| 2017年02月26日(日) |
(SS)一人上手の天才 |
一週間ぶりに家に帰って来たら進藤は居なかった。
入れ違いで出掛けることは知っていたので、特に何も思うこと無く荷物を置いて部屋の中を見回す。
「まあまあ片付いているな」
一緒に暮らし始めた最初の頃は中々家事まで手が回らず、全て放った状態で出て行って、それでぼくと喧嘩になることが多かった進藤も今ではきちんと最低限のことをしてから出掛けるようになっていた。
(洗濯物は良し、キッチンも片付いているし、床にほこりも溜まっていない)
帰って来ることを見越して干してくれていたのだろう、寝室の布団に触れるとふんわりと温かくお日様の匂いがした。
キッチンのテーブルの上にはメモが一枚。
『お義母さんが煮物持って来てくれたから』
冷蔵庫に入っていると、ご丁寧に矢印までつけてある。
「はいはい。心配しなくてもちゃんと食べるから」
ご飯も炊きあがっていることに苦笑しつつ、冷蔵庫を覗くとなるほど見覚えのある実家のタッパーが二つ入っていて、それぞれ別の煮物が入っていた。
片方は山菜と厚揚げ、もう片方は肉じゃがで、どっちも半分程食べてある。 進藤は自分の実家の味はもちろん好きだが、ぼくの実家の味も好きなのだ。
ふとリビングの向こうに目をやれば、ガラス越しに見えるベランダの向こうに見慣れないプランターと土の袋が幾つかあった。
「また、何か始めたのか」
近づいて窓を開けて見ると、そこそこ広いベランダの日当たりの良い一角に小さいハーブ園が出来ている。
「まったく…」
今度は何の影響を受けたのかと、熱心に植え替えをしている進藤の姿を思い浮かべて微笑んでしまった。
ぼく達は共に棋士という身の上から、一緒に暮らしていても会えない日々が結構多い。
今回のぼくのように一週間、二週間出掛けたままになることもあるし、それは彼も同じだった。
かと思えば数日間一緒に居られるのはいいものの、倒さなければならない相手になったりと、誠に面倒臭い関係でもある。
そんな状態で上手くやれるのだろうかと住み始める前は不安に思ったりしたものだけど、気がつけばもう十年以上大きな破綻も無く生涯を共にするパートナーとして暮らしている。
そしていつ頃からか、家を空けて帰って来ると新しい趣味に進藤が没頭しているのを見つけることが多くなった。
(最初はなんだっけ、カメラ? それと、ジグソーパズルにはまっていたこともあるな)
年配の方達に誘われてゴルフに行っていた時期もあるが、ちまちまする感じが面倒臭いといつの間にか止めてしまった。
次から次へと移り変わる進藤の趣味を最初は少し呆れ、でも最近は次は何にはまるだろうと楽しみにするようになってしまった。
彼がぼくの居ない間、一人で楽しむ術を持っているのはとても嬉しい。
一緒に居る時は共に楽しみ、一人の時にはそれぞれの趣味に浸るというのは良いことではないかと思う。
(そういうぼくも)
キッチンの入り口には下げて来た紙袋がある。
中に入っているのは行った先で入った蔵元で手に入れた地酒だ。
そんなに飲める方では無いけれど、ぼくは日本酒の味が好きで、対局で色々な場所を訪れるうちに、日本酒の世界にはまってしまった。
『まあ、いいんじゃねえ? 酒ならおれも飲めるし、美味しいの見つけたら土産に買って来てよ』
進藤はぼくの趣味を手放しで褒めてくれた。
『ついでにその酒に合うような特産物も買って来てくれたら尚いい』
彼はぼくとは逆で酒は強い方だったけれど、味は大して好きでは無いというタイプだった。
『でも、おまえの買って来る酒は美味いんだよなあ』
日本酒ソムリエになれるんじゃないのと煽てられて、つい関連の本まで買ってしまったくらいだ。
最近は進藤と二人で蔵元の試飲会にも出掛けたりした。 色々と飲んで、ほんのり気持ち良くなった頃、進藤がいかにも楽しそうに言った。
「なんかさ、こういうの熟年夫婦っぽいよな」
確かに周りを見てみれば、男一人の参加も多いが年配の夫婦二人での参加者もとても多かった。
「そうだね、キミの趣味もまるで定年退職したお父さんの趣味、みたいだし」
「楽しいんだよ、色んな事やるの。おれ基本、碁がやっぱ一番好きだし楽しいんだけど、その分知らない事が沢山あって、それをちょっとずつやってみるのが楽しい」
「いいんじゃないか、ぼくは広く浅くって性質じゃないから一つのことに打ち込みがちだけど」
知らないことを知るのが楽しいというのは同じだった。
「塔矢さん、どうですか今年のうちの『寒椿』は」
にこにこと笑いながら蔵の経営者が声をかけて来る。何度か通う内に顔見知りになったのだ。
「いいですね。口当たりが良いし、飲んだ後に果物みたいな芳香が鼻に抜ける。爽やかでぼくは好きです」
「でもちょっとまだ味が若いって言うかね、杜氏もその辺り悩んでいるみたいですが」
「軽いと思う人もいるでしょうが、女性には人気があると思いますよ」
蚊帳の外に置かれながらも進藤は特に腐ることなく、面白そうに経営者とぼくの会話を聞いている。
「すみません、つい話し込んじゃって。お連れ様も楽しんで下さってますか?」
話が一段落ついた辺りで、経営者が如才無く進藤にも声をかける。
「面白いです。酒も美味いし。おれは細かいことはわかんないけど、でもここの酒はどれ飲んでも最高に美味しかった。ぜひまたこういう催しがある時にはおれも来たいですね」
「どうぞどうぞ、いらして下さい。なに蘊蓄だけが酒じゃありませんから」
そういえばあそこの次の試飲会はいつだろう。勉強会のような企画をしている時もあるけれど、進藤は興味があるだろうかとふと思う。
(いや、勉強と名のついた所でダメだな)
だったらまた試飲会か日本酒祭りのような時にでもスケジュールを合わせて二人で行きたい。
「それまでにはハーブも育っているかな」
窓越しにプランターを眺めながらぼくは思った。
(こんな小さな『庭』なんだから)
今度はぼくも手伝ってもいい。
ぼくが日本酒を語るように、彼にハーブのことを教えて貰おう。
「取りあえず…何か酒の肴に使えるような物を」
それとももしかして、また次の趣味に興味が移ってしまっているだろうか。
(だったらそれはそれでいい)
彼は彼で時を過ごし、ぼくはぼくで時を過ごし、そして新鮮みを失うことなくこれからも二人で生きて行く。
怒られるかな? と思いつつ、ベランダに出て育ちの良い緑の葉をぷちりとつまむ。
鼻先に持って行くと、どこかで嗅いだことのある爽やかな香りが、鼻孔の奥に染みこんで行くのを感じた。
一人上手の天才は、二人上手の天才でもあるのだ。
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どちらもタイトルホルダーだとすると、圧倒的にすれ違いが多くなるんじゃないかと思います。それでも無理をすること無く、共に居ることを楽しんで添い遂げられればいいなと思います。
「なあ、今日天気いいし」
朝ご飯を食べながらふと顔を上げて進藤が言う。
「後で結婚しねえ?」
まるで買い物にでも行かないかというような、とても軽い調子だった。
「ああ、…うん、いいよ」
返すぼくもごく普通のこととして、散歩に行くようなノリで答えた。
「だったら折角だから昼は外で食べようか」
「そうだな。どこかランチ美味い所で」
「パンを買って公園のベンチで食べてもいいけど」
「そっか、そういうのも有りだな」
じゃあ届け出した後に気分で決めようかと、そういうことになり、後はまた普通に朝食の残りを食べ続けた。
朝ご飯の内容は、焼きジャケと白菜と小松菜の味噌汁と焼き海苔と漬け物。
ごくごく当たり前の平凡過ぎるメニュー。
それでいいと思うし、そうあるべきだとも思った。
仰々しいことは必要無い。
(だって)
するべきことをするだけだから。
そう思えるようになるまで時間がかかったということだろうかと思いながら、ぼくは食後のお茶を入れ、進藤に湯気のたつ湯飲みを差し出したのだった。
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大仰にすること無く、自然にさらっと届けを出してくれてもいいなあと思います。 でもそれを2月14日にするのはヒカルの意地って言うか(笑)さらっとなりきれない所かもしれないです。
| 2017年02月11日(土) |
(SS)いちばん奥のその向こう |
目が覚めて傍らに眠る進藤の姿を見つけた時、ああそうだったと思った。
そして次に『やっと』と思う。
何がと言われたら上手く説明出来ないけれど、敢えて言うなら初めて彼の中に踏み入ることが出来たと、それが一番近いかもしれない。
付き合いだけは無駄に長くて、ずっと焦がれるように知りたくて、でもここまで来るのに随分かかった。
(キミは嘘が上手いから)
本心を見せず、なのにぼくを好きなことだけは隠さずにどんどん近づいて来る。
どうすればいいのか、どうしたらいいのか散々悩んで、でも結局はしたいようにすれば良かったのだと今にして思う。
「ケダモノだな」
酒の酔いと勢いと、でも何か一つでも違えばいつものように友人として眠って起きてごく普通に帰ったんだろう。
『あ、おれ―』
手が触れて、そこから進藤が近づいて来て、ぼくは触れられても逃げなかった。
たったそれだけで、ここ十年ばかりの逡巡は一気に解消されてしまった。
(とはいえ、きっとまだ、とば口なんだろうな)
入らせては貰えたけれど、進藤の中は奥深い。
本当の彼に至るまで、開けて行かなければならない扉が数え切れない程あるんだろうなと思ったらムッとして、べちりと寝ている頭を叩いてしまった。
「痛っ」
余程びっくりしたのだろう、進藤は目をしょぼつかせながら半身を起こし、きょろきょろ辺りを見回した。そしてぼくを見つけて笑顔になる。
「塔矢! おはよう」
そのいかにも嬉しそうな笑顔が勘に障って再びぼくは彼の頭を叩いてしまった。
「なんでだよう。なんでいきなり殴るんだよ」
そうしてから唐突に、はっと気がついたように言う。
「もしかしてすげー痛い? だからおれのこと怒ってんの?」
「痛いのはもちろん全身痛いよ。でも別にそれで怒ってるわけじゃない」
「じゃあなんだよ、もしかして下が嫌だった?」
進藤はすっかり目が覚めたようで、へたりとぼくの前に座り込むと、顔を覗き込むようにしながら尋ねて来る。
「おれ、上がいいんだけど、でもどうしてもお前が下が嫌だって言うなら―」
「ポジションはどうでもいい。ぼくは知識も経験も無いし、キミの方が詳しいならリードして貰った方が有り難いし」
「じゃあなんで怒ってんだよ」
「別に怒っているわけでも無い。ただ」
「ただ?」
「先が長そうだなあって…」
彼の一番奥底の、大切に抱えている物を見せて貰うのは一体いつになるんだろうか?
そもそもそこまでぼくは入れて貰えるのだろうかと考えると、無性に彼を殴りたくなるのだ。
「長そうって何が? あ、もしかしておれイクの遅い?」
そんなにねちっこくやってたかなと大まじめに聞かれてぼくは思わずまた手を振り上げてしまった。
「だれがセックスの話をしている!」
「じゃあなんなんだよ!」
流石に痛かったのだろう、涙目で睨まれてぼくは言葉に詰まった。
「さあ…なんだろう?」
「わかんないのに殴るのかよ!」
「解らないけれど、解るって言うか…」
様々な感情と思考が体の中を巡り、そして一つの言葉だけが残った。
「まあ、キミを好きなんだから仕方無いなって」
今度は進藤が黙る。
「おまえ、おれのことが好きなんだ」
「嫌いな人間にこんなことをさせるほど人間愛に満ちてはいないけど?」
「や、だっておまえ今初めて言ったじゃん。おれは散々言って来たけどさ」
「何を?」
「おれのこと好きって…」
みるみる進藤の目が潤み、なんだか面倒なことを言われそうな気がしたのでその前に叩いた。
「痛っ、だからおまえ、そのいきなり殴るのやめろよな」
「いいじゃないか。これがぼくの愛情表現だ」
「ええっ?」
そして今度はそっとその頭を撫でてやる。
「色々思う所もあるかもしれないけれど我慢しろ、それでもきっとぼくの方が堪えることが多いんだから」
「そっか…やっぱ下って負担デカいんだなあ」
しみじみとまた下ネタに持って行かれて再々再度叩こうかと思ったが、これではこの先きりがないと気がついてぼくは苦笑しつつ進藤の頭を抱きしめた。
「そう思うなら精進しろ、努力しないヤツにいつまでも許すほどぼくは甘く無いから」
「――うん」
ありがとうと、今度はふざけた返しは欠片も無く、進藤は真摯にそう言った。
「努力するよ、色々全部」
「そうしてくれ」
いつか。
いつか最後の扉を開けた時、キミが本当の自分を見せてくれたなら幸いだとそう思う。
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死ぬ程書いている「お初」ネタです。ごめんなさい、でも好きなので。
ヒカルの奥底って言うのは佐為ちゃんのことだけでは無く、本質的にヒカルは人懐こいくせに自分の中には人を入れない気がするんですよね。
本当の部分を見せないって言うか、だからそこに入って行くのは並大抵じゃないんじゃないかなと。
それでもヒカルが入れてもいいと思うのはたぶんアキラだけだし、アキラには頑張って貰いたいと思います。
| 2017年02月05日(日) |
(SS)恵方巻きについて考える |
あまりに毎年鬱陶しいので、今年は先手を打って恵方巻き禁止令を出した。
「現物の購入は禁止、今日一日言葉に出すのも禁止だ」
時間を与えると対抗策を考えそうだったので2月3日の朝に突きつける。
「いいか、もし破ったらぼくはキミと別れる。本気だからね」
進藤は涙目で何か非道く訴えたそうだったけれど、睨み付けたら黙って頷いた。
おかげで1日中平和だったのだけれど、何故か夜になっても進藤が帰って来ない。
(拗ねて家出でもしたかな)
本当に面倒臭いなと思っていると実家から電話がかかって来た。
『アキラさん? 進藤さんがいらしたので、お夕飯食べて頂いたから』
先月の終わりに帰国した両親は、来月の頭まで日本に居る。
そのことはもちろん進藤も知っていて、だからぼくの非道を訴えに行ったのだと思った。
「あの、お母さん…」
『あなた今年は食べないって言ったんですって? 確かに作るのは面倒臭いけれど、年に一度のことなんだから作って差し上げなさいよ』
「いや、だから…」
『進藤さん、我が家の恵方巻きの味が大好きなんですって、食べながら涙ぐんでいたわよ』
ころころと笑われてぼくはしばし絶句した。
確かにぼくは毎年恵方巻きを自作していた。
何故ならば店で買うとバカ高く、業者に踊らされているようなのが気に入らなかったからだ。
でもそれを進藤が好きで楽しみにしていたとは知らなかった。
(だって、キミ…)
恵方巻きと言えばくだらない下ネタやセクハラ紛いのことしか言わないので頭にはそれしか無いのだと思い込んでいたのだ。
「…わかりました、来年は用意するようにします」
食べられないのが悲しくて、ぼくの実家に行ってしまうくらい好きならば仕方が無い。
『そうなさいよ。きっと進藤さん喜ぶわよ。そうそう、進藤さんがいらしていること本当は内緒なの。だからあなたも知らないふりをしてあげて』
出来れば叱らないで差し上げてねと言われて苦笑してしまった。
「そんなことしませんよ」
そこまでいじらしいことをされて怒る程ぼくも冷酷では無い。
精々知らないふりをして、でも来年からは欠かさず恵方巻きを作ってやろう。
(でも)
やはり鬱陶しいのは嫌なので、食べる時はしっかり切って出そうと思ったのだった。
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切ったら恵方巻きじゃ無いだろうという意見は受け付けません。byアキラ
| 2017年02月04日(土) |
(SS)チョコよりも甘い |
「なあ、“せっぷん”ってキスのことだろ?」
唐突に進藤が話しかけて来た。
「うん、そうだよ」
「で、今日は節分だったよな」
「うん」
「せっぷんと節分って似てるよな」
「え? ああ、まあそう言えばそうかな?」
確かに音は似ている。
「俺、思うんだけど節分の語源って、せっぷんじゃ無いかな」
「え…」
「節分は鰯食って鬼にマメぶつける日ってことになってるけど、本当は好きなヤツとキスをする日なんじゃねーの?」
言われた瞬間、ぼくの頭の中を節分の起源とか由来とか語源とか色々なことがめまぐるしく交差したけれど、説明するのが面倒になってそのまま否定はしなかった。
「うん、そうかもしれないね」
「じゃあ折角だから今日は一日中たっくさんキスしようぜ♪」
にっこりと笑うと進藤は逃げるヒマも与えずにぼくにいきなりキスをした。
「まずは1回目」
一日で何回出来るかなあと心底嬉しそうに笑われて訂正する気持ちは完全に消えた。
「さあ…キミ次第じゃないかな」
「じゃあおれ頑張るよ!」
目一杯福が来るように、おまえが息もつけないくらいたくさんキスをしてやるからと、その言葉通り2回目のキスは舌も差し込まれて長時間で苦しいくらいだった。
でも甘い。
家でも駅でも棋院でもカフェでも、隙を見て進藤はぼくにキスをしまくり、12時になるギリギリまでぼくの唇を貪り続けた。
「あー、節分満喫した!」
満足げな進藤に苦笑しつつ、でもぼくも一日中とても幸せだったので、以来節分はぼく達にとって『たくさんキスをする』、バレンタインよりも甘い恋人の日になったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
バレンタインみたいなタイトルですが節分SSです。
そしてこの話の見所?は、ヒカルの間違いを面倒臭いという理由でスルーしたアキラです。
付き合いが長くなるに従って「まあいいか」を覚えたアキラということで。
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