株式会社JOYWOW
ほうじ茶飲話【JOYWOW】
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2003年12月31日(水)


〆のご挨拶

曙が負けたことに妙に納得し、TVの電源を切る。
そうそう年内に日記更新しなきゃ、とPCのスイッチをオン。

『2003年中は格別の御贔屓を賜りまして、まことに
ありがとうございました。年が変わるだけではありますが
2004年もよろしくお願い申し上げます。みなみなさまに
とりまして来る年が、笑顔多き一年となりますように』

 

2003年12月30日(火)
TOSS来訪

弊社TOSSが突然やってきたので、海辺でランチ!
と思いきや、どこにいってもファミリーで満員。
こんな暮れも押し迫って食事になんぞ来ないで、家の大掃除
しなさいよとつぶやいたら、助手席にいたTOSSに
「はい、すいません」と謝られた。

食事後に海辺で缶コーヒー。
ビジネス話の合間になつかしいNY時代の話になった。
TOSSいわく「恋と同じだよね。・・・過ぎてみたら
いいことしか思い出さない」と。納得なご意見。
街への恋はおいといて、そろそろ自分の恋愛をだね、
ここらで一発してみることを勧めておいた。

 

2003年12月29日(月)
忘年会

有職婦人たちとの忘年会。
今回はネタにすべき大きな事件はなかったが、
一年の総決算のように手を叩き、笑い、食べ、飲み、しゃべった。
話題に詰まることがないというのもひとつの才能なのだろうが、
楽しい面子だ。食べること・生きることを楽しんでいる人は、
まちがいなく他人を幸せにする。

来る年も、みんなが笑顔でいられますよう。
要注意暴飲暴食。隣のテーブル、店の迷惑にならないように。笑。

 

2003年12月28日(日)
こんな夜もある

ビデオにとったままになっていたNHKのドラマを見た。
たまたま、以前から亡母に似ていると思っていた女優さんが
出ていた。ただ、その女優さんのドラマ内の役柄設定が
まるで母そのもので、脚本家は母を知っていたのかとさえ
疑うほどだった。私は呆然とドラマの筋を追いながらも
まるで母がそこにいるかのような錯覚に囚われて、
ぼうぼうと泣きじゃくった。悲しい、寂しいというより
もう会えない筈の母に遭えて嬉しかったのだと思う。
泣きすぎて本当に疲れたのだけれど、泣くって
癒しなんだよなぁと、再認識。

たまーに、いわゆる偶然(必然なのかも)のいたずらで、
自分がこんなにも母を大好きなことを思い知らされる
出来事が起こる。一度は大嫌いだとさえ思ったはずなのに。
こんな偶然と、自分の心の成長に、ふいっと感謝する夜。

 

2003年12月26日(金)
幸せの共有

若い女性の憧れの店。横浜元町スタージュエリー本店。
毎年、12/25当日の売上すべてを国連児童基金(ユニセフ)に
寄付していることを、今年初めて知った。
幸せな気持ちの共有をするために、92年から始めたという。
消費扇動するための形式的行事になっているクリスマスだけれど
なかなか悪くないものだね。
このニュースで、私も幸せをおすそわけしてもらった気がする。

 

2003年12月25日(木)
大事なものだからこそ

午前中、クリスマス当日であるにもかかわらず
妹分が仕事前に墓参りに来てくれた。
まだ二十代なのだが、なかなかよくできた娘である。

少し遅れたがその時に誕生日の贈り物を渡した。
毎年ではないが、彼女には私が若い頃に身に付けていた
指輪をあげることが多い。今年は、プラチナ台に大きな
ハート型の水晶と小さなダイヤがついているもの。
私くらいの年になれば、こういうものはきっと
自分の子供に渡すものなのだろう。
私の場合、子供がいないからというわけだけではない。
物や道具は使われ愛されて、はじめて本来の魅力を発揮する。
であれば、後生大事にお蔵にしまっておくよりも、
道具を生かしてくれる相手に譲り使ってもらうことこそが
物への愛情だと信じているからなのだ。

なんて、かっこよさげなことを書いているが
単純にかわいい妹だからというだけの理由かもしれない。笑。

 

2003年12月24日(水)
予定変更

なにもない普通の日、のはずだった。
朝から発熱して病院。一日ぼーーーーっとしてしまった。
まだ、年内の仕事は終わっていない。
今夜は早く寝て、とっとと治そう。

 

2003年12月23日(火)
私のクリスマス

明日はイヴで明後日はクリスマス。であるが、私には普通の日。
日本に戻ってきてからはなおさら、街を飾る電飾もないし、
宗教色も目につかないし、パーティーの招待状もこないし。
いわば、新年へと続くたんなる通過点になってしまっている。

ある女友達は、小学校6年生までサンタクロースを信じていて
実在するしないで、同級生と大喧嘩までしたという。
毎年彼女のお父さんと、友人のお父さんとがサンタに扮して
持ち回りで相手の家にプレゼントを届けていたらしい。
なんともほほえましいやら、努力の賜物というか
パパたちはすごい。

さて、私はサンタクロースを信じたことは一度もない。
両親に尋ねたことはあるかもしれないが、多分きっぱりと
そんなものはいない、と真実を告げられたのだと推測する。
おかげでロマンチックな想像も出来ないし、イメージもない。
明日も普通に晩ご飯を食べて過ぎていく。
若い頃には便乗イベントをしていた気もするが、まったく
そんなことをしなくなった自分が、けっこう好きだったりするのだ。

 

2003年12月22日(月)
あの頃、あの時

12/17に発売されたユーミンのセルフカバーCD
"FACES"
を聴いた。
1975年にバンバンが歌っていた「いちご白書をもう一度」が
収録されているのだが、彼女が作詞/作曲しているとは
知らなかった。私は中学生、世はフォーク全盛期。
歌詞の内容はよくわからないけれど、買ってもらった
フォークギターで、この曲を弾いた覚えがある。
ギターといえばあの頃、伊勢正三の「22才の別れ」や「置き手紙」が
大好きだったことを思い出し、へたくそなくせによく歌ったと
冷や汗な思い出をまたもや掘り起こしてしまった(汗)
なんというか、白くってまっすぐだけど、ふわふわしている。
そうだなぁ・・・なつかしい、まあるい思い出の時代かな。

 

2003年12月21日(日)
民族性なのか

観光客としての日本人は論外(失礼)だが、
長短期とわず外国に住むたいていの日本人は
「郷に入っては郷に従う」を実践する。
食事もコミュニティーの雰囲気も、知って慣れようとする。
ところが、9割方のアメリカ人は郷に従わない。
世界各国どこででも、自分のルールを明るく
開けっぴろげに、あたりまえのように押し通して
生きている。ようするに気にしていないのだ。
ルールを押し通されてしまう相手にとっては
まさに目の上のたんこぶだけれども、
自分がたんこぶになっていると気がつかない
アメリカ人が一番ラッキーなのかもしれない。
彼らは、こちらがルールや不満を言葉で伝えない限り
まわりもみーんなHappyなんだと勝手に思い込んで
いることができる人種なのだ。

 

2003年12月20日(土)
2003年度、〆のオドロキ&脂汗

「なおざり」という言葉を使おうとする時、
いつも「おざなり」と混同してしまっていた。
どっちが正しいのだっけ?と自問自答するのだが
今日まできちんと調べたことはなかった。

なんと。両方正しかった。またも驚き。目が点。

おざなり【御座形】:いいかげんに物事をすること。
その場のがれで誠意のないさま。
なおざり【等閑】:
深く心にとめないさま。本気でないさま。大事に思わないさま。

私のなおざりな勉強姿勢が、私の文章をなおさらおざなりに
してきたというわけだ。穴があったら入りたい。
今年は自分の「ああ勘違い」ぶりに、なんど脂汗を
ぬぐったことだろう。
もう今年はたくさんなので、あとは来年に回そうっと。

 

2003年12月19日(金)
縁によせて

先日、知り合いのお宅に招かれた。
初めて伺うお宅だったので少し緊張していたのだが
大歓待され、とても嬉しいもてなしを受けた。
山芋のお吸い物、まぜ寿司、煮物、かしら(鶏肉)の蒸し物
お造り、つきあげ、特別に美味しい小さな蜜柑にいちごetc.
次から次へと出てくる料理に舌鼓を打ちながらも
なんだか胸が熱くなった。
祖父母も他界し、二親等の親族を持っていない私だが
まるで前々から繋がりのある、なつかしい家に
戻ってきたような不思議な時間だった。

この出会いと時間に、心から感謝。

 

2003年12月18日(木)
直筆の挨拶状

今日、三ヶ月前まで通っていた美容院から
季節の挨拶状が届いた。めずらしく、担当の店長が直筆で
以下のような文章を添えていた。
「あなたの髪のベストパートナーを目指します!」
最近美容院を変えてしまい、ご無沙汰している私としては
チクッと胸が痛んだ。その後、同じ美容院で髪を切っている
親戚宅にでかけたところ、同じ挨拶状が店長から届いていた。
やはり彼の直筆だったが、私に届いたハガキとはまったく
別人の筆跡だった。

うーむ、やれやれ。彼も忙しいんだよね。

 

2003年12月16日(火)
朝の一杯

朝たてるコーヒー用のマグカップを買い換えた。
先代のカップは三年半ほど愛用したことになるが、
そろそろいいかなという気がしていたところに
一目惚れするカップに出会ってしまったのだ。
このカップで飲むコーヒー、実はとても美味しい。
おおきな自己満足にひとりうなづく。
お気に入りに囲まれることは、とても楽しい。

 

2003年12月15日(月)
未来に祈る

3丁の銃とたった800万円を抱えて穴倉に潜む。
いつ迫るともしれない追手におびえながら、
それでも彼は生きていたかったということなのか。
私利私欲でたくさんの人の運命を狂わせ、栄華を貪った人。
事実がそうだとしても、これから彼が裁かれる場面を
見たくないと目を逸らす私は偽善者なのだろうか。

心から平和だと思える時が、
あの国と世界に早く訪れますように。

 

2003年12月14日(日)
真剣な質問

心理学者の小倉千加子さんの著書で、現代日本における
若い女性たちの結婚について書かれているものがある。
この本によれば、彼女たちにとって結婚とはビジネスで
優雅な専業主婦こそ女の生きる王道なのだという。
『女子学生は、現在の生活水準を保証してくれる男を探し、男子学生はユートピア的場所となる女を探す。しかし、そんな理想の相手はどこにもいない(小倉千加子・結婚の条件)』

確かに今の世の中、自分が何者であるか、
何ができるのかという自分探しを始めてしまうと
答えに辿り着く前に諦めることが普通になっているのかも
しれない。暗い将来しかないし、未来もたかが知れている。
思うほど楽しいこともないし、就職も先が見えている。
だから結婚・・・に行き着く。ラッキーだったら、子育て後に
あまり大変じゃないけど人聞きのいい横文字のお仕事なんか
しちゃったりして。

でもさ・・・・・・・
そんな結婚生活、本当に楽しいのかなぁ?

 

2003年12月12日(金)
ありがとう

新聞で推理小説作家の都筑道夫さんの訃報に接した。
それで思い出したのだが、中学から高校にかけてずいぶんと
都筑さんの作品を読んでいた。大ファンだった記憶はない。
ただ単純に読みやすくて意外とおもしろかったので、
読みたい本が見つからないときは、きまって都筑さんの本を
手に取っていた。そうやって片っ端から読みまくっていた。
ショート・ショートという種類の短い小説の存在を知ったのは
この人のおかげだし、ルパンやホームズ以外の探偵物、
血なまぐさくない伝奇小説、初めての時代小説、
日本人の書いたSF、推理小説・・・・・・etc.
今日まで忘れていたが、私に、幅広いジャンルの小説の扉を
開いてくれたのは、確かに都筑道夫さんだったのだ。

感謝と共に、ご冥福をお祈りします。

 

2003年12月11日(木)
風邪用心

昨日の朝から寝込んでいるのだが、
どうやら明日には快復しそうな気配。
昔から熱があるときは、親指を手の平にしまって拳を握っている。
今も熱っぽいので、そうやって拳を握ってしまうのだが。
二時間前までは確かに病気側のウェイトが多かったのだけれど、
いつのまにか快復のウェイトが多くなっている。
病気と平常の境目はいったいどこなのだろう?
しかし、よく寝られる。これでもかというほどだ。
・・・・・また眠くなってきてしまった。
みなさんも、風邪には気をつけてね。
おやすみなさい。

 

2003年12月09日(火)
距離感のない舞台

もう8年程前になるがスペイン人の友人から、彼女のお姉さんの
舞台があるので、見に来ないかとチケットをもらった。
フラメンコ。それまで一度も観たことはなかった。
場所はイーストビレッジのこじんまりした劇場。
120人程度で一杯になってしまうようなところだ。
全員で10人ほど、メインのダンサー5名は熟年の域。
ダンサーの呼吸、刻むリズム、したたる汗の音。
すべてをごく間近で見て、聴いて、感じたその一時間半。
踊り手の迫力と熱さに言葉を忘れた。
血が騒ぐという感覚を知った。フラメンコのリズムは、
日本人が本能として持つリズムに呼応しているのだ。
その夜から、私はフラメンコが大好きになった。

日本でも機会があれば、フラメンコの舞台を観にいっている。
でも、あの日のようにダンサーを感じることが出来る舞台には
あたらない。そもそも日本では、そんな距離感のないステージで
いい舞踊団の公演を望むべくもないのだが。

 

2003年12月08日(月)
直視拒否

ついこの間、2003年になったなんて思っていたら
もう年の瀬になってしまった。
例年になくあわただしい日が続いているが、
年末年始気分には程遠い。

当面の問題は、この茶飲話のタイトルをどうするか、だ。
つい2003なんぞとつけてしまったから、考えてしまう。
私の性格を考えれば、すんなり年号削除で落ち着きそうだが
それもちょっと芸がなさすぎか?
そんなタイトルで悩んでいる間に日々の日記の更新でしょと、
自分につっこんでみるが、更新よりもタイトルに意識が向きがち。
試験前日についしてしまう引出しの片付けとか、
締め切り前につい始めてしまった大掃除をしているような、
そんな気分に似ているのだった。

 

2003年12月07日(日)
健康的?かも

昼前、首都高速湾岸線を横須賀に向けてハンドルを握っていた。
川崎の料金所の手前で、バイクの集団と遭遇した。
なんと、どこからみてもそうとしか形容できない暴走族!だった。

25台前後すべて、排気量250ccクラス。
高めの音階でぶんぶんうるさい。
さほど改造されていない。従って10代のコドモたちだ。
料金所はフルスロットルで駆け抜けて、タダ通行。
ナンバープレートは地面と平行になっているため認識不可能。
特攻服は着ていないが、ステッカーや身につけているグッズを
見ると、かなり憧れているのは見て取れる。
関東の端、かなり田舎のほうから「湘南でも行ってみんべぇ」と
お天気に誘われてやってきたに違いない。
三車線あるうちの左二車線はゆっくりと走る彼らに占領され、
係わり合いを持ちたくない乗用車は右端をそっと通り過ぎる。
誰の目から見ても、まったく迷惑。道交法違反の集団。

でもね。
普通のなりで普通に生活していて、突然キレて
人を殺してしまったり、日がな一日コンピューターの前に
座っているより、彼らのほうが何倍も健康的に生きている。
形はどうあれ、好きなことがあって自己主張しているんだから。

 

2003年12月06日(土)
紅葉

越冬準備万端なのに、今年の冬は過ごしやすい。
ありがたいが、ちょっと肩すかしをくったような気もする。
周りの山々の紅葉も第二ステージに入り、
濃く深い秋色のグラデーションに変わった。
銀杏の黄金色を楽しめるのもあと一週間ほどだろうか。

日本の紅葉が曇天にひときわ冴えてみえるのは、
いったいどうしてなのだろう。
あか、きいろ、ちゃいろ、だいだい。
こんなことを考えている時、日本人であることを嬉しく思う。

 

2003年12月04日(木)
心と言葉

「・・・心が寄り添わないと言葉は添わないですから」
翻訳家・鈴木仁子さんの言葉。

11月末でe塾コミュニケーション・コース二期が終了した。
ひとつの題材を軸に、それまで存在さえ知らなかった人たちと
メールだけでやり取りをしていく。肩書きもなにも通用しない環境。
そこで二ヶ月の間に交わされた、何千というメールたち。
その中でも読まれる、心に響くものには共通点が有る。
そのメールに
心が込められているかどうか。
本音で語られているかどうか。
それだけなのだ。

 

2003年12月03日(水)
旅は楽しくなくちゃね

年内一杯に使い切らねばならないJALのマイレージが
あった。捨てるには惜しい気がしたので、ひと月ほど前に
なるが、12月になればなんとかなるさと、羽田⇔長崎の
往復航空券に変えた。

初めて訪れる長崎。とても楽しみで、なんとか予定を
やりくりして行くつもりだった。でも、日が近づくにつれて、
旅行の予定自体がストレスを帯びてきた。
『たった4日間の休日だもの、ダイジョウブだよ』
『この旅行さえなかったら、追われずに仕事を済ませられるのに』
『ずっとどこにも行っていないし、マイレージ使おうよ』
こんな思いがいったりきたり。

そして今日、前向きに、その長崎旅行の取りやめを決めた。
長崎はなくならない。来春に予定を組みなおそう。
航空券はもともとタダのもの。思い切りよく捨てる。
一気にストレスから解放された。

 

2003年12月01日(月)
思い込み

友人から相談メールがきた。
10年も友達だとしか思っていなかった米国人に
突然言い寄られてシドロモドロになってしまったと。
普段の彼女であれば、気にいらなければスルリと抜けるなり
切り捨てるなりしているはずなのだが、相手が日本人では
ないというだけで、言葉に詰まるらしい。
その様子がなんとも、かわいかったが(笑)

昔、まだ米国でビジネスを始めたばかりの頃、
きついユダヤ人の取材をしなければならなくなった。
なかなかいい返事がもらえず、交渉は難航した。
スイス人の友達に、そのグチをこぼしたら
「ユダヤ人でも、中国人でも、スイス人でもさ、
同じ人間なんだよ。本音で話せば通じるに決まっているよ。
それが人間のルールだよ」と、笑い飛ばされた。
これには、目からウロコだった。
私がユダヤ人をステレオタイプで捉え、勝手に苦手意識を
増殖させていただけなのだ。なんというか、
いいにつけ、悪いにつけ、自分の単純さに感謝した出来事だった。

 

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