ビー玉日記
きのう  もくじ  あした

2002年12月31日(火)  2002年の大晦日

(後日修正)

・年賀状を買いに行くも売りきれ(←当然)
・年賀状作成するも、なかなか捗らず。
・紅白鑑賞。
 やっぱり今年はみゆきとさゆり。
 石川さゆりの気迫、すごかったす。
・Yちゃんがウチにやってくる。
・入浴中にカウントダウンが終わってしまった(ダサ。またか)
・新年になってから年越し蕎麦完成。

2002年12月29日(日)  真冬のゴルフ。

一日中外にいてじっとしてたら絶対寒いと思って、ババシャツを数年振りに装着。
重ね着をして出かける。

さて、初めてマイクラブでプレイした結果は、というと。
昨日のイヤな予感は的中。
やっぱり最初はかすってばっかりで、当たるようになるまで(正しいフォームを思い出すまで)、かなり時間がかかった。
一緒に回ってくれた方々が紳士でいろいろアドバイスをくださったおかげで、なんとかなったけど、ホントご迷惑をおかけしました。

まったくいいとこナシ、って感じだったけど、それでも前回よりスコアはよかった。それもまた謎だ。
ここで公表できるようなスコアではないので詳しくは書かないけれど、誰に言っても「よく数えたねぇ」と感心される、ということだけ加えておく。

あ、それで、寒かったかどうか、というと。
思ったよりあったかくて、上着をずっと着ないでカートに置いてたくらい。
寒がりの私としては一安心でした。

2002年12月28日(土)  思いきって買い物

ついにゴルフクラブを買ってもーた。

発端は会社の人が明日のゴルフのことで連絡をくれたのだけど、
「クラブ買った?」
「……まだです。今日午後行けたら行こうと」
(半分行けないだろうと思っている→結局レンタルで済ます可能性大)
「お父さんと?」
「いやー、それが今日、お父さん仕事なんでー」
「じゃあ一緒に見てあげようか」
というわけ。

お父さんのくだりが子供っぽくて笑える。

で、夕方待ち合わせてゴルフ専門のスポーツショップに行ったわけなのだ。

どうせ私の使うクラブは限られているので、ハーフセットでお買い上げ。
何種類かあるうち、一番無難っぽく、なおかつ以前レンタルで使ったことがあった、Paradiso(ブリジストン。丸山がプロデュース?らしい)のセットになった。

無論、試打もさせてもらったが、このところ忙しくて(言い訳)練習にも行ってないので、すかっとかすってばっかりでお店の人に「ボールを最後まで見て」となんかレッスンみたいになってしまった。ダサ。

でもバッグがマリクレールのでアクアブルーの爽やかな感じのものにしたら、なんだかちょっとかっこよく思えて満足(こういうのを自己満足と言う)。
さー、明日は頑張るぜぃ。わくわく。

2002年12月27日(金)  鍋の会

オネエサマ会のメンバーで、鍋をやった。
内容は、鶏鍋。
ベリうま。
お腹が裂けるほど食べて帰ってきた。
いろいろ私の知らない裏話も聞けたし(笑)、同じ職場の人でも女性にしか話せないこととかしゃべれたし、楽しかった。

家に帰ってから、実家に帰る準備などしてたら、近所に住んでいるイトコから電話があって夜食を共にすることになった。
朝から大掃除しなきゃいけないし早く寝よう、と思ってたのに、タイミング悪いったら。
他のことなら断るつもりだったけど、どうも新妻とうまくいってない様子なのでちょっと付き合う。

なんか奥さんまだコドモだねー。
結婚なんてすべきじゃなかったんじゃないの?
……って言ってやりたかったけど、そんなこと言っても問題解決にはならないので黙っておいた。

大体今どき、まだコドモもいないうちから専業主婦で、しかも都内のイイトコ(二等地くらいか)に住むってどうなの? 親離れできてないし。
どこの大富豪に嫁いだつもりなんだろう。
世の中大不況だってのに。
私の周囲にはいないタイプの女性なので、彼女の気持ちなんかわからん、というのが私の本音。
(はっきり言ってそんな甘い女は苦手だ。まだ会ったことないけど)
イトコとしては誰かに話せればストレス発散できるみたいな感じだったから、話だけ聞いておいた。

聞く方がストレスたまるような話だよ。まったく。

男性諸君、結婚相手はあまあまの恋愛の延長で選んではいけない。

2002年12月26日(木)  仕事納め

会社自体は明日までだけど、明日は午前中だけの調整日なので、私は有給休暇をとってしまった。
今日は夕方からお稽古場の大掃除をする約束をしていたので、3時に早退するつもりで出社した。

……しかし、人生思い通りにはいかぬもの。
仕事が片付かなくて必死でやってるのに、次々に横やりが入ってきて、結局帰れたのは5時。
まあそんなもんねー。
机の周りを片付ける時間がなかったので、開いている引出しに散らかってるもの全部つっこんできちゃった。

でも笑っちゃうのが、昨日まで体調がどうもよくなくて今日あたり熱が出るかもしれない、と思ってたのに、今日になったら急に元気100倍、パワー全開、って感じで、仕事を片付けるスピードも速かった。
休みとなったら頑張れるものね。私ってば。


2002年12月24日(火)  2002年度 クリスマス

同じ部のサンタ役のお父さんと新婚さんは早々に帰って行った。

私も今日は早く帰ろうっと。
と、ふと後ろを振り返ったら、もうクリスマスには何の関係もなさそうなおじさんたちしか残っていなかった。
見事に女の子たちは消滅している。

……思わず仕事を中断して帰り支度をして席を立った。
やる気もないしー。

友人にメール。
「気付いたら女子社員が誰もいなかったから退社しちゃったよ。笑」
その返事。
「君も早く帰りたまえ〜今日はノー残業デーでしょ!」

ぷ。そうか。ノー残業デーだったのか。

日曜日に遊びすぎたせいか体調も思わしくないので、せいぜいおいしいうどんでも食べてあったまって帰ろう、とうどん屋に行ったら、見事に客は私一人だった。
駅は人であふれかえってたのに、変なの。
……ま、うどん屋でディナーってことはないか。普通。

考えてみたら、まともにクリスマスディナーっぽいことしたのって、コドモ時代までかもしれない。
大人になってからは、寒い中公園でピクニックディナーとか、焼き鳥屋とか、居酒屋とか(いつも飲んでるらしい……)。
自分にコドモができたりしない限りは、そんなもんかもね。

2002年12月22日(日)  どうにかこうにか。

なんとか無事本番終了。
本番と言っても、おばちゃん(おばあちゃん、が正しい)たちのカラオケの会なんだけど……。

自分でも異常に本番に強かったな、と驚く。
強運に感謝する。
なぜか割と落ち着いていて(学生オケの経験の賜物かも)、会場の一番後ろで師匠が大きく手を広げて「大きく踊れ」って指示してるのが見えてちょっと笑いそうになった。(緊張感なし?)

とりあえず、師匠共々、前日の状態でどうなることかと思っていたけど、一応誉められたのでよかった。
「もう一夜漬けはダメだからね」と念を押されたけど。
はは。すみません。

なんかもう少しやること早くなりたいなあ。
今日も髪の毛セットだけで予定より時間かかっちゃったし。
帯が間に合わなくて、その場で師匠にやってもらうことになっちゃうし。
いつもすんません。
これもまた特訓なんだろうけど。

で。
夜中に夜遊びしてカラオケしたら、声が出なくなってしまった。(たぶん寝不足)
もうなんか遊びすぎ。

2002年12月21日(土)  大ピーンチ。

明日が本番だっていうのに、踊りができてない……。
イマイチ曖昧なところがあって、確認したかったんだけど、先週はお休みだったし、その前は勉強会で、確認する機会を逃してしまった。
っていうのは言い訳に過ぎないんだけど。

私の前にもう一人明日出る人が特訓を受けていて、「普通前日に覚えてないなんてあり得ないよ」とキツく言われるのを聞きながら、あー、私も叱られるぅ、と超憂鬱。

師匠は私には口であまりきつく言わない。
たぶん私が自分で何をすべきかわかっているし人の考えを察知してしまう方だから、あえて余計なことを言う必要がないと思っているのだろう。
今日もそうだった。

確かにわかっている。
できないのは日数が短かったからではなく、日々の努力を怠ったからだってこと。
あーあー。わかってるんだけどさぁ。
結局自分に甘いんだろうなあ。

長襦袢に襟付けやってたら1時になっちゃうし(不器用すぎる……)、大丈夫かよぉ。

2002年12月20日(金)  忘年会 パート2

部署の忘年会。
でも、一番気合入れて「カラオケで弾けるぞ!」と宣言していた人が風邪で2日続けてダウン。
そういうわけで頭数は少なくなったけれど、こぢんまりと忘年会は行われました。

みんなおじさんたちなので、紅一点の私はとてもかわいがってもらってます。
いつもなんだか気を使ってくれてありがとうございまする。
30過ぎてもお嬢さん扱いしてくれるかしら……(笑)

2002年12月17日(火)  やっぱり13日の金曜日……だった?

金曜日はかなり疲れてた。
それは認めよう。

昨日と今日で、金曜日に残業してやった仕事にミスがあったことが発覚。2件も。

どっちもちゃんと注意していれば防げたのに、いかに注意力散漫だったかがわかる。反省。

ダメな時は残業しないで仕事を先送りにする方がいいね。

2002年12月16日(月)  舞台裏にて

楽器をやっていた頃、本番前の舞台裏の空気が好きだった。

不思議と私の記憶は、ステージ上よりも舞台裏の方が鮮明だ。
たぶん、ステージに立ったらもう無我夢中だから、記憶に留める余裕がないんだろうと思う。

もちろん実際に舞台裏で本番を待つ間は、とてもそんな穏やかな気持ちじゃいられなくて、とにかくつらい。
不安と緊張で、お弁当もほとんど喉を通らなかったのに、それでも気分が悪くなってくる。
逃げられるものなら逃げ出したい。

先に舞台に立つ人たちの奏でるメロディーがカウントダウンの調べとなる。
先輩や友達と「大丈夫だよ」とお互いに声をかけ合い、手を握る。
どうでもいい話やつまらない冗談でこっそり笑う。
そうやって気を紛らすしかなくて。

いよいよステージに出る直前、私は必ず薄暗い天井を見上げた。
いくつもの黒い鉄の支柱が剥き出しで交差する、高い天井を見上げて、深く息を吸う。
そうするとなぜか落ち着ける気がした。

月曜日は、オフィスの前の廊下であの時と同じ気分を味わう。

怠け者の自分に鞭打ち、上を見て深呼吸。
さあ。今日も楽しく働こ。

そう気合を入れてドアを開ける。

2002年12月15日(日)  だらける日曜日

あー。まただらだら休日を過ごしてしまった。

ダラダラついでにHPのデザインを替えてみた。
ビー玉の写真まで撮ってしまった。
部屋の片付けをしないままに……。はー。

昨日のうちに洗濯をしたのがせめてもの救いだけど。

まあ1週間のうちに一日くらいこんな日があってもいいでしょう。
……とまた自分を甘やかす。


2002年12月14日(土)  目指せ清純派?

今日はお稽古ではなかったけど、師匠やお稽古場の人たちと着物で忘年会。
皆さんアルコールは飲まないので飲み物はお茶だけど、カラオケもした。

不器用な私は着物の時のヘアスタイルがいつも決まっていて、ポニーテールを丸めて4つのクリップで止める、というのしかやらないんだけど(正確には、それしかできない)、今日は時間がなくて苦し紛れに二つ分けのおさげにした。
私は童顔ではないけどメイクをしても凝ったことができないからなのか、年相応にあまり見てもらえないので、この髪型をするとますます年齢不詳になってしまう。
だから普段これは禁じ手なんだけど、ともかくやむを得ない。

それが意外と好評だった。
「私も30まではおさげにしてたわ」
と師匠もなんだか懐かしげに言う。

こんなんでよかったんならいつも苦労してまとめることなかったな。
30まではこれでいくか。……ギリギリだ。
でもこれで「天城越え」歌うのってどうなの?


夜は親がやってきて、一緒に銭湯へ行った。
ゴハンをおごってもらう。焼肉。
オゴリとなると食欲旺盛。
肉をたっぷり、それと最近マイブームな「ユッケジャンうどん」を食べた。
ラッキー。

<おまけ>
部屋の電気を朝から電器屋に替えてもらった。
トイレも電球を替えた。
ようやく明るい暮らしができる。

2002年12月13日(金)  娘と父の構図

同じ部署の男性がパチンコで勝ったから、と言ってランチをご馳走になることに。
もう一人の上司と3人でイタリアンのお店に行ってパスタを食べた。

同席の男性二人は、共に娘をもつ父親。
話はつい家族の話へ。

(家族構成)
A部長:妻、高校生と中学生の二人の娘。ヨーロッパ駐在経験あり。
B課長:妻、幼稚園生の娘。

「Bさんは家族で外食行くの?」

「行きますよー。近所のサイゼリアとか。もう少し贅沢してもいいって思う時でも娘が『サイゼリア、サイゼリア』って言うんですよ」

「そう! コドモはいいところに連れて行っちゃだめ。僕もサイゼリアだっておいしいし、いいと思うんだけどね、ウチの子は『まずい』って。贅沢なんだよ」

「ヨーロッパで舌が肥えちゃったんじゃないですか?」

「困るよ、ホント」

「でも一緒に食事に行けるのも学校に行っている今の間だけですよ。ウチなんかもうバラバラですからねー。旅行なんか行かないし」

「けどお母さんと旅行行ったりしてたでしょ?」

「母とはいいんですけど、父と弟とはちょっともうイヤですねー」

「そう。娘と母親はすぐ結託するんだよ。妻にはよくしゃべってるのに、僕に話がある時は……」(ちょっと淋しげ)

「頼み事がある時!」

「そう。この前『コートを買っていい?』って言うから、『小遣いを貯めて買いなさい』って言ったら、『お母さんはお父さんに頼みなさいって』。もう買ったんじゃないかな? まったく何枚買ってるんだか」(ぶつぶつ)

「そうそう。ウチの娘も『ママは買っていいって言った』って言うんですよ」

「そうですねー。やっぱり父と話す時は何かお願いとかある時ですよねー」

「そのうち、相手を連れてきて『この人と結婚させてください』とかね」(何気に憂鬱そう)

「そういえば近所の人が、私より3つくらい上の女の人なんですけど、お母さんと4つくらいしか年の違わない男の人と結婚しちゃったんですよ。そのおばさんが『お母さん、なんて呼ばれたくない。気持ち悪い』って言ってましたよ」

「僕もそんなのはイヤだな。気持ち悪いよ。4つ下で息子だなんて」
(身震い)

「イヤですねー」(眉間にシワ)

2002年12月12日(木)  Wedding Inviation

少し前に友人が、結婚式をするから招待状送るよ、って電話をくれた。
そして今日、予告通りその招待状が届いた。

場所も○○ホテルだって聞いてたのに、招待状見たらちょっとびびった。
披露宴だったのか!

……それくらい気付けよ。って感じなんだけどね。どう考えても。

実は友人関係で披露宴にご招待されたのは初めてだったりする。
いつも二次会の会費制パーティがメインだから、ついそのつもりになってた。

それにしてもお金かけてやるんだなあ。今時エライよねえ。(男性なので)
つい金銭面から見ちゃう私もなんだか色気がないんだけども。
場所が場所だけに。招待状も式場のプランを使ってるみたいだし(これって高いんだよね。私ならケチって自分で作っちゃうかも)。
昔っから礼儀とかわきまえてるっていうか、ふざけてても妙に真面目でカタブツなところがあっただけに、「あー、彼っぽいなあ」と思ってしまう。
先に同棲から入っちゃったのをお父さんが怒ってたらしいから(もう入籍もしちゃったし)、式をちゃんとやることでケジメをつけるってことなんだろうね。

さて、何着ようかな。
やっぱ着物かなあ。
冬のフォーマル系って持ってないし。
買うくらいなら着物だよねー。
でも新郎席だしあんまり気合入れてもビックリされちゃうかー。
新婦側なら結構派手でもいいかなあって感じだけど。
でも、随分たくさん女友達招待してるみたいだけど、いいのか?
私が心配するコトでもないか。

先日の電話で結婚式によばれたことを師匠に話したら、
「招待されるのもいいけど、今度は招待する側になりなさいよー」
だって。
ごもっとも。あははー。←笑うしかないって。

2002年12月11日(水)  忘年会 そのイチ

今日は忘年会でした。
以前の組織の人たちと。
今やみんなちりぢりバラバラになってしまったので、気分は同窓会。
正直な話、前の組織の方がいろいろと気楽で、人数的にもいいバランスで何かと快適だった。
たぶんみんなそう思ってるから、こんな催しがあったりするんだろう。
まあ、今の状況もそれほど悪くないんだけど。

私は久々に若い女性とたわいないことをしゃべって飲めて楽しかった。
今のトコってオジさんばっかだし(失礼!)、女性陣は既にグループが決まってて入ってくの大変。
だからお昼もおじさんたちと一緒に食べに行くか、一人でお弁当か、って感じで、前ほど賑やかなことはなくなってしまった。
一人でいるのも好きなんだけど、たまにはこういうのもあった方が楽しい。

忘年会、なんて誰が名付けたネーミングなんだろう。
よその国にはこんな言葉ないよね、きっと。
今年の愚痴やら憂さやらを飲んで騒いで忘れちまおう、ということなんだろうけど。
そう考えると、「忘年会」って、サラリーマン用語の代表って感じ。
学生が使ったっていいんだけど、学生の忘年会は単なる年末の飲み会であって、社会人の忘年会は本当に「年を忘れる」会なのだ。
……なんて適当なこと言っちゃって。今度広辞苑で調べてみよう。

2002年12月10日(火)  朝の電話

朝。7時に携帯電話に起こされた。

「○○さん? ××ですけど」
「もしもし?」←チョー不機嫌。
「○○さんですよね? ××です」
「違います」
「あ、すみません」

○○さん、が自分の名前に聞こえないでもなかったが、××という名前に聞き覚えはない。
平日のこんな時間に電話してくるようなヤツは知らん。
と思って「違います」と言ったけど、ホントに私に用がある人だったらまずかったかなあー(笑)

そんな話を会社でしたら、「7時なんて出かける時間だよ」と遠距離通勤の上司はちょっとご立腹でした。
だって派遣社員は会社から近くなくっちゃ損なんですよ。(交通費が支給されないから)
そのためにちょっとくらい家賃が高めでも便利なところに住んでるのです。



7時半が私の目覚ましの鳴る時間。
お弁当を用意する時とかシャワーを浴びる時はここで起きて動き出さなくてはならない。
最近寒いので大抵その後30分間目覚ましを意図的に10分おきに鳴らして、布団の中でうだうだする。
8時からの30分が勝負。
で、8時50分頃家を出る、と。

一度駅から近い部屋に住んじゃうと、もう駅から遠いところになんて住めなくなるだろうって思う。
ホント便利。
突然の雨に降られても、傘なくてもいっか、って思えるし。
実家は最寄駅から10分くらいかかるんだけど、もうその時間さえ長いと思うもんねー。
こないだ実家に帰った時、「ココ駅から遠すぎるよ」って文句を言ったら「何言ってんの」と母に一蹴された。
贅沢か、やっぱり。

2002年12月09日(月)  雪やこんこん

東京に雪が降りました。
ちょっぴり積もった。

私の家のあたりでは大根おろし程度の積もり具合で、どっちかというとほとんど水だった。
雪靴などもたないのでブーツで出かけたんだけど、心なし水分が染み込んできてた気がする。
そんなことはお構いなし!
だって雪だし。
雪道を歩くというだけで大満足。
朝から浮かれモード。

駅で、編みタイツにピンヒールのネエさんを見かけた。
寒っ。っていうか、地下道とかタクシー使うとか、外歩かない人ならいいんだけど……。

私は通勤時間が短いので、電車の遅れもさほど影響がなかったけど、やっぱり遠くから来る人たちは大変だったみたい。
朝からくたびれてた。ご苦労さまでございます。

お昼は豚汁定食が異常人気だった。さもありなん。
私は親子丼だったけど、豚汁を頼んだ人たちは私が半分食べ終わった頃にようやく食事にありつけていた。
(私は食べるのが非常に遅いのでそれくらいハンデがあった方が気楽)

オフィスの大きな窓を、綿雪が舞うのを時々眺めるのが至福の一時。
冬だね。

雪の日は、なぜだか特別な日に感じる。
学校時代によく休校になったからだろうか?
仕事をしていても、今日は早く帰れる、なんて思える。
実際はそんなことはないんだけれども。とほ。

2002年12月08日(日)  寒い日曜日に

雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう♪
って感じらしい。

寒い。寒いのは苦手。
でも雪が降るとなったら、寒いのも悪くない。

今日は第九を聴きにいった。

ベートーベンって、もうこれを作った頃はほとんど耳が聞こえなかったんでしょ?
すごいよなあ。やっぱ。
しかもピアノ曲とかじゃなく、交響曲を作るなんて。
映画「ショーシャンクの空に」で、主人公が「フィガロの結婚」(だったと思う)のレコードを刑務所の放送を使って流すシーンがある。
あの主人公が「頭の中で聞こえる音楽を確かめるため」とか言ってたと思うけど、そんな感じだったんだろう。(あのシーンが一番好きだ)
記憶の中の音と想像の音。頭の中で聞こえる音楽。
頭の中に何度も聞いた曲を記憶して再生することは私でもできるけれど、あれが作曲になるというのが、普通じゃないところだ。
そうやって魂を込めて作られた曲だから、何十、何百年たっても人の心を動かせる。

第九というと私にとっては特別な曲の一つだ。

学生オケでこの曲をやった時のことを思い出す。
そういえばちょうど今日あたりあの頃亡くなった方の命日だった気がする。
もらった言葉を最近忘れてた。
思い出したらまた一つ元気になれた。

このところなんとなくついてなかった。
というより、イイコトを見つけ出せないような気分だった。
そう、ようするに気分ね。

考えてみたら、イイコトあったじゃん。
洗面台でなくしたと思ったコンタクトレンズを(またかよ)、電気もつかない薄暗い中、隣の部屋の灯りを頼りに探しあてることができた。
これって奇跡。(洗面台でなくすと自分で見つけられたことがない)
会社では同じ部署の男性陣が忙しいのはお互い様なのになんだか気を使ってくれるし。
これで文句言ったらそれは贅沢っていうかワガママってもんだ。

それから、もしかしたら今日明日で初雪が見られるかもだしね♪


心の通じ合える真友を得るという
むずかしい望みのかなったものも、
気だてのやさしい妻をめとることができたのも、
よろこびの気持ちを声に出して合わせよ!
そうだ、この広い世のなかでたったひとりでも
心をわかち合える相手がいると言えるものも和すのだ!
だがそれさえできぬものは、よろこびの仲間からひと知れずみじめに去って行くがよい。

よろこびにあふれて、ちょうど満天の星々が
壮大な天の夜空を悠然とめぐるように、
同胞よ、おまえたちも与えられた道を歩むのだ、
よろこびに勇み、勝利の大道を歩む英雄のように。

この世のものたちよ、おまえを創造した神がわかるか。
満天の星々のかなたに神を求めよ!
星々のかなたに神はかならずやおわしますのだ。
(シラー 頌詩<歓喜に寄す> 訳:喜多尾道冬)

2002年12月07日(土)  反省モード

朝からプログラムを作って、シャワー浴びて化粧して着物を着て。
……はー。こんなバタバタしたらダメに決まってんじゃん。
反省モード。

全員分のカセットテープは先週準備してたから(それだけはねー)、それはまあいいとしても、他のことは何一つよくなかった。

今日は踊りの勉強会。
ようするに「ここまでお稽古してできるようになりました」という発表の場なわけだ。
今日は外に舞台を借りるわけでもなく、お稽古場で師匠+生徒のみでやったんだけど、それにしても。

曲の最初の段階で既に足に疲労を感じた。
最後まで持つのか?と不安に思った。
やっぱりぐらついた……。
手も間違えた。

サイアクです。ごめんなさい。

一回しかできない。
やり直しがきかない。
できないからもう一度、っていうのはない。

ってことを、学生オケ時代から肝に銘じようと思ってたハズなのになー。
なんかいつもツメが甘い。
というより、普段の積み重ねをしていない、ということなんだけど……。

たぶん今の壁を乗り越えられたら、ちょっと違ってくる気がしてる。
踊りだけでなくいろんな意味で。
すぐに辛いことや面倒なことから逃げようとするのをやめなくては。
楽な方へいったらそれで終わってしまう。

やることはいっぱいあるんだけど、他は疎かになっても「これだけは」ってものだけはちゃんとやらないとね。

12月っていつも試練の月だなあ。

2002年12月06日(金)  生き返った冷凍マグロ

残業で遅くなって、帰りに職場の人とゴハンを食べてすこーしアルコールを入れたら、家に着いた時には眠気がピークだった。
危ないと思いつつ、明日の踊りの会のプログラムをまだ作ってなかったので(ホントは2週間前には作ってなくてはいけなかったんだけど)、ちょっと形だけでも作らなくては間に合わん、とホットカーペットの上に腹ばいになってPCを立ち上げた。

……目が覚めたらもう3時過ぎ。
体が完全に冷え切っていた。(床はまあソコソコあったかいけど、背中に何もかけてなかったから)

最近結構そんなこんなで布団の上でまともに寝てない。
帰ってきてちょっとテレビ見たり、洗濯物を畳んだりしているうちに電池が切れて意識不明の人になる。
いつもは毛布をかぶったり(←こたつの代わり。超ズボラ)上に何か羽織ったりしてるからまだマシだけど、これは完全にまずかった。

凍死寸前だったっぽい。いや、本気で。
だってかなり冷えてたもん。
それってマジ笑えない。
そんな死に様さらすのだけはヤバイ。

「一人暮らしのOL 部屋で凍死」

ワイドショーの餌食。
部屋の間取り図とか近所の人とかコンビニの店員とか出てきちゃうんだ……。
親がインターホン越しになんかしゃべったりとか。

日頃「もちで喉をつまらせて息絶える」のだけは気をつけているのだけど、それより先に「凍死対策」をしなくては。
……ちゃんと布団で寝ようね。

2002年12月05日(木)  苦手なコト

そうだ、思い出した。
私って「エラそうな人」が苦手だったんだ……。

なんかモヤモヤしてたんだよね。
あのラテンなノリも、濃い顔もデカイ口も、妙に自信ありげな態度も、押せば通るみたいな勢いも。

ダメだ、やっぱり。
私とは相容れないタイプ。

そんなことで人の好き嫌いを言っちゃいけないとはいえ。

あの人のところに身売りされるようなことになったら、絶対続けられない。
もちろんそうなったら契約を見直すことになるわけだし、今のところなんとかくいとめられているようだけど。

大体あそこのコンセプトって、体育会系なんだもん。
私はああいうウルサイの、だめ。
冷めちゃってついてけない。

みんな、社員になった方がいいよ、って言ってくれるけど、こんなことがあると派遣社員の利点も悪くないって思っちゃうんだよね……。

あの人と二人で出張(しかも宿泊込)なんかすることになったら……。
げぇぇ。
ぜぇーったいヤダ!!(鳥肌。)

2002年12月03日(火)  ギブアップ

近頃自分でも仕事がちゃんと回っていないと感じて気持ちが悪かったので、残業時間に上司にメールで「これ以上は無理です」と白旗を揚げた。
本当は直接言うべきだったんだけど、その時に限って相手が外出直帰でいなかったから。

朝メールチェックをしていたら、上司から返信があった。
私のやっていることを評価してくれていること、以前から限界を超えていることに気付いてはいたものの、問題を解決せずに申し訳ない、ということ。
もちろん、そういう風に考えてくれていることは私も知っていたし、だから今まで何も言わなかったけれど、黙っていても状況は悪化する一方だし、このあたりで歯止めをかけてもらわないと本当に無理。

なんかやることがいっぱいありすぎて、自分でもワケがわからなくなってきちゃった。
机の上が散らかっているのがすごく気になるんだけど、分類したりする気にもなれない。
っていうかそんな時間がない。
やることはいっぱいあるのに、次に何をやればいいのか困って、時々途方に暮れる。
自分でもいっぱいいっぱいなんだな、とわかって、思わず笑ってしまった。

2002年12月02日(月)  「黒い家」ならぬ「暗い家」

昨日、アパートの管理をしている不動産会社が手配してくれた電気屋さんがやってきて、部屋の蛍光灯を見てくれた。
蛍光灯の制御をしている部分がダメらしい。
「こりゃ交換するしかないな。あとは不動産会社に聞いてみますよ」
と言って、彼はものの3分も部屋に留まらずに帰ってしまった。
おいおい。即解決じゃないのか。

しかし、彼がスイッチをぱちぱち何度もつけたり消したりをしたら、なぜかつくようになった。
一時的改善策?
ま、いいや。電気がつけばいいの。何でも。

久々に明るい部屋にご満悦。

ところが、ところが。
今度はユニットバスの電気がつかなくなった。
もう勘弁してよー。

2002年12月01日(日)  最後の月

あーっ。もう12月だ。
なんてこった。
バタバタしてるうちに、一週間どころか一年経ってしまった。

この一年はあまりにも目まぐるしく状況が変化して(主に職場の話)、一年前には全く想像のつかなかったことになっている。
天変地異と言ってもいいくらい。
なんなんだ、一体。

もっと落ち着いて生きたいなあ。
ゆとりある暮らし。そう。それが大事なのよ。

来年はもっと優雅に暮らしたい。
……と言ったら、職場の人は「無理だろう」と笑った。


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