SS‐DIARY

2012年02月18日(土) (SS)蓼食う虫も好き好き


進藤ヒカルはどうかしている。

和谷は常々そう思っていた。

というのも、あの塔矢アキラを『カワイイ』と言ってはばからないからだった。


『はあ? 塔矢がカワイイ? おまえ目がどうかしたんじゃないか?』

以前、目の前でぽろっと言われた時に思わず言い返してしまったけれど、進藤はムッとすることも無く、至極真面目な顔で和谷に言い返して来たものだった。

『おまえの方こそ視力悪いんじゃねーの? あいつものっすごくカワイイぜ?』

進藤に言わせると、冷徹鬼のように見える表情の下に、ものすごく天然な部分があるんだそうで、それが可愛くてたまらないのだとか。

『天然かどうか知らないけど、とにかくおれは絶対にあいつがカワイイなんて認めないからな』
『いいよ、別に。つーか、むしろ解らないでいてくれた方が有り難いって言うか』

あいつのカワイイ所はおれだけが知っていればいいんだよと、進藤は言って、一人にやにや笑っていた。


わからねえ。
心底本当にわからねえ。

そもそも和谷は昔から塔矢が嫌いだ。大嫌いだと言ってもいい。人間は嫌いな相手をそうそうカワイイとは思えないものだ。

だからきっと進藤の気持ちなんぞは一生理解することは無いだろうと思っていたのに、和谷は程無く意に反して、認識を改めることになってしまう。



その日、和谷は森下先生に言いつかって、八重洲分院の囲碁教室の手伝いに来ていた。本来来るはずの冴木が風邪で寝込んでしまって他に出られる者がいなかったからだ。

そうしたら思いがけずそこに塔矢もいたのである。

(あれ、珍しい)

最近手合いが混んで来て、スケジュールに余裕の無い塔矢は、こういう細々した仕事を免除されるようになって来ている。

希にあったとしても個人的な指導碁か、囲碁教室にしても本院の上級者コースに顔を出すくらいだ。

それが今日はわざわざ八重洲の、それも白石と黒石の違いから教えるような、本当にド素人の教室に講師として参加している。

「うっす」

嫌いは嫌いだけれど、挨拶しないわけにもいかないので口の中で呟くように言うと、塔矢は和谷をじろりと見るなり、ひとこと「教室に来た方にはもっとちゃんと挨拶した方がいいよ」と言った。

「そうで無いと日本棋院の棋士の質が疑われてしまう」
「なにィ! おれだってなあ」

おまえじゃなければ明るく爽やかに挨拶したよと言いかけて、既に何人か集まりかけているのに気がついて口を閉ざす。

こう見えても塔矢は生まれと顔立ちの良さとで一般に大変受けがいいのだ。それを自分が怒鳴りつけてはそれこそ本当に印象が悪くなってしまう。

だから和谷は仕方無くのど元まで上がって来た言葉を飲み込むと、ひたすら塔矢を見ないようにして囲碁教室に専念することにしたのである。




それが起こったのは教室も終わり、後片づけをしている最中だった。

「あれ? 珍しい。アキラじゃない」

声をかけて来たのは芦原五段で、塔矢の兄弟子だった。

「芦原さんこそ、どうしたんですか?」
「うん、ちょっとこちらに用事があってね」
「そうですか」
「それでね、実はさっきそこで偶然進藤くんに会って伝言頼まれたんだけど」

進藤? あれ、あいつ関西棋院で手合いだったんじゃ無かったっけと考えていると芦原五段も同じことを考えていたらしい、不思議そうに首をひねってこう言った。

「彼、今日は大阪だったよね。どうしてここに居るのかなあ…」
「さあ…わかりませんけど。それより進藤は何て―」

考え込んでいる芦原五段を塔矢が促す。

「ああ、うん。ごめん。なんだかね、約束の時間より早く着いちゃったから、いつもの店で待ってるって」

約束の時間。
早く着いちゃった。
いつもの店で待ってる。

それらの単語の連想が、まるでデートの待ち合わせみたいだなと苦笑する。

「アキラ、進藤くんと待ち合わせしてるの?」
「あ、いえ…その…夕食を一緒に食べようと約束していて…」

へえ、そうなんだ。しかも手合いの帰りに待ち合わせてまで食事なんて、そんなに早く検討したいのか。こいつら本当に碁バカだなあと和谷は思った。

その瞬間だった。ぽんと手を叩いて芦原五段が言ったのだ。

「ああ、もしかしてアキラ、それでここの仕事引き受けたんだ?」

そうでしょう? そうでもなければ初心者教室の仕事なんて引き受けないよねえと、おいおい人前でそんなこと言っていいのかという内容をあっけらかんと言っている。

「べっ、べつにそんなわけでは」
「いや、だってそうだよね。君達最近忙しいし、帰って来た所を捕まえない限りなかなかゆっくり会えないものね」

たぶん何の他意も無く、芦原五段は思ったままを口にしたのだろうけれど、塔矢は見ているこっちがびっくりするくらい、いきなり顔中真っ赤になった。

「そっ、そういうわけでは無いです」
「でもアキラ、ここの所ずっと囲碁教室の手伝いは断っていたじゃない? それなのに引き受けたのは、ここからだったら東京駅が近いからなんじゃないの?」

それに実際この辺りなら、メシを食う店もたくさんある。ただその店が検討するような雰囲気では無く、それこそデートに使うような店が多い所がなんなのだが。

「丸ビルとか行くの? あそこ和食の店も多いもんねえ」
 
図星だったらしい、塔矢の顔が更に耳まで赤くなった。

「進藤が好きなラーメンのお店があるので…」

ラーメン屋! 塔矢アキラがラーメン屋!

「ああ、ラーメンもいいよね。腹ごなしにイルミネーションを見て歩くのも楽しそうだし」

今、ちょうどイルミネーションやっていたよねと、言われて何故か更に塔矢の顔が赤さを増した。

「そ、そうですね。そう聞いています」

まるで他人事のように言っているけれど、知っていたことは間違い無い。
ふーん、進藤と待ち合わせてラーメン食って、それからイルミネーション見に行くのかあ。

それってやっぱりデートみたいだなあと思った時に、芦原五段がずばりと言ってしまった。

「あはは、まるでアキラ達、デートするみたいだねえ」

ガタッと、教室中に響く音がしたのは塔矢が危うく机を倒しかけたからで、見ると真っ赤になったまま碁笥を持つ手が震えている。

「でっ、デートなんて、そんなっ」

そんなものじゃありません。断じて絶対ありませんと言いながら、それでも顔は赤くなる一方だし、挙動はどんどん不審になる。

「とっ、とにかく早く片付けないといけないので」
「ああ、そうだね。進藤くんとのデートに遅れちゃうものね」

芦原五段は本当に悪気無く、塔矢をからかって言っている。けれど塔矢は可哀想な程狼狽えて、とうとう碁笥を落としてしまった。

「でっ、デートなんかじゃありませんっ」

ざらっと床一面に散らばる碁石。

それをおたおたと一生懸命拾い集める姿は、いつものお高くとまった塔矢アキラでは無かった。

それはまるで…。

絶対に絶対に死んでも有り得ないことだけれど…。

「恋する乙女かよ」

思わずぽろっと口にしてしまった瞬間、塔矢が顔を上げ、和谷をキッと睨み付けた。

でも顔は相変わらず真っ赤で、目は心なし涙ぐんでいるように見えて、逆に和谷は狼狽えてしまった。

(あー…なるほど)

理解したく無いけどなんか、なんとなく理解した。

確かにこいつカワイイや。

進藤の言う通り、鉄面皮の下にほんのちょっぴり鈍くさカワイイ所がある。

でもそれを認めると、他のなんだかとんでもなく大変なことも認めてしまうような予感がして、和谷は黙って腰を屈めると塔矢がとっとと進藤の元へ行けるよう、こぼした碁石を芦原と共に一緒に拾ってやったのだった。



2012年02月14日(火) (SS)フェチかもしれない


「なあ、へそ、見せてくんない?」

唐突に言われて意味がわからなかった。

「え? 何?」
「だから、おまえのへそ見せてくれって言ってんだよ。へそ」

そこは碁会所で、たまたま今はお客さんが少なくて、でもだからってこんな所でいきなり肌を出すわけにはとか、そもそもどうして進藤におへそを見せなければいけないんだと、ぐるぐる考え込んでしまった。

「早くしろって、早く。市河さんがこっち戻って来ちゃうじゃん」

市河さんはちょうど奥の方の席のお客さんにお茶を出しに行った所だった。

「あーっ、もう、おまえって本当にトロいよなあ」

苛立たしそうに罵られ、仕方無く服の裾をそっと持ち上げる。

「これで…いいのか?」
「って、それじゃ腹しか見えないじゃんか」

へそはもっと下だろうと言いながら、進藤は机の反対側から身を乗り出して来て、ぼくのズボンを指で少しだけ下に押し下げた。

「あ、カワイイ。やっぱおまえのへそカワイイなあ」

そしてあっと思う間に、ぺろりとぼくのへそを舐めると、また元の位置に戻
ってしまった。

「………え?」
「さ、続き打とうぜ。次おれの番だっけか」

碁笥に指を入れ、じゃらりと石を鳴らせながら可笑しそうにぼくを見る。

「いつまでそのまんまで居るん? 風邪ひくぜ」

大体、恥ずかしげも無くこんな人前で肌を晒しているなよなとまで言われてぼくはキレた。

「だっ………だってキミが見せろって言うから!」
「うん、まあ見たかったからさ」

だから見せて貰えて大満足と、そしてにやっと笑われた。

「ごちそーさん。今はまあこんくらいで許してやるよ」

いつかもっとたくさん見せて貰うつもりだからと、そして何事も無かったように盤に集中し始めたので、ぼくは彼の頭を思いきり殴りつけてしまった。

「そんなわけのわからない理由で人のへそを舐めるなっ!」

飛び散る碁石と、こぼれたお茶と、へらへらと笑う進藤の反省の欠片もない笑顔。

恥ずかしさと腹立たしさとごちゃ混ぜな気持ちと一緒に全部忘れず覚えている。

それがぼくが自覚無しに彼に贈り物をした、17歳のバレンタインだった。


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