| 2012年07月31日(火) |
(SS)囲碁王子の憂鬱 |
その日、進藤ヒカルは『王子様』と呼ばれていた。
というのは朝、棋院に向かう電車の中で、見ず知らずの女性に着ていたシャツを脱いで肩にかけてやるという行為を行ったからだ。
「進藤王子、話聞いたぜ」 「おう、さっき古瀬村さんが探してたぞ王子」 「ヒカル王子、この間貸した五百円返して」
王子、王子、王子でヒカルはすっかり腐ってしまった。
「うるせーんだよ、誰だってフツーにするだろ、あれ見たら」 「いや、無理」 「うん、無理。変質者とか言われるのがオチだもん」 「そーそー、逆ギレされてひっぱたかれるか痴漢扱いされるかもしれないのにうっかり声なんかかけられないね」
どういうことかというと、その日は珍しく朝から天気予報が思いきり外れたのだ。
一日晴天、降水確率0%と言われたのが、ちょうど皆が通勤、通学で移動している時間帯に大雨が降った。
すぐにからりと晴れたが、傘を持たずにずぶ濡れになった者は多く、彼女も恐らくその一人だったと思われる。
時は夏、しかも連日猛暑が続いたその日、ヒカルとさして年頃の変わらない彼女が着ていたのは白い綿のチュニックで、下もほぼ同じ色の白いハーフパンツだった。
それがびしょ濡れになって肌に張り付き、完全に下着が透けて見える状態になっていたのである。
しかも彼女は濃い青の下着を上下ともつけていて、そのせいでぱっと見、下着姿で電車に乗っているかのように見える。
もちろん、車内の視線は釘付けだ。
誰もが皆濡れているし、同じように透けてしまっている女性もちらほら居る。
けれど彼女のように上も下も完全に透けてしまっているのはたった一人だけだったのだ。
「おい、アレすげーな」
こそっと隣の男が友人らしい男に耳打ちするのを聞いて、初めてヒカルは彼女に気がついた。そして、あーあと思った。
(どういうプレイだよ、あれ)
本人も自分の状態が解っているようで、ただ恥ずかしそうに下を向いている。
ぽたぽたと滴る滴が顔にも落ちて涙のように見えたけれど、もしかしたら本当に泣いていたのかもしれない。
一度電車に乗ってしまえば帰るにしても人の目に晒されるし、社会人ならそんなことで休むことも出来ないからだ。
見回して見ると、少なくとも周囲の男共は見ないふりをしてちゃんとじっくり彼女を見ていた。
体は細いが結構バストはしっかりあって、だから余計に目が離せなくなってしまうのだ。
男だけならまだしも、「やーだ」と言ってくすくすと笑いながら、女も結構な数が彼女を見ている。
ヒカルはそんな有様を見て、すぐに羽織っていたシャツのボタンを外すと脱いで、それを持って人混みをかき分けた。
そして注目の的である彼女の前に立つと、シャツを肩に羽織らせてやったのだった。
ヒカルは背がものすごく高いという程では無いけれど、それでも彼女より優に二十センチは高い。
シャツの裾はちょうど彼女の膝上くらいになって、上手く下着の透けを隠した。
えっと顔を上げるのに言う。
「それ、安モンだから返さなくていい。それから、今の時期夕立とかもあるんだからさ、濡れても困らないように羽織るもんくらい持って出た方がいいと思うけど」
そしてそのまま、守るように市ヶ谷まで隣に並んで立っていたので、先程のように彼女がじろじろ見られることは無かった。
あからさまに舌打ちをする者もいたし、助けてもらった当の本人も半分胡散臭そうにヒカルのことを見ていたけれど、何も言わずに下りようとするのを見て初めてはっとしたように頭を下げた。
「あっ、ありがとうございました」
ヒカルはそれをちらりと見て、でも何も言葉は返さずに黙って改札に向かったのだった。
その日は手合い日で、当然同じ電車、同じ車両に関係者は居た。
大勢はいなかったが複数の者が最初から最後までを見ており、棋院に到着すると、どうしてヒカルがランニングにジーンズというラフ過ぎるスタイルで手合いに来たのか事情を話して回ったのである。
「王子、さっき篠田先生が呼んでたから早く行けよ」 「うるせえ、今度王子って呼んだらブッ殺す」
イライラした口調で返しつつ、ヒカルは大きく溜息をついた。
「機嫌が悪いね」
そんなヒカルを見詰めながらアキラが言う。
「別に悪いことじゃ無いじゃないか、良いことをして王子呼びされているんだから堂々としていればいい」 「ヤだね。からかわれているのが解ってて、嬉しいなんて思えるか」
彼女を助けたのは、ヒカルにしてみれば、ごく当たり前のことだった。
一人っ子で女兄妹はいないものの、幼稚園からの付き合いの幼馴染みがいるヒカルは、雨の日に服が濡れて嫌らしい目で見られて困ったなどという愚痴を今まで何度か聞かされている。
大変だなあと思ったし、でもまあ男だったら無理無いよなとも思ったし、そもそもそんな透けるような服を着てこなければいいんじゃんとも思った。
『わかってないなあ、女にはね、男にはわからない事情ってものがあるのよ』
好きな人に可愛く見られたいとか、好きな人に綺麗に思われたいとか、とにかく色々!と。
憤然として言われて、それでもよくわからねえと思ったが、今日電車の中で正にその服が濡れて困っている女性を見た時に、ヒカルは純粋に気の毒としか思えなかった。
(まあ、あれだよな、乾いていればフツーに可愛い服なんだろうし、今日雨が降るなんて思っても見なかったんだろうし)
いわばこれは事故ではないのかと。
事故なのに、それをじろじろと見るのは見る方が悪い。そしてその他にもう一つ思う所があったのだけれど、それは胸に秘めている。
「皆言っているけど、普通は思ってもなかなか出来ることじゃないよ、自分が着ているシャツを脱いで渡すなんて格好いい真似は」 「しょーがねーだろ、それしか渡せるもんが無かったんだから」 「それにしたって…」
ヒカルがキレそうなのは、皆にからかわれているだけでは無く、アキラにやんわりと嫌みを言われているからだった。
万一を考えて、人に言われる前に言ってしまおうと、会ってすぐに事の顛末を話したのだけれど、明らかに塔矢アキラ様のご機嫌は斜めになった。
「…焼き餅妬き」
ぼそっと小声で言ったら「何か言ったか?」と満面の笑みで聞き返されてしまった。
「べっつにー」
この話題、いつまで引っ張られるんだろうかとか、いつまで王子呼ばわりされるんだろうかと色々巡って憂鬱な気分になって居たら、再度王子と声をかけられた。
「うるせえって!」 「いや、だから篠田先生が呼んでるって言ってんのに! 行かないとおれ知らないぞ」 「篠田先生が?」 「なんでも朝の『お姫さま』がお礼を言いに来てるって」 「はあ? 嘘だろ」
ヒカルは呟いて考え込んだ。初対面の相手なのにどうして自分の素性が解ったのだろうかと思ったのである。
「あっ! ポケットにこの間会った八重洲分院の人の名刺が入っていたかも…」
きっとそこから辿ってここに到達したのだろう。
「良かったじゃないか。逆シンデレラだな」
自分を探す手がかりを残しておくなんて抜かりがないなとアキラに氷のような声で言われてヒカルの口がへの字に曲がる。
「だって…しょーがねーじゃん」 「うん、キミは単に紳士だっただけだろう?」
嫌味の切れ味が半端無い。
「だからどーして、そーゆー…」 「いいからさっさと行って来たらどうだ? 打ち掛けの時間も終わってしまうし、せっかく訪ねてくれたその人を待たせても悪いし」
行け行け、行って戻って来るなと言わんばかりの口調に、ヒカルは大きく溜息をつくと、やけくそのように言った。
「あー、もー、行くよ、行って来るよっ」
そうしてくるりとアキラに背中を向けて、ひとことだけぽそっと言う。
「―だよ」 「なんだ? まだ何か言い訳か?」
ヒカルが悪く無いと解っていても、恋人として面白く無いアキラは容赦が無い。
「しょーがねーだろって言ってんだよ」
さっきと同じことをヒカルは向こうを向いたまま繰り返す。
「その子、だって……おかっぱだったから」
は? とアキラが呆気にとられたその瞬間、くるりと振り返ってヒカルが言った。
「バーカ、バーカ、塔矢の馬鹿、ドS、根性曲がりのひねくれ者っ! そんなに意地悪ばっかりしてて、本当に他の子に気持ちが移っちゃっても知らねーからな!」
そうしてから「行って来ます」と拗ねたような声で言い、まっすぐにエレベーターに向かったので、アキラは、はっと我に返ると慌ててヒカルを追いかけたのだった。
※※※※※※※※※※※※※ 子どもの喧嘩です。
休日に塔矢と一緒にテレビを眺めていたら、CMにオリンピック出場選手が出ていた。
「あ、××選手だ」 「どの人が?」 「え? 今のCMの…」 「へえ、そうなんだ」
少しして、またCMタイムになった時、また別の選手が今度はオリンピックそのもののCMに出ていたので「おっ、×△選手じゃん」と言ったら再び「どの人が?」と聞かれてしまった。
「おまえ…いつも新聞とか、すげえじっくり読んでるのにオリンピック出場選手も知らないのかよ」 「失礼な。ちゃんと知っている。××選手に○×選手に△村選手に…」
ぞろぞろとびっくりする程名前の羅列が続く。
こいつはお見それしましたと、じゃあたまたま知らない選手が出ただけだったのかなと思いつつ、テレビがオリンピックの中継になったのでなんとなくそのまま見ていたら、さっき塔矢が言った選手が競技に出ていた。
「あ、ほら! ○×選手」 「………どの人?」 「ついさっき、おまえが言った人だってば!」
キレそうになって指さすと、しげしげと見た後で「へー」と感心したように言った。
「なるほどこの人がそうなんだ」
ぼくはテレビをほとんど観ないし、名前でしか知らないものだからと言われて納得しそうになって突っ込んだ。
「新聞にも写真ぐらい出てるだろう?」 「出ているけれど、全員は出ないじゃないか。賞を取って表彰されれば大きくカラーで載るから、そうしたらいくらぼくだって忘れ無いよ」
ムッとした口調でそう言われ、いや確かにそうかもしれないけれどと思ってしまった。
逆を返すと、そのくらい著しい成績をあげないと名前と顔が一致しないということになる。
(こいつの記憶に残るには、トップに立たないとダメなんだなあ)
無邪気に競技に感心している塔矢を見ながら、おれはなんだかぞっとして、もっと頑張らなくちゃいけないなとしみじみ思ってしまったのだった。
※※※※※※※※※※※
いや、ヒカルのことを忘れることは絶対無いと思うんですがね。
| 2012年07月29日(日) |
(SS)決戦、スイーツ男子 |
本因坊戦第七局。
タイトルを賭けた戦いの決着がつくこの日、午後の対局が始まってすぐ、挑戦者の進藤九段は運ばれて来たおやつを見て大声をあげた。
「ああっ、おまえの方、チーズ大福じゃん。狡い!」
タイトル戦など日にちを跨ぎ、丸1日打ち続けるような対局の時は午前と午後におやつが出る。
大抵は午前にこってりとした味の濃い物。午後にはフルーツなどの軽い物が出されるが、今日は珍しく逆だった。
そしてこのおやつは対局者のリクエストに応じて用意されるものなのだが、どういうわけか逆に出されてしまったらしい。
進藤九段の手元にあるのは口当たりの良さそうな水羊羹で、でも進藤九段は不満そうに対局相手である塔矢本因坊の傍らの盆から目を離さない。
「おれ、水羊羹苦手なんだよ。ここのチーズ大福美味いって言うから食べてみたかったのに」
周囲は皆、呆気に取られている。
殺すか殺されるかに近いような真剣勝負の途中で、こんな呑気なクレームを本気でつけたのは進藤九段が初めてだったからだ。
記録係も立会人も、皆宥めようかどうしようか迷った時、いきなり塔矢本因坊が俯いてぷっと吹きだした。
「勘弁してくれ、折角緊張感を維持できるように頑張っているのに、隙を突くようなことをされたら笑ってしまうじゃないか」 「だって、おれちゃんとリクエストしたのにさあ」
すみません、すみませんと間違えて出したらしい仲居が畳に頭をすりつける。
「頂いたメモを逆にしてしまったようで、本当にこんな大切な時に申し訳ありません」 「あ、いえ、いいんです」
進藤九段では無く塔矢本因坊が言う。
「食べ物のことぐらいでごちゃごちゃ言う彼の方が悪いんです。大福だって水羊羹だって中身は大して差がないんだから文句を言わずに食べればいいものを」 「こっちだってなあ、おまえを一泡吹かせるのに無い頭絞ってるんだから、糖分補給は大切なんだよ」
好きな物、美味しいものだとモチベーション上がるしと言うのにまた塔矢本因坊が笑う。
「じゃあ…取り替えてあげると言いたい所だけれど、ぼくもこれ、食べてみたい気持ちになったからタダでは取り替えてあげられないな」 「はあ? 金取るのかよ、ケチ臭い」 「誰がそんなこと言った、もしこの勝負でぼくに勝てたら譲ってもいい」
それまでは食べないで取っておくよと言われてむうっと進藤九段の眉が寄った。
「それって、おれが勝てないの前提にして言ってねえ?」 「まさか、キミ相手にそんな舐めたことを思って無いよ。だからキミも水羊羹は食べないで取っておいてくれ」
キミはそんなに嫌うけれどね、その水羊羹だって、東京では行列しないと買えないものなんだよと言われて眉が下がる。
「よっしゃ、やる気出た。絶対おまえのこと負かしてやる」 「受けて立つよ」
塔矢本因坊の鮮やかな笑みをきっかけに、再び二人は元の緊張を取り戻した。
戻らなかったのは周囲である。
本来見るべき二人の対局よりどうしても水羊羹とチーズ大福に目が行ってしまう。
ということで、前代未聞のことではあるがおやつは途中で下げられて、代わりに午前と同じフルーツが出された。
けれどどちらも手をつけず、長い時間放置されることとなり、決着が着いた夕刻、ようやく本来のおやつと共に両棋士の口に入ることになったのだった。
※※※※※※※※ 私、対局の前夜とか、打ち掛けの時に何を食べたかというのを読むのがすごく好きなんですが、おやつもまた色々あって面白くて好きです。 チーズ大福は今年の本因坊戦だったかな?美味しそうでございました。
| 2012年07月28日(土) |
(SS)お母さんは泣いていた |
幸せになりたい。
ただそれだけのことがそんなに悪いことでしょうか。
たくさんは望まない。
好きな人と一緒に居たい、いつでも側に在りたいと願う。
ただそれだけのことがそんなにも許されないことなんでしょうか。
ぼくが言ったらお父さんは黙って、それからぼくの顔を見ずに、
「出て行け」とひとこと言ったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 同じような話ばかりですみません。
| 2012年07月26日(木) |
(SS)たった一つの冴えたやり方 |
いつ頃から言われ始めたのか忘れたが、大体に於いて年のいった人ほど、人のくだらないことにやけに拘る。
「へえ、進藤くんはまだなんだね。早そうに見えるのに意外だねえ」
特に酒の席ではそれが顕著で、普段真面目そうにしている人でも口が悪くなるので始末に負えない。
「奥手なのかな? それとも好みがうるさいのか」
「そういえば塔矢くんもまだだったね。あんまりのんびりしていると、何か 理由があるんじゃないかと変な噂をたてられるよ」
もちろんおれも塔矢も自らそんなことを吹聴したわけでは無い。けれどふとした時に漏らしたことを面白おかしく広めるヤツというものはいるもので、いつのまにかおれと塔矢は『経験が無い二人組』としていい酒の肴になってしまっていた。
「若手実力ナンバーワンとツーが、どっちも初心だとは面白い」
「不安があるなら私の知り合いの、そういう女を紹介してやってもいいが」
等々。
おれも随分苛ついたが、塔矢はもっと苛ついているのが端で見ていてよくわかる。
でもそれを吐き出せないのが辛い所だ。
「…まったく、どうして人のことなのに、あれやこれや口を出してくるんだろう」
数時間に及ぶ試練を終えての帰り道、塔矢が心底まいったというような口調でおれに言った。
「本当に好きな人としかしたくない。それがそんなにおかしなことかな」
「いや、おれも同じ主義だし」
確かに早い遅いを気にした時期もあったけれど、本当に好きな相手を自覚してからは、どうでもいい相手で済ませてしまわなくて良かったと心の底から思っている。
「前はそんなでも無かったけれど、二十歳を過ぎてからはしょっちゅうだ。もうその話題を持ち出されるだけでうんざりする」
「うーん、まあ確かに、他にネタ無いのかよって思うよな」
何が嫌って、それを取っかかりに碁での意趣返しをされるのが一番嫌なのだ。
碁では勝てないけれど、こっちでは自分の方が経験豊富だと、上から目線で見下ろされるのは本当に腹が立つ。
「まだまだこれからも続くのかな」
「続くんじゃないのかな」
溜息をついた時、ふとおれは思いついた。
「塔矢、おまえ今日これから暇?」
「今日? こんな時間だしもう帰って寝るだけだけど」
「そうか。それで明日も休みだったよな?」
「…うん」
「じゃあ決まりだ。これから一緒に捨てて来よう」
「えっ!」
ぎゅっと手を握り、そのまま繁華街の方に歩き出したら塔矢は非道く焦ったように踏み止まろうとした。
「待て、進藤、そんな冗談は笑えないぞ」
「冗談じゃないって。おれもいつまでもこんなつまんねーことでいじられ続けるの嫌だし、だったらおれら二人で綺麗さっぱり捨てて来ちゃえばいいんじゃね?」
「そんな…でも…」
「そうしたらうるさいクソオヤジどもにも一泡吹かせてやれるし、碁にも集中出来るじゃんか」
ぐいぐいと引きずるように歩くのを塔矢が無理矢理途中で止めた。
「それでも、進藤っ!」
ほとんど悲鳴のようだった。
「ん? 何?」
振り返ると真っ赤な顔をした塔矢がおれを睨んでいる。
「それでも…ぼくは、お金で女性を買うような真似はしたくない」
「そんなことするっていつ言ったよ」
「え?」
「おれもおまえも経験無いって馬鹿にされるのにうんざりしてる。それでたまたまおれら二人はこの後の予定も無くて明日も休みだ。だから」
おれらが二人でやればいいんじゃねえのと言ったら、塔矢は今まで見たことも無いくらい目を大きく見開いた。
それから頬が更に赤く、首筋まで一気にぱあっと染まる。
「あ…いや…でも…そんな」
「おれ絶対上がいいけど、おまえが嫌なら譲ってもいいよ」
ぷるぷると無言で首を横に振る塔矢がいる。
「じゃあおれ上な。大丈夫、やったこと無いけど、一応知識だけはあるから普通にちゃんと出来ると思うよ」
「そういうっ…ことじゃなく…てっ!」
「まだなんか問題ある?」
「キミはどうか知らないけれど、ぼくはさっきも言ったように、好きな人としかしたく無い」
「おれもだよ」
言った途端、しんといきなり沈黙が起こった。
「おれもそう。おまえが好きだからおまえとしかしたく無い。だから今までしなかった。おまえは? もしかして他に好きなヤツとかいんの?」
内心かなり冷や冷やしながら尋ねると、塔矢は急に泣きそうな顔になって、それから再び首を真横に生真面目に振った。
「いないよ、そんなの。キミの他に好きな人なんて」
「なんだ、じゃあ問題無いな」
「………………うん」
塔矢の返事は蚊の鳴くようで、いつものきっぱりとした口調は影も形も無かった。
「進藤」
「ん?」
再び歩き出すのに塔矢がおれの名前を呼ぶ。
「…進藤」
「うん」
何度も、何度も、おれに手を引かれたまま、真っ赤な顔で俯いて塔矢はおれの名前を呼び続けた。
「進藤」
「…うん」
大丈夫、愛してるよと囁いたら塔矢は呼ぶのをぴたりと止めて、握り合ったおれの手を痛い程ぎゅっと握りかえして来たので、おれはなんだかいじらしくなって、もう一度塔矢に愛していると言ったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 前にも同じタイトルで書いたかもです。そうだったらごめんなさい。
「鳥にはね、強姦は絶対有り得ないんだって」
思い出したようにふとアキラが言った。
「は? おまえ何いきなり凄いこと言ってんの?」 「いや、鳥って交尾する時の体勢がものすごくバランス悪いだろう? だから雌の協力が無いと交尾することは出来ないってこの間読んだ本に書いてあったんだ」 「ふうん」
受け入れて迎え入れる体勢を雌が作ってくれないと、雄は上に乗ることも出来ないという。
「あれって、男同士にも言えるんじゃないかなって」 「はぁぁ?」 「男女だと力の差が在るから、意に添わなくても無理矢理ってあると思うんだよね。でも男同士だと余程の体格差が無い限り力は拮抗しているものだから」
無理矢理は絶対成り立たない。
「許して受け入れていなければ行為が成立しないと思う」 「で、その鳥の話を持ち出して、おまえはおれに何が言いたいわけ?」
じんわりと背中に汗をかきながらヒカルがアキラに尋ねると、アキラはにっこり笑ってひとこと言った。
「感謝しろ!」 「―はい」
最早ヒカルに反論の余地は欠片も無かった。
| 2012年07月20日(金) |
(SS)芸能界は嫌いです |
腹が立ったのは、その瞬間、進藤が非道く嬉しそうな顔をしたからだった。
「皆さん素敵な方ばかりですが、特に進藤さんなんか私のタイプですね」
お付き合いしていただきたいくらいですと目の前の女性に言われ、彼は満面の笑みでありがとうございますと返したのだ。
最近人気だというアイドルグループと囲碁棋士なんて、こんな馬鹿げた組み合わせを一体誰が考えたんだろう?
いくら若い人にも興味を持ってもらうためとは言え、安易にも程があると思う。
企画は、メンバーの内の一人が1日棋士体験ということで棋院で体験教室を受け、その後若手数人と(しかも男ばかりだ)雑談というかトークをするというものだった。
囲碁はぼくが受け持って、進藤は直接関わっていない。
にも関わらず彼女の視線は最初から進藤にのみ注がれていて、案の定『棋士の印象は?』という質問に隠すことなく進藤が良いと言ったのである。
「失礼になってしまうかもですが、進藤さんて、あんまり囲碁って印象無いですよね? このまま局に戻って一緒に番組に出てもきっと違和感無いですよ」 「そうですか? でもおれ、人前で喋るの苦手だから」
一応ぼくや和谷くん、伊角さんなど他の面子にも平等に話を振っているのだが、声の温度差があまりにもありすぎて、和谷くんなんかはカメラが向いていない時に苦笑してしまっていた。
「もし芸能界に興味がありましたら、△○美にメール下さいね。後でアドレスお知らせしますから」 「じゃあ△○美さんも、もし本格的に囲碁を始めてみたくなったら連絡下さい」
あまりに不愉快で、あまりに腹が立って、耳が拒否しているので彼女の名前が聞き取れない。
「それでは、△○美の1日体験、終わりま〜す♪」
ありがとうございましたと、そこで収録は終わったのだが彼女はその後本当に携帯を出して、進藤とアドレスの交換をしていた。
絶対お返事下さいねと微かに声も漏れ聞こえ、更にぼくの機嫌は悪くなっていったのだけれど、極悪人の進藤は彼女と別れるや否やご機嫌な顔でぼくの元にやって来たのだった。
「塔矢ー、和谷達とメシ食いに行こう」
ついほんの数秒前、アイドルに向けていたのと同じ笑みをぼくにも向けて来るものだから我慢もとうとう限界となった。
「一メートル以内に近づくな」 「あれ? もしかして怒ってる? なんで?」
なんでって、さっきまでのあの状況でよくもそんなことが言えるものだと言葉に冷気を含ませて言ってやる。
「当たり前だろう、浮気した恋人と仲良く昼を食べに行く程ぼくは人間出来ていないよ」 「浮気なんておれしたっけ?」 「アイドルに好みのタイプだなんて言われてやに下がっていたじゃないか」 「あー…」 「キミ、愛想良くぼくの目の前でアドレスの交換までしていたのに、それでも浮気じゃないんだって?」 「だってスゲエ嬉しかったし」
ぬけぬけと言うのに血管が切れそうになる。
「そうか、そんなに嬉しかったか」 「うん、だってあの子、収録始まる前はおまえがタイプだって言ってたからさあ」
ぶん殴ろうと振り上げた手がふにゃりと途中で力を無くした。
「は?」 「マネージャーと最初に挨拶に来たじゃんか。あの時、ぼそぼそ喋ってんのが聞こえてさ、この面子の中では塔矢サンが一番格好いい。出来ればお持ち帰りしたーい、なんて腹立つこと言ってたから」
ころりと趣旨替えしてくれてすっごく嬉しかったのだと進藤は言う。
「は…え?…」 「おまえあの子に指導碁した時、結構厳しかっただろう、あれできっと引いちゃったんだと思うな」
その上、その後もずっと怖い顔して睨んでいるから完璧に圏外になったんだと思うぜとにっこりと言われて何も言い返せなかった。
「だって…それは彼女が…ずっとキミのことばかり見ているから」 「おれじゃないよ。少なくとも最初はおれじゃなくて、おれの真隣にいるおまえのことを見ていたんだ」
そうだっただろうか? 言われてみればそうなような気もするけれど自信が無い。
「だからって何でキミに」 「第一希望がダメだったから第二希望。そんだけのことだろ」
ホント女ってしたたかだよなと笑われて、本気で情けない気持ちになった。
じゃあ何か、ぼくは勘違いして一人で空回っていたというのか。
「あ、でも…アドレス! キミ、携帯のアドレスを交換していたじゃないか!」 「あー、あれね」
言いながら進藤は携帯を取り出すと、手元で素早く操作してからぼくにぽいっと放って寄越した。
「確認していいよ。たった今、着信拒否に設定したから」
これで完了。問題無しと言われてぼくは手の中の携帯を見下ろしてしまった。
「確かめないん?」 「いや、いい。…もう充分だ」
ここまで言うからには進藤は本当に着信拒否をしているはずで、だったら浮気も、ぼくの勘違いだったんだろう。
自分の間抜けさと嫉妬深さを思い知るにはもう充分だからと言ったら進藤はさも嬉しそうに、にやっと笑った。
「なんだ、もうこれで終わりなんだ。もっとねちねち追求してくれても良かったのに」 「…キミ、時々びっくりするほど意地が悪いよね」 「だってこんなことでも無いと、おまえ滅多に妬いてもくれないだろう?」
さてそれじゃと、呼んでいる和谷くんに「今行く」とぶっきらぼうに返事してから、進藤はぼくの耳にこそっと小さく囁いた。
「おまえがいつ、どこからどんなふうにあの子に焼き餅妬いたのか、詳細漏らさず教えて貰うからな」
今夜と、するりと腰を撫でながら言う。
それはほんの一瞬だったけれど、自分が何をされるかぼくが知るには充分だった。
明日はきっと起きられまい。
キツイお仕置きか、はたまた愛撫か、そのどちらを与えられるのかはわからなかったが、どのみちそんなに大差は無いと、ぼくは大きな溜息をつきながら、すっかり餓えた男の目になった進藤を諦めの気持ちで眺めたのだった。
※※※※※※※※※※※※※ まあ大変。←おい。
その日塔矢は珍しく、限界を超えて飲んでいた。
大丈夫かなと心配する程杯を重ね、案の定帰る頃には1人でまともに立っていられなくなっていた。
「ほら、家に着いたから」
ドアを開け引きずるように家に入れると、靴も脱がずに上がり框にぺたりと寝そべる。
「もう、このまま寝ちゃえよおまえ」
だから部屋まで根性で歩けと言うのに首を振る。
「嫌だ、体がベタベタするからお風呂に入りたい」 「わかった、ちょっと待ってろ」
こういう時、一緒に暮らしていて良かったなと思う。
幾ら恋人同士でも人の家だと思うと遠慮があってどこまで手を出していいか解らないけれど、同居していれば自分の家なので思うままに振る舞える。
「もうちょっとでお湯溜まるから、もう服脱いでろよ」 「…脱がして」 「はぁ?」
正気の時なら死んでも言わない言葉に目を剥いたけれど、何しろ相手は酔っぱらいなので逆らわない。
「ほら、脱がしてやったから、風呂行くぞ」 「洗って」 「はぁぁ?」 「疲れてもう動きたくない。だからキミが洗ってくれ」 「はいはいはいはい、解ったよ」
溜息をつきつつバスタブの湯を半分程に減らし、連れて来た塔矢を抱き上げて浸けてやる。そして風呂に入れたまま、髪から体から、石鹸とシャンプーで綺麗に全身洗ってやった。
このやり方は以前、似たようなことになった時に思いついたもので、これだと双方苦労しないで楽に洗える。
最後にお湯を抜いて、シャワーで流してやれば完成だ。
「出られるか? 体拭ける?」 「無理、拭いて」 「あー、もう仕方ないな」
手を貸してやりながらバスタブから引き上げて、脱衣所で座り込む体を拭いてやる。
(今日はマジで飲んだもんなあ)
無理も無い。今日は塔矢の棋聖就任の祝賀会で、余程嬉しかったのだろう、普段なら自制する所を勧められるまま飲んでいた。
「まあ…今日くらい別にいいと思うけど」
こいつ一人だったらどうするつもりだったんだろうと思ってしまう。
「一人だったらあんなに飲まなかった。キミが居るから」
キミが居るから飲んだんだと、まるで人の心を読んだかのように塔矢は呟いた。
「ほら、パジャマ」 「着せて」 「ボタンくらい留めろよ」 「出来ない、やって」 「髪も乾いたし、寝室行こう」 「…抱っこ」
座り込んだ姿勢から、小さな子どものように両手を差し出されて力が抜けた。
「おまえ〜〜〜〜〜凶悪〜〜〜〜マジ始末悪い」
それでも酔っぱらい様はどうしてもおれに抱いて連れて行って欲しいらしく、じっとおれを見詰めたまま、いつまでも手を下げないので根負けした。
「はいはいはいはい。もういいよどうでも」
大きく溜息をついて塔矢を姫抱っこで抱き上げる。
ぶつけないように気をつけて運んで寝室に入ってベッドの上に横たえた。
「電気消すぞ」 「………いい子、いい子して」 「わ――――――――――――――――――――かった。わかった。可愛いな。もうクソこん畜生」
そして隣に寝そべると、すりすりと嬉しそうに寄って来た。
その背中を抱きかかえ、反対の手で頭をそっと撫でてやる。
「はい、いい子、いい子」
すうと、塔矢が寝落ちるまで物の5秒もかからなかった。
(まったく)
安らかな寝息を聞きながら、今夜最大の溜息が口からこぼれた。
好き勝手な我が侭尽くしで酔っぱらいは本当に始末が悪いと思ったのだ。
(普段は絶対言わないくせに)
こういう時だけ甘えてくるのも始末が悪い。
でも何が一番始末が悪いかというと、こんなに惜しみなく可愛さを振りまいておいて、翌朝にはいつもの素っ気ない塔矢に戻ってしまうこと。
そしてたぶん恐らくは、このことを欠片も覚えてはおらず、おれが微に入り細に入り説明しても全く信じないだろうということなのだった。
※※※※※※※※※※※※※
ちなみに棋聖の座を奪われた人はヒカルですよ。ええ。 だから余計に嬉しかったわけです。←ひでえ。
言うのは今しか無いと思ったので、進藤を呼び出して川べりで告白した。
「キミのことが好きだ」 「―ヤダ」
何の躊躇も無く断られて目の前が真っ暗になる。
自惚れているとは思ったけれど、それでも確率は半々だと思っていたから。
「そうか…ごめん」
忘れてくれと背を向けて帰ろうとしたらいきなり強く引っ張られた。
「だからヤだって言ってんだろう」
そもそもおまえ、いつでも唐突過ぎるんだよと怒ったような口調で言われてムッとする。
「別に、言いたいと思ったから言っただけで、そのことに文句を言われる筋合いは無い」
「って、なんで今日いきなり告ろうなんて思ったんだよ」
「今日だから言ったわけじゃない。ただ…こんなふうに思っているだけで伝えないまま終わるのは嫌だと思ったから」
どうせダメだと諦めて、気持ちを伝えないまま友人として終わる、そんなのは絶対耐えられないと思ったのだ。
「キミに好きな人が出来て、その人と結ばれて、温かい家庭を持って…そんな光景を見たらきっとぼくは後悔するから」
だから告白したのだと言ったら進藤は大きく溜息をついた。
「不快だったのは解ってる。もう二度とは言わないから」 「その前に取り消せ、さっき言ったこと全部取り消せ」 「は? 何で? 嫌だよ」 「嫌でも何でもさっきのは無し。おれは認めないからな」
幾ら不快だったとしてもこの扱いはあんまりではなかろうかとムッとして口を開きかけた時、進藤がぼくに向かって生真面目な顔で言った。
「おまえのことが好きです。だからどうか付き合って下さい」
そして深々頭を下げる。
「―――って、どうして」 「おまえが全部悪いんだって、普段しれっとしたツラしてて、んなこと何にも考え無いようなオーラ醸し出していて、それでいきなり告白なんて卑怯技使いやがるから」
おれのがおまえよりずっと前からおまえのことが好きなんだから、おれより先に告白するなんて許さないと、憤然とした態度で睨まれて猛烈に腹が立った。
「なんだと? そんなつまらないことでぼくの気持ちを拒否したのか?」 「拒否なんかしてねー、おまえに先に告られんのがヤダって言ったの!」 「キミね、子どもじゃあるまいし」 「子どもじゃねーよ。だからこそ、こういう順序は気になんだよ」
おれがおまえのこと好きなんだ。だから大人しく了承して付き合えと偉そうに言われて言い返した。
「承知しかねるね。キミは自分の方が先って言っているけど、絶対にぼくの方がキミを好きになったのは先だと思うし」
だから譲らないし、取り消さないよとその場で睨み合いになった。
「負けず嫌い!」 「…キミがね!」
そしてそのまま大喧嘩になってぼくと進藤は二ヶ月ばかり口をきかなかった。
周囲も遠のく険悪な完全無視の期間の後、少し頭が冷えてから、ぼく達は改めて自分の気持ちを告白し合い、それから漸く甘い仲になったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
※私の中のヒカルはそんな感じ。ちょ…先言ってんじゃねーよと、嬉しいよりもまず先にムカっとします。そしてアキラも同じで、は?…拒否って勝手なこと言ってるんじゃないとこれもまたムカっと来ます。
負けず嫌いカップル。
それからあれですね。先に告白されちゃうと、それでポジションが決まっちゃうような所があるとヒカルは思ったんでしょう。
| 2012年07月09日(月) |
(SS)人、それを言いがかりと言う |
「ごーめん、ごめん、寝坊しちゃってさぁ」
向こうから走って来るのは進藤だ。
「悪ぃ、かなり待った?」 「待ったとも。もう待ちくたびれて帰ろうかと思っていたくらいだ」 「えーっ、なんで? だって折角の一年に一度のデートじゃん」 「その一年に一度しか無い逢瀬に堂々と遅刻してくるような伴侶を持った覚 えは無いね」
進藤が悪びれ無いのが更にムカつく。
会いたくて会いたくて、ずっとこの日を楽しみにして、指折り数えるくらいだったのに、相手にとっては寝坊して遅刻出来てしまうくらい軽い約束なのだと思うと心底悔しい。
(所詮、恋しく思っているのはぼくだけということなのか)
考えると本気で泣けてしまいそうなので、置き去りにして帰ろうかと歩きかけたら袖をぐいっと掴まれた。
「待ってって! おまえ本当に何年経っても短気だよなあ」
その癖いい加減、直した方がいいぜと言われてとうとうぶちキレた。
「キミが悪いんだろう! キミがっ」
今日だってぼくは約束の時間よりずっと早く来てキミを待ってた。なのにいつまで経っても来ないかと思えば、呑気に寝ていたなんてあんまりだと、言いながら我慢しきれず涙が滲む。
「あー…ごめん、でもさぁ、だって仕方無いじゃん」
会いたくて会いたくて、もうずーっと前から楽しみにしていて、夕べなんか嬉しさのあまりいつまで経っても寝付けなくて、ほとんど徹夜なんだからさと、ぼりぼりと頭を搔いて進藤が言う。
「本当はそのまま寝ないで起きていようと思ったんだって、でもちょっと気を抜いた隙に眠っちゃって…」
目が覚めて時間見て真っ青になったよと気まずそうに言う。
「これでも全速力で駆けて来たんだって、おまえ帰っちゃったらどうしようって、それが凄く怖くって」
でも居てくれて良かったと、掴んだ腕にすがるようにして言う。
「ありがとう。怒ってても、おれのこと待っててくれてありがとうな」 「そんな…そんなお礼を言うくらいなら…」
来年は遅刻せず会いに来いと、振り返りそのまま進藤の胸に抱きついた。
「待っている間、ぼくがどんな気持ちで居たか思い知れ」 「――――うん」
うん、うん、ごめんなと、囁かれて抱きしめられて、温かさの中で号泣した。
一年に一度、七月七日のこの短すぎるぼく達の逢瀬。
「…って夢を見たんだ」
会うなりむすっとした顔でそう告げられて対処に困る。
「それって何? おれが彦星でおまえが織り姫だったってこと?」 「そうみたいだね。…配役に納得はいかないけれど」
七夕の二人ほどでは無いけれど、おれと塔矢も会えない時期が続いた後の、今日は久しぶりのデートだった。
「で、おれはどうすりゃいいわけ? 織り姫さん」 「織り姫じゃない! それにそういう夢を見たってだけで夢と現実は関係無いから」 「でもおまえ見るからに怒ってるじゃん」
人によっては感情が見えにくいと有名な塔矢だけれど、おれにとっては喜怒哀楽全てが顔に描いてあるようによく解る。
特に不機嫌はおれに隠そうとしないので怒りのオーラが見えそうなくらい感情のささくれがよく解った。
「それは…あんないい加減な彦星では」
腹も立つものだろうと言われても返事のしようが無い。
「ちなみにおれ、今日遅刻して無いよ」 「だから現実とは関係無いって言っているだろう」
支離滅裂で手のつけようが無い。
「じゃあ今日は止める?」 「は? 二ヶ月ぶりに会うって言うのに、それを反故にするつもりか?」 「だったらいい加減機嫌直せよ」 「最初から別に怒ってなんかいない。ただ…」 「ただ?」 「ただ…夢の中でも現実でもぼくの方がキミのことを好きだってことが悔しくて情けなかっただけだ」
そう言った時の塔矢は本当に非道く悔しそうだった。
「そうかな?」
おれとしては、おれの方が塔矢の数百倍、塔矢のことを好きだと思っているのだけれど。
「…そうだよ。その証拠に夕べあまり眠れなくて、だからあんな変な夢を見たんだから」
キミなんか夢も見ないで眠っていただろうと言われて、その通りなので素直に謝る。
「ゴメンナサイ」 「ああ…どうしてぼくは、キミなんかをこんなに好きなんだろう…」 「それはやっぱりおれが男前だから」 「一遍どこかで死んで来いっ!」
怒鳴られてぶん殴られて、でもそれからすぐに泣きそうな顔で訂正された。
「ごめん。嘘だ、絶対死んではダメだ」
ぶっと、堪えきれずに笑ったらもう一度思いきりぶん殴られた。
(こいつ、本当にマジ可愛い)
織り姫でも塔矢でも、おれの恋人は最高に可愛くて愛おしい。
だからもう絶対に遅刻なんかして泣かせちゃダメだぞと、おれは夢の中でおれだったらしい彦星に向かって、そっと心の中だけで忠告の言葉を呟いたのだった。
※※※※※※※※※※
最初のへらへらとしたヒカル(彦星)がなんか書きたかったのデス。
「あれっ? 昨日七夕だったんじゃん」
カレンダーを見ていた進藤が責めるようにぼくを振り返った。
「なんで教えてくれないんだよ」 「昨日は七日だったし、街中にはやたら笹飾りがあったし、あれで気がつか ない方がどうかしていると思うけど」
とは言うものの、ぼくも昨日が七日だという認識はあったけれど七夕だということはすっかりと失念していた。
「あーあ、そういや昨日も雨だったよなあ、オリヒメとヒコボシはちゃんと会えたんかな」 「さあ…どうだろう。小雨だったからもしかしたら会えたかもしれないし」
それとも天の川はこちらと違って豪雨だっただろうか?
「一年に一回しか会えないのに、雨だったら滅茶ショックだろうなあ」 「それはいいけど、キミ、もしかして七夕を忘れていて残念がったのって、 それにちなんで何かをやりたかったわけじゃなくて、単純に二人の逢瀬を祈れなかったから?」
すると進藤は何を今更という顔をしてぼくに言った。
「あったり前だろ」
イマドキ、幼稚園の子どもだって本気で織り姫、彦星を信じているかどうか怪しいのに、この二十歳をとうに過ぎた男前は未だにそれを信じているのだろうか。
「あのね…進藤、天の川って言うのは本当の川じゃなくてね…」
躊躇いながら説明しかけると、「知ってるって」と遮られた。
「幾らおれだって、そのくらい知ってるっての。でもさ、そういうこと解っていてもさ、雨が降ったら会えないとかって可哀想だなって思うじゃん」
だってもし、おれだったら耐えられない。
一年に一度しかおまえに会えないだけでも耐えられないと思うのに、待ちわびたその日が雨で会えなかったりしたら最悪だと言う。
「もしそんなことになったら、おれはきっと全力で、全世界を呪うね」 「キミは――」
馬鹿だなあと思う。
そもそも二人は遊びほうけ、自分達の仕事を放り出したから罰を受けているのだというのに。
(それでも、そんな二人にもキミは同情しちゃうのか)
そんなキミがとても好きだと思う。
「なんだよ? なんか文句あるかよ」 「ぼくだったら、これくらいの小雨なら根性で天の川を渡るけれど」
「は?」 「豪雨で川が氾濫していたとしても、無理矢理にでも渡れる方法を探して意 地でも会いに行くと思うな」
「…力ずく織り姫」 「別に、ぼくは織り姫の方じゃ…」
それでもそう、もし本当にぼくが織り姫だったなら天気を嘆いて待っていたりなんかしない。
「だったらおれも頑張らなきゃかな」 「七夕の話だったんじゃないのか?」
「ん? そーなんだけど、だっておれの織り姫様がそこまでおれのためにしてくれる覚悟があるって言うならさ、おれも色々腹くくらなきゃじゃん」
ずっと隠して来たけれど、手始めにみんなにカミングアウトでもしてみる?と尋ねられ、その後に起こる騒ぎを想像して頭を抱えた。
「それは…氾濫を通り越して、決壊、災害レベルだよね」 「うん。でもおれは今、戦艦作ってもいいくらいの気持ちになってるけど?」
なるほど、ぼくの彦星も牽牛よりもずっと甲斐性も根性もあるらしい。
「じゃあぼくは、万一波に飲まれても溺れないように、ダイビング用品一式を用意しておこうか」 「言うじゃん」
もちろんこれは戯れ言で、本当にいきなり二人の関係をおおっぴらにするというわけでは無い。
(でも少なくとも覚悟は出来た)
思いがけず七夕のおかげで、お互いの認識と覚悟を確認することが出来てしまった。
「まあ、でも実際、そんな心配してないけどな」 「どうして?」
「だっておれら、オリヒメとヒコボシみたいに遊びほうけることも無く、毎日真面目に打ってるじゃん」
彼の言葉に納得する。
「…確かに」
なのに責められる謂れはどこにも無いと、楽天家の彼に引きずられ、普段なら有り得ないくらい未来にポジティブな気持ちになったぼくは、思わず笑ってしまったのだった。
| 2012年07月06日(金) |
(SS)ぼくにとってもそうだった |
進藤は時々とんでも無い。
休憩時間にジュースを飲んで休んでいると、少し離れた所で和谷くん達と雑談していた進藤に手招きされた。
「何?」 「いや、今丁度、ファーストキスはいつで相手は誰って聞かれたからさ」
聞き捨てならない言葉に思わず顔が強ばる。
「へえ…キミはいつだったんだ?」
そして誰としたのだと、それでもなんとか平静を装って話に加わったら、いきなりぐいと頭を掴まれて引き寄せられる。
あっと思った時にはもう唇が重なっていて、それから唐突に離された。
ぷはっと音がするくらい勢いよく離してから、進藤はにこっと邪気の無い笑顔で言った。
「おれのファーストキスは今、そんで相手はおまえ」
ごちそーさん♪とあまりにあっけらかんと言われたので、ぼくも周りに居た皆もしばらく何のリアクションも出来ず、ようやく正気に返ってから取りあえずぼくは彼を一発殴ったのだった。
| 2012年07月01日(日) |
(SS)一年説もあるらしい |
おれなんかよりずっと頭が良いくせに、時々塔矢は突拍子も無いことをする。
先日の手合いの時もそうだ。
朝、六階で下りたら、いきなり塔矢が小走りにやって来て、おはようも何も無くいきなりおれの手を握ったのだ。
「は? なっ、何?」
嬉しいけれど衆人環視の中、一体こいつは何をやっているのだと真っ赤になって尋ねると、塔矢はぽつり言った。
「一年八ヶ月なんだそうだ」 「は?」 「昨日、心理学の先生の講演を聞きに行って来たのだけれど、その中で恋愛期間はどんなに長くても一年八ヶ月しか続かないと言っていたんだ」
一緒に居るとドキドキして、いつも相手のことばかり考えてしまう。そんな蜜月は最長でもその期間しか無く、後はゆっくりと醒めて行ってしまうものなのだと。
「キミとぼくが出会ってから十年近く経つよね?」 「お…おう」 「でもこうしてキミに触れるとまだこんなにドキドキするし、会えないと会いたくて苦しくなる」
心理学的におかしいと思わないかと言われているおれの方が既にドキドキで心臓が飛び出しそうだ。
「キミはどうだ? こんなに経つからぼくに醒めたか?」 「いや…そんなわけねっつーか、その前に場所考えろよ」
てんでんばらばらに過ごしていた皆が目を剥いておれ達を見詰めている。
でも加速した塔矢アキラ様は止らない。
「だってすごく不思議で…一年八ヶ月過ぎても状態が変わらないということは、ぼくがキミに抱いているのは恋愛感情じゃないんじゃないのか?」
「恋愛に決まってんだろ、恋愛に! ドキドキするのどーのとか、いつも相手のことばっか考えてるなんておれだって今でもそーだよ。そんなもん人によって違うんだから一々他人の言葉鵜呑みにすんな!」
「そうか…そうだよね」
凍り付いた周囲とは逆に塔矢は春のように温かな笑みを浮かべた。
「じゃあ、いつも手を繋いで歩くとか、暇さえあればキスをするとか、そういうのも無くなって来るって先生は言っていたけれど、必ずしもそうってことは無いんだよね?」
「おう、おれは桑原のじーちゃんぐらいの年になってもおまえときっちり手ぇ繋ぐし、死ぬまでずっとキスしまくってやるって」 「うん、ありがとう」
おかげで疑問が解けてすっきりした。清々しい気持ちで打てそうだと塔矢はにこにこと去って行ったけれど、お陰様で俺様はみんなの余所余所しい空気と冷たい視線を一身に浴び、心の深い傷もあって、その日は散々な内容で終わったのだった。
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