| 2015年04月25日(土) |
(SS)小アキラ大アキラ |
頼まれてヒカルが通うようになった子ども囲碁教室には、アキラという名前のクソガキが居た。
どう見ても碁盤の前で座っているよりは外を駆け回っている方が似合うタイプなのにどうして来ているのかと言えば、碁を打つことは好きだったからだ。
「じいちゃんに教えてもらったんだよ」
「へえ」
「半分ボケちゃってたけど、碁を打つ時だけはしゃんとしてたな」
けれどその祖父が亡くなって、碁を打つ相手がいなくなってしまったので仕方無く教室に来るようになったのだという。
どことなく子どもの頃の自分を彷彿させるものもあり、また囲碁が好きというのは嘘では無かったので、ヒカルはこの小さいアキラが悪さをしても極力声を荒げないで諭すように努力した。
けれどまだ20代前半だというのに「クソジジイ」と呼ばれ、白石を投げつけられた時にはぶちっとキレた。
「このっ、アキラ! クソガキ! 言うこと聞かないとぶん殴るぞおら!」
気がついたら教室中に響き渡るような声で怒鳴っていて、でも代わりにすっきりしたのだった。
以来ヒカルはこのアキラに遠慮することは無くなった。
悪いことは悪いと教えなければいけないし、本人も多少叱られたくらいでは全くクサることも無く、へこたれることが無かったからだ。
そんな日々が半年ほど続いた後、大人の方のアキラが教室をのぞきに来ると言い出した。
「キミが子ども相手に四苦八苦している所を見たいからね」
「そんな苦労してねーよ、もうすっかりみんな懐いたし」
「どうだか」
笑いながら言ったけれど、半分は自分も子ども達と打ってみたい気持ちがあったらしい。
ヒカルと同じでアキラも子ども達に囲碁を教えるのが好きなのだ。
そして約束した日、アキラは手土産を持って囲碁教室に現れた。
「何? なんか買って来てくれたん?」
「大したものじゃないよ。ドーナツ。休憩の時にでも皆で食べたらいいんじゃないかと思って」
「わ、あいつら喜ぶよ。ありがとうな」
和やかに話しながら廊下を歩く。
公民館の一室を借りたそこにはもう二十人ばかりの子ども達が集まっていて、ヒカルとそして客としてやって来るアキラのことを待っていた。
「まあ、ちょっと騒がしいかもだけどそんな悪い奴はいないから我慢して」
「キミからそんな言葉を聞くようになるなんて」
「言ったな」
軽口を叩いてドアを開けた瞬間、わっと騒音が二人を包んだ。
コーラスやダンス教室なども行われるために公民館は意外に防音性が良い、だから解らなかったのだが中は大層な騒ぎになっていたのだ。
走り回る子ども、机の上に立って何やら踊っている子ども、そしてあの小さなアキラは碁笥を片手に節分の豆撒きよろしく碁石を掴んでは周囲にまき散らしていた。
「くおら! てめーら何やってんだ! アキラ! おまえあんだけ言っといたのにまだわからねーのか! 大人しくしないとぶん殴るって言っただろうが!」
それまでも子ども相手というだけでは無く、アキラと同じ名前ということにヒカルはかなり抵抗があった。
けれど怒鳴る回数が増えて行くたびに慣れて行き、今ではまったく何の抵抗も感じなくなっていた。
なのでこの時もいつものように怒鳴ったのだが。
「いい加減やめろって言ってんだよアキラ! てめぇケツ叩くぞ!」
碁石を投げまくる悪ガキをヒカルは動物園の飼育係り宜しく掴まえて席に座らせた。
中心になっていた小さなアキラが大人しくなったので他の子ども達もそれに習って席に着く。
教室内の環境が整った所でヒカルはくるりと大きなアキラを振り返った。
「あー、悪かったな塔矢」
その瞬間、アキラがびくりと身をすくませた。
「………え?」
見れば心なし顔色が悪くなって涙目になっている。
「ごめん」
消え入りそうな声で言われてヒカルは仰天した。
「や、違うっておまえを怒鳴ったんじゃないってば!」
けれどヒカルが口を開くたびにアキラの体はびくっとしてしまう。
今まで喧嘩は山ほどして来たけれど、名前を呼び捨てされて怒鳴られることは一度も無かったのだ。
「違うって、本当におまえを怒鳴ったんじゃないってば」
「わかってる。…でも」
あまりのヒカルの剣幕にアキラはすっかり恐れを成してしまったらしい。
その日はなんとか教室で子ども達を教えたものの、以来どんなにヒカルが誘っても二度とその子ども囲碁教室にアキラが来ることは無かったのだった。
| 2015年04月23日(木) |
(SS)春眠暁を覚えず |
どうにもこうにも疲れていた。
疲れていると判断力が低下する。
眠るつもりは無かったのに、ぼくはいつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい、揺さぶられてぼんやりと意識を取り戻した。
「おい、塔矢」
ああ進藤だ、そう思った時、反射的に言葉がこぼれた。
「ごめん、今夜は無理だ。疲れ過ぎていて、これじゃ何をされても感じない」
何故かしんと間が開いて、その瞬間完全に覚醒した。
「違う! 今のは―」
はっと目を開いて顔を上げると、驚愕したたくさんの目とかち合った。
どうしてそう思ってしまったのかわからないけれど、ぼくは自宅のリビングかベッドルームに居るつもりだった。でもここは居酒屋で皆で飲んでいる真っ最中だったのだ。
なんとも言えない気まずい空気の中、進藤一人が上機嫌だった。
「うん、うん、おまえここの所忙しかったもんな」
大丈夫、ちゃんと元気になってから念入りに可愛がってやるからと、ぼくの体を抱きしめながらそう言うので、そうでなくても冷え切った周囲の温度は更に数度下がったのだった。
喧嘩という程でも無い言い争いをしてから、ぼく達は眠る時手を繋がなくなった。
正確に言えばぼくの方から彼の方へ手を伸ばさなくなったというだけのことだけれど、いつも僅か彼の手がぼくの手を探して動くのが解る。
でもぼくからは動かない。
いつから眠る時手を繋ぐようになったのか解らないが、ぼく達は眠る時お互いに手を伸ばし合い、しばしの間手を繋ぐようになった。
そのまま眠ってしまうこともあれば少しして離すこともある。でもそれはなんとなく始まって、そのまま継続して行われていた小さな愛情の確認作業でもあった。
「おまえさあ…」
進藤は何か言いかけて何度も口を噤んでしまう。
表面的にはぼく達の諍いは終わり、ぼくも普通に接しているからだ。でも手は繋がない。
それでもしばらくは悔しさからか持久戦に持ち込んだようだったけれど、結局音を上げたのは進藤の方だった。
「悪い、悪かった。とにかくごめん、本当にごめんなさい。反省してるから許して」
そこまで謝る程の諍いでは無かったのだが、ずっとぼくの心に棘が残ったままだったのは事実だったのでため息と共に進藤に言う。
「別に怒ってなんかいないよ。だから謝る必要は無い」
「でもおまえ―」
「本当に怒ってはいないから」
疑わしそうな進藤にそれ以上は物を言わせずぼくはその件を終わりにした。
(まったく)
些細なことだから傷も小さいと思うのは間違いだ。その事を身に染みて反省しろと心の奥深くで歯ぎしりするような思いで呟く。
しょんぼりとした犬のようなキミ。
それでもとりあえずぼく達はその夜からまた元のように手を繋いで眠るようになったのだった。
うららかで温かいその日、棋院では二つの研究会が行われていた。
片方は塔矢門下に縁のある棋士が主催しているものでアキラが参加し、もう一つは森下九段と親しい棋士が主催している研究会だったのでヒカルが参加していた。
お互いに相手が来ていることを知ってはいたが、階が違うために会うことは無いだろうと思われた。
少なくともヒカルはそう思っていた。
ところが数時間が過ぎ、ちょっと休憩でもと皆で茶を飲んでいる時にふいに入り口からアキラが顔を覗かせたのだ。
「おや、塔矢くん」
「すみません、お邪魔します」
ぺこりと頭を下げて部屋に入って来たアキラは、ヒカルを見つけると腕を掴んで連れ出した。
「なんだよ?」
尋ねるヒカルに返事もせず、通路まで来た所でちゅっと軽く口づけると「それじゃ」とくるりと背を向けて去って行こうとした。
「ちょ…なんだよ今の」
焦りと驚きで思わず怒鳴るヒカルにアキラは不思議そうな顔で振り返った。
「だってキミ、今日来てるって言っていたじゃないか」
「いや、言ったけど、それでどうして」
「したかったんだ」
さらりと言ってにっこりと笑う。
「ここの所キミと会っていなかったから、ずっと会いたいなと思っていた。だから来た、それだけだ」
キミ分を補充出来て満足だ。また今度ゆっくり会おうと言って呆然とするヒカルを残して今度こそアキラは一人さっさと去って行ってしまった。
「あいつ―」
(信じられねえ!)
ヒカルは立ち尽くしたままアキラを見送り、けれどやがて正気に戻って一瞬追いかけようとした。
(や、無理! 無理だっての)
今はたまたま休憩中だったが、向こうがどんな状況かは全くわからない。
アキラがどう言って抜けて来たのか知らないが、万一皆で真剣に検討しているのだったら、その最中に無神経に乱入するような勇気はヒカルには無かった。
(あいつ、どんな神経してんだよ)
全く同じ状況にも関わらず、平気な顔でやってきたアキラの心臓にヒカルは感嘆しつつ、悔しくてたまらなかった。
「…リベンジだ」
いつか絶対リベンジしてやると思いながらヒカルは火照る頬を両手で抑え、休憩時間が終わるまで、そのままの姿勢で過ごしたのだった。
| 2015年04月07日(火) |
(SS)何も間違ってはいない |
アキラは周囲に大人ばかりという環境の中で育ったために、子どもの頃から目上の人に対する礼儀作法を厳しく躾けられていた。
特に女性への接し方は母親から念入りに叩き込まれていたために、今では一端のフェミニストになっていた。
それ故にヒカルの女性に対するぶっきらぼうな言動が、日頃気になって仕方が無かった。
「おばちゃん、ご馳走様!」
「おばさん、また来てくれたんだ。いつも応援ありがとうな!」
「あ、おばさん。この間頼んでおいた雑誌のバックナンバー取り寄せてくれた?」
行きつけの店の店員や応援してくれるファン、棋院の売店の職員をあまりにも気軽におばさんと呼ぶので端で見ていてはらはらするのだ。
「進藤キミね、女性をおばさん呼ばわりするのは止めた方がいいよ」
「は? なんで? だって本当におばさんじゃん」
ある日見かねて注意をすると、ヒカルはものすごく驚いた顔をした。
元々全く悪気は無く、自分より年上の女性=おばさんという認識であるらしい。
呼ばれる方もヒカルが屈託無いために悪い印象は持っていないようだったが、全部が全部そういうものでも無いだろう。
「あのね、年齢に関係無く、女性におばさんというのは失礼なんだよ。その呼び方は決して良い印象は与えないし、呼ばれて不快になる人だって沢山居る」
だから十把一絡げにおばさん呼びしないで、名前が解る人は少なくとも名前で呼ぶべきだと諭したのだった。
「えー? 別にいいじゃん、面倒臭い」
いかにも鬱陶しそうに返事をしたものの、ヒカルは元来素直だった。
納得がいかないことには全力で戦うが、納得がいったことは受け入れる。
今回の女性に対する呼称も、取りあえず反発しては見せたもののアキラの説明で納得がいったのでヒカルは素直に実行することにしたのである。
「ごちそうさま、あ…えーと、小百合サン。また明日も来るからな〜」
「としゑサン、こんにちは。腰痛いって言ってたの治った?」
「恭子サン、この前はありがとうございました。また取り寄せ頼んでもいいデスか?」
これをにっこりと極上の笑顔と共に言うのである。ヒカルの人気は中高年の女性を中心に急激に鰻上りに上がった。
「よっ、このホスト野郎」
「熟女好きが!」
おかげでヒカルは日本棋院のマダムキラーと甚だ不本意なあだ名をつけられてしまい、かなり長い間ふて腐れることとなった。
けれどその原因を作ることになったアキラはヒカルより更に深く落ち込んでいた。
(…確かに名前で呼べとは言ったけれど)
まさか下の名前で呼ぶとは思わなかった。
普通呼ぶなら名字だろうと、アキラはヒカルの素直さに呆れながらも無駄にライバルを増やしてしまった己の失態を心の底から悔やんだのだった。
少々潔癖症の気味のある塔矢はどんなに疲れていても、どんなに遅く帰って来ても必ず最低シャワーだけは浴びて寝る。
そしてそれが出来ない時にはおれに指一本触らせてくれない。
以前どうしても高ぶって抑えきれずに無理矢理抱いたら、その後一ヶ月程口をきいてもらえなかった。
『キミはそれでいいかもしれないけれど、踏みにじられたぼくの人としての尊厳はどうなる。いつもキミは自分は気にしないからと言うけれどキミの問題じゃない。ぼくが嫌なんだ。だから今度こんなことをしたら本気でぼくはキミと別れるからね』
にこりともせず突きつけるように言われてさすがにおれも反省して、以後無理強いすることは一度も無かった。
けれどその日、泥のように疲れて帰ったおれに珍しく塔矢の方から触れて来た。
さわさわと腰回りを撫でるようにする触り方は紛れも無くそういう意味で、 でもおれは本音を言えば疲れていたのでもうそのまま眠りたかった。
「ごめ…おれ、今日は」
うとうとしながら言っても全く塔矢の指は止まらない。
「わかった、わかったよ。でもシャワー浴びて来るからちょっとだけ待って」
移動に次ぐ移動、そしてその日は蒸し暑かったのでどろどろに汗をかいていたからだ。
「いいよ別に。このままでいい」
塔矢はおれの意識がクリアになったのを確認して、そのままぐいと肌着の中に手を差し込んで来た。
「や、だからちょっと待てって、おれ今すごく汗臭いし、するなら綺麗にしてからしたいし!」
「いいじゃないか、ぼくは別に気にしないよ。キミは言う程いつも汗臭かったことなんか無いし、むしろシャワーを浴びないくらいの方がキミの匂いが良く感じられてぼくは好きなんだ」
「は? や! でもおれがヤだっての!」
塔矢の言っていることはいつもおれが塔矢に言っているのと同じことばかりで目が丸くなった。
「おまえ、そのまましようとするとすげえ怒るじゃん。おれだってそうだって言ってんの!」
「ぼくがいいと言っているんだよ」
ムッとしたように言って塔矢はおれの下着を脱がせると下腹部にそっと鼻を押し当てた。
「ほら、良い匂いじゃないか。キミの匂い…すごく好きだよ」
とても興奮すると、いやそれもいつもおれが言っていることだろうと心の中で絶叫しながら、でも塔矢の迫力に押されて反論することは出来なかった。
(じゃあ、おれの人としての尊厳はどうなるんだよ)
そんなもん、もしかして最初から無かったのかもしれないなと思いながら、おれは満足した猫のようにおれの体に乗りかかり、誘うように腰を動かす塔矢の体を諦めてしっかりと両手で支えてやったのだった。
「おい進藤、塔矢がおまえのこと好きだって言ってたぜ」
四月一日、エイプリル・フール。折角なので嘘をついてやれと進藤に言ってみたら、驚くかと思いきやあっさりと返された。
「ああ、うん。知ってる」
「は? いや、そういう意味じゃなくてさ、マジで惚れてるって言うか、おまえになら抱かれてもいいって言ってたぜ?」
言い過ぎかなと思いつつもあまりにリアクションが薄いのでそう言ったら、今度は進藤はにやりと笑って言ったのだった。
「ああ、だからそんなのよっく知ってるって」
さてはあいつ、エイプリル・フールってことを解っていたのかと、じゃあと今度はそういったことに全く興味の無さそうな塔矢を探して言ってみる。
「おい塔矢、進藤がおまえのこと好きだって言ってたぞ」
「うん。知っているよ」
またかよと思いつつ、ため息混じりにだめ押しをする。
「違うって、そういう好きじゃなくてさ、おまえのこと押し倒してヤリまくりたいくらい好きだって言ってたんだけど」
「だから知っているよ」
もっとも、「くらい」じゃなくてもうされているけれどねとにっこりさらりと返されて、おれはこれが嘘に対する嘘返しなのか真実なのか解らずに、でもとても恐ろしくなってしまったので、それ以上考えるのを止めたのだった。
|