| 2015年11月29日(日) |
(SS)じかくむじかく |
進藤ヒカルは打ちひしがれていた。
それというのも、密かな意中の相手である塔矢アキラが、がっかりするようなことを言ったからだ。
その日、和谷の研究会の後で、皆は岡が買い出しに行ってくれたハンバーガーを夕食にしつつ、ぼんやりテレビを眺めていた。
もちろん全員が真剣に見ているわけでは無く、雑談に興じる者やスマホを弄っている者も在り、半分はBGMのような感じで流されていただけだったのだが、唐突にふとアキラが呟いたのである。
「……わからない」
「何が?」
アキラと共に見るとは無しに眺めていたヒカルはぎょっとしたように問い返した。
ドラマは特に何ということも無いシーンだったので余計に何がわからないのかわからなかったのだ。
「いや、今の。ヒトミはどうして怒ったんだろう」
「え? ヒトミ? ああ。主人公の名前か。や、だから自分の好きな男が同僚とデートしてたのが解ったからだろ」
「何で? 別に付き合っているわけじゃないし、そもそもヒトミは告白も何もしていないんだから何も問題は無いはずじゃないか」
「それでも好きなヤツが他の女とデートしてたら妬けるじゃん」
「妬けるって?」
アキラは不思議そうに首を傾げている。
「は? そりゃ焼き餅妬くだろってことだよ。おまえだってそういうことあるだろ」
「無い」
きっぱりと返されてヒカルは目を丸くした。
「無い……え? でも、自分と仲良いヤツが他のヤツと楽しそうにしていたりとかしたらちょっとムはカついたりしねえ?」
「キミはあるのか?」
「う……まあ、たまに……あるかな」
もっぱらそれはアキラに関してのことだったが。
アキラは何だかんだ言って兄弟子達と仲が良い。芦原や緒方とよく食事に行ったり、連れ出されて遊びに行ったりしているのでヒカルは内心面白く無いのだ。
「子供だな」
くすっと笑われて首筋が赤く染まる。
「誰が誰と仲良くしていたって、それは相手の勝手じゃないか。ぼくはそういうことで腹が立ったりは絶対しないな」
「おれがおまえじゃない誰かと仲良くしてても?」
一瞬、驚いたような顔をアキラはした。けれどすぐに真面目な顔で頷く。
「どうしてぼくがキミに焼き餅を妬かなければいけないんだ?」
少なくとも今まで一度もそんな気持ちを感じたことは無いよときっぱりと言い渡されてヒカルは絶望の淵に落とされたのだった。
だって自分が誰と何をしていても何も感じないとすれば、アキラの自分への関心はその程度ということになるからだ。
(うわ、おれ告白もしてねーのに失恋確定かも)
ほんの少し期待している所もあったために、余計にヒカルは落ち込んだのだった。
それから数日後、ヒカルはアキラと待ち合わせて碁会所に行くことになった。
どちらも手合い日だったので、先に終わった方が棋院の一階で待つという非常に緩い約束だった。
この日はヒカルが先に終わり、手持ち無沙汰にアキラを待っていたのだが、そこに囲碁教室の参加者である若い女性の一団がやって来た。
中にヒカルが相手をしたことのある女性も混ざっていたのでしばし雑談していたのだが、気がついたらエレベーター前でアキラが不機嫌な顔でこちらを睨んでいる。
「あ、塔矢、終わってたんだ。悪ぃ、気がつかなかった」
アキラはムッとした顔のままつかつかと近づいて来ると、魚の群から一本釣りするようにヒカルの腕を掴んで引き出してそのまま出口へと向かった。
残された女性陣はぽかんとしており、ヒカルもその唐突さに驚いた。
「ちょ、まだ挨拶も何もしてないんだけど」
「別に構わないだろう。約束したのはぼくが先だし、用があればまた向こうから話しかけてくるだろうし」
その後地下鉄に乗っても仏頂面のままで不機嫌を隠しもしないので、ヒカルは恐る恐る尋ねてみた。
「おまえ、なんでそんなに怒ってるん?」
「別に、検討も断って来たというのにキミが女性に囲まれてやに下がっているのが見えたから胃がムカついただけだ」
えっ? と思う。
「それって焼き餅妬いたってこと?」
「まさか! ぼくはそんな子供っぽい感情を人に抱かないって言っただろう。単に今日の手合いの相手が非道く打ちにくい人だったので疲れて胃液過多になったんだ」
「ふうん?」
榊原七段ってそんな打ちにくい碁を打つ人だったかなと思いつつ、とりつく島の無いアキラにまあきっとそうなんだろうとヒカルは納得した。
けれどそれからも似たようなことが続いたのだ。
打ち掛けの時に奈瀬と院生時代のことで盛り上がって話していたらアキラが般若のような顔になっていたり、アイドルではあるまいに対局の後に出待ちをされてプレゼントを渡された時、帰り道ひとことも口をきいてくれなくなったり。
そしてよくよく考えて見れば今までもそのようなことは何度もあったような気がするのだ。
「なあ……」
和谷主催の合コンに参加した翌日、あからさまにムッした顔のアキラに突っ慳貪な対応をされまくったヒカルはとうとう意を決して言ってみた。
「おまえ、やっぱ焼き餅妬いてるんじゃ……」
「しつこいな、そんなことは有り得ないって言っているじゃないか」
「でもおまえが今日おれに当たりまくっているのって、おれが和谷達と合コンに行ったって知ったからだろ」
「そうだね」
「おれがおまえの知らない所で女の子達と飲んでたのが気にくわないんじゃねーの?」
「ぼくが? まさか。キミがどこで何をしていようとキミの勝手じゃないか」
(でも、そういう口調がもう既に怒ってるんだけど)
「だっておまえ、とにかくムカついてるんだろう?」
「そうだけど、これはお昼に食べた定食が重くて胃もたれを起こしているからだ」
「……胃もたれ?」
「そうだよ。キミに付き合って揚げ物なんか食べたから消化不良を起こしているんだ」
違うだろ! と言いたいのを我慢してヒカルはアキラに更に突っ込んで尋ねてみた。
「じゃあ、一昨日おれが院生のコに告られた後冷たかったのは……」
「前日寝不足で疲れていたから」
「その前の取材の時、おれが記者の人から名刺貰って食事に誘われたのを勝手に断ったのは?」
「公私混同は嫌いなんだ。いつもは我慢出来るんだけど、最近カルシウムが不足しているみたいでつい苛々してしまって」
「じゃ、じゃあその前の前に道端であかりに会った時のおまえ、無礼を絵に描いたみたいだったけど」
「そんなことあったかな? でももしそうだったとしたら、時間が無くて焦っていたのじゃないかな。キミはあまり時間を気にしないけれど、ぼくは予定が狂うのは嫌なんだ」
「ふーん………そう」
そ・ん・な・わ・け・な・い・だ・ろ!
ヒカルは思い切り心の中でツッコミを入れた。
間違い無くアキラはヒカルが他の誰かと仲良くすることに嫉妬しているのだが、全く気がついていないのだ。
(無自覚怖ぇぇ)
でも取りあえずそれはヒカルにとって朗報に間違いなかったので、それ以来ヒカルはアキラの「疲労」と「胃もたれ」と「睡眠不足」と「カルシウム不足」、それに「焦り」を心待ちにするようになったのだった。
| 2015年11月23日(月) |
(SS)ぼくと結婚して下さい |
その日ぼくは家に帰って眠りたいと、ただそれだけを願っていた。
前日まで四日間泊まりがけの対局で、ただでさえ緊張して眠りが浅かったのに最後の夜宿泊したホテルの火災報知器の故障で真夜中に叩き起こされたのだ。
一度起きてしまうと目が冴えて眠れず、結局そのまま帰って来たのだけれど、自宅に戻る前に棋院に寄らなければならない用事があって疲れた体を引きずって市ヶ谷に向かった。
用事を済ませてさっさと帰るつもりが、こういう時に限って中々離して貰えずに、折角だからついでに取材とか、丁度良いから次週のイベントの打ち合わせとか、皆鬼か! と思うような仕打ちを散々受けた。
ふらふらになりながらなんとかこなし、やっと帰れると思った瞬間事務方に呼び止められて絶望した時に、その後ろに進藤が見えた。
「塔矢じゃん! 何? 今帰って来た所か? おれも――」
ぼくは早足で彼の元に行き、襟首をぐいと掴んだ。 そして――。
気がついたら翌日の昼過ぎになっていた。
ぼくは自宅のベッドの中に居て、目を擦りながらリビングに行ったら進藤が苦笑しながらコーヒーをくれた。
「起きたのかよ。疲れは取れたか?」
「それよりどうしてキミが居るんだ?」
尋ねたら、あーと大袈裟に天を仰がれてそれから言われる。
「覚えてねーのか。マジかよ」
「悪いけど」
「おまえ棋院でおれの襟首掴んだじゃん?」
「うん」
「ちょうど良かった、すごく疲れているんだって言ってそのまま気絶するみたいに寝ちまったんだよ、おまえ」
「そうなのか」
「捨てておこうかと思ったけど、頼むから連れて帰ってやってくれって事務方のみんなに頼まれて仕方無く連れて帰って来てやったらさ」
くくっと可笑しそうに進藤が笑う。
「……なんだ?」
「おまえ意識不明で眠っているくせにあれこれおれに指示しやがんの」
溜まっている洗濯物を洗えだの、室内干しにしてあった洋服を畳んで仕舞えだの正に言いたい放題だったらしい。
「それは……申し訳無い」
どれもこれも帰ったらやらなければと頭の隅で思っていたことだった。
「だからおれは、言われた通り洗濯して片付けて部屋ん中掃除して、ついでにゴミ出しして不足している物をコンビニまで買い物に行ったりしたわけだ」
進藤も確かあの前日まで関西に泊まりがけの仕事に行っていたはずだった。
同じように用事を済ませるために棋院に来て、不幸にもぼくに捕まってしまったらしい。
「そのまま転がしておいても良かったけど、おまえもちゃんと着替えさせてやって、今日も早くから起きてメシの支度もしてあるんだ。どうよ、おれに何か言いたくならねえ?」
「どうかぼくと結婚して下さい」
反射的に、でも心の底からそう思ってしまった。
進藤はかなり驚いた顔をして、でもすぐに愉快そうに爆笑した。
「いいよ、わかったよ、貰ってやんよ」
日々おれのありがたさを思い知らせてやるからと言って、ぼくの前に手際よく遅い朝食を並べる。
天国だ。
温かい味噌汁と、ご飯と焼き魚と卵焼きと焼き海苔。
これ以上無い程完璧な朝ご飯を食べながら、ぼくは自分の本能の正しさを改めて噛みしめたのだった。
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Aさーん、リクエストの甘甘?な「いい夫婦の日」SSですよ〜。たぶん想像されたのとはまるっきり違うと思いますが勘弁。
| 2015年11月20日(金) |
(SS)攻撃は最大の防御 |
沸点が低く、すぐカッとなる性質の進藤は、それでも手が出るような喧嘩はあまりしない。
常日頃ぼくが喧嘩をするなと言い続けているのと、棋士という立場を彼なりに考えて我慢しているからだった。
「確かに相手が悪いかもしれないけれどね、だからって暴力で解決しようとするのは野蛮だよ」
「そんなんわかってるって! でもいきなり向こうから殴りかかられたら反撃しないわけにはいかないじゃんか」
大抵は殴る寸前で胸の中に収めて来るが、それでも押さえきれないこともあるようで、何度か派手な殴り合いをしているのをぼく自身目撃している。
「それとも殴られっぱになっていろって言うのかよ」
「逃げろ」
「は? みっともなく尻尾巻いて逃げろって?」
「負けるが勝ちって言うだろう。嘲られても挑発に乗って無駄な闘いをするよりはずっとマシだ」
諭すようなぼくの物言いに進藤の顔がむうっと曇る。
「今日みたいに囲まれちゃってるって時にもデスかあ?」
「うん。必死で逃げろ」
「ダチも一緒で一人で逃げるわけにも行かない時にでも?」
「逃げろ。キミ一人逃げて、それで卑怯者になってもぼくは構わないよ」
勿論それで進藤が納得するわけも無い。ぼくも重々解っている。
案の定進藤は深く眉根を寄せるとぼくに言った。
「悪いけどそれ無理。おれだけならなんとかするけど、和谷とか、もし岡とか庄司が一緒に居たら見捨ててなんか逃げられない。その時はどんなにおまえが怒っても応戦する」
「どんなにぼくが頼んでも?」
「どんなにおまえが頼んでも、だ」
そして進藤はテーブルの上に置いていた右手を胸元に引いた。
緩く握られた拳の上には絆創膏が数枚貼られている。膝に置いている左手にも数枚。頬にも一枚貼ってある。もちろん全部ぼくが貼ってやったのだ。
「おまえだって本当は仲間置いて逃げるおれなんて嫌いだろうが」
じっとぼくを見つめて問う進藤の声はもう答えを知っている。確かにぼくはそんな人間は大嫌いだし、彼がそうであるならばこんなに好きにはならなかった。
でもそれを言葉にして肯定するわけにはいかない。
「さあね。 それでもキミが誰かを傷つけて犯罪者になったり、誰かに傷つけられて万が一にも命を落とすようなことがあるよりはマシだ」
進藤の顔がちぇっという表情を浮かべる。
「交渉決裂だな」
「うん。交渉決裂だ」
彼が譲れないようにぼくも彼に譲れない。何故なら彼の命はぼくにとって全世界よりも重いから。
「じゃあ、まー…なるべくおれがそういう目に遭わないように祈ってろよ。おれだって好きでやってるわけじゃないんだし」
「うん」
「あ、それからさっきは言わなかったけど、もしおまえが一緒だったらおれはもっと卑怯者にはなれないから」
おまえに危害を加えるヤツが居たら、おまえがどんなに願ってもおれはそいつをぶちのめすよと言われて、ここは喜ぶべきなのか悲しむべきなのかと一瞬困った選択に陥った。
「わかった。じゃあぼくは精々キミの足手まといにならないことと、キミだけが罪を負うことが無いように一緒に応戦することを心がけるよ」
「え?」
「どうしてそんな意外そうな顔をするんだ。キミは売られた喧嘩を買わずにはいられない。そしてぼくが一緒だと、よりそう選択せざるを得ないと言うなら仕方無いだろう」
常に武器を携帯し、武術も習いに行くことにするよと言ったら進藤は非道く苦い顔つきになった。
「おまえ………卑怯」
「そんなことは無い。我ながら実に前向きな検討だと思うけど」
取りあえず次の休日には一緒にスタンガンでも見に行こうかと誘ったら、進藤は完全に沈黙してしまった。
策略でも無く脅しでも無く、ぼくは本気で言ったのだけれど、進藤には相当に強力な脅迫になったらしい。
その後半年が過ぎるものの、彼が喧嘩をして帰って来たことは一度も無い。
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アキラは「素」です。
| 2015年11月08日(日) |
(SS)KILLER |
季節の変わり目と言えば聞こえは良いが、暑いのか寒いのかよくわからなくて毎日着る物に困ってしまう。
朝夕は冷えるのに日中は汗ばむ程の陽気だったり、かと思えば北風が吹いて1日中真冬のような寒さになったり。
特に困るのはコートで、薄手の物にするか厚手の物にするかで非道い時には小一時間も悩んでしまう。
「別にどっちでもいいじゃん。今日は天気が良いから薄手のを着て行ったってそんな寒くはならないと思うぜ?」
自分はもうさっさと薄手のコートに腕を通し、身支度を終えてしまった進藤は、二つのコートの前で悩んでいるぼくを可笑しそうに見て言った。
「でも帰りが結構遅くなるし、そうなったら冷えると思うし」
「だったら厚手のを着て行けばいいじゃん」
「でも今日はキミがさっき言ったようにとても天気が良いんだ。天気予報でも温かい1日になるって言っていたし、そうなるとこれだと暑すぎる」
「じゃあ薄手の方に決定」
「ただ風は北風だ。昼間は良くても日が暮れたらきっと凍えるように寒くなるよ」
ちょうど一年前、風邪を拗らせて寝込んだぼくとしては、なんとしても不要に体を冷やすことはしたく無い。
「それなら厚手の方にしておけよ。暑くなったら脱げばいいし、それで問題解決だろ?」
「脱いだらその後ずっと手に持っていなければいけないじゃないか。荷物が増えるのはぼくは嫌だ」
こいつ面倒臭い。
大きくため息をついた進藤の顔には、はっきりとそう書かれていたが、天晴れなことに彼は言葉にしてそれをぼくには言わなかった。
その代わりにクローゼットからマフラーを出して来て、それをぐるりとぼくの首に緩く巻く。
「取りあえずこれ巻いて行け。そうすりゃ温かいから。それで荷物が増えるのが嫌だって言うんならコートは薄手のを着て行けばそれでいいだろう」
「首回りだけ温かくても、体が冷えたら元も子もないじゃないか」
「うん、だからさ、もし寒くなったらおれが―」
言いながら進藤は背後に立って腕を回すと、ぎゅっとぼくの体を抱きしめた。
「―こうやって温めてやるからさ」
それで大丈夫だろと言う進藤にぼくは危うく逆上しかけた。
どこのジゴロだ! どこのたらしだ! よくもそんな恥ずかしいことを口に出して言えるなとのど元まで罵倒の言葉が溢れかけた。
けれど進藤の顔に邪気は全く無くて、どうやら素でそう思っているようなのだった。
「ん?」
促されてぼくは本気で困った。
「ばっ」
バカじゃないのかと言いたくて。
「……うん」
それが出来ずに頷いてしまった。
「有り難くそう……させて貰う」
もごもごと口の中で言うぼくに、進藤は満足そうににっこり笑った。
「よっしゃ、決定! 良かったな、決まって」
邪気の無いのにも程がある。
(これだから!)
薄手のコートに腕を通しながら、ぼくは進藤ヒカルはぼくキラーだと心の底から思ったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
天然アキラキラー、ヒカルです。
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