株式会社JOYWOW
椰子の実日記【JOYWOW】
椰子の実日記 INDEXPASTwill

2005年04月30日(土)


神技

都内で阪本塾卒業生バンドのリハーサルをした。
ギターとドラムに新メンバーを迎えたため、
一段とバージョン・アップ、仕上がりが楽しみ
である。
気分が盛り上がり、帰途、例によって横浜のヤマハに
立ち寄る。

なじみのスタッフに弦の張り方を実際にレクチャーして
ほしいとお願いすると、「よろこんで!」の元気いい
声とともに、実演して見せてくれた。




そして、チューナーなしで、音を合わせた。
ぼくにとっては神技である。

「(ギターを)大事に使っていただいて、ありがとうございます」
この自社製品に対する愛が、嬉しい。

エレキギター(ストラト)を買うつもりだったのだが、
彼のこの愛情を感じると、言い出せず、
「いえいえ、大好きなギターなので・・・」と、
そのまま店を後にした。

 

2005年04月29日(金)
竜馬つながり

英雄ブランディング講座(→クリック!)
の増井雄一郎氏来訪。

氏とはメールのやりとりしかなかったのだが、
さる要件があり、大阪からわざわざ葉山まで足を運んで
くださった。

今年は司馬遼太郎とドラッカーを全読する予定で、
現在坂本竜馬について考えていたところへ増井氏の登場
である。不思議な符合だ。

海を見ながら、あれこれと対話。

気持ちの良い午後だった。

増井氏の新しいプロジェクトの成功を祈りながら、海
にそって、帰宅した。

 

2005年04月28日(木)
笑いで満ちた組織は強い

(昨日のつづき)

ブレーカーから火花ではなく火がちょろちょろと舌を
出していたらしい。

あわてて全員、社屋から出て避難。
しかし、悲愴感が全くないのがこの会社のいいところ。

みんな、ギャグを言い合ったりして、笑っている。
非日常を楽しんでいるようでもある。

「燃えたら、不良在庫も一緒に燃えたりして」
「ハハハ」

なんて、会話がなされている。

その組織の強みは、災害時(非常時)にこそ、出るの
だなあ、という新しい法則を発見した。
眉間に皺を寄せている会社ほど、業績は良くない。
笑いで満ちている組織は業績がいい。
この法則は普遍のようだ。

ちなみに、このあと、災害対策本部長の獅子奮迅の
働きにより、その日のうちに、無事、システムも含め、
復旧なった。

 

2005年04月27日(水)
初体験・顧客の社屋に雷落ちる

クライアントの社屋に、雷が落ちた。

駅へ迎えに来てくださったクライアントのお二人から
車中でその知らせを聞いた。お二人とも、ぼくを迎える
ために車で出発したあとの事件なので、詳細はわからない。
移動しながら、「一体どこに落ちたんでしょうね」と語り
合うも、想像の及ぶものではなかった。

雷のあの「ピカッ! ゴロゴロ」なら馴染みがあるが、
「落ちる」というのは体験したことがない。

着いてみると、正確には、社屋の外の電柱に備え
つけられている変電器(と、いうのだったっけ?)
に落ちたのだった。電柱のアタマが欠けてしまっている。

おかげで停電し、社内は真っ暗だ。
たまたまプロジェクトの部屋が窓からの日光が採光できる
位置にあったので、そこでミーティングをしていた。

夕方、めでたく電気は復活した。

ミーティングを続けた。

なんだかドアの外が騒がしい。

「火! 火!」という声が聞こえる。

さすがに火と聞こえるとまずいでしょう、と
部屋から出てみると何かが焦げた臭いが満ちている。

通電したものの、どこかで火が出たようである。

(つづく)

 

2005年04月26日(火)
とんでもない朝

昨日はあれから早めに家を出たのだが、間引き運転で、
予定していた電車は運行していない。駅で30分待ち、
ようやく乗れたのだが満員。グリーンにまで人が
立つ有様。そんな中、隣の年配の女性が座るなり
携帯メールを始めた。終ったと思ったら鞄から
どっしりとした本を出した。辞書でも読むのかと
思ったらマンガだった。近頃の年寄りはまったく
なっとらん
よ。公共の場所で携帯迷惑をかけているのは
だいたい60代の連中である。マナーがなっとらん。
しつけてやらねばなるまい。

品川で新幹線に乗り換える。西大井を出て、品川が
見えてきたので席を立ち、連結部分で待機していたら

また電車が止まった。

どうやら新橋だか東京だかどこかでまた飛び込んだらしい。

おかげで乗っている千葉行きは品川で折り返し運転の
横須賀線に変身するとのこと。

連結部分で待つこと40分。目の前を、本来であれば乗るはず
の新幹線のぞみが横切っていく。

ほうほうの体で大阪に到着した。家を出てから5時間である。
大阪では尼崎の惨事の号外が出ていた。

参った!

 

2005年04月25日(月)
雨の日と月曜日は

今日は出張だ。必ずテレビをつけ、交通情報を聞く。
製造業出身なので、とにかく先行きへの安全率は
大目に取る。早め、事前にスケジュールを決める。
朝の交通情報も、そのひとつだ。

雨の月曜日は電車への飛び込みが多い統計があるが、
今朝もだれかが鎌倉だか北鎌倉だかで飛び込んだようだ。
こういうとき、JRや報道は「人身事故」と表現を変えるが、
変える意味があるのだろうか。
困った。おかげで横須賀線は久里浜-大船間で不通だ
(これも『運転見合わせ』と言い換えている。無意味)。

村上龍『半島を出よ』は近未来の暗いくらーい日本を
描いているが、こういう暗いニュースを朝から耳に
すると、あながちフィクションではないと思うところが、
現実の日本のどうしようもない暗さなのだろう。

現実の痛い部分を拡大する作品のため、読み続けるのが
辛くなった。ただ、それこそが文学的体験なのだ。
口あたりのいい甘いあまいお菓子だけを読むだけでは
文学する意味がないのだから。


 

2005年04月24日(日)
新たな需要創造戦略か?

何のことはない。PCの動きがのろかったのは
ウイルスバスターが悪さをしていただけの
ようだ。そういえば、夕方は元気になった
ような気がしていた。自動アップデートが
なされたためだろう。

「朝方は熱があってだるかったんだけど、
夕方になったらだいぶマシになったみたい。
心配かけてごめんね」

みたいなものである。あわててPCを買ってしまった
のだが、こういうのはトレンドマイクロは補償して
はくれんだろうねえ。しかも「原因はウィルスバスター
かもしれない」という情報を知ったのは朝日新聞夕刊
である。トレンドマイクロからはいまだに何の知らせ
もない。これでは何のためのユーザー登録なんだろう。
サイトでは詫びているが、サイトまで行かなければ
わからないわけで、そんなもの、瀕死のPCで行ける
わけないじゃないか。更新まで3ヶ月あるというのに
やいのやいのとメールで更新をうながすくせに、
こういう重要な時こそ、企業姿勢が問われることが
わかっていないのではないか。ファクスあるいは電話
という、「非ネットワーク」メディアを使ったフォロー
こそが、必要なのだ。

考えてみれば世界中のPCはなんらかの形でつながっている
わけで、かつ、ウィルス駆除ソフトメーカーは徳川体制に
おける幕府のようなもので、「逆ASP」にて顧客のPCを
いかようにもコントロールできる。意地悪く考えれば

「ある一定期間だけ調子を悪くして、すぐにバージョン
アップ製品にて戻す」

ことをするだけで、新しい需要は生まれるのである。

げんに、今日のこの事件だけで、ぼくはPCと、ウィルス
バスターと、アプリケーションソフトをあらたに購入
している。

もちろん、悪意はないのだろうが、ウィルスバスターの
ように、その提供価値が、
「顧客の不安の上に成り立っている」商品の場合
こそ、誠意が前面にないとね。

まあ、セカンドPCということで、いいか。
Think Pad、相当使い込んで、疲れていたもの
なあ。あのPCで『五感商品』以降の作品をすべて執筆
している。

横浜のさる店でPCを選んでいたら、中国人カップル
も同じ製品を検討していた。彼とぼくが一緒になって
店のスタッフに質問したのだが、この情勢下、なかなか
感慨深いものがあった。彼の中国人もぼくと同じ
PCにしたようだ。

メモリを山積みにして、入れてもらう作業を待つ間、
やっぱりヤマハに立ち寄った。あやうくウクレレを
買ってしまうところだったのだが、スタッフに
諌められた。まずはこの前お買い求めいただいたギターを、
(マスターしてください)さかもとさん。
この店の、こういうところが好きである。
PC方面企業の姿勢と違うこういうところが。

 

2005年04月23日(土)
ある朝目覚めてみると

朝起きたら、巨大なパソコンに変身していた
・・・というのではなく、愛用のパソコンが
死んでいた。CPUが別人のように馬鹿になった
ようで、とにかく動きが鈍い。鈍い、てな
もんではなく、動かない。
ウィルスにやられたのか、それとも寿命か。
いずれにしても、打つ手は一つである。
まずは世界へのドア=ネットの窓口としての
パソコンを確保することだ。簡単に言うと、
パソコンを速攻で買わなければならない。

・・・ということで、買ってきた。
この文章は新しいパソコンで書いている。
パソコンを入れ替えるというのは途方もない
大仕事であって、気が遠くなってしまうほどだ。
そして、前のパソコンが死んでいる場合は
悲劇である。Surfin'のバックナンバーも、
パワーポイントのファイルもすべてゼロに
戻る。

あまりに途方もない大仕事が前に控えているので、
とりあえず、ギターを弾こうと思う。
ビール飲んで、気分一新や。

 

2005年04月22日(金)
久しぶりにブルースハープ

KEN研に参加。

山本藤光校長(→クリック!)

好評既刊『強いチーム手帳』(→クリック!)

『世界一ワクワクする営業の本です』(日本実業出版社)、
そして『営業マンをとことん伸ばす「人間系ナレッ
ジ・マネジメント」』(医薬経済社)と立て続けに
作品を上梓される。校長のハッピーな人生をお祝い
して、ブルースハープを演奏し、贈りものとした。

人前で演奏するのは2003年にお茶の水でやった
バンドライブ以来だから2年ぶりである。

再来週にもライブがある。芸能の血がたぎるので、
ビールを一杯のんじゃった。

 

2005年04月21日(木)
椰子の木事典

【JR(じぇい・あーる)】(名)

駅に階段を多数用意し、国民の運動不足の
解消のために日夜奮闘努力している公的機関。
主な収入源は広告。

【M&A(えむあんどえー)】(名)

Tシャツを着て「そうていない」と言う
ゲームの総称

 

2005年04月20日(水)
『強いチーム手帳』を強くお勧めします




山本藤光氏『強いチーム手帳』が届いた。
お買い求めはココで(→クリック!)

外出直前に受け取ったので、早速車中にて読み始め、のめりこむ。
ナレッジマネジメントのアカデミズムを基礎にして
営業の実践経験をおいしく料理してくれている。
山本シェフ、いつもながらの腕の冴えだ。
明日はKEN研で山本シェフと会える。直接著者本人に
感想を述べることができる。ラッキーである。

『強いチーム手帳』、写真のように常に鞄に携行している。
繰り返し読み、使おうと思う。

 

2005年04月19日(火)
ラーメン放浪

ラーメンが大好きである。
NYにもあるにはあるが、店が威張っているだけで
旨くもなんともなかった。でも選択肢がなかった
ので、仕方なしに行っていた。蕎麦屋もpoorだった
なあ。EASTにある日本人ならだれでも知っている
日本食材スーパー近所のあの蕎麦屋も、威張っている
だけだった。そうなのだ。NYにある日本関係の店は
みんな、どことなくうっすら、威張っているのである。

で、そんなNYから出張して東京などに行くと、天国
の気がしたものだ。渋谷の若い子どもたちが行くような
店でも嬉しかった。

しかし。

人間というものの欲にはキリがないのである。
関東に住み始めて長くなり、慣れてくると、
「旨いラーメン屋がない」というグチが出てくる
ようになる。

いわゆる、「行列のできる」と世間で言われている
ラーメン屋も、薄く威張っていて、客を平気で
並ばせて(また東京の人は、並ぶのだ。大人しく。
大阪なら、絶対、並ばない)おいて、で、席に
つくと、「食べさせてあげる」という姿勢なので、
行きたくなくなる。

店が威張っていると、たかがラーメンじゃねえか、と
反発したくなる。

町にある、気兼ねない店で、どこか旨いラーメン屋
さんはないものかなあ・・・と、今日もラーメンを
求めてわしは歩くのであった。

 

2005年04月18日(月)
スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』

スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』鑑賞。
記念すべきスーパー歌舞伎第一作を、猿之助
抜きの留守を守る門下生一同で19年ぶりに
再演するものである。

企画について本を書く上で、大いに参考になった。
つまり、自分が猿之助として、客席にいて、今日の
この芝居を観た時、次どうするか、という視点で
考えたのである。

スーパー歌舞伎は、現在、岐路に立っていると
言わざるを得ない。

斬新性、実験、古典の現代解釈というのであれば、
平成中村座や18代目勘三郎に行けばいい、という
のが、この1年で歌舞伎界の新しい定番になっている。
むしろ、現在の、猿之助抜きのスーパー歌舞伎は
「スーパー歌舞伎」という型に囚われてしまって
いる気がする。

七之助、海老蔵のような「ワル」の空気こそが
役者の魅力なのだが、みな、「猿之助先生門下の
優等生一座」になってしまっているのではないか。

そもそもスーパー歌舞伎とは何か。

体育会系の痛快娯楽エンタティメント

として『新・三国志』シリーズが完成している。
観客、平成中村座を知っている。目が肥えている。

猿之助のオーラが使えない。

以上の条件の下、ぼくならいかなる企画をするか。

やはり新作、しかないと思う。

当然猿之助のことだから、ぼくが思いつくくらいの
問題点と課題は気づいているはずで、既に手は打ってある
はずだが。

 

2005年04月17日(日)
if...

某大学にて教授をしているM氏と食事。
M氏の夫君はドイツ人である。ヨーロッパはパリで
2005年の新年を迎え、ブダペストの市電では家族
ぐるみのスリ団に襲われても一瞬の機転というか
大騒ぎで電車を停止させて摺られた財布を取り返す
など、武勇伝にも事欠かない大活躍をされている。

日本でも、今日は東京、明日は神戸、そして徳島と、
席の暖まるひまがない。
そのような大学教授とぼくがなぜ夕食を共にしている
のかというと、実はおよそ25年ぶりの再会だったの
である。さらに言うと、30年前、二人はお付き合いを
していたんである。大阪教育大学附属池田高校時代の
同級生なのだ。現代風に言うと「元カノ」です
(ちなみに拙著『とことん語ろう』p.26-27に登場
している)。

そう、今日は緊張した〜! どんな顔して再会すれば
いいのか、「四半世紀前にフラれた彼女に会う時の
顔マニュアル」なんてものはないから、非常に落ちつ
かない顔で待ち合わせ場所にいた(ただ、のちに
話していてわかったのだが、彼女はフッた覚えが
ないという。言葉にせずに勝手にいろいろ思い込む
青春の誤解だったようだ)。

会って、瞬時に、高校時代に戻った。照れもあるし、
話は積もりまくっているし、で、話しまくった。

お付き合い、といっても、かわいいものである。
阪急電車の駅改札で待ち合わせ、一緒に学校に
行く。デートといえば、清荒神さんにお参りに
行く(なんで高校生カップルが荒神さんやねん
やろね、と笑ったものだ)。神戸ビーナスブリッジ
に行く。その程度だ。

帰り、駅に向いながら、話した。

「もしあの時、そのままお付き合いを続けていたら、
どうなっていたやろね」

続いていなかったから、お互いの現在があるので、
それが良かったね、と意見が一致した。

 

2005年04月16日(土)
次作の献辞、決まる

まだ本文を書いてもいないのに次に出す書下ろしの
扉の献辞を思いついてしまった。
ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」の
ビデオを観ていたら。

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類稀なる企画力でぼくに刺激を与え続けてくれた
ジョン、ポール、ジョージに本書を捧ぐ。
仕方ないからリンゴにも。ついででもあるし。
そして、ジョージ・マーチン。アートに裏打ちされた
企画の力を、あなたから学んだ。
------------------------------------------------

 

2005年04月15日(金)
昼間のビールの幸せ




雲ひとつない天気。海のそばのテラスにてランチ。
昼間のビールは、どうしてこう、旨いのだろう。
直前まで書いていた原稿のテーマが「第3のビール」
だったので、矢もタテもたまらず、ビールを飲んで
しまった。海のそばで生活する幸せを感じた。
さて、今日はこれから、ブルースハープとギターの
レッスンだ!

 

2005年04月14日(木)
町内会

町内会のメンバーである。
そもそも「町内会」という組織に属するのは
自分が世帯主になって初めてである。
田舎だから、まだ残っている風習なのだろうか。

20年以上前住んでいたマンションでは管理組合
とかいうのがあって、一度だけ役員へと誘われ
たことがある。
ところが「賃貸ですので・・・」と一言言った
途端、先ほどまでの笑顔がすーーーーーと消え、
そそくさとスカウト担当の婆さんがあっちに
行ってしまった。

田舎なので、町内会も人数が少なく、少子高齢化
の波がここにも来ている。ぼくは若手らしい(笑)。

このままいくと、へたすると、来年くらい「若手」
として、会長をやらされるかもしれない。
それもまた、面白い体験になるかもしれない。

今度、町内会の会議に出てみようと思う。

 

2005年04月13日(水)
市場への反射神経




一体いつまでスキムミルク品切れ状態が続くのだろう。
自宅近所のスーパーは田舎だからかと思っていたら、
昨日都内のスーパーでも同様だった。
いつも思うのだが、品切れは、商人として、恥ずかしいことの
はずである。市場への反射神経が鈍いのだ。

「メーカーさんが間に合わないっていうんだから、
仕方ないですよね」

「予想できなかったブームなので、生産と出荷が間に
合わないのです」

このような寝言が堂々とまかり通っているところに、
日本企業のビジネス力の弱体化を感じるのだ。

そもそもなぜスキムミルクがここまでブームかと
いうと、ヨーグルトに混ぜて飲むと楽に痩せられる
らしい。一人が走るとみんなが同じ方向に走るこの
国民性は、「価値観の多様化」から最も遠いのだ。
イエス、日本人は「みんなと同じ」が好きなのであり、
そういう意味で、その時々流行しているものに乗る
だけの話なのである。企業がMe,too商品を恥ずかしげも
なく出すのも、あながち的外れではないのだ。

 

2005年04月12日(火)
リンゴはリンゴ

今日もまたビートルズネタ。
DVD『アンソロジー』はぼくにとって、古典だ。
今後も何度もなんども見返すことになると思う。
ビートルズの四人が、演技でもなく、「公式な」
インタビューでもなく、自分の言葉で話している
のを見るのは、これが初めてだから、新鮮なのだ
ろう。また、人生経験も積んできたので、彼ら
の話す様子から、「人となり」が推測できる
ことも、面白さに一味加えていると思う。

そして。

リンゴ・スターが四人の中で最も「ギョーカイの人」
であることを再認識した。
彼はアーティストであるというより、「ザ・芸能の人」
なのである。

『サージェント・ペパーズ』レコーディングの時、
ひまだったとぼやいている。おかげでチェスを覚えた
という。そんなひまがあったらみんなと一緒に創造
しろよ、と言いたくなるが、リンゴには全くカンケーない
のである。ドラムを叩くのが自分の仕事であり、
他の連中が『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』で
ジョンの元ネタにポールのブリッジ(woke up...のくだり)
をはめこんだり、オーケストラを組み込んだりする
工夫は「退屈なだけ」なのである。

さすがリンゴである。

そしてこのメンタリティはバンドマンによくあって、
ぼくが昔組んでいた仲間にも同じタイプがいた。
自分はギターさえ弾ければそれでいいのであり、
曲全体のことなんか、カンケーないのだ。
というか、それ以外全部、ムダ。

ポールがビートルズの作品すべてを肯定的に
熱く語っているのと、ジョージがそこに哲学を
加えて解説するのと較べると、リンゴ・スター
はあくまで、リンゴ・スターなのだ。

高木ブーにも共通するこの図太さ。すごい、の一言
である。

 

2005年04月11日(月)
わずか7と13

『ビートルズ・アンソロジー』を観ていて発見し、
愕然とした。
画面は63年、キャバーン・クラブで熱演している。
転じて64年、初のアメリカ公演でNYのJFK空港に
降り立った四人。高揚している。

このあとわずか16年でジョンは死んでいるのである。
ビートルズはこの5年後、解散する。

ビートルズはわずか13枚のレコードで世界を変えた。
活動期間、わずか7年。

ぼくが独立して、もうすぐ7年になろうとしている。
作品(著作)の数はビートルズを優に超えてしまった。

 

2005年04月10日(日)
imagine

(昨日のつづき:ジョン・レノン・ミュージアムにて)

展示を進み、最後、ファイナル・ルームに達した時の
サプライズ。

涙がじわーーーーと出てきた。

感激のあまりショップにて




ピックセット、Tシャツ、DVD『ビートルズ・アンソロジー』
etc.・・・を湯水の如く買ってしまった。ピックは早速
使っている。

『イマジン』の歌詞が、NY ロックフェラーセンターの
ヒルトンのメモに殴り書きされているのを見て、とても
感激した。

企画力に関する本を構想中なのだが、刺激をがんがん受けた。

ヨーコの『Grapefruit』を再読しようと思う。

 

2005年04月09日(土)
ジョンとの共通点

ジョン・レノン・ミュージアム(→クリック!)

に行く。実は埼玉デビューである。生まれて初めて埼玉の
地に足を踏み入れたのがジョン・レノンというのは嬉しい。

5歳の時、両親の離婚に伴い、ジョンは父と母、どちらの
もとに行くか、両親から判断を迫られたという。

この記述で、ぼくは胸が裂けそうだった。まさに同じ体験を
しているからである。中津に向う梅田の道路の端っこに
車を止め、父と母は、「啓一に決めさせよう」と、
ぼくに「おかあちゃんとおとうちゃん、どっちに行く?」
と聞いた。

聞くものじゃない。こういうことを。子どもに。

ぼくは長くジョンの中に自分を見てきた。
その原点が、このジョンの体験と通じている
のだなあ、と発見した。今日まで知らなかった。

そしてジョンも、ぼくと同じく、母の元に引き取られる。

(明日に続く)

 

2005年04月08日(金)
桜満開

娘(代わり)が来た。実家で娘を迎える父の気分である。

有名になりたくないからメディアには絶対に書かないで
欲しい、という店主がやっている最高に旨い蕎麦屋で
ランチをとり、ビールを飲む。至福のひと時である。

海に行くという娘たちと別れ、一人、桜を愛でながら
散歩する。やはり太陽はいい。

町にたった一軒しかない書店に立ち寄ると、
柳田邦男氏が
『壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別』
という新作を出しているのに出会った。
内容はぼくが思っていることと全く同じで、日本列島を
春霞のように覆っている「狂気」の元凶がケータイであり、
ネットである、という結論である。

葉山小学校前の桜が満開に近い。いい感じだ。
写真を撮ろうとも思ったが、こころに焼き付けることに
した。

 

2005年04月07日(木)
土井さんのエッセンス力




土井英司さんから『成功読書術』を寄贈いただいた。
嬉しかったのは、土井さんが手間を取ってくれている
ことである。梱包も、同封の一言メモも、すべて土井さん
自らの手書き(写真参照ください。ちなみに我が家の
出窓で撮影しました。フクちゃんゲスト出演)。

土井さんから、本だけではなく、「ぼくを思うこころ」
を一緒にいただいたことが、何より嬉しい。
本の中にもある、カーネギーの言葉
「人は自分を重要なものと思いたがっている」
を実践されているなあ、と思う。

土井さんとは2001年秋、『スロビ』のプロモーションの
ため渋谷のアマゾンでお目にかかったことがある。
(そうだ、あの時ぼくはニューヨークから出張したのだった)

ご縁を大切にする土井さんの姿勢を、見習いたい。

古今東西の名作をレビューした内容だが、非常に濃く、
土井さんの「エッセンス力」を感じる。
そしてこのエッセンス力は人生に大いなる武器なのだ。

自分なら何の本を選ぶだろう、という観点で読むのも
楽しい。

座右の書が、また増えた。

 

2005年04月06日(水)
パーム見参!

弦を買いに行ったら、ギターを買ってしまった。



写真向かって右。名前はパーム。左はお馴染みのマナ。

YAMAHA横浜店は罪な店だ。スタッフが全員、「音楽大好き!
楽器命!」という好きのオーラ全開だから、行くたびに
気持良くなってしまい、「どれどれ」と、いろんな楽器を
手に取ってしまう。

昨日も、何気なく目についた黒のギターを試しに弾いて
みただけ・・・だったのだが、「これは出会いである」と
思わざるを得ないほど、ぴたり、きてしまった。

ところが、馴染みのスタッフが買わせようとしないのだ。

「この前のギター(マナのこと)で充分ですから」

そう言われると、おとーさんは欲しくなるのである。

結局、ギターとハードケースと弦2セットと本と
ピックと楽譜とを大人買いしてしまった。ピックは
おまけにしてくれた。サンキュー!

別の女性スタッフが「いい楽譜、見つかりましたか?」
と言うのでギクッ、としたが、オモテに出ているのが
ジョン・レノンだったのでホッとした。実はサザンも
買っていたのだ。わしの歳でサザンの楽譜なんて、
「いかにも」で、わしの美学でいうと照れくさいの
である。

YAMAHAを出たあと入ったレストランの隣の席の
10代の女の子二人は会話の中に日本語と英語
(単語にあらず。英文)が混じる帰国子女だった。
エグい発音だから、マジで、英語を母国語のように
話すのだろう。
「religion」という単語の発音で、nativeかどうか、
はっきりわかる。彼女たちは「r」と「l」を
きれいに発音し分けていた。

耳に快かったのは、彼女たちの発音だけが理由なの
ではなく、会話の内容に宗教という形而上学的な
ものが混ざっていて、それが現代日本の十代の会話
では珍しい知性が香ったからだろう。

 

2005年04月05日(火)
アートブック『digmeout』




FM802からどさ、と届いた。「新人アーティストの発掘」が
802ブランドの約束の一つだが、それを形にしたものが
数々あって、うちの一つがアートブック『digmeout』だ(写真右上)。

ぼくは『マーケティング・サーフィン』を絵本にしようと
企画したとき、『digmeout』をじっくり見て、そして
中からPalm Graphicsを選ばせていただいた。マムチョも
いいなあ、と思ったのだけど、やはり弊社のブランドイメージ
からいうと、同じ椰子の木つながりということで、決めた。

そのマムチョ、ビッグになって、802のイメージキャラクター
ミミちゃんを生み出している。そのミミちゃんが絵本に
なった(写真左のほう)。
音楽の楽しさを一杯に表現した、いい本だ。

また、『digmeout』は今年から、アジア、
アメリカ、ヨーロッパ、即ち、全世界へむけてリリースする
ことになった由。拍手だ。表紙にもなっているenaがいい雰囲気
を持っている。応援したい。

久しぶりに802が聴きたくなった。

 

2005年04月04日(月)
着想の海

日曜日の朝、南佳孝の『Blue Nude』を聴いていたら
外はいい天気、なんとも言えず出かけたくなった。
仕事を放り出し、海を見に行く。気分は

ラ・マーレ・ド・チャヤ(→クリック!)

だ。ここはビジネス絵本『マーケティング・サーフィン』
リアル書籍より電子出版を先行した嚆矢『五感商品の創りかた』
が生まれた場所でもある。各作品の担当編集者と打ち合わせ
を重ね、着想を得たのは、この店の海が見えるテラスデッキ
だ。

特に『サーフィン』は、現役サーファーのイラストレーター
Palm Graphics豊田氏、Beamsの某氏と装丁やスタイル、そして
本のタイトルまで、この店のテーブルで生まれた。

そうそう、『チャヤ』に隣接する『葉山マリーナ』では
『マーケティングに何ができるかとことん語ろう』
のモトとなる企画会議をしたのだった。

ニューヨークから、この海のそばの町に引越しして
知的生活の上でも、本当に良かったと思う。

葉山マリーナではついついTシャツやウィンドブレーカー
などを買いすぎてしまった。

 

2005年04月03日(日)
『ビジネスを育てる』届いた!

やったー! 新作『ビジネスを育てる』が届いた!




これまで6冊翻訳書を上梓したが、本作品が最も気に入っている。

喜びの記念撮影をした。着ているTシャツは

プリントマート(→クリック!)さん

石塚眞由美氏作のオリジナルPalmtreeシャツだ。
(石塚さん、ありがとう!)

この本は特に、若い人たちに読んでほしい。
若い人たちに、ビジネスとは自分を表現するアートなんだ、
というわくわく感を感じ取ってほしい。

ネットでお買い求めの折は

楽天ブックスならこちら(→クリック!)

アマゾンならこちら(→クリック!)

 

2005年04月02日(土)
神は細部に宿る

鶴澤宏太郎弾く三味線の弦が切れた。

隣では竹本綾太夫が浄瑠璃を謡い、舞台はいまや
俊寛(幸四郎)山場である。

どうするか。

ぼくは先ほどから舞台ではなく宏太郎ばかり
見ていた。

宏太郎の撥(バチ)捌き、所作の美しさに
見惚れていたのだ。

(・・・と、司馬遼太郎風の段落の取り方を
 してしまった。)

弦が切れた宏太郎、少しも慌てず、膝の上に三味線を
寝かし、するり、と弦を入れ替え、音は出せないので
ここが肝心なのだが、目は舞台を射たまま指の腹で弦の
張力を感じ、そしてチューニングをしたのである。

いやはや、センサーつきのオートチューニング器が
なければチューニングができないぼくには、まさに
神技だった。歌舞伎には、このような、伝統の技が
detailにまで詰まっている。お勧めする次第である。

 

2005年04月01日(金)
メールでは仕事にならなくなってきた

午前、雑誌取材、午後、書下ろし次作の打ち合わせ。
夜、執筆。

そんな中、「坂本あずさ」という人からメール。

タイトルは「メールが届きました」内容下記。
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最近あなたからのメールをよく受信するんですが、
どちら様ですか?
はじめは迷惑メールか何かかと思ってたんですが、
そんなにおかしな内容じゃなかったので
とりあえず返信して見ました。
私のアドレスに見覚えはございますでしょうか?
ご連絡頂ければ幸いです。
-----------------------------------------------

弊社社員にも下記メールが届いた。

-----------------------------------------------
***@palmtr.com さんへ

あなたが送ったメールの中に外部との送受信が
禁止された拡張子をもつファイルが
含まれていることを検出しました。
このためメールサーバは、そのメールを配送
しませんでした。

*** 検出したファイルの種類 ***

pif

******************************

この方針についてなにか質問がある場合は
メールシステム管理者に相談してください。


あなたが送ったメッセージは以下の宛名
書きになっています:

MAIL FROM: ***@palmtr.com
RCPT TO: foma@docomo-chugoku.co.jp

... そして以下のヘッダーが付いています:

---
以下、ヘッダらしき呪文。
-------------------------------------------

いずれもフィッシングである。この、なりふり構わぬ
ゼニカネ亡者の仕業は世も末だ。
未だにメールの90%はスパム。しかも英語なので、
英語で送られてくる「正規の」メールといちいち判別
しなければならないが、数百通にも達するものの中
から選ぶなんて、現実的には無理だ。

クライアント用の専用アドレスを作り、一切サイト他には
掲載しないようにしようか、と、真剣に検討を始めた。
いまでも、電話を使う回数がずっと増えている。海外と
しかビジネスをしない知人は、仕事上の連絡のすべてを
電話に切り替えたという。

メールでは仕事にならないビジネス環境が現実のもの
となりつつあるようだ。


 

Kei Sakamoto |株式会社JOYWOW