| 2013年01月28日(月) |
(SS)真似をしてはいけません |
風邪がうつったら大変だからと進藤が近寄って来ると遠ざけた。
「なんでだよ」 「キミだって手合いがあるんだから風邪をひいたら困るだろう」 「別に」 「キミが良くてもぼくは嫌だ」
とにかくいつものように密着してくるなと言ってやったら進藤は非道く不満そうな顔をした。
インフルエンザでは無いものの、喉に来る風邪をひいて三日。微妙に上がる熱と体中の軋みと地味な頭痛にぼくはずっと苦しめられていた。
それでも市販の薬でなんとか症状は押さえられていたし、打つのには取りあえず支障が無い。
だから後は治るまでに人にうつさないことが課題だったのに、進藤は気がつけば隙を見てちょろちょろとぼくにくっついて来ようとするのだった。
「とにかく、今日一日はぼくに触らないこと」 「えーっ」 「用事がある時は1メートル離れた場所から話しかけろ」
あからさまなくらいの言い口で告げ、自分でも気をつけていたのに、それでも進藤は懲りなかった。
打ち掛けの時、時間が余って控え室でうとうととしていたら、ふっと人の気配が近づいた。
誰かが戻って来たのかなと薄く目を開けようとした瞬間、ちゅっと軽くキスをされた感触があったのだ。
「!」
目を見開くと進藤が立っていて邪気の無い顔でぼくを見ている。
「おまえ、休む時くらいちょっと横になればいいのにさあ」 「それよりキミ、今…」 「なに? おれが何か?」 「あ…いや」
もしかして気のせいだったかもと口を濁し、忘れることにしたのだけれど、その日それから幾度と無く同じようなことがあった。
「キミ、一体何をやっているんだ」
またもや疲れて目を瞑っている所をもはや気のせいとは思えないほどはっきりとキスをされて、すかさず腕を掴んだら進藤はあちゃーという顔をしてぼくを見た。
「いや、だからさ」
なんていうかと、進藤は誤魔化そうかどうしようか迷ったそぶりをみせ、けれどぼくが睨んでいるので肩をすくめた。
「だから、よく言うじゃん?」
諦めたように口を開く。
「何が?」 「風邪は人に移すと治るって。おまえすげえしんどそうだったから、おれに移したら治るかなーって」 「それでキミが風邪をひいたら何にもならないだろうが」 「おまえが治ればそれでいいよ」 「いいわけあるか!」
ぼくは彼を怒鳴りつけ、もう二度とうたた寝などしないように気をつけたのだけれど、時すでに遅し彼はぼくの風邪をしっかりもらってしまっていて、翌日思いきり晴れがましい顔でマスクをつけて手合いに現われたのだった。
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切ない50題「崩落」の続きみたいなものです。
| 2013年01月19日(土) |
(SS)ようかんはようかんでお食べなさい |
棋聖戦七番勝負第四局二日目、神奈川県小田原市の老舗旅館「翠明館」楓の間。
塔矢アキラ十段は昨日から日にちを跨いでタイトル戦を戦っていた。
相手は堂々貫禄の緒方精次棋聖で、兄弟子と弟弟子の対決ということでも各方面から注目されていた。
ライバルであり、密かな恋人である進藤ヒカル八段も昨日から駆けつけて真剣な面持ちで対局を見守っていた。
『大丈夫、いくらおれだってこんな真剣勝負の時におまえを疲れさせるようなことしないって。今回はマジに応援に来ただけだからもう自分の部屋に帰るよ』
昨夜ちらりと顔を見せに来たヒカルは、アキラの険しい顔に恐れをなしたようにそそくさと去って行った。が、そこはそれヒカルであるので去り際にひとことも忘れ無かった。
『おまえさあ、そんな眉間に皺寄せてたら勝てるもんも勝てないぜ? ちょっとはリラックスしろよな』
『緒方さん相手にそんな余裕は無いよ』
『じゃあ、とっておきのおまじない教えてやっから、対局前にでも唱えてみな』
そしてアキラにとっては迷惑極まりないながらも彼の言うおまじないとやらを言い残して今度こそ本当に去って行った。
ヒカルが教えてくれたのはおまじないというより早口言葉だった。
『ようか かように ようかんで ようかん よんこ かう よかん』
これを三回唱えればいいと、まあ要はガス抜きのようなものなんだろうなとアキラは思った。
朝になり、対局の場である楓の間にやって来た時、ヒカルは記者達に混じってにこりともせずに座っていたので、アキラも自然に背筋が伸びた。
(せっかく教えてくれたのだし、彼の顔を立てて唱えてやるか)
そう思ったのは、タイトル保持者である緒方棋聖のやって来るのが少し遅れていたからである。
(ようか かように ようかんで ようかん よんこ かう よかん―)
本当に子供だましだと思いつつも、案外リラックス出来たような気がする。
アキラが三回唱え終わった所で緒方もやって来て、さあいよいよ二日目の対局と思った時に宿の仲居がさり気なく二人の脇におやつを置いた。
昨日は午前はカステラで午後は水菓子だった。今日は何かなと目線を落としたアキラはそのまま大きく目を見開いた。
(水羊羹)
置かれていたのは楊枝を添えた、つややかな水羊羹だったのだ。
その途端、アキラの脳裏に教わった早口言葉が閃光のように蘇る。
ようか かように ようかんで ようかん よんこ かう よかん
こみあげてくるものをこらえにこらえて、それでも我慢出来ず吹きだしたのはちょうど緒方が昨日封じた封じ手を立会人が読み上げた時だった。
しんと静まり返った室内に、ぶっと吹いたアキラの声が響き渡る。
「…ほう、いい度胸だな」
緒方にアキラの事情が解るはずもなく、室内は瞬く間に険悪な雰囲気になった。
後にしつこいほど取材で聞かれることになる、『吹き出すほどぬるい棋聖の封じ手』事件は長らくアキラを苦しめることになるのだった。
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アキラはヒカルと違って「くだらないこと耐性」が出来ていません。 ヒカルは駄洒落とか好きそうだなあ…。
| 2013年01月17日(木) |
(SS)何に不満があるというのか2 |
塔矢とおれは性格も生活も何もかもが一致しない。
でもおれは塔矢と居るのが好きだし、打つのはもちろん塔矢と打つのが一番楽しい。
最初はおれがひたすら追いかけて行く形だったけれど、今では竜虎と呼ばれている。
同世代で唯一対等に戦えるライバル同士なんだって。
それはおれにとって最も嬉しい言われ方だし、生涯そうでありたいと願ってる。
塔矢もきっと、心ん中ではそう考えてると思うんだよね。
これから先、何年経ってもおれ達は戦い合う。
いつだってお互いが一番の目標で、今はおれのが段位がちょっと低いけど、それもすぐに追いついてみせる。
そしていつもタイトル戦でタイトルを獲り合う仲になっていくんだ。
その頃にはきっと結婚話なんか出るようになっていて、あいつはいいトコのおぼっちゃんだから見合いなんかしちゃって、やっぱり良い家のおしとやかなお嬢様と結婚しちゃったりするんだろう。
おれはおれで、あいつにスピーチなんかやらせて、小柄で可愛い胸の大きな子と結婚するんだ。
何年かしてお互いに子持ちになって、そいつらもやっぱり碁をやったりして、今のおれ達みたいにライバルになったらいいと思う。
おれのガキはきっとおれによく似たバカで、でも塔矢の子供とは間違い無く気が合うとはずだ。
そして一生家族ぐるみで付き合って行くことになるんだろう。
親友として―。
そう思っただけで途端に非道く不愉快な気分になった。
何がいけないのか自分でもわからないけど、想像したそれに耐えられない。
(なんだこれ)
誰もが思う、理想的な関係ってヤツだと思うのに、どうしても嫌悪感と怒りが消えなかった。
焼け付くように痛くて胸が苦しくて死にそう。
とにかくおれはたぶん、塔矢の築いた家庭なんて絶対に見たくないんだと思った。
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きっとこのまま一生の付き合いになっていくんだろうなあと考えて、うっかり具体的に想像して以下同文
| 2013年01月16日(水) |
(SS)何に不満があるというのか |
進藤ヒカルは明るくて人懐こい性格をしている。友人も多くて楽しいことが好きだからよく人の集まりに駆り出されている。
そんな彼とぼくは性格は正反対で、一つも合う所は無いというのに、気がついたら誰よりも近い存在になっていた。
碁の方でも拮抗した存在だったから、同じ世代で対等に競えるライバル同士として竜虎と呼ばれるようになり、対として扱われることが多くなっていた。
それはきっとこれからも変わらず、年を重ねるうちに頂上でタイトルを争うようになるんだろう。
獲ったり獲られたりその繰り返しで年を取り、いつかぼく達も結婚して家庭を持ったりするんだろう。
彼は彼にお似合いの元気の良い明るい女性と結婚し、ぼくはぼくでたぶん母に似た優しい女性を選ぶと思う。
やがてそれぞれ子供が生まれ、その子供同士も仲良くなって家族ぐるみの付き合いになっていったりすることだろう。
ぼく達の子供は間違い無く碁もやっているだろうから、今のぼく達のようにライバルと呼ばれるようになるかもしれない。
そうしてぼくと彼は親友として一生切れない密接な付き合いをするのだと、ただこれだけの想像が、ぼくを死にそうな気分にさせた。
これ以上を望むまでも無く、誰もが理想だと思う形なのに、それでもぼくはどうしてか、彼と彼が築く家族を思い浮かべるだけで、バカのようにとめどなく涙を流してしまうのだった。
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自覚前の話ということで。
きっとヒカルとは一生の付き合いになるんだろうなと考えて、それをうっかり具体的に想像して死にそうになったアキラの話です。
こほっと咳込んだら、兄弟子に心配された。
「あれーアキラ、もしかして風邪ひいちゃった?」 「いえ、そういうわけでは無いんですが」
喉が痛んで唾を飲み込んだ時にひっかかったのだ。
「ん? なに? 塔矢風邪ひいたの?」
少し離れた場所に居たのに、こういうことには目ざとい進藤がわざわざぼくの側に来て覗き込むようにして言った。
「おまえクソ真面目だから夜遅くまで棋譜の整理でもしてたんだろう」
体調管理も仕事の内だぜとにっこりと笑うので、思わずその頬を張り倒してやりたい気持ちになった。
「ご注進どうも。でもさっきも言ったように風邪なんかじゃないから」
単に喉が痛いんだと言ったら進藤は心持ち眉を上げ、ふうんと意味深に呟いた。
「そっか…」
なるほどと続く言葉に更にムカつく。
「おまえ、今日は喋る仕事あるんだっけ?」 「無いよ。指導碁はあるけど支障の無い程度の痛みだし」 「司会は緒方先生? 開会の挨拶とか閉会の挨拶とかも無し?」 「無いよ、しつこいな」
新年最初の仕事である打ち初め式にどうしてこんな喉を痛めて来るはめになったかというと、叫びすぎたからだった。
目の前に居るこの憎らしい男の名前を夕べ一晩数え切れないくらい叫んだ、そのせいなのだ。
「まあ、いいけど、後でのど飴でも買って舐めた方がいいぜ」 「言われなくてもそうする」
溜息をつきつつそう言ったら、進藤は何事も無かったかのように去って行った。
「大丈夫、アキラ? ぼく今暇だからのど飴買って来ようか?」 「大丈夫です。そこまで非道いものじゃありませんから」
兄弟子に答えながら視線はずっと進藤を見る。
お客さんに囲まれて明るく笑っているその顔は昨夜の薄暗い中での貪欲な顔とは大違いだ。
ぼくの体を押さえつけ、爪が食い込むほど強く腕を握りしめて、焼け付くような熱さでぼくの中に挿って来た。
喘ぎと、汗の滴と遠くに聞こえる時計の針の音。
その中でぼくはただひたすらに彼の名前を呼んだのだ。
「―アキラ?」
自分の考えに沈み込んでしまっていたらしい、芦原さんに心配そうに見つめられていた。
「やっぱり本当は調子が悪いんじゃない? なんだったら掛け合って早く帰れるようにしてもいいよ」 「芦原さんはぼくを甘やかし過ぎですよ。本当に大丈夫です。咳込んだのもさっきだけだし、今はもうそんなに引っかかりも感じ無いし」
ただ腹が立つだけだ。
ぼくをあれだけ叫ばせておいて何も知らないかのように呑気な顔をしている彼に。
「ちょっと…蹴って来ます」 「あ、うん。……ええっ?」
驚いたような顔の兄弟子を残し、ぼくは真っ直ぐに進藤に向かって歩いて行った。
これはやはりどうしても蹴りの一つか腹に一発入れないと気が済まないと思ったからだ。
進藤はぼくが近づいて来るのに気がつくと、待ち受けるようにニヤリと笑った。
(本当に食えない)
いつのまにあんな嫌な性格になったのだと思いつつ、ぼくは彼の期待に応えるべく、目の前に立つや否や、思いきり靴の踵で膝に蹴りを入れたのだった。
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相当痛かったと思いますよ、ヒカル。
普段そんなことはしないのに、正月らしいことをしたくなって2日の初売りに二人で行った。
一時間並んで買ったのはメンズブランドの福袋で、一万円のと三万円ので少し悩んで、ぼくは一万円、進藤は三万円のものを選んだ。
「うわ、これコートが派手過ぎて着れない」
帰りに寄ったカフェで早々に中身を覗いて見ていた進藤はお目当てだったコートがハズレだったらしく、目に見えてがっかりした顔になった。
「信じらんねー、マフラーはじじ臭いし、同じ靴下3つ入ってるし、これで三万なんて詐欺じゃん」
「福袋なんてそんなものじゃないのか、ぼくの方はそんなに悪く無かったけれど」
「おまえ元からじじ臭い格好してるじゃん」
甚だ失礼なことを言って、でもそれに腹が立たないのは進藤があまりにも萎れてしまっているからだろう。
「キミね…」
本当はゴロゴロと寝正月するはずだったのを初売りに行こうと言い出したのは進藤の方だった。
どこから聞き出して来たのか、お気に入りのブランドの福袋に当たりが入っているらしいと知って俄然購買欲が沸いたらしいのだ。
「そりゃあさ、20個に1個しか入って無いって時計が当たるなんて最初から思って無かったけど、せめてコートくらい格好いいヤツが入っているかと思うじゃん」
なのにどうしていつもは店に置いて無いような、スゲエ色合いの物入れてくるかなあと、ぼくより多い金額を払ってしまったこともあってかへこみようが半端無い。
「あーあ、なんかもう今年は何もかもツイて無い気がする」
そんなことまで言い出してテーブルに突っ伏してしまったから呆れるを通り越して可哀想になってしまった。
「そんなにクサるものじゃないよ。たまに変わった色合いの物を着るのも気分が変わっていいかもしれないし、マフラーはお父さんにあげればいい。靴下はどうせ消耗品みたいな物なんだから3つ同じ物でも構わないんじゃないか」 「一万円しか出して無いヤツに慰められたく無い」 「…馬鹿だな本当に」
ぼくは自分の福袋を開けると、4つ入っていた物の内一つを取りだして目の前に置かれた彼の右腕に嵌めた。
「なん――――」
顔を上げた進藤は、自分の腕に嵌められた物を見て大きくその目を見開いた。
「時計……ええっ????」 「ぼくの方はそんなに悪く無かったって言っただろう」
進藤と共に自分の袋を開けて見た時、ダメージジーンズははけないなと思った。皮の手袋もぼくの趣味では無いし、Tシャツもなんだかぺらりとしていて合わなさそうだと思った。
でもその下に思いがけず彼が欲しいと言っていた時計があるのを見つけたのだ。
「うん。よく似合うね。あげるからこれはキミがすればいいよ」 「って、いいの? マジ?」 「タダで貰うのが気が退けるなら、靴下かマフラーと交換でもいいよ? キミ、随分悪し様に言っていたけれど、マフラーはカシミヤだし、靴下だってウールのかなり良い物じゃないか」 「…でも、おまえだって時計欲しくて買ったんじゃないの?」
受け取るべきかどうしようかぐるぐるに悩んだ顔をして進藤はぼくを見る。
「ぼくはね、確率をあげるために買ったんだよ」 「確率?」 「20分の1より、20分の2の方が時計が当たる確率が高くなるだろう?」
最初からキミにあげるために買ったものだからと言ったら、進藤はなんとも情けない顔になってしまった。
「なんだよう。じゃあ欲しくも無いのに一万も出して付き合ってくれたってことなのかよ」 「そういうわけでも無い。今まで福袋という物を買ったことが無かったから、買ってみたいと思っていたのも本当だよ。今日、キミと一緒に早起きして並んで人混みの中で福袋を買ってすごく楽しかったし、それでキミに欲しい物をあげることも出来てぼくは大満足だ」
おかげで今年は良い年になりそうだよと言ったら進藤は悔しそうに口をへの字に曲げた。
「…だからって何でたった1個しか無い時計がおまえに当たるかなあ…」 「馬鹿だなあ」
突っ伏したまま、いつまでもこぼしている彼の頭をぼくは優しく撫でてやった。
「これが無欲の勝利って言うものだよ」
もしくは愛の力かなと言ってやったら、本格的に顔を伏せて、でも見えている耳と首筋は黙って真っ赤に染まって行ったので、ぼくはそのまま撫で続け、正月早々幸せを思いきり噛みしめたのだった。
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アキラが安い方を買ったのは、最初からヒカルと違う方を買うつもりだったから。ヒカルが一万の方を買っていたらアキラは三万の福袋を買っていました。
そしてこの派手過ぎるコートは後に大阪の社の所に宅急便で送られて大変喜ばれることになるわけです。
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