SS‐DIARY

2012年01月15日(日) (SS)一度きりの恋


「恋愛は一生に一度ってわけじゃないんだから…」


それはとある研究会で、たまたま来ていた若手棋士が妙に萎れているのを見て、年配の棋士が問い質し、失恋したとわかった時の会話だった。

「だって、わけがわからないですよ。おれだって楽しかったし、相手にも充分良くしてやったつもりなのに」
「そんなこと言ったって、本当はどう思っていたか解らないじゃないか」

そんなことよりも若いんだから元気出して、早く新しい恋人を見つけなさいと、年配の棋士はあまりの落ち込みぶりを叱咤するように言った。

「なにも恋愛は一生に一度きりってわけじゃないんだから」

その時だった、すかさず誰かが言ったのだった。

「レンアイは一生に一度きりだよ」

しんと皆が聞き入っていた中だったのでそれは妙にはっきり響いた。

「なに? 進藤くんはそういう主義なんだ」

それは部屋の隅で五段の棋士と打っていた進藤から発せられたもので、彼は盤上から目も上げずに問いかけに答えた。

「主義とか、そういうのじゃないけど」

でもレンアイって一生に一度きりのもんでしょうと、それはあまりにもきっぱりとしていて、ぼくは目を見開くような思いで彼を見詰めた。

「若いのに随分一途だねえ」

失恋棋士を宥めていた年配の棋士が、話を中断させられたことに少しばかり腹をたてたのだろう。皮肉めいた口調で進藤に話しかけた。

「大体キミは恋愛なんかしたことが無いだろう。だからそんなことが言えるんだ。大人になれば解るよ。人は何度も恋をして、失恋して成長するものなんだから」
「それでも―」

ぱちりと石を打ち下ろしながら進藤は臆することなく言い切った。

「おれにとってレンアイは一生に一度きりのモンです」

しんと、あまりにもしんと静まりかえってしまったのは、彼の本気が伝わったからで、慌てて誰かが話を別な方向に持って行った。

それ以上この話題を続けても年配棋士の機嫌を損ね、場が白けるのがわかりきっていたからだ。


「塔矢くんもそうなの?」

しばらくして先程のやり取りを皆が忘れた頃、ぼくと打っていた棋士が尋ねた。

「キミも進藤くんみたいな考えなのかな」
「いえ…ぼくは…」

言いかけた時に視線を感じた。

顔を上げると遠くから進藤が射るような目でぼくを見ていた。

途端に、カッと体の芯が熱くなる。

「すみません…ぼくは…いえ、ぼくも」

恋愛は一生に一度きりのものだと思っていますと、言い切った瞬間に進藤の視線がすっとぼくから逸らされた。


それはまだ十代の頃。

表面に現われていなかった彼とぼくの気持ちが、目に見える形で浮かび上がりそうになった、一番最初の出来事だった。


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