「絶対に怒らないからその中身がなんなのかさっさと吐け」
アキラにじっと睨まれて、ヒカルは気まずそうに視線を逸らした。
「なんだ、ぼくには言えないものなのか? そんな疚しい物をキミは六万五千円も出して買ったのか?」
アキラがヒカルに尋ねているのは今日の午後に届いた宅配便で、何やらヒカルが通販で買い物をしたらしいのだが、ちらりと聞こえた代引き料金があまりに高額だったのでアキラは思わず問い詰めてしまったのだった。
「だからー、別に変なもんじゃないし、疚しいとかそういうもんでも無いし」
ヒカルは本当はアキラが居ない時に荷物を受け取りたかったらしい。
けれど思いがけずアキラの仕事がキャンセルになったため、居る時に受け取るはめになってしまったのだ。
しかも荷物の品名は『日用品』。
そんなにも高額な日用品とは一体何だ? ということになってしまったわけなのである。
「キミがキミのお金で何を買っても構わないけれど、でもこの前マンションを買う話もしたじゃないか」
だから将来的にお金を積み立てて行こうなどと話したその舌の根も乾かぬうちに、そんな高い買い物をされてはアキラも心中穏やかではいられない。
もしこれが翌月の12月だったなら、自分の誕生日かクリスマスにヒカルが何かプレゼントを用意したのかなと尋ねる無粋はせずに見逃したことだろう。
けれど今月は特にこれということも無く、しかもどんなに尋ねても頑として答えない所が怪しいとアキラは思ったのだ。
「それ、差出人が個人名だよね。ということはまたネットのオークションで何か買ったんじゃないのか?」
「そっ、それは―」
そうですとぼそっとヒカルが小さな声で言う。
ヒカルは時々アキラとしては信じられないような物を信じられないような値段でオークションで買うことがある。
(でも、それでも今まで買った物を隠したことは無かったのに)
「まさかとは思うけど、口には出来ないようないかがわしい物を買ったんじゃないだろうな」
それをしかも自分に使うつもりなんじゃなかろうなと疑いの眼差しを向けるとヒカルは真っ青になってそれを否定した。
「ちっ、違うって! おまえに関係あることはあるけど、おまえに使うとかそーゆー…」
焦りのあまりついぽろりと言わずもがなを口にする。
「へえ…ぼくに関係がある物なんだ。だったらぼくが見ても構わないよね?」
「かっ…………構う」
「何故だ? ぼくに関わる物なんだろう? だったらぼくにも見る権利はあると思うけれど」
「そっ、それは確かにそうかもだけどっ! でも見たらおまえ絶対後悔する……と思う」
「後悔するようないかがわしい物をぼくに買ったのか?」
「だから違うって!」
延々と押し問答を繰り返し、やがてとうとうヒカルが折れた。
「…じゃあ、いいよ見ても。その代わり、もし見てちょっとでも後悔したらおれに土下座して謝れよな」
「なんだその脅しは」
アキラは恨めしそうなヒカルの言葉を聞き流し、丁寧に梱包された荷物を解いた。
ビニールと包み紙の下から現れたのは小さな箱で、何が出てくるかと緊張しながら開けて見ると思いがけず中には扇子が一つ入っていた。
「なんだ。これの何が―」
ものすごい代物が出てくることを予想していたアキラは拍子抜けした気持ちで扇子を手に取った。そして何気なく開いて驚愕した。
「これ―」
「だから言っただろう、後悔するって!」
開いた扇子に書かれていたのは黒々とした墨の文字。
『進』と一文字書かれたその文字は間違い無く大昔にアキラが書いたものだったのだ。
「どうしてこんな…」
「だからオークションに出てたんだって! 棋士のサインとか出す人結構居るし、おまえのこれはかなりレア物だから欲しい奴結構居てさー」
入札で競っているうちにあの値段になってしまったのだという。
「いや、そんなことよりどうしてこれが…いや、どうしてキミはこんな物を」
欲しがり、それを隠したのか。
「だって恥ずかしいじゃん。でもおまえのガキの頃のサインなんて珍しい物、おれ絶対欲しいし」
「だからって!」
それはまだアキラがプロになる前のとある正月、父と共に新年の挨拶に行った知人の家でねだられた物だったのだ。
最初に父が扇子にサインを求められ、次に『アキラくんも』と別に扇子と筆を差し出された。
アキラはもちろん身の程を知っていたのでとんでも無いと断ったのだが、あまりにも熱心に頼まれて無下にするのも失礼だと父に促され、仕方無く書いたのだった。
「『塔矢アキラのプロ以前の唯一のサイン』って出されたらそりゃ買うだろ」
ヒカルはふてくされたように頬をふくらませている。
「いや、でも………」
子どもの字ながらアキラの文字は堂々としていて美しい。恥じる物では無いはずだが、それをヒカルが買ったということは身もだえする程恥ずかしかった。
「おれ、何かの記事で読んだことあるんだって、七五三みたいな格好したおまえが塔矢先生の隣でサイン入れてんの」
精進の進で『進』って書いたんだよな? と尋ねられてアキラは真っ赤になった。
「そう…だけど」
「いかにもおまえっぽいよなーって。それにほら、この字っておれの名前でもあるし?」
だから絶対に手に入れたかったのだと言われてアキラは静かに扇子を畳んだ。
「そりゃあ六万五千は自分でもバカだと思うし、無駄遣いだって言われたらどうしようも無いけどさぁ」
「いや…」
「落札する前に話しても良かったけど、でも絶対おまえ止めるだろ」
「…いいよ」
「すげえ高いみたいな気がするけど、おまえがこの前買ったコートだって―」
「だからもういい!」
アキラは真っ赤な顔で怒鳴りつけるとそのままゆっくりとヒカルの前に座った。
そしてぴたっと両手を前に置いてそれから深々と頭を下げる。
「キミの言う通りだった。悪かった。確かにぼくは後悔した」
だからもう頼むから黙ってくれと土下座をされてヒカルはようやくその口を閉じた。
「じゃあもう怒らない?」
「ああ」
「六万なんぼも無駄遣いしてって怒らない?」
「今回は」
「じゃあもしまた次に同じようにおまえの何かを落札しても―」
「したら殺す」
氷のような声で言われてヒカルは茶化しかけたのを止めた。
「なんだよう、おれなんにも悪く無いじゃんかよう」
「悪く無い…けど、でもやっぱりキミが悪い」
ぺったりと床にこすりつけた額を持ち上げながら、アキラはまだ赤さの残る頬で腹立たしそうにヒカルに言った。
「はいはい、おまえのことを好き過ぎて悪かったって!」
「進藤っ!」
思い切り怒鳴った怒鳴り声でヒカルは今度こそその口を固く閉じて、そそくさと扇子を持って自分の部屋へ逃げて行った。
アキラは怒った顔でそれを見送りながら、けれど実は同時に非道くほっとしていた。
何故なら、一番知られたくないことをヒカルに知られずに済んだからだ。
大昔、扇子に書いた『進』の文字。
精進の進というのはこじつけで、何気なくヒカルが言ったことが図星だった。あれは本当にヒカルのことを思い浮かべながら書いたものだったのだ。
(あんな昔から好きだったなんて)
ヒカルに知られたら恥ずかしくて死んでしまう。
だからそれを悟られることが無いままに、うやむやになって良かったと、そのことだけをアキラは心から神に感謝したのだった。
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毎年恒例自分得SS。
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