椰子の実日記【JOYWOW】
2005年03月31日(木)
昭和は希望の時代だった
ずっと待ち焦がれていたCDが出た。コカ・コーラのCMソング を集めたものだ。もちろん、エーちゃんも登場する。 (ちなみに机は栓のむく板で作った学問所のものである)
いつものCDショップで買う。そしていつものことだが、 おやじが、「ポイントカードは要らないんですか」と 聞く。要らない、と答える。
ポイントカードは店側からすれば、顧客にリピーターに なってほしくて発行するものである。 そしてぼくは既にリピーターである。 だから要らないのである。
いえいえ、カードでポイントが貯まれば1000円とか 安くなるんじゃないですか、という質問があるかも しれないが、それは店にとってプロモーション経費で あり、ロイヤルではない顧客に使ってもらえばいい。 ぼくは充分ロイヤルなので、ぼくに使う必要はない のである。好きな店には儲かって欲しい。儲かって 長持ちして欲しいのだ。
それにしても、このコカコーラCMソング企画、 昭和史を振り返るのに必須アイテムだ。最強の資料 である。わくわくするなあ。尼崎の文化住宅時代を 思い出すぜ。
目の前に大きな長い道が果てなく続くような 希望があった。そしてそれが昭和の良さだ。
2005年03月30日(水)
Hさん、今日は写真掲載しました!
朝の名古屋城天守閣である。現在、鯱(しゃちほこ)は 出張中で留守だが、堂々たる威風である。 現在滞在中のホテルの部屋の窓の真正面にでん、と坐る 天守閣。さすがの迫力だ。東向きなので逆光となり、 画像が暗くなっちゃっているが。
ところで、名古屋城って、だれが建てたのだろう。 知らないことに、気づいた。え? それって非常識? だれだっけ?
2005年03月29日(火)
あ。ごめん
日常生活では本当にぼんやりしていて、昨日コンビニに さる料金の支払に行き、カウンターでおにいさんに 支払書を渡し、おにいさんがスタンプを手に構えた ところで気づいた。
「あ。ごめん。財布忘れた」
おにいさんと二人大笑いでその場はおさまったが 後ろに人が並んでいなくて良かった。迷惑かけ ずに済んだ。
大雨の中、またとぼとぼと学問所に戻ったので あるが、あの夕方の外出は「ただ濡れに出ただけ」 の全く無意味な行動だったとほほ。
さて、今日はこれから出張。気をひきしめていこう。
2005年03月28日(月)
花粉症小考
花粉症が治ってしまった。ただし、完治というのは なくて、ただ大人しくなったというレベルだが。
ぼくは花粉症とのつきあいは長く、84年から2000年まで 16年。そしてNYに渡ったら治った。 生活習慣とか、食べるものとかが変わったからだろう。 そうそう、仕事も変わった。独立したら治ったのである。
人間の細胞も7年ですべて入れ替わるという。
花粉症というのは要するに、花粉だけが問題なのでは なく、鼻とのどの粘膜を刺激するparticle(微粒子) への敏感さが問題なのである。
だから、花粉以外にも、煙草の煙とか、ハウスダスト、 浜辺の砂、湿気(水の粒子)、猫の毛などにも反応する。 以上挙げたすべてにぼくは反応していた。 いまでも一部、反応する。
これは体質であって、だから、細胞を入れ替えない限り、 薬では治らない。市販されている花粉症の薬は、簡単に 言うと、粘膜をdryにする機能成分が入っているだけの ことである。だから鼻水は止まるが、同時に副作用も あって、喉や鼻の奥がカラッカラに乾いて苦しくなる。
ではどうするか。
・生活習慣を変える ・花粉症の季節は水をたくさん飲むようにして経絡の 通りを良くする ・「自分は花粉症である」と思わない
存在は、名前がつくと同時に存在を始める。 まず、「自分は花粉症が治った」と思うことを 試してみてはいかがでしょう。
2005年03月27日(日)
いかにも、のメールにご用心
日曜早朝から働いていると一通のメールが。
メールタイトルは「同窓会のお知らせ」 差出人は鈴木浩二という。当然、知らない人だ。
--------------------------------------------- 4月30日(土)に同窓会を開催いたします。 参加の可否を取りたいと思いますので、 下記のHPからお願い致します。
今回の同窓会は盛大に行いたいと思いますので、 できれば参加の方向でお願いします。
同窓会専用HP ---------------------------------------------
ぼくはメールソフトの設定をテキストのみにしている のだが、HTNL形式で開く設定の人は簡単にURLをクリック することになるのだろう。それにしてもここのところ、 受け取るメールの9割がこの手の詐欺だ。 こういうのも「コンテンツビジネス」というのだろうか。 この手のコンテンツビジネスで簡単ラクラク丸儲け という手法を指南している自称経営コンサルタントが 本をたくさん出していたが、最近やはり消えた。
休日早朝から、コツコツ働く。これが働くということ なのだ。
この日記をお読みの皆さんにも、きっと同様のメールが 届くと思いますが、決してクリックをしてはいけませんよ。 開封前に削除、それが一番です。
2005年03月26日(土)
It's so cooooooooooooool, J-POP MANGA!
KEN研で小林さんの研究発表を聞き、大いに勉強する。 テーマは「海外で人気のJ-POPカルチャー<漫画>の 現状」。 コミケと呼ばれるコミックマーケットはビッグサイトで 年二回開催されるが、3日間の開催で参加者3万組、来場者 40万人という。運営がすべてボランティアで実行されている 組織形態のありかたも参考になる。アメリカでは既にNPO で働く組織人が企業人の数を上回っている由だが、日本も ひょっとするとそうなりつつあるのかもしれない。
40万人の来場者ということは、一人1万円買うとして、 40億円である。しかもすべて現金だ。これは一つの立派な 市場であって、面白いのは、企業が創出した市場なので はなく、価値の提供者も受益者も共に「自分の自発的な 動機=本来の意味のvolunteer」だということだ。 そこに企業が「ビジネスチャンス」とばかりに乗り出すと 敏感にたちまち商業主義のにおいを感じ取り、市場の潮 は急速にひいてしまう由。
かつ、この市場は常に一定の顔をしているのではなく、 実は縮小し始めており、とはいえなくなりはしないのだが、 要するに、「コア」なゾーンは残しつつも、フローな部分は 変質し始めているという。詳しく論じる紙幅はここでは ないのだが、いずれ何かで論じることにしよう。
これをぼくは「浮き草マーケット」と名づけた。 『R25』の購読者数が減っているらしいのだが、とはいえ コアなゾーンはなくなりはせず、動いたのはいわゆる「浮き草」 の浮動票部分であり、あれも同様に浮き草マーケットなのだ なあ、とシンクロしたのだった。
刺激的、かつ、いくつか新しい着想を得た。
2005年03月25日(金)
黄昏に歌え
相も変らぬ旅の毎日だが、移動中本が読めるのが 嬉しい。
なかにし礼『黄昏に歌え』(朝日新聞社)読了。 文句なしの傑作だ。 ある時代を彩るものはヒット商品であったり 流行したファッションであったりするが、 やはりぼくにとって、時代を表すものは歌だ。 本書は作詞家としてのなかにし礼氏が自分の 半生を振り返りつつ、時代に色づけていった 歌たちを紹介してくれている。
満州から引き揚げる際、廣野をひた走るつらい列車の 中で、だれかが歌い始めた『人生の並木路』、一人、 また一人と唱して重ね、最後は合唱、みんな泣いていた。 こんなエピソードを読むと、では、現代で、世代を 超えて合唱されるような歌となると一体何なのだろう と思う。昨年洪水被害にあい、バスの屋根でがんばった 人たちも、曲名は忘れたが、何か一つの歌を歌って 心励ましていた。あれは彼らシルバー世代だからこそ 共通の歌があったのだ、という分析をだれかがしていて、 納得した覚えがある。渋谷の交差点で有事が起きたとき、 スクランブルに集う老若男女、一体何の歌でこころ 慰めるのだろう。まさかマツケンサンバではあるまい。
石原裕次郎、美空ひばりなどの正真正銘の大スターの エピソードも勉強になるが、何より、ぼくの好きな 昭和歌謡の歌詞の殆どをなかにしさんが作詞している ことに驚いた。
創作の秘密、そして翻訳の技、という点でも前頭葉が ちりちりする思いがするほど、刺激的だった。
2005年03月24日(木)
ジャンカラ
三年ぶりくらいで法善寺横町に行く。 食事を済ませて店を出ると、目の前に通称「ジャンカラ」 ジャンボカラオケ広場があった。
「東京でもあるんすかあ?」と聞かれたが、覚えがない。 何しろ、価格が破壊的である。さすが大阪、と思う。 飲み放題、歌い放題でこの価格だ。 こういう元気印を見ると、「おお。大阪はええなあ。 がんばってるなあ」と思って、嬉しくなる。
一泊して明日は東京へとんぼ帰り。忙しさに花粉症が どこかへ飛んでいってしまった。
2005年03月23日(水)
嬉しいサプライズ!
学問所で仕事を終え、駅改札に着いたところで傘を たたんでいたら、ポン、と肩を叩かれた。振り返ると そこに旭化成同期の遠藤君が笑って立っている。 彼の自宅がこの近所だということは知っていたが、 実は独立後顔を合わせるのは初めてである。
駅前の喫茶店に入り、話し始めたが、お互い、見た目は どこから切っても中年のおっさんなんだけど、中身は いきなり20代前半の新人時代に戻っている。
つい先週、雑誌『プレジデント』4.4号で同じく同期の 川口君がネオマフォーム営業部隊リーダーとして記事に なっているのを読んだところだ。そして、同期のみんな と会いたいなあ、と思っていたので、びっくり した。嬉しかった。本当に嬉しかった。
遠藤君とは、1981年4月、建材に配属されたときから最初 の赴任先大阪ヘーベルまですべて同じである。ずっと 一緒だった。彼が関西学院アメリカンフットボール部 出身ということもあり、甲子園ボウルでも声を嗄らした 仲間だ。また、彼はトラッドの先生だった。 テイジン・メンズ・ショップでどんなネクタイがいいかと か、おしゃれはベルトや靴でするもんだ、とか、 一杯教えてもらった。尼崎の貧乏学生出身のぼくに とって、新入社員の最初の三年間は私学の大学の キャンパスだった。
独立した直後は気持に余裕がなく、とにかく奮闘の 毎日で、同期のみんなと会ったとしても、一体どんな 顔をすればいいのか、自分の立ち位置がわからなかった のが正直な気持。だから、これまでマトモに誰とも 会ってない。
これはニューヨークにいたから、とか、 いうものとは全く次元の違う話なのである。 うまく言語化できないのだけれど。
でも、いまなら、会える。会いたい。 気持が直球になっている。
遠藤君と携帯番号の交換をし、これからは 頻繁に連絡を取り合おうと約束した。
学問所隣のテニスコート、彼は休日、しょっちゅう 行っている由。うーむ。わからないものだなあ。
嬉しいサプライズだった!
2005年03月22日(火)
凸凹猛獣狩
電線ネット(PLC)の研究をしている中で、どうしても 外せない研究対象が廉価版DVDだった。そこでキオスクにて 一つ、買ってみた。アボットとコステロの凸凹コンビの 古典『凸凹猛獣狩』(1949年作品)。380円。 中を開くとよく入っている解説書などは、ない。 しかし、解説書の中に書かれている作品紹介や キャスト・スタッフについての説明はDVD本体の 中に入っているので充分である。 画質も、ばっちりだ。
その上、内容も抜群に面白い。
これはもうけものだ。 昔のアメリカ映画のもつ、品のいいギャグが 満載されていて、嬉しい。 フランキー堺、クレイジー・キャッツ、ドリフたちが 模範にしたであろうギャグがあちこちに散りばめられ ており、昔のアメリカ映画なのに、昭和の日本のギャグ を振り返ることができた。『シャボン玉ホリデー』の ノリなのである。
とってもハッピーな気持ちになった。 さて、次は何を観ようか。
2005年03月21日(月)
禅は、いつでも自然とともにあった
庭の桜が満開である。時期として早いのか、遅いのか、 わからない。最近のご時世は理解を超えているからだ。
野々村馨『食う寝る坐る永平寺修行記』読了。 昨秋以来永平寺に凝っていて、ずっと丁寧に読みついで きた本だ。著者はぼくの一つ年下。デザイン事務所に 勤務するが、30歳の時、突然出家し、永平寺の門を叩く。 壮絶な修行が始まる。
廻廊を 登るにつれて 紅葉濃し 虚子
紅葉の季節に訪れた体験から、この句の意味がとても よくわかる。雪の永平寺が最も美しいとは、地元の方の 意見だが、とうとう今年は行けずじまいだった。
2005年03月20日(日)
見た目で決まる
84年から2000年まで花粉症だったのだが、ニューヨークに 渡り、生活習慣が変わった途端、治ってしまった。 ところが、先週金曜、多くの花粉症の皆さんも頷いて くださるように、とんでもない量の花粉が関東圏を飛び散り、 悪いことにぼくは朝から都内にいて、花粉の洗礼を浴びた。 かつ、先月から続いているツアーの積もりつもった疲れと、 音訳失敗の痛手で気持に弱いところが出てしまっていたの だろう。そこを花粉にやられた。
もう、悲惨である。
金曜の夜は人間じゃなかった。何をする力も失せ、 ただただ鼻水と涙と咳き込みに襲われていた。
昨日ついに医者に駆け込んだ。土曜日午後は松島菜々子宅 の近所にあるその医院しかやっていなかったので消去法で 選んだのだが、失敗した。
出てきたドクターは初老なのだが、髪の一部をブルーに 染めているのである。ハリー・ベックウィスの法則(*)で、 ドクターが何によって「腕がいい」と判断されるかというと、 「パッケージ」、見た目によってなのである。 いくらマリン方面で医院内を飾り立てることが湘南地区の 医者の流行だからといって、ブルーの髪はないでしょう。 (*インビジブル・マーケティング、p.183-184)
案の定、彼の診察品質は満足できるものではなかった。 いや。 本当は必要十分だったのかもしれないが、しかし、 人は人を見た目で判断するのである。第一印象こそが、 大事なのだ。
2005年03月19日(土)
陶芸にひたる春の午後
うつわ一客東京店(→クリック!)へ。
連休初日の表参道を歩く。人は多くない。午前中だからか。 一客は創業30年たち、現在オーナーは若手作家のためのドアを開く 仕事に注力されている。これもCSRの一つの姿だと思う。 そんな若手作家の一人、千田玲子氏の個展がちょうど今日から 開かれるタイミングだった。千田氏の作品は思い切りがあって いい。たちまちある作品に惹かれ、その場で買ってしまった。
ランチは近所の赤芳亭にて一客オーナーに千田氏共々ご馳走になる。 この店は住宅街の中にあり、まず、一見さんではわからない 場所だ。ご主人は大阪のさる料亭で長年腕を磨いてこられた 由で、出る品いずれも目に美しく、舌にやさしい、絶品 だった。
たまには違う世界で一本どっこでがんばっている人の 話を聞くのもとても刺激的だった。陶芸の世界も、 面白い。千田氏、多くの陶芸作家が西に行くのに反し、 仙台に行くという。面白いなあ。
2005年03月18日(金)
音訳に初挑戦したものの・・・
張り切って大森西図書館へ行き、『リーダーこれだけ 心得帖』を録音し始めた。この仕事、音訳、という。 音訳は専門的なスキルであって、レベルに応じたレッスン も積み重ねなければならないらしい。知らなんだ。
いざ録音を始めて、さまざまな決まりの中で音訳する ことの難しさにぶつかった。 充分下読みを重ねて準備して臨んだ。 中身は自分で書き、何度もセミナーで話していること なので、腹に入っている。ところが、難しいのである。
たとえば、「0」は「ゼロ」ではなく「レイ」と読む。 〒のハイフンは「の」と読み替えるが、電話番号や 住所内のハイフンは無視してベタ読みする。 「7」を「シチ」とするか「ナナ」とするか。 一旦決めたら「27」の時にもそれに統一しなければ ならない。これは「私」を「ワタクシ」とするのか 「ワタシ」にするのか、も同様である。一度決めたら、 最後まで通さなければならない。
また、『リーダーこれだけ心得帖』にはイラストと 4コママンガがある。これも簡潔に解説し、耳で理解 してもらえるようにしなければならない。
ふうふう言って1/5まで録音した。
終って、館長さんや担当のかたと話しながら、
「自分は正しいことをしていないのではないか」
という思いがつのってきた。
「自分がやりたい」ことと、「リスナーが満足する 品質を提供できる」こととは、別なのだ。
一晩、熟考したのち、自分は間違っているという結論に 達した。
図書館に電話し、理由を述べ、平謝りして、著者による 今回の音訳を白紙に戻していただく依頼をした。 先方も理解して了解くださったのだが、いやはや、大変な ご迷惑をおかけしたと忸怩たる思いだ。
関係の皆さんには本当に申し訳なく思っています。
今年の大失敗の一つだ。
2005年03月17日(木)
Little Golden Books
Little Golden Books(→クリック!)
を大量に「大人買い」した。某書店書棚にあるものを全部、 レジに持っていったのである。 ぼくはLittle Golden Booksで英語を学んだ。 翻訳力も、この本でつけた。
例えば、「スーザンはランチでミルクを飲んでいる」 を英語でどう言うか。
Susan is drinking milk with her lunch.
「においを嗅ぐとき、鼻をつかう」
は
You use your nose for smelling.
上記の「with」や「for」という前置詞は ネイティブでなければ、なかなか出てこない。 また、「her」を「lunch」につけていいものか どうか、迷うはずだ。
どんな言語にせよ、言葉を学ぶのに最適なのは、 古典と子供向けの絵本だ。
91年頃まではアメリカでもスーパーなどに普通に 置いていたのだが、ここのところ見なくなっていた。 ニューヨークでも見つけることができなかった。 てっきり版元がなくなってしまったのかと案じて いたのだが、ランダムハウスに吸収されて生き 残ったようだ。ホッとした。
ゴールデンブックスを使った英語塾というものを構想中 なのである。実現するのは数年後だと思うけれど、 考えるだけで楽しい。
さて、今日は午後、わが著作『リーダーこれだけ心得帖』 のレコーディングである。わくわく。
2005年03月16日(水)
『ビジネスを育てる』予約開始!
新作翻訳『ビジネスを育てる』(→クリック!)
の予約がアマゾンで始まりました。これまで翻訳した中で、 一番好きな原書です。一人でも多くのビジネスパースンに 読んでもらいたいと願っています。応援、よろしく お願いします。
今日はこれから丸の内。行ってきまーす。
2005年03月15日(火)
轟轟と
学問所でクライアントのインハウスセミナー。 女性女性女性・・・ばかりがぎっしり集まると、 学問所が違う雰囲気になるので戸惑った。 カメ君も無口であった(いつものことだが)。
夜、海岸はものすごい風。
写真の通り、椰子の木が轟轟(ごうごう)と揺さぶられ ていた。寒い!
2005年03月14日(月)
若い人を組織がスポイルする
ということで、海に行こうと玄関を出たら寒くてメゲた。 家の前に若者がたむろしている。
拙宅の隣にあるボロボロの家がさる大学のヨット部 の合宿所になっているのだが、 いよいよヨットのシーズンらしく、部員たちがビーチに 行く前の準備をしているのだった。 彼らはきちんとしつけられていて、挨拶をはっきり 言うので気持いい。笑顔も素敵だ。 彼らを見ていると、「今時の若者」も捨てたものではない と思う。
そうだ。企業でも、若い人たちはいいのである。 彼らをspoil(ダメに)するのは幹部連中なのだ。 どこの企業でも、組織が人をよってたかって悪く しているような気がする。
お話変わって。 今日から『リーダーこれだけ心得帖』 のケータイ立ち読みサイトがオープンしました。 楽天ブックスです。下記URLを携帯に飛ばして、 読んでみてください。 日程は、3/14-18で毎日更新。全5回です。
立ち読みページのモバイルサイト http://rbooks.jp/c/r.jsp?ct=ctm&vol=281
2005年03月13日(日)
久々の休み
セミナーツアーが続き、睡眠時間が充分とれなかったので、 頭蓋骨の中に豆腐がたっぷんたっぷんしているような感覚が 続いていた。要するに、睡眠不足である。 今日は久々に仕事をしない、と決めたので、ゆっくり寝た。 起きてもパソコンにスイッチを入れず、ギターの弦の張替え をし、チューニングを重ね、そのままずっと弾いていた。
春の海を見に行こうかとも思ったが、寒くてメゲた。 明日は、久しぶりに海に行ってみよう。そうだ、海で ギターを弾こう。
2005年03月12日(土)
ビジネスをスタートする
学問所1-DAYセミナー3月度『ビジネスをスタートする』 開催。気合充分で臨んだ。テキストも、本を書下ろしする つもりで、現在のぼくの全部をぶつける気迫をこめた。 今日も定員一杯の皆さんが集まってくれて、熱かった。 金沢からの参加も。
話しながら、独立同時のわけのわからなかった奮闘時代、 なかなか離陸せず壁にぶつかって苦悶した時代、 そして、自分のことが好きになれなかった副業時代を 思い出した。
いまの物質主義一色の日本を変えることができるのは アートか、スロー・ビジネスしかないと思っている。 人間を軸にした、QOLを高めるビジネス。
今日の話がそんなビジネスをスタートするための一助になれば、 こんな嬉しいことはない。
セミナーツアーもようやく後半。明日明後日と休みが取れる。 気絶するように、ベッドに倒れこんだ。
2005年03月11日(金)
中学時代の曲が蘇った
わが家のスタジオにある愛器マナの勇姿である。光の加減で 右肩が白くなっているけど。 左下にある紙はコード譜。 今朝は中学時代に作詞作曲した曲にコードをつける作業を した。キィはEmで、サビの部分に大好きなG7が使われている ことを発見。作曲した当時既にギターの右手の音が聞こえて いた(当時ぼくはギターは弾けなかった。弾けるようになった のは2005年1月からである)。 そしてその音はいまだに明確にアタマの中にあるので、 その通りに演奏すればよいのだが、かなり変則で、難しい。 苦戦すること15分、コード譜完成。右手の奏法に手間取ったが、 およそ1時間後、完成した。32年の時をへだてて蘇ったわが曲。 感慨無量である。紅白には、これで出場することに決めた。
2005年03月10日(木)
やはり楽天はすごい
楽天グループの現在の社員数は約1,300人という。 昨日、中部マーケティング会議の会場を埋め尽くした 人・人・人と同数なのである。
それらの人々に向って、現在でも毎週月曜日 朝8時から朝礼を実行し、三木谷社長直々に肉声で語り かける。9時30分始まりにもかかわらず、である。
楽天のすごいところは、このような体育会系の仕事ぶり に加え、極めて戦略的に思考し、プランニングをしている ことだ。引き算、徹底力、Big Talker、など様々なキー ワードを聞いたが、ここで紹介できないのが残念だ。
三木谷さん、プロ野球騒動のとき、現在テレビ局株 関係で話題の金融操作会社の男と同列に論じられ、 さぞかし不本意だったろうなあ、と思う。
2005年03月09日(水)
ツアーは続くよどこまでも
中部マーケティング会議でパネルディスカッションの 司会進行をした。今年で三回目である。来年もやることが はや、決まっている。
パネラーは焼肉さかいの坂井氏、福助の藤巻氏、楽天の小林氏。 マレーシアから参加の佐々木氏とお目にかかり、感激する。
ぐったり疲れ、帰りの新幹線では座席に沈むようにして 寝た。
いろいろ発見あるも、今日は元気なし。また後日。 明日は都内。コンサルティング仕事である。
2005年03月08日(火)
おじさん、運動量多し
札幌に行くので羽田第二ターミナル 搭乗ゲートで待っていたら修学旅行生が 直(じか)座りをしていた。 3月の今頃に修学旅行とはどういうことなのか、 興味を持ったので、添乗員さんに聞いた。
「行き? 帰り?」 「これからです」 「そうなんだ、スキーとかするの?」 「はい」 「ここ(と、地面を指して)の生徒?」(関東の生徒?) 「いえ。沖縄です」 「へ?」 「乗り継ぎなんです。今朝出て」 「おやおや。那覇?」 「いえ、もっと南、知念高校です」
へえーーーーーーーーー。いいねえ。 沖縄の生徒にスキーを売る。 やるねえ。 今日から6日間、日程の半分がスキー、半分が観光という。
楽しんできてね、と声をかけて、おじさんは札幌に行き、 トンボ返りして現在はセントレア経由名古屋にいます。 今日の行程を復習すると;
神奈川県→羽田→新千歳空港→札幌市内ホテル→講演→ 懇親会にちょっと顔出し→新千歳空港→名古屋空港(セントレア) →名鉄→名古屋市内ホテル
これが朝9時から午前0時までの運動。そして明日は朝から会議、 午後は1,300名を前にパネルディスカッションの歯科医もとい、 司会だい。
運動量、多し。現在9日午前1:33。さすがにへろへろ。
2005年03月07日(月)
あっぷーがる
あっぷーがる(→クリック!)
に行く。いい天気なので、海が美しい。 今日のようないい天気の日は、せっかく近くに住んでいる のだからやはり海に行かねば。
美しい海のビューと、おいしいカレーの午後、わしは満足 である。QOL、上がったです。
それにしても、この店名、意味なんなのだろう。
2005年03月06日(日)
今日はギター練習
コンサルティングの健康ランド、Palmtree Inc.は今日も 年中無休で元気に営業中だが、世間様がお休みの時ほど 仕事がはかどる。メールが少ないからである。 よって、土日は研究、執筆に充てるようにしている。 取材、調査、クライアント訪問はウィークデイだ。 とは言っても、ぼくも人の子、やはりちょっと休みたいので、 今日の午後はギターの練習に励んだ。 まだ歌とギターが合わない。Surfin'10周年記念イベントで 阪本塾の軽音楽部がデビューすることになったし、その前に、 この5月、大切な行事がある。フィードバック思考をすれば 既にあと残り57日しかない。ひょえーー。
午後、確定申告用書類が顧問の公認会計士事務所からどさ、 と届く。ひょえーーー。
2005年03月05日(土)
CPT-R
阪本塾卒業生のコミュニティにClubPalmtreeがある。
塾もおかげさまで2001年秋(まだぼくがニューヨークに いる頃だ)から続き、e阪本塾、スクーリング、1DAYセミナー などを含めると、もう、数え切れないほどのかたが門を くぐってくださった。感謝。
ClubPalmtreeはその中でも、ワークショップ形式の 塾卒業生で形成されている。
これまでは電子会議室上で集まるのがメインだった のだが、今年からはリアルなミーティングをしたいと 思っていた。本来ならば昨年、学問所開設した時から 実施したかったのだけれど、初年度というものは 時間的にも、また、気持の上でも余裕がなくて、実行 できなかった。
今年からようやくスタートできた。 名づけてClubPalmtree-Real(略称CPT-R)。 今日5日が第一回目ということで、7人が集まり、 あるテーマに沿って議論した。
終ったあとはみんなで食事。楽しかった。新しい試みは、 いつもいいものだ。今後毎月、実施する。
川越満さんもいて、自著ベストセラー『病院のしくみ』 を学問所用に寄贈してくださった。ありがとうございます!
2005年03月04日(金)
aviation&writing mix
羽田第二ターミナルを観察した。
一番の目的は書斎館の空港店に行きたかったのだ。 さすが、空港内の店らしく、表参道の店とは テイストを変えている。aviationとwritingを テーマ・ミックスした店作りだった。いい感じ。
書斎館に限らず、羽田第二ターミナルは、「技あり」 の店がしっかり自分のカラーを出していて、楽しい。
これまでの羽田空港が「終っていた」だけに、感動 してしまった。観光マーケティングは基本的には 「ダサダサ」「一周遅れ」を基本OSにしている (土産物屋で『困った娘です』と文字の入ったTシャツを 売る、とかね。ノリがナメ猫時代なんだよね)だけに、 羽田第二ターミナルは必見の価値あり。先進しているよ。
話は変わるが
だんだん出張に飽きてきた(笑)。
ところで;
今日から
日経CSRサイト(→クリック!)
で連載が開始しました。ご贔屓に!
2005年03月03日(木)
ファスト風土
福岡空港からバスに乗ってダイヤモンドシティに行く。 20分かかる。 大型の商業施設の持つ意味とは一体何か、を考えながら 視察した。 価値経済においては言うまでもなく規模の大は生活者・ 顧客の磁石にはならない。磁力を持つのは「独自性」 である。この日記をお読みの中に、ダイヤモンドシティ 関係のかたがおられるかもしれないので悪口は書きたく ないのだが、
何のため
という、事業の定義をしっかりしたのだろうか、 と思う。
何のために、市内から車で40分はかかる立地条件を 選び、 何のために、ここに入っているテナントの選定を したのだろう。
ぼくが目隠しされて、「ここは広島です」「ここは仙台です」 と言われてもわからない個性のないモールだった。 ファスト風土化する日本((c)三浦展)を目のあたりにした。 2004年6月にオープンしたばかりらしいが、さて。
2005年03月02日(水)
全員がご高齢
銭湯ではないほうのセントレアから博多に向った。 セントレアは機能美があって、いい。美しい。 非常にわかりやすい。
搭乗の際
「小さなお子様をお連れのお客様か、ご高齢の お客様を優先搭乗させていただきます」
とアナウンスがあるのはいつもどおりだが、 今回は待合ゾーンにいた9割がぞろぞろと 並んだのでびっくりした。即ち、ほぼ全員が 「ご高齢者」なのである(笑)。
あわてた係員が、 「客席番号の16から後ろのお客様を優先させて いただきます」
飛行機は「ご高齢者」で満席であった。 そろそろ「ご高齢者優先」はやめにしてほしい。 石を投げれば「ご高齢者」に当たる老人日本なのだ。
わしのようにバリバリ働き、現役で疲れている おとーさんを優先してくれないかなあ。 「高齢者割引」とか「優先」とかいうけど、あっちの ほうがお金と時間をたくさん持っているのである。
「現役優先」を節に望みたい。
夜、疲れきってホテル館内で唯一営業していた イタリアンレストランに入る。SMAPのナカイ君に 似たフロアチーフが「オーダー!」と叫んだので 驚いた。
2005年03月01日(火)
もしも英語が話せたら
英会話学校の電車広告で「もしも英語ができたら」 という設定でたくさんの夢が並んでいる。
・カリフォルニアで短パンで夕方には終る仕事をする ・アメリカ人と結婚してカリフォルニアで子育てをする ・自分の会社のNY支店を設立! ・外資系でバリバリ働く ・ニュージーランドに移住する ・常夏の島でゆっくりリタイア ・M&Aで大成功し、30歳でリタイア(戦略コンサルタント) ・自分で原材料を輸入してアロマテラピーをする ・研究費がたくさん使える外資系に転職する(製薬メーカー勤務)
記憶で書いているので細かいニュアンスは違うかもしれない が、あまりに小さい「夢」で、情けなくなった。
そもそもこれって、「夢」か?
かつ、英語が話せなくても「やる気になればできる」こと ばかりである。
いくら商売といえど、これは少々あざといのではないのか。
中で、一番ホッ、としたのは「新婚旅行で妻にいいところ 見せたい」だった。これなら、まあ、「あり」かもしれない。
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