| 2013年07月23日(火) |
(SS)彼はぼくが大好きです |
興味というよりは確認のつもりで、そういう嗜好の男性向けの雑誌を買ってみた。
自分はゲイでは無いと思っているけれど、進藤以外の同性の裸を見ても感じるものがあるのかどうか確かめてみたかったからだ。
ファッション誌のようなものからかなり際どいものまで通販で何冊か買って見てみたけれど、これと言って特に感ずるものは無かった。
鍛えているなとか、綺麗な体つきをしているなとかぐらいで特に情欲をそそられることも無く、それではやはりぼくは進藤が進藤だから好きなのだと再確認するに至った。
進藤にしか感じることが出来ない自分に今更ながら絶望し、けれど同時に非道くほっとして、ぼくはお役ご免となったその雑誌を後で捨てるつもりで本棚の奥に片付けた。
後でと思ったのは物が物であるだけに気軽に廃品回収などには出せなかったからだ。
少しずつ燃えるゴミと一緒に出してしまおうとそう思っていたのに、ある日遊びに来た進藤にそれらは見つかってしまったのだった。
「塔矢、何これ」
先に部屋で寛いでいて貰い、茶を入れてもどって来たら、進藤は床に広げた雑誌を食い入るように見詰めていた。
あの隠していた雑誌だということは見てすぐわかり、顔から音をたてて血の気が引いた。
「それは…あの…」
自分が真性のゲイなのかどうか確かめたくて買ってみたとは何とも言いにくく言い淀んでいるうちに進藤がぽつりとこぼした。
「おれ、おまえはノーマルなんだと思ってた」
でも違うんだなと、あまりにショックを受けた様子の彼にぼくの方がショックを受けた。
「違う、進藤、それはぼくが―」
「おれとするようになって目覚めちゃった? それとも元からそうだったん?」
おまえは本当はこういうマッチョなタイプが好みだったんだなと、貧弱な体でごめんと言われて一度引いた血が今度は一気に頭に上った。
「おれ…がんばるけど、ここまでムキムキにはなれないかも」
「あ、いや…ちょっと待て」
「それと胸毛。体はどうにかなるけど胸毛は頑張っても今更生やすことは出来ないと思う」
それでも頼むから浮気だけはしないでくれ、おれのことを捨てないでくれと涙ながらに懇願されて、とうとうぼくはキレてしまった。
「違う! 違う、違う、違ーーーーーーーうっ!」
何をどうしてそういう考えに至ったのか。
嫌われたり引かれたりしなくて良かったと胸の内では思いつつ、ぼくは彼に自分が胸毛もマッチョも好きでは無いことと、そもそもが明後日な誤解であることを大声で怒鳴るようにして説明したのだった。
「居るけれど、キミには教えない」
進藤と会って話しているうちに、好きな人が居るか居ないかという話になった。
打つ合間のほんの一時のなんということも無い戯れ言、気にするまでも無いはずなのに、進藤はやけにそれに食いついた。
「居るの? 誰だよ」
間に挟まる碁盤を避けて、ぐいと迫るように聞いてきたので思わず顔を背けてしまった。
「誰って、別に誰でも構わないだろう」
突っぱねたのは、他でも無いその『好きな人』が目の前に居る進藤だったからで、ぼくはもうかなり長い間、彼をそういう意味で好きだった。
「構うよ、教えろよ」
しかし進藤は引き下がらない。
どうしてそんなに知りたがるのだと思うほどにぐいぐいとぼくに迫って来るので閉口した。
「…い、嫌だよ、どうしてキミに教えなければならないんだ」
「どうしてって、どうしても!」
進藤に理屈は通じない、知りたいのだから教えろと居丈高に言うものだからこちらもムッとして怒鳴り返す。
「キミにだけは絶対死んでも教えない!」
その瞬間、どんと床に突き倒された。
畳に頭を打ち付けて痛みに目をしばたかせていると、視界を塞ぐように進藤がぼくの上に覆い被さった。
「…そんなにおれには言いたく無いんかよ」
にこりとも笑わない、その頬は冷たく引きつれていた。
「教えろっ!」
「嫌だっ!」
「お前が好きなヤツって誰なんだよっ!」
とても最初がただの世間話だったとは思えない勢いで彼はぼくに迫り、ぼくもまた激しく彼に言い返した。
あまりの理不尽さに腹が立ち、ぎゅっと唇を引き結んだら、進藤の目が心持ち細められ、更に一層冷たい声が呟くように言った。
「…そこまで嫌かよ」
睨み付けたままの彼の顔が近づいて来て、唇がぼくの唇に重ねられる。
熱い舌が食いしばった歯をこじ開けて無理矢理中に入って来る。
「…ん」
思わず顔を顰めると進藤は一瞬怯み、けれどしばらくの間、舌でぼくの舌を弄んだ。
ようやく離れてひとこと。
「言えよ、おまえが好きなのって…誰」
ぼくは手探りで碁笥に指を入れると掴めるだけ碁石を掴んで彼の顔面に叩きつけた。
「痛っ」
バラバラと石が雨のように畳の上にこぼれる。
ぼくはその隙に彼の下から這い出すと、部屋の壁に背をつけて進藤に向かって叫んだ。
「キミは最低だ!」
ぼくはぼくの好きな人を何があっても教えない。何があってもキミにだけは教えてなんかやらないと、言いながら不覚にも涙がこぼれた。
休日。
まとわりつくような暑さの中、蝉が耳を塞ぐように鳴いている。
「…塔矢」
二人きりのぼくの部屋で進藤はその瞬間、碁石を叩きつけられた時よりももっと痛そうな顔をしたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
キスというよりは、その食いしばった口開かせて絶対好きなヤツを言わせてやるという感じです。
地方での仕事を終えて帰って来たら、進藤が体調を崩し寝込んでいた。
とは言うものの、何故か頑としてそれを隠し無理をして平静を装っていたので気づくのには少々時間がかかったのだが。
「ぼくがいないのを幸いに冷房を効かせ過ぎたんだろう」
熱が上がり立っていられなくなって、とうとう音を上げた進藤をベッドに寝かせながら叱り口調でそう言ったら、むっとした声で言い返された。
「冷房なんか入れてない。昨日から急に涼しくなったから」
どうやら窓を全開にして、裸に近い状態で寝て冷やしたらしい。
「それならそれで、どうして素直に風邪をひいたって言わないんだ」
熱を計ると39度近くある。相当苦しかっただろうに、進藤は寸前まで脂汗を流しながら普通に食事まで作ったのだ。
「だって」
子どものように口を尖らせてぼそっと呟く。
「ん?」
「…じゃんか」
「なんだ?」
「夏風邪は…」
夏風邪はバカがひくって言うじゃんかと非道く不服そうな顔で言うので笑ってしまった。
「そうだね。そして実際風呂上がりにパンツ一枚で寝たキミはあまり利口だとは言えないね」
「どうせおれはバカですよ」
むうっとふくれて背中を向ける。
(でも本当はキミは笑われることよりも、疲れて帰って来たぼくに看病させることが嫌だったんだよね?)
無理をして夕食のおかわりまでしたキミが愛しい。
「ごめん、そんなこと思っていないから」
ぼくは神妙な顔で謝ると、拗ねきった恋人の機嫌を取るために、発熱して熱い首筋にそっとキスをしたのだった。
| 2013年07月09日(火) |
(SS)恐れ入谷の鬼子母神 |
碁会所に来たお客さんが立派な朝顔を持っていたので、どうしたのだと尋ねたら入谷の朝顔市に行って来たのだと言った。
「毎年夏になると、鬼子母神様の朝顔市で朝顔を買うのが決まり事になっていまして」
そう言って鮮やかな色味の大振りな花を見せてくれた。
「私が行ったのはまだ朝の8時でしたけれどね、もう随分と賑わっていましたよ。若先生も行かれてはどうですか」
言われてみれば都内に生まれ育っているのに、一度も朝顔市には行ったことが無い。
進藤と暮らすマンションのベランダに置いたら夏らしくて綺麗だろうとふと思いつき、帰り道に遠回りして寄ってみた。
駅を出た途端にもう目の前には屋台や朝顔の出店が並び、それらを眺めながらゆっくりと歩く。
小一時間後、ぼくは濃いピンク色の朝顔を一鉢買った。
ほとんどが紫かピンク色の朝顔が並ぶ中、その花は明るい色味でほんの少しオレンジ色がかって見えたのが気に入ったのだ。
「朝と夕に二回水をやって下さいね。つぼみから下の葉は全部取ってしまって構いませんから」
手際よくくるくるとビニール袋に入れられて、きゅっと結んで持ち手が出来る。
それを受け取って、ぼくは立ち並ぶ屋台には一ヶ所も立ち寄らず、そのまま地下鉄の階段を下りた。
持って帰って早くベランダに置いてみたいと思ったからだ。
ところがいざ帰り着いてベランダに出てみると、そこには何故か朝顔があった。
「進藤?」
朝には確かに無かったはずと、ベランダから進藤を呼びつけると、ぼくより先に帰って来て、感心にも夕食の準備をしていた彼は、エプロンをつけたままの姿ですぐにやって来た。
「何?」 「この朝顔、どうしたんだ?」
尋ねると「ああ」と言う。
「指導碁に行った先のご主人が朝顔市で買って来たって言って見せてくれたのが綺麗だったからさ、おれも帰りがけに寄って買って来たんだ」
すげー沢山売ってたけど、その色がおまえのイメージだったからそれにしたと目を細めて言う。
彼が買って来た朝顔は涼やかな青い花だった。
「何? 朝顔嫌いだった?」
「いや、実はぼくも今さっき朝顔市で朝顔を買って来たものだから」
えーっと叫ぶようにして進藤がベランダに来る。そして並べて置いたぼくの鉢を見て、「本当だ」と目を丸くして見せた。
「しっかし、おまえ随分可愛らしい色の買って来たんだなあ」
意外や意外とくすりと笑われてムッとした。
「可愛くて悪かったな。それはキミのイメージで選んだんだよ」
「えー、おまえの中のおれってこういう可愛い感じなのかよ。もっとワイルドな男らしいさあ…」
「明るくて、温かくて良い色だろう? ぼくにとってのキミはいつも温かくて優しいから」
ぴったりだと思ったのだけれど、もっと渋い色の物にすれば良かったか? と尋ねたら、進藤は慌てたように首を横に振った。
「滅相もない。これで満足デスっていうか、これがいいデス」
そして改めて二つの鉢を見比べて、可笑しそうに笑った。
「しっかし、同じ日に同じ場所で朝顔買って来てるなんてな」
「時間が少しずれていたら、向こうで会えたかもしれないね」
「うん、そうかも。でも、もしそうなっていたら、おまえはたぶんこの色の朝顔は買わなかったんじゃないか?」
くすぐったそうに言われて、確かにそうかもしれないと思った。
進藤がすぐ側に居るのに彼のイメージの色の朝顔を買うのはあまりにも気恥ずかしすぎる。きっと無難な物を選んでいたことだろう。
そう思った胸の内を見透かしたように進藤が言った。
「…おれもきっと、おまえと一緒だったらこの色は買えなかったな」
だから今日は別々に買って良かったんだよと言う彼の言葉にぼくは素直に頷いた。
「あれ? でもキミは、今日はまるっきり正反対の方に指導碁に行っていたのではなかったっけ?」
ふと思い出して尋ねてしまう。
「そうだけど、でもよく考えてみたら、おれってば東京生まれの東京育ちなのに一度も朝顔市に行ってみたことが無かったからさ」
折角だから行ってみようと思ってと、そこまでがぼくと同じだったので、可笑しくて笑ってしまった。
「なんだよ、どうせおれは単純だよ」 「そうじゃない、実はね―」
他愛無い打ち明け話をした後で、ぼくは彼と二人して、二つの朝顔に水をやった。
オレンジがかったピンク色と、紺に近いような青い朝顔。
お互いがお互いを思い浮かべて買った花をこれから毎日見ることが出来ると思ったら、それだけでとても幸せになった。
夏の始まりの日の出来事。
きっと来年もぼく達は二人して、こんな風にそれぞれに朝顔を買って来るのかもしれない。
新しく出来た習慣は、ぼくを更に幸せな気持ちにさせたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※
ということで、朝顔市に行ったものだから朝顔市話ですよ。 四季折々、お祭りがあるのっていいですよね。
| 2013年07月07日(日) |
(SS)人の恋路を邪魔するヤツは |
茹だるような暑さだった。
一日の半分以上は冷房の効いた室内に居たとは言え、それでも行き帰りや帰って来てドアを開けた瞬間の、むっとした熱い空気には思わず愚痴のように言葉がこぼれた。
「暑いなあ、梅雨が明けたからっていきなりこんなに暑くならなくてもいいじゃんか」
余程であればつけるものの、部屋の冷房はアキラが嫌いなので滅多にはつけない。
ヒカルは下着姿でソファに転がると、先日薬局で貰った団扇を取り上げて、だらしなく顔を扇ぎ始めた。
「本当にキミは暑がりだね」
一緒に帰って来たアキラは、ヒカルが果てている間に自分はさっさとシャワーを浴びてこざっぱりと着替えている。
「夏が好きなくせに暑いのは苦手だなんてどういう我が儘だ」
苦笑しつつ目の前のガラステーブルにアイスコーヒーを置いてやると、ガバッと起き上がりつつも「ビールの方が良かった」とヒカルは文句をたれた。
「ビールもあるよ。でもどうせ飲むなら夕食の後でのんびり飲んだ方が美味しいだろう」
だからぐずらないで大人しくそれを飲めと言われて、ヒカルは飲みつつもまだ文句を言っている。
「おまえはいいよなあ、そんなに汗もかかないし、もともとそんな暑がりでもないし」
「そんなことは無い。ぼくだって暑いのはちゃんと暑く感じているよ」
ただ我慢強いだけだと言われてヒカルはむうっと口を尖らせた。
「もういっそ、土砂降りにでもなんねーかなあ」
こんないい天気じゃなくていいんだと、恨めしそうにヒカルが外に視線をやると、同じように視線を外に向けたアキラは、何故か非道くきっぱりと「いや、このまま晴れていた方がいい」と言った。
「なんでだよ、降ればちょっとは涼しくなるかもしれないじゃんか」
「そうだけど、そんなあるか無いかの心地よさのために、一年に一度の人の逢瀬を邪魔することは出来ないな」
それくらいなら暑いのを我慢する方がいいと言われてヒカルは壁にかけてあるカレンダーに目を向けた。
「七夕かぁ」
ここの所忙しかったので、今日がそうだということを失念していた。
「…じゃあしょうがないか」
ため息をついてソファに沈む。
「素直だな」
ぐったりと顔を扇いでいるヒカルにアキラがからかうように声をかける。
「七夕だろうがなんだろうが、暑いのは嫌だって言うかと思ったのに」
「仕方ねーだろ誰だって会いたいもんは会いたいし」
それにと言葉を足して言う。
「おれは一年中おまえと一緒に居られるんだもん。そんな恵まれたヤツがどうして一年に一度しか会えないヤツらの不幸を願えるんだよ」
そんなことしたら罰が当たると、そして再び顔を扇ぎ始めたのをアキラは愛しそうに微笑んで見詰めた。
「優しいな」
「おまえ程じゃないけどな」
でも、どうせならおれにももう少し優しくして欲しいなとこぼしたら、アキラは苦笑したように笑って開け放った窓を閉めると、黙って冷房を入れてやったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
冷房が嫌いなアキラですが寝る時に寝室に冷房を入れることは許しています。だって入れないと汗だくになっちゃうから。
| 2013年07月06日(土) |
(SS)花で碁を打つ |
例年よりかなり早く来た台風が通り過ぎた翌日、実家を見に行くという塔矢と一緒に、おれも塔矢家に行った。
塔矢が家を出ておれと暮らすようになってから、もともと外国暮らしが多かった塔矢先生達はより一層帰って来なくなり、普段の管理は業者に頼んであるものの、たまに留守宅に塔矢が風を通しに行ったりするのだ。
「古い建物だけれど、頑丈に出来ているから心配はしていないんだけれどね」
行きがけに塔矢がそう言っていたように、到着して久しぶりに見る塔矢家は昨夜の強風にもびくともしていなかった。
瓦の一枚飛ぶでも無く、戸にも窓にも異常は無い。
「それじゃ、ぼくは家の中を見てくるから、キミは庭の方を見て来てくれるか?」
「見てくるって何を?」
「風で折れた枝が無いかとか、塀が壊れていないかとかに決まっているだろう」
少々呆れたように言っておれを庭に追いやると、塔矢はさっさと家の中に入って行った。
(まあ、別に見回りでもなんでもやるけどさ)
年々あいつのおれに対する扱いはぞんざいになって来てはいないかと、少しばかり拗ねた気持ちで家の南側に向かう。
縁側に面している塔矢家の庭は、結構広く植木も沢山植わっていたが、こまめに庭師が入って手入れをしているので伸びすぎの枝や雑草も無く、綺麗に整っていた。
(まあ、多少小枝が散らかってるけど、こんなもんだろ)
倒れるような大木も無いし、ざっと見た所塀にも何ら異常は無い。
良かった良かったと、ついでにくるりと家の周りを一周回って玄関の方に向かったら、東側の狭いスペースに植えられた蔓のある木の花がびっくりするほどたくさん地面に落ちていた。
「…なんだっけ、これ…」
ハイビスカスでは無い、でも南の花。
鮮やかなオレンジと鮮やかなピンクの二色の花が萼から切ったように落ちている。
(こんなに綺麗なのに、もったいないなあ)
そもそもが家の横手に植えてあるのであまり人の目には触れない。それがこんなに一度に落ちてしまっては、美しい頃を誰に見られることも無く終わってしまうではないかと、それが少しだけ可哀想になった。
なので両手に拾えるだけ拾って、それでも足りずにシャツを器代わりにしてほとんど全てを拾って再び南側の庭に戻った。
「進藤?」
何をやっているんだと、ちょうど縁側の雨戸を開け放していた塔矢がおれを見て驚いたように声をかける。
「うん、家の横に落ちててさ、勿体ないから拾って来た」
「拾って来たってそんなものどうする――」
庭に降りて近づいて来る塔矢の目の前に花を置くと、おれは近くにあった小枝で地面に線を引いた。
塔矢は不思議そうにおれのすることを眺めていたが、すぐに解ったのだろう小さく笑うと、キミらしいと言った。
縦に十九本、横に十九本、線を引いたら即席の碁盤の出来上がりだ。
「打とうぜ」
枝を放り投げて塔矢を見たら、可笑しそうにまだ笑っている。
「なんだよ」
「いや、随分風流だなと思って」
「いいからどっちでも好きな方選べよ」
塔矢は目の前にある花の山からオレンジ色の花を摘み上げると、おれの引いた線の上に置いた。
パサリと微かな音がして、花が小目の位置に咲く。
「キミの番だよ」
促されておれはピンクの花を掴むと、左下の隅に置いた。
「…綺麗だね」
目を細めて言いながら塔矢が次の花を持つ。
「この花、なんて言うんだ?」
「ブーゲンビリア。お母さんが好きなんだ」
けれど鮮やかな花は、純日本風の家にも庭にも似合わないので、こっそりと目につかない東側に植えているのだと言って塔矢は笑った。
「ぼくは別に表に植えても構わないと思うんだけどね」
「そういうわけにも行かないだろ、これをそこの松の隣なんかに植えたら侍の隣にハワイアンダンサーが立っているみたいじゃんか」
「どういう例えだ。まあ確かに庭のバランスは悪くなると思うけれど。…でも本来はこういう明るくて華やかな花を母は好きなんだよ」
「へえ、いかにも『日本のお母さん』って感じなのに」
話しながら互いにオレンジとピンクの花を置く。いつもの白と黒の碁石と違って鮮やかなことこの上無い。
「それは母が必死でそう見えるようにして来たから。だから今は好きな花に囲まれてのんびりと暮らして楽しいんじゃないかな」
「今?」
「父と母が居る台北は亜熱帯だからね。一年中暖かで、こういう鮮やかな花が多いんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「新婚旅行にも行っていなかったから、今そのやり直しをしているみたいだって、いつか行った時に笑って言っていたけれど」
ぽつりと言ってまた花を置く。
塔矢のお母さんがこの家に嫁いで来た時には既に塔矢先生はタイトルを幾つも持つ忙しい棋士で、結婚したからと言ってのんびり旅行をする暇など無かったらしい。
「向こうに居れば煩わしい人間関係からも抜け出せるし、何より父を独占出来るから」
きっと当分帰って来ないだろうねと苦笑混じりに笑った。
「寂しい?」
「まさか! 子どもじゃあるまいし。それにずっと大変だったのを見て知っているから、父とゆっくりした時間を母が持てるようになって本当に良かったと思っている」
パサッと花を置いて塔矢が言う。
その横顔は相変わらずの母親似で、綺麗だなとぼんやりと思った。
「キミ、今日は随分慎重だけれど暑さでボケているのか? それとも有り得ないとは思うけど、ぼくに手加減しているのか?」
「どっちもねえよ! なんだよ、おれがじっくり打ったらいけないのかよ」
「いや、いつもはせっかちなくせにどうしたのかなと思って」
それとも花で打つなんて雅なことをしているから調子が狂うのかと笑われてムッと唇を引き結んだ。
「おまえこそ、そーやって人のこと甘く見てると、急所突かれて泣くはめになるからな」
ピンクの花をオレンジの花を切るように置く。と、塔矢の顔から笑みが消えた。
「ふうん…確かにボケているわけじゃなさそうだね」
そしてそれからは互いにしばし無言で花を置いた。
ピンク、オレンジ、オレンジ、ピンク。
目に入る全ての色が鮮やかで綺麗だ。
そしてその中でひときわ綺麗なのが、おれを負かしてやろうと真剣になっている塔矢の整った顔だと思う。
「なんだ?」
視線に気がついたのか塔矢が顔を上げる。
「いや、なんでも」
すると今度はふと手を止めて塔矢がおれのことを見詰めた。
「何?」
なんでも無いと真似っこのように返って来るかと思いきや、塔矢は手の中で花を弄びながら言ったのだった。
「いや、ぼくは幸せだなと思って」
「何が?」
「海外になんか行かなくても、ずっと好きな人と二人きりで居られる。しかもこれからもずっとそうなんだから」
過ぎる程の幸福じゃないかと真顔で言われて急には返事が出来なかった。
「おまえ、そういう…」
「キミは違うのか?」
畳みかけるように問いかけられて思わずむきになってしまった。
「違わねーよ!」
パサリと思い切り置いた花は盤上で塔矢の花に寄り添っている。
(ああ、確かに)
ずっとずっとおれ達は二人だ。そして離れることは無い。
こうして向かい合い、誰も居ない庭で花で碁なんか打っている。
飽きることも無く、永遠に無心に。
そう思ったら、たまらない程の幸せに酔いそうな気持ちになった。
おれくらい幸せな人間がこの世に果たしてどれくらいいるだろう?
「…そういえば、今まで聞いたこと無かったけど、先生達って恋愛結婚? 見合い結婚?」
難しい場所を攻められてしばし考え込んだ後、おれは花を置きながら塔矢に尋ねた。
「今まで言ったことは無かったっけ?」
「無いよ。じゃあ、見合い?」
「違うよ」
即座にオレンジの花を持ちながら、塔矢はおれを見て言った。
「お父さん達はね―」
頭の中でもの凄い速度で、次に打つ手を考えているのが解る。
「お父さん達は、恋愛結婚だよ」
そして随分時間が経ってから花を置く。
塔矢は、その置いた花よりもずっと鮮やかに美しく、にっこりと微笑みながら挑むようにおれを見詰めたので、おれもまた睨むように塔矢を見詰め返すと、盤上に鮮やかなピンクの花を置いたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
何番煎じというか、沢山の人が同じようなネタで書いたかと思いますが。 ブーゲンビリア、綺麗ですよね。家の近所にもたくさん咲いてます。
塔矢パパとママは絶対恋愛結婚だと思っています。そうでなければアキラのあの内面の激しさが納得出来ん。
| 2013年07月04日(木) |
(SS)見守る立場からもう一歩(ヒカルside) |
何が悔しいって、背が一番悔しかった。
出会った一番最初から塔矢の方がおれより少し背が高く、それからもずっと追い越せなかった。
いつだっておれより少し高い所に居る。それはそのままおれ達の関係を表していて、碁でも恋でもあいつにおれは届かない。それが悔しくてたまらなかった。
あのクソ真面目のクソ仏頂面のクソ外面の良い、でもそれと同じくらいクソ可愛いおかっぱ頭にどうしたらおれを好きにさせられるのか解らなかった。
(まあ、でもやっぱ、取りあえず背だな)
背だけはとにかく負けたくない。あいつより高くなって、それから碁も強くなる。
隣に立っても見劣りしない面構えと、あの頑固野郎を丸ごと包み込めるくらいの大きな男にならなければと、ずっとずっと思っていた。
そして、成長しておれは念願叶ってあいつより背が高くなった。
本当は見下ろすくらいになりたかったけれど、目線が少し高いくらいの今でも大満足だ。
だって塔矢はおれがあいつを背で追い抜いたと解った時、非道く悔しそうな顔をしていたから。
『キミ…いつの間にそんなに伸びたんだ』
『さあね、牛乳飲んだし運動したし、背が伸びるってことは一通りやったから』
その副産物として、いい感じに筋肉もついて、そこそこ見られる体つきになっている。
顔は…どうなのか自分ではよく解らないけれど、客観的に見て悪い方では無いと思う。
(でも、あいつクソ美人だからなあ)
塔矢の方は背はあまり伸びなかったけれど、顔立ちの方は相変わらず整っていて、昔は可愛い感じだったのが今はぞっとするような美人になっている。
もっとも本人はその自覚が無いようだけれど。
それでもおれもそうそう悪くも無い証拠には、最近告白されることが多くなって来た。
先週も院生の女の子に告白されて、結構親しくしていた子だったので無下に断ることも出来ず、考えさせて欲しいと返事を先延ばしにしてしまった。
でも後できちんと断るつもりだった。だって背で負けていた頃からずっと、おれは塔矢が好きで、今でも変わらず大好きだったから。
「…まあ、今の所、あいつ碁以外は頭に無いみたいだからな」
それが唯一の救いだけれど、おれのことも意識して貰えていないというわけなので、正直それは有り難くない。
「あーの、クソ碁バカ」
どうしたら振り向かせられる? どうしたらあいつはおれを好きになってくれるんだろうか。
碁だってもうほとんど拮抗するまでになっているのにと鬱々と思っていたら、ある日唐突に塔矢に言われた。
「キミ、この間告白されたって聞いたけど」
「え? ああ。よく知ってんな」
いつもながらのいきなりの話題に戸惑いながら返事をすると、面白くなさそうに返された。
「和谷くん達が大声で話していたからね、嫌でも聞こえたよ。なんでもすごく可愛い子らしいじゃないか」
いやいや、おまえのがずっと可愛いデスよと心の中で思ってもさすがにそんなこと口に出しては言えない。
「んー、そうなのかな。確かに結構可愛い方だとは思うけど、でもどうしようか迷ってて」
「迷っているならやめた方がいいよ」
思いがけずきっぱりと言われておれは驚いた。塔矢はそんな風に人のプライベートに口を出すような性格では無かったからだ。
「え…なんで?」
「迷っているってことは、はっきり好きだと思えないからだろう。そんな気持ちで付き合うなんて勧められない」
「やっぱそうかな」
「うん、それで」
その後に続けられた塔矢の言葉をおれはしばらく理解出来なかった。
「キミはぼくと付き合えばいいよ」
「は…ぃ…ええぇぇぇぇぇぇっ」
「ずっと、ずっとキミのことが好きだった。だから出来るならキミにもぼくを好きになって欲しい」
真っ赤な顔で唇を噛みしめて、塔矢はおれを睨んでいる。
「…………無理かな」
ふっと視線を落とされて、か細い声で言われてぞくりとした。
うわ、可愛い。死ぬ程可愛い。ずっと可愛いと思っていたけど、更にもっとがあったなんて。
「あ……はい」
しばし呆然とした後おれは慌てて言い足した。
「えっと、うん。いいよ、解った。OK、了解」
―ありがとうと、テンパった滅茶苦茶な返事に、けれど塔矢は心底ほっとしたような顔をした。
「…良かった」
きっとダメだと思っていたからと言われて思わず言い返してしまった。
「なんでだよ! おまえに告られて断るわけなんて無いじゃん」
「そうかな」
塔矢はおれをじっと見て苦笑したように話を続けた。
「だってキミはこの数年で背も伸びてすっかり男前になってしまった。女性にも人気があるし、キミを好きだって人をぼくも何人か知っている。なのにぼくは体も貧弱だし、女顔で愛想も無い、それでどうして受け入れて貰えるって思える?」
「そんなことねーよ、おまえ可愛いし美人だし、そりゃちょっと気は強いけど、でも頭もイイし碁も強いし」
おれにとってはずっと高嶺の花だったと言ったら塔矢は可笑しそうに小さく笑った。
「ぼくが? ぼくにとってはずっとキミが手の届かない花のような存在だったけれど」
それでも告白してしまったのは、先週告白した院生の子がかなり本気だと知ったからなのだと言う。
「命がけだと言っていたって、和谷くん達は笑って話していたけれど、ぼくは笑えなかった。キミだって可愛い女性は嫌いじゃ無いからそこまでの気持ちで迫られたらその人を好きになってしまうかもしれないって」
それでなけなしの勇気を振り絞ってみたのだと塔矢は言っておれを見詰めた。
「もう一度聞くけど、本当にキミはこんなぼくで良いのか? きっとキミの周りにはキミを好きな可愛くて綺麗な女性がたくさん居ると思うけれど?」
その人達との可能性を捨てて、こんな可愛くも無い、しかも男のぼくと付き合ってくれるのかと尋ねられて思わずキレてしまった。
「さっきからどうしてそうネガティブなことばっか言うんだよ。おれはずっとお前が好きなんだってば!」
おまえに振り向いて欲しくて、おまえに釣り合う男になりたくて頑張って背も伸ばしたし、体も鍛えて碁も必死でやってきたのにと、おれの言った言葉に塔矢は黙った。
「なのにどうしてそう自分を卑下したようなことばっか言うんだよ。おれがそんなつまんないもののために一生懸命になるとでも思うのかよ」
「だってキミは本当にイイ男になってしまったから」
「おまえだってもの凄いイイ男だよ! ずっとガキの頃から見守って来たおれが言うんだから間違い無い!」
ほとんど怒鳴るように言って口を噤むと塔矢はものすごくびっくりした顔をして、しばし何も言わなかった。
おれが不安になるほど黙った後、いきなりふんわりと緊張が解けたかのように笑って言った。
「ぼくはずっとキミを見守って来たつもりだったけれど…そうか、キミもぼくを見守っていたのか」
知らなかったよと、呟くような声は、しかしとても嬉しそうで、その後におれを見詰めたその顔には控えめな誇らしさが浮かんでいたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
拍手SS「頑張りやな君へのお題」の「見守る立場からもう一歩」の対のお話です。
リクエストを下さったAさん、イメージと違っていたかもしれませんが、こんな感じになりました(^^;
| 2013年07月03日(水) |
(SS)見守る立場からもう一歩 |
いつのまにか背が伸びて、ぼくを軽く追い越した。
薄かった胸板も厚くなり、顔立ちもいつの間にか大人びた。
碁に関しては言うまでも無く、かろうじて先に立っているもののいつ追い越されるかわからない。
子どもの頃から目が離せずにずっと見守ってきたけれど、
彼はいつの間にか姿も才能も抜きん出た『イイ男』に変っていたのだった。
「進藤…」 「ん? なに?」
「キミ、この間院生の女の子に告白されたって聞いたけれど」 「あー…、結構カワイイ子なんだけどどうしようかなと思ってさ」
「迷っているならやめた方がいいよ」 「やっぱそうかな」 「うん。それで―」
ぼくと付き合えばいいと、どこの誰ともわからない女に奪われるくらいならと、
ぼくは秘めていた気持ちを吐き出してしまった。
「ずっと、ずっと…キミのことが好きだった」
だから出来ることならば、キミにもぼくを好きになって欲しいと、
叶うか、叶わないかわからないけれど、
ぼくは見守る立場からもう一歩踏み出して、自分から彼に告白したのだった。
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web拍手用SS、「頑張りやな君へのお題」の「見守る達時からもう一歩」です。4日にヒカル視点の話が載っています。
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