ビー玉日記
きのう  もくじ  あした

2001年11月30日(金)  噂のロイヤルベイビー

ロイヤルベイビー誕生に向けて、密かに盛り上がってきている感じ。
(雅子サマが今夜入院するらしく、ニュースはそれしかやらない)

関連の商品がいろいろ発売されている。
妊婦のリカちゃんには驚愕したが、さすがに性教育をするつもりはないらしく、赤ちゃんは郵送されてくるらしい。
私としてはもっとリアルにいってほしかったが。(笑)
父親は誰かというのも興味深いが、私は「精子バンク説」が今時っぽくて好き。
ジョディ・フォスターだって2人も産んでるではないか。

テレビで見たミルク飲み人形進化形にもびっくりだ。
抱いてあやすと笑い声を立てたり、泣いたりする。
これくらいは驚かないけど、なんとミルクを飲んだ後、背中を叩くとゲップをするのだ。これには笑った。

この出産に備えて「ロイヤルベイビー専用医師団」があるらしい。
皇室ともなると、コドモを一人産むにも「医師団」が結成されてしまうものなのだ。
私なんか健康保険にも入れず、一人の医者に診てもらうことすらできないっつーのに、うらやましい限り。(T-T)
その医師団もすごいプレッシャーみたい。
そりゃそうだ。何かあったら医者として再起不能だろうから。

雅子サマも大変だよね。
やっぱり男の子をっていう無言のプレッシャーがあるだろうし。
私個人的には女の子の方が「女帝」誕生の可能性が浮上で楽しいんだけど。
す、すんません、他人事で。
でもホント、女の天皇じゃイケナイってこと、ないでしょう。
前例はあるんだし。

それにしても、一般人にはわからない世界で、いろいろ想像して変な疑問とか出てきちゃう。絶対これって私だけじゃないよね。ね???
「皇族には母子手帳があるのか?」
「上半身の映像ばっかり見かけるんだけど、お腹が大きいとこ見せるのはタブーなの?」
……どうでもいい疑問だな。

2001年11月29日(木)  お疲れー

1日EXCEL講習の後、面接。

講習は相変わらず眠りこけながらも今回は有意義で、技を得た感じ。
(ホント失礼な受講生でごめんなさい)
でも、やっぱり一日講座は疲れるね。

地下鉄は地球の核まで行きそうなくらい奥底。
いつになく生理痛がきつい。
面接前なのに気分が乗らない。

系列だからと思ったのは甘かった。
やっぱり人気の会社なので系列というのは関係なく、またもや他社競合。
営業さんは「他社を入れたくないので頑張って下さい!」と熱いものの……。

結果は全然読めない。
なんかホントに正社員採用みたいにいろいろ聞かれて、何も考えてなかった私はしどろもどろ。あかん。
EXCELの入力の仕事と聞いていたので、簡単に終わると思ってたのに、前職にからんで英語のこととか聞かれて。ひえーっ。
TOEICのことなんか禁句じゃっ!!(人に言えるような点数じゃない)
「こういう会社だから華やかなイメージとか持たれるとちょっと違うんですよ」
……はい、それは重々承知のツモリですが。
「大きい数字を扱うので、万が一間違ったりすると原因をたどっていったりしなければいけないんですよ」
……私、実はかつての上司に「あなたって大雑把ね」って言われたんです……。スミマセン。

へー。疲れたー。
来週からまた他を探すか。
とりあえず金曜は休もう。
ああ、どうせ怠け者さ。

2001年11月28日(水)  バカ騒ぎ

学生の頃の友人で海外に行っていたのが帰国したので、お帰り会をした。
相変わらずのバカ騒ぎで周りに迷惑だったかしら……(しかし反省の色なし)

あんなにオヤジギャグ言っててなぜ年下の女の子と付き合えるのか、謎。
寒い。寒すぎる……吹雪いていたぞ。

今日は笑い過ぎで明日腹筋の筋肉痛は必至。

でもこういう騒ぎができる友人たちがいるというのは、幸せなことだ。
この先お互い家庭をもっても続けていけるといいよね。

2001年11月27日(火)  失業者の日常

ソリテアにはまる。
……我ながら暗いと思うわヨ。ホントに一人遊び。
でもこれがなかなか難しくて負けず嫌いの私の心をそそるのよ。
「そんなことせずに掃除しろ。」←天の声

リンゴ1箱が送られてきた。
東北地方の友人の母上から。
ありがたいんだが、一人でこれをどうしたらいいものか、途方に暮れる。
週末に父に車で来てもらおうかな。
悪い娘です。うひひ。

近頃人の悩みというか面倒なことに巻き込まれて辟易している。
もう勘弁して下さーい。関わりたくないよー。
本音を言うと私、どうでもいいのよぅ。(ゴメン)
なんかどうも今年はこういう年なのね。
そういえば年明けに師匠(で占い師)に「人間関係に注意」って言われたっけか。

やっぱり昨日の面接の会社×で、他を紹介してくれた。
自分でピンとこないとこはやっぱりダメねー。
その意味では採用されなくてよかったけど。
今度は某ゲーム機の関連の仕事。
値下げしてるし、いかにも忙しそう。
やっぱり残業アリだという。
「体力のある人の方がいいというくらいなんです」
「はあ……それで、大体何時くらいまでなんでしょうね?」
「定時が6時ですので普通は7時か8時、遅くても9時半には終わるはずですよ」
「じゃあそれほど遅くはないですねえ」
……前よりは早く上がれそうだし、この辺で手を打つしかないかー。
しかし、9時でそれほど遅くないっていう私の感覚って、どうよ?

残業のない仕事、私には縁が遠いみたいねー。
「がたがた言わずに働け」というわけですな。
わかったよ、わかったよ〜。(T-T)
優雅な暮らしは私には叶わない夢なのねえ。

2001年11月26日(月)  面接

面接。(ホントは「顔合わせ」という程度のはずなのだが、実際面接。)

いやー。つくづく私って、セールス下手だなあ、とちと反省。
気の利いた嘘の一つも言おうやー。
終わった後で「わー、こう言えばよかったんじゃ!?」と冷汗。
しかし、まあ。相手も相手。

「差し支えなければ大学名伺っても?」
……私は構いませんが、そちらは差し支えるから訊いてるんでしょ?
「ちなみに学部は?」
……ええ、ええ。どうせ腹の足しにならない文学部、しかも日文ですよ。
「煙草はお吸いになりますか?」
「イイエ、吸いません」
「そうですか。社長が煙草を吸う女性、というか匂いが嫌いでね」
……アブナイ、誘導尋問か!!!!

ま、そんな調子。
しかも、他の派遣会社にも声をかけていて面接をするので断る場合もある、とその場でハッキリ言われた。
今日面接するまでもなくもう他に決まってんじゃないのぉ?
そんなことは派遣にはツキモノさ。ふふん。

「時々お茶菓子とかもありますが」と言われて、「ふーん。お菓子もらえるんだ」と思った私はアホです。
そう、もちろん「お茶出し」です。きゃーっ。


今回の話がうまくいくような様子じゃないので、しばらくのんびりする腹が決まった。よいよい。それでいいのだ。(自分に甘すぎ)

せっかく平日の昼間に新宿にやってきたので、映画を見ることにする。
ぶらぶらしていると、裏側の仕事のスカウトが寄って来る。
いくらなんでもそっちの仕事はしません! 徹底無視。
「ソード・フィッシュ」ってどんな映画だっけ? と看板を見てると、「一人で観るの?」って、一人で見ちゃ悪い!? しかも絶対ご一緒したくないタイプ。げー。
平日昼間の歌舞伎町をスーツでぶらつく若い女(しかもお一人様)って、あからさまに怪しいのかなあ。
ホットイテチョウダイ!!

映画「ムーラン・ルージュ」を観て気分よく帰宅いたしました。
そうよ。ダイアモンドこそ女の親友さ。
今年は自分にダイヤでもプレゼントしようかな。(やっぱり自分に甘い)

2001年11月25日(日)  新婚家庭訪問

先日結婚した友人M宅へお邪魔する。
ダンナ様は今日お仕事でお留守。
私と友人C(♂)とでお邪魔して、お昼ご飯にパスタとスープを作る。
新妻も私も料理はイマイチなので、ほぼシェフCにおまかせ。

途中でMのご両親合流。
(その後お父様は何杯か飲んで先に帰宅)
M母にマフラーを編んでいただく。ありがとうございました。

暗くなりはじめてから、チャイムが鳴った。
CとM母、固まる。(°Д°;
「帰ってきたぁ!!」
しかしダンナ様ではなく、訪問販売だった。

それからあわてて後片付けをし、私とCはお暇する。
Mのダンナ様は風貌がごつくその上気難しいらしいので、Cは怯えている。(笑)


最近、気持ちにゆとりがでてきたのか、お話を書く気分が自分の中で盛り上がってきている。
いい感じ。
さあ、今回は3月末までに1作、ちゃんと書けるかな。

2001年11月24日(土)  ちは天オフ会

今日は夕方から「ちは天オフ会」なので、一番に見てもらおうと稽古場に急ぐ。
ところがなんと、今日に限っていつも遅い時間の人が急ぐということで既に全員集合していたのだった。(T_T)ま、そんなもんね。

振付けが覚えられない。難しいよー。
……あ。あと1回練習したら勉強会じゃない???
オーマイガッ。

ともかくチャリをとばして帰宅。
なんとかオフ会後半に参加できました。

メンバーは、主催者ちはさんwithほのちゃん。
BOXMANオム企画でご一緒した朔月さん。
ちは天常連さんのせいまさん、まりこさん、ラスカーさん。

ちは天は特に若者が多く集うところなのである程度予想はしていたが、やっぱりみんな若かったのだった。(^^;)
この中にいれば私も20歳そこそこに見えるかしら?

楽しかったー。
やっぱりHPの持つ空気そのままなのね。理解。

ほのちゃんもかわいかったー。
遅くまでお疲れ様。

2001年11月23日(金)  スーツ

来週面接がある。
今回の募集職種が職種なので、
「割とかっちりとした服着てきてくださいね」
と営業さんに念を押された。

あは。それは、まずい。
実は私のもっているヨソイキスーツ各種が通用するのは春から秋まで。
冬物ってもっていないのです。
早い話、こういうものがその時期に必要だったことがなかったから。
営業と違っていつも内勤だから。

学生の時の就職活動は、春から夏が本番だったし、以前の会社をやめるにあたってちょっと揃えてみた何着かはやっぱり夏場から秋にかけてだったので、薄くて裏地がないものだったりする。

前回の会社の面接の時は10月も半ばを過ぎてさすがに夏物を着るわけにもいかず、大胆にもカーディガンを羽織って行ってしまった。
カジュアルOKな会社だったので、それでも許されたけど。

やっぱ、要るよなー。
社会人たるもの、ないじゃ済まされぬのだな。(T_T)

そういうワケで新宿伊勢丹で買い物。
うぬー。混んでる。
混み過ぎ。(>_<)
世の中クリスマスねー。
そしてまたもやビンボウねー。

2001年11月22日(木)  あくび講習

今日はExcelの講習を受けた。
10時から17時まで。

人数は5人程度と少ない。
授業は全員の理解の度合いを見ながら終始スローペース。
「あー、こんなこと知ってるよ」ってこともあり、逆に時々「へぇ、こんな方法もあるんだ!」ってこともあり。

女性の先生の話はわかりやすいけど、ちょうどいい周波数って感じで眠気を誘う。
……スミマセン。ほとんど(80%くらい?)居眠りこいてました。

来週もあるんだよなぁ。
来週が本命の講座なんだけど。

はー。一日講習ってきっついなぁ。
久々に学生の気分だった。
(学生の時も居眠り常習犯だったっけ)

2001年11月21日(水)  だらけモードからの脱却

仕事が決まらない(と言ってもあせってはいないんだが)。
今日は久々に一日家にいたが、かえって無駄にエネルギー消費してる気が……。
寒さに弱いので、ホットカーペットは一日消せない。
お金って何もしなくてもかかるのね。(^^;)

ハワイから帰って以来バタバタしていたので荷物も片付けず、部屋は荒れ放題。
食生活も適当で、肌も荒れ放題。
こりゃまずい。
ってんで、今日は快晴でもあったので、一念発起。
部屋の掃除と洗濯をようやく決行。

……はー。すっきりした。

2001年11月20日(火)  わが父のおかしな話

失業中で生活がぱっとしないので、最近の父の笑い話でも。


★部下の結婚式
ある日部下(女性)の結婚式に参列した父。
それは教会式で、花嫁が入場してきた時一緒に歩いてきた男性を見て、父は、
「えらい老けたダンナだなぁ」
と発言。周囲を驚かせた、そうだ。
そりゃ花嫁の父だっちゅねん。
前に花婿が待ってたでしょぉ!?
映画見て勉強せい。


★眼科にて。
父は目が小さい。
私も彼に似て細目だが、彼の目は前にも増して年々小さくなっている気がする。
眼科で、父は視力をはかる機械の前に座り、言われるままに額と顎を押し付け、目を開けてその体勢をとった。
「もう少し大きく目を開けてください」
「はい」(開けてるけど)
「もうちょっと大きく」
「してます」(もう限界)
その時、向かいに座って機械を覗きこんで操作していた女性が、不意に手を伸ばして、父の目をがーっと押し開けたそうである。

私はその話を聞いて以来、自分がその機械に臨む時、思わず吹き出しそうになる。
しかし、私も明日は我が身なので、これでもか、と目を開けて見せるのである。

2001年11月19日(月)  流れ星

2年前、まだ正社員として働いていた頃、前回のしし座流星群がやってきた。
まだ実家にいたので、母が夜中に起こしてくれて、二人でマンションの非常階段で1時間くらい空を眺めた。
しかし川向こうの高速道路や町の明かりのせいでせいぜいオリオン座くらいしか判別できないようなところで、オリオン座周辺に多く流れ星が見られたのはラッキーであった。

でもあれよりは学生の頃志賀高原で夏の合宿中に見たペルセウス座の流星群の方がインパクトがあったので、今回もどうかな、という気はしていた。
山で見るのと東京で見るのとじゃ、違って当然だけど。

我が家の小さな窓と明るさに不安があったので(通り沿いのアパートなのだ)、晴れそうだという方向のお宅にお邪魔する。
そこまでしたのに不精者の私は、窓から見えたりしないかなーと2時頃窓を開けて外を覗いてみた。

見えました。
これは、数が多い!
しかもでかい!
「何をお願いしよう??」
と騒いでいると、
すうっと大きくて尾の長い流れ星が視界を横切った。
「わー。見た? 今の見た?」
その大きさに度肝を抜かれたあまり、願い事をするのを忘れてしまった。

でも、ホントラッキー。
200年に一度だって?
世紀末も経験したし。
コドモの頃にはハレー彗星も見たし。
私って幸運な星の下に生まれたのね。
と考えてみたりするオメデタイ私でした。

2001年11月17日(土)  南国ハワイの旅(そのナナ)番外編

帰りはスムーズに帰ることができました。
なぜかイヤホンが壊れてて音楽は聴けなかったけど、運良く席がいっぱい空いていて窓際の席を一人占めできたし、快適。
スチュワーデスにはやっぱり台湾人と思われてたけど。

が。
問題は帰ってから。

帰って、その日のうちにお稽古があって、師匠におみやげを持っていこうとトランクを開けようとした時。
なんと、鍵が開かない。

南京錠タイプのナンバーを合わせるものだったので、これはもう切るしかない、と近くの電器屋に聞いてみたら、それは鍵屋に頼んでくれと言われた。
仕方がないので鍵屋を呼ぶ。
結局鍵屋さんもあけることができなくて、破壊に及んだ。
7000円もかかっちゃったよ。高くついたー。
ある意味安全すぎる鍵だったってことね。ったくぅ。

2001年11月16日(金)  南国ハワイの旅(そのロク)

朝。5時すぎ起床。
昨日のうちにほとんど荷造りはしておいたので、すぐに出かけられる態勢に。

チェックアウトして、タクシーを呼んでもらう。

タクシーで20分ほどで空港に到着。
早速搭乗手続き。
トランクは別に何も言われなかったが、金属探知機にひっかかる。
ボディチェック。
なんで?
……どうやら、ジーンズのボタンらしい。

チェックはそれほど厳しくなかったけど、軍の兵士が要所要所にいて、なんとなく尋常ならざる雰囲気はあった。

搭乗口で、免税店で買った商品を渡される。
私はショールを数枚買っていたのだけど、それがわざわざ一枚ずつ大きな箱に入れられていて非常にかさばる荷物になってしまった。
ちっ。お店の人に言っておけばよかった。
たくさん買い物をしたCなどは帰り大変だろうなあ、と他人事ながら考えた。
(帰国後、やっぱり大変だったという話をきいた)
変なシステム。
しかも法律で飛行機に乗るまで開けることが禁じられているって言うし。

2001年11月15日(木)  南国ハワイの旅(そのゴ)

さーて。いよいよメインの結婚式。(一応ね!?)

午前中、弟に頼まれていた買い物をして、ホテルへ戻る。
あまりの日照の強さにくらくら。それ以上動けず昼寝。
その後準備を済ませ、3時に待ち合わせのロイヤル・ハワイアン・ホテルへ。

教会式は1度日本で見たことがあるけれど、海外の結婚式は初めて。
私たちは観光バスで、新郎新婦と親族はあの長ーいリムジンで教会へ行く。
大きな教会だ。
とにかく天井が高い。

リハーサルをして、その後本番を続けてやること。
リハの間は写真を撮っていいが、本番はダメということ。
日本人(あるいは日系人)の牧師さんが説明をする。

「あ、バージンロードは花嫁さんが来るまでは歩かないでください」
牧師さんの声にふと見ると、花嫁の母がその上を通っていた。
続いて、花嫁の父も。
そして、後ろでハンディビデオを覗いている花嫁の兄も。
おーい(笑)
長く付き合っているから今更ってとこ?

そんなはじまりだったものの、本番の時にはさすがの私も感動しました。
お父さんと花嫁の行進。
お父さんから花婿へ。
ハワイアン・ウェディングの歌声。
体育会系のごつい感じの花婿さんも感激して目を赤らめていた。

いやー、素敵。
これはイイネ。

式の後、新郎新婦は写真撮影に入る。
カメラマンがリクエストしないので、ギャラリーの方から「花嫁だっこしてー」とリクエストをしてバチバチ撮っていると、カメラマンがあわてて戻ってきて撮り始めた。
花婿さんもいくらなんでも限界だって。(笑)

式の後、ワイキキに戻って、とりあえず解散。
私たち3人はCたちのホテルでお茶をして、再集合。
シェラトンホテルの上のお店でみんなでディナー。
夜景がとてもきれい。

どの料理もおいしかったけれど、笑えたのが、Cが頼んだドリンクに「孫の手」が突き刺さっていたこと。
一体、何故に?
ホテルの人に、これは一体、何?
と聞くと、ちゃんと孫の手とわかっていた。
ますますナゾは深まるばかりである。

食事の後、新郎新婦の部屋にお邪魔する。
さすが、ロイヤル・ハワイアン。
海が目の前に見えるー!
私は結局ワイキキビーチに泳ぎに来なかったので、この時初めて間近に見た。

花嫁のレンタルドレスを借りて着てみる。←扮装大好き
「あー、これが最初で最後かもー」(>_<)

みんなでパンケーキとタマゴ料理のお店に行く。
いやあ。さすがアメリカ。
かき氷みたいな量の生クリームがどっさり乗ったパンケーキがやってきました。
味はオイシカッタ。

2001年11月14日(水)  南国ハワイの旅(そのヨン)

ついにイルカツアーへ!!

今日はイルカを見に行く日。
遊びとなると私も早起きに励むのである。
約束通り7時半にホテルの前に立つ。
結局、迎えは10分遅れて到着したものの。
「あれ?」
先に乗っているはずのCとSさんがいない。
ええーっ、まさか寝坊して置いて行かれたの?
陽気なキャプテン・Vic、登場。
「るう子さんだね。よろしく。ところで他の二人は?」
ええっ。
「あのぅ、アイランドコロニーホテルには行ったんですか?」
「Oh! 忘れてた!」
おい! 一昨日電話で頼んだじゃないかヨ。
「書いたんだけど見逃しちゃってサ」
……そんな不安なはじまりだった。

ともかく西の海岸へ向かう。
昨日潜ったところから更に先へ。
よく晴れて、空は真っ青。
波もまったくと言ってイイほど、ない。

港から、ゾーディアックという黒いゴムボートで沖に出る。
今日のメンバーは私たち日本人3人。
あとはアメリカ人7人、イギリス人2人。
もはやカップルの話はすまい。
でも一人参加の人も今日はいっぱいいた。(だから何!?)

この黒いゴムボートは海軍やグリンピースでも使われているそうである。
「映画で追跡とか逃げる時に使うやつじゃない!?」
とCとやや興奮する。
恐ろしく速いスピードで波の上をかっとばして更に西へ。

あちぃ。焼け焦げそう。
そう思う頃、スピードを落とす。
海ガメが浮いている。

イルカと泳ぐ際の諸注意を受ける。
イルカは音に敏感なので、水音をさせないこと。
静かにボートから海に入る。
バタ足もだめ。
ただ浮いて時を待て。

時間が過ぎて、もしかして今日は見られないのかなあ、とふと心配になりはじめた時だ。
「いた!!」
いました!

イルカジャーンプ。
水族館じゃなくてもジャンプもスピンもするのね。
夢中で写真を撮るもののタイミングが合わず、スプラッシュばかりが写る。

これだけでも満足ー。と思っていたら、遂にGOサインが出た。
シュノーケリングの説明を受け足ひれをつけて、いざ水の中へ。
浮きを腰に巻きつけているので溺れる心配はないが、水に顔をつけると水深は深そうだ。
20メートルくらい?
それでも底の砂が見えるのがすごい。

イルカの姿を追ってみんなが泳いで行く。
静かに泳げって、言われてもなー。
足ひれに慣れていないのでブービーくらいに遅い。
でも気持ちイイー。
海の中で、イルカの鳴き声を聴いた。
ぎいいいい。きゅーん。
歯ぎしりと音のなる人形みたいな声。
たぶん半分はゾーディアックから発生していた音だと思うけど(イルカを呼ぶために)、半分は本物だっただろうと、勝手に信じている。

休憩してたら、「後ろを見ろ!」と前にいた人たちが指さすので振りかえると、なんとイルカの群がぐるっと一回りしてこっちにもどって来ていた。
わーい。お待ちしておりましたー。

結局残念ながら戯れるほど近くでは泳げなかったけど(浮きをつけていたし)、真下を彼らが泳いで行くのは壮観だった。

お昼の魚とゴハンのランチもおいしかったし、絶対また参加しよう、と心に決めてワイキキに戻りました♪


夕方、露天の並ぶ通りを歩く。
ついついジュエリー類に目がいく。
テロや戦争の影響で日本人が極端に減ったこともあり、みんな必死。
ちょっと眺めてるだけで強引に薦めてくる。
約1000円でダイヤ(キュービックダイヤという人工のものらしい)のブレスレットを1つ買った。

本日の夕食は、Sさんが知人に薦められたという日本料理のお店「和さび」へ行く。
日本料理と言っても「日本料理ハワイ風」という感じの創作料理がほとんど。
おいしゅうございました。

2001年11月13日(火)  南国ハワイの旅(そのサン)

念願の体験ダイビング!!

朝食は波に酔うかもしれないのであまり食べない方がいい、ということなので、カットフルーツ(パイナップル)をつまむ。さすが、うまかった。(以後帰国まで、朝食はパイナップルという習慣となる)

朝7時15分にホテルまで車で迎えにきてもらう。
ハワイ在住の日本人の方なので、気分はラク。
というより、大阪弁ばりばりトークに巻きこまれ、リラックスしすぎ?
同行者は、今日も日本人の若いご夫婦。(>_<)
どうせハワイで一人で行動する私が間違っているのさ。(爆)

ハイウエイを通って西側の海岸へ。
途中日立のコマーシャルの「この木何の木」が。
ハワイに着いてから思ったんだけど、この島にはこの木が多い。

さて、いよいよウェアを着る。
説明を受けたにも関わらず、前後間違ってしまう。ひー。
ボンベを背負う。地上では重い。
ここで役立つのは日本舞踊で鍛えた強い足腰。
思わず構えの態勢(笑)

同行のご夫婦はライセンスをもっているので、初体験は私だけ。
インストラクターのTaizoさんに文字通り「手取り足取り」面倒をみてもらう。

波打ち際で、呼吸の練習。
マスクをつけると、鼻が塞がれて苦しい。
鼻で息をせずに口にくわえたレギュレーターから吸ったり吐いたりする。
私は風邪の時以外鼻詰まりになることがなく、基本的に鼻呼吸依存型なので、これは非常に苦しい。そんなこと今まで意識したこともなかったけど。
口だけで呼吸するってこんなに難しかったのね。
鼻炎の弟の苦しみが今になってわかった気分だった。
そんなわけで、最初その状態で顔を水に漬けた時は呼吸がうまくできなくて、死ぬかと思った。(爆)
「こ、これ私には向いてないんじゃ!?」と内心あせる。
でも何度か吸ったり吐いたりして慣れてくると、なんとかできるようになった。

いよいよ足ひれをつけてもらい、Taizoさんの腕にしがみついて沖に出る。
「もしはぐれたら……」って説明は受けたけど、はぐれちゃったら困るよー。
不安で手は離せない。
うっとうしかったかもしれないけど。

ハワイとはいえ朝の海は寒いんじゃないかと思っていたが、そんなことはなくて本当にあたたかい。
時々耳がつんとするのでせっせと耳抜きに励みながら、深く潜っていく。
水が大変きれいで、視界が開けている。
こんなプールみたいな色の海に入るのは初めてだ。
日本で泳ぐ時はたいてい砂浜で波打ち際なので、どんなにきれいという海岸で泳いでも、水は砂で濁っている。
魚がいっぱい。
黄色い熱帯魚みたいなの(いや、熱帯魚って言っていいのか)が多い。
ミレットシードバタフライフィッシュというハワイ固有のお魚だそうだ。
FISH
ハナウマ湾ドットコム

鯛っぽい魚がゆったりと目の前を横切る。
これって食べたらおいしそうじゃない?
はっ、いかん。こんなとこに来てまで基準が胃袋では台無しか!?

気付いたらぷかぷか浮いてしまいそうになるのをTaizoさんが私のひもやなんかをいじって調整してくれる。

海ガメに遭遇。
わーい。カメだ。
カメラなど構える余裕がない私に代わってTaizoさんが写真を撮ってくれる。
フレンドリーなカメは悠々とすぐ横を泳いでいった。
その後、結局8匹くらいのカメを目撃。

1本目は50分くらいで終了。
特に問題がなかったので、2本目に挑戦する。
2本目はすこーし余裕が出てきて、Taizoさんと手を離して泳ぐこともできた。

終わってから、用意されたパンを頂いて、再び車でワイキキに戻る。
大満足。
私にもダイビングができることが確信できたので、
「今度はライセンス取りに来ます。その時はよろしくお願いします」
と、お願いをしておいた。
パシフィック・アイランド・スキューバ


友人・CとSさんが朝到着し、夕方会う予定になっていた。
ちょっと昼寝して、彼らのホテルに向かう。
向かう道でついでに買い物。
ドライフルーツをお土産にたくさん買ったら、日本人(日系?)のレジのおばさんに、「15人のボーイフレンドによろしく」と言われて、笑った。

夜、Cたちと買い物に出かけ、余力を使い果たして、夕食。
大きなステーキとポテトとロブスターを食す。
もー、いい。またもや夜中に消化不良だよ。

2001年11月12日(月)  南国ハワイの旅(そのニ)11/12

さて、いよいよホノルル空港に到着。
現地時間12日朝7時過ぎ。12日がふりだしに戻ってしまった。
飛行機を降りるなり、パスポートチェック。
日本のパスポートを警察手帳、もしくは水戸黄門の印籠のようにかざすと「Good!!」とすんなり通されたが、機内で近くに座っていたインドネシア系の人は会社名とか根掘り葉掘り聞かれて止められていた。

やっぱり私はスチュワーデスに最後まで勘違いされていたらしく、(こっちもスチュワーデスが日本人か台湾人か区別がつかず、片言の英語でコミュニケーションを図っていたこともある)ビザがある人用の入国カードを渡されていたことが入国審査の段階で発覚。
親切なハワイの入国審査官がその場で記入個所を書き写してくれた。

外に出ると、そこは夏の朝。空はよく晴れている。
日本で着ていた上着はリュックサックの奥底に沈めて薄着でGO!!
とりあえずシャトルバスでワイキキのホテルに向かう。

早朝のためチェックインできないかと思ったが、10分で掃除をして部屋のキーをくれた。
6階の、角部屋。キッチン付き。
ツインルームになっていて、広い。
白い壁が清潔感があってよいね。
何しろ大きな窓が2つあるので、とても明るくて、それだけで大満足だった。
AMBASSADOR Hotel

さあて。
今日は何をする?
とにかく現地の旅行代理店に行くともらえるものがあるらしいので、行ってみる。
午後からのツアーがあるかと聞いたら、夜のショーとか夜景などのツアーしかないという。
ホテルにあったパンフレットのツアーに行ってみることにした。

電話で早速英会話である。(ここまで結構日本語を使う人が多かったのでほとんど英語を使っていない)
ノース・ショア行きは既に完売。残念。
では山に行くか。
「トレッキングシューズとか登山靴持ってる?」
「スニーカーならあるけど……」
「泥まみれとか汚くなるのを覚悟することね」
「はーい」
「2時にホテルの前にピックアップに行くから」

お昼にサンドイッチをかじって、ちょっと昼寝。
……迎えに来たツアーガイドからの電話で起こされる。
うわーっ!!

ツアーのメンバーは、20〜30代の男性ガイド1名。
新婚さん2組(1組はアルゼンチン、1組はアメリカのカップル)、アメリカ人の熟年夫婦1組。
ペアじゃないの私だけかー! イイモンネ。

ガイドさんの運転するバンで移動。
私は助手席。
強風の吹き抜ける高台で、初めて海を見下ろす。
おお、美しいー。

そして、ゴルフ場。え?
あ、トイレ休憩ね。
と思ったら、そこからちょっと移動しただけで車を置いていよいよ山登り開始。
やっぱりゴルフ場の中かい。

他に道あるんじゃん?
って思いつつ、わざわざ道なき道をいく。
ホント、ジャングルな感じ。
ジュラシックパークはこういうとこで撮影したんだって。
竹の杖なんか持って、山伏みたいだ。

山登りというから私はパーカーにジーンズと肌の露出を控えてきたが、他の人たちは半袖短パン。
そのくせ蚊の心配なんかしてる。
おいおい。
虫よけスプレーをかけておく。
私も足元と首筋にちょっともらう。
結局私は手の甲を2箇所刺されたが、気付いたら私の前を行く男性の白い足には赤い痕がいっぱい。
肉食の連中の方が血がウマイのかも?
彼があれだけ刺されてれば(見てるだけで痒かった)、私は大丈夫かもしれない、と勝手にホッとする。

日本の山とは明らかに様子が違う。
花の色がまず毒々しいくらい濃い。(ピンクとか赤とか)
南国特有の変な花が多い。
メジロ(ガイドさんが唯一知っていた日本語)以外の鳥は初めて見る鳥だった。
そこに生えていたグアバの実をちょっとかじったり、茱の実を食べたり。
花の蜜を吸ってみたり。シナモンの木の匂いを嗅いだり。
(興味は食べ物だけか、みたいな。)
そんなことをして、メインの滝まで行きつく。

ワイキキに帰る途中、アルゼンチン人の奥さん(メチャ美人)が本の話をしていて、何気なく聞いていたら「アルケミスト」という言葉が。
おおー、それ私日本語で読みました! とちょっと会話に参加する。(笑)
彼女も言ってたけど、とても不思議な感じ。

帰ってからは一人でホテルの1階にある「ケオス」というタイ料理の店でゴハン。
見せるとデザートがもらえる券を持っていたからだが、生春巻きと焼きソバを一人で食らうのはやりすぎ。
初日から食べ過ぎたー。

2001年11月11日(日)  南国ハワイの旅(そのイチ・出発編)11/12

アメリカは日付変更線の向こう側。
やっぱり変な感じだ。

追いこまれるまで用意をしない私は、ほとんど夜明け前に荷造りを完了。
がーっと寝て、昼前に新宿にお直しを頼んだドレスを取りに行く。
足りないものを買ったり、銀行に行ったりして、帰宅。
そしていざ羽田へ。
近くの駅からなんと急行バスで20分で到着。ハヤイノネー。

羽田は何もない。本当に何もない。
ビッグバードにはあるのよ、なんでも。
国際線の方は何もない。
小腹が減っても適当なものが見当たらず、空腹を抱えて飛行機に乗る。
……ってあっさり書くが、それほどごく普通に飛行機に乗れちゃったんだよね。
ええっ、これで警戒してるのか? みたいな。
(注:成田はトランクを開けて中身も出したらしい)

中華航空なので、中国語が目に付く。これがまたいとおかし。
超級頭等艘(スーパーファーストクラス)に、超級商務艘(スーパービジネスクラス)。
もちろん格安航空券の私は、経済艘。

搭乗口がなぜか中華の油の匂いがする。……いや、きっと気のせい。
「ニイハオ」
スチュワーデスが中国語で挨拶する。
私もこれくらいわかる。「ニイハオ」で返す。
「席はあちらです」っぽいことを中国語で言われ、にっこり笑顔で答える。
同じスチュワーデスが私の後ろの人には「コンニチハ」と言っていた。
そりゃ一体どういう意味でい?

席は、真ん中の5つ並んだ席の通路側。
このご時世か、ラッキーなことに、私の隣4つの席が軒並み空いていた。
こりゃ後できつくなったら横になれるかも!!(気が弱いので実際はできない)

離陸しても尚、暗い機内に一抹の不安。
夕食出ると思ってゴハン食べなかったんだけど、もしかして出ないのか!?
――いえいえ、ちゃんと出ました。ほっ。
牛肉入りシーフードカレー。
うまい。さすが、中華航空。(意味不明)
でも、日本人のスチュワーデスさんが、私の周りには「中国茶です。お茶いかがですか」と言って歩くのに、私のところにくると中国語になるのが気になる……。

さて、お腹も膨れたところで音楽でも聴いて眠りましょう。
どんな曲があるかな。
クラシック、ポップス(いわゆる洋楽)、中国の流行歌(こう書いてある)、日本の流行歌。
日本の曲は何が?
宇多田ヒカル、DA PUMP、ふむ、これは普通だな……何ぃ光ゲンジ、男闘呼組に、工藤静香(抱いてくれたらいいのに)、極めつけは南野陽子の「吐息でネット」……。
どういう選曲なんだ?
ちなみに上映映画は「みんなのいえ」らしい。(爆睡して見なかった)

ちょっと眠ってふと気付くと、私の隣の席ぶちぬきで横になっている人がいた。
私に足を向けて。失礼なッ。
しかも隣の席にちょっと置いていたおやつのナッツが床に落ちている。
きっと、気分でも悪かったんだ。
そうそう。そうじゃなきゃ許さん。

まだ寝不足ぎみなところを叩き起こされ、朝食。
うう。着いたらまだ12日の朝なんだよなぁ。

2001年11月09日(金)  久々の面接

最近登録した新しい派遣会社で早速紹介された会社の面接。
都内の1等地(といってよいでしょう)の、でっかいビルにある。

正面入り口。
受付嬢が3人もいるのにまずビビル。
テレビドラマで見るような風景。初めてだ、こんなの。

入社証のバッヂをつけ、エレベーターに乗る。
ドキドキ。
指示されたフロアに行くと、そこにも受付嬢!!!
ここは会議室のフロアらしい。
「○番のお部屋へどうぞ」とはまるでホテルじゃないか。

以前の派遣先も世界的に有名な企業ではあったが、オフィスの規模は小さかったので、こんなすごいものは見られなかった。
最初の就職先が(極)小企業だったのでどこ行っても驚くことばかりだが。

面接は、その会社の男性2人と、私と派遣会社の営業さん(女性)の4人で行われた。

面接と言っても正社員の採用とは違うので、業務内容の確認が中心。

金融関係なので、仕事には正確さが求められるということを再三言われる。
「よく言えば細かいことを気にしない、悪く言えばおおざっぱといった性格の方は合わないでしょうね」
……そ、それって私のことじゃ……(>_<;)

質問はありますか、といわれたので、別に大した意味はないが、「他にも派遣社員の方はいらっしゃいますか?」などと聞いてみた。
一応いるそうである。
その話の流れで、同じ部署には男性社員がほとんどであることなどが告げられ、そしてなぜか、こんな言葉が出た。
「まあ、変質的な人はいないですからね」
な、なにぃ?
かえって警戒してしまうんですけど。

ともかく、無事面接は終了。あとは返事を待つだけである。

2001年11月08日(木)  体の調整

眼科に検診に行く。
私の目にはちょっとウィークポイントがあるので、年に何度か見てもらうのだ。
「ダイビングやっても大丈夫ですか?」
「びくびくして何もできないんじゃ人生つまらないから、好きなことやりなさい。何かあったらちゃんと治せるから」
おおー。さすが女医さんは言うことが違う。
では、遠慮なく(笑)。

バスに揺られて、今度は整体へ。
何年振りだっけ? 初めてやってもらった時からもう5年は経っている。
「なんだこりゃ。背骨がひどく曲がってるぞ」
あっはっは。やっぱりぃ?
「痛かったら言いなさい」
「はーい」
「背骨が曲がってるから、足の長さが違ってきてるよ」
「ホントですかー? イタタッ」
「ちょっと我慢ナ」
痛かったら言ってって言ったのにー!!
「首が弱いんだな。マフラーとかハイネックとかあんまり着ない方がいいね」
「ハイネックなんか関係あるんですか??」
「重みがかかるんだよ」
「へえっ」

体が軽くなった。
でもあと2回来ないとダメって。じゃまた再来週。
体が軽くなりついでに眠くなって、バスで寝過ごして、眼科の方まで戻ってしまった。

2001年11月07日(水)  再び愛人の密会

以前も日記に書いたが、前の職場の某エライ人は私のメル友である。
最近じゃヤフーのチャットまで開通させられてしまった。
しかし英語でやることなので勉強になるからいっか、ってなもんで私がそこを離れてからも関係は続いている。

今夜はついにディナーと相成った。
前回の密会ではランチだったので、一歩進んでいる(笑)
実を言うとあまり気乗りしていなかったのだが、誘いを断れないのが私の欠点である。
行ってみたら、やはり相手の方は(当然だが)友人として接してくれたので、ちょっとホッとした。
以前からの約束通り、家のPCを見る。
げ。英語。英語のソフトは初めてだー。
しかし、大体同じ並びなのでわかる。
たいしたことではないんだけど、とにかく私のやったことが「スゴイ」と喜ばれたのでよござんした。
「あと、こっちの方は?」
「それはまたこの次で」
What?? 次があるんかい!

なんかうまいことやられた気がするけど、まだ続く、みたいです。

2001年11月05日(月)  るう子@実家

わたくし、実家に帰ってまいりました。
ぷっ。この言い方、ウケル……。

経費削減のため、今週金曜まで実家に滞在。
それでなんで日記を書いているかというと、派遣会社や旅行会社とのやりとりなどでどうしても今回PCをもってこないわけにいかない状態だったので、VAIOちゃんを本来の使い方どおりに持ち歩いたわけでござる。
ノートのくせになんでこんなに重いんだよー!!!
……はい、それは買う時に家用なので重さを気にしなかったからですね。
(しかも日本酒の一升瓶を一緒に持ってきた。涙)
今時のノートPCはどうなってるのかしら。

次の積立が定期に入る時(来春の私の誕生日ですな)、それをそのままPC購入資金にあてちゃおうかなあ。
金遣いすぎだっちゅうねん。
でも、必要経費だし……。
「若い子がお金貯めこんで、やりたいこと我慢するのはよくないわよ」って言われたのがちょっと利いている(っていうか都合良く解釈しすぎ)。

家で仕事できるようにしたいんだよな。
画像処理ソフトも入れて。(うう。スキャナーもいるじゃないか)
そしたらこんな合間にもいろいろできることあるから。
その前に正社員の口を探せっつうプレッシャーもかかってきてはいるけども。

サンタのおじさん。今年は私に新しいパソコンをください!

2001年11月03日(土)  猿の惑星

あー。
めちゃくちゃ誤解してた。

有名だけど、なんとなく今まで見てなかった。「猿の惑星」。
どうせ猿に奪われた実権を人間たちが取り戻すために戦うんでしょ、と勝手に思ってた。

いやー。深い。
結局猿の言うことはごもっともだ。
ラストシーンがものすごく印象的だった。

最近こういう映画よくテレビでやるな……。
やっぱり密かな主張?

2001年11月02日(金)  The Last Day

この職場とも今日でお別れ。

そう思うと感慨深いものがある。
とはいえ、仕事が終わらず、内心結構あせってはいた。ひー。

お昼を同じ部署の人たちと食べる。
今まで私も他の社員さんのお別れに何度か立ち会ったけど、送られるのは変な感じ。

他の部署に挨拶に行く。

お花の贈呈と贈り物をいただく。

苦手だけど、なんとかスピーチ(?)もする。

今までお世話になりました。


……結局最終日まで残業してしまった。
で、その後、残っていた人たちと飲みに行きました。

2001年11月01日(木)  詩を書く。

詩を書くのは難しい。
短い言葉の中に、何を入れよう。
うーん。

それでも調子に乗って、また詩もどきを投稿してしまった。
以前BOXMANオムニバスでご一緒した翻車魚さんが朱欒という詩サイトのスタッフになっていて、お誘いをいただいたのだ。

以前は詩はあんまり興味がなかった。
詩って、意味がわからないの多いし、自分で書くのも得意じゃない。
時々小説になりきらないものを短文にしたり、つぶやき的に詩にしてみたりはしてたけど、「こりゃダメだ」ってものばかり。

でも最近、詩集を読むようになった。
それなりに人生経験を積んで、詩にこめられたメッセージが読み取れるようになったんだろう。

ウェブでは小説よりも詩のほうが読みやすい。
音楽や画像もつけられるし。
私もいつか素敵なページが作れるようになりたいなあと思いつつ、投稿して勉強している。

相変わらず「こりゃダメだ」って気もするけど。

詩・モード「Zamboa」


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