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 夜の樹/トルーマン・カポーティ

内容(「BOOK」データベースより)
ニューヨークのマンションで、ありふれた毎日を送る未亡人は、静かに雪の降りしきる夜、〈ミリアム〉と名乗る美しい少女と出会った…。ふとしたことから全てを失ってゆく都市生活者の孤独を捉えた「ミリアム」。旅行中に奇妙な夫婦と知り合った女子大生の不安を描く「夜の樹」。夢と現実のあわいに漂いながら、心の核を鮮かに抉り出す、お洒落で哀しいショート・ストーリー9編。
目次
ミリアム/夜の樹/夢を売る女/最後の扉を閉めて/無頭の鷹/誕生日の子どもたち/銀の壜/ぼくにだって言いぶんがある/感謝祭のお客

解説
カポーティの短編は、暗く、冷たく、内向的なものが多い。狂気、無意識の闇、生きる恐れ、都市の疎外感、オブセッション(妄執)といった人間の心の負の部分にこだわる。孤独癖の強い人間が見る白昼夢のような、現実とも夢ともつかない淡い幻影の作品が多い。ときには病的ですらある。カポーティは、外部社会の現実に向うというより、自分の心の中の秘密の部屋へとゆっくりと降りて行こうとする。
(中略)
カポーティは、そうした意識の不確かさ、複雑さ、不安定さこそにこだわった。確固たる信念、揺るがない自己を持った強い人間よりも、その逆の、ちょっとした日常の出来事からあっというまにむこう側へ連れ去られていってしまう“取り憑かれやすい”人間を愛した。これはもしかしたら、カポーティがホモセクシュアルの作家だったことと関係があるかもしれない。
(中略)
闇に対する恐怖と親密感。カポーティの作品にはそのアンビバレンツ(両義性)がある。それが作品を豊かなものにしている。
(中略)
カポーティの後年の荒れた生活を思うと、アラバマの少年時代を描いた無垢な短篇のいくつかが、カポーティ文学のなかでとりわけ貴重なものに思えてくる。カポーティはそんなことは不可能とは知りつつ、またいつかアラバマの少年時代に戻りたいと夢見ていたのではないだろうか。

─川本三郎(翻訳者)


子どもの頃に過ごしたアラバマと、作家としてデビューし、その後の生涯を送ったニューヨークを舞台にした二つの世界の物語。やはり私はアラバマでのイノセントな話のほうが好きだ。特に「感謝祭のお客」は、クリスマスものと同じくミス・スックが登場するので、<イノセント・ストーリー>シリーズのひとつといっていいだろう。人間の悪意をまるで知らない、親友であるおばあちゃんイトコのミス・スックと、カポーティ自身であるバディ少年の間柄は、ここでもやはり心温まるものである。

とはいえ、ニューヨークを舞台にした作品も、カポーティの漠然とした恐怖や、人生に影響を与えてきた事柄が見えてきて面白い。解説にもあるように、そのほとんどは「狂気、無意識の闇、生きる恐れ、都市の疎外感、オブセッション(妄執)といった人間の心の負の部分」について描かれているが、まるでゴシック小説のようでもあり、またファンタジーのようでもある。なにか、カポーティが抱えている精神的な闇が表面に現れてくるような感じだ。

カポーティは「私の子ども時代には大きな愛情の欠落があった」と語っているが、たしかに両親の離婚で、大きな精神的な打撃を受けていただろうし、その影響が作品に表われているのは当然のことだろう。しかし、預けられたアラバマの親戚の家で、永遠の友となるミス・スックに出会い、共に生活したその数年間は、彼にとっては最も幸せな時期だっただろうと思える。それもまた作品によく表われているし、そこに戻りたいというカポーティの気持ちも、切ないほどに伝わってくる。

さて、アラバマのミス・スックとの生活を描いたものはもちろん大好きだが、この短編集の中で、特に面白いと思ったのは「銀の壜」だった。ぼく(語り手)が学校が終わったあとに手伝いをしているおじさんの店で、大きなワインの壜に小銭をつめ、中に入っている金額を当てた人には、クリスマスにそれを進呈するという企画を始めた。ある日アップルシードという貧しい男の子と、ミディという妹がやってくる。アップルシードは、絶対に当ててみせると言い切って、毎日その壜の中のお金をじっとみつめているのだ。彼は女優になりたいという乱杭歯の妹のために、きれいな入れ歯を買ってやりたかったのだ。さて、結果は・・・。

結末が近づくのが本当に怖かった。当たるのか、当たらないのか、一体どっちなんだろう?と、ハラハラ、ドキドキである。見守っている「ぼく」の気持ちもそうだが、読んでいるほうも気が気じゃない。また、南部の町や店の内部の描写や、人々の暮らしぶりも詳細に描かれていて、非常に面白かった。

2003年11月30日(日)
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 二都物語(上・下)/チャールズ・ディケンズ

二都物語 (上巻) 新潮文庫/ディケンズ (著), 中野 好夫
文庫: 338 p
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4102030034 ; 改版 版 上巻 巻 (1967/01)
カバーより
フランス貴族の子でありながらその暴政を嫌い、家名を棄てて渡英したチャールズ・ダーニー、人生に絶望した放蕩無頼の弁護士シドニー・カートンの二人は、罪なくしてバスティーユに18年の幽閉生活を送ったマネット老人の娘ルーシーに思いを寄せる。折しもフランスでは、大革命の日が間近に迫っていた・・・。パリ、ロンドンの二都を舞台に展開する華麗な歴史小説。

二都物語 (下巻) 新潮文庫/ディケンズ (著), 中野 好夫
文庫: 357 p
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4102030042 ; 改版 版 下巻 巻 (1967/01)
カバーより
パリに革命の火が燃え上がる。ルーシーと結ばれて幸せな生活を送るダーニーに、かつての忠実な召使いから救いを求める手紙が・・・。運命に導かれるようにフランスへ向い、捕らえられ、死刑の判決を下されるダーニー。刑執行の日、カートンは愛する人のために、彼女の夫の身代わりとなって自ら断頭台の人となる。大革命を挟む激動の時代を背景に描く、ディケンズの作品中最も名高い大作。


著者プロフィール
チャールズ・ディケンズ
Charles J.H. Dickens (1812〜1870)

英国サセックスに生まれる。幼い頃から本好きで向学心の強い少年だったが、家計を助けるために学校をやめ、弁護士事務所の使い走りをする。仕事のかたわら速記などの勉強を続け、通信記者を経て、22歳で雑誌「モーニング・クロニクル」に短編を連載。「オリヴァ・トゥイスト」「骨董店」などの代表作はイギリス大衆、ことに下層社会にまで広く読まれ、シェイクスピアと並ぶ文豪と絶賛される。絶筆「エドゥイン・ドルード」を未完のまま急逝したことはあまりにも有名である。


今月の読書会の課題本であるディケンズの『二都物語』。自分で選んでおきながら情けないが、どうにも進まないのだ。でも、下巻の巻末にある中野好夫さんの解説を読んでびっくり!巻末の解説は、だいたいがその作品を誉めるものだが、中野さん、全然誉めてない。「ディケンズは、こうした構成を考えたものはダメである」とはっきり言っている。いや、もっとひどいことも書いてある。「なにせ不得意の芸は仕方がない」ということらしい。なるほど、これじゃ私が先に進まないのも納得。

今のところ、ディケンズよりも中野さんのほうを信用しているから、中野さんはけしてこれが駄作だと言っているわけではないのだが、私の中では、すっかり「これは駄作である」という評価になってしまった。もっとも、この『二都物語』の訳がいいかどうかは、また別の話だが。やはり訳すほうでも、その作品に惚れていないと力が出し切れないのかもしれない。サマセット・モームなどの作品の翻訳に比べたら、どうも中野さんらしくないような気がする。

でも「駄作である」と思ったら、かえってイギリス文学の大家という先入観がなくなって、気が楽になったかも。あとは集中して、猛スピードで読むだけ。ちなみに中野さんも、「よくもまあこんなものを教科書にして英語を教えたものだ」といいつつ、「面白いことはけっこう面白い、楽しい読み物である」と言っているから一応フォローはしているのだが、今更もう遅い。

さて後半は、結局1日というか、半日で読み終えてしまった。「駄作」であると思い込んでいたのは、一応撤回しないといけないだろう。前半あれだけ進まなかったのが嘘のように、一気に読めてしまった。結局ディケンズは、この部分を書きたかったのだろう。語り口が前半とは別人のように、テンポよく滑らかになっている。『大いなる遺産』を読んだときもそうだったが、ディケンズは、会話が多い部分はどうもしっくりこない。しかし、ストーリーを展開させていく語り口は非常に面白いと思う。結局これもそうだった。中野さん曰く「部分的手腕には驚くべきものがある」という、そういう部分だ。

最後はハラハラ、ドキドキして、静かなところで一人で読んでいたら、涙さえ出たかもしれない。中野さんが書いている通り「面白いことはけっこう面白い」読み物だった。モーム流にいえば、余計な部分を削ってもっと短くすれば、名作になるだろう。って、すでに名作と言われてはいるのだけれど、これもまた、発表された時代のもたらした栄光であるらしい。フランス革命に対する歴史的興味や意義づけがようやく盛り上がりかかった時期であったからだ。

というわけで、フランス革命という歴史的大事件を舞台に、パリとロンドンの二都とかけめぐる話なのだが、これは歴史小説ではなく、結局ロマンスであると思う。愛した女性の夫の身代わりになって、ギロチンにかけられるシドニー・カートンの一生を描いたといったところだろうか。たしかにその部分では、報われない愛のために、果たして本当にそんなことができるものだろうかと感心した。そのカートンの犠牲的精神が、フランス貴族の冷酷さや、革命を起こした庶民の残虐さに対比して、素晴らしく高潔に思える。中野さんの解説によれば、「人間の興味の永遠の泣きどころを抑えた主題」である。

ここでフランスの貴族と庶民を出したが、この対決は非常にむごたらしく、凄惨である。不勉強で、史実をよく把握していないのだが、貴族の庶民に対する弾圧も筆舌尽くし難いが、蜂起した庶民もまた無知無学であるだけに、理屈が通らない。ただただ暴力に訴えるのみで、これは読んでいて非常に辛い場面だ。特に革命の発起人とも言うべき宿屋のドファルジュの妻、マダム・ドファルジュの残虐さといったら、もう救いがたいものなのだが、実はこのマダム・ドファルジュには、そうするだけの理由があったのだ。それもまたこの物語の核心というべき部分だろうと思う。


2003年11月29日(土)
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 20世紀アメリカ短篇選(下)/大津栄一郎(編・訳)

内容(「BOOK」データベースより)
本巻には、ナボコフ以下、戦後に活躍した作家たちの作品を収める。現代アメリカを代表する作家たちによって表現された現代アメリカ社会の諸相。

目次
ランス(ウラジーミル・ナボコフ)
ある記憶(ユードラ・ウェルティ)
ユダヤ鳥(バーナード・マラマッド)
父親になる男(ソール・ベロウ)
動物園で(ジーン・スタフォード)
木・岩・雲(カーソン・マッカラーズ)
笑い男(J.D.サリンジャー)
バーンハウス心霊力についてのレポート(カート・ヴォネガット・ジュニア)
ミリアム(トルーマン・カポーティ)
ゼラニューム(フラナリー・オコーナー)
暗夜海中の旅(ジョン・バース)
黄金の雨(ドナルド・バーセルミ)
別居(ジョン・アップダイク)
たいへん幸福な詩(フィリップ・ロス)


<気にいった作品についての感想>

●「ランス」/ウラジーミル・ナボコフ

これを読んでがーん!と来た。2冊ばかりアン・ビーティを読んだあとだったせいもあるが、なんて想像力豊かで典雅な文章なのだろうと思った。

タイトルのランスとはランスロットの略称だが、中にアーサー王や騎士たちの記述もあることから、間違いなくアーサー王物語のランスロットからとられた名前だろう。こういったことは文章やプロットには直接関係がないものの、個人的な好みにはまる大きな要因。

結末は一体何を言っているのかよくわからなかったものの、こういう文章を読んでいるだけで、非常に気持ちがいい。


●「ユダヤ鳥」/バーナード・マラマッド

これはすでに英文を読んでいるのだが、日本語で読んで再びすごい話だなあと思った。マラマッドはユダヤ系で、この話もタイトルが示す通り、ユダヤ人差別の話。直接そういったことを書いているのではなく、ユダヤ鳥をユダヤ系の人間と見たてて、最後には殺してしまう。この鳥と人間のやりとりの中にも鋭い批判が含まれていて、なおかつ結末は悲劇的であるにもかかわらず、納得できてしまうところに屈折した社会の恐ろしさが現れていると思う。

マラマッドの書き方は、私が常々短篇はこうであってほしいと思っているようなもので、作者の言いたいこともよくわかるし、結末も鮮やかだ。数少ない「短篇を読みたい」と思う作家の一人になるだろう。


●「父親になる男」/ソール・ベロウ

これはコメディなんだろうか?ともあれ、私はなんだかおかしくて笑えたのだが、フィアンセの家に食事に行くまでの道すがら、周囲を仔細に観察しながら、あれこれ思いをめぐらす男の話で、普通に買い物ができる自分を幸せだと感じ、フィアンセへのおみやげも大判振るまいしたかと思うと、今度は電車の中で隣に座った男がフィアンセに似ていることに気づき、自分の息子の将来の姿ではないか、いや息子そのものであるなどと本気で思い込み、ということは彼女の父親(主人公はこの父親を憎悪している)にも似ているということだから、なんて嫌なことはだろうと思いつつ、しかし息子の父親は自分であるわけなので、なんと不幸なことだろうかと落ち込む。

彼女の家についてからも、あれこれ荒捜しをして、機嫌の悪さに拍車がかかる。しかし、彼女は手馴れたもので、髪がぬれているからシャンプーをしてあげましょうというのだ。そうしてもらっているうちに、暖かいお湯によって心が和み、気持ちは彼女への愛情でいっぱいになり、それがあふれ出てくるといったような成り行き。

よくもまあ、空想たくましく思い込むものだが、女のほうが一枚も二枚も上だったということだろうか。言葉ひとつでそれまでの過剰なまでの思いこみによる不機嫌が直ってしまうなんて!というわけで、これも面白かった。ベロウは元来が長編小説家で(ポール・オースターもベロウの小説を引用したり、参考にしたりしているらしい)、短篇は珍しいのだが、これは予想外に面白かった。


●「動物園で」/ジーン・スタフォード

これは短篇というには少し長すぎるくらいの分量の作品だが、これはすごく面白かった。語り手の観察眼が鋭くて、冒頭の動物園の動物の描写が素晴らしいし、登場人物や状況が逐一眼に浮かんでくるようだ。ずっと動物園の話というわけではなく、実は悲しく不幸な、それも不幸極まりない姉妹の子供時代の話(人生とは本質的にたたきのめされ、失望させられ、詐取されることなのだという信条を植えつけられている)で、それがレモニー・スニケットの<不幸シリーズ>を思い出させて、ひどく不幸な話をしているのに、どこかユーモラスだ。書き込みも細かく念入りで、言葉の使い方も上手い。最後はどういうことだろう?という疑問も残るけれど、非常に面白かった。


●「ミリアム」/トルーマン・カポーティ

短編集『夜の樹』で、川本三郎氏の訳でも読んだが、これは何度読んでも不気味。特に「得体の知れない子ども」という物体は、この話に限らず怖い。にっこり笑ったりする描写があったりすると、さらに怖い。登場する少女の名前がミリアムなのだが、主人公のミセス・ミラーもミリアムという名前なので、川本氏はドッペルゲンゲル(分身、影法師)を描いたものだとしているが、私には単純にお化けものとしか思えなくて、何度も怖い思いをしている。ドアを「開けてー!」と叩いているところなど、想像しただけで怖い。何度読んでも怖いと思う。

この本の編・訳者である大津栄一郎さんは解説で、カポーティは「巧みな技巧、達意の文章、しばしば展開するファンタジーの世界に作風の特長がある」と書いているが、簡潔にして的確な批評だと思う。今まで、なぜカポーティが好きか?と聞かれて、うまく答えることができなかったのだが、そうだ、こういうことだったのだと納得した。<イノセント・ストーリー>の心温まる話ばかりがカポーティではないし、ではなぜ好きかと言ったら、大津氏の言うとおりなのである。


●「ゼラニューム」/フラナリー・オコーナー

オコーナー(オコナー)が、アイオワ大学創作科での卒業制作で書いた作品。
アメリカ南部の田舎からニューヨークに引っ越してきた老人が、向かいの窓にゼラニュームの鉢が出されるところを毎日見ているという話。そこから展開して、南部と北部での黒人についての考え方の違いとか、田舎と都会の隣人とのつきあいの違いなど、老人のとまどいがやがて極限にまで達する様子を描いている。

田舎と都会の違いというのは理解できるが、黒人についての考え方が、南部と北部でこんなに違ったのかと改めて思った。南部では黒人の使用人も家族として扱っているから、もっと温かな目で見ているのかと思ったら、意識の下では人間とも思っていないようなのだ。そういった昔の南部人の感覚がリアルに描かれていて、非常に興味深かった。

2003年11月28日(金)
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 クリスマスの思い出/トルーマン・カポーティ

出版社/著者からの内容紹介
ささやかな、けれどかけがえのないクリスマス。画と文がともに語りかけるシリーズ最終巻はカラー頁を加え、より美しく、愛らしく。

カバーより
遠い日、僕たちは幼く、弱く、そして悪意というものを知らなかった。


これもお気に入りの<イノセント・ストーリー>シリーズのひとつ。
両親の離婚によって、赤ん坊の頃から親戚に預けられたバディー。そこには無二の親友がいた。彼女はかなり年の離れたイトコここでは名前は出てこないが、(『あるクリスマス』に出てくるスックのこと)だが、バディーにはかけがえのない人だった。

毎年クリスマスになると、彼女は大量のフルーツケーキを焼く。これは周りの人にあげるのではなく、ローズヴェルト大統領だとか、親切にしてくれたセールスマンだとかに送るのだ。二人はせっせと小銭をため込んで、その日の準備をする。その様子がまた、心温まるかわいらしさだ。お金などなくても、彼らは幸せだったし、その世界はけして壊されたくなかったのだ。

おばあちゃんイトコのスックは、バディーと同じような精神年齢なのだろうか、年はかなり違うのに、やることや考えていることはすべて一緒。二人は他の大人たちから孤立しているが、二人の世界は素晴らしくイノセントで、本当に悪意などは影も形もないのだ。

同じく<イノセント・ストーリー>と呼んでもいいだろうと思える『草の竪琴』には、このスックとの暮らしがもっと詳しく書かれているのだが、双方に共通しているのは、もうけして戻ってはこない少年の日々への郷愁と、大人になることへの不安、悪意だらけの大人の世界からの逃避といったことだ。そして、少年時代のそういった美しく輝いている世界をそのまま持って、大人になってしまったのがカポーティだろう。そこに帰りたいと願うカポーティの切なる思いが、ここにもまた溢れている。

カポーティの、この<イノセント・ストーリー>シリーズの村上春樹の翻訳は非常に好きなのだが、やっぱりこれも、最後には柴田元幸さんに助けてもらったそうだ。初めから柴田さんではどうなの?と思う。

2003年11月25日(火)
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 あるクリスマス/トルーマン・カポーティ

内容(「BOOK」データベースより)
父さんと過ごした最初で最後のクリスマス。『あるクリスマス』の前年、トルーマン・カーポティは父を失っている。触れあうことの少ない父子だった。カポーティ自身、すでに酒とクスリに蝕まれていた。この作品の翌々年、彼はこの世を去る。最後にみる夢、だったのかもしれない。


カポーティの作品の中でも、特に好きな<イノセント・ストーリー>シリーズの1冊。
両親の離婚で、赤ん坊のときから親戚に預けられ、すっかりそこに馴染んでしまっていたバディー少年は、ある年のクリスマス、父親のもとで過ごすことになった。つまりその年は、父親が子どもと過ごす権利を得たというわけだ。初めて訪れるニュー・オーリンズ。そこにいる人々も、食べ物も、いつも暮らしているアラバマとは大違いだった。居心地が悪いが、父を傷つけまいと努力するバディーと、一生懸命に息子を喜ばせようとする父親。けして噛み合うことのない歯車が空回りする。

その頃バディーは、まだサンタクロースの存在を信じていた。田舎で一緒に暮らしている年の離れたイトコであるスックから、そう教わっていたからだ。しかしニュー・オーリンズで、その夢はもろくも崩れてしまった。父からの山のようなプレゼントを開けながら、それは父からだと知っているくせに「パパのプレゼントはどこ?」と聞くバディー。なんて小憎らしい!けれども、それがサンタクロースの夢を壊されたバディーの、せめてもの仕返しだったのだ。

父親もまた苦悩していて、息子を返さなくてはならない日には、正体もなく酔っ払い、苦しみをあらわにする。「パパを愛していると言ってくれ」と何度も何度も口にするが、バディーは答えない。ほんとに小憎らしい!

けれども家に帰ってから、バディーはこんな手紙を書く。

「とうさん元気ですか、僕はげんきです、ぼくはいっしょうけんめいペダルこぐれんしゅうしてるので、そのうちにそらをとべるとおもう、だからよくそらをみていてね、あいしてます、バディー」

そう、クリスマスに「パパのプレゼント」として改めて買ってもらった、ペダル式の飛行機のことを書いたのだ。

本書が出版された前年に、カポーティの父親は亡くなっている。本当はお互いに必要とし、求め合ってもいたのに、ついに心を通わすことのなかった父と子。その思いをつづった作品と言えるだろう。最後の手紙で、胸がつまった。ここには書かれていないが、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったというカポーティの思いが、痛いほどに伝わってくる。大人になってからも、少年の頃の気持ちのまま、こうした物語が書けるのは、カポーティくらいのものではないだろうか。

2003年11月24日(月)
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 『私たちはなぜアメリカ人なのか―15 reflections』/米国国務省国際情報プログラム局 (編), 青山 南 (訳)

同時多発テロのあと、米国国務省国際情報プログラム局から、「ライターズ・オン・アメリカ」(Writers on America)という小冊子が刊行された。その翻訳。

要旨 (「BOOK」デ−タベ−スより)
アメリカ人の「ホ−ムランド」とは何か!?アメリカを代表する作家と詩人による15のアメリカ文化論。多民族国家アメリカの多様性。

オビより
ブッシュ政権の、パウエルが指揮する国務省の一機関からこういうものが出たとなると、体制翼賛的な文章が並んでいるのではないか、と思いがちだが、意外にもそうではなく、けっこう充実したアメリカ文化論集になっている。〜注目したいのは、アメリカが多民族国家であることをしめす書き手たちがどっさり集まっていることだ、書き手のほぼ半数がいわゆる「白人」ではないのだ。〜もちろん、そんなアメリカの多様性の強調こそ、国務省がこの小冊子をつくった趣旨なのだが、なかなか壮観である。〜「ニューヨーク・タイムズ」は、海外向けの文章であることをとりあげて、アメリカでだけ発禁だ、と皮肉っている。
─青山南(2003年2月19日朝日新聞文化欄)

目次
メイン・ストリ−トをちょっとそれたところ(エルマズ・アビネイダ−)
わたしもまた、アメリカをうたう(フ−リア・アルヴァレス)
アメリカの夢の強制力(スヴェン・バ−カ−ツ)
アメリカからのはがき(ロバ−ト・オレン・バトラ−)
地図と凡例(マイケル・シェイボン)
アメリカの詩のアメリカ的なところとは?(ビリ−・コリンズ)
アメリカのアメリカ的なもの(ロバ−ト・クリ−リ−)
アメリカの歴史家であるということについて(デイヴィッド・ハ−バ−ト・ドナルド)
アメリカ人であることは書くことにどんな影響をあたえているか?(リチャ−ド・フォ−ド)
命のために(リンダ・ホ−ガン)
国境の両側(マーク・ジェイコブズ)
アメリカの牛乳瓶(チャールズ・ジョンソン)
アメリカ作家であることについて(バラティ・ムカジー)
この杖がわたしは好き(ナオミ・シーハブ・ナイ)
田舎の時間感覚(ロバート・ピンスキー)



この本は、「9.11の同時多発テロのあと、アメリカの作家や詩人たちによって書かれた文章」といった知識しかなかったのと、「アメリカでだけ発禁だ」というニューヨーク・タイムズのコピーが刺激的だったため、どれほど痛烈なアメリカ批判が書かれているのだろうか?と、ほとんどマイケル・ムーアの『アホでマヌケなアメリカ白人』的な文章を期待していたのだが、青山南さんの解説にあるように、それとはまったく次元の違う「アメリカ文化論集」であった。『アホでマヌケな・・・』的文章を期待していたという意味では期待はずれではあったのだが、なかなか高尚な文化論で、なるほどと思えるものだった。ちなみに「9.11」の事件について直接触れているのは、ロバート・オレン・バトラーとロバート・ピンスキーだけだったと思う。

中でも気に入った文章は、やはりマイケル・シェイボン。それに、マーク・ジェイコブズ、ナオミ・シーハブ・ナイ、ロバート・ピンスキーあたりか。とりあえず「9.11」とは関係なく、無理なく入り込める好みの文章だった。

特にマーク・ジェイコブズの「いまだ一度しか見たことのない三ヶ国語の夢から覚めたときの満足感」というのは非常に興味をそそられた。私も二ヶ国語の夢は見たことがあるが、三ヶ国語かあ・・・という感じで、そんな夢を見てみたいと思う。ジェイコブズは外交の仕事もしているので特にそうなのだろうが、その夢は、アメリカが多民族国家であることの象徴のような気がした。


2003年11月22日(土)
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 村の学校/ミス・リード

内容(「MARC」データベースより)
南イングランドの丘陵地の片田舎フェアエーカー村。女校長ミス・リードの教える全校生徒児童数40人の小学校に3人の新入生が入学した。豊かな自然に抱かれた村の学校の1年間をユーモアとペーソス溢れる筆致で描く。
※画像は単行本のもの


これはちょっと予想外の読み物だった。なんとなく『赤毛のアン』のような雰囲気を想像していたのだが、非常に現実的なレポートといった感じ。実際、巻末の解説にもこうある。

「本書の内容は、一種のイギリス版辺地教育レポートでもあり、内側から見た英国田園生活の風物詩でもある。作品の舞台は南イングランドの架空の村フェアエーカーを中心とするが、それを取り巻く風土は、この地方独特のダウンズ(高原地帯)の雰囲気である」

というわけで、「物語」を期待して読むとがっかりするだろう。語り手はミス・リード(作者のことだが、これはペンネーム)という非常に生真面目な教師で、フェアエーカー村の小学校の1年を描いている。冒頭はまるで面白くもなかったのだが、徐々に控えめながらも辛らつなユーモアに引き込まれ、最後には、読み終えてこの村を離れるのが名残惜しいとさえ思うようになった。子ども相手だからと、どたばたした作り話ではなく、非常に地味だが観察の行き届いた現実を、ありのままに描くことで、かえって人間味あふれる話になっているようだ。

目次に「第一章クリスマス学期」とあったので、これはクリスマスの話かと思って購入したのだが、そういうわけでもなかった。クリスマスのところは、意外にもあっさりしていて、特にクリスマスだからということもなかった。子供向けかとも思ったが、予想と違う大人のしっかりした世界だった。

2003年11月18日(火)
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 Tasha Tudor のクリスマス絵本

内容(「MARC」データベースより)
クリスマスを目前にしたコーギビルに、3組の家族が越してきました。鶏の一家は洋品雑貨店を、コーギ犬のきょうだい一家は薬局とアイスクリーム屋を開きました。最後に越してきた一家は…。コーギビル・シリーズ3部作完結編。

<邦訳>
コーギビルのいちばん楽しい日/Tasha Tudor (原著), 食野 雅子 (翻訳), ターシャ テューダー

内容(「BOOK」データベースより)
クリスマスのまえのばん、子どもたちが待ちくたびれて眠ってしまった家に、そりに乗って空からやってきた陽気なこびとのおじいさん。サンタクロースを迎えるのは、まずその家のイヌとネコです。ワシもフクロウも、ウサギからネズミまで、サンタを歓迎します。初版の絵をターシャ・テューダーが全面的に描き直した新版です。

<邦訳>
クリスマスのまえのばん/Clement Clarke Moore (原著), Tosha Tudor (原著), 中村 妙子 (翻訳), クレメント・クラーク ムア, ターシャ テューダー

内容(「MARC」データベースより)
アメリカ北東部ニューイングランド地方で生まれ暮らしてきたターシャが、毎月の家族の暮らしをベースに、これまで大切に思ってきた美しい自然と家族の伝統を、繊細で優しくほのぼのとした水彩で描く。

<邦訳>
輝きの季節―ターシャ・テューダーと子どもたちの一年/Tasha Tudor (原著), 食野 雅子 (翻訳), ターシャ テューダー


ターシャ・テューダーのクリスマスの絵本は、大きさもあっとびっくりの予想外のサイズだったが、すっごくかわいくて、きれいで、クリスマスまで待っていられずに、一気に読んでしまった。絵本だからあっという間だったけれど、なんだかとても癒された感じ。こういう時代に生まれたかったなあ・・・なんて。もちろんアメリカでだけど。(^^;

一番気に入ったのは『The Night Before Christmas』で、色合いといい、細部の描写といい、毎日眺めていたいくらい。これは超有名なタイトルだから、他の本もあれこれいろいろ見てはいるのだけど、これが今までで一番良かった。クリスマスイブにサンタクロースがやってくるところを描いているのだが、家の中の様子も暖かそうで素晴らしいが、床下のネズミの家にもちゃんと家具があって、ツリーもあるし、細かいところまでちゃんとクリスマスだし、これにはすごく感激した。

『A Time to Keep: The Tasha Tudor Book of Holidays』は、1月から12月までの暮らしを描いているもので、これも時代がかった昔風の風景がとても和む。各月の頭に、その月にまつわる詩が引用されているのだが、その中に、ジェームス・パタースンのアレックス・クロス刑事シリーズのタイトルになっていて、前々から気になっていた「Roses are red, violets are blue, Angels in heaven know I love you.」というのが載っていたので、これはどこから引用されているのかと思ったら、「Old Song」ということだった。なるほど。。。

『Corgiville Christmas』は、ターシャ・テューダーの絵本に必ずといっていいほど出てくるコーギー犬が主人公の村の話シリーズで、私の好きな「動物が洋服を着ている」物語だ。これもすごくかわいい。ただ、ほかの2冊に比べると、絵が少々雑かもしれないが、それも愛嬌。



2003年11月17日(月)
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 ハラスのいた日々<増補版>/中野孝次

出版社/著者からの内容紹介
一匹の柴犬をもうひとりの家族として惜しみなく愛をそそいだ感動の愛犬記。後日談と可愛い写真もさらにふえ、ハラスは甦える。


この話は実話で、映画にもなっている。以前、映画で見てボロボロ泣いてしまったので、原作のほうも間違いなく絶対に泣くだろうと思って敬遠していたのだが、ついに手に取ってしまった。

予想通り、本を読みながら、今は亡き愛犬の姿を思い出して、声を上げて泣いてしまった。犬の話は理屈抜きに弱い。犬を飼ったことのある人なら、やっぱり皆泣いてしまうだろうと思う。それほど犬というものは、人間の心に深く入り込んでくるものだ。愛犬が死んで10年もたつというのに、いまだに立ち直れない自分を再認識した。父もかわいがっていた犬のあとを追うようにして亡くなったので、余計に辛い。

しかし犬の話を読むと、人間が犬に寄せる愛情というより、人間に対して犬が示す、けして裏切ることのない忠誠、絶対的な信頼、愛情といったものを強く感じる。その姿を思い出すだけで涙が出てしまう。

スキー場でハラスがいなくなってしまったという話があるのだが、氷点下19度という厳しい寒さの中、いったいどこに行ってしまったのか、まるで消息が掴めず、中野氏は物も食べられないくらいに心配していたのだ。数日後、もう諦めようとしていた矢先、すっかり痩せ衰えて戻ってきたハラスの姿に、涙が止まらなかった。ハラスは主人が出かける姿を見て、自分を置いて帰ってしまうのだと思い込み、必死に車の後を追い、見知らぬ土地で迷ってしまったのだが、飲まず食わずで主人を探し続けた結果、かすかな呼び声を頼りに戻ってきたのだ。主人を思う一心とはいえ、なんという忠誠心だろうか。

またハラスが徐々に老いていく様は、私もそういう場面を見てきただけに、ひしひしと哀れを感じる。犬は人間よりも寿命が短いし、物も言えないから、老いて辛いことがあったとしても、何も言えない。病気になっても痛いと言えないから、それに気づいてやれなかった人間の側が、後悔の念に打ちひしがれる。主人を見ると、足も立たなくなっているのに、尻尾を振り、必死で立とうとする。そういう姿は、老いというものを痛いほどに感じさせるのだが、どうしてやることもできない事実に、ただ涙するしかない。

実際、こうやって書いている間も、涙が出て止まらないのだ。まったく犬というものは憎らしいのだか、素晴らしいのだか、人間とは比較にならない別の次元の生き物だ。犬などどれでも同じということも絶対にない。中野氏が「ハラスという犬は、ただこれきりなのだ」と言っているように、死んだから別の犬を飼えばいいというものではない。1匹の犬にそそいだ愛情は、その犬だけのものなのだ。

犬の話は、ほんとに弱い。嫌になるほど弱くて、メロメロになってしまう自分が情けないが、犬が人間に示す忠誠には、それだけのものがあると思う。

2003年11月16日(日)
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 竜の騎士/コルネーリア・フンケ

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絶滅の危機に瀕した仲間たちを救うため、1頭の竜が、伝説の故郷を目指して旅する長編ファンタジー。著者は、ドイツの児童文学作家コルネーリア・フンケ。ベネチアで暮らすストリートチルドレンの活躍を生き生きと描いた『どろぼうの神さま』で、わが国でも多くのファンを獲得した作家である。「月の目」「黄金の竜」といった謎と冒険が散りばめられた本書は、スコットランドやインド、ヒマラヤを舞台に繰り広げられる雄大な物語だ。

銀色の竜たちがひっそりと暮らす谷間に、ある日、1匹のネズミが警告に訪れる。人間たちがダムを造るために、竜の谷を沈めてしまうというのだ。群れの長老は、天にとどくほどの高い山に囲まれた場所に「空の果て」という竜たちの故郷があることを告げる。それを聞いた若き竜ルングは、仲間たちの反対をよそに、「空の果て」を目指す決心をし、コロボックルのシュヴェーフェルフェルとともに旅立つ。最初の目的地ハンブルクでルングを待っていたのは、孤児の少年ベンとの運命的な出会いだった。

竜の谷の災いに象徴されるように、物語を覆うのは、人間がもたらした災厄の愚かしさである。その最たるものが、錬金術によって誕生した宿敵ネッセルブラントだ。その怪物に立ち向かうのは、竜をはじめ、コロボックル、魔神、ホムンクルス(人造人間)、巨大海ヘビである。馴染みのある想像上のモンスターたちと、人間の少年ベンが力を合わせる。そこには、人間自身が生み出した邪悪を打ち破るのもまた、人間の豊かな想像力と知恵であるという著者の力強いメッセージが込められている。(中島正敏)


コルネーリア・フンケはドイツの作家。とてもドイツっぽい雰囲気!と思うのも名前まで。舞台はスコットランドやヒマラヤへと広がる。時代も竜がよく出てくる昔ではなく、現代。ネズミがコンピュータを駆使したり、飛行機に乗ったりと、思ってもいなかった展開なので、ちょっとびっくり。そうかと思うと、錬金術なども出てきて、ファンタジーだからといえばそれまでだが、一体いつの時代の話だろうか?と思う。夢の世界かと思っていると、急に現実に引き戻されるといったところがある。

話の内容は、上のAmazonの解説のとおりだが、ひとつ訂正しておくと、北海道にいるコロボックルなんかは出てこない。猫のような姿の妖精「コボルト」の間違いである。しかし、このコボルトが変にキャンキャンしていて、ちょっとうるさい。マンガ映画によく出てくる、「おしゃべりで短気なおてんば娘」といった趣。これがもっと落ち着いたキャラクターだったら、もっと感動的になっただろうにと思うと、非常に残念。竜のルングも主人公のベンも落ち着いていて魅力的なキャラクターなのに、このコボルトがぶち壊しているといった感じ。ストーリーも展開も面白いのに、そういったところがマンガ的で、がっかりさせられた。イギリスのファンタジーとは違う、ドイツ的な雰囲気は十分あるのだが。。。


2003年11月14日(金)
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 ドラキュラ紀元/キム・ニューマン

内容(「BOOK」データベースより)
ヴァン・ヘルシングが斃れ、ドラキュラはついに英国全土を征服した。だがその治世下、吸血鬼の娼婦ばかり惨殺される事件が発生。諜報員ボウルガードは、闇の内閣の命を受け、「切り裂きジャック」追跡に乗りだす。一方、ドラキュラとは血統を異にする吸血鬼の美少女、ジュヌヴィエーヴもまた事件を追いはじめるが…いまひとつの世紀末。虚実ないまぜにして贈る、あの名作の総編。


冒頭を読んだだけで、しばらく中断していたのだけど、この話はすごい!映画「リーグ・オブ・レジェンド」の比じゃないぞ!というのも、『吸血鬼ドラキュラ』の作者のブラム・ストーカーも話の中に登場しちゃうし、ジキル博士やオスカー・ワイルド、ソロモン王のアラン・クォーターメインまで、文学上、歴史上のありとあらゆる人物が登場するのだ。

話は『ドラキュラ』の結末とは全然違って、ヘルシング教授がドラキュラに破れ、ドラキュラがヴィクトリア女王と結婚して、世界中に吸血鬼が増え、吸血鬼もそうでないものも入り混じって生活しているのだ。オスカー・ワイルドは当然吸血鬼だ。当然と書くのも変だけど、なんとなく、ワイルドに吸血鬼はふさわしい気がするだろう。

はっきりいって物語はどうでもいい、それこそバカバカしい話なのだが、とにかくいろんな人が出てくるので(読むほうが気がついていない場合も多いが)、それがどんな状況で登場してくるのかが見もの。というか、そういう人物を登場させることに夢中で、ストーリーなんかはどうでもいいといった感じかも。

<読了>
ともあれ、この本はすごかった!
虚実ないまぜにして・・・って、映画「リーグ・オブ・レジェンド」の比じゃないという感じ。どちらがいいとか悪いとかじゃなく、とにかく歴史上、文学上の実在および架空の人物が次から次へと登場して、びっくり仰天。おそらくその半分も認識していないのだろうが、巻末の「登場人物事典」なるものは、なんと53ページにもおよぶ。

『吸血鬼ドラキュラ』の続編と言われている本書には、オリジナル「ドラキュラ」の登場人物はもちろんのこと、その作者ブラム・ストーカ夫妻までもが物語の中に登場してしまう。歴代ヴァンパイアが揃って登場するし、切り裂きジャックについて、ジキル博士とドクター・モローが話し合っているとか、ヴァンパイアになったオスカー・ワイルドが婉然と微笑んでいるとか、悪魔博士フー・マンチュー、ジャンヌ・ダルク、シャーロック・ホームズ、ゲーテ、ランボー、アラン・クォーターメイン、バーナード・ショー、マダム・タッソー、ルイス・キャロル、ナイチンゲール、アイザック・ニュートン、ビスマルク、ガイ・フォークス、エレファント・マン、ローン・レンジャー、ロビン・フッドなどなどなど・・・とんでもない数の登場人物だ。全部書くと53ページになってしまうので、このへんでやめておくが、これだけの人物がどう描かれているのか、それだけでも興味深い。

結構分厚い本なので翻訳そのものも大変だったろうが、この「登場人物事典」を作るのに、どれだけの時間が費やされただろうかと思うと気が遠くなるし、作者のキム・ニューマンに至っては、11歳で映画『魔人ドラキュラ』を見て以来ドラキュラ映画を漁り続け、ついにこんな本を書いてしまったというのだから、そのはまりぶりは尋常じゃない。何より、どんな映画や本を参考にしたかという覚書を見て、その記憶力のすごさに驚いた。確かに「オタク」は、記憶力が良くなければなれるものではないと思う。映画や本だけでなく、歴史もしっかり勉強してるんだなと、妙なところで感心した。


2003年11月12日(水)
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 龍のすむ家/クリス・ダレーシー

下宿人募集─ただし、子どもとネコと龍が好きな方。そんな奇妙なはり紙を見て、デービットが行った先は、まさに“龍だらけ”だった。家じゅうに女主人リズの作った陶器の龍が置かれ、2階には《龍のほら穴》と名づけられた謎の部屋があった。リズはそこで龍を作っているというが、奇妙なことにその部屋には窯がない。いったいどうやって粘土を焼いているのか・・・。引越し祝いに、リズはデービットに「特別な龍」を作ってくれた。それは片手にノートを持って、鉛筆をかじっているユニークな龍だった。
『一生大事にすること、けして泣かせたりしないこと』
そう約束させられたデービットは彼をガズークスと名づけた。やがて、ふしぎなことが起き始める。デービットが心の中にガズークスの姿を思い浮かべたとたん、ガズークスが持っていた鉛筆で文字を書きはじめたのだ!デービットはもうすぐ誕生日を迎えるリズのひとり娘ルーシーのために、ガズークスと一緒に物語を書くことにした。だが、物語に書いた出来事がどんどん現実になりはじめて・・・。はたして、ふたりの物語はどんな結末を迎えるのか?リズとルーシーは何者なのか?そしてこの家の龍たちは、もしかして・・・?
─カバーより


恐竜好きなので、龍(または竜)の話は大好き。『指輪物語』のプロローグでもある『ホビットの冒険』にも、「ハリー・ポッター」にもドラゴンは出てくる。ドラゴンはファンタジーの必須アイテムだ。

本書は、龍の話と作中作であるリスの話(物語に書かれたことが現実に起こるのだが)が同時進行する。それは言いかえると、「自分の可能性」と「友情の大切さ」の物語だ。最後に涙する人もいるだろうと思うが、やはり子供向けの域を出ない。装丁からして、それほど子どもっぽくはないのかと思ったが、期待に反して幼い印象。アイデアは面白いとは思うのだが、もう少し違う展開がほしかったという気がする。「龍の話」として読むと、がっかりする。翻訳の子どもっぽさもマイナス。おそらく原書で読んだら、もっと印象が違うだろうと思う。

龍の名前に、ガウェインやグウィネヴィアなどが出てくるし、ここにもアーサー王物語の影響がある。そういったところや雰囲気などは、いかにもイギリスのファンタジーという感じでいいのだが、全体として幼い印象なのが残念。児童書だからと言えばそれまでだが、いい児童書は、大人にもけして幼い印象を与えないものだと思う。

しかしこういった夢のある話は、内容の良し悪しはともかく、それだけでほっとする。ドラゴン好きとしては全然物足りないが、主人公のデーヴィットも、今時珍しい素直な好青年だし、物語として悪い印象はない。期待していたほど龍の出番がないのが残念といったところ。だいたいが龍とはそんなもので、なかなかメインにはなり得なかったりするのだが、『龍のすむ家』というタイトルで、リスの話がメインだなんて誰が想像するだろう?もっとも、原題は『The Fire Within』で、「龍」なんてどこにも書いてないのだが。

2003年11月09日(日)
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 貯水池に風が吹く日/アン・ビーティ

海岸のカフェで、見知らぬ若い女から高価な指輪を預けられた女性、人生の辻褄合わせばかりしてきたと突如気づく男、なぜかいつも他人の打ち明け話を聞かされる中年女性・・・。奇妙なめぐり合わせが引き起こす現実のドラマと、脳裏をよぎる心象風景とが鮮やかに交錯する。さらに円熟味を増した筆で、移りゆく心象を絵画のように精巧に映し出す。深い共感を呼び起こす最新作10篇を収録。
─カバーより

※画像は原書『What Was Mine : Stories』


目次
人生の終わりの、ある一日のことを想像してみよう
アマルフィにて
蜂蜜
一年でいちばん長い日
ワーキングガール
マリーの待つわが家へ
ホレイショーの芸当
ねえ、知ってる?
父のかたみ
貯水池に風が吹く日


<訳者あとがきより>

今回の作品では、作者に合わせて、登場人物たちも年齢を加えています。そのぶん、彼らの悩みにも生活感のようなものが出てきて、読む者の共感を誘うところが多いようです。彼らの悩みはもはや漠としたつかみどころのないものではなく、地に足をつけた生活の中から、必然的に生じてくるものです。そのせいか、ビーティの特徴といわれた、登場人物に感情移入しすぎることのない、むしろ突き放した書き方に、内省と優しさが加わり、前作までにあった読後の一抹の寂寥感が和らいでいるような気がします。さまざまな悩みをかかえながら、それでもみんなちゃんと生きている。そんなことを感じさせてくれますし、「短編の名手」「現代生活の観察者」あるいは「時代の気分の記録者」という世評もうなずける作品群といってよいでしょう。
─亀井よし子


無難に感想を述べれば、訳者あとがきに書いてあるようなことになるのだろうと思う。たしかに本書は、『燃える家』『あなたが私を見つける所』に比べると、大人の話という感じがする。それでもやはり、離婚や不倫は当たり前のように描かれていて、そこにどうしても私には共感できない深い溝があるのは否定できない。

本書は他2冊に比べると、そういった話も少なくなってはいるのだが、その代わりに話がまわりくどくなっているような気もする。それに、どの作品も一様に、子供の影が薄いなあと感じた。もちろん子供が出て来ない話だってあるのだが、夫婦や家族の話の中で、子供の位置はどうなっているんだろうか?といつも疑問に思ってしまう。自分自身を大事にするお国柄と言ってしまえばそれまでだが。。。

苦手意識を克服するために、3冊続けて読んだのだが、読めば読むほど心がねじれてくるし、感想を書けば書くほど否定的になってしまうので、なんともやりきれない。しかしこれだけ読んで、ただ一つの作品も記憶に残らないというのもまた珍しい。短編は一度に読むべきではないという証明のようなものかも。また、アン・ビーティに限らず、長編小説よりも短編小説のほうが読むのに時間がかかるというのも実感した。

2003年11月08日(土)
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 あなたが私を見つける所/アン・ビーティ

内容(「BOOK」データベースより)
いつの日か、本当の愛に出会える。透明感あふれる硬質な文体で、現代人の心の奥底に潜む喪失感、愛への飢餓感を鮮やかに映し出す。現代アメリカ文学を代表する作家の珠玉の短篇集。

目次
カード
コニーアイランド
ハイスクール
今度はいつ会えるの?
広い外の世界
骸骨
白い夜に

時の流れ
アンドリアのお護り
スピリタス
サマーピープル
木の上から
夏の夜の楽園
あなたが私を見つける所


<訳者あとがきより>
ビーティが描く人びとは、ほとんど例外なくアメリカ社会のなかでアパーミドル・クラスに属し、物質的には何も深刻な問題を抱えていない人びとである。幸運にも衣食住の問題や、際限のない物欲から比較的開放されている彼らは、好むと好まざるとにかかわらず、自分の心と相手の心を執拗に、深く洞察するようになる。そして彼らはみな、たとえ一瞬であれ、本物の心と心が確かに触れあう奇跡の瞬間を待ち望んでいるのだ。ビーティの作品にそこはかとなく漂う気品と透明感は、そのまま登場人物たち自身の気品と透明感にほかならない。

<訳者あとがきより(2)>
女と男のかかわりのなかで、子がかすがいになることなど、いまのアメリカではまずあり得ないといっていい。ふた親が揃っているに越したことはないが、最も大切なのはそのふたりの関係だと、アメリカ人の多くは考えている。子供を険悪な仲の両親のもとで育てるくらいなら、むしろ片親のほうがいいと、ほとんどの人が信じているのだ。


先日読んだ『燃える家』に比べたら、本書のほうが視点が面白いように思う。『燃える家』のほうは全ての作品が、崩壊した家庭、離婚と不倫が当たり前の話ばかりだったが、本書はそういうわけでもなかった。とはいえ、やはり離婚や不倫は当たり前で、いくら「子供を険悪な仲の両親のもとで育てるくらいなら、むしろ片親のほうがいい」とはいえ、険悪になった原因は、やはり親のほうにあるのだし、それを修復する努力はまるでないから、子はかすがいではなくても、親の身勝手をそのまま受け入れざるを得ない子供の気持ちはどうなんだろう?と腑に落ちない。

離婚も不倫も、自然の成り行きとして「しょうがないこと」と捉えているのが、やはり個人的には馴染めない。そういったことを否定するわけではないが、自分の生活に起こって欲しくないという思いが強いのだろう。そんなことが「当たり前に」起こってたまるか!という気持ちだ。これはどうしても拭えないので、そこがネックになって、アン・ビーティの作品を受け入れられないのだろうと思う。懸命に生きている男女の話なら、「いつの日か、本当の愛に出会える」というコピーを見て、がんばれ!と言えるのだが、本書に描かれているような男女には、勝手にやれば!と読むほうも捨て鉢になってしまう。

『燃える家』の感想でも書いたが、本書でも結末がやはり「え?」という感じだ。「え?」というのは、「えっ!」ではないから、意外な結末に驚いたというようなことではなくて、なんでこんなところで唐突に終わるんだろう?という肩すかしをくらった感じ。せっかく盛り上がってきたかなと思うと、あれ?という感じで終わる。なので、どれも印象に残らない。だいたい短編を続けて読んでしまうと、どれも記憶に残らなかったりするのだが、こういう終わり方をされると、非常に欲求不満になる。

ただ、いろいろな視点から書かれていた点で、『燃える家』よりは救われた気分がする。「現代アメリカ文学を代表する作家」と評価も高いアン・ビーティだが、私に読み取る能力がないのだろうかと思う反面、誰に聞いても面白いとか好きだという言葉を聞いたことがないので、自分の中でどう判断したらいいのか迷う。

例えば、嫌だな、嫌いだな、読まなければよかったなどという感情も、何も感じないよりはずっと記憶に留まっていいのだろうとは思うのだが、アン・ビーティはどうですか?と聞かれたら、個人的にはオススメはできない。文学的にうんぬんというより、読んでいい気分にならないからだ。また、どんな内容でも、読んで気持ちのいい文章というものもあるが、そういう文章でもないし。これも好みかもしれないが。

ちなみに、本書のほうが『燃える家』よりも「ダロウェイ夫人度」は高い。翻訳の問題もあるだろうか。一文が短いので、日本語にすると切れぎれの感じがして、『ダロウェイ夫人』ぽくなる。特に現在形で訳されると、ますます似てくる。

2003年11月03日(月)
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