七夕だったと気づいたのは2日も過ぎた後だった。
そういえば今年は何にもしていないなと、毎年必ずきっちりと七夕飾りをしていたわけでも無いのにふと思い、カレンダーを見たら9日になってしまっていたのだ。
(でも、塔矢も忘れてたみたいだし)
だんだんこうして日々のことを流して行かざるを得なくなってしまうのかなと少しだけ淋しい気持ちになった。
共に暮らし始めた最初の頃は、まだヒカルもアキラも若造だった。
下っ端は下っ端でやらされることが沢山あったが、段位が上がり上位に属するようになってからは下働きが減ったのに反比例して指導碁や取材、講演会などが急増した。
『おれ、話下手だしなんか役に立つこと話せるとも思わないのにどうして依頼してくるかなあ』
真実、人の前で話すことが苦手なヒカルはそうアキラにこぼしたことがある。
『そういうキミだからこそ依頼があるんじゃないのか? えらそうな講釈をたれられるよりずっと解りやすいし親しみがあるし』
『なんかおまえ、持ち上げてるようで軽くディスって無い?』
『まさか、本当のことを言っているだけだ』
そういうアキラは年齢以上に落ち着いていて、一度こっそりと聞いてみた講演会は悔しいながらなるほどと何度も頷かされることになった。
指導碁にしてもアキラは的確で非常に上手い。
なのでヒカル以上にアキラも対局以外の仕事が多くなっていて、だから七夕について何も言ってこなかったのだろう。
(そもそもやりたがってたのっておれの方だもんな)
時に花屋で大きな笹を担いで帰ってきたり、短冊飾り作りを強要するヒカルをアキラはいつも苦笑して見守る方だった。もちろんちゃんと付き合ってくれてはいたのだが。
「来年はちゃんとやろうかな」
久しぶりに笹も買って来てと思った所でふと思い出したことがあった。
(一昨日、なんか珍しい果物食べなかったっけ?)
南国特有の沢山の角があるその果物は、少々酸味の方が強く、甘みはあっさりとしたものだったのでヒカルはあまり気に入らなかった。
『どうせ買ってくるならマンゴーとか、マンゴスチンとか、もっと甘いヤツにしろよ』
宛がわれた分を平らげて、不満げに言ったらアキラは少しだけ眉を持ち上げて可笑しそうに言ったのだった。
『キミはまったく情緒が無いな』
『果物に情緒もくそもへったくれも無いだろ、高いってならバナナでもいいよ』
『だから、そういう所が情緒が無いって言うんだ』
そして少しばかり口げんかっぽくなってしまったのだけれど、あの果物は切り口が綺麗な星形だった。
『だから、スターフルーツって言うんだよ』
『ふうん』
まるっきり聞き流してしまっていたが、あれはアキラなりの七夕だったのではないだろうか。
(なんだよ、だったらはっきり言えばいいじゃんか)
いつもやりたがりの自分がすっかり七夕を忘れていることに、やはりアキラもほんのりと寂しさを覚えていたのではないだろうか。
覚えているかな?
それともすっかり忘れてしまったか。
星形の切り口は、アキラの遠回しなヒカルへの問いかけだったのだ。
そんなにもキミは、いや、ぼく達は忙しくなってしまったんだねと、言葉を飲み込んだアキラの気持ちが伝わってくるような気持ちがした。
「あーっ、どうせおれは情緒が無いよ」
恋人の心の機微にも疎いですよと悔しさまじりに呟いて、それからふっとため息をついた。
(過ぎちゃったもんはしょうが無いけど、でもまだ出来ることだってあるんだぜ)
少なくともこれに懲りて、二人で紡いで来た日々だけは疎かにしないようにしようとヒカルは心の中で強く思った。
これからの長い年月をヒカルはアキラと二人でずっと生きて行きたいと思っているのだから。
そして翌日、ヒカルが両手で抱えきれない程のスターフルーツを買って帰ると、アキラは少し驚いた顔をして、それから「キミにしては気が利くじゃないか」と嬉しそうに明るく笑ったのだった。
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大遅刻七夕、私の方が情緒もへったくれも無いですね。反省
「キミ、最近おかしくないか?」
長考中、ふと顔を上げたらかぷりと顎を噛まれて顔を顰める。
「何が? 別にいつもとなんも変わんねーけど」
そう言いつつ、今度は滑らせるようにして耳たぶを噛んだ。
どちらも本気噛みで無く、甘噛みに近いものだけれど、それでも噛まれれば相応に痛い。
「だったら何で噛む。この頃キミ、気がつくとぼくに噛みつくじゃないか」
「だって、なんか美味そうなんだもん」
かぷかぷと、噛みながら話されてさすがに苛々して突き放した。
「いい加減にしろ、こんなことされてたら集中出来無い。真面目に打つ気が無いならもう止めるけど」
「えーっ、今すげえいい所じゃん。おれが追い詰めて、お前が四苦八苦してる。なかなか無い美味しい展開なんだからちゃんと次の手考えて打てよ」
「誰がぼくを追い詰めているって?」
ぱちりと右隅に石を置いたら、進藤はあーと悲鳴のように声をあげた。
「なんだよう、なんでそこに打つんだよう」
「そりゃ打つよ。いつまでもキミに調子に乗っていられては不愉快だからね」
もし気分の上昇に伴ってぼくを噛みたい気持ちになるのだとしたらそれも不快だ。
「あー、もー台無し。でもまたすぐにひーひー言わせてやるから」
「ああそうかい。ぜひ言わせて貰いたいね」
売り言葉と買い言葉の応酬をしながら悔しそうな進藤の顔を胸の空くような気持ちで眺める。
と、口先を尖らせていた進藤が急にぐっとぼくの方に身を寄せて、いきなりがぶりと項を噛んだ。
「痛っ」
一応甘噛みの範疇にあるものだったのかもしれないけれど、今度ははっきり痛かった。
「進藤っ!」
噛まれた場所を押さえながら睨み付けると、進藤は何故か非道くびっくりした顔をしている。
「…進藤?」
「あ、…うん」
しばし惚けたような表情をした後、はっと正気に返ったようになり進藤は赤くなった。
「どうした? キミ、本気で変だぞ」
「や、…なんていうか」
何故か言いにくそうに口を濁している。
「なんだ?」
「この頃おれ、おまえのことよく噛むじゃん?」
「うん。だからそう言っているだろう。野良犬じゃないんだからそう人をがぶがぶと―」
言いかけたぼくの言葉に被せるように進藤が言う。
「あんま自覚無かったんだけど、今なんか唐突に解った」
「…何が?」
理由は分からないけれど、口ごもる進藤を見ていたら噛まれた項が鈍く痛んだ。
「ん、なんていうか俺」
おまえとセックスしたいみたいと一気に言われて動けなくなった。
「は?」
「だから―」
「いや、いい。言い直さなくていい」
じわりと体の奥底から何かがゆっくり滲み出して来る。
熱く、肌を火照らせ焦れったくさせるそれは。
「えっと、あの、塔矢?」
ぼくが黙ってしまったので進藤が居心地悪そうにもじもじと身動きする。
「何か言えよ。言ってくれって、ほら」
「あ…ええと」
その瞬間、彼の肩に目が行った。
子どもの頃とは大違いの、広く逞しく育った肩。
あれに歯を立てたらどんなに気持ちがいいだろうかとぼくはぼんやりと考えていた。
「塔矢ってば! 怒ったのかよ? それとも呆れたのかよ」
「どちらでも無い、ぼくは」
ただキミを噛んでみたくなったと呟くように言ったら、進藤は更に驚いた顔になって、けれどすぐに嬉しそうに「いいよ」と言った。
「顔でも首でも肩でもどこでも、おまえの噛みたい所好きなだけ噛んで」
あ、でもアソコは噛み千切らないで欲しいなと、そこだけ妙に真面目に言ってくるので、ぼくは思わず彼を殴り、それから改めてお言葉に甘え、ゆっくりと彼の肩に噛みついたのだった。
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下ネタにならずにはいられないのかいというヒカル。
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