対局中継や時折頼まれる囲碁番組の解説以外テレビに縁のないぼく達だけれど、希に思いがけない所から出演依頼される時がある。
進藤が今回依頼を受けたのは朝のワイドショー番組で、普通はアイドルや、ドラマや映画の番宣のために俳優が出るような枠だった。
それに最近三冠を達成し、話題となっている進藤が声をかけられたのだった。
「えー、朝の番組に出るなんて言ったらすげえ早く起きなきゃじゃん」
罰当たりな進藤は事務方から話を聞くなり文句をたれた。
「大体なんでおれなんだよ。三冠って言ったらおまえだって三冠じゃん」
「そのぼくから本因坊を奪って三冠になったんだろう、キミは」
そもそもがぼくはテレビ向きじゃない。堅苦しいし、愛想も無い。進藤の方がずっと朝の番組向きなのだった。
「えーでもやっぱ面倒だなあ」
ぶつぶつ文句を言っていた進藤は、けれどその番組でインタビュー役をするのがお気に入りのアナウンサーだと解ってコロっと態度を変えた。
「そうだな。お茶の間に囲碁の良さを知ってもらういいチャンスかもしれないもんな」
呆れる程の掌の返しようである。
「別になんでもいいけれど、妙なことを口走って囲碁界のイメージダウンにならないように気をつけろよ」
彼のお気に入りは前年までお天気お姉さんをしていた可愛いアナウンサーなのでぼくは内心面白く無い。
「信用ねーなあ、平気だよ。間違っても下ネタや放送禁止用語なんて言ったりしないから」
「当たり前だ」
そして当日、いそいそと出掛ける彼を見送った後、寝直すことも出来なくてなんとなく漫然とテレビ番組を眺める。
今日は手合い日なので適当な所で出掛ける支度をしなければいけないのだけれど、進藤の出演が気になっていつまでもテレビの前を離れることが出来ない。
そうこうしているうちにそれは始まって、ぱっと画面に進藤の顔が映った。
瞬間、思わずドキリとする。
(毎日家で見慣れているのに何を今更)
けれど対局時のようにビシッとスーツを着込んで余所行きの顔をしている進藤は男前度が三倍増しで、まるで別人を見ているようなのだ。
『進藤さんは先日、本因坊の座を獲得され見事三冠となったわけですが―』
アナウンサーの質問にそつなく答え、本因坊戦や囲碁のことを歯切れ良い口調で説明する進藤は、とても第一回北斗杯のテレビ中継の時に緊張してあがってしまったのと同じ人間には見えなかった。
『その若さで三冠なんて本当に素晴らしいですねえ』
『でも同い年で先に三冠達成したヤツがいるんで、あんまり威張れないんですよ』
『塔矢アキラ棋聖ですね。そういえばお二人は親友同士だとか。良きライバルでもあるわけですね』
『うーん、どうだろう。顔合わせれば喧嘩ばっかりしてますけど』
『喧嘩するほど仲が良いっていうことでしょうか。実は私、第一回北斗杯で初めて進藤さんと塔矢棋聖を知ったんですが』
『うわ、アレ、おれ負けたヤツじゃないですか。まいったなあ』
『いえ、とても素敵でした。あの時に進藤さんの熱烈なファンになりまして、今回ゲストでいらっしゃると知ってとても嬉しかったんですけれど、せっかくなので立ち入ったことをお聞きしても構いませんか?』
『えー? なんだろ。怖いなあ』
『ご結婚………とかは、まだ全然お考えにならないんですか?』
思いがけない質問に進藤は目をぱちくりとさせた。
『うわ、すんごい直球ですね』
『言ったじゃないですか、私相当年季が入ったファンなんですから。同世代の棋士の方とかそろそろそういうお話しも出る頃なんじゃありません?』
『うーん、確かにそういう人もいますね』
『お付き合いしている方とかいらっしゃいます?』
アイドルと言っても通じるんじゃないかというくらい、可愛い顔立ちをしたアナウンサーに詰め寄られて進藤は心持ち頬を赤らめながら考えている。
と、唐突にまっすぐカメラを見て言った。
『結婚はいつかしたいデス。たぶん今、この向こうでおれのことめっちゃ真剣に見てくれてる人と』
そうしてからいきなりくしゃっと顔全体笑顔になって言った。
『なーんてね』
『えっ? 今の冗談ですか? なんですか?』
『いや、だってまだおれ半人前ですもん。なかなかそういう人生の一大事は考えられないですって。でももし年中囲碁漬け、頭ん中碁のことばっかりでデートは碁会所オンリーでも怒らない心の広い人がいたら、ぜひ果敢に立候補して下さい』
『うーん、デートが碁会所って言うのは女子としてはかなり厳しいですねえ』
『やっぱそうですか? あはは』
そしてそのまま番組は別のコーナーに切り替わり、画面から進藤の姿は消えた。
けれどぼくはテレビの前から動くことが出来なかった。
先ほどの進藤の言葉が見事なくらいにぼくの心臓を射貫いていたからだ。
「…何が半人前だ」
火照った顔で呻くように言う。
(そんなこと心にも思っていないくせに)
冗談めかして言いながら、進藤の目は確かに画面の向こうからぼくの目を真っ直ぐに見つめていた。
ぼくが見ていると知っていて、それも悔しいかな、かぶりつかんばかりに釘付けになっていると解っていて言ったのだ。
「…卑怯者」
こんな不意打ちをくらうとは思っていなかったのでまだ動悸が静まらない。
顔なんて赤いのを通り越して湯気がたってしまいそうだった。
「だっ…大体デートなんか最初からずっと碁会所だったじゃないか」
それで一度でもぼくが文句を言ったことがあったかと進藤のいなくなった画面に向かって毒づいてみる。
例え画面にはいなくても先ほどの鮮やかな笑顔はまだ脳裏に焼き付いていて、それが胸を切なく焦がした。
あれはぼくの答えを聞かなくても解りきっている満足の笑みだった。
「それにキミ、あのアナウンサーがお気に入りだったんじゃないのか」
なのにその彼女の前でぼくに向かってプロポーズした。そう、あれは婉曲ではあるがプロポーズだったとそう思う。
「…これじゃ、喜んでいいのか悔しがっていいのか解らない」
よくもこんな目に遭わせてくれたなと毒づきながら、ぼくは頭の中で必死にオファーのあった仕事を思い返していた。
断ったもの、返事待ちをしてもらっているもの、大抵は直接囲碁とは関係の無いメディアの取材が多かった。
(棋院に行ったらすぐに事務所に行って確認して―)
最も進藤が焦れる方法で彼に返事をしてやろう。
(返事というか、仕返しだな)
やったらやり返す。やられたら更に倍以上にして突っ返す。それがぼく達の関係なのだから。
「…急がないと」
考えている間にも時計の針は進み、事務所に寄るどころか手合い自体に遅れかねない時間になっていた。
「遅刻したらキミのせいだ」
太陽が東から昇るのも、夜に星が輝くのも、空が綺麗に晴れ渡っているのも何もかもみんなキミのせいだと呟きながら、ぼくは唇に微笑みを浮かべて急いで支度を始めたのだった。
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帰りにアナウンサーに連絡先を聞かれても断って帰るヒカルです。
| 2014年11月24日(月) |
(SS)Your Eyes Only |
「なんでおまえ、目ぇ瞑らねーの?」
ほぼ触れんばかりになっていた唇をすっと離すと、ヒカルはふて腐れたようにアキラに言った。
「フツーこういう時には目ぇ瞑るもんだろ。なんでおまえ開けたまんまなんだよ」
アキラを抱き寄せ、今、正にキスをしようとしていたヒカルは、じっと大きな目で見つめられ、気まずさにそれ以上出来なくなってしまったのである。
「…キミがどんな顔でぼくに口づけようとしているのかと思って」
アキラの答えにヒカルの顔は渋くなる。
「だったら余計に止めてくれって、どうせにやけた締まりの無い顔してんだろ」
「いや」
間近にヒカルを見つめたままアキラは即座に言った。
「ぼくの石を殺しに来る時と同じ顔をしてた」
「は?」
思いがけないことを言われてヒカルは怪訝な顔になる。
「なんだよそれ」
「そのままだよ。キミと打っていて、ぼくが優勢のはずなのに、自信満々思いついた手で仕掛けて来る。その時と同じ顔をしていた」
アキラの言葉は淡々としていて、でも聞かされたヒカルの顔は真っ赤になってしまった。
「キミ、欲望が一緒なんだね。ぼくに勝ちたいって言う欲望も、ぼくを欲しいって言う欲望も一緒なんだ」
「だったらなんだよ。そんなおれは嫌いかよ」
キスなんかしたくないって言うのかと言われたアキラの口元がふっと緩んだ。
「いや…嫌いじゃないよ」
むしろ好きだ。そういうキミだからこそ好きになったんだと言われてヒカルは更に赤くなった。
「じゃあ、まあ、問題無しってことでもう目ぇ開けてんなよ」
照れくささも手伝って、ヒカルはぶっきらぼうに言うと再びアキラに口づけようとした。
でもアキラは目を閉じない。じっとヒカルを見つめている。
「おまえさあ―」
文句を言いかけるのに今度は目元でふわりと笑ってアキラはヒカルに言い聞かせるように言った。
「さっき言っただろう? そんなキミが好きだって。だからね」
キミの顔を見ていたい。
ぼくを食らうキミを最後までしっかりと見ていたいんだと言われて、嬉しさと恥ずかしさの頂点に達したヒカルは、アキラが驚いて目をしばたかせるくらい乱暴に、アキラの唇に唇を重ね合わせたのだった。
視界一面、黄金色だった。
近郊での仕事を終えて駅に向かう途中、銀杏並木に差し掛かったら葉が綺麗に紅葉していて、見上げる空も踏みしめる足下も全てが黄金色に染まっていた。
「綺麗だ」
手をかざし、頭上を覆う銀杏の葉を眺めていたら危うく人にぶつかりそうになった。
「すみません」
謝ってすぐに憮然とする。相手は全くぼくに気がついてもいなかったからだ。
その人は歩道の真ん中だというのにスマホを片手に写真を撮ることに集中していて周りがまったく気になっていないようなのだった。
「危ないなあ」
ぼくが呟くのと「いいなあ」と進藤が呟いたのは同時だった。
「え?」 「いや、ほらああいうのいいなあって」
進藤に指さされて改めて周囲をよく見てみると、他にも銀杏並木の中で立ち止まっている人が大勢いて、そのほとんどが恋人同士で自撮りをしていた。
ぴったりと体を寄せて睦まじく携帯やスマホの画面に微笑んでいる人たちを進藤はうらやましいと思ったようなのだ。
「なあ、おれらも撮らねえ?」 「いやだよ。大体こんな外で男二人で写真を撮るなんて変だろう」 「変じゃねーよ、女同士で撮ってる奴らもいるじゃんか」
進藤は拗ねたように口を尖らせて言うけれどぼくは聞く耳を持たない。
一度甘やかすと際限がないからだ。
「とにかくダメと言ったらダメだ。そんなに撮りたいなら一人で撮ればいいだろう」 「一人で撮ったって意味ねーだろ」
まだまだごねそうな気配の進藤に何か言ってやろうとした時、ぼくのスマホに着信があった。
「ごめん、電話だから少し待っていてくれ」
進藤から離れ、背中を向けてぼくは電話に出る。
電話は事務方からのスケジュールの確認で、ぼくの方からも連絡しなければいけないと思っていたのだった。
二言、三言で事は済み、電話を切った時ふと思いついてスマホを自撮りモードにしてみる。
進藤にうるさく言われて替えさせられたスマホだけれど、電話とメール以外の機能をぼくはほとんど使っていない。
それを今初めて使ってみたのだ。
手の中の液晶画面にはぼくと、ぼくの後ろで手持ち無沙汰に待っている進藤が遠景に映っている。
(綺麗だな)
銀杏の葉降り注ぐ黄金色の世界は確かに美しく、それを背景にしている進藤の横顔は悔しいけれど男前で、皆がここで写真を撮りたくなる気持ちが少しだけ解るような気がした。
こっそりとぼくはスマホを体から離して、上手くぼくと進藤がフレームの中で並ぶように調整した。
進藤は待っているのに飽きたのか銀杏の木を見上げていて、ぼくが何をしているのか気づかない。
カシャリと小さな音がするのと同時に手を下げて、コートのポケットにスマホを仕舞う。
一瞬しか確認しなかったけれど、綺麗に映っていたと思う。
(大切にしよう)
ぼくはポケットの上からスマホを撫でながら胸の中で思った。
一人になってから改めて見るのが楽しみだった。
(でも進藤には絶対見せてやらない)
自分だけの秘密にするのだとそう思った。
気がつけば口元が薄く微笑んでしまっている。
ぼくは意識して顔から微笑みを消すと仏頂面で振り返り、「お待たせ」と素っ気無く彼に声をかけたのだった。
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最初につけたタイトル「ツンデレの鏡」。
「勝負をしないか?」
珍しくアキラの方から言われてヒカルは喜色満面飛びついた。
「いいぜ! 早碁? 一色碁? それとも目隠し碁? ペナルティはどうする?」
「残念だけど碁じゃない。そしてペナルティは…そうだね、負けた方が相手の言うことをなんでもきくって言うのはどうだろう」
「上等、で、結局何やんの?」
「今日一日、ぼくが何を言ってもキミはぼくに『愛してる』って言わないこと。もし出来たらキミの勝ちだよ」
「なんだ、そんなことか」
「そうだね、少し簡単過ぎたかな」
楽勝、楽勝とヒカルは舐めきった顔で早くも皮算用を始めている。そんなヒカルにアキラが言った。
「キミのことが好きだよ、愛してる」
にっこりと花のように微笑まれてヒカルは瞬時に真っ赤になった。
「キミはぼくのことが好き? 愛してくれているかな?」
「そんなのもちろん大好きだよ。あい―――」
途中まで言ってヒカルは言葉を切った。
「きったねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「何が?」
苦悶するヒカルの前でアキラはただひたすらに、にこにこと微笑んでいる。
「ぼくはただ自分の気持ちをキミに伝えただけだよ。キミ、普段からあまり言わないってぼくに不満があるみたいだから、たまには素直になってみようかなって」
「違うだろ! それ絶対嘘だろ! おまえの方から勝負持ちかけて来たから怪しいと思えば」
「非道い言いがかりだな。単純に恋人としてキミに気持ちを伝えているだけなんだけれど」
やっぱりキミはぼくのことなんか好きじゃないんだ。もう愛してくれてはいないんだと心持ちしょんぼりした様子で言われてヒカルは慌てた。
「そんなことねーよ! 好きだって言ったじゃん。おまえのこと滅茶滅茶あい―」
くぅぅぅぅぅぅぅと、ヒカルは呻きながらその場にしゃがみ込んだ。
「…おまえがこんな陰険なヤツだったなんて」
「なんのことを言われているのか解らないけれど、愛情の確認って大切なことじゃないか? 言葉にしないと伝わらないこともあるしね。愛してるよ、進藤。キミは?」
「あー…いー…」
しくしくとヒカルは顔を覆って泣き出してしまった。
「なんで泣くんだ」
「おめえがあんまり非道いからだよ!」
「ぼくが? どうして?」
屈託のない笑顔で問い返されてヒカルは更に恨めしそうな顔になった。
「だーかーらー」
言いかけたヒカルの言葉をアキラの言葉が遮った。
「そうそう、キミずっとぼくと結婚したいって言っていたよね」
「ああ…うん」
「いいよ」
あっさりと言われた言葉にヒカルが仰天する。
「え、マジ?」
「うん。今のままだと何かあった時側に居ることが出来ないし、キミの最期を看取るのはぼくだって思っているから、だから養子縁組しても別に構わない」
にっこりと今までで最高の笑顔を浮かべてアキラは言った。
「愛してるよ。キミだけを心の底から愛している。キミは?」
ヒカルはたっぷりと1分ほど悶え苦しんだ後にアキラの前に両手をつくとぺたりと頭を下げた。
「ごめんなさい、許して下さい。おれが悪かったデス。頼むから負けさせて下さい」
「ん?」
「愛してるよ。心の底から愛しちゃってるよ、ちくしょう〜〜〜」
うれし涙と悔し涙の入り交じった涙をこぼしながら、愛してるを繰り返すヒカルをアキラは愛情の籠もった瞳で見つめた。
「はい、よくできました」
それじゃペナルティとしてキミはこれからもぼくを一生愛すること、そしてぼくが打ちたい時は気が済むまで相手をすることと囁いて、そっとヒカルを抱きしめると額にキスしてやったのだった。
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ヒカルをいじめるためなら養子縁組もいとわない男、塔矢アキラです。
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