株式会社JOYWOW
ほうじ茶飲話【JOYWOW】
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2003年11月29日(土)


私だけのトリビア

運転中に、たまたま二台のスクーターが前に来た。
二台とも警察署のもの。
2-3年目という感じの若いおまわりさんと、
派出所勤務はベテラン!と感じさせる年配のおまわりさん。
職務ツーリング中らしい。
信号で停車した。暇なので、ふたりをじーーっと観察した。
制服も制帽も靴もなにもかも貸与品であることは
当然なのだけれど、目がある一点に釘付けになった。
なんと、靴下までが統一色の貸与(実質支給)品だった。
どういうわけか、その事実に深く感動してしまった。

 

2003年11月28日(金)
青空文庫

たまに利用するサイトで青空文庫という
インターネットの電子図書館がある。
現在300名ほど登録している青空工作員と呼ばれる
奇特な人たちの手入力によって、
著作権の保護期間(作者の死後50年)を過ぎた文学作品を
電子化し、自由に読み回すという趣旨で作られたサイトだ。
ダイアルアップでインターネットに接続していた頃は
電話代を気にしたり、ダウンロードの速度が遅すぎて
いらついたりしたが、ブロードバンドになった昨今は
利用するにも快適な環境となった。

何十年前に読んだ作品で、ふと思いついて調べなおしたい時。
なにかのきっかけで読み直したくなったとき。
そんな時があったら、ぜひ訪ねてみて欲しい。
きっとお役に立ちます。

 

2003年11月26日(水)
佐川、苦笑な事件

昨日の午前中指定で、佐川急便の代引き宅配を頼んでいた。
コマーシャルで宣伝しているe-コレクト、っていうアレだ。

まずは昨日12:30、佐川さんから「すみません、本日荷物
持ち帰りになってしまい、お届けできなかったのですが」
という電話があった。なぜ営業所に持ち帰ったのかは
訊くまでもないので詮索しなかったが、急ぐわけではないし、
今日の同時刻、10時から12時の配送に変更してもらった。
で、本日。やはり12時までには来なかった。電話もない。
13時を過ぎてもこない。13:30、表に出るに出られず
佐川急便にクレーム電話をする。14:30ついに!佐川の
配送のおじさんがやってきた。

私 「じゃあ、支払いはクレジットカードでお願いします」
佐1「あ、私、あの・・・機械持ってないんです。あの、
えっと、ちょっと待ってください」(表に出る)
佐1「(携帯で話しながらドアをあけ)すいません、今、機械
持ってる人がすぐ来られないっていうんですよ。どうしましょう?」

払うに十分足りる現金が手元にあった。だが、最後までカード
決済をつらぬこうと、この時こころに決めた。

私 「どうしましょう、と聞かれましても、私、なんとお答え
したらいいんでしょう?困るんですけれど」
佐1 「(送話口に向かって)あの、お客さんにきいたんだけどさ、
困るっていってるんだよね・・・・」
しばし担当同士で話し合い、結果、カードスキャナーを持つ
顔見知りの配送員が隣町からやってきた。
すいませんねと謝りながら、カードを読み取り、伝票を出力。
その伝票を差し出しながら
佐2「ここに、サインをお願いします。こりゃー、印鑑じゃ
だめなんだよね。なんでダメなんだろうね、印鑑でいいのに」
と、独り言を言っている。考えてみたら、このおじさんは
クレジットカードを持ったことがない世代だ。
なにも言わずに、きちんとサインをして、渡した。

すべてが終わって15時。やれやれと自室で内容を確認していたら
15:30、佐川急便配送センター課長から電話。
「あのぉ、お荷物が配送されていないというお電話を頂いた
のですが、どういった事情で・・・・・(以下略)」
クレーム電話時に詳細を伝えているのだが、この課長は事態を
よく把握しておらず、かつ、荷物が既に配送済みであることも
知らなかった。ただただ慣れた声で謝り続けていた。

これって・・・会社にとってかなりゆゆしき事態だと思うけど。
平気なのかなぁ。人事ながら心配になった。

 

2003年11月24日(月)
ご近所の不思議

我が家から20分の徒歩圏内に三軒の大型スーパーがある。
そのうちの一軒のスーパーから徒歩2分のところに
大きなお米の自動販売機がある。ずっと前からあるし
電気もついているので、買う人がいるのだろう。

もちろんスーパーでお米は売っている。自販のお米が
希少ブランドだったり、お買い得、というわけでもない。
ただ、そこにたちすくんで、24時間お米を売っている。
コンビニもあるというのになぜだろう。

 

2003年11月23日(日)
もっと真剣に生きようよ

友人のお店に勤める女性販売員の大部分が、20代後半。
接客や、ローテーション、人間関係などでつまずく時
店長である彼女と話し、彼女がアドバイスをする。
この女性たちは、仕事が出来るようになりたいし、
店長のようにプロフェッショナルと呼ばれたいと望んでいる。
だが、店長のアドバイスに、ほとんど全員が判で押したように
同じことをいう。
「・・・・自分らしさを失わないようにしながらやってみます」
「・・・・自分の個性を大事にしてやっていきます」

競争が罪悪だとか、個性を伸ばすとか、ゆとりとか、
現代教育やメディアの流した情報の結果が、こういうことに
なるとはね。

ここで、解決方を提案したい。
男女の区別なく20歳になったら全員一年間の自衛隊生活を送る。
そこで、思考より先に肉体が反応するような訓練に日夜励む。
「一所懸命/死に物狂い/真剣/とことん/限界に挑む・・・etc.」
こういう泥臭い感覚を体感することが、共生とか、生きることへの
なによりの学びになると思うんだけれど。どう?

 

2003年11月22日(土)
恥をしのんで

人生の大部分を「横浜市」の住人として過ごしている
友人姉妹の告白話。住所記載や手紙の差出人情報部には
常に「横浜市」と記入してきた。にもかかわらず、
30代半ばになったある日、「横」の字を間違え続けて
書いていたことを知った。木編の右横にある「黄」の
中央部にある『由』『田』だと信じてきたのだという。
姉妹二人ともが間違えて記憶してきたのだから、きっと母親が
間違えて教えてくれたに違いないと、母親に「横浜」と
書かせてみたが、正しい漢字を書いたとのこと。

友人は「本当に恥ずかしい話で、とても他人様にいえる
話じゃないのだけれど・・・ここだけの話だから」と
恥をしのんで告白してくれたのだが、その話を笑顔で
聞いていた私は、思考パニック・瞬間冷却。
天地がひっくり返るほど動揺した。

・・・・・・・告白しよう。
その瞬間まで、この私もずーーっと『田』と信じ間違えたままの
『横』を書き続けてきたのだ。入学願書もパスポート申請も
ラブレターも尊敬する方への手紙でさえも。。。

友人姉妹の実家と私の実家は三軒しか離れていない。
これは、きっと地元の空気のせいに違いないと
屁理屈で〆てみたが、友人が大笑いしながら手を叩いて
喜んだことはいうまでもない。

 

2003年11月20日(木)
変遷する常識:人によりけり

国際ビジネスコンサルタントのジョージ・フィールズ氏曰く
「常識は10年単位で変わる」とのこと。非常に納得した。
自分の'芯'(信念)に変わりはなくても世の中は
変わっていく。20、30年前の自分と比較したところで
なんの解決にもなりはしない。

常識とは、その時代を支える文化と技術を背景にした、
人の倫理意識? 多数派年齢層の行動様式?
一般に通用する明快な正解を、私は持っていない。
ただ私にとっての常識は、大多数の意見にならうことでなく、
己の芯を歪ませずに生きること、である。
いささか我侭な常識観念かもしれないけれど、
これが一番気持ちいい。

 

2003年11月19日(水)
こんなことがありえるとは

知人のパーティーに出席するため有楽町へ。
パ−ティー前に有楽町西武で買い物をしたのだが・・・
この日、めずらしく5センチヒールの靴を履いていたので
足が疲れてしまい、お隣の阪急5階にあるマキシム・ド・パリ
カフェに入った。なにをオーダーすべきか迷ったが、時間的には
ビールでしょ!ということでオーダー。

出されたサラダ用のスプーンはシルバーだし、ビールの
グラスも冷やされている。だが、出てきた600円のビールは
   
『麒麟一番絞り<350ミリリットル缶>』


が缶のまま、そっと置かれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
マキシムの威信、阪急の百貨店としての信頼感が、
音を立てて見事に崩れた瞬間だった。

 

2003年11月18日(火)
予防接種

オーストラリアに住む友人が帰国中で、電話をかけてきた。
おたふく風邪の予防接種を受けてきたのだという。
40過ぎて何をいまさらという感じだが、
友人たちと話していて、おたふく風邪にかかったことがない
身の上が心配になったらしい。
彼女は年間数度の帰国をするが、そのたびに大腸癌の検査
とか、内科の検診だ、歯医者だと、病院アポで忙しい。
誰と会うより病院を優先する病院フェチ(笑)なので、
なかなかお目にかかれない。
本日彼女がわざわざ電話をしてきたのは、この話が
更新が滞っている茶飲話の格好のネタに違いない
からだという(汗)。

SARSとかインフルエンザの予防接種なら理解もするが・・・
しかし、おたふく風邪って・・・・・ねぇ?

でも、そういう私もかかっていない気がするのだが、
証人である亡母に尋ねても答えは返ってこないので
この話は聞かなかったことにしようっと。

 

2003年11月16日(日)
今夜のパーティー

参加してくださった方々とともに作り上げた三時間。
空間、笑顔、会話、料理。
なにか特別なことをしたわけではないのだけれど、
つくづく、いいパーティーでした。
みなさん、本当にありがとう。

* * *

しかしながら、女性はああゆう場にいくと本当に綺麗になる。
ふだんはどうだっていうんだ?と、いわれると困るのだが、
それは、うーんと、えーと・・・・うーん、そんなわけで
今日はオシマイ(汗)

 

2003年11月15日(土)
会場装花

先週のこと。
明日のパーティーのために、装花をお願いするお花屋さん
ル・ベスベに打ち合わせに出かけた。
西麻布の裏側に、おや?という感じで存在するのだが、
気取らないくせに、とても素敵なショップとオフィスだった。

さて、パーティー会場のメインは「人」である。あたりまえだ。
だが、今回はあえて「花」をメインにしたかった。
派手でなく洗練されたイメージで、会場の誰より目立つ
花を活けて欲しいとお願いした。代表のMさんは、
「おまかせください。総力をあげてがんばらせていただきます」
と、(歯の痛みを堪えて)最高の笑顔で応えてくれた。
明日、どんな花が活けられるのか、楽しみであり
不安であり。とにかく、わくわく!

考えてみたら、花はとてつもなく贅沢品なんだ。
一瞬の命の輝きを装飾品にしているのだから。命に感謝しよう。

 

2003年11月14日(金)
環境汚染のはじまりは

はす向かいの借家に、活発な青年が越してきた。
いまどきの若者なのに平屋の一軒屋を選ぶとは殊勝な、と
思っていたのだが、ようするに趣味活動のための広い
物置スペースと、仲間が集う場所としての選択だった。

週末ともなればその借家の庭に車が5-6台はいり、
人の出入りもひっきりなし。それ以前にはなかった、
向かいの空き地への飲料水の缶やペットボトルや、
雑誌の投げ捨て。周囲にゴミが広がっていく。
彼らはきっと、自分たちがやっているなんて誰にも
わかりゃしないと思っている。住んでいるのは活発
青年くんだけだし、たまにきて汚す程度だからいいと
考えているのだろう。いや、なにも考えていないに
違いない。

たった一軒の家が、そうとは知らずに環境を汚染させていく。
近所に住んでいると、誰がそのゴミを捨てたのか、
誰が環境を変えていっているのか、
現場を押えなくてもわかるものだということを、
身を持って知った。私が越してきた時も、ご近所さんは
なにがどう変わるのか、じーっと見ていたんだろうな。
・・・コワ(汗)

 

2003年11月12日(水)
越冬準備開始

我が家は寒い。嘘じゃなく、寒い。
冬にここにきてしまった経験がある人たちは、
全員もれなく「寒い・・・」という。平気、平気なんて
我慢できる生易しい家ではない。新築だなんていうのは
なにかの間違いだろうと勘ぐるほどだ。
去年の寒さの記憶とちまたの情報を駆使して、
今年こそは万全な体制でと、越冬準備を整えている。
電化製品のカタログを見るたび、コタツページで指が
止まっていた。ものすごく惹かれるけれど、
動けなくなるから却下。

寒いのイヤだけど、ちょっとわくわくしている自分に苦笑い。

 

2003年11月10日(月)
家族以上の近くの他人

久しぶりにヘンリーとナカさんに会いにでかけた。
NYで彼らと出会ったのは9年ほど前になるのか。
以来、喜怒哀楽のすべてを知る、家族より近い関係といえる。
ヘンリーにいたっては、私をガールフレンドか乳母くらいに
思っているに違いないが、事実も大差ない。

人からよく、NY生活について尋ねられる。
言葉をさがして説明を試みるのだが、しゃべっている私自身が
表面をなぞるような話に納得がいかなくなることがある。
説明することが難しいあの日々を、ヘンリーとナカさんは
すべて知っている。ほぼ同時期に帰国し、ブランクある日本での
足場のもろさに対する思いや、国民保険のありがたさを
説明や理屈抜きで理解してくれる。
バカみたいに厳しい環境で、時に泣き、笑いすごした
あの宝もののような日々を共有できる相手がいることを、
私は、とても感謝している。

 

2003年11月09日(日)
あの頃はよかったけれど

懐かしくて、何十年ぶりかで伊勢佐木町に行った。
最寄駅はJR関内駅。山下公園や馬車道近くの商店街。
故青江三奈の代表作伊勢佐木町ブルースの歌碑もある。
亡母が若い時分から好んで買い物に出かけていた所で
私も、よそいきの服を買うために松坂屋デパートには
よく連れて行かれた。その頃の私には、服よりも不二家が
大事だったのだが、とにかく馴染み深い町なのだ。

が。

懐かしむというよりも、惨状に頭が分析モードになってしまった。
綺麗になってはいるものの、人の少なさと高年齢層対象の
品揃えの目立つことこのうえない。だが、巣鴨ほど特化も
されていない。きらびやかなのはパチスロとゲーゼンのネオン、
新しく出来たカレーミュージアム。その近所で昔ながらの店が
ひっそり営業している。年末商戦に向けてのせっかくの電飾が
うら悲しい。もちろん、松坂屋店内もすごいことになっていた。
一階の化粧品売り場の横に、地下からはみ出した食料品売り場
があり、客のいないヤングキャリアを狙った6Fレディース
フロアにはカルチャースクールとエステティックサロン、
占い館が・・・・・。
ところで、この松坂屋。松坂屋であって松坂屋ではない。
本店である株式会社松坂屋のみそっかす、「横浜松坂屋」
という形体らしい。「ゆずファンの聖地、横浜ベイスターズを
応援している百貨店」というフレーズに、また、悲しくなってきた。

この町が生き返るには、相当の覚悟がいりそうだ。

 

2003年11月07日(金)
すだちな生活

この夏に知人のKさんから「すだち」を頂いてからというもの、
誇張でなく、すだちフリークとなってしまった。

まず、すだちは箱で買う。
買ってきたその日に、2-3個ずつビニール袋に小分けし
小分けしたものを大袋にいれて野菜冷蔵室保存する。
こうすればかなり長い間、みずみずしさを保っていてくれる。
毎日かかさず2-3個は絞って飲み、料理に使う時は一日
4-5個を消費する。レモン、ライム、ゆず、かぼすの役を
すべて肩代わりしてくれている愛すべき果実だ。

これほどすだちオンリーな生活を送っているのだが
そのうちさかりをすぎて出回らなくなる。
シーズンオフになったら、どうしたらいいんだろう。
すだちがない生活なんて考えられない!
今からじっくり対策を練らねば。

 

2003年11月05日(水)
営業電話

電話に出るや否や、よどみないセールストークが始まっていた。
少し高めの声を持つ女性が、新しい墓地の営業をしているのだが
相手が言葉を切るまで、とりあえず聞いていた。

「・・・・・・・地域で、まだお墓をお持ちでない50才以上の
みなさんに・・・・・・」

ちょっと待て。
相手の声を確認してトークを変えるとか、そういうことは
出来ないのだろうか?自分でいうのもなんだが、私の声が
50才アップに聞こえるわけがないだろうし、事実その年には
まだまだ達していない。

なんだが台本丸読みのトークが耳につきはじめたので
「お墓、ありますので」といったら
「あ、そうですか、失礼いたしましたぁ〜」
ブチっと切られてしまった。

 

2003年11月03日(月)
すきこそもののじょうずなれ

おともだちのメグちゃんが、突発的に北鎌倉に引越しをした。
引越しお祝いのシャンパンなどを持って、有職婦人たちと
ご挨拶に伺った。あのあたりは閑静な住宅街で、日中でも
大声でしゃべったり、手を叩いたり、高笑いは厳禁な場所
なのだが、要注意人物のメグちゃんはなんと静かに暮らしていた。
びっくりである。しかし、ひとりで高笑いしてたら怖いかも。

と、いう話はさておき。

北鎌倉の駅から徒歩3分くらいのところに、自家焙煎コーヒーを
売っている酒屋さんがある。酒屋が生業であったのだろうけれど、
趣味が高じてコーヒー豆がメインになりつつあるようだ。
低温有機焙煎が売りのベルタイムというお店で、なんとも
いい香りが充満している。コーヒーももちろんおいしい。
豆を購入していたら、ご主人が唐突に「一杯のコーヒーを
入れるために、いったい何粒の豆が必要だか知ってますか?」と
尋ねてきた。「うーん、多分70粒前後でしょうか?」と
こたえたら、見事当たっていた。焙煎したばかりの豆がたんまり
入っている一斗缶を差し出して「うちで手塩にかけた豆なんだよ、
食べてごらんよ」という。ぽりぽりんと、あられにはいっている
豆のような食感。なかなかいけた。笑顔の素敵なご夫婦で
きさくにコーヒーの効用をいろいろ教えてくれた。
帰宅して検索してみたら、首都圏各デパートの催事では
おなじみどころだったのだ。兼業なのに、この繁盛振り。
コーヒー豆と焙煎が好きで好きでたまらないんだろうな。
また、買いにいこうっと。

 

2003年11月02日(日)
とびきりのおしゃれ

日本で行われるパーティーは、ほとんどが冠婚葬祭にちなんだ
参加して座って食べていればいい方式のもの。さもなければ
二次会、〇〇発表会、〇〇記念祝賀会のようなイベント形式の
立食パーティーだ。確かにパーティーはパーティーだけれど、
これだけで「パーティーとはこんなもの」と認識してしまうのは
イカガナモノカと常々思っていた。よって、今月の弊社主催
パーティーは、イベントを排除した大人の集まりとした。
趣旨+気持ちいい会場・食べ物・飲み物があれば、
あとは参加する人たちのマインドでパーティーは成立する。
気軽に同伴者を連れだって、パーティー空間に浸る・隣人と
会話するパーティーを経験してほしい。

ただ、今回のパーティーのドレスコードは
  「礼服でない、とびきりのおしゃれ」
ということにしている。これをどう解釈するかに参加する方々は
頭をひねっているらしい。日本の男性にはおしゃれをもっと
楽しむ心を、女性には結婚式参加以外のオケージョンで気持ちよく
おしゃれする場を持って欲しいのだ。鏡の中の自分をみて
「お、なかなかやるじゃん」と素直に思える、自分らしい格好が
あなたのとびきりのおしゃれになる。
この機会をぜひ楽しんで。

・・・・・・あ、自分の服、考えてないぞ。どうしよう?

 

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