| 2013年04月28日(日) |
(SS)禁アーガイル |
冬ならスーツかタートルネック。夏なら開襟シャツにポロシャツ。
春、秋は我慢出来る範囲で冬か夏かどちらか寄りのものを選ぶ。それがアキラの服に関しての基準だったが、それが一部に不評だったので仕方無く新しい服を買いに行くことになった。
『いいか? 間違ってもデパートの類に行くな。それとブランドでもオヤジ御用達の店はダメ』
こことここと、こことこれならおまえに似合う服があると思うから間違ってもそれ以外の店で買って来るなと、まるで子どものお使いのようにアキラに服屋の地図を持たせたのはヒカルだ。
ずっと以前からアキラの服の無頓着さに口を出し続けて来たヒカルは、事あるごとにアキラを自分が買い物に行く店に連れて行ってはあれやこれやと選んで着せたが、アキラにはそれがいつも気にくわない。
『もう少し地味な物は無いのか』 『こんな丈の短いシャツは嫌だ』
文句たらたらで買っても結局着ないで箪笥のこやしになるのが常なので、アキラとしてはそっとしておいて欲しいと思っているのだが、先日指導碁に行った先の小学生の娘さんに『先生ってなんだかお父さんみたい』と言われてさすがにショックを受けた。
『ほーら、ほーら、やっぱり誰が見てもおやじ臭いんだって!』
その話を聞いて鬼の首を取ったかのように大喜びしたヒカルは、速攻服を買いに行こうとアキラを誘ったのだが、きっぱりと断られたので仕方無くその場で地図を描き、だったらもう少しマシな服を自分で買って来いとアキラを送り出したのだった。
『もしわかんなかったら店員に任せろ。面倒だからってマネキンが着てる一式買って来たりするんじゃないからな』
うんざりするほど注意されて渋々指定された店にやっては来たものの、案の定、ひと目見ただけでアキラにはその店の服が気に入らなかった。
(大体、進藤が着ている物はくだけ過ぎているんだ)
だらんと布が伸びたようなTシャツやクラッシュジーンズはもちろんだが、襟のついたシャツにもとんでも無い柄が描いてあって驚かされたりする。
(あれがぼくにも似合うなんて思う方がおかしい)
もちろんそれはアキラの偏見で、ヒカルはいつもちゃんとアキラに似合った服を選んでいる。
店にもよく見ればアキラが着るとさぞや見栄えがするだろうなという服もちゃんとあるのだが、嫌々来ているアキラはよく見ようともしないのでそれらに気がつかないのだ。
(ダメって言われたけれど、そこらのマネキンが着ている物を一揃え買って帰ろうかな)
いい加減場違いな所に居る居心地の悪さに我慢出来なくなってアキラはそうも考えた。
そもそも全身コーディネートなど感覚としてわからないのだから仕方無いではないか。
「あの、お客様」
それでも決めかねてうろうろとしていると、店員がにこやかに声をかけて来た。
「今日は何をお探しですか?」 「その…普段に着るような物を」 「それでしたらこちらなど如何でしょう」
実は店員は店に入って来た時からずっとアキラを見ていた。
客層としては珍しいタイプだったけれど、すらりとした体つきと整った顔立ちのアキラに瞬時に頭の中で服の組み合わせを考える。
(あっちのあのシャツと、あのパンツ。ジャケットは先週入荷したアレがいいんじゃないかしら)
流行りの店だけあってやって来る客は多い。けれどブランドとしてのプライドを満足をさせてくれる客というのは滅多にやっては来ないものなのだ。
「お客様、よろしければあちらでご試着など」
ぱぱぱっと数種類服の候補を選び出し、有無を言わさず試着室へと連れて行こうとする。
こういう場に慣れていないアキラはほとんど屠殺場に連れられる牛のような気持ちで付いて行ったのだが、試着室に入る寸前にふと真横にあるマネキンに目を留めた。
ピンと閃くものがある。
「あの…」 「なんでしょう」 「そのマネキンが着ているシャツとジャケットが欲しいんですが」 「これですか? お客様には少しお色が明るすぎるかと思いますが」 「いえ、いいんです。それとあちらの壁にかかっているTシャツ。あれも買って帰ります」
それまでうんざりとした調子でろくに見てもいなかった服が、あることに焦点を定めたら急に面白い程似合う似合わないが解るようになったのだ。
(あの形、きっと進藤によく似合う)
そう、自分では無くヒカルのためにと思ったら、呆気ないほど簡単にどれが良いのか解ってしまった。
アキラは決して見ばえでヒカルを好きなわけでは無かったが、その顔形、姿をとても好きで気に入っている。
その好きなヒカルに似合いそうな服があると思ったら、それまでなりを潜めていたセンサーがいきなり働き始めたのだ。
あれとこれとそれとこれ。レジカウンターの上に山と積んでカードを出す。
「―ありがとうございました」
呆気に取られたような店員に見送られつつ帰るアキラは満足を絵に描いたような顔をしていた。
好きな人に服を選ぶというのがどんなに楽しいことなのか初めてアキラは知った。
そしてヒカルがあれ程自分に服を選びたがる理由もやっと少しだけ解ったような気持ちになったのだった。
「ただいま」 「おかえり。なあなあ、どんなの買って来た?」
ヒカルは期待半分、不安半分、待ちかねていたように飛びついてアキラの買って来た物を開いて見る。そして怪訝な顔になった。
「なんだこれ」 「うん、それはね」
結局自分の物はシャツ一枚買って来ず、ヒカルの物だけ買って来たと知ったヒカルは一瞬絶句した後アキラを猛烈に罵った。
けれどアキラはけろりとしたもので、「どれもキミによく似合うと思うよ」などと嬉しそうに差し出して来るので結局ヒカルも怒れなくなり、アキラを念入りに可愛がることで腑に落ちない気持ちを納得させることにしたのだった。
| 2013年04月24日(水) |
(SS)もうすぐ5月 |
手合いが終わって帰る途中、塔矢に一階で呼び止められた。
「進藤、ちょっといいか?」 「何? なんか用事?」 「用事って程では無いんだけど」
そう言って、何やらごそごそカバンの中を探っている。
「渡し忘れていた物があるから」
そしてぽいぽいと四つおれの手の中に小さな包みを乗せる。
「え…と、なんだこれ」 「これが誕生日で、これがクリスマス。それからこっちがバレンタインでこ っちがホワイトデー」
それじゃ確かに渡したよと、そのまま行ってしまうので慌てて襟首を捕まえた。
「ちょ…なんだよこれ!」 「だからキミに渡しそびれていた物だよ」
どうしてこうも飲み込みが悪いのだと言わんばかりのしかめっ面に睨まれて思わず手を離してしまったけれど、肝心な所はそこじゃないと気がついて、おれは再び塔矢の後をダッシュで追いかけたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
やっと渡せたんですよ…。
真夜中にいきなり電話をかけて来たと思ったら、受話器の向こうで塔矢が言った。
『愛してるって言ってくれないか?』
「愛してるよ」
世界中で一番好きだ。そうおれが言うとしばらく黙り、それからぽつりと『ありがとう』と言って電話を切った。
あいつが今どんな気持ちで、どうして電話をかけて来たのかはわからない。
たぶん聞いても答えないし、だからおれも尋ねたりしない。
それでも時折忘れた頃にそんな電話をかけて来るから、おれは自分がどこに居て何をしていても、あいつからの電話には必ず出て「愛してる」と伝えることに決めている。
| 2013年04月17日(水) |
(SS)スーツと大根 |
指導碁からの帰り道、アキラは商店街の八百屋で大根が二本百円で売られているのを見つけて足を止めた。
まあまあの大きさのものが二本、ザルに乗せられていて、それで百円というのは安いと思った。
最近野菜が不足気味だし、大根は色々使えるしとしばし考えた後購入したのだが、買ってすぐに若い女性から声をかけられた。
「塔矢先生」
上から下まで隙無く決めたその女性は、何度か棋院の囲碁教室で教えたことのある人で、アキラを見るなり嬉しそうな表情を浮かべたが、その視線がアキラの下げている袋にたどりついた途端、クスっと何とも言えない笑いをこぼした。
「…塔矢先生でも大根なんか買われるんですねえ」
なんだかイメージ狂っちゃったと、そして自分から声をかけたにも関わらず、クスクスと笑ったまま去って行ってしまったのだった。
呆然というのはこういうことだろうか。
一人残されたアキラは釈然としない思いで家に帰った。
そして時間が経っても胸の内のもやもやが消えないので携帯を取り出すとヒカルに電話をかけたのだった。
「キミ…ぼくが大根を買っているのを見たらどう思う?」
出るなり言われた言葉にヒカルは一瞬絶句して、それから可笑しそうに笑った。
『は? なんだよいきなりだなあ』
「いきなりでもいいから答えてくれ。キミはぼくが八百屋で大根を買って下げて歩いているのを見たらどう思うんだ」
あまりにも唐突なアキラの問いに、けれどヒカルは茶化すこと無くしばし考えた後に答えた。
『うーん、おでんにするのかなって思う』
「それだけか?」
『ああ、ふろふき大根かもしんないなって。そうだったらおれも好きだから食いたいなあって』
あっけらかんとしたヒカルの答えに、アキラは肩の力が抜けるのを感じた。
「…ぼくらしくないとは思わないのか?」
『は? らしいってどういうの。むしろものすごくおまえらしいと思うけど』
笑いながら言っているけれど、ヒカルの声は真面目だった。
心からそう思って答えているとよくわかる声音に、知らず寄っていた眉の間の皺も消えた。
「…所帯臭いとか、みっとも無いとか思わないのか?」
『なんでだよ。おれ達一人暮らしなんだから、足りないもんがあったら買うだろう? それがなんかおかしいか?』
「いや、何もおかしくない」
おれなんか今日、疲れてたけど薬局でトイレットペーパー買って帰った。切れていれば、洗剤だってティッシュだってなんだって買って帰るよと言われてアキラは笑った。
「それが指導碁帰りのスーツ姿の時でも?」
『スーツ関係無いだろう? なんで今日はそんな変なことばっか聞いてくんだよ、おまえ』
訝しそうに聞かれてアキラは益々嬉しそうな笑顔になった。
ヒカルの言う通りだと思ったからである。
生活している以上、日用品は買わなければ補充されない。自炊している以上、食品を買うのも当たり前で、その当たり前のことを嗤われる謂れなどどこにも無いと思ったからだ。
「ごめん、なんでも無いんだ。ただちょっと理不尽な気持ちにさせられたものだから」
『大根に?』
不思議そうに尋ねられて笑って返す。
「そう。大根に」
『それでその大根は今夜何になる予定なんだよ』
「これと言って何も考えていなかったけれど…」
ふと思いついて口にする。
「たくさんあるから、ふろふき大根にでもしようかな。なんだったらキミも食べに来るか?」
間髪入れずヒカルは「食う」と返事をした。
「じゃあすぐ行く。なんか足りないもんあったら持って行くけど」
「そうだな」
アキラは一瞬考えて、それから優しい声で言った。
「別に何も無い。強いて言えばキミが足りないから」
早く来いと言ったらヒカルは嬉しそうに笑ったので、アキラもまた幸せな気持ちで笑い返したのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ヒカルもアキラも仕事帰りに普通に買い物して帰ります。それを格好悪いとか思うようなつまらない見栄は持っていません。生活しているんだから当たり前。そういう感覚です。
何を好き好んでこんな日にと思わないでも無かったが、進藤があまりに言い張るので根負けして動物園にやって来た。
朝からの雨。天気予報では1日続くという悪天に、だだっ広い園内はほとんど人気が無くて閑散としている。
そこを各々傘を差しつつ動物たちを巡って行くのだから酔狂にも程があるとそう思う。
「どうしてそんなに動物園に来たかったんだ?」
進藤はそれまでも遊園地などにぼくを誘うことがあったけれど、動物園に誘われたことは無い。
殊更動物好きだとも思えないので不思議に思って尋ねると、彼は南国の鳥の檻の前で傘をくるりと回して言った。
「穴場なんだよ」 「穴場?」 「そ。こんな雨の日に動物園に来るヤツなんてほとんどいない。園内はそこそこ緑もあって、だから見通しも悪い。職員の数も少ないし男二人でのんびり歩いていても誰にも何にも思われない」
人目を気にせず堂々とデートっぽいことが出来るまたとない機会なのだと笑われて目を開かれた気がした。
「そんなこと考えもしなかったな」 「まあフツー、いい年した男が動物園なんか来ないしな」
遊園地などなら晴れた日の方が人が多くて紛れて良いと思うかもしれない。
でもそれでも男二人連れというのは案外人の目に止まるものなのだ。
「動物園なんか来るのはほとんど親子連れだし、そもそもおれらを知ってるヤツに出会う確率低いからな」
正々堂々ゆっくりとデートっぽいことが出来るとぼくに言う進藤は、少しだけはにかんだような顔をしていた。
「馬鹿みたいなことって思ってるかもしんないけど」 「いや―」
傘を少し傾けてぼくは彼の顔をじっと見つめた。
「今日はなんだか気を遣わないというか…すごく楽な気がしていたんだ」
なんでだろうと思っていたけれど、人の目を気にせずにいられるからだったのだ。
「まあ、いい年してトラや像やゴリラも無いけどさ」 「そんなことは無い。ぼくは動物園に来るのは二十年ぶりくらいだから、すごく面白い」
それに何より進藤と二人でのんびりと過ごせる。そのことがとても楽しかった。
「…この先に軽食食べられるコーナーがあってさ、ソフトクリームも売ってんだよな」 「こんな雨の日に?」 「でもいかにもって感じだろう?」
デートで動物園に来て、二人揃ってソフトクリームを食べる。そんなベタなことをずっとしてみたかったと言われて何故か胸が締め付けられた。
「いいよ。そういえばソフトクリームも二十年ぶりぐらいだから」 「は? マジ?」 「食べないだろう? もともとそんなに甘いものが好きなわけじゃ無かったし」 「いや、食うよ。甘いもんとソフトはまた別もんだよ」
だったらこれは絶対に食わなければいけないなと、妙に頑固に言い張るのが可笑しくてぼくは彼に笑いかけた。
「他に…動物園に醍醐味はあるのか」 「そうだなあ、シロクマ?」 「そんなに、凄いのか?」 「ん。いや、この動物園のシロクマの所、背後が崖みたくなってて、見下ろすのにもちょっと上らなくちゃいけなくて、ちょうどいいスポットなんだよな」 「何の?」 「キスの」
ガキの頃に来た時に、ロケーションを見てそう思ったと。一体どんなませた子どもだったんだと思いつつ、でもそれも悪く無いと思い返す。
「じゃあソフトクリームのその後に」 「え? いいの? 怒らないの?」 「こんな非道い雨なんだから―いいんじゃないか」
どうせ誰もぼく達二人を見る者は居ない。
| 2013年04月03日(水) |
(SS)花散らしの雨 |
春だというのに朝から冷たい雨が降っていて気分もあまりぱっとしない。
こんな時にぴったりの元気の出る思い出がぼくにはある。
あれは数年前の今くらいの時期。
満開に咲いた桜に冷たい雨が降っていた。
ああ、もう桜が終わる。あんなに綺麗だったのに散って無くなってしまうと、窓から花の散る様を見て無常さと儚さを噛みしめていたら、進藤が隣にやって来て同じように桜を見た。
「あー、もう花も終わりだな」 「うん。花散らしの雨だよね」
ため息をつきつつ言った時、進藤がぼくを見てにっこりと笑った。
「あ、それ美味そう」 「え?」 「なんかそれ、ちらし寿司とかそういう寿司の類みたいですごく美味そうなイメージが浮かんだ」
一体どんな物を思い浮かべたんだと呆気に取られ、それからおかしくなって笑ってしまった。
「なんだよ」 「いや、本当にそうだなと思って」 「だろ」
そういう寿司があったら一度食ってみたいよな、きっとすごく美味いと思うと、進藤はその後もしばらくぶつぶつと妄想の中で造り上げた寿司の話をしていた。
無粋だとか、風流を解しないとかそういう風に取る人もいるかもしれないけれど、ぼくはその時、散る桜に儚さを見ない彼のポジティブさを愛しいと思った。
無くなる物を憂いていても仕方が無い。それくらいなら真っ直ぐに食欲に繋げてしまった方が余程建設的ではなかろうか。
だって食べるということはそのまま生きるということになるから。
「じゃあ今日はお寿司を食べて帰ろうか」 「マジ? おまえの奢り?」 「冗談じゃない。キミだって相応に稼いでいるんだから自分の財布でちゃんと食べろ」
そして本当に二人で寿司屋に行った。
以来、ぼくは桜が散るのを見ても憂鬱な気持ちにならなくなった。
雨に散る花びらを見るたびに、にっこり笑った彼の顔と「花ちらし」という有りもしないお寿司の記憶が蘇り、ぼくをいつも笑わせてくれるようになったから。
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