SS‐DIARY

2013年08月04日(日) (SS)クマとぼく


それはふとした出来心だった。

棋院に向かう途中、ドーナツ屋の前を通りがかったアキラは、店の中にずらりと並んだクマの顔形のドーナツを見つけ、思わず足を止めた。

(可愛い)

普段甘い物は食べないくせに、そのあまりの可愛さについ一個買ってしまった。

(昼食代わりにすればいいか)

その時はそう思ったのだが、これがいざ食べようと思うと案外食べにくい。

対局時はいつもは昼抜きだし、食べても誘われて外に行くことがほとんどだったので知らなかったのだが、打ち掛け時の控え室は圧倒的に女性が多く、そんな中で男一人でドーナツを食べるのはなんともハードルが高かったのだ。

だったら控え室以外の場所でぱぱっと食べてしまおうと考えたのだけれど、休憩出来るような場所には既に複数の人が居る。

(別に、気にしなければいいんだ)

そう自分に言い聞かせてはみたものの、煙草休憩や自販機で買ったコーヒーなどを飲んでいる同性の同業者の前でドーナツを取り出して食べるのは、後で何を言われるか解らなくて躊躇われた。

(たかがドーナツ一個食べるのにこんなに苦労するなんて)

後悔したが既に遅い。

いっそ食べないで持って帰ろうかとも思ったが、その日はたまたま目覚めた時間が遅くアキラは朝食を食べていなかった。その上、夜は夜で指導碁があるので夕食を食べる暇も無い。

さすがに丸一日食事を抜いてしまうと体力的にキツイものがあるので、アキラは仕方無く食べる場所を求めて棋院内を彷徨い、やっとのことで空いている対局室の一つに落ち着いた。

ほっとしつつ、さあ食べようとドーナツを一つ取り出してアキラがかじりついた時だった。

どたどたと廊下を歩く足音が聞こえて、目の前のふすまが勢いよく開いた。

「あ、いたいた! おまえなんでこんな所に居るんだよ。見当たらないから探したじゃんか」

入って来たのはヒカルで、ドーナツをかじったままの体勢で凍り付いているアキラを見ると一瞬、ん? という顔になり、それからにっこりと笑った。

「それ期間限定のクマの顔のヤツじゃん。へー、おまえでもそういうの食うんだなあ」

かあっと顔が赤くなる。

よりにもよって一番見られたく無い相手に見られてしまったアキラは頭の中が真っ白で何も答えられない。

けれどヒカルはそんなアキラを気にした風もなくずかずかと近づいて来ると、座っているアキラの真正面に座った。

「で、メシの途中で悪いんだけど、来週末、社が遊びに来るんだってさ。おまえ予定大丈夫?」

こくりと小さく頷くアキラにヒカルが機嫌良く言った。

「そっか、じゃあ社にそう連絡しておくな」

久しぶりにみんなで打てるなと、にこにこ顔で続けるとヒカルはやおら立ち上がり、来た時と同じ唐突さで出て行った。

「じゃあまたな」

どたどたと足音が遠ざかって行く間、アキラはぴくりとも動かなかった。

そして何も物音が聞こえなくなってからようやく口の中のドーナツの欠片を飲み込むと、しみじみと己の運の悪さとヒカルの間の悪さを呪ったのだった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※

Q、どうしてヒカルはアキラの居場所がわかったの?

A、既に他の場所は全て探し、念のために空いている対局室を確認に来たら見つけた。&掃除のおばちゃんのチクリ。「塔矢さんならそっちの奥に行きましたよ〜」



2013年08月03日(土) (SS)そんな事後2


最初は決して本気じゃ無かった。

いつものように休日に会って、いつものように打っていて、ふとした折に顔を見たらあまりに真剣におれのことを見ているので、ついからかってみたくなったのだ。

「おまえ、おれのこと好きだろう」

塔矢の第一声は「は?」で、さも呆れたような顔になり、それからため息まじりに言いやがった。

「ぼくが嫌いな人間とこうして差し向かいで座っていられるとでも?」

木で鼻をくくったような物言いはいつも通りだったし、それくらいではムカつかなくなる程には長い付き合いだったけれど、その時は何故か非道く腹が立った。

「だったらおまえのこと抱かせてよ」

思わずそう言ってしまったのは、塔矢が驚くだろうと思ったからだ。そして間違い無く動揺する。その顔を見たかった。

「嫌いじゃ無いんだったらいいだろう」

迫ったら塔矢は眉を深く寄せ「一体キミは何を考えてるんだ」と言った。

「おまえのこと、そしておまえをどうしようかってことだけ考えてる」

「熱でもあるんじゃないのか。冗談にしてもたちが悪い」

「冗談じゃ無いよ、おれ、おまえのこと好きだから」

そう言った瞬間、塔矢はぽかんとおれを見た。

鳩が豆を食らったようなというのは、こういう顔を言うんだろうなというような、本当に驚いた顔だった。

この時にもしかしたらおれは本気になってしまったのかもしれない。

「そんな…こと…言われても」

「もし嫌だったら何もしない。でもはっきり言葉に出して嫌だって言わなければそれはOKだって受け取るからな」

ずいっと顔を近づけると、塔矢はすっと目を逸らした。

「ぼくは…でも…」

「嫌なんだったらはっきり言えって」

びしりと言ったら塔矢は黙った。黙って下を向いてしまった。

「ん、じゃあいいんだな」

俯いた項は動かない。前髪が顔を隠して表情が見えないけれど、おれはそれを承諾ということにしていきなりあいつを突き倒した。

その瞬間見えた塔矢の顔。

大きく目を見開いて、頼りない子どもみたいな風情だった。

それがおれの嗜虐心を煽った。そこまでするつもりは無かったのに、気がついたら無理矢理口づけて、そのまま体に馬乗りになっていた。

『進藤』

一度だけ、かすれるような声で塔矢がおれを呼んだような気がする。

でもおれは答えなかったし、愛撫する手を止めようともしなかった。否、止められなかったのだ。

いつか、叶ったらしてみたい。許されるなら触れてみたいと思っていた塔矢におれはこんな風に成り行きで、自身を深く埋め込んでしまったのだった。



何回果てたか解らなくて、気絶するように眠ってしまって、目覚めたら塔矢の姿は消えていた。

「とっ―!」

見回せば、おれが脱がせて放り投げた服も綺麗に無くなっている。

(出て行ったんだ)

そう思った瞬間に顔から血の気が一度に引いた。

(どうしよう)

衝動的に最後までヤッってしまったけれど、塔矢はそれに傷ついたに違い無い。

確かに夕べ、あいつは言葉に出しては断らなかったけれど、あんな風にいきなり迫られてどう答えて良いのかわからなかったんだろうことは容易に想像がつく。なのにおれは返事が無いのをいいことに無理矢理推し進めてしまったのだ。

(だっておれ、マジであいつのこと好きだったから)

どこかで冗談だと笑ってしまえば良かったのかもしれない。それか塔矢が本気で抵抗してくれればおれだって引くことが出来たのにと、ほとんど逆恨みのようなことも思うけれど、あの時おれは塔矢がおれを拒絶しなかったことに心の底からほっとしたのだった。

(思ったより色が白かった)

決して貧弱では無い体はすらりとして無駄が無く、同じ男なのに本当に綺麗だと思った。

(あいついい匂いしやがるし)

元々側に居ることが多かったからほんのりとした肌の香りは知っていたけれど、服を剥いで触れた生の肌があんなにも甘い香りがするとは知らなかった。

甘ったるいということでは無い。自分にとって『甘い』のだ。

舌を這わせ肌の表を啄みながら、間近で嗅ぐ肌の香に何度も気が遠くなりそうになった。

(それに声)

あいつあんな声で啼くんだなあと、思い出すだけでその色っぽさにぞくりとする。

目の端にはうっすらと涙を浮かべていた。震える手で自分の背中にしがみついていた。

思い出す一つ一つが全て痺れる程に良かった。

(おれ、本当の本当にこいつのこと好きなんだなあ…)

しみじみと思いながら眠りについた。目が覚めたらもう一度、ちゃんと気持ちを伝えようと思っていたのに。

「待ってるわけ無いよなあ」

ぽっかりと開いたベッドの隣が無性に切ない。

塔矢にとってたぶんおれは間違いなく強姦魔だ。友情を裏切った人でなしとも思っていることだろう。

「とにかく謝らないと」

携帯を取り出して電話をかけてみるが塔矢は自分の携帯の電源を切っていた。

「…デスよねー」

これは本気で怒っているのだと、そう思ったら真っ暗な気持ちになった。

「メール…メールも拒否られてるかもしれないけど」

それでもこのまま謝ることも出来ずに終わるのは嫌で、必死で何通もメールを送った。

有り難いことに戻って来ることは無く、塔矢がおれを着信拒否にまではしていないことがわかった。

(でも、もしかしたら名前も見たくなくて放置してあるだけかもしれないし)

考えれば考えるほど悪いことしか思いつかなくて、おれは泣きたいような気持ちで携帯を見詰めた。

「なんでおれ…あんなことやっちゃったかなあ……」

今更後悔してもどうにもならない。

やってしまったことは取り消せないし、塔矢との関係ももう元には戻れない。

(今頃あいつ、どこで何をやってんだろう)

打ちひしがれているんだろうか? それとも怒り狂っておれへの罵倒でも考えているんだろうか?

(あいつだったら絶対後の方だよなあ)

それとももしかしたら、未だに困惑しているのかもしれない。

おれは帰って来ないメールの返事を待つよりも、直接塔矢を探しに行こうと決めて服を着替えた。

抜け出してから改めて見るとベッドは寝乱れて生々しく、シーツの上には昨夜の痕跡が残っていた。

「痛かったよなあ……」

そういうふうに出来ていないものを無理矢理に挿れたのだから、あいつは相当キツかっただろう。

(もう一回やらせてなんて死んでも絶対言わないけど)

それでもおれのことを好きになって欲しいと思った。

トモダチじゃなくて、ライバルじゃなくて、おれがあいつのことを好きなようにあいつにもおれのことを好きになって欲しい。

(だから)

ぶん殴られて罵られても謝り倒して許して貰わなければ―。


「取りあえず、駅前かな」

確かカフェがあったのでは無かったか。そう思った時、脳裏に憂鬱そうな顔でコーヒーか何かを飲んでいる塔矢の姿が浮かんだ。

「…よっし」

代償は前歯か奥歯の二、三本。

でもそれで許して貰えるなら更に数本失っても惜しくは無いと思った。

(待ってろよぉ)

今すぐ殴られに行ってやるからと呟くと、おれは叩きつけるようにドアを閉め、駅に向かって走り出したのだった。


※※※※※※※※※※※※

おれ様ですが、アキラに対してはいつでもチキンです。



2013年08月01日(木) (SS)そんな事後


「おまえおれのこと好きだろう」

それがヒカルの第一声だった。

「だったらおれに抱かせてよ」

そしてそれが第二声。

ダメだろう。いくらなんでもそれはダメだろう。

これがもし男女間のやり取りだとしても、許されざるべき発言だとアキラは思った。


「一体キミは何を考えているんだ」

「おまえのこと、そしておまえをどうしようかってことだけ考えてる」

もし嫌なら断ってくれたら何もしない。でもはっきり言葉に出して拒絶しないならOKだというふうに理解すると。

甚だ勝手な言い分だがアキラは何も言えなかった。

「ん、じゃあいいってことだよな」

あっと思う間も無くキスをされて、その後はされるまま一気に最後までいってしまった。

ぽたぽたとヒカルの体からこぼれる汗と、到達した後大きく息を吐いてアキラの上に倒れ込んできたヒカルの体の重さと熱さ。

アキラが覚えているのはそれだけだ。

気がつけば朝になっており、隣では生まれたままの姿でヒカルが寄り添うように眠っていた。

未だ圧倒されたままのアキラに出来たのは、ヒカルを起こさないようにベッドを抜け出し、服を拾い集めると手早く着替えて外に出ることだけだった。


(とにかく少し考えないと)

呆然と歩いて駅前まで行き、開いていたカフェに入るとコーヒーを頼んだ。

いつもは紅茶党のアキラだが、今日ばかりは濃いブラックコーヒーで意識をしゃんとさせたかった。

店の中にはまばらに客が居て、けれど皆他人に無関心な雰囲気なのが有り難い。

取りあえず考えなければならないのは、昨夜の行為をどう受け止めるかということだった。

もちろんヒカルのことは嫌いでは無い。むしろずっと長い間好きだったと言ってもいい。

けれどそれが叶うことがあるとは思っていなかったので、そうなった時のことをアキラはまるっきり考えたことが無かったのだ。

(断らなかったのは、嫌じゃ無かったからだ)

ヒカルの切り出し方はスマートでは無いし、むかっ腹がたつほど無礼だった。けれど、それでも突っぱねられなかったのは、構わないと思う気持ちの方が大きかったからだ。

(される側になったこともそんなに自分では気にならないし)

元々がそういう意欲が薄いアキラは、ヒカルを好きでも具体的に行為を持つことまでは想定しておらず、だから具体的なやり方がわからない。

リードしてくれるならそれに越したことは無いし、何よりもあんなにも熱心に欲してくれるならば、ヒカルが主導権を持つべきだと感じたのだ。

(かなり痛かったし、ものすごく疲れたし)

そして実際に経験してみれば、それはかなり体に堪えた。今現在も体中が痛いし、頭は熱がある時のようにぼんやりとしていた。頭痛も少しするようだし、倦怠感が半端無い。

もしもこれからも同じような行為を続けるのだとしたら、時を考えなければならないなとアキラは思った。

(ということは、ぼくは彼と続けるつもりがあるんだ)

なるほどと、納得しつつもアキラはそんな自分自身に驚いた。

ヒカルは好きだけれど、それと恋人になることはまた別だ。体を重ねる程プライベートに踏み込ませることは否応もない生活の変化を意味するし、何よりヒカルはアキラにとって決して付き合いやすい相手では無かった。

(趣味も性格も何もかも違うし、対局でもしょっちゅうかち合うし)

もし付き合うことになったとしたら、たぶん喧嘩の絶えない恋人同士になることだろう。それもかなり激しい喧嘩のだ。

(あのジャンクフード好きに付き合わされるのはごめんだし、おれ様な性格も我慢ならない)

それでも。

それでもアキラは気がついたらぼんやりと、二人で過ごす光景を思い描いていた。

喧嘩しながらも、それでも同じくらい笑い合い、共にかけがえの無い時間を過ごす。そんな自分とヒカルの姿はそう悪いものでも無いように思えてきた。

そしてふっと唐突に一番重要なことを思い出してアキラは思わず笑ってしまった。

(男同士だっていうことは別に気にならないんだな)

本来何よりも先に気にするべきであろうことを自分はすかんとすっ飛ばしてしまっている。それよりも付き合う上での色々な小競り合いを心配しているのだと気がついてアキラは可笑しくてたまらなくなった。

(なんだ、じゃあ結局ぼくは彼と付き合う気満々ということなんじゃないか)

今回こんなふうに雪崩のように肉体関係に落ちて、その後をどうするべきか悩んだが、なんのことは無い、最初からそれは悩みでもなんでも無かったのだ。

(だったら後はどう操縦するか―か)

取りあえずいつでも自分を好きなように出来るとは思わないように躾なければならないなと思いながら、アキラはポケットから携帯を取り出した。

邪魔されるのが嫌で電源を切っていたけれど、そろそろヒカルも目覚めている頃だろうと思ったからだ。

確認すると驚くほどたくさんメールの着信があった。

『おまえどこ居るんだよ』
『怒ってんのか?』
『おれが悪かったから戻って来て』

とにかく本当にごめんなさいと、語彙は少ないまでも、持っている言葉の限りを尽くしてヒカルが謝っている。

「なんだ、夕べはあれだけ傲慢だったくせに」

姿を消しただけでこんなにも狼狽える。実は自信があるのは見せかけだけで、ヒカルも受け入れられるかどうか不安だったのかもしれないと思い至ってアキラはうっすらと微笑んだ。

『好きなのは本当だから』
『おまえの気持ちも聞かせてよ』
『頼むからおれのこと嫌いにならないで』

「随分可愛らしいんだな、キミは」

返事をしようかと考えて、でもアキラは再び携帯の電源を切った。

この辺りで開いていている店はここだけだった。放っておいてもすぐに追いかけて来て自分を見つけるだろうと思ったからだ。

(思う存分焦ればいい)

怒濤のような展開に自分が飲まれ茫然自失としたように、ヒカルもまた嫌われたかもしれないという不安と痛みに胸を焦がせばいいと思った。

(あんなことぐらいで嫌いになるはずが無いのに)

それでも、ヒカルには充分反省して強引なやり方を後悔して欲しい。

これから続くのだろう長い付き合いのためにはその方がいいのだとアキラは思った。

「…何事も最初が肝心だと言うし」

アキラは冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、目を眇めるようにして窓の向こうを眺めた。

朝早い閑散とした町並みにいつヒカルは現れるだろうか。

そして見つけて最初、何を言うのかも気になった。

(「ごめん」かな)

それともいきなりくってかかってくるかもしれない。心配のあまりキレるような、ヒカルにはそういう所があったのだ。

(そうなったら喧嘩だな)

怒鳴ってぶん殴って、自分を抱いたということがどういうことを意味するのかたっぷりその身に教えてやってもいい。

「…待ってるよ」


今すぐにでも会いたいような、けれどしばらく顔も見たくないような。

相反する矛盾した気持ちを抱えながらアキラは手を挙げて店員を呼ぶとコーヒーのお代わりを頼んだ。

空きっ腹に立て続けのコーヒーは少々胃に負担だったけれど、飲み終えるまでにヒカルに何を話すか考えておかなければいけないなと思ったからだった。




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