SS‐DIARY

2018年09月17日(月) (SS)老を敬う

「だからさあ、おれは絶対こっちの方がいいと思うのに、塔矢のやつ譲らないんだよな」


ぱちりと盤上に石を置きながらヒカルが言う。


「確かにここに置くと左隅が手薄になるけど、中央の白に睨みを利かせられるじゃん」


並べられた白と黒の石。互いの地は拮抗している。


「もし攻められたとしても絶対後でひっくり返せる。そう思うから打ったのに、あいついきなり『バカ』呼ばわりなんだよ、酷いと思わねぇ?」


問いかける相手からの返事は無い。

ヒカルはふうとため息をつくと肩を持ち上げて苦笑した。


「なんだよ、桑原のじーちゃんも塔矢と同じ意見なのかよ」


九月半ばの祝日、静かな和室に石の音が心地よく響く。




「すみません、せっかくのお休みにお邪魔しまして」


客間で出された茶を前にアキラが頭を下げる。

お茶菓子もどうぞと差し出した桑原の妻は、皺の寄った顔に柔和な笑みを浮かべた。


「とんでも無い。来て下さってありがとう。うちの人もきっと喜んでますよ」


目線の先には襖一つ置いた和室がある。

広い中庭に面したその部屋ではヒカルが碁盤を前に口先を尖らせていて、アキラは笑いながら声をかけた。


「キミね、悔しいからって先生に愚痴をこぼさないように」

「うるせぇ、絶対おれの考えた手の方がいいんだよ!」

「…まったく意地っ張りだなあ」


夏の名残の日差しが差し込む室内。碁盤の向こうには漆塗りの立派な仏壇があった。



妖怪と呼ばれながら長く囲碁界に鎮座していた桑原元本因坊が風邪をこじらせて永き眠りについてから三年、アキラはヒカルと共に何回もこの家を訪ねている。

大体は命日か月命日。

でも今日はそのどちらでも無く、敬老の日だった。

『老を敬うっていうんならやっぱり桑原のじーちゃんの所に行かなくちゃだろ』とわかるようなわからないような理屈をこねてヒカルが言ったのは一昨日のこと。

前日で無いだけまだマシだと思いながらアキラは夫人に訪問の連絡を入れたのだった。



「今年、命日に来られなかったのが引っかかっていたみたいでどうしてもと」

「当たり前ですよ。あなた方その日、本因坊戦の決勝だったでしょう」

「今年はまんまと進藤に持って行かれてしまいました。その報告もしたかったんでしょう」


アキラの言葉に悔しさは微塵も無い。負けたと解ったその瞬間は切れる程強く唇を噛んでしまったけれど、過ぎてしまえば内容の充実の方が勝っていた。


「まあ来年はまた取り返しますけど」

「あらあら勇ましい。さすがうちの人のお気に入りね」

「そんなことは…」

「いいえ、本当。あなた方と緒方さんのこと、うちの人はとても気に入っていたから」

「そういえば緒方さんは」

「先月いらっしゃいましたよ」

「そうですか」

「ちょうど今の進藤さんと同じように、碁盤を挟んで何やら文句を言っていましたよ」

「…そうですか」



アキラの兄弟子は桑原元本因坊と犬猿の仲だった。

顔を突き合せれば憎まれ口をきき、蹴落としてやると吠えていた。

それでもその実、誰よりも緒方は桑原元本因坊を尊敬していたし、葬儀の際には肩を落とし静かに落涙していた。



「先生がいらっしゃらなくなって緒方さん張り合いが無いみたいです」

「だったらあなた達がもっと頑張らなくちゃ」


たしなめられるように言われてアキラは頭を下げた。


「ご尤もです。精進します」



子供の頃、手の届かない高みに居るように見えた棋士たちは今でもやはりずっと高い場所に居る。

けれど少しは近づけているのではないかとアキラはヒカルを見つめながら自問した。


(今は無理でもいつか)


いつか必ず追いついて追い越す。


(先生は天国に行ってしまわれたけれど)


ヒカルと共にあちらに行った時、認めて貰えたならばとても嬉しい。


『まだまだじゃ、ひよっこどもめが!』


老人の声が耳元でしたような気がしてアキラはそっと笑った。



「進藤、そろそろ代わってくれ。ぼくも桑原先生のご意見が聞きたい」

「やだよ、まだおれ打ってる途中だし、だったらおまえもこっちに来て一緒に話せばいいだろう」


ぶっきらぼうに言うヒカルに怒鳴り返そうと開きかけた口をアキラは閉じて、夫人に会釈した。


「わかったよ、行く。それでキミのザルのようなやり方を報告させて貰う」

「なんだと!」


立ち上がり向かっていくアキラの背に夫人が笑いながら声をかけた。


「しっかりね」

「はい」


歯切れよく答えた声が和室に響く。

少しだけ賑やかになった敬老の日が緩やかに続いて行った。



2018年09月01日(土) (SS)特別な日


夏休みが終わっちゃったとか、また当分だるい学校が続くとか、防災訓練とか集団下校とか、九月一日には特に良い印象は何も無い。

それが特別に変わったのはいつからだったか。



ぺらりと八月のカレンダーをめくり、そのまま破り捨てる。
そしてしみじみと嬉しそうに塔矢が言うのだ。

「キミの生まれた月だね」



ただそれだけのことだけれど、毎年繰り返されるそれがおれにとってはたまらなく嬉しい。


九月一日、世の中の人のほとんどにとってはたぶんなんでも無いただの日だけれど、おれにとっては塔矢の愛情を感じるとてつもなく幸せな日です。




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