| 2015年01月29日(木) |
(SS)叱られたがり |
「進藤くんて本当にアキラのことが大好きだよねえ」
芦原さんにそう言われてぼくは思わず「は?」と返してしまった。
「何がどうなってそういう発言になったんですか?」
というのはついさっき進藤に注意をして、少々険悪になった所だったからだ。
たくさんの人の集まるイベントで進行役をしていた彼は、マイクスタンドに足を引っかけて転び、右足を擦り剥いたと言ってやって来たのだ。
『なあ、おまえ絆創膏か何か持って無い?』
濃い色だったから良かったものの、スーツの膝には血の染みが出来ていて、ぼくはそれを見た途端言ってしまった。
『キミね、もう子どもじゃ無いんだから、少しは落ち着いて行動したらどうなんだ』
『別に慌ててこうなったわけじゃねーよ、気がつかない所にスタンドの足が出てるから悪いんじゃん』
『スタンドのせいにするんじゃ無い。ちゃんと足下を見ていれば避けられたことじゃないか。仮にもタイトル持ちが恥ずかしい』
『なんだよそれ、タイトルと怪我とは何の関係もねーだろう。大体おまえはいつもスカしやがって―』
仕事の場なので非道い罵り合いにはならなかったものの、進藤は思い切り拗ねた顔をして去って行ってしまった。
これは当分不愉快な態度を取られるなと憂鬱になっていた所だったので兄弟子の発言は聞き捨てならないと思ったのだ。
「いや、だってさ、言わなきゃいいことをわざわざ報告に来るんだよ?」
芦原さんは笑いながら言った。
「さっきだって別にアキラに言いに来なくたって、近くに友達の和谷くんやスタッフがいたじゃないか」
それをわざわざ言いに来るなんて、本当に彼は甘えん坊なんだねえとしみじみと言われて、でもぼくは釈然としない。
「たまたまですよ。進藤はぼくがそういう物を常備していると思っているから」
思い返して見るといつもそうだ。
『塔矢〜腹痛い』
『塔矢、寒くて指先がかじかんでよく動かない。カイロ持ってねえ?』
『塔矢、壁に出てた釘に引っかけてシャツが破れた』
ぼくはキミのお母さんじゃないと何度口を酸っぱくして言ったことか。
「でもそれでも進藤くん、アキラの所に来るんでしょう?」
「…はあ。ぼく相手なら遠慮はいらないと思っているんじゃないでしょうか」
「違うと思うなあ。叱られても叱られても来るって言うのはつまり叱って欲しいからってことでしょう」
「まさか」
ぼくが注意すると進藤はいつも本気でムッとした顔をする。
自分から来ておいてなんだその態度はと更にキツイ口調になるぼくも悪いのだろうけれど、最終的に大喧嘩になることだってよくあるのだ。
「それでもやっぱり、進藤くんはアキラに叱って欲しいんだと思うなあ。あ、ほら彼またこっちに来るつもりなんじゃないの? ふふふ、ちょっと試してみようか」
「試す?」
「うん。だからアキラちょっと奥に引っ込んでみてよ」
言われてぼくは仕方無くカーテンの影に身を隠した。
確かに人混みの中から進藤がこちらにやって来ようとしているのが見える。
右手で左肘の辺りを押さえているのはまた何かやらかしたんだろうと考えていると、ふと彼が困惑したように立ち止まるのが見えた。
芦原さんしか居ないことに気がついたんだろう。困ったような顔になってきょろきょろと辺りを見回している。
「ほら」
こそっと正面を向いたまま芦原さんが小声で言う。
「進藤くん、アキラを探しているよ」
「違いますよ。たぶん和谷くんか冴木さんか知り合いを捜しているんでしょう」
確かに最初はぼくの所に来ようとしていたのだと思う。
でも居ないから他の知り合いに声をかけることにしたのだろうと思いながら見ていると、良いタイミングで和谷くんが通りかかった。
「何してんだよ、進藤」
「や、別に」
離れているので実際に話す声が聞こえたわけでは無いが、口の動きと雰囲気で大体そんな会話だったのだろうと推測がつく。
進藤は左肘を押さえたまま、まだ何かを探していた。
ひたすら辺りを見回している様はなんとなく置き去りにされ、迷子になった子犬のようで、見ているぼくはたまらなくなった。
「うーん、ちょっと可哀想かな。アキラ、そろそろ行ってあげ―」
芦原さんに言われるまでもなく、ぼくはほぼ無意識にカーテンの影から彼に向かって足を踏み出していた。
(そんなはず無い)
進藤がぼくだけを探しているなんて、ぼくに叱られたがっているなんてそんなバカなことがあるわけが無いと思いつつ、引き寄せられるように歩く。
その途中、進藤の目がぼくを捉えたのが解った。
瞬間、ぱあっと彼の表情が明るく嬉しそうなものに変わる。
(まさか…でも…)
「塔矢!」
騒がしい会場中に響くほどの声で進藤はぼくを呼んだ。
「塔矢、塔矢、どこ行ってたんだよおまえ」
まっすぐにぼくに向かって走って来ると、進藤は口を尖らせてぼくに言った。
「すっげえ探しちゃったじゃんか、もう」
「探すって、どうかしたのか?」
まだ信じられない気持ちでぼくは彼に言った。
「何か…用事でも?」
「これ、これこれ! 見てくれよ!」
押さえたままの左肘をぐいとぼくの方に見せつけるようにして言う。
「舞台袖で片付けやってたら角材が飛び出してたのに気がつかなくて思い切りぶつけちゃってさあ、そしたらなんだかずっと痛くて動かせないんだよ。どうなってるかおまえちょっと見てくんない?」
どうしようもない粗忽さの証明を進藤はまるで百点のテストを自慢するかのような口ぶりでぼくに言う。
「たぶん痣くらい出来てると思うんだけど、骨までイッちゃったかな? なあ? どう思う」
「ば…」
にこにこと嬉しそうな進藤の顔に胸が締め付けられそうになりながら、ぼくは叩きつけるように言った。
「バカじゃないのかキミは! さっさと救護室に行け! そこで指示を仰いでもし拙いようならすぐに医者に行くんだ!」
「え〜?? そこまで非道くは無いと思うんだけどなあ。とにかくまず見てくれってば」
「だから!」
何故ぼくなんかの所に来る。キミには他に幾らでも甘えられる友人達が居るはずなのに。
それでも真っ直ぐにぼくに、ぼくだけの所に来るのはキミが求めているからなんだろうか。
「四の五の言っていないでさっさと救護室に行けったら行け! これ以上子供のように駄々をこねているようなら簀巻きにして会場から叩き出すぞ」
人が振り返る程の剣幕で言ったら流石に進藤はむうっと拗ねた顔になり、渋々とぼくが指さした方向に歩き始めた。
「なんだよ塔矢のケチ」
薄情もん、人でなし、冷血漢のすっとこどっこいと文句を言いながらもちらちらと未練がましくぼくを振り返る。
(ああ、もう!)
認めざるを得ない。進藤はたぶんきっと本当にぼくに叱られたがっているのだ。
そしてぼくはそのことを恥ずかしげも無く嬉しいと思ってしまっている。
「アキラ」
遠く、背後から芦原さんの笑ったような声がかかる。
「すみません。しばらく持ち場を離れます」
ぼくは振り返りもせずに返事をすると、進藤の方に目をやった。
実際非道く痛むのだろう、進藤は腕をしっかりと押さえたまま段々とうつむき加減になっていく。
「進藤、待て! ぼくも行く」
きっと彼はふて腐れた顔で振り返るんだろう。そして今更なんだと憎まれ口をきくに違い無い。
そこからまたもや大喧嘩に発展するのかもしれないけれど、でも彼の目はきっと嬉しそうに笑っているのだと思うから、望み通りたっぷり説教をくれてやるために、ぼくは急いで彼の後を追ったのだった。
何度も口を酸っぱくして言っているのに、進藤は服を脱ぎっぱなしにする癖が直らない。
特に上着の類が多く、外出から帰って来て『取りあえず』椅子の背などにかけてそのままにしてしまう。
それを何度も繰り返すので椅子の背には何着も上着が重なることになり、甚だ見た目もよろしくない。
つい昨晩も注意したばかりだと思うのに、今日もまたソファの上に着て出たはずのジャケットが脱ぎ捨ててあった。
(一度帰って来て、別のものと替えたんだな)
脱ぎ捨ててあったのはコーデュロイ生地だったので、見た目は良いけれど少々重い。どこに行ったのかは知らないが、もっと軽くて動きやすいものにしたのだろう。
「…それでもハンガーにかける時間くらいあっただろうに」
本当にぽいと投げ出してあるのが腹が立つ。
いや、帰ったらちゃんと仕舞おうと思っていたんだってとは進藤がいつも言う言い訳で、実際本気でそう思っていたのだろうが実行されることは中々無い。
「少しキツく言った方がいいかな」
今度という今度は少し反省して貰わないとと思いながら取り上げて、ハンガーにかけようとした時にふとその肩幅が気になった。
(大きいな)
身長は進藤の方が高いとはいえ、それほど大幅に違うわけでは無い。
けれど体格は胸板の厚さというか肩幅も併せて進藤に大きく劣っている。
子どもの頃はぼくの方が背が高く、そんなに大きな体格差は無かったのにと思うとなんだか悔しくて、一体どれくらい違うのだろうかとジャケットに腕を通してみた。
(あっ)
その瞬間、ふわりと進藤の匂いがした。
進藤のものなのだから当たり前と言えばあたりまえなのだが、あまりに濃く漂ったので直接肌の香を嗅いだような気持ちになった。
その上ジャケットはやはりぼくには大きくて、すっぽり体が収まってしまったものだから、まるで抱かれているかのような錯覚に陥る。
「…少しくらい大きくたって」
(碁はまだぼくの方が上だ)
ため息混じりに呟いて、しばし目を閉じる。
厚手の生地は温かくて柔らかく、本当に腕を回されているかのようだった。
漂って来る進藤の匂いは心地良くて安らいで、それに少々、かなり腹が立つ。
いつからこうなってしまったのか。それとも背を抜かされた時にこうなると決まってしまったのだろうか。
「…キミなんか」
ジャケットの前を合わせながらぽつりと呟く。
「キミなんか、今もだらしない子どものままじゃないか」
だらしなくて、大ざっぱで、いい加減で。
でもこうして脱ぎ捨てられた服にくるまれているのは非道く気持ちが良いことだったので、叱るのはまた今度にしてやろうと思ったのだった。
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ただそれだけの話です。いや、まあ。惚れた方が負けなんですよ。 そして、なんとなく前の話の続きみたいなタイトルになってしまいましたが全然関係無い話なのでした。ごめんなさい。
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