近はわりとよく話してくれてる気がする。
だから、きっと年月だけじゃない。
お互いの関わり方が、すこし変わったからだよね?

愚痴は、ほどほどにしなくちゃいけないとは思う。
親しき仲にも礼儀あり、だしね。
でも、いざとなれば駆け込み寺のように聞いてくれる人がいると思うから、案外我慢できるものなんだ。
たまには素直に感謝してみたりして。(笑)

2000年12月07日(木)

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■ 風琴工房『カスパー彷徨』2回目

日曜日の風琴工房のお芝居の印象が強烈で、今の私に必要ななにかが見つかるような気がして、また行ってしまった。

日曜日より俄然迫力があったような気がする。微妙にセリフの言い回し、表情とか、間の張り詰め方とかが、ちがって、エネルギーに満ちてて、波動みたいなものにのまれるの。
みっともなくボロボロ泣いてしまった。
たぶん、泣くべきじゃないところで泣いてたような気がする。
私の痛いところに重なったとき、我慢できなくなっちゃうので。
受け取る私のテンションの違いもあるとは思うけど
とにかくよかったです。
明日の楽日も見たかったなあ。
さすがにビンボー学生にはこれ以上は無理そうです。
台本も買えたので、今度りょうかさんにも読ませよう。
今日なぜ誘わなかったんだ、と残念がってたもんね。

台本。
文字が生きてて、空間がよみがえるので、帰りの電車のなかでぶつぶつ呟きながらずっとトリップしてた。

思いっきり叫びたくなった。
私はあくまで観る側でしかないんだけど、同時に真綿としてだったり、カスパーとしてだったり、カスパーの母だったり、辻だったりして、私もその言葉をかみ締めてたから。
すごくリアル。
自分が作り出した演技じゃないけど、物まねになっちゃうんだけど、
それでもなんだか叫びたくなった。

前からいつかはアップしようと思っていた詩があるの。
「カスパー彷徨」を観て、それと重なって。
もちろん別ものなんだけど、わたしのなかでは、同じツボだったので。
なぜ、いままでアップしなかったのかと言うと、
これは朗読したいタイプの詩なんです。
怖い声のトーンでやるタイプ。
とても好きなだけに、そっちでの表現をしたくて、まだ字ではアップしてないのでした。


彼ら笑う
          石川逸子

「この子は手足が長すぎる」
子を食う母
朝に晩にばりばりと子の手足を食う母
血みどろの口と
慈愛の瞳
「わたしはおまえのためを思っている
いつもおまえのためを思っている」

子は逃げる
短くなった手と足で子は逃げる
母の沼 どぶどろの匂い放つ 沼から逃れようと
もがく
「誰か来て 息子が逃げる
どうかあの子をつかまえて」
髪ふり乱し わめく母
したたる涙
子は取り巻かれる
おとなしい隣人たちが子を囲み
次第にその輪をちぢめてゆく

「食べられたのはぼくです
流れたのはぼくの血だけなのです」
「悪いのはお前だ」「お前だ」
「ぼくの手足はぼくのものだ
ぼくはぼくの手足を守らねばならない」
「それでも悪いのはお前だ」「お前だ」

子はひとりぼっち 味方はない
大勢の手が彼をつかみ
またつなぐ 彼を その母の足元近く
灰色のきつい鎖に

「ぼくはあなたを憎む」
「わたしはお前を思っている」
「ああいっそぼくはあなたを殺したい」
「わたしはお前を思っている」
うっとりと母はささやく
微笑みながら近付き
ばりばりとこの手足をしゃぶる

子は変わってゆく
朝に晩に手足を食われて子は変わってゆく
もう子は逃げようとしない
彼は静かに朝焼けをみつめ じっと一日の終わりを待つ
「わたしの息子 お前はやっといい子になった」
「彼は死んだのです 母さん」
「まあ お前ったらふざけて」
上機嫌に笑う母
俯く子

「ごらん 実にいい風景だ」
「ええ 心あたたまる…」
遠く語り合う隣人
誰も彼も笑っていた
死んだ 或いは死にかかった 子の魂はそっちのけに
笑っていた 実に楽しげに笑っていた



「カスパー彷徨」はいろんなことを考えちゃうお芝居でした。
いまのわたしが考えなくちゃいけないことがいっぱい詰まってたんだと思う。
家族、生と死、未来、過去。正常、異常。自分と他人。

明日の楽日、行きたいなあ。
でも、これ以上行くと、お芝居の空間に依存してしまいそうな気もするので、
現実でもなんとか生きてゆけるよう、ふらふらせずにいたいです。

2000年12月05日(火)

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■ 柴又散策

ゼミで、なぜか寅さん記念館に行ってきました。
柴又にあるので、帝釈天のまわりも散策。
矢切の渡しにまで乗りました。
往復で200円。安いけど、むこうにわたっても、何もないんです。(笑)

お団子が美味しかった。
高木屋老舗というところ。
海苔をまぶした焼き団子が、めっちゃ香ばしくて。
ここは草団子で有名なんですけどね。
草団子もおいしかったなあ。
とにかく、団子じたいがおいしいの。
やわらかくて、お米の味がする。

帰り、コンパとなり、上野の居酒屋で呑みました。
私はほとんど呑めないので、薄くてヘンな味のする梅酒ハイを呑んで
ごまかしてました。
それでも悪酔い。
いちばん端っこの席で、ほとんど話せないまま。
仲が悪いわけではないんだけどね。
女子とも上手く行ってるし。
ただ、話すことなんてないだけ。
ときどきにこにこしながら、ぼーっとしていました。

なにをしゃべればいいんだろうね。
くだらない話だと、馬鹿にしてるわけじゃないんですが。
ただ、こちらから振る話題がとくにないだけ。
けっきょくは、話し掛けられれば答えるけど、そこで終わってしまう。
コミュニケーションがあまり得意でないんです。

タイミングが合わなくて、ぽんぽんと進む話についてゆけなかったりして。
やっと思いついたことがあっても、話題は次にすすんでるしね。

酔いにかこつけて、あいまいにぼーっとしているだけでした。
実際、いやな酔い方をしてしまった。
食事もほとんどできなかったしね。
男子が自分のテーブルですべての食料をたいらげるので、
女子にはまわってこないのでした。(笑)
おでん、おいしそうだったのになあ。
煮卵が好き。
こんにゃくもいいですよね。

2000年12月02日(土)

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■ ご報告?になるかわかんないけど。

ちょっと頭を冷やしました。
お騒がせしてごめんなさい。
もしかして、日記待っててくれた方、いらっしゃったら、
「なーんだ」って呆れられちゃうかもしれないくらい、ちっぽけな理由でつまづいてたんですけど。
まあ、BBSにも書きましたし。

私が、素のままでいると、うっとおしいです。
firstにも書いたように、そうとう忍耐強い方でないと、
きっとイライラしちゃうと思う。
実際、そうやって嫌われたことも何度もあるもの。
そのたび、変えようと思ったけど、けっきょく軽いノリだけの会話じゃ
ダメだった。
疲れてしまった。

私の日記は、いつも同じところを堂堂巡り。
一生懸命付き合ってくれてる人ほど、たぶんそんな私の成長のなさや、
他者への依存性の強さに、苛立つのだと思う。

ここにお付き合いいただいてる方は、みんな優しいから、
うじうじした愚痴も、突き放さないでいてくれるけど、
それに甘えてると際限がないし。
相手に頼りきって、開ききったあと、唐突に相手の堪忍袋の緒が切れて
拒否されたら立ち直れない気がして、なんとかしなきゃ、って思ったの。
バカだよねえ。(笑)


迷惑をかけないくらい安定した人になりたい、対等に会話したい、相手に負担にならないくらいの強さを身につけたいということが、いまの私の課題です。
でも、それはまず、いまの自分がしたいことを、認めることなんです。
でないと、相手に自分が我慢してる部分を背負わせてしまうから。

だから、甘えたい自分の感情をいくら抑制しても、あんまり意味がない。
嫌われたくないから、軽蔑されたくないから、といっても。
抑制したうわべだけの自分を見て付き合ってもらえるとしても、
私も、そんな自分では、きっと好きになれないままでしょうから。

開き直ることにしました。
あくまで、そう決めた、そのつもり、ということなので、
実際どこまで心の底から開き直れてるか、は分かんないですが。

昔(?)の日記は、開き直ったことを確かめる意味でも、
どんなに酷い甘え方をしてるのでも、削除しないことにしました。
とりあえず、いまのところ、そのままでいきます。
なので、これからもよろしく。


注)文章がめちゃくちゃです。
日本語になっていません。
思いついたまま書いたので、勘弁してください。ひい〜。逃げようっ!

2000年12月01日(金)
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