進藤との関係を知った時、父はぼくに別れるようにと言った。
「嫌です」 「それが進藤くんのためでもか?」
おまえ一人の問題ならばいい。けれど彼もまた人の冷たい視線を浴びて排除されるようなことになったとして、それでいいと思うのかと問われて一瞬返せなかった。
「もしその気持ちが本物だと言うならば、相手の幸せをまず第一に思うべきなのではないか」
反論したくても父の言うことは一々もっともで、ぼくは俯くことしか出来なかった。
悩み、懊悩した挙げ句、ぼくは彼に別れを切り出した。
「嫌だ」
進藤の答えはきっぱりとしていた。
「おまえ別におれのこと嫌いになったわけじゃないんだろ?」
お互いに好き合っているのに別れるなんて納得出来ないと言う。
「でもぼくはキミに幸せになって欲しい」 「おれの幸せはお前だ!」
怒鳴るように言われて目が覚めた。
以後、ぼく達は今に至るまで一緒に居る。
時に冷たい仕打ちに遭うこともあるし、あからさまな侮蔑を受けることもある。
でも―。
気持ちを偽らず貫いた。そのことが今もぼくをどんなに厳しい状況下でも常に満たし幸せにする。
彼を好きになって良かったと心の底からそう思う。
| 2011年03月18日(金) |
(SS)マシュマロ2 |
何が楽しいのかわからないけれど、進藤は時々ふいにぼくの顔を両手で挟み込むと、むにむにと頬を揉み、それからそっと口づけたりする。
ついばむように頬に触れて、それから瞼や鼻先や額にももれなくキスの雨を降らせ、それからにっこりと笑ってぼくを解放する。
顔全体が笑みこぼれるような、そんな彼の顔を見つめつつ、何がそんなに嬉しいのかと思うけれど、彼にそうされるのは嫌いでは無いので、今日もまたされるままになるのだった。
窓際で打っていたりする時、ふと顔を上げると塔矢の頬があまりにも綺麗で息が止まるような気持ちがすることがある。
もともと白い肌の上を覆うようにうぶ毛が光っていて、ほんの少し赤味が透けて見えるのもいい。
柔らかそうで触り心地が良さそうで、気がついたら両手で挟んでしまっていたりする。
(怒るかな)
最初はそう思ったけれど、されても塔矢は怒らないし、もっと更に触れたく なってキスしても塔矢は怒らない。
「どうしておまえ怒らないん?」
つまんないことではいつも怒ってばかりいるのに、どうしてこんなことをされて文句の一つも言わないのだろうかと不思議に思って聞いてみたことがある。
「別に嫌じゃないから」 「ふうん」
そうか、嫌じゃないのかと単純なおれはそれで嬉しい。
「それよりも、どうしてキミはこんなことをするんだ」
逆に問い返されてしばし黙る。
「うーん、したいから?」
答えたら再びそうかとそれだけを返す。
いいのかよ、本当にされっぱなしでいいのかよと思いつつ、塔矢に触れるのは気持ち良いので、今日も目の前にあるその顔を挟んで、思うまま、気の済むままに口づけていたら、塔矢は薄く微笑んでおれを見つめていたのだった。
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注、未満時。それが特異な行動であることに、二人は思い至りません。
そもそもが、おれは自分が嘘つきだという自覚がある。
本当に裏切るつもりは無いけれど、心の全てを見せることが出来ない。
端から見るときっと逆だと思われているだろうけれど、これが意外に塔矢は嘘をつかないのだ。
いつでも真正直、時に不器用だと思うくらい繕わずに自分をさらけ出してくる。
だからこそ、おれは自分を汚く思うし、申し訳無いと後ろめたい気持ちにもなる。
それがある日、思いがけず塔矢がおれに嘘をついていることを知った。
知り合いに頼まれて行っていると言っていた個人的な指導碁に実は行っていなかったのだ。
(じゃあ毎週どこに行っていたんだろう)
毎週判で押したように決まった時間に出かけるのは、もし逆の立場だったら即に疑う。
でも塔矢がそんなことをするとは考えられず、でもどう考えても腑に落ちないので遠回しに聞いてみた。
「なあ、おまえが最近通ってる片岡さんて家族と一緒に暮らしてんの?」 「なんで?」 「いや、家族と一緒の人ってあの時間帯あんまり指定して来ないじゃん?」
だから一人暮らしなのかなどうなのかなと思ってと、我ながらあまりぱっとしない言い訳を塔矢は疑問にも思わないのか、にっこり笑って「そうだね」と言った。
「ご家族と一緒に暮らしている人だよ。ただ敷地の中に離れのようなものがあるから」
他の人達は他人が来ても気にならないんじゃないかなとさらりと言った。
「ふうん、そうなんだ」
少しは動揺するかな。ちょっとは取り繕おうとしたりするかなと思ったのに塔矢の答えはあまりに自然で、そのことにおれは衝撃を受けた。
こいつ嘘がつけるんだ。それもこんなに上手くつける。
だったら今までもそんなことがあったのでは無いか―。
自分のことを棚に上げてと人に言ったら笑われそうだが、おれはそれからそのことばかり考えるようになった。
どうして嘘をつくんだろう。どうして嘘をついてまで毎週同じ時間に出かけて行くんだろう?
指導碁なんかしていない、片岡なんて言う人が居ないのも少し探って知っている。
(だったら―)
浮気…してんのかなあと思った途端もうダメだった。
塔矢がおれの知らない所でおれの知らない誰かと会っている。会っているだけならまだいいが、もしも、もしも体を重ねているのだとしたらとてもそれに耐えることが出来ない。
毎日毎日悶々として、でもどうしてもおれは聞けなかった。
またあの時と同じように欠片の動揺も見せず綺麗に嘘をつかれたらと思ったら怖くてそれが出来なかったのだ。
「進藤」
その日も、塔矢は『指導碁』に出かける準備をしていた。
「もう行くけれど、今日は遅くなるかもしれないから先に寝てしまっていて構わないよ」
ごめんねと、そしてくるりと背を向けられた瞬間におれはソファから跳ね起きていた。
「ダメ―」 「進藤?」 「指導碁なんて無いんじゃん、おまえがどこ行って何やってんのか知らないけど、でもダメ、絶対ダメだ」
頼むからおれに嘘をつかないでと、みっともないことこの上無い言葉で祈るように腕を掴んだら、しばし止まってそれから塔矢はゆっくりと振り返った。
「勝手だな、自分はいつも嘘ばかりなのに」
苦笑のようなその笑顔は、でも瞳が笑っていない。深く悲しそうで泣いているかのように見えた。
「ぼくはいつも、キミが今感じているよりも、もっともっと辛い気持ちでキミのことを送り出していた。聞きたくても聞けなくて、考えたく無くても考えてしまって…なのにいざ自分がされたらキミはそれをダメだと言うのか」
「おれが悪いのは解ってる。おまえを傷付けて悪かったって本当に思ってる、なんて言われても罵られても構わない」
でも、それでもどうかおれに嘘をつかないでと、繰り返し言った言葉に塔矢は大きく息を吐いた。
「キミが…平気だったらどうしてくれようかと思ってた」 「塔矢?」 「ぼくがキミに嘘をついて、ありもしない指導碁に出かけて、それでもキミが平気なのだとしたらもう一緒には居られないってそう思ってた。だから…」
良かったと、言葉の最後は消え入りそうで思わずはっと顔を見詰めてしまった。
「―ごめん」 「謝ってなんかくれなくてもいいよ」
塔矢の言葉は静かで切ない。
「ただ、ぼくの感じた痛みをキミも知ってくれたならそれだけでいい」
これからもキミはきっとぼくに嘘をつく、それにぼくは何も言えないけれど、その時にこの痛みを思い出してくれたらそれでいいと言って微かに笑った。
「嘘つきを好きになったのだから仕方無い」 「ごめん―本当にごめん」
抱きしめて、謝って、それでももう命かけて二度と嘘はつかないと言うことが出来ない。
愛しているのにどうしてと言われれば愛しているからとしか返せない。
「ごめん、でも本当におれが愛しているのはおまえだけだから」
おまえ以外は愛せない、裏切ることは絶対にしないと、信じて貰えるとは思はなかったけれど、それだけは本当に心からの言葉で誓ったら、塔矢は何も答えずに、ただ静かにおれの体を抱き返したのだった。
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嘘つき進藤。 でも浮気はしてません。 浮気はしてないけど嘘つきです。
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