| 2009年03月18日(水) |
(SS)まぼろしの子ども |
長考の後、左隅にぱちりと石を置いて進藤が言った。
「なあ、おまえ男でも子どもが産めるとしたらオトコとオンナ、どっちが欲しい?」 「そうだね。どちらでもいいけれど、どちらかと言うならぼくは男の子が欲しいかな」
キミに似た飽きっぽい、でも元気のいい男の子にみっちり碁を教えて育てたいと言ったら進藤は笑って「おれもオトコ」と言った。
「おまえに似たオトコの子がいいなあ」 「ぼくに似ていたって別に面白くもなんとも無いし、だったらキミに似た子の方がぼくはいいな」 「そんなこと無いよ、おれに似ていたら手のつけられないクソガキにしかならないから、絶対おまえに似た美人がいい」
それでべったべたに可愛がるんだと言うので苦笑してしまった。
「…そんなことをされたら焼き餅を妬いてしまいそうだな」 「おまえが? むしろおれの方がおれに似たクソガキに焼き餅を妬きそうだけど」
笑いながら言うのに「そう?」と言って石を置く。
「だったら二人産めばいいかな。キミに似た子とぼくに似た子」
いっそ双子だったらいいかもしれないねと言うぼくに、進藤は「ああ、それイイ!」と言った。
「うん、イイじゃん。育てんの大変そうだけど、双子だったらおれらが留守してても寂しく無くていいもんな」
一応共働きってヤツだし、しかもしょっちゅう遠くに行くしと言う言葉にああ確かにそうかもしれないなと思う。
忙しい両親に構われずぽつりと育ったぼくとしては非道く身につまされることだったから。
「じゃあ双子にしよう」
双子を生んでそれでその二人ともに碁を教えようとぼくは言った。
「そうしたらぼく達が居ない間も二人で打って過ごせるものね」 「生まれる前からもう碁バカ決定かよ」 「だってキミとぼくの子どもだから」
その子ども達が碁バカでないはずが無い。
「可愛いだろうなあ………」
目を閉じてそれからまたしばらく考えて、そして進藤はぼくの読みとは違った方向に攻めて来た。
「うん、きっと可愛いだろうね」
キミに似た子ども。
ぼくに似た子ども。
永遠に生まれて来ることは無いまぼろしの子ども達。
でもぼく達はこんなふうにありふれて、ふとした会話に挟むのだ。
『もしぼく達に子どもが居たら』
それは、でも、裂けた傷に塩を塗り込むようなそんな自虐めいた行為ではなくて単純な言葉遊びのようなものだった。
居なくても幸せだけれど、居たならばもっと幸せだろう。 叶わないのは少し寂しいことだけど、叶わなくてもそれで満たされないことは無い。
ぱちり。
考えた末、ぼくが中央に石を置くと進藤は一転して険しい顔になってそれから再び黙り込んだ。
じっくりと深く己の碁の中に潜って行く。
そして再び帰って来た時にはもう別の話題に移っていて、ぼく達は有り得ない話は止めにして、いつものように打つことに集中したのだった。
| 2009年03月07日(土) |
200000番キリリク「すれちがい」 |
住所を頼りに訪ねてみたら、進藤の新居は真新しい綺麗なマンションだった。
いかにも新しい生活をスタートさせる時に若夫婦が選びそうな物件で環境も良く、実際駅からマンションに着くまでに小さな子どもを連れた夫婦と山のようにすれ違った。
目の前には大きな公園、近くには幼稚園や小、中学校があり、そこに子どもを連れて行く進藤の姿が目に浮かぶようだった。
「子ども好きだから…自分の子どもが生まれたら大変だろうな」
ジュニア向けのイベントで子どもと一緒に遊んでしまって怒られている彼の姿を思い出してくすりと笑う。そう、彼はいい父親になるだろう。そしていい夫にも。
そう考えながらマンションのエントランスに向かった時、ちょうど彼が出てくるのに気が付いた。
結婚したばかりの奥さんと手を繋ぎ、嬉しそうに笑いながら出て来る彼を見た瞬間、ぼくはくるりと背を向けると、逃げるようにその場を去ったのだった。
「進藤…」
見るまではぼくは冷静だった。
部屋を訪ね、友人としてお祝いを言える自信が間違い無くあった。
それなのに幸せそうな彼の姿を見た瞬間、それは脆くも砕け散ってしまったのだった。
「幸せなのか…キミは」
ぼく以外の人と居るのに、どうしてそんなに幸せな顔が出来るのだと理不尽な感情がわき起こり、立っているのも苦しくなった。
もしかしたらぼくは無意識に彼が不幸せで居ることを期待していたのかもしれなかった。
ぼくと別れ結婚したことを後悔して日々を過ごしている所を見たいと願っていたのかもしれなかった。
(でも違った)
彼は後悔などしてはいなかった。幸せに日々を過ごしていることは笑顔を見ただけで充分に解った。
「あんなにぼくと愛し合っていたのに、なのにキミは…」
それをこんなにも呆気なく忘れてしまえるのかと涙が溢れ、嗚咽のような声が食いしばった歯の間から漏れた。
「ぼくを好きだと言ったのに!」
ぼくだけを愛していると言ったのに、本当はやはり男のぼくよりも女性の方が好きだったのじゃないかと、男としてごく普通の平凡な幸せを欲していたのじゃないかと思ったら焼け付くように胸が痛んだ。
「こんな―ものっ!」
手みやげとして持って来たケーキの箱を地面に叩き付ける。
ぐしゃりと潰れた白い箱はそのまま彼が住むあのマンションのように見え、少しだけ胸が空くような気持ちになったけれど、同時にたまらない程空しくなった。
(どうして…)
一体ぼく達はどこですれ違ってしまったんだろうか?
愛し合い永遠に共に在ると思っていた人生は、ある日きっぱりと道を違え、二度と元に戻ることは無かった。
「どうしてこんな――」
別れ話を切り出したのがどちらだったのか今ではもうわからない。
喧嘩や言い争いは日常茶飯事だったし、それで別れる別れないのという話になるのもいつものことだったから。
でもそれでもぼく達はいつも結局は別れなかったし、そうやって日々を積み重ねて行くものだとばかり思っていた。
(でも…違うんだ)
もう彼の人生はぼくの人生とは交わらない。
彼と彼の奥さんの二人の物になってしまったから―。
「…どうして」
どうしてキミはぼくを捨てた。どうしてぼくの元に戻らずに、結婚なんかしてしまったんだと、通り過ぎる人の目も憚らず泣き声をあげた所で目が覚めた。
はあと荒い息が止まらず、半分起きあがったままの状態でベッドの上で放心する。
全身はびっしょりと嫌な汗で濡れていて、気が付くと顔も涙でびしょ濡れだった。
「あ………夢……?」
夢だったのだと気が付くまでに暗い部屋の中で数分かかり、それから改めて一人で寝ているベッドを見下ろす。
(そうだ、ぼくは夕べ彼と喧嘩をして…)
それで口汚く罵りあった後、彼を一人リビングに残して自分だけ寝室に引き籠もったのだった。
「なんで…喧嘩したんだっけ…」
涙を拭いながら思い返す。
「思い…出せない」
きっとまたつまらないことだったのだ。
自分に内緒で女性に会っていたとか、携帯に思わせぶりなメールが入っていたとか。
それともぼくの方に問題があったのか? 喧嘩はあまりにいつものことなので寝ぼけた頭ではすぐにそれが思い出せない程だった。
「でも…良かった…夢だったんだ」
恐ろしい夢。
彼がぼくと別れて綺麗な女性と所帯を持っている。あれはただの夢なのに彼が奥さんと繋いでいた手は妙に生々しく瞼の裏に焼き付いていた。
(そうか…)
そこまで考えてやっと喧嘩の原因を思い出した。
最近一般誌で取材を受けた彼が、対談をした女性アイドルと写真を撮る時に手を繋いでいたことで喧嘩になったのだった。
『だって仕方ナイだろ、あっちが勝手に繋いで来たんだから』 『だからって、嬉しそうにそれで撮られる方もどうかしている』
冷静に考えればただの自分の焼き餅で、彼は浮気をしたわけでもなんでも無いのだけれど、見た瞬間思ったのはこれは裏切りだということだけだった。
ぼくと言う恋人が居るのに公で女性と手を繋ぎ、にやけた顔で写真に収まっている。それがどうしても許せなかったのだ。
『おまえだって時々道端で声かけられてオンナと握手してんじゃん!』 『あれは違う、ぼくはキミみたいにへらへらと嬉しそうに笑ったりなんかしていない!』
他人が聞いていたならばきっと苦笑しただろう。それはまるで子どもの喧嘩のような言い争いだった。
それでも最後の方ではかなり熱くなり、ぼくは思わず「そんなに女性の方がいいなら女性と付き合えばいいだろう」と言ってしまった。
彼はそれには答えなかったけれど、顔色を変えるとただ一言「それ本気で言ってんの?」とだけ言った。
あの声の響き、辛そうな痛みを伴った声はぼくの胸を刺したけれど、ぼくはわざと強がって「当たり前だろう」と素っ気なく言って寝室に籠もってしまったのだった。
(どうしてあんな風に言ってしまったんだろう…)
進藤がぼくを裏切ることなんて絶対に無いのに、それでもどうしても男同士だからという不安から、いらぬ嫉妬をしてしまう。
「進藤…」
ゆっくりと起きあがり、裸足の足で床を踏む。
そっとドアを開けてリビングに向かうと薄暗い部屋の真ん中でソファに蹲るようにして進藤が眠っている姿が目に映った。
余程腹の虫が治まらなかったと見え、サイドテーブルの上にはビールの空き缶が二、三缶とテレビも点けっぱなしで消していない。
見知らぬ人達がうるさく騒ぎ立てるその番組をほとんど見ないでリモコンで消して、ぼくはそっと彼の側に跪いた。
「進藤―」
囁くと瞑っていた目が薄く開かれ、進藤の目がぼくを見る。
「ん? 何? 塔矢」
寝ぼけて居るのか声にはもう棘は無く、ごく普通に愛しい者を見るようにその瞳は反射的に柔らかく細められた。
「どうした? なんかあった?」
それは彼の口癖で、ぼくが心細く彼を引き止める時に必ず言う言葉だった。
『どうした?』 『何かあった?』 『おれが居るから大丈夫』
「今、ちょっと…怖い夢を見て―」 「なんだそうか、でも大丈夫、おれが居るから」
そう言って起きあがると、ぼくの手を掴みぐいと自分の胸に抱き寄せる。
「何? そんなに怖い夢だったん?」 「―うん」
キミが他の人と居る夢だったよと言いたくて、でも言葉にはならなかった。
言霊というものがある。もし万が一言葉に出してあの夢が現実の物になったら―。
考えただけでも恐ろしかった。
(いや、なるかもしれなかったんだ)
ああやって感情のままに振る舞って、つまらない意地を張り続けたならば、きっといつか失ってしまっていたかもしれない。
「…さっきはごめん」
温かい胸にもたれながらぽつりと言ったら進藤は一瞬黙ってそれから言っ た。
「なんのこと?」 「夕べ、寝る前に――」 「寝る前? 別になんもしてないじゃん」 「したじゃないか喧嘩を―」
言いかけるぼくの口を塞ぐように彼はぎゅっと強くぼくの頭を自分の胸に抱き込んだ。
「…なんもしてないよ、『おまえ』は」
おれはワルイことをしたけれどと重ねて言われて顔を上げた。
「進藤?」 「ごめんな。あの写真、本当はちょっとおまえが妬けばいいとか思って、わざと握られた手を振り解かなかった」
それで傷つけてしまったのに逆ギレみたいに怒鳴ってごめんと言われてぼくは思わず泣いてしまった。
「違う、あれはぼくが勝手に嫉妬しただけだから―」 「でもそう仕向けたのはおれだから」
非道かったよな、サイテーだよなと優しい手に頭を撫でられて、こらえていたものがふつりと切れた。
「進藤、ごめん―」 「だからそれ違うって」 「それでもごめん」
ぼくは自分に向けられている彼の気持ちをきっと本当には大切にしていなかったような気がする。
それがどんなに頼りなく、細いもので繋がれているのかを考えてみようともせず、守ろうとする努力を怠っていた。
(もし失ったら生きてなんかいけないくせに)
「ぼくはキミが好きだ」 「うん」 「だからキミとずっと居たい」 「…うん」 「だから…だから…」
ぼくがどんなに愚かでもどうか捨てないでくれないかと言ったら、進藤は馬鹿と鋭く言った。
「それ逆! おまえに捨てられることがあってもおれがおまえを捨てるなんて絶対にあるわけないじゃん」 「それでも、頼むから約束してくれ、絶対にぼくを見捨てないって」 「おまえが…おれが馬鹿でも捨てないでいてくれるなら」 「捨てないよぼくも―」
そんなこと死んでもするわけが無い。
夢の中で見たあの光景。真新しいマンションに住む彼と彼の奥さんと、しっかりと握られた仲睦まじい手はまだ瞼の裏に焼き付いている。
例え夢でももう二度と、あんな引き裂かれるような思いはしたくなかった。
「そして出来ればもう…」 「ん?」 「もう二度と絶対にぼく以外の人の手を握ったりしないでくれ」
妬きたく無くてもどうしてもぼくは嫉妬してしまうからと、言った言葉に彼は即座に返事をした。
「―わかった」
もう絶対におまえ以外の誰とも手を繋いだりしないと、それは真面目な心のこもった声だった。
「ありがとう」
温かい彼の腕が改めてぼくの体をしっかりと包む。優しく愛情のこもったその仕草は全てぼくのためのもので、そう思うと泣けて仕方が無かった。
ほんの一瞬の行き違い、感情のすれ違いで無くしてしまったかもしれないもの。
「愛してる」
ぽつりと言ったら、今度も即座に「おれも」という言葉が返った。
当たり前のようで決して当たり前では無い、人生でただ一つの得難いもの。
愛情という宝石を決して失うことが無いよう、今日のことを忘れずに生きて行こうと、優しい腕に抱かれながら、ぼくは噛みしめるように何度も心の中で繰り返したのだった。
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200000番を踏まれたhirokoさんからのリクエスト、「すれちがい」です。 「すれ違いにすれ違いが重なってかなり切ない状態になる二人」「でもラストはハッピーエンドで」というお題をちゃんとクリア出来ていたなら良いのですが(汗)
少しでも気に入っていただけたなら嬉しいです(^^)
素敵なお題と書きやすい設定をありがとうございました!
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