株式会社JOYWOW
ほうじ茶飲話【JOYWOW】
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2003年10月31日(金)


大満足なお買い物

ついに学問所のテーブルに出会った。
近所の工房に置かれていた長さ2730ミリの栓(せん)の一枚板。
大きくて、厚くて、頑丈そうで、ひびにも節の在り様にも
素直に一目惚れ。この栓には双子のようなもう一枚の分身板が
あったという。いい顔なので工房のシンボル的テーブルに
しようとしたが、サイズが大きすぎてショールームに入りきらず、
泣く泣く系列会社に譲ったらしい。
天板の反りを削り、天然原料のワックスを丹念に塗布する。
別に足の製作にとりかかりながら、完成まで40日間。
説明してくれた中堅の職人さんは、まさに全身から
「木が好き、仕事が好き」というオーラを発しており
即断即決でテーブル製作を依頼した。彼は満面の笑顔で
「ありがとうございます。責任持っていいテーブルに
仕上げさせてもらいます!」と応えてくれた。

栓と職人さんに出会えたことが、なんだか無性に嬉しくて
帰り道はずーーっと、二重花丸なにこにこ顔だった。

 

2003年10月29日(水)
ため息な出来事

羽田の駐車場に車を停めている間のこと。
運転どヘタのどっかの誰かさんが、私の愛車の右横スペースに
入ったらしい。おかげで右側のドアをぼこぼこっと
バンパーでへこまされてしまった。・・・がっくり。
怒りの矛先は向くあてもなく、自分をなだめすかすのみ。

人生いろいろあるさ。こんな日も、あんな出来事も。
免許取立ての頃って、私だってひどかったじゃない?
お互い様だし、故意でなく事故なわけで、仕方ないというか
あたっちゃったわけで・・・・うんぬん
・・・・・と、心の中でくるくると言葉が回る。

うん!やっぱり車は修理に出して、キレイに直そう。
このままじゃ悲しすぎるから、直してあげよう。

みなさん、運転には気をつけましょう。
愛車も他車も大事にしてね。

 

2003年10月28日(火)
ご猶予くださいっ

11月に弊社主催のパーティーを予定している。
出欠席の連絡を私宛に送信してもらっているのだが、
多くの方から出席の返事をいただいたことは本当に嬉しい。
(みなさん、ありがとうございます)
メールのアドレスや名前を見て懐かしく感じ、
欠席のお知らせを残念に思いながらも
添えられているコメントを読んで嬉しくなったりと
まさに一喜一憂をしている。

それぞれのメールに丁寧にお返事を書きたいのだが、
なんとも思うように時間がさけずにいることが口惜しい。
コメントいただいた方には、きちんとお返事いたします。
もうしばらくゆっくりお待ちくださいませ。

 

2003年10月26日(日)
つかの間の休息

関西に出張していた。いくつかの土地で案件をこなし、
ま・さ・に、ボロボロになって昨夜の最終便で帰宅した。
京都でちょっとだけ時間が出来たので、勿怪の幸い
(もっけのさいわい:思いがけなく得た幸い)と
三十三間堂に立ち寄よった。雷神・風神、1001体の観音立像、
観音二十八部衆像、通し矢の跡などなど。
名を残している仏像や古い物を観たり触れたりすると、
素直に美しいと感じる。そのうちに幸せな気持ちにさえなってくる。
なぜこう感じるのだろう。ただの古臭いモノなのに、
いつからこう感じるようになったのだろう。

三十三間堂には中学の修学旅行と、19歳の頃に
古美術研究旅行で立ち寄っているはずだが
印象はほとんど残っていない。
あの頃の私には猫に小判、豚に真珠だったことが
体感として立証されてしまった。

 

2003年10月25日(土)
ここのところ

なかなか更新できずにすみません。
今日明日中には、ペースを戻すように頑張ります。
・・・っていうか、更新できていた日々って、
暇だったのかしら(笑)?

 

2003年10月23日(木)
楽しさと苦さと

9月25日付茶飲話に登場した西方からおでましの彼女と、
都内在住の元同僚達数人で集まることとなった。
この顔ぶれは、いったい何年ぶりだ?というくらい
回顧的宴会模様だったが、外見はさほどかわらず
おもしろいほどみな昔のままなのだ。

楽しい宴会だった。確かに楽しかったのだけれど、
飲むにつれ話すにつれ、それぞれの脳裏に
忘却の彼方に追いやっていた出来事や人の名前が
甦ってくる。昔馴染みに会う時特有の奇妙な感覚。
久しぶりに会えて楽しくて仕方がないというのに、
出来るなら忘れたままでおきたかった思い出が
ざざ〜〜ん、ざざ〜ん・・・・と、姿を見せ始める。
それがわかっているから、たまにしか会わないのかもね。
楽しさと嬉しさに、ちょっとだけ苦さをトッピングした
大人ならではのひと時だった。

* * *
酒宴の場所は、恵比寿、フカヒレで有名な筑紫楼本店。
本当にてんこもりなフカヒレのスープが美味。
もうひとつ美味で有名な杏仁豆腐を食べたかったのだけれど
この日、別腹の空きがなく到達できず。無念。

 

2003年10月21日(火)
心地よさつれづれ

友人が親孝行のために箱根強羅花壇に宿泊したという。
箱根の中でも超高級といわれる旅館で、一人一泊二食付
7万円前後。サービスもぬかりなく、懐石料理もいい味だし
文句をつけるところもない。さすがに辣腕女将の宿だけある。
ここまで話して、ふっとため息をつき、あとを続けた。
「ただね、くつろげなかったのよ。父に宿の感想を聞いたら
『別に』っていうし、確かに高級な気分にはさせてもらったし
外国のお客様を接待するにはいいわよ。でも、もう一度
行きたいとは思わなかったのよね。・・・なんなのかしら?」

それで思い出したのだが、7-8年前にサンディエゴの
ラ・バレンシアホテルに5日間ほど滞在した時のこと。
気持ちよいサービスを提供する素敵なリゾートホテルなのだが、
チェックインからチェックアウトまで、なんとも落ち着かない
気分のままだった。あの気分を言葉にするなら、
     「ホテルに私が合わない」のだ。
今行くのであれば、こう感じることはまずないはずだ。
格か、サービスか、シチュエーションなのか。
NYでサバイバルする私、その私を取り巻く環境の全てが
あいまって、あの時の私にそう感じさせていたのだろう。
個人の世代に加えて、時々に変化する生活スタイルや質、
求めるものによって、感じる心地よさが違う。

今現在、私の友人が求める「温泉旅館での癒し」は、
強羅花壇にはなかったということになる。
もしかしたらそんな彼女も、20年後には強羅花壇に心地よさ
を見出す時が来るのかもしれないけれど。

 

2003年10月20日(月)
三つ子の魂百まで 

大阪と横浜で通った幼稚園時代のことは、ほとんど記憶にない。
が、強烈なインパクトすぎて忘れられない事件がふたつある。
今日はその大阪編について。

大阪時代、親の計らいでオルガン教室に通っていた。
ある日のこと、つきそいの母が私の上履きを持参することを
忘れた。仕方がないので、親に言われるまま大人用のスリッパ
を履いた。その日は、お教室で一列に整列させられ、両手で
前の子の肩につかまるように指示された。
先生が「今から先生がぶんぶんぶんを弾きますから、その
リズムに合わせて飛び跳ねてみましょう」という。
小さな私の心臓はばくばくしていた。大人用スリッパじゃ
歩くことさえ上手に出来ない。どうしたらいいんだろう?
と、思うまもなくオルガンが鳴り響き、飛び跳ねたが
着地すると脱げそうになるスリッパが邪魔になり半拍遅れる。
付き添いの親たちから合わせられない私に苦笑が漏れるし、
母に目で訴えて助けを求めたが、時、既に遅し。。。
その曲が終わるや否や、母は私の手をぐいっと引っ張り
お教室を途中退場するではないか。あわれかわいそうな私は
その教室に二度と通うことはなく、母から「音痴」という
レッテルを生涯貼られることとなった。笑。

この母の思い込みが理由で、幼少時から人前でパフォーマンス
することを極端に避ける傾向がある。幼馴染にも確認したところ、
「うん、Yukariは確かに目立つのを嫌っていたよ。でもさ、
目立とうとしなくても十分目立ってたんだよね(笑)」と。
微妙に複雑な心境である。

 

2003年10月19日(日)
日本人であること

土曜の夕刊で、フィリピン人の母と日本人の父を持つ
無国籍児童ふたりに、日本国籍を与える判決がおりたという
記事を読んだ。日本にも、その数が知れないほど多くの
無国籍児童がいるという。就学・保険診療・免許・結婚・
渡航・就職・結婚、なにひとつ選択することができない。
あたりまえすぎて意識をすることもないと思うが、
私たちは生れ落ちた時から、国と社会制度から与えられる
多くの保証によって守られているのだ。その保証が何もない
人生をイメージすることができるだろうか。

NYにいた間に三度ビザ(査証)を書き換えた。その都度に大枚
US$を払って敏腕弁護士を雇い、書類を作成し、日本にある
アメリカ領事館に出向いて判決を待つ。書類に不備が皆無で
人物像に何の問題もなくても、ビザがおりるかどうかは運と
担当官の気分次第。生活のすべてはNYにあるし、ダメだし
されたらどうしようかと、比喩でなく真剣に、毎回断崖絶壁の
綱渡りをしているような気分だった。そんな不安定な立場の
在留邦人である私の最後のよりどころは「日本人である」こと
だった。

米国には許可を頂いて住まわせてもらっている状態だけれど
日本に帰ったら、私だって立派なもんなんだから!と、
思うことが何度もあった。普段からそんなことばかり考えて
いるわけではないのだが、在留の身ゆえに、もらえないが
払わなければならない労災や失業保険、査証問題に直面する
時々に自分を慰めるために必要な意識だった。

日本の法律は、米国なんて目ではないほど外国人に厳しい。
その中で今回ようやく、日本国籍を手に入れた子供たち。
彼らが大人になった時、「日本人である」ことを心の糧に
できるのかだろうか。生れ落ちてからずっと日本人の私には
想像すら難しい。

 

2003年10月17日(金)
深夜の急患室

数日前、深夜に胃痙攣を起こし、急ぎ救急車での搬送となった。
今回は、ずっと続いていた多忙な日々と、
神経的な疲れが原因の胃痙攣だったため大事には至らず、
検査と点滴一本で帰宅することが出来た。
点滴を打たれている間、カーテンの向こう側では当直の医師と、
血管を探せずに二箇所も私の腕に太い針を刺したナースが
けらけらと大声でおはなしをしていたが、
痛みを堪えるのに必死だったおかげで、内容はわからなかった。
痛くなかったら、TPOに関して教え諭していたにちがいない。
彼らは運がよかったんだろう。
そういえばこのナース、
「採血してもいいですか」「点滴打ってもいいですか」
「血圧測ってもいいですか」と、全部質問形式でしゃべっていた。
いやですといわれたら、やめるのだろうか?

けして病弱ではないし、大きな持病もないのだが
この年で、すでに4回も救急車への乗車経験があるというのは
多い気ような気もするが。ま、これもいい経験。

 

2003年10月16日(木)
教育してください

仕事柄、宅急便がよく届く。
なかでもクロネコヤマト(以下ヤマト)とサガワ急便は
ほぼ毎日だ。ヤマトは担当者が決まっていて、
荷物の9割以上は配送担当者が配送・集荷をしてくれている。
ミスはほとんどない。いつも懇切丁寧、態度もばっちり。
一方のサガワ。個別の担当は決まっていないようで、
我が家を訪れる担当者は三名ほどいるようだ。
所詮、サガワさんだから・・・と、諦めている現状。

さて、本日。玄関先でインターホンでなく、ドアに向かって
苗字を叫んでいる人がいるので、ドアを開けた。
サガワのニューフェイスさんだった。
女性、年のころは私より少し若いくらい。
彼女はにーーーっこり笑って伝票を手渡し
「裏からきちゃったんですよぉ、まっててください」
と、バタンとドアを閉めて出て行った。裏?え?
なんと新しいサガワさんは、裏からうちの庭によじ登り、庭を
つっきり、閉まっているドアを無言のうちにむんずと開き
ボックスを差し出した。あっけにとられて動作が止まっていた
私は、ふと我に帰り、サインするためのペンを借りた。
ペンを受け取ろうとするが、取れない。おおっと、
彼女がぎゅうと握っている。三度目でやっと放してくれたが。
そして彼女は何事もなかったように、うちの玄関を出て、また
庭にまわりこみながら裏まで突っ切り、段差1.5メートルの敷地
から道路に飛び降り、車に戻った。

なんか、怪しい人すぎる。
サガワさん、パートさん雇うのはいいけれど、
もう少しきちんと教育してくれないと困るんですけれど。

 

2003年10月15日(水)
好きで好きでたまらない

今、歌舞伎が楽しくて仕方がない。どうしてこんなにも
好きなのか、自分でもわからない。好きでたまらないのだ。
今日は、夏に見逃した中村勘九郎率いる「平成中村座」の
公演を観にでかけた。来ている客をとことん楽しませようと
売店から誘導、解説方法、舞台演出に至るまで、あらゆる
手段を用意し、仕掛けてくる。もしもあなたがまだ、
歌舞伎もこの中村座も経験していないのなら、早起きして
当日チケットを買いに出かけてでも観ることをお薦めする。
これはね、本当にすごい舞台なのだ。

人情話や泣かせの場で泣くことはあたりまえだが、
今回は見せ場や大詰めの大見得を切るあたりで涙が
ぼろぼろとこぼれてきてしまった。
見得の思い切りのよさや技術もさることながら、歌舞伎役者の
人力(ひとぢから)にぎゅっと胸を掴まれてしまったのだ。

例えば。モダンバレエは感情を表す踊りだが、その感情は
技法だけ習得しても内面が熟さなければ表現できない。
歌舞伎もきっと同じに違いない。
ルールとしての技法であるのに、誰がやっても同じ
というわけにはいかない。人力を伝承するすばらしさ、
確かさ、強さもひっくるめての芸なのだ。

今年はいったいいくつの歌舞伎舞台を観たのだろう。
歌舞伎にめぐりあえたことにとても感謝している。

 

2003年10月12日(日)
募金インフレ

私の住む町では、町内会へは任意の参加になっている。
入る特典はといえば、意味不明だが町内会費が自動的に
集金されたり(笑)葬儀方面で使う自治会のホールを半額で
借りれたりすることらしい。15年も入らぬままのご近所さん
もいるし、支障はないのでうちも入っていない。
代わりに、行事があるごとに近所に住むおじさんが
集金人としてまわってくる。お祭りだ、寄付だ、なんだと
毎回一律500円を領収証と引き換えに払っているが
地域の義務として、それはまったく異論がない。

さて、今日も朝からおじさんが、赤い羽根共同募金の集金に
やってきた。今回ももちろん500円を請求された。
ここで「?」である。
共同募金って、いくらでもいいんじゃなかったっけ?
小学生の頃は30円程度だった記憶があるけれど、
今じゃ16倍とは、なんともすさまじいインフレだ。
お金が惜しいわけでもなんでもないのだが
最低額が決まっている募金というのは、なんだか味気ない。
かわりにもらった赤い羽根は、昔のピンタイプでなく
両面テープがついたさみしいものだった。
安全性とかいろいろ法律がうるさいんだろうけれど
しみじみ、ほんとに、味気ないったらありゃしない。

 

2003年10月11日(土)
テーブルという工芸品

柿の木坂にある工芸店にテーブルを見に行った。
テーブルといっても、新たに出来る学問所用の大きなものだ。
無垢材のしっかりとしたテーブルを設置するために
一目惚れできる製品を探しているのだ。

今日のお店は北海道に工房があるお店で、オーダーメイド
ではなくても発注から納期まで一ヶ月を要する。
木肌独特のやさしさのせいなのか、どの製品を見ても
ついさわりたくなるような代物ばかり。
こんなテーブルはきっと、縁ある人の傍で、例えその人が
いなくなったとしても誰かの生活を見つめていくはず。
百年も二百年も日々を繰り返し、
時と誰かの思い出を積み重ねていくのだろう。

 

2003年10月10日(金)
本日は病院話題

この頃新聞や雑誌でなにかと話題の、乳腺科で診察を受けた。
定期検診の触診や超音波では何の問題もないといわれ続けているが、二年前、NYでマンモグラフィ(乳房のレントゲン)を撮影した折、なんと!再検査通知をもらっていた。
仕事や引越しにかこつけて忘れたフリをしていたのだが、
不惑の年をすぎれば、ちょっとしたことでも「もしや」と
勘ぐってしまう。度々考える自分がうっとうしいので、とうとう
まじめに診察を受ける気になった。

乳腺外来のあるその病院は本当に美しく、患者として卑屈感を
みじんも感じずに済む稀有な場所。壁と天井は天然の木材を
そのまま使い、広々とした空間が人によって遮られることがない。
ロビーがロビーとして機能し、すべてに余裕のある病院だった。
ドクターもしっかりとした女性で、信頼に足る人物にみえる。
診察後の結果を告げる彼女の論法は非常にわかりやすく
無駄のないもので、まさにすべてが気持ちよかった。
こんな病院ならいつでも・・・と思ったほど。

で、私の検査結果はといえば。
病気の疑いもなくなり(喜)、当分出かけてくることもない。
あの再検査通知はいったいなんだったのだろうか?
「さすがアメリカ!」という笑い話になってしまった。

 

2003年10月08日(水)
素敵な大人になるために

「マナーや品を身につけるための学校ってないですか?」

そう尋ねられて、少し驚いた。マナーや品は
習いにいって身に付けるものという認識があることに。
確かに自己啓発本やマナーブックの類の本は、
本屋に行けば簡単に手に入るだろう。
教室というものも探せばあるに違いない。

でも、マナーや洗練された立ち居振舞いを身に付けたいのなら
色恋抜きで、自分が「このひとこそが理想の存在」と思える相手を
見つけることだ。そのひとの一挙手一投足を手本にしてとにかく
盗んで自分のものにする。品格は個人の芯の部分であり、
心構えだったりするので盗むことは難しい。
だが、猿真似をしているうちに必ず品や洗練、マナーの意味が
「わかる」時がやって来る。

 

2003年10月07日(火)
今日この頃

あまりにもばたばたばたばたな今日この頃。
忙しいのは誰でも一緒、口にしたら粋じゃないんだけど
どうしてもいいたい。あれもこれもそれもあっちもそっちも
同時に事が進んでいるので聖徳太子状態になっている。
あがいても仕方がないので、しばらくはこのバタツキを
楽しみながら、自分の限界に挑戦してみるのも一興なり。

「ああ、忙しい、忙しい!」
・・・・・でも、この言い草、やっぱり格好悪いね。笑。

 

2003年10月06日(月)
浅草どぜう屋

駒形どぜうで、たまたま隣のテーブルになった二組の老齢ご夫妻。
手前に座っていたご主人は、生まれも育ちも本所で
生粋の江戸っ子。奥に座っていた方は戦友で、ふたりとも
沖縄・宮古島の生き残りだと教えてくれた。
すでに戦友会も解散したけれど、
年に一・二度、旧交を温めているのだという。
合間合間に冗談を交えながら、戦争のことを話してくれたのだが
もっと聴きたいと切実に感じている自分に、少なからず驚いた。
昔、祖母や周囲の大人から聞かされても、またか、と
うんざりしていた自分を思い起こすにつけ、
なんとももったいないことをしたと思う。

私が事実を知りたい、聴きたい、と思うようになるまでに
これだけの長い時間が必要だったということなのだが
必要になった時には、すでに周りの糸は消えてしまっている。
時間も時代も歴史も、人々の後悔の念を
こんなふうに積み重ねながら
次世代に語り継がれていくものなのかもしれない。

 

2003年10月05日(日)
ディープな浅草、する?

浅草をディープに知る友人ナンシー(日本人)に連れられ
いつもの有職婦人たちと浅草を体感する一日を過ごした。
老舗鰻、駒形どぜう、江戸芸かっぽれ、芋屋、手ぬぐいや、
花やしき遊園地、江戸町奥山風景、下町伝統工芸...etc.
今までの浅草認知を根底から覆されてしまう一日となった。

・・・・・事実としてはそういうことなのだが、
出会った人たちを含めて、ひとつひとつの事柄のインパクトが
強すぎて、総評しようとすると薄っぺらくなってしまう。
ということで、気分に任せて折々に綴っていくことにする。

それにしても、恐るべし花やしき。創業150年。
6年ぶりくらいだったのだが、なにも変わっていない。
古いアトラクション、狭い敷地、乗り物ごとのチケット制、
時代錯誤な見世物小屋、にもかかわらず今の大人をなんだか
納得させてしまう強烈さ。
今日も全員ですっかりはまり、ジェットコースターで
叫びまくることとなったが、久しぶりに笑いすぎて
涙が止まらなかったぁ!みんないい年なんだけど。笑。

 

2003年10月03日(金)
外野で観察

友人宅の高校生の息子は現在弓道(と携帯メール)一筋な青春
を送っている。最近は青年っぽい顔つきへと変わってきたし、
少年時代の下着に決別をして100%トランクス派に転向。
毎日が楽しくて仕方がない様子がひしひし伝わってくる。

なにげない雑談をしていた時のこと。
「弓道はいつも危険と表裏一体なんだ」というので、
あ、コイツまた新しい言葉を覚えてきたなと、内心にんまりと
してしまった。授業で教わったというより、どうも先輩からの
うけうりだろうなと思えるところがまたかわいい。

彼と私の会話を聞いていた母親である友人が
「ねえ、表裏一体ってどういう意味?」
と尋ねてきたので丁寧に教えておいた。これはそろそろ
息子に言い負かされる時期が近づいてきたのかも。
また新たな観察の楽しみが増えた。笑。

 

2003年10月02日(木)
□い頭を〇くする

今でもたまに見かけるが、昔々電車通勤していた頃、
電車内貼の日能研の入試問題シリーズは、
乗っている時間を忘れさせてくれる大きな楽しみだった。
最近もたまに見かけるが、「答えはWEBサイトへ」と
すぐに教えてくれないので、いつのまにか解くことをやめた。

二十代後半の頃、友人から「□い頭度」を測る問題を出された。

「キリンを冷蔵庫に入れるにはどうしたらいい?」

今はずいぶん知られている問題だと思うが、当時は悩んだ。
首を切る、大型冷蔵庫を作る、きりんのぬいぐるみを入れる、
ビールじゃだめ?(象に替えて考えてといわれた)etc........
結局いくら考えても解けなかった。今から考えれば
納得な事実だが、がちんがちんに□い頭な私だったわけだ。
なにしろ答えを明かされても、納得できなかったんだから。笑。

さて、この問題を知らないあなたは一所懸命考えて、
ご自分の脳みそのやわらかさを試してみてくださいね。

 

2003年10月01日(水)
これは違う

新聞の折り込みチラシの中の一枚に
新しいピザ屋の広告が入っていた。

―ボンジョルノ BEST SELECTION―
―秋のとれたて具だくさん―
―自慢のスパイス17店舗―
オレンジ基調、緑を差し色、赤いニワトリのキャラクター。
真中にはどーんとほどよくチーズが溶けた熱々のピザ、
背景には赤ワインのボトルとグラス。

新しいピザ店が出来たのだと誰が見ても思うはず。

だが。
勘違いした中古車屋のチラシだった。
裏には「ボンジョルノU-carフェスタ」の中古車が
写真入でずらりとラインナップされていた。

 

Yukari |株式会社JOYWOW