| 2016年07月31日(日) |
(SS)きっとキミは泣くくせに |
「あーっ、おまえまた勝手に消しただろ」
スマホをいじっていた進藤が、ぼくを振り返って軽く睨むようにして言う。
「知らないよ、自分で間違えて消したんじゃないのか?」
ぼくは洗濯物を畳む手も止めず、ちらりと目だけ上げて言った。
「消さねーよ、絶対そんなことが無いようにすげえ注意してるんだから」
「だったら気のせいだろう」
進藤が騒いでいるのは、撮ったはずのぼくの写真がいつの間にか無くなっているからだった。
もちろんぼくが消していて、でも言うとプライバシーの侵害だとか面倒臭いので認めない。
「あー、もうまたパスワード変えないと。なんでおまえすぐパスワード解っちゃうんかなあ」
「だから知らないって言っているだろう。それよりもいつまでぼく一人に畳ませているんだ、キミもさっさと手伝え」
「へいへい」
まだ相当に不満そうながらも進藤はぼくの言葉に隣に座った。
そして大人しく一緒に洗濯物を畳ながらぼそっと呟くように言う。
「とにかく、おれの老後の楽しみにするんだから、もう二度と勝手に消すなよなあ」
(だからだよ)
畳む指を止めることなく、ぼくは心の中で思った。
進藤がぼくを写真に撮るようになったのはいつ頃からだっただろう。
使い捨てカメラの頃にはもう撮っていたと思うし、それがガラケーになり、デジカメになり、そして現在スマホに移り変わった。
ちょっとした時に取りだしては、「はい笑って〜」とかやるものだから、最初は怒って止めさせていたけれど、あまりに頻繁に日常的に撮り続けるので今では慣れて全く気にならなくなってしまった。
それを消し始めたのは結構最近。
そういえば前日、事後の後に撮られた節があるようなと思いついて彼のスマホをチェックしたのが始まりだった。
一応ロックがかけてあるものの、進藤は非道く単純なのでパスワードを探るのは容易だった。
最初はぼくの誕生日と名前の組み合わせで、次は自分自身の誕生日。前日に見たドラマの話数と俳優の名前だったこともある。
そして肝心の写真は心配したような物は無くてほとんどが日常の折々のぼくだった。
(こんなものでメモリーを圧迫して)
バカだなあと思いつつ、チェックを続けていたぼくは途中で見るのを止めてしまった。
あまり変わり映えがしなかったこともある。
けれど一番の理由は、写っているぼくがどれもとても幸せそうな表情をしていたからだ。
もし万一ぼくの方が彼より先に逝くようなことがあれば、彼はこれらの撮りだめた写真を見るのではないだろうか。
というか、そのためにこんなどうでも良いような生活の一コマ一コマを全て写しているのではないだろうかと、そう気がついてしまったからだった。
老いた進藤が、たった一人で部屋の真ん中に座り込んで写真を見ている様が映像のように頭に浮かんだ。
あまりに、あまりにもそれは切なくて哀しい光景で、気がつけばぼくは写真を衝動的に何枚か消してしまっていた。
人の物を内緒で覗いているのだということを思い出して慌てて止めたけれど、それからぼくは彼のスマホやパソコン内を探っては、ぼくの写真データを少しずつ消すようになった。
「とにかく、キミ、容量が一杯で入れたいアプリが入らないとか言っているんだから無駄な写真を撮るのは止めろ」
「へいへいへいへい」
生返事をしつつ、またもやぼくを撮ろうとしているので流石に怒った。
「進藤、真面目に聞け!」
「聞いてるよ。『おれを怒ってる塔矢』………と」
ニッと笑ってシャッターを切る進藤を見つめながら、ぼくは胸の奥深くでため息をついた。
「……泣くくせに」
「ん? なんか言った?」
「いや、何も。でもそれ以上撮り続けるつもりなら、キミを殴るつもりはあるよ」
睨み付けたらうへえという顔になって、慌てて再び洗濯物を畳み始めた。
(まったく)
苦笑しつつ、ぼくはなんとも言えない気持ちになった。
だって進藤はきっと泣くから。
もう居ないぼくを思い出し、写真を見つめながらきっと一人で泣くのだから。
(だから)
ぼくはこれからも彼が撮ったぼくの写真を消し続ける。
何年でも何十年でも、彼がぼくを撮る限り。
彼が決して一人で泣くことが無いように、いつか彼が先に逝くのを見届けるまでは、ぼくはぼく自身の写真を消し続けるのだとそう強く思ったのだった。
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本当は何も残さない方が残酷だと思うわけなんですが、アキラはそれでも消してしまうのだろうと思います。
「わ、花だ! それに星!」
誘った時は大して気乗りしなさそうだったのに、いざ二人で花火大会の会場に来てみたら、塔矢はずっと興奮しっぱなしだった。
「なんだ進藤、どうしてみんなペンライトを振ってるんだ?」
「あー、今年は参加型ってことで花火に合わせてライブみたいにペンライト振るってことになってっから」
「どうしてこんな流行の曲ばかり流れてるんだ」
「だからライブのイメージだからだろ、ってかそうでなくても毎年こんな感じだけど」
聞けば塔矢はド田舎の、ただひたすら花火だけが打ち上がるような花火大会しか見たことが無いらしいのだった。
(じゃあ確かに新鮮かも)
都内の花火は派手だし演出も凝っている。
ライブ形式って言うのはさすがにおれも初めてだったけれど、それで感動するという程では無い。
それがすぐ真隣で純粋に感動して釘付けになっているヤツがいるとつられるというか、それを見てる方が楽しいって言うか、心がうきうきと浮き立って来る。
「進藤、今の花火ハート型だったぞ!」
「ああ、変わり花火な。さっきも花とか星の花火が上がっただろ。ハートも定番なんだ」
「あ、今度のはピースマークだ、それに次のはなんだ、雪だるま?」
もう目のキラキラ具合がそこらの子どもと変わり無い。
「猫! 今の花火猫だったぞ進藤!」
たたでさえ大きな目を見開いて、はしゃぎ続ける塔矢の顔をしばらくじっと見つめた後、おれは両手で頬を挟むようにして無理矢理おれの方を向かせた。
「何するんだ! たった今仕掛け花火が始まった所だったのに」
くってかかる口を唇と舌で塞ぐ。
びっくりして限界まで目を見開く塔矢におれは笑った。
「も、解ったからちょっとぐらいおれのことも見ろって」
離れてもまだ硬直したように動かない。
「そんな可愛くしたら、頭からバリバリ食いたくなるだろ」
これでも必死で我慢してるんだからとおれが言ったら塔矢はやっとゆっくり頬を赤らめて、でも視線は意地のように富士山を形作り始めた大きな仕掛け花火の方を向く。
カワイイなあ、ああ本当にもの凄くカワイイ。
帰ったら滅茶苦茶可愛がってやろう。
ちょっとぐらい泣いたって絶対許してやらないんだ。
押し倒して、浴衣脱がして、それから足の付け根に嫌って言う程キスしてやる。
浮かれた気分でそう決心した、今年の夏初めての花火。
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花火大会の季節ですので。 花火ではしゃぐアキラです。
死んだように丸一日眠って、目を覚ましたら隣に進藤が居た。
部屋は自分の部屋で、でも寝る前に彼は部屋に居なくて、どうしてだろうと思う前に、掛け布団を持ち上げて自分が何か身につけているか否か確かめてしまったのが我ながら恥ずかしい。
(何を考えているんだ、ぼくは)
真っ先に貞操の危機を考えたのは、たぶんぼくが進藤をそう言う意味で意識しているからで、そう思うと余計に居たたまれない気分になった。
(別に進藤と会う約束はしていなかった)
一昨日ぼくは地方の仕事から帰って来て、シャワーだけ浴びると倒れるように眠ってしまった。
翌日を休日として空けておいたので何の心配も無く心置きなく眠ったのだが、まさかその更に翌日の朝まで眠ってしまうとは思わなかった。
(まあ、それくらい疲れていたってことだけど)
日を跨いでの対局は疲れる。
体力も精神力も削ぎ落として限界近くまで出し切ってやるのでその後はよれよれになってしまうのだ。
それでも普通に帰って来て、着替えてシャワーを浴びた自分は偉いと思うのだが、それからの時間のどこに進藤が挟まって来たのか解らない。
(取りあえず起こすか)
ゆさゆさと体を揺すると、進藤はうめき声のような声をあげて僅かばかり目を開いた。
「んー……何、目ぇ覚めたん?」
「ああ。それでいきなりで悪いんだけど、どうしてキミがここに居るんだ」
そしてぼくの隣で寝ているのだという問いだけは辛うじて飲み込んだ。
「んなの、おまえが呼んだから来たんだろう」
まだほぼ眠った状態の進藤は、五月蠅そうに言うとくるりとぼくに背中を向けてしまった。
「会いたいからって、おまえがおれを呼びつけたんじゃんか」
そして再び寝入ってしまった。
「ちょっ…待て、そんな覚えは無いぞ。それにぼくはずっと寝ていたのにどうしてそんな」
「……起きてたよ。半分寝ぼけてるみたいな感じだったけど、フツーにおれに電話して来て、ちゃんと鍵も開けてくれて」
まあ、その後は正体不明で寝ていたけれどと、そしてもうこれでいいだろうと不機嫌そうに言って掛け布団を頭から被ってしまった。
「そうか……ごめん」
たぶんきっとぼくは対局の興奮が冷めやらず、少しでも早く彼と検討したくて電話してしまったのだろう。
ネットの中継でずっと経緯を見ていただろう進藤の意見を聞きたかったのは本当なのだ。
(でも、だからって意識も無いのに呼び出すなんて)
自分がそんなことをしたというのが信じられなかった。
「……勝ってそんなに嬉しかったのか」
序盤から激しくぶつかり合って、終盤は半目を争うような展開だった。だからこそ勝てた時にはほっとしたし、心から嬉しいとも思ったのだ。
でも、出来るならこういう戦いは進藤としたかったとも思ったのだが。
「腹減ってるなら食うもん冷蔵庫に入ってっから」
「あ……うん、ありがとう」
体を半身起こしたまま、いつまでも横にならないぼくに、進藤がくぐもった声で言う。
「それと、返事はちゃんと目ぇ覚めてから言うから」
「は?」
「返事。おまえが聞かせろって言ったんじゃん」
だからおまえが眠っている間、じっくり考えて答えを出したからと、そして今度こそは本当に眠ってしまったようだった。
すうすうと聞こえてくる寝息にぼくはしばらく呆然として、それから我に返って進藤を揺さぶる。
「おっ、起きろ! それはどういうことだ! ぼくはキミに何を言ったんだ」
けれど進藤は起きない。
どんなに揺さぶっても布団を剥いでも目を開かないので、ぼくは仕方無く進藤をそのまま寝かせるしか無かった。
「一体ぼくは……」
彼に何を話したのだろう?
そしてどんな返事を強要したのだろうか。
碁のことだと思いたい。寝ぼけながらも呼びつける程興奮した対局についての意見だと思いたかった。
けれど、頭のどこかでちりちりと警戒音が鳴っている。
もっと悪いこと。
一生言うつもりの無かったことをもしかして言ってしまったのでは無いだろうかと思ったらもう居ても立っても居られず、けれど進藤を無理矢理起こして聞くことも怖くて、ぼくは彼の寝息を聞きながら、一人悶えることになったのだった。
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寝ぼけアキラネタです。
普段理性でガッチガチに押さえつけている分、酔ったり寝ぼけたりした時の解放具合が半端無いのではないかと思います。
進藤が待っているのは五月五日なのに、何故かいつも『それ』は七月七日の七夕に来る。
夜中過ぎ、明け方近く、時間はまちまちだったけれど、同じなのは進藤が深く眠っている時ということ。
今年、それが来たのは深夜、12時を少し過ぎた辺りだった。
普段なら夜更かしすることも多いのだが、この日は夕食後すぐに睦み合い、結果いつもより早い時間に眠ってしまったのだった。
目を覚ましたのは微かな衣擦れの音がしたからで、同時にああまたと反射的に思った。
見えないけれど、寝室の入り口辺りからゆっくりと人が歩いて来る気配がする。
それはベッド脇の進藤のすぐ傍らで止まり、しばらく見つめているかのようにたゆたっていた。
と、息を殺すぼくの目の前でふいに進藤が「ん」と小さく声を上げる。
前髪が微かに揺れて、その揺れ方がまるで誰かに撫でられているようだと思った。
やがて気配がベッドから遠ざかり始める。
いつだってそうだ。それは決して進藤を起こさない。
ぼくは思わず半身を起こして気配に向かって言ってしまった。
「どうして起こさないんですか」
ぴたりと衣擦れが止まる。
「進藤はずっとあなたを待っているのに」
それなのにやって来ても決して会わない。会わないのに必ず毎年来る。
「あなたにはあなたの事情があるのかもしれない。でも、ぼくは―」
ぼくは辛い。
恋では無いと彼は言う。
そういうのとは違うんだよと、まだ真実を晒してすらいないのに、ぼくの心を抉るように時折ぽろりと小出しにするのだ。
「こんな風に求め合われたら、ぼくはあなたに嫉妬してしまう」
あなたを憎みそうになる自分が嫌いでたまらないのだと、言葉の最後は泣き声に近くなっていたかもしれない。
両手で顔を覆い俯せるぼくの側に、衣擦れの音が近づいて来た。
叩かれるだろうかと思った時にふわりと頭に何かが触れた。
温かく優しいそれは、親が子を撫でる掌のようだった。
「――っ」
耐えきれず涙をこぼすぼくをじっと見守るように留まると、少ししてそれはゆっくりと離れて行った。
そして来た時と同じように部屋の入り口に向かい、そこで消える。
後にはしんとした夜の空気と、穏やかな彼の寝息だけが残った。
それなりにぼくは動いたし、物音もしたはずなのに、こんな時進藤は決して目を覚まさない。
(まるでぼく一人の妄想みたいだ)
それでもそれは毎年来る。
ぼくの心を掻き乱し、白い布に落ちた墨のように黒い染みをぼくに刻んで。
「どうして」
どうして会って行かないんだと、せめてそうしてくれたならここまで苦しくは無かっただろうに。
進藤が否定して、彼の人が否定したとしても、その繋がりにぼくは永久に焼け付くような気持ちになってしまうのだろうなと。
ぼくは顔を覆ったまま、声の一つも漏らさぬように歯を食いしばって泣いたのだった。
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ヒカルはなんだかんだ結局言わないような気もするんですよね。
おれも言わない方じゃ無いと思うけど、塔矢はおれが何かした時、一々必ず「ありがとう」と言う。
例えば夕食時に箸や食器をテーブルに並べた時、調味料をキッチンから取って来た時、又はリビングでテレビのリモコンを取ってやった時、郵便物を取って来たり、宅配便を受け取った時もそうだ。
「ありがとう、助かったよ」
さり気なくではあるけれど、嬉しそうな微笑みを浮かべて言う。
「別にそんなん当たり前だろ」
その夜、喉が渇いてコーヒーを入れて、ついでに塔矢の分も持っ行ったおれに塔矢はいかにも嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。キミは優しいな」
「べっ、別に優しくなんか無いし」
一杯入れるのも二杯入れるのも変わりがない。しかも二人暮らしなのだ、相手の分もと考えるのが普通だろうと言ったら塔矢は小首を傾げ、それから妙にきっぱりとした口調で言ったのだった。
「普通なんかじゃない」
「は?」
「キミがぼくにしてくれることに当たり前のことなんか一つも無いよ」
真っ直ぐな真面目な瞳に頬が染まる。
「や、でも、だからフツー……」
「少なくともぼくには、キミがぼくにしてくれることは全て愛の囁きのように思えるのだけれど」
「ばっ」
染まった頬が額も喉も胸元も熱くする。
「そっ、そそそそそ、そんなことは」
「あるだろう?」
にっこりと極上の笑みを浮かべて言う塔矢におれはもう何も言えなかった。
ああ、確かに好きだよ、愛してるよ。
おまえのためなら些細なことでも面倒に思わずおれには出来る。
(でも、おまえも同じじゃん)
快く、おれのためには労をいとわない。
いや、もっと普通のごく小さなことなんだ。
「……ありがとう」
「ん? どうした唐突に」
「おれにもおまえの動作の一つ一つがおれへの愛情に満ちて見えるから」
してくれることを当たり前だと思ったことは一度も無いよと言ったら今度は塔矢の頬がゆっくりと染まった。
なんでも無い、当たり前の、でもたまらなく幸せな二人の夜。
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この世に『当たり前』なことなんて何も無いような気がします。
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