株式会社JOYWOW
ほうじ茶飲話【JOYWOW】
ほうじ茶飲話 INDEXPASTwill

2003年05月31日(土)


施しと正義

NYに住み始めてからしばらくの間、
アメリカ人のホームレスがうらやましくて仕方がなかった。
当然ながら英語が母国語、グリーンカードも必要ないし、
五体満足な彼らが、なぜ物乞いをするのかわからなかった。
私が同じ状況なら、マクドナルドの$3.75の時給だろうが
なんだろうが、どこでだってバイトするのに。
あの頃は気持ちの上で完全なマイノリティで、
守られぬ国で生き抜いていくため、必死になることが日常だった。

初老のアメリカ人女性の友人から、
ホームレスをそんな風に思ってはいけないと諭された。
彼女は、教会の炊き出しボランティアに参加していて
よければ一緒にやらないかとも誘われた。
二十代前半のスイス人の女性たちは、ホームレスに出会うたび、
かわいそうだからお金を恵んでいると語っていた。

私はボランティア参加もしなかったし、意見も変えなかった。
命を支えるお金を、誰彼かまわずに恵む気にもなれなかった。
ただ、その思いを口に出すことを止めただけだった。

今はうらやましいなどとは思っていないが、
いまだ欧米人女性達にありがちな、
あのボランティア意識に素直に賛同できずにいる。
なぜなのか、今日やっと言語化できた。

彼女たちのスタンスが、
大上段から見下す「施す」意識だから、なのだ。
食べ散らかしたパーティー・フードの残り物を、
もったいないからホームレスにあげる。
この「もったいないから」もさることながら、
「〜してあげる」にはいつも階級意識がつきまとっている。
それが、どうしても嫌だったんだ。

ホームレスである彼らが働く意志を持って、
ドアの開閉をしてくれた時や、
パフォーマンスが心に響く時。
わずかながらでもお金を渡していた。
私が受け取ったものへの対価として。
それが、日常から学んだ$1の重さに対する
私の正義だった。

 

2003年05月30日(金)
梅雨の花

庭の紫陽花の花(実際は萼:がく)が日増しに大きくなっていく。
こぶし大の頃には薄い鶸色、手まりくらいで白色、そして青紫。
あまり好きな花ではないのだが、窓脇の庭に咲いているので
なじみ深いものになってしまった。

花色の移り変わりを心に見立て、移り気とか冷淡などという
言葉を持つが、梅雨空の下に最も映えるあでやかな花でもあり、
ある花言葉集には「元気な人」と載っていた。

奥ゆかしくいたいけな花のようなイメージがあるが、これが図太い。
繁殖力旺盛、植え替えようが放っておこうが枯れやしない。
どうやらイメージ先行型は、人間界だけではないらしい。

 

2003年05月29日(木)
思い出の引き出し

過去のみでなく現在もなのだけれど、
最も多く流していたのは、Yumingの曲なのかなと思う。
彼女の曲は、思い出のあちこちにすんなりと絡まって
少しだけセピアがかったオールカラー・アルバムを
ほらねと、開いてみせてくれる。

曲に影響を及ぼされたわけではない。
ただ、Yumingが時代を読みながら紡いだ詞が、
あの時その時の自分を際立たせているだけなのだ。

よみがえる思い出は、いつも素直にほろ苦く、甘い。
「いま」も、いつかそんな思い出になっていくのか。

 

2003年05月28日(水)
お買い物

ファイルを買いに行ったついでに、画材屋さんに寄った。
鉛筆、色鉛筆、スケッチブック、画板、ケント紙・・・etc.
昔よりずっと種類もあるようだし、見栄えもよくて。
あれもこれも素敵で、迷いに迷った。

結局、手ぶらで店を出た。

欲しいものを抱えてキャッシャーに行くことが
むずがゆく、めんどうくさく、なんともいえずな心持で
一番安易な道を選んだのだった。

また、今度ね。と、自分に言い聞かせつつ。

 

2003年05月27日(火)
傘をくれた人

渋谷西武で買い物を終えて出てきたら、
真剣な雨降りになっていた。
まだ、銀行など何店かまわらねばならないし、
仕事もひかえているしで、
雨の中に走り出すことは避けたかった。
横断歩道前のキャノピーの下で、ただ途方に暮れていた。

左方向から来た若い女性が、ふいに私と視線を合わせた。
「あの・・・傘、必要ですか?」
彼女は傘をさしていたが、右手にもう一本傘を持っている。
え、まじまじ?ほんと?と思いつつ
「はい、必要です!!」と答えると
「じゃあ、どうぞ」と右手に持っていた、
まだ新しいワンタッチの傘をくれるじゃないか。
嬉しくて、極上の笑顔で「ありがとう」を返した。

彼女がさしていた綺麗な色目の傘は、
私が持っているシビラのハンカチと同じ柄だった。
ただの偶然なのだけれど、前世で知り合いだったのかもと
思えてしまうような、不思議な気分だった。

もう二度と出会うこともないだろうけれど、
今日を幸せな気分で彩ってくれたあなた、
本当にありがとう。

 

2003年05月26日(月)
Leave me alone

仕事の合間に美容院に行った。
実は、昔から美容院に行くことがあまり好きではない。
NYにいた頃は、最も手がかからないロングヘアだった。
(まとまらない時は、ゴムでしばればオシマイ)

キライな理由はいくつかあるけれど、
一番の理由は強いられる中身のない会話。
「今日はお休みなんですか?」とか
「どこかいかれるんですかぁ?」とか
相手に悪気はないのはわかるし、先輩から
客とコミュニュケーションするよういわれているのもわかる。

そして今日もアシスタントさんに訊かれた。
A 「どこかいかれてたんですかぁ?」
私「どこもいってない。今から仕事なの」
A 「へぇ〜・・・、不思議な時間から仕事なんですねぇ」
私「・・・・・・うん、まぁ」

頼む、放っておいてくれーっ

 

2003年05月25日(日)
落し物観察

自然と共存する、美しい閑静な住宅街。
瀟洒な家々、立派な門構え、手入れの行き届いた花々。
ご近所づきあいはつかず離れず、犯罪率もごくわずか。
そんな町に、私は住んでいる。

  ・・・はずなのだが。

そのへんにごろごろ犬のウンチくんが転がっているんだ、これが。
おっきいのやら、ちっちゃいのやら、形がないものまで。
飼い主さんは見かけ上、ウンチ始末セットを持ち歩いている。
が、「誰もみてなきゃいいか」な人も、結構いるってことだ。

ウチの前を行き来するワン様たちは、ラブラドール、
レトリバー、アフガン、ドーベルマン、ボルゾイ・・・と、
体格も値段もご立派な犬種で、飼い主さんの見かけもしかり。

  ・・・なんだけどねぇ。

置き去りにされたウンチくん見てると、愛犬の栄養バランスや
健康状態に気を配ってないことが一目瞭然だったりする。
そういうのを置いていくって、恥ずかしくないのかな。
どうせなら、ぷりぷりに立派なモノを見せびらかすくらいの
気持ちで転がしていって欲しいよね、うん。

 

2003年05月24日(土)
ブランド・コンプレックス

独身女性の友人が合コンに参加した。
どうだった?と尋ねるや否や
「ダメダメダメダメ、ダメですよぉ〜〜〜(笑)」と即答。

30前後の男女5名ずつ、男性は全員がK省国家公務員。
地図とか気象、乗り物関連を束ねている、
そう、あの、元女優さんの省にお勤め。
男性陣を束ねていた32才Aくん、これが曲者だったらしい。

Aくん曰く。
この省に入ることは非常に難しく、かなりな努力を要した。
≪受かったボクは優秀、天才、勝者♪≫
民間人はよくわかっていないが、現在省でやっている
プロジェクトを民間でやろうとしたって絶対に無理。
≪ボクは、そこの省の係長でお国の役人♪すげーエライ♪≫
自分は省で出世し、ゆくゆくは天下りをするのでよろしく。
≪こんなボクと知り合えて、君たち光栄だろ?≫

こんな彼と付き合うのは、いったいどんなコなんだろう。
ブランドと肩書きさえあったら人間性は問わないもーん!と
言い切れるような、ある意味、潔いオンナノコなのかもしれない。

思えばこの彼も、私たちの税金で雇われているわけで、
なんともかんとも、脱力感に満ちてしまった。
でも、32才じゃ、まだまだ省内じゃ一兵卒。
彼もどこかでえばりたかったのかもね。

 

2003年05月23日(金)
そういえば

ないと思っていたのだが、中学一年生の秋に
しっかりと『家出』の経験をしていた。
ある夜、とても不条理な叱り方を母にされて
着の身着のまま飛び出した。
行くあてもなく、たどりついた先は
自宅から徒歩20分の公園。
30分くらいブランコに座っていたが
やることもないし、仕方ないので帰った。

家に帰ったら、もちろん大騒ぎになっていた。
親戚に加えて、帰ってこないはずだった父までもが、
そこにいた。・・・その後なにがあったかは覚えていない。
ただ、父はその夜の帰宅途中、なんと高速道路で
スピード違反で捕まったのだが、事なきを得た。
「娘が家出をして、帰る途中なんですっ」と、
切羽詰って訴えたら、早く帰れと見逃してくれたらしい。

後にも先にも私の家出騒動はその一度きりだが、
父はスピード違反で捕まる度に、上のセリフを使っていた。
勝率がどんなものだったかは訊いた事がないが。

 

2003年05月22日(木)
おとうさんたちの秘密

昼前に少し時間が空いたので、
山の上にあるゴルフ練習場に出かけた。
実は見かけによらず、さほど腕力がない。
午後の仕事に備えて左腕が痙攣しない程度にと
自分にいいきかせてスタート。

山に向かってスコーン、スコーンと打っていく。
ようやく回復した天候も手伝って、汗が流れだす。
一球打つごとに、なんだか10グラムずつ
心が軽くなっていくような感じがする。

80球あたりで、ふと我に返って周りを見回すと、
平日の午前中にもかかわらず、
打席を占めているのはマダムではなく、
圧倒的多さで40代後半から50代前半の男性ではないか。
たまに己がショットに酔いしれながら、
おとうさんたちは無心に無邪気に、クラブを振っている。

邪魔をしてはいけないような気がして、
帰り支度をしてそっとその場を離れた。
覗き見してしまったような、
そんな、この後ろめたさはなんなのだろう(笑)?

 

2003年05月21日(水)
変わらぬもの

久しぶりに東京・原宿の表参道を歩いた。
20代のほとんどを過ごした場所。
明治神宮への参道として、大きな欅並木が続く
あの道が大好きだった。

表参道のシンボルともいうべき同潤会青山アパート
20年近く前から進められていた再開発工事着工のため、
とうとうアパート全体にかこいが立てられていた。
ショップも、カフェも、道行く人も、あの頃とは違う。
街も人も時を経て、世代をかえながら変貌していく。

何がどう変わっていくとしても、欅並木だけは変わらずに
これからもずっと、ずっと、あのままでありますように。

 

2003年05月19日(月)
天の高さを知る

18日付けの茶飲話を受けて、知人Mさんからメールが届いた。

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Yukariさんの「ほうじ茶飲話」読むまで、
『ウオノメタコノメ(魚の目、たこの目)』と思ってた。
マジで!
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うーむ、上には上がいるものだ。

別の知人Sは、「う〜ん???えっと、意味がよくわからない」
というので、それぞれの意味を含めて懇切丁寧に説明してあげた。
「あっ、そうか!おもしろーい!」と彼女は笑っていたが、
こちらはとても笑う気になれなかった。

うーん、上の上のまた上だったか。

 

2003年05月18日(日)
ああぁぁぁ、勘違い

『ウゴ(雨後)のタケノコ』という一文を見て、
頭の中で大音響のドラが鳴った。

なんと、その瞬間まで『ウノメ、タケノメ(卯の芽、竹の芽)』
だと信じて疑わずに生きてきた私。
ま、まずい、まずすぎる。

その話を、反省を含んだ笑い話としてしゃべっていたら
「それ・・・さぁ、『ウノメタカノメ(鵜の目鷹の目)』
の覚え間違いだと思うけど」と、すまなさそうに訂正された。

た、立ち直れない・・・・・・

 

2003年05月17日(土)
歴然たる差

101歳、現役で銀座のバーのマダムである有馬秀子さん。
TV画面に写る笑顔と、そのかくしゃくとした言葉運びにうなった。

私の亡祖母は、80近くまで元気に店を切り盛りしていたが
88才で大往生。最後に見舞いに訪ねた時には、
母か私か区別はついていなかった。
有馬さんは、そこから既に13年も長く生きているのだが、
当時の祖母よりずっと若く、輝いている。
この違いは、はたしてどこからきているのだろう。
  
  常に会話すること。
  見られることを意識すること。
  女性であり続けること。

ここいらあたりかな、と、考えつつも、祖母との大きな違いに
納得できぬまま。そうか、一番の違いといえば。
有馬さんの場合、もしかしたら長年のお嬢様育ちが
効を奏したってことなのかな。

うちのおばあちゃん、苦労人だったものねぇ。

 

2003年05月16日(金)
生活する、ということ

今朝、コーヒーを飲みながらふと考えた。
生活するって、どういうことをさすのだろうと。

まだまだ若い頃の話。
社会人になり、仕事がおもしろくて、そのうち家も出て、
いっぱしに『生活』をしている気になっていた。
仕事、友人、時間、お金、その時代なりに楽しんでいたが
今から考えれば、あれは生活ではない。
毎日の繰り返しをしていたにすぎなかった。

忙しさと引き換えに腐っていく冷蔵庫の野菜や食材、
手を抜いていく家事。時間がないことや、
アドレス帳とスケジュールが真っ黒な事が、
すべての免罪符になっていた。
空も季節も関係なかった。
「私」と「瞬間」がすべてだった。

今は、あの時よりもある意味忙しいかもしれない。
けれど、しっかりと地に足をつけて『生活』をしている。
抹香臭い話に聞こえるかもしれないが、
仕事、友人、時間、お金、それ以外のもっと大事な基本、
この人生を生かされている自分と、
その自分を引き受けるということの意味を知ったからこそ、
生活することが出来るようになれたのかもしれないと思っている。

 

2003年05月15日(木)
家電の決め方

夏の前哨戦、苦手な梅雨時が近づいている。
真夏・真冬はどうとでも我慢できるが、
梅雨は・・・この部屋、我慢の限界を超えることを思い出した。
思い切って、今年は除湿機を購入することに決定。

まず検索。
カタログ・ちらし・サイトで見比べ、いくつか候補をあげる。
そのあと、家電決定する前に必ず訪れるのは
なんと、2ちゃんねるの家電スレッド。
ふだん立ち寄ることはないが、お金をかけた決定をする時には、
2ちゃんねらーなオタクのみなさんの意見がすばらしく役立つ。

これでもわからなきゃ、ええい、ままよ!と決めちゃうか、
忙しいオタクな友人にメールでお伺いをたてる(笑)

さて。うちの除湿機、どうするかなー。

 

2003年05月14日(水)
善行の顕し方

修理に出していた愛車が戻り、感涙にむせびながらの運転中、
ラジオのアナウンサーが、松井選手関連ニュースを
彼の父親から聞いた話として始めた。

松井選手は3年前からベトナムの就学困難な子どもたちのため、
詳しい住所、職業を明かさずに学費を送り続けているという。
アナウンサーは、松井選手が
「大リーガーであるとか、有名人であることを一切告げていない」
という部分を強調し、だからたいへんすばらしいと熱く語っていた。

だったら、日本のマスコミにもしゃべらなきゃいいじゃん。
と、むっとしたのは私だけだろうか。
善人さをニュースに流す姿勢は、マイナス要因になってしまう。
おとうさんに悪気はなく、息子のすばらしさをわかって欲しくて
言っちゃったと信じたいが、いかんせんとほほな話だ。

松井選手が悪いわけじゃないし、だいたいにおいて
寄付していない自分を棚あげしてのチャチャ入れなので、
あまり説得力ない話なんだけどね(汗)

 

2003年05月13日(火)
悩めるパン屋

近所にPというおいしいパン屋さんがある。
有機食材を使い、いつも焼きたてのパンを並べていて
近隣だけでなく、遠くの町からも買出しに来る週末の朝は、
駐車場に入りきれない車の整理係が登場する。

我が家の朝食のトーストもここのパンで、
週二回ほど足を運ぶ。
ただ不思議なことに、オーナー筆頭に誰一人笑顔がない。
忙しい時も、暇な時も、いつも苦悩に満ちた表情なのだ。
こんなにおいしいパンを作っているのにもかかわらず。

なにがそんなに嫌なのか、辛いのか。
パンを買うたび損した気持ちになるのだが、
おいしすぎるほどおいしいので、やっぱりPに行く。
そして毎回、苦悩に満ちてしまう。

 

2003年05月12日(月)
同じ生き物だから

道端や空き地の雑草。
時期が終わると、驚くほど上手に別種に交代していく。

最初は、誰かが植え替えをしているのかと思ったりもした。
わざわざ、雑草にそんなことするわけないんだけど(笑)
植物は自分たちの季節を満喫し、種をばらまいて枯れていく。
枯れていく頃にはもう別の種が成長していて、
前種の枯れた姿を目にすることはない。

たまに話題になる外来種の動植物は、この繰り返しに入り込み
連鎖を破壊し、自分たちだけで繁殖しようとする。
生態系を壊してしまうことを、彼らは知る由もないのだけれど。

なんだか、人間の世界にとても似ている。

 

2003年05月11日(日)
母さん、と呼ぶ人たち

今夜のサザエさん。
母の日にちなんで、波平さんが子供たちとともに
なんと、妻孝行をしていた。
夕食の支度をしながら横目で見ていたので
きちんと認識していないのだが、浪平さんも裏のおじいさんも、
みな奥さんにカーネーションを贈っていた。

今の今まで、「母の日」というのは子供が母親に感謝する日
だと信じていた。よもやご亭主衆が妻に感謝を表明する日とは
みじんも思っていなかった。
これって、新しい習慣なのだろうか。

これが本当であれば、一般日本人は『妻は夫の母親がわり』
ということを100%事実として受け入れることとなる。
すごく物議をかもし出しそうな話なんだけれど、
それをさらっと放映しちゃうサザエさんって、すごい。

 

2003年05月09日(金)
趣味追加の件

唐突だが、今日からゴルフを始めた。
最初で最後にクラブを握ったのは、11年前。
現在ハワイ在住の親友につれられて出かけた、
目黒のゴルフ練習場。
筋がいいと誉められた記憶がある。

で、11年後の今日。
天気がいいし、時間もあるし、ふと行ってみるかな、と。
近所の山の上にある練習場で、教えられるまま打ってみた。
あれ・・・あたるっ、飛ぶじゃん♪いい気になって熱中。
素手だったので左手のひら撃沈、右腕重し。でも楽しかった。
あたらぬ時もあるのだけれど、クラブを振り回しているだけで、
けっこうな気分転換になっていたもよう。

気分が冷めないうちにとゴルフショップへ行き、
なんとハーフセットを購入してしまった。
晩ご飯後、パターの練習。
自分で笑っちゃうのだけれど、はまったらしい(笑)

 

2003年05月08日(木)
目指せ『無理せず水着』

帰国して一年半が経った。
NY時代は歩くだけでなくいつも運動をしていたのに、
こちらでは田舎暮らしゆえの車中心、まるきり米国西海岸状態。
運動が欠落した生活になり、すっかり身体が怠けた。

衣替えをした後、すごくマズイ事態に陥っていることに気がついた。
腰周りが・・・腹周りが・・・腕が・・・っっ
もっと早く気づけよっ!と、自分にツッコむが後の祭り(涙)

この一年半の日々を深く反省し、
5月に入ってからはしっかりと生活を改めた。
まずは、身体を動かすことを中心にした日常へシフト。
徒歩一時間圏内は基本的に車は使わず、食生活をやや規制、
毎朝のランニングとストレッチを軽く。

水着の季節まであと二ヶ月半。無理せず、楽しく初志貫徹。
なにをどう言おうが結果次第なのだけれど、
実は、自分を裏切らないために、ここで公言してみた。
さてさて、どうなることやら、乞ご期待!

 

2003年05月07日(水)
100%の今日

2/27に登場させた友人一家と、渡航前最後の晩餐をした。
少し時期がずれたが、一週間後にはケアンズに発つ。
小学生の子供たちは4/30付けで休学し、毎日が日曜日状態で
ダンボールが積み重なった家で大騒ぎ中。
一家は最初の三週間のみ家具付アパートを借りているが、
その後は未定。キャンピングカーを手に入れる算段をしている。

別の友人Tさん。私よりひとつ年上。
ばりばりのキャリアウーマンだったのだが、
思うところあって大学院に入学。今年めでたく卒業し、
昨日、ミクロネシアの某島で暮らすために渡航した。
つてや縁故があったわけではない。
心の声に従って、まずは英会話からと学生ビザを取り、
ひとりですべてを決め、準備し、旅立った。

みんな、いいよね。ほんとうに素敵。
何十年先の老後を考えて生活するより、今を100%生きること。
誰が教えてくれるわけではないけれど、とても大切なこと。
五年後、一週間後、明日。生きている保証は誰にも出来ない。

一番したいことって、なに?

 

2003年05月06日(火)
思い出

中学二年生の冬、本格的に鉛筆デッサンを始めた。
数種類の鉛筆だけで表現される絵を描く事が、大好きだった。
描いている間は時間も思考もなく、
イーゼルの上の画板に向かい、ただ鉛筆を走らせ続けていた。
右手人差し指の爪が、画用紙にこすれて薄くなるくらいに。

24、5才までは描いていたように思う。
いつのまにか、遊びや仕事での忙しさを理由に
鉛筆を持たなくなった。
今から考えてみると、誰に咎められるわけでもないのに
忙しいなんて言い訳を、なぜ自分にしていたのかわからない。

今でも鉛筆や練り消しゴムを見ると、胸がきゅんとする。
もう一度、始めてみようかな。

 

2003年05月05日(月)
残念賞くらいのレストラン

めずらしくゆったりとした連休を過ごした。
混雑はイヤなので、車は休ませ、もっぱら足を使った。
世の中ほぼお休み状態にならい、仕事は投げ出した。
体のための運動を適度に行い、深呼吸に勤しんだ日々。
お天気にも恵まれて、いうことなし。

時間もあるしいい機会なので、徒歩圏内にあるおいしいと評判の
レストランにランチを食べに行くことにした。
とても楽しみに出かけたのだけれど、評判にはほど遠かった。
きっと地域的には、そこそこのレベルなのだろう。
味は悪くない。工夫もされているし、おいしい部類に入る。

客層・雰囲気・味・値段・サービス。
上の5つがなんともちぐはぐなバランスなのだ。
シェフの経験値が、一定地域のみに通用するレベルなのだろう。

口コミがはずれた時のがっかりって、
けっこう大きかったりするんだな、これが・・・。

 

2003年05月04日(日)
ああ、勘違い

夕方、表から大きな怒鳴り声が聞こえた。
バイクに乗った青年が、車のドライバーに文句をいっている。
運転手さんは、困っている。

「この道は一通なんですよっ。バックしてくださいよっ!!
 標識が立っていたでしょうっ?!とにかく、一通なんですよっ!
 わかりますかっっっ?!!」

青年の義憤は、見ようによっちゃ美しいかもしれない。
でもね、青年。標識はきちんと認識しよう。
道は狭いけれど、ここは両方向通行路だよ。
一通になるのは、朝の通学時間二時間のみ。
標識にそう記されていたでしょう?

・・・ちょっと、恥ずかしかったね(笑)

 

2003年05月03日(土)
素材変われば

4/28に書いた室内履きのことで、知人のMさんから
メールをいただいた。

Mさんも「これ!」という室内履きに至るまでにかなり
試行錯誤されたとのことで、そのことを書いてくださっていた。
最初はわらじからはじまり、現在の室内履き一等賞は、なんと!
お姉さんが編んでくれた布(ぼろきれ)ぞうりだという。
形は竹皮ぞうりやわらじと同じだが、
材質がTシャツや綿のシーツを裂いてよった布糸なのだ。
なんという贅沢な室内履きなのだろうか。

Mさんのメールを読む数日前に、通販生活のカタログでまさに
この「布ぞうり」を目にしていた。
年配のご婦人たちが一足一足、手で編まれているという。
Mさんもお姉さんもご存知ないだろうが、
なんとその金額、一足5800円也。

お姉さんの手業、もしかしたらとっても貴重かも。

 

2003年05月02日(金)
地理の醍醐味

帝国書院編集部編「新編・標準高等地図」を買った。
いわゆる高校生が授業で使う地図帳。

実は自慢できるほど、地理は苦手なのだ。
学生の頃は試験のためだけに暗記をしていたので
試験が終わったとたん、それらは記憶から放出されていた(笑)
だからというわけではないが、TVや本で知名が出てくるたび
どこだっけぇ?と悩んでいるより調べたほうが早いと
地名辞典のような感覚で手元に置いた。

これがなんと、思いのほか役に立つ。
単に見ているだけでも楽しいしが、
新聞記事を読んだりTV番組を見る事が何倍も楽しくなる。
それまであやふやだった知識が、
記憶の中に整理されて再ストックされていく。

地理がこんなに楽しい科目だったこと、
どうして学生時代はわからなかったのだろう?

 

2003年05月01日(木)
こころがけ

一年間に何回くらい謝っているのかと、ふと考えた。
いくつになっても若輩で、謝らずに済む一年はない。

謝ることは難しい。
感情が渦になり、言い訳したくてむずむずする。
でも、この言い訳が曲者なのだ。
謝罪の言葉の後に接続詞を付けるかどうかで
状況はがらりと変わる。

  ごめんなさい、だって・・・
  すみません、でも・・・

それじゃ、心から謝っていないと思われても仕方ない。
優先すべきは自分の都合なのか、謝罪なのか。
心から謝る気持ちを伝えたい時には、
何も言わずに謝り続けることが一番真摯な姿勢にうつる。

謝るときは潔く、許すときはおおらかに。
若輩ながらも、この心がけを忘れずにいこう。

 

Yukari |株式会社JOYWOW