| 2016年09月11日(日) |
(SS)今日も碁界は平和です |
奢ってやるのだから何か余興に話をしろと、赤坂の小料理屋で緒方さんに言われた。
「そうだな。9月になったとは言えまだまだ暑い日が続く。怪談話でもして涼ませて貰おうか」
「怪談ですか……生憎ぼくはそういう類は信じないし、経験も無いんですが」
それでも少々不思議に思うことならある。それで良いかと尋ねたら緒方さんは鷹揚に頷いた。
「アキラが不思議と言うなら相当だな。いいだろう、それを話せ」
「ええ、実は妖精というか、妖怪というか、そういうようなものがぼくの家には居るようなんですよ」
「ほう?」
「ご存知の通りぼくは一人暮らしです。なのでだらしなくならないように必要最低限のことは片付けてから寝ることにしているんですが、あまりに疲れてしまうとそれも億劫になることがあって」
例えば洗濯。最低でも下着とタオルくらいは毎日洗って干しておきたい。それとゴミ捨て。特に暑い時期の生ゴミは忘れることなく収集日に出すために夜の内に纏めておきたい。
「解っていても面倒で、やればすぐ終わることなのについソファに座ったままだらだらと先延ばしにしてしまうんですよね」
「いかにも男の一人暮らしだな」
「はい。でも何故か気がついたら終わっていることがあるんです」
ああ面倒だ、疲れた、もう何もしたくないと呟いていると、指一本動かしていないのにも関わらず全て終わっていることがある。
「無意識に自分でやっているんだろうが」
「いえ、本当にぼくは座ったままなんですよ。そして座ったままと言えばシャワーを浴びて出て来た後にも似たようなことがありまして……。洗った髪を乾かさなくてはと思うのにどうしも怠くて濡れたまま座ってテレビを眺めていたりすると、いつの間にか綺麗に乾かされているんですよね」
タオルとドライヤーで綺麗に乾かされていて、更には冷たい飲み物なども目の前に用意されていたりするのだ。
「これはきっとぼくの家に居る妖精だか妖怪だかがやってくれているんじゃないかと」
「はーい、はいはいはいはい! そーゆーのならおれんちにも居る!」
ぼくの話が終わるか終わらないかの内に、隣で神妙に話を聞いていた進藤が俄然嬉しそうに手を挙げて言った。
「おれも忙しくて部屋の中片付けなきゃと思っても結局そのままになっちゃったりするんだけど、気がつくと掃除してあって綺麗になっていることがよくある」
「……ほう」
「それからボタンの取れたシャツとか置いておくと繕ってあるし、冷蔵庫が空っぽになるといつの間にか色々補充してあるんだよな」
肉や魚や野菜や飲み物。疲れて帰って来た時のために栄養ドリンクまで入っている。
「この前なんてタッパーに詰めた総菜入ってた! しかも全部おれの好きなもん!」
「くだらん。どうせおまえの母親が来て、やってくれているんだろうが」
敢えて彼女と言わない所に緒方さんのプライドが垣間見える。
緒方さんは女性の噂は引きを切らないが、甲斐甲斐しく世話を焼かれるまで長続きしたことが無いのだ。
「え? 違うよ。おれ親になんか鍵渡して無いから、留守中に入れないし。塔矢んちに出るのと同じで妖精か妖怪が居るんだって。うん……妖怪かな? おかっぱの座敷わらしみたいなのが居るんだと思う」
でもそいつ、バランス良く食えとか五月蠅いんだよなあといらぬことを言うので軽く睨んでやった。
「まあ、こんな所ですが、どうです? 少しは涼しくなりましたか?」
にっこりとぼくと進藤で笑いかけるのに緒方さんは思いきり渋い顔をして、それから持っていたグラスからビールを一息に飲み干した。
「このクソガキ共がっ! おれは怪談話が聞きたいと言ったんだ惚気じゃ無い!」
静かな小料理屋の個室から外にまで響き渡るような怒鳴り声だった。
「いいか? あとひと言でもおれの耳にくだらないことを吹き込んだらここの支払いはおまえら二人に押しつけるからな!」
「えー? 無理無理無理」
「そんな、緒方さん大人げない」
「うるさい! とにかくおまえらの惚気なんかこれっぽっちも聞きたくも無いんだ!」
年長者の威厳もどこへやキレて睨みまくるので、ぼく達は揃って緒方さんに謝り、その後はひたすら機嫌を取ったのだった。
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なんだかんだ可愛がられているヒカアキと、なんだかんだ二人に慕われている緒方さんでした。
ドラマのロケがあるとのことで、その日棋院は朝からざわついていた。
「主人公が過去に棋士を目指してたって設定があって、今日はその回想シーンの撮影なんだってさ」
「ふうん」
院生時代ということで、エキストラ参加する院生も数多く居て、みんな浮き足だっている。
俳優の誰と誰が来る。憧れの先輩棋士は誰それがやるらしい等々。
撮影の妨げになるのでサインをねだる行為は禁止と通達されていたけれど、写メぐらいは撮りたい。それがダメでも生で見たいと賑やかなことこの上無い。
そんな中でただ一人だけ興味関心一切無く、平常心なのが塔矢だった。
むしろ何故皆がそんなに興奮しているのかが不思議で仕方が無いらしく、説明してやっても腑に落ちない顔のままだ。
「テレビドラマの撮影は、確かに滅多に無いイベントかもしれないけれど、皆が皆その俳優を好きなわけじゃ無いだろう」
「そうだけど、それでも普段テレビや映画でしか観ることが無い俳優を生で見られるかもしれないんだから、そりゃ見たくもなるって」
「ぼくは別に見たく無い」
「うん、おまえはな」
テレビも映画もほとんど観ない塔矢には、どんな有名俳優やタレントが来ても関係無いとしか思えないんだろう。
「でも今回来る主役の俳優、すげえ人気のイケメンなんだぜ」
ここ数年でめきめきと頭角を現していて、人気作に何本も出演している。
「ヒロイン役の子も清純派で人気があってさ、本田さんなんかもう夕べから嬉しくて寝れなかったくらいで」
「キミも」
「ん?」
「キミも興味があるのか?」
ざわつきを避けたくてわざわざ記者室に閉じこもっている塔矢は、読んでいた文庫本を閉じておれに尋ねた。
「キミもその俳優や女優に興味がある?」
「んー、まあそりゃ、どうかって聞かれたら正直あるかな。どっちも人気作に出てるし、おれ、どれも観てるし」
「だったらキミも見てきたらどうだ? 約束の時間までまだ間があるし」
塔矢もおれも今日は手合いも研究会も何も無いのだが、緒方先生に呼び出されていて、それで棋院に来ているのだった。
「ならおまえも行こう、人気ナンバーワンのイケメンだぜ?」
おれが誘うのにため息をついて首を横に振る。
「興味無いって言っているだろう」
そしてさらりと付け加えた。
「それに、キミ以上のイケメンなんかこの世に居るはずも無いしね」
「なっ……」
かあっと顔が真っ赤に染まる。
「な、何言ってんの、おまえ」
「何って、言ったままだけど。その俳優がどんなに人気があるか知らないけれど、少なくともぼくにとってキミ以上のイケメンなんか存在しない。だから見に行こうとも思わない」
あ、でもと思いついたように塔矢はおれを見た。
「その相手の女優がキミを好きになったら困るから、やっぱりキミは見に行くな」
行かないでここに居ろと至極真面目におれの腕を掴んで言う。
「そうでなくてもキミは女性に人気があるのに、これ以上ライバルは増やしたく無い」
「ばっ……」
馬鹿じゃねーのとのど元まで上がった声を辛うじて飲み込む。
相手は人気急上昇中の女優で、相手役は人気ナンバーワンのイケメンで、なのになんでおれなんかに目が行くんだよと。
馬鹿じゃねーの、馬鹿じゃねーの、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。
「どうした? 進藤」
あまりの塔矢のおれ馬鹿ぶりに、嬉しさと恥ずかしさと照れが大爆発して、とても立っていられなくて両手で顔を覆って座り込んだら非道く心配されてしまった。
「気分でも悪いのか? だったらソファで横になっていろ」
「違う」
おまえのこと好き過ぎて目眩がしただけと言ったら塔矢は可笑しそうに笑って、「そうか」と言い、それから「ぼくもキミが大好きだよ」と更なる殺し文句を言ってくれやがったので、おれは座っていることも出来なくなって無様に床に転がったのだった。
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リクエストを頂いたので書いてみました。 どうでしょうか? イメージと合っていたなら良いのですが。
ちなみにこの日二人が緒方さんに呼び出されたのは、ロケ後の片付けのためと万一の時のエキストラ要員としてです。が、本人達には知らされていません。
結局エキストラの出番は無く、真実は知らされないまま終わります。
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