| 2005年04月18日(月) |
(SS)COOL&SWEET |
いつもはあまり入らないのだけれど、進藤が好きなのでその日の昼はファーストフードに行った。
ハンバーガーを二つとポテトと更に他に何種類かサイドディッシュを頼んだ彼は、目の前でそれらを美味そうに平らげている。
ぼくはと言えば対局中に食べると胃に血液が集中して集中力が削がれる気がするので何も食べない。
食べないのになぜこんな所にいるのかと言えば、彼が「来い」と言ったからだった。
「今日、和谷も誰もいなくてつまんねーんだよ」
居るだけでいいから来いと引っ張られて仕方なく付き合うことにしたのだ。
相変わらず旺盛な食欲の彼は、ぼくが食べていないことは全く頓着せず、食べて話して、話して食べてを繰り返している。
それでも汚い印象にならないのは家で案外しっかりと躾られているのかなと思った。
そういうものは無意識でも態度の端々に現れる。
見た目大ざっぱな彼が意外にも優美な仕草をすることがあるのはご両親かそれとも、身近にそういう人がいたからなのかもしれなかった。
「あーさすがに腹一杯になった」
後ハンバーガーを一つ残すと言った所で進藤はそうい言って天を仰いだ。
「おまえ食う?」 「いや、脂っこいものはあまり食べたくない」 「そーだよな。ま、いいかお持ち帰りってことで」
後で夜食に食べようと進藤は言って、無造作にハンバーガーをトレイの横に置いた。
「でも、これはどーすっかな」
そう言って困ったように見つめたのはドリンクのカップで、そういえばどうして一人なのに二つも注文したのだろうかと思っていたのだ。
「そんなに頼むからだ」 「いや、これシェイクだから」
食後のデザートのつもりだったんだと言われて肩をすくめたい気分になった。
「おまえ、これ飲んだことある?」 「いや」
飲む? ではなく飲んだことあるかという問いに進藤はぼくが飲んだことが無いと承知していて聞いているのだなと思った。
「アイス溶かしたようなヤツでさ、冷たくて夏飲むと結構美味い」 「今はまだ春だよ」 「まあ、そうだけどさ、人生の勉強ってことで取りあえず一口だけ飲んでみ」
ずいと差し出されて、まあそのくらいならいいかと口に含んで見る。
「甘い」
想像していたよりも口に広がった甘さは強くて顔をしかめたら、進藤は笑った。
「ん。めっちゃ甘いよな」 「わかっていて飲ませたのか?」
ぼくは甘いものはあまり得意では無い。それをわかっていてどうしてわざわざ飲ませるのかと少しばかりむっとした気持ちになる。
「いや、でも別に不味くは無いだろ」 「まあ…確かにそうだけど」
「おれさ、小学生ん時、これすごく好きだったんだ。バケツ一杯分くらい飲んでもいいと思ったくらい」 「で、飲んだのか?」 「まさか、そんなに飲んだら腹壊すって」
からからと笑いながら進藤はストローをくるりと指でまわした。
「でもあんなに好きだったからさ、今もそうかと思って頼んだんだ」
なのに今さっき飲んでみたら死ぬほど甘くてさと、だから残してしまったと言うのに少し笑ってしまう。
「なんだ。大人になったと言いたいのか?」 「うん。まあそんな所かな」
昔は大好きだった甘くて甘くて冷たい飲み物。それを好きでなくなったということは味覚が変ったということなんだろう。
「今はさ、もっと甘くて美味いもの知ってるから」 「なに?」
甘くて甘くて冷たくて美味いもんと、進藤は言いながら幸せそうに笑っている。
「…なんだと思う?」
そう言って指さしたのはぼくの唇で、ぼくはあまりの恥ずかしさに体が溶けるのではないかと思ってしまった。
| 2005年04月03日(日) |
(SS)花の下にて春死なむ |
その日は、荻窪に新しく出来た碁会所のオープンだった。
父の知り合いの棋士が開いたもので、父の名代として当然ぼくは手伝いに行くことになり、それをたまたま居た進藤に言ったら、なぜかもれなくついてくるおまけのよう進藤もついて来たのだった。
「おや、これは…進藤二段じゃないですか」
二段とはいえ、若手の中で注目株の進藤はかなり顔が知られていて、なので素直に大喜びされてしまった。
「いやいや、先日の天元戦の予選、素晴らしかったですなあ」 「でも、まだ予選ですから」
最初の頃は襟元が窮屈そうだったスーツも今ではしっくりと肩に馴染む。 色々なことが相応になってきた進藤は、かけられる賛辞をさらりとかわしていた。
ぼくと進藤と他にも何人か応援にかけつけたことで、人の集まりも多く、碁会所は初日としてはなかなかの盛況ぶりになった。
手分けして希望者の指導碁をして、少しだけ茶話会のように来たお客さんと囲碁の話をした。 断ったけれど、どうしてもということで会食会にも出席して、でも翌日仕事があるからと、それは途中で抜けさせてもらった。
八時という、本来ならまだまだ電車の混む時間だったけれど、ちょうど方向が混むのとは逆方向だったために、ホームもおかしな程がらりとして人の姿はあまり無かった。
「少し疲れたね」 「…ん」
いつもだったら立って待っている電車をどちらともなくベンチに座ってしまったのは、疲れているのと酔いがまわっていたせいもあったかもしれない。
「ぼくは明日十時からだけど、キミは?」 「おれ?…おれは何時だったかなあ。でもたぶんもうちょっと遅い」
だったら少しゆっくり出来るねと、ぽつりぽつりと話しているうちに、ふいに眠気に襲われて、ぼくは目を閉じてしまった。
うつらうつらと、夜とはいえ、春の夜風は心地よくて少し気を抜くと本当に深く眠ってしまいそうだった。
「塔矢?」
話しかけていて、ぼくの返事が返らなくなったものだから不審に思ったのだろう。進藤がぼくの名を呼んだ。
「塔矢?もしかして寝てる?」
起きているよと言おうとしたけれど、口を動かすのが少しだけ面倒で、相手が進藤という甘えもあって、ぼくはそのまま寝たふりをきめこんでしまった。
「塔矢、おいってば」
反対方向の電車は行くのに、ぼくたちの乗る電車はなかなか来ない。
「なんだよー寝ちまったのかよ、つまんねえなあ」
ぶつぶつとつぶやく声に笑いそうになりながら、それでも心地よくぼくは夜風に吹かれるままになっていた。
もう少ししたら目を開けて、眠ってなんかいないよと言おうとそう思った時、のぞき込んでくる気配があった。
「……こうして寝てるとかわいいんだけどなあ」
それは本当に独り言というような小さなつぶやきで、でもはっきりと耳に届いた。
「でも、おれだけのもんじゃ無いんだもんなあ」
拗ねたようなつぶやきは、ぼくが眠っていると思っているからこそ出た彼の本音なんだろう。
「今日だって結局、全然打て無かったし…」
仕事だからしゃーないけど、でも、へらへらおれ以外に愛想ふりまいてんじゃねーよと、随分な言いようだけれど何故か胸が熱くなった。
「まったく…ジーさんキラーなんだから」
言ったかと思ったら、だらりと投げ出したままにしていた手がきゅっと握られた。
「でも、今はおれのもん」
今だけはおまえ、おれだけのもんだと。
温かい指で強く握られて顔が赤く染まった。
「あー……電車なかなか来ねーなあ」
つぶやきながら、進藤はそれからずっとぼくの手を握り続けた。
春の花の香の混ざる夜。
このまま永久に電車が来なければいいと―。
寝たふりをしたままのぼくは、たまらなく、たまらなく幸せだった。
| 2005年04月01日(金) |
(SS)エイプリル・フール |
いつもはそんなことすら忘れているのに、今年はふとそうだったなと思い出した。
この年でと思わないでもないけれど、せっかく思い出したのだから一つ嘘をついてみようと四月一日のカレンダーを眺めながら思ったのだった。
「塔矢」
その日、たまたまおれと塔矢は会う約束をしていて、だから待ち合わせ場所で落合った最初に言ってみた。
「あのさ、おれたちもう今日で別れようぜ」
驚くかな、怒るかな、笑うかなと、思ったら塔矢はいきなり泣いたのだった。
泣いた…というか、泣いていることを自分で全く自覚していないのに涙だけが流れてしまったという感じで、呆然とした表情のその頬の上を透明な水滴が滑って行ったのだった。
「キミが…そう望むなら」
思ってもいなかった反応に言葉も無く立ちつくしていたら、しばらくたってかすれたような声で塔矢が言った。
「望むなら…ぼくは…」 「違うっ、ごめんっ!」
思わず叫んで抱き寄せてしまった。
こんな。
まさかこんな反応を塔矢がするなんて思いもしなかった。
あまりのショックに泣いているのさえ気がつかない程、そんなに深く傷ついてしまうとは思わなかったのだ。
「ごめん、今の嘘なんだ」
今日はエイプリル・フールだったろ?だから嘘ついたんだよと、言ったら塔矢はしばらく黙り、それからもがくようにおれの腕から逃れると、思い切りおれの頬を殴ったのだった。
「いくらなんでも、言っていい嘘と悪い嘘があるだろうっ!」
ぱあんと派手な音に周囲が振り向く程の、でもその痛みは塔矢が傷ついた心の痛みなのだと思った。
「ごめん。もう冗談でも言わないから」 「当たり前だっ」
もし言ったら本当に別れるぞと、まだ泣いたまま、塔矢はおれを睨みつけたのだった。
「うん、ごめん…ごめんなさい」
ぎゅうっと抱きしめる腕の中で、塔矢はずっと泣いていた。普段、滅多なことで泣いたりなんかしない塔矢が泣く。
それほど強く想われていたのだと知って、おれはバカな自分を呪いながら、切なさに泣いてしまいそうになったのだった。
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