二十数年生きてきて、財布をすられたというのは初めての経験だった。
イメージ的に道でぶつかった瞬間などに抜くという感があったのだけれど、実際のそれは道を聞かれた時に反対側から鞄の中に手を入れられるという海外ではよく聞くそれだった。
「靖国に行くにはどうしたらいいですか?」と、棋院の近くではよく聞かれる問いだったのでほとんど警戒もしなかったのだが、繰り返し二度も三度も説明させられた段階で気がつけば良かったと思う。
ともかく、ぼくが気がついたのはその中年の男と別れた後で、しかも悲しいことに市ヶ谷の駅の券売機の前に来てからだった。
メトロカードと、SUICAはぼくはパスケースに入れていて、それはスーツの胸ポケットに入れていたのだけれど、度数が少なかったような気がして、チャージしようとして鞄が開いていることにようやく気がついたのだった。
あっと思い、中を見たら見事に財布だけが無い。
そんなに大金は入っていなかったけれど、駅と近くの派出所に届けを出して、すぐに銀行とカード会社に連絡をした。
幸い、カードの類は使われた形跡は無かったのだけれど、また再発行してもらわなければならないと思ったら面倒臭さに少し気分が落ち込んだ。
どうせすぐに知れてしまうと思い、帰ってから進藤にも財布をすられた話をした。
隙が多いとか間抜けだとか色々言われるものと思っていたのに、進藤はにこりともせずに、ただ「怪我とかしなかった?」とぼくの体のことだけを聞いてきたのだった。
「良かったよ気がつかないですられちゃって。……今、そういうの、抵抗すると逆ギレして向かってくることがあるみたいだから」
複数だったんなら余計に、何事もなくてよかったと、彼の反応に少なからずぼくは驚いた。
「でも、カードを使われていたら大損害だ」 「命より大事なものなんか無いだろ」
きっぱりと言い切るように言われて、これまたかなり驚いた。
「金は大事だけどさ、働けばなんとかなんじゃん。でも命だけは本当にどうしようも無いから」
買い戻すことも出来ないしと、まるで年配者のようなことを言うので、なんだか非道く不思議な気分だった。
彼のまわりで亡くなった方はいないと聞く。
ご両親はもとより、親戚、友人、知人など「失くした」経験は持っていないはずなのに、どうしてこんな言葉が出るのかと。
ではやはりぼくの知らない誰かを彼は失くしているのだなとぼんやりと思った。
「ま、とにかく。またこういうことがあって、もしかしてお前が一文無しになっちゃってもさ、おれが一生食わしてやるから」
安心して嫁いで来てと、今度はにっこり笑って言うので、ぼくも笑いながら「キミに養われるつもりは無いよ」と言い返したのだった。
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