| 2014年01月30日(木) |
(SS)Dust chute |
「ちょっと捨ててくる」
もう必要無いからと、外のゴミ捨て場に捨てに行くつもりで部屋を出る。
外廊下を歩いてしばし、ぽつりと声をかけられた。
「捨てるんだ?」
振り返るとそこにいたのは進藤で、ゴミ袋を持っていると思ったぼくは彼の手首を握り、引いて歩いているのだった。
「もう、おれのこといらないんだ?」
寂しそうな、諦めたような声で進藤がぼくに問う。
「そんなことは―」
そこで目を覚ました。
喧嘩した夜はろくな夢を見ない。
いっそ捨ててやろうかと思うくらい腹を立てていたのは事実だが、夢の中で振り返った瞬間にそれは出来ないと思い知ってしまった。
(あんな、捨てられる犬みたいな顔してるから)
手を離す。
自分のもので無くなると思っただけで、胸の痛みに死にそうになった。
(あんな人でなしで、ろくでなしで―)
嘘ばかりついている馬鹿をそれでもぼくは心の底から愛していたから。
「…あれ? なんで?」
もう口もきかないと宣言したぼくが布団に潜り込んできたのに驚いて進藤が言う。
「おれの顔も見たくないのと違かったん?」
「…そこまでは言ってない」
「ふうん?」
でも良かった。今度こそ捨てられるかと思ったと照れ臭そうにそう言われ、ぼくは胸に痛みを覚えた。
ちらりと見た進藤の顔が、夢で見たのと同じ、捨てられる犬のようなそんな表情を浮かべていたからだ。
「捨てないよ」
ぽつりと呟いて進藤の体に腕を回す。
「手に入れるのに一体どれだけ苦労したと思っているんだ」
突き放すように言いながらぎゅっと強く抱きしめたら、進藤は苦笑のように小さく笑ってから、「ありがとう」「ごめん」とぼくの耳に囁いたのだった。
| 2014年01月20日(月) |
(SS)BACK TO THE BASIC |
「一緒に観覧車に乗りたいな」
お台場での仕事の後に、塔矢がぽつりとおれに言った。
「いつも遠くから見ているばかりで一度も乗ったことが無いし」
それはおれも同じだけれど、野郎同士で観覧車ってどうなんだよと少し茶化し気味に言ってみる。
「別に構わないんじゃないか。男同士でも女同士でも乗りたければ乗ったって」
珍しくも民放でのテレビ収録が終わった後だったから、おれも塔矢もスーツ姿で、でも場所は観光地だから違和感バリバリで悪目立ちしていたと思う。
それでも塔矢は気にした風も無く、おれと連れだって宣言通り観覧車に乗った。
ゆっくりと、それでも端で見ていた印象よりは早く移動するゴンドラに乗ってそのまま空に運ばれる。
時間は夜、雰囲気だけはばっちりで、眼下に広がる夜景がとてもキレイだった。
「なあ、あっちに見えるの―」
ディズニーランドじゃねえ? そう尋ねようとした時に塔矢が外を見たままぽつりと言った。
「このまま一緒に死んでしまえたらいいのに」
出かかった言葉は喉に張り付いて、おれは殴られたような気持ちになった。
「…おまえ、そんなに苦しいの?」
向かい合わせの席、最初からずっとおれから顔を背けたままの塔矢がこつりとゴンドラのガラスに額をつける。
「別に…苦しくなんか無いよ」
ただ辛いだけだと、そしてそのまま目を閉じて静かに涙を一筋流した。
「おれはやだぜ、別れるのなんか」
「別れたりなんかしない。別れたりなんか出来ない」
だから辛いんじゃないかと、そのまま塔矢はゆっくりとゴンドラが再び地上に降りるまでの間、結局一度も目を開けなかった。
冷たいガラスに額をつけたまま、けれど再び泣くことは無く、ただ、ただ黙って俯いていた。
「降りようか」
なのに職員の手でゴンドラの戸が開かれた時、おれよりも先に腰を上げてさっさと一人で降りてしまう。
そうしてから初めて振り返り、おれに手を差し伸べた。
「進藤」
短く呼ぶ声にぞくりとした。
背後にはおれ達とはなんの関係も無い、ごくありふれた人達が観覧車に乗る順番待ちをしていて、何事かとこちらを見つめている。
普段なら人前で目立つことを極端に嫌がる塔矢なのに、今日は非道く挑戦的で、それがなんだか怖かった。
「降りないのか? だったらもう一周してくればいい」
微笑んで冗談のように言いながら、突き放す声は真剣だった。
ぼくと一緒に死ぬ覚悟があるならこの手を取れ、そうで無いならこのまま立ち去れと塔矢の目は言っていた。
どうして今。
どうしてそんなにも追い込まれてしまったのかと、考える暇も動き続ける観覧車は与えてはくれない。
でも何もしなければ永遠に失うんだろうなと、それだけは痛い程よくわかった。
(こいつ本当に)
何て傲慢で、何て恐ろしいんだろうか。
けれどたまらなく愛しいたった一人の相手。
コンマ数秒の思考の後に、おれはわざとらしくため息をつくと塔矢の手を思い切りぎゅっと握った。
「降りるに決まってんだろ、バーカ」
誰が好きこのんで一人きりで乗るかと、そしてそのまま飛び降りて衆人環視の中、手を繋いで小走りにその場を離れた。
「死んでやるよいつでも」
「え?」
「おまえが望むなら、いつだっておれは一緒に死ぬよ」
そう言ってやったら塔矢はよろめくように立ち止まり、それから笑い声に似た音を漏らすと唐突に俯いて泣いたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※
なんとなく書き終わった後に、あーヒカアキに転んだばかりの頃に書いていたみたいな話だなあと思いました。
初心に返るというかなんというか。
痛々しいような、刹那なようなそんな二人も好きなんですよね。
祖父の所に中国から、引退した元棋士が客人として来ている。
日本のプロと打ちたいと言っているので良かったら来ますかとアキラに声をかけた越智は、乗り気な顔になったアキラが「じゃあ進藤にも声をかけて…」と続けたのでプチっと切れた。
「進藤、進藤、進藤、進藤! あなたの頭の中は進藤のことしか無いんですか!」
「うん」
そうだねと、躊躇無く良い笑顔で答えられてしまった越智は、その後トイレに閉じこもり、しばらく姿を見せなかったという。
| 2014年01月11日(土) |
(SS)ファ○リーズ |
「キミ、今日どこに行って来た?」
帰るなりじっと見つめられてドキリとする。
「え? 言ったじゃん。和谷達と飲み会だってば」
嘘では無く本当で、でもその時に冴木さんの彼女が友人連れで来ていて、その人が隣に座っていたことは話さない。
「新年会だっけ。…普通の居酒屋?それとも個室で飲んだのかな」
いつもなら塔矢はこんなに絡まない。へえ、そう。良かったねで済むはずがしつこく聞いて来るのはおれに思う所があるからだ。
「個室。十人以上居たし、野郎が多いと周りに迷惑だろ」
「ふうん」
野郎ばかりと言わなかったことに気がついたのか気がつかなかったのか、塔矢はしばらくおれを見つめ、それから黙って去って行った。
「豚汁が残っているから、もし食べ足りないのだったら温めて食べるといいよ」
「ああ、うん。ありがと」
冴木さんの彼女の友人は証券会社務めの美人で、年末に彼氏と別れたばかりだと言って随分積極的におれに話しかけて来た。
表向きは恋人がいないことになっているので邪険にも出来ず、かなり密着することになったのだが、帰る途中薬局に寄って消臭剤のスプレーを買って全身に吹き付けて来たので香水や化粧品の匂いは消えているはずなのだった。
(別にやましいことなんかしてないけど)
でも、口説かれたのは事実なので塔矢にはなんとなく後ろめたい。
これで疑惑が解けたならいいのだけれどと思っていると、行ってしまったと思った塔矢が再びまた戻って来た。
「何?」
「いや、消臭剤はどうしたのかなと思って」
「うっ」
心臓がきゅうっと引き絞られる。
「なんのことだよ」
「キミ、全身から消臭剤の匂いがする。今確かめたら家の物はそのままあるからどこかで買って吹きかけたんだろう? あるなら仕舞うからさっさと出せ」
出せも何もバッグも持たず手ぶらなのに、消臭剤なんかあるわけが無い。
「どうした? 消臭剤は持っていないのか?」
「あ、えーと、使ってそのまま捨てたんで持って無い」
「どうして? 勿体無いじゃないか」
そもそもどうして消臭剤を使うことになったのか詳しく話して貰おうかなとにっこりと微笑まれて、おれはそれ以上は隠しきれず、その場に土下座して謝ったのだった。
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正直に言えばいいものを隠そうとするのが小賢しい(塔矢アキラ 九段談)
| 2014年01月08日(水) |
(SS)プラスマイナス |
実質、たった一日しか無い正月休みを進藤は和谷くん達とスキーだかスノーボードだかをやりに行って怪我をして帰って来た。
「骨折じゃ無かったから良かったようなものの、もし指の骨でも折っていたらどうするつもりだったんだ」
「そん時は左手でも足ででもなんでも打つよ」
進藤が怪我をしたのは利き手の右手で、骨折では無いが骨にひびが入っているそうで痛々しく手を包帯でぐるぐる巻きにされている。
「左手はともかく、足でなんて行儀の悪いこと許されるわけがないだろう」
「だったら意地でも右手で打ってやらあ」
最近運動していないんだし、天候もあまり良くないのだから無理して今日行くことは無いのではないかと止めたのに、逆にちっとも体を動かしていなかったのがストレスになっていたらしい進藤は振り切るようにして行ってしまったのだった。
そして怪我をしてしまったのだからばつが悪いことこの上無いのはよく解るのだが、だからと言って同じ家の中でふてくされていられるのも鬱陶しい。
「どのみち、しばらくは休みなんだから家でゆっくり過ごしていればいい」
本因坊戦のリーグ入りをしている他、色々と上位に名前を連ねている進藤は、有り難いことというか、それ故に軽はずみなと思わずにはいられないのだが、そういう立場で在る故に事務方が無理矢理棋戦の調整をして、取りあえず不戦敗にはならないようにしてくれたのだった。
ただし最低でも復帰出来るのが半月先なので、進藤は暇を持て余してしまっていた。
「休みって言ったって、これじゃ何にも出来ないじゃんか」
「折角の機会だから話題になっている本でも読めばいい」
「片手で読むのって疲れるんだよ」
「テレビドラマで録り溜めていたのがあっただろう」
「もう全部見ちまった」
「詰め碁でも考えていたら…」
「頭ん中ばっかでやっててもつまんねーんだよ! 」
棋譜の整理も片手ではやりにくいらしく早々に放り出してしまい、同じ理由でパソコンにも向かわない。いつも手にしている端末も利き手ではないと使いにくいらしくて結局これも放りっぱなしになっている。
「だったら外でも出てくれば…」
「寒いし、一人でふらふら歩いてたってつまんねーし!」
ぼくの方は手合いだ指導碁だと年明けから目一杯用事が詰まっていてそれも苛立つ一因らしい。
「おまえはいーよな、おれなんか研究会に行っても邪魔もん扱いだし」
「そんなことは無いだろう」
「あるよ。和谷に口だけ出すならしばらく来るなって言われたし
呆れるのを通り越してなんだか可哀想になってしまった。
「それでもキミ、その分家事をやっていてくれているじゃないか」
掃除、洗濯、買い物など利き手を使わないで済む範囲内ではあるが普段分担してやっているものを暇故に今は進藤が一人でこなしている。
「おれ別に専業主夫じゃねーし」
おれ棋士なのに打てないなんて存在価値ゼロじゃんかというのを軽く窘める。
「キミね、そんなことを言うのは全国の専業主夫の皆さんに失礼だよ。誇りを持ってやっている人が聞いたらどう思うか」
「そいつはそれがやりたくてやってんだからいいけどさ、おれは碁を打つのが仕事だもん」
「だったらせめて、出来ないことばかりを考えていないで出来ることを数えたらいいじゃないか」
「悪いけど、今は説教お断り!」
「違うよ。キミがあんまり投げやりだから。説教したいのは山々だけどね。 そもそもそういう状況になったのも自業自得だとぼくは思っているし」
ムッとするその顔に被せるように言う。
「でもそれは永遠じゃない。棋戦を外されたわけでも無い。なのにたった半月も我慢出来ないなんて、キミは随分辛抱が足りないんじゃないか?」
「んなこと言ったって…」
「人間なんていつどうなるかなんて解らないんだ。ぼくが逆にキミの立場になるかもしれないし、不慮の事故や病気になって今のようには暮らせなくなることだってあるかもしれない。それでもぼくは打ち続けるつもりだけれど、きっと非道く苛立つだろうね」
「その時に備えて心の準備をしろって?」
「気持ちの切り替えが上手い方がいいってことだよ。嘆いているよりその方がずっと建設的だ。キミは確かに手合いには出られないけれど、今日ゴミを捨てに行った。これで1つ。シャツとスーツをクリーニングに出してくれたし、買い物に行って足りない日用品を買い足して来てくれた。これで3つ。ベランダの鉢植えに水もやってくれたし、洗濯と乾燥までやってくれた。これで4つ、いや5つかな。それに対してぼくは朝起きて手合いに行った、それだけしかしていない。1つだ。キミの方が随分多くやっているよね」
「やってる内容が全然違うだろ」
「それでも1つは1つだ。キミはつまらないことだって思っているかもしれないけれど、立場が違えばそんなことだってするのは大変な労力を必要とする場合だってあるんだよ」
「それ、だれの受け売りだよ」
「お父さん」
ぼくが言った瞬間、進藤の表情がさっと変わった。
「塔矢先生が?」
「お父さんは基本、家のことはほとんどしない人だけど、それでも結構身の回りのことは自分でしている。でもそれすら出来なくなった時、随分堪えたみたいだよ」
心臓や他にも幾つか持病を抱える父は何度か大きな手術をした。命の危険があったことも何度もあってもちろんそれは進藤もよく知っていた。
「打てないことはもちろん辛い。でも…例えば自分で飲む湯飲みを下げるこ とも出来ないって言うのは随分辛いことじゃないかな」
なんでもない些細なこと程出来ないことは身に堪えるのではないかと、自分が父に言われた時のことを思い出しながら進藤に言う。
ぼくが父にこの言葉を言われたのは彼のことで深く悩み自暴自棄になりかけていた時だった。
真実は父は知らないし、進藤もまたその時のことを知らない。でも心の中が荒れていたことは確かで、あの時父に窘められていなかったらぼくは今頃こうして彼と過ごしてはいなかったのではないかと思う。
「おまえもあんの? どうにも出来ないで苛つくことって」
「あったよ。そして今でもある」
キミが今そうなようにねと言ったら進藤はなんとも言えない顔をした。
「そうか…そうだよなあ」
大きく息を吸って、それ以上の大きさで吐き出す。
「うん。確かに愚痴ってても仕方無いな」
悪かったとさっきまでとは違う、さばさばとした口調で言った。
「おれはまだ打てるし、この先もずっと打って行けるし」
「うん」
「ちょっとヘマして『一回休み』になってるだけだよな」
「そうだね。『振り出しに戻る』で無かっただけ良かったと思うよ」
ぼくの言葉に進藤は苦笑のように笑って「ほんとだな」と言った。
あまり話題にはならないけれど、スキー場でも死亡事故はあるし、一生引きずるような大けがをする人だっているのだ。
「だったらもう少し建設的なことでもしておまえに点差をつけてやるかな」
「建設的ってどんな?」
「うーん、なんか美味いもん作っておまえを唸らせるって言うのもいいし、今日は寒いから乾燥機をかけて布団を気持ち良くふわふわにしてやってもいいし」
「どっちも魅力的だけど、キミにばかり点数を稼がれるのも悔しいな」
「だったらおまえ、隣で可愛く応援してろよ、そしたらプラス1点くれてやる」
にやりと笑って進藤が言った。
「なんならバニーか裸エプロンで応援してくれたっていいんだぜ」
「キミね…」
いつの間にそういう話になったのだと怒ってやろうと思ったが、彼がいつもの彼に戻ってくれたので、それで良いかとため息のように笑った。
「そうだね、それで3点くれるならどちらかやってあげてもいいかな」
「え? マジ?」
「ああ。でもそれに相応しい働きをしてくれなかったら、逆にキミはマイナス3点ぐらい覚悟しろよ」
「ええ? あー、うん、でも裸エプロンには替えられないなあ。そんじゃ建設的に美味い料理作って布団ふわふわのほかほかにしてやるから、おまえは色気で精一杯おれを落とせよ」
「了解した」
「本当に?」
「くどいな」
ぼくはキミと戦う時はいつでも、それが何でも本気で全力で戦うからと言い放ったら進藤は目をぱちくりさせて、それから嬉しそうに顔全体で笑うと、プラス1点を稼ぐため、勇んでキッチンに向かったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
いつのまに点数勝負になったのかとか、それ以前にこの勝負、負けてもペナルティは無いわけなんですがその辺りに二人は全く気がついていません。
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