ほうじ茶飲話【JOYWOW】
2003年04月30日(水)
見てるほうも痛いもんだよ
人の抱える、物理的なものではなく精神的な痛点。
痛点と認識できるところまでいっていれば、問題は軽い。 重いのは、自己認識せぬまま痛点に触れられるといつも 『あいたたっ!!!』と過剰反応して急回避してしまう場合。
人は弱い生き物だし、自分の弱みや痛みは見たくない。 できれば毎日笑って楽しく暮らせたら、それが一番なんだけど。 でも、人間なんだから成長しなくちゃね。 痛点を、自分の弱みを認めて解決していかなくちゃ いつまでたっても同じ場所でつまづくことになる。
『なんでいつも同じことで悩むのかな』 それは、解決していないから。終わらせていないから。 いつも答えを出さずに、適当に誤魔化してきているから起こる事。
解決法はひとつだけ。 痛い思いをして、問題と自分を直視する事。 自分の痛点を知ること。まずはそこから。
2003年04月29日(火)
身も心も
8年間というのは思いのほか長いブランクで、 日本の祭日が、まだ身体に馴染んでいない。 ほうっておくと、祭日を認識しないまま一日が終わる。
今日もそんな日で、私にとっては普通と同じ一日でも、 窓の外を見てみれば確かに車もたくさん出ているし、 隣近所のお宅も休日モードになっている。 そうか、祭日かと納得し、外に出てみたら気分が軽くなった。
そのまま一気に身体も気持ちも祭日になった。 ふらふらしていたおかげで、メールの返信も日記の更新も 祭日モードになってしまった(笑)
2003年04月28日(月)
夏の”きもちいいもん”
待ち望んでいた初夏になった。 やっと、それまでのウールの室内履きから 竹皮ぞうりに履き替えることが出来た。う〜〜〜、幸せ。
我が家には和室がない。 なので、どこにいてもなにかを履いているのだが、 その「なにか」を定めるために長い間試行錯誤した。 いくら使ったのか、スリッパ数種類、サンダル数種類、ビーサン。 どれもこれも納得できず、 ある日いきついた先が「竹皮ぞうり」だった。 なんと、これがたまらなく気持ちいい。
室内履きに悩んでいたら、是非一度お試しあれ。
2003年04月27日(日)
生活感のなさ
表題の言葉。 『あって当然の生活感が漂っていなくて素敵』 という意味で、稀にしか用いない誉め言葉として使っていた。
ところが、この言葉を本来の意味で使える相手に めぐり合わないという現実もあるが、 近頃は違う意味合いで用いていることに気付いた。
視野の狭さやバランス感覚の欠如、地に足のついていない様子。 腰の据わっていない生活態度や、 人間味の欠如したプラスティッキーさを表現する時。 「あの人、生活感がない。なさすぎる」 寂しいことに、この意味合いでなら使える相手がたくさんいる。
2003年04月26日(土)
性別を楯に取る
明日は議会議員選挙、投票日だ。 しばらくは、どこに行っても候補者選挙宣伝カー(っていうのかな?)とすれ違う日々が続いた。私の住んでいる地域でもかなりの人数が立候補しているが、1/3が女性だ。
前提として、女性の政界進出は非常に有用なことだと思っている。 ただ、うちの管内の女性立候補者の選挙公報や演説を聞くと、 二言目には「子育て支援」「子供たち」「学校」と、 「女性だからこそ、主婦だからこそ」の部分を強調してくる。 主婦/女性だからこその視点・感覚は大事なことで、 どんどんくみ上げて議会に反映すべきことだと感じている。 ただし、主婦感覚のままで政治に参画するのはいただけない。 政治と商売が分離すべきものであるように、政治と家事も別物だ。 そのあたりの感覚のずれが目につき鼻につき、 地元女性立候補者の90%に特有のいやらしさを感じてしまう。
明日の選挙、そういいながらも一縷の望みを抱きつつ、 女性候補者に一票を投じるつもりの私である。
2003年04月25日(金)
happily ever after
NYの親友から嬉しいメールが届いた。 長く付き合っているが、年中「別れる切れる、でも好きなの」と 問題を起こしてばかりいる件の彼と ついに結婚式を挙げることになったという。
私より3歳年下のAMYは、東欧文学の博士号を持つ才女だが 結婚と家庭を作ることが長年の夢だった。 BFとの件で、箸がすべった、石が転がったといっては落ち込み、 もうオシマイだと泣き崩れては電話をしてきていた。 その弱虫で泣き虫のAMYが、とうとう華燭の典に辿り着いたのだ。
メールを読んだとたんに深いため息が出た。 じわじわっと嬉しくなってきて、 残念ながら目の前にいないが、AMYにHUGしてKISSして、 大声でおめでとうを言いたかった。
が。ふと冷静に考えてみた。 結婚式を挙げるからといって、 問題がなくなるわけじゃないんだよな、と。 ペーパーがある分きっともっとややこしくなるわけで・・・。
うーむ、やっぱり、そうなのだ。 おとぎ話じゃないんだから、 彼女の「どうしたらいいのメール」がなくなるわけじゃないのだ。
神様どうか、彼らに少しは平穏な日々をお与えください。 あーめん。
2003年04月24日(木)
リスク・マネジメントの意味
私は好戦的でもないし、クレーム好きでもない。 基本的にそんなことは時間の無駄と思っているので、 通り過ぎるほうを選ぶ。 が、基本を覆す「よっぽどの事」が起きてしまった。 大手一流企業と称される、とある会社に苦情をいうことに決めた。
まずは連絡先を探すべくWEBサイトを検索したが、 メールアドレスどころか、電話番号さえも記載されていない!? ようやっと枝葉の電話番号を見つけて、受付嬢につながる。 用件を伝えるが、内線はいくつかを転々としたあげく、 5分を切るあたりでやっと広報担当責任者がでてきた。
用件を伝える。『これこれかくかくしかじか・・・』
受付嬢後24時間で、上記広報担当者、防災センター副隊長、 隊長の計3名と会話をした。全員役職付、プッチ団か団塊か。 おもしろいことに、全員がほぼ同じようなことを口にした。
担当者でもないし 責任もないのですが 申し訳ございません
三度目にはあまりにびっくりして、笑いそうになった。 それ以上その会社の上役と話しても、なにも変わるまい。
表の人間にとってはバイトだろうが担当じゃなかろうが、関係ない。 その会社のバッチをつけていたら 清掃係も社長も企画部長も交換手も全員が、 その会社の顔となるのだ。
なのに。大の大人のオトコである三人が三人とも 責任転嫁しながら、いいひとぶってあやまるフリをしたのだ。
たったひとことが欲しいだけだってこと、わからないらしい。 心から気持ちよく、すっぱりと謝ってくれたら、 気持ちよく電話を切れたのに。
彼らはきっと、リスクマネジメントとか報連相とかなんとか、 毎日のように会議で話し合ってる人種なんだけれど、ね。 やれやれやれやれ・・・・・・
2003年04月23日(水)
私が私である理由
仕事上でも、プライベートな場でも 意見の食い違いがある時には、とにかく言葉を使う。 相手が貝になっても、語彙が少なくても、 語り、尋ね続ける。納得できるまで。
うっとうしがられ邪険に扱われる場合もあれば、 真摯に受け止め、ひとつずつ答えてくれる人もいる。 「追い詰めずに流すことも必要だよ」 と、忠告してくれる人もいる。
でも、ね。 ひとつ流すことを許せば、二度も三度も平気になる。 言葉を繰り出すことより簡単なんだ。 意見の食い違いもないまんま、いやな思いも飲みこみゃオシマイ。 流すことに慣れたら、それだけ言葉が減っていく。 比例して、相手と関わり合う事も減っていく。 興味もどんどんと減っていく。
そんなふうになりたくないから、たとえ胃が痛くなったって 今日も私はつぎつぎ、言葉をつむぎだしていく。 たとえそれが、正解な方法じゃなくっても。
2003年04月22日(火)
年中無休の花屋にて
近所のスーパーの敷地内にある花屋に行った。 その花屋を利用することはほとんどないのだが、 気に入りの粗めの土を扱っているのは、その店だけなのだ。
その花屋の店先を見て驚いた。 店の売り物である花の苗の半数が、 回復不可能な状態でしおれていたのだ。
店長らしき年配の女性が、うらめしそうに苗を見ながら 片付けていたが、あれらは廃棄されるのだろう。 でも、年中無休の花屋で水やりを忘れることもなかろうし、 いったいぜんたい、どういうわけで枯れたのだろう。
普段、その花屋に行かないのは、そういうことが起こっても ちっとも不思議じゃない気がするからなのだけれど。 商品に対する愛情が、ちょっとばかり欠けてるっていうのかな。 そういうことって、客に敏感に感じ取られてしまうものなんだね。
2003年04月21日(月)
お国柄
アナログ・ホテルの詳細は、なんとSurfin'に書かれてしまったので ここでの報告は省くことにする。 そのかわりに札幌エピソードをひとつ。
研修で出かけたビール園、ジンギスカンのテーブルに、 「生ラムのたれ」と書いてある調味料があり 『ラムってお刺身もあるんだぁぁぁ』と、おののいてしまった。 が、なんていうことはなく、ジンギスカンのタレだった。
これは北海道の方の特性だということだが、 「生を付けること」が好きなのだそうだ。 例えば、以下。
「生鮨:冷凍していないネタを使う鮨」 「生チョコ:冷蔵保存が必要なチョコレート」 「生ラム:冷凍していないラム肉」
きいてみればなるほどと思いもするのだが、 『目から鱗』と『鳩が豆鉄砲』を足して2で割ったような 不思議な気分になってしまった。
・・・「生牛」って、なまぎゅう?なまうし?
2003年04月20日(日)
三件続いても偶然?
世の中、いろいろ不思議がある。
1. 18日夜、宴会に参加していたある方が、 帰り際に倒れるという事件があった。
2. 19日午後、羽田に到着した飛行機の中、 椅子に上がって荷物を降ろそうとしている私に 体当たりしたおばちゃんのおかげで、 あえなく座席から落ちて倒れた私。
3. 20日、友人の誕生日会で、メンバーのひとりが疲れから昏倒。
上記三件とも大事には至らず、事なきを得ている。 が、三日続けて「倒れる」現場に遭遇した偶然は、なんとも不思議。 こういうことってあるんだなぁ。
ところで、私の転倒は打撲程度で済んだが、 しばし起き上がれなかった。 空いている機内で、ドアが開くのを待っている暇な人々の視線、 なんとも熱くていたたまれず(辛)。 体当たりのおばちゃんは走って逃げていったけど、 ひとことくらいあやまってから走れ!
2003年04月17日(木)
Bon Appetit! to me :-)
昨日の日記どおり、今日から札幌です。
オフラインな生活になるので 日記更新できませんが 私の「おいしい出張」を想像しながら ぜひ、悔しがってくださいな(笑)
みなさまも、ぜひぜひ、いい週末を
2003年04月16日(水)
アナログな最先端ホテル
明日から仕事で札幌に出かける。 最北端とか、山の中に行くわけではないのだが、 とてもアナログな環境に突入する。 仕方なくというわけでなく、アナログ宿泊体験を わざわざ組み込んだ出張になっている。 そこに、「泊まらなければならない」のだ。
部屋は全てシングル、バス・トイレ(ウォッシュレット付) もある。意外と新しいホテル。朝食も、電話もついている。 が、電話はプリペイドカードを購入しないとかけられない。 もしかしたら、TVはコインかも?
私のモバイル用ノートは、アナログ回線か無線LANでしか 接続できない。とっとと最新方式導入せよ!なんだけど、 間に合っていたもので、こんな事態が起こるとは、ねぇ。
明日は6時に起きて羽田に出発。 久しぶりにPCのない生活を丸々三日間過ごす。 アナログ・ホテル詳細は追って報告するので御期待あれ。
とにかく。 せっかくの北海道、おいしい旅をしてこよう!
2003年04月15日(火)
古くさいかもしれないが
敬意を辞書で引くと、うやまう気持ち、と解説されている。 ジェネレーションや土地柄の差、といってしまえばそれまでなのだが、最近の敬意は「敬愛」に近くなっている気がする。
『敬愛:※うやまって大切にすること。 尊敬し、親しみの気持をもつこと。愛敬』 『敬恭:※つつしんでうやまうこと。うやうやしくすること』
私にとっての敬意は、まちがいなく後者の「敬恭」に近い。心底尊敬する相手に対しては、軽口/タメグチ(って全国的なコトバ?)はきけないし、相手の立場や状態にすぎるほど心を砕いてしまう。
辞書※によれば、敬愛=愛敬は「愛嬌(あいきょう)」のことだそうで、なんともすごいことになってきたと辞書を閉じてしまった。 私もすっかり’ふるい人’になっているので、 当世風解釈の「敬意」には、目が点になることが多すぎる。 こういう経験、実は健康に悪いのだ。 うそだぁ〜〜!と思った瞬間に、心臓がばくばくしてしまう。 私もまだまだ修行が足りない。
※小学館国語大辞典より
2003年04月14日(月)
一手間のしあわせ
一車線道路を運転していたら、工事をしている区間が出てきた。 そう長くない。およそ50M程度。 反対車線の道半分を塞いでいる三台の大型工事車両。 こちらの車線に大きくはみ出して、中央車線として 1Mおきに朱色のパイロン(円錐形のプラスチック表示)を 立てている。・・・ここまではよくある風景。
ところが、ここの工事担当者ときたら、 パイロンのどちらが進行方向なのか、誰にでもわかるように ダンボールでできた手作りの「⇒」マークを パイロン5つおきに貼り付けてあるのだ。
以前、高速道路の工事個所で、パイロンのどちら側を通行すれば いいのかわからず、往生した経験がある。 たぶん、この「⇒」を作った担当者は、 同じような経験をしたことがあるのだろう。
お給料にはね返らない仕事に違いないのに、その一手間が 赤の他人の私をとても幸せな気持ちにさせてくれた。
関電工さん、いい人雇ってますね!
2003年04月13日(日)
海で過ごした午後
知人のSさんと、海岸に行った。 おつまみとビールを持って、まさに 「春の海、終日(ひねもす)のたりのたり哉」 な午後を送った。
結論に辿り着かない真剣な四方山話、 海に照り返されながら、たんたんと話し続けた。
四角い部屋の中でする相談話より お日様の下のほうが、いい考えも浮かぶような気がする。
次回はおにぎりとコロッケを持って来なくちゃね。
2003年04月11日(金)
事実だけでいえば
戦争が終結に向かっている。
しばらく前からなのだが、自分の気持ちをもてあましている。 考えていても仕方がない、ということはわかっているが どうにも言語化できずにいる。
終結に向かうこのフェーズで、気持ちの持って行き場とか、 出口とか、何をしたらいいのか選択できない。 とても戸惑っている。
答えが出るまで、まずは、目の前のことをひとつずつ 片付けていこうと思う。 日曜日の選挙も、伯母のお見舞いも、仕事も、日常も 今まで以上に心をこめて、手をつけていこう。
今できることをする。まずは、そこから。
2003年04月10日(木)
呼称
親族および友人とその子供たちに、 はるか昔から、言明していることがある。 私を「おばちゃん」と呼ばせないこと、呼ばないこと。 教育が行き届いているせいか?みな、名前そのものか、 名前に"おねえちゃん"をつけて私を呼んでくれている。
TV番組の中でよく若いキャスターが、年配者に向かって 「おじいちゃん/おばあちゃん」と呼んでいるのを目にするが なんとも息苦しい。 親族であればいざ知らず、他人であればなおさら 相手への敬いとして、年齢や見た目による呼称でなく、 姓名で呼びかけるべきだと考えている。
80才になろうが、100を越えようが、生きている限り 対する相手には、名前で呼びかけようと決めている。
2003年04月09日(水)
心を繋ぐ
今夜放映された北星余市高校のドキュメンタリー番組、 民放にしては骨のあるいい番組だった。
番組に出てくるある教師が、10年前に恩師に言われた言葉を 送り出す卒業生にそのまま贈っていた。
「おまえらは俺の夢だから、どんなことになっても胸張って歩け。 20や30や40で諦めたりしないで、前に進んでいけ。ほんとうに 全員、俺の夢だから」
私は、誰かに夢だと思われたことがあるのだろうか。 誰かを夢だと思ったことがあるのだろうか。
番組の最後に、島田伸介が語ったことの大意。
「人と浅く付き合うのは楽、深く付き合うのはしんどい。 でも、しんどいからこそ、心に残る関係ができる。人は、思い出を 語り合える仲間を得るために生きているんじゃないかと思う」
そうかもしれない。過去を反芻してみると、見かけによらず 付き合いべたな自分が時々いたことを、認識せざるを得なくなる。 あの時も、その時も、自分では気がつかずに、 心の中でなにかを必死に叫んでいたのかもしれない。
2003年04月08日(火)
教育の成果
治療中の歯に諸問題があり、例の歯医者さんで型を取り直した。
以下、評判のいい二代目担当医(50才前後)との会話。
Dr. 「この取り直した型でもあわなかったら、その時はダメです。あきらめてください!思ったよりも難しい状況なんですよ」 私 「そうですか、、じゃあ、どうすればいいんでしょうね」 Dr. 「いい腕の歯医者さんに行って、インプラントしかないですかね」 私 「いい腕の歯医者さんて、どちらにいるんです?」 Dr. 「えっと・・・やっぱり東京いかないと・・・」 私 「え?!?あの、今はココに通っているんですよ?」 Dr. 「あ、あの、インプラントの説明しましたっけ?」 私 「いえ」 ----------------冊子とともに説明を始める----------------
Dr. 「インプラントの技術は右肩上がりに向上しているし、普及もしてきています。日本人だったら、もっとこなれた金額で器用なものも開発していけると思ってます。そう難しい技術ではないんですけれど、やはり自信のないものを看板にあげるわけには、ねぇ・・・」
私 「じゃあ、日本の技術が一般化されてこなれるまで、私の歯をなんとかもたせてください。で、ダメになるまでに、先生のところで技術を習得してください」
Dr. 「そう、そうですよね。そうなったら、歯医者は止めて・・・」
私 「え??」
Dr. 「いや、認定医になるための資格講習を受けなきゃならんのですよ。半年ほどなんですけれど。だから、その間お休みして資格とって、機材入れて・・・ぶつぶつ」
私 「まあ、とにかくひとつ、そのあたり、先生のところでよろしくお願いします」
Dr. 「・・・えー、じゃあ、次回は来週ということで、はい」
* * *
すごく間の抜けた会話をした気がするのだが、 あまりにも力が抜けてしまい、逆に信用度を高めてしまった(笑) ぜったいにこのドクター、お母さん/奥さん/年配の看護婦さん達に びしびし育てられて、一人前の歯科医になったんだろうなぁ・・・ と、納得、納得。
2003年04月07日(月)
ごちそうさま
「カレーが届きましたので」ということで、 Aさんのお父上のカレーをご馳走になりに出かけた。 噂には聞いていたが、これがなんと、極上のおいしさだった。 職人さんの作る妥協のないカレー、 二泊三日で食べても飽きず、もたれずな味だった。
もともとプロの料理人のお父上、現在は引退されているとのこと。 カレー/シチューの仕込みが済むと、 からりとあがったオニオン&ガーリックスライスを沿えて Aさんの元に送られてくる。
おいしくできたから「食べさせたい」という想い。 陳腐な言い方かもしれないけれど、 これって、どんなに時代が変わっても変わらない 親の愛とか絆のひとつなんだろうと思う。
Aさんに出会えてよかったな〜。 おいしいカレーをありがとう、お父上にもありがとう。
2003年04月06日(日)
宝石よりも何よりも
近所に行きつけのガソリン・スタンドがある。 よっぽどのことがなければ、他のガススタは利用しない。 立地のよさもあるし、サービスもいいのだが、 実は「モノ」に釣られて通っている(笑)
兼業なのか、趣味なのか、給油のオマケに 地採の野菜をくれるのだ。 でこぼこな形なので本業ではないと思うのだが、 これが、本当においしい。 野菜が少ない時期には若布や目刺、イリコも登場する。
どうも私は、とことん、「野菜」に弱い。 おいしい野菜をくれる人には、とっても甘くなってしまう。 あげく忠誠を誓ってしまうんだな、これが。
2003年04月05日(土)
風雨の温泉
件の少年の合格祝いで、総勢4人(少年、その母、その姉+私)で 小田原日帰り温泉小旅行に出かけた。
少年はけして貧相な体格ではないのだが、受付で小学生と間違われた。もちろん高校生である旨を告げて、所定の料金を払って入館した。が、少年は不服そうだ。なにかと尋ねてみれば
「せっかくだから、小学生で通せばいいのに。 そしたらさー、千円安くあがったじゃん」
というので、嘘はつくものではないのだとこたえた。
「え、だって、嘘はついて通ったもん勝ちじゃん」
少年の遊び仲間理論である。道徳的に語っているわけではない ことは百も承知だが、一瞬コトバに詰まる。
「違うの、ダメなの。 嘘はね、ついただけ自分に跳ね返ってくるんだよっ」
一呼吸置いてぴしゃりと跳ね返したが、ちょっとあせりぎみな自分に苦笑い。こういうどうでもいいような会話の中で、大人がどう対応するのか。そんな積み重ねで、子供は経験値を増やしていくものなのかもしれないと、温泉につかりながら考えていた。
お座敷でだらだらしているときに、 私と同じ携帯を持つ彼から、使い方で質問を受けた。 その質問に答えるばかりか、若者に裏ワザも教えることができた 自分を、すごく誇らしく思ったのだが・・・ちょいまち。 よく考えたら、彼はアナログ少年なのだった。
2003年04月04日(金)
残すべきもの
昔は確かに日常であったはずなのに、すたれてしまって、 人々の記憶の中にしか存在しない文化がある。 その文化は五感と様々に結びついているものの、 形にしてこれだと示すことができない。
私の中にも、そんな遺文化がたまり始めてきている。 兄弟姉妹もなければ子孫もない。 記憶にあるそれを、あ・うんで理解する他人(ひと)はいない。
たとえそうだとしても、 ついえてしまいかねない遺文化を、 なんとか、未来に向けて残していかねばならぬのだ。
だから私は、言葉を使って、残す努力をしていこう。 ほんの少しでも、記憶に収められた古き美しき日常を。
2003年04月02日(水)
己を知ること、許すこと
「できない・知らない・能力がない・意気地なし・卑怯者・弱虫etc.」
誰もが持っている自分の「〇〇」な欠点を知ることは、 とてもとても痛いことです。その現実を受け入れることは、 居心地のいい逃げ場所を失うことです。
どんなに苦しくて辛い作業であっても、 そんな自分から目をそらさないでください。 欠点や短所は、隠すから痛い腫れものになるんです。
隠す代わりに、認めて受け入れて許してください。 きっと、愛すべき個性になるから。 人と付き合うことが楽になるから。 誰からも傷つけられない、等身大のあなたになれるから。
ぶあつい壁で何重に防御をしても、 あなたの脆弱さは透けて見えてしまうのです。
2003年04月01日(火)
今日の報告
治療用椅子に案内された。深呼吸をし、ぐるりと見回す。 壁紙がとれかかっているコーナーを二箇所発見。 治療用器具は、かなり乱雑目に置かれている。
・・・ふ・・・ ・・・・・・・あ・・・・・・ ・・ん・・
占いじゃないが、当たるも八卦当たらぬも八卦と 腹をくくって訪ねたはずの歯医者。胸騒ぎが静まらず。
結論、うまかった。 麻酔はNYのチェン先生のほうが格段に上手だったけれど、 なんだか、よかった。助手の年配のおねーさん達も手際がいい。 日本でかかった歯医者さんで、初めてまともに 治療やかかる日数、他の方法なんぞもいちいち説明してくれた。 質問にしどろもどろせずに答えてくれたDr.だった。
私の歯は虫歯とかそういうものでなく、ちょっとしたアクシデントで 根元から折れてしまっていたのだが、根を抜かずに治療し、 あとニ回の通院でOKらしい。
神様に見捨てられたかと思った一瞬を乗り越え、見事生還。 かみさま、ありがとう!
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